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審決分類 審判 全部申し立て 2項進歩性  F16C
管理番号 1329054
異議申立番号 異議2015-700204  
総通号数 211 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2017-07-28 
種別 異議の決定 
異議申立日 2015-11-20 
確定日 2017-04-10 
異議申立件数
訂正明細書 有 
事件の表示 特許第5721449号発明「軌道輪および転がり軸受」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第5721449号の明細書、特許請求の範囲を訂正請求書に添付された訂正明細書、特許請求の範囲のとおり、訂正後の請求項〔1-6〕について訂正することを認める。 特許第5721449号の請求項1ないし6に係る特許を取り消す。 
理由 第1.手続の経緯
特許第5721449号(以下「本件特許」という。)に係る出願(以下「本件出願」という。)は、平成23年1月21日の出願であって、平成27年4月3日に設定登録(特許掲載公報発行日:平成27年5月20日)がされ、その後、平成27年11月20日に特許異議申立人川辺百合子(以下、「異議申立人」という。)より請求項1ないし6に対して特許異議の申してがされ、平成28年2月16日付けで取消理由が通知され、平成28年4月15日に特許権者より意見書が提出され、平成28年5月23日付けで取消理由が通知された(以下、「本件取消理由通知」という。)ところ、平成28年7月13日に特許権者より意見書の提出及び訂正請求がされ、平成28年9月20日に異議申立人より意見書が提出され、平成28年11月7日付けで取消理由通知(決定の予告)がされ、平成29年1月10日付けで特許権者より意見書が提出されたものである。

第2.訂正の適否
1.訂正の内容
(1)訂正事項1
特許権者は、以下(a)に示す訂正前の特許請求の範囲の請求項1ないし6を、以下(b)に示す事項により特定されるとおりの請求項1ないし6として訂正することを請求する。
(a)「【請求項1】
1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪であって、
過共析鋼からなり、
高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成されており、
前記転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、
前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ3またはSUJ5である、軌道輪。
【請求項2】
前記転走面が全周にわたって負荷域となっている、請求項1に記載の軌道輪。
【請求項3】
内輪と、
前記内輪の外周側を取り囲むように配置された外輪と、
前記内輪と前記外輪との間に配置された複数の転動体とを備え、
前記内輪および前記外輪の少なくともいずれか一方は請求項1または請求項2に記載の転がり軸受の軌道輪である、転がり軸受。
【請求項4】
油膜パラメータΛの値が1以下の環境下において使用される、請求項3に記載の転がり軸受。
【請求項5】
風力発電装置において、前記内輪にはブレードに接続された主軸が貫通して固定され、前記外輪はハウジングに対して固定されることにより、前記主軸を前記ハウジングに対して回転自在に支持する、請求項3または4に記載の転がり軸受。
【請求項6】
前記風力発電装置は洋上風力発電に用いられる、請求項5に記載の転がり軸受。」

(b)「【請求項1】
1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪であって、
過共析鋼からなり、
高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成されており、
前記転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、
前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である、軌道輪。
【請求項2】
前記転走面が全周にわたって負荷域となっている、請求項1に記載の軌道輪。
【請求項3】
内輪と、
前記内輪の外周側を取り囲むように配置された外輪と、
前記内輪と前記外輪との間に配置された複数の転動体とを備え、
前記内輪および前記外輪の少なくともいずれか一方は請求項1または請求項2に記載の転がり軸受の軌道輪である、転がり軸受。
【請求項4】
油膜パラメータΛの値が1以下の環境下において使用される、請求項3に記載の転がり軸受。
【請求項5】
風力発電装置において、前記内輪にはブレードに接続された主軸が貫通して固定され、前記外輪はハウジングに対して固定されることにより、前記主軸を前記ハウジングに対して回転自在に支持する、請求項3または4に記載の転がり軸受。
【請求項6】
前記風力発電装置は洋上風力発電に用いられる、請求項5に記載の転がり軸受。」

(2)訂正事項2
特許権者は、請求項1に対応する事項が記載された明細書の段落【0006】及び【0013】の「SUJ3またはSUJ5である」との記載を、「SUJ5である」との記載に訂正することを請求する。

2.訂正の目的の適否、新規事項の有無、一群の請求項及び特許請求の範囲の拡張・変更の存否
訂正事項1は、訂正前の「前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ3またはSUJ5である」において、「SUJ3またはSUJ5である」と選択的記載であったものを「SUJ5である」と訂正するものであるから、特許請求の範囲の減縮を目的とし、新規事項の追加に該当せず、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
訂正事項2は、前記訂正事項1に係る請求項1の「SUJ5である」との訂正に関して、明細書の記載の整合を図るためのものであり、「明瞭でない記載の釈明」を目的とし、新規事項の追加に該当せず、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
また、訂正前の請求項1?6は、請求項2ないし6が、訂正の請求の対象である請求項1の記載を直接的にまたは間接的に引用する関係にあるから、訂正前において一群の請求項に該当するものである。したがって、訂正の請求は、一群の請求項ごとにされたものである。

3.小括
したがって、上記訂正請求による訂正事項1及び2は、特許法第120条の5第2項ただし書第1号又は第3号に掲げる事項を目的とするものであり、かつ、同条第9項で準用する同法第126条第4項から第6項までの規定に適合するので、訂正後の請求項1ないし6について訂正を認める。

第3.当審の判断
1.訂正後の請求項1に係る発明
上記訂正請求により訂正された訂正後の請求項1に係る発明(以下「本件発明1」という。)は、上記第2.1.訂正の内容の(1)(b)において示したとおりのものである。

2.刊行物の記載
(1)刊行物1(特開2008-303402号公報:異議申立人の提出した甲第9号証)
本件取消理由通知において引用した刊行物1には、「高周波焼入れ装置、転がり軸受の製造方法、転がり軸受」に関して、図面(特に、図1ないし3参照)とともに、次の事項が記載されている。
(ア)「【0001】
本発明は、リング状品の高周波焼入れ装置、これを用いた内輪および外輪の高周波焼入れ方法に関する。」

(イ)「【0004】
しかしながら、特許文献1の高周波焼入れ装置には、風車や圧延機などの大型の転がり軸受の内輪、外輪を均一に高周波焼入れするという点では、改善の余地がある。
本発明の課題は、大型の転がり軸受の内輪、外輪であっても、均一に高周波焼入れが行われるようにすることと、高炭素鋼の表層部のみに高周波焼入れを施して、芯部は高靱性組織にして、芯部の靱性を高く保持し、表層部の硬さと残留オーステナイトを確保することである。」

(ウ)「【0010】
また、転がり軸受の製造方法として、高炭素鋼(高炭素クロム軸受鋼など)からなる素材を内輪または外輪の形状に加工した後、この高周波焼入れ装置を用いて、内輪または外輪の軌道面側を所定深さまで高周波焼入れすることにより、軌道面に設定された深さで焼入れ硬化層が形成され、芯部を高靱性組織にできる。これにより、低炭素鋼を用いて浸炭を施す方法と比較して、短時間で、芯部の靱性と表面硬度の上昇および残留オーステナイトの増加を両立させた内輪および外輪を得ることができる。
本発明の高周波焼入れ装置を用いて、転がり軸受の内輪および外輪の軌道面に高周波焼入れを施すことで、表面硬度をHv650以上、芯部の硬度をHv500以下、最表面の残留オーステナイトを15体積%以上、圧縮残留応力を100MPa以上とすることができる。」

(エ)「【発明の効果】
【0012】
本発明の高周波焼入れ装置を用いることにより、大型の転がり軸受の内輪、外輪であっても、均一に高周波焼入れを行うことができる。
また、高炭素鋼からなるリングの表層部のみに高周波焼入れを施して、芯部を高靱性組織にすることができる。よって、この装置を用いて転がり軸受の内輪および外輪を高周波焼入れすることにより、内輪および外輪の芯部の靱性を高く保持し、軌道面の表層部の硬さと残留オーステナイトを確保することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
以下、本発明の実施形態について説明する。
図1および2を用いて、この実施形態の高周波焼入れ装置を説明する。
図1(a)は、焼入れ対象であるリングと、この高周波焼入れ装置を構成する加熱コイル、冷却ユニット、温度センサとの配置を示す平面図である。図1(b)は、図1(a)をA方向から見た部分斜視図である。図2は、この高周波焼入れ装置の構成を示すブロック図である。
【0014】
図1に示すように、この高周波焼入れ装置においては、リング1の円周方向に沿って等間隔に、リング1の外側となる位置に、外側加熱コイル21、外側温度センサ31、外側冷却ユニット41、外側加熱コイル23、外側温度センサ33、外側冷却ユニット43が配置されている。また、リング1を挟んで、これらと対向するリング1の内側となる位置に、内側加熱コイル22、内側温度センサ32、内側冷却ユニット42、内側加熱コイル24、内側温度センサ34、内側冷却ユニット44が配置されている。」

(オ)「【0017】
また、図2に示すように、この高周波焼入れ装置は、制御装置2と、制御装置2に設定値を入力するための設定値入力装置3と、各冷却ユニット41?44を駆動させる冷却ユニット駆動装置4と、リング1を回転させるリング回転装置5と、各加熱コイル21a?21c,22,23a?23c,24に高周波電流を供給する高周波電源6を備えている。
リング回転装置5は、リング1を固定する金属とセラミックスからなる円板と、この円板を回転するモータとからなり、モータの回転速度が可変になっている。
【0018】・・・(略)・・・
【0019】
制御装置2は、リング1の焼入れ深さを制御する側とは反対の側に配置された温度検出器による温度検出値(ここでは外側温度センサ311?316,331?336)から、リング1の厚さ方向の温度分布を推定し、前記チャートから、この推定値に対応する焼入れ深さの設定値を比較して、前記推定値が前記設定値と一致するまでは、入力された温度検出値T_(11)?T_(16),T_(31)?T_(36)からリング1の外側の軸方向での現時点での温度分布を演算し、これに応じてリング1が均一に加熱されるように、焼入れ深さを制御する側に配置された外側加熱コイル21a?21c,23a?23cに高周波電流を供給する制御信号S_(6) を、高周波電源6へ出力する。
これにより、外側加熱コイル21a?21c,23a?23cに高周波電流が供給されて、回転しているコイル1の外周面に高周波加熱がなされる。」

(カ)「【実施例】
【0021】
図3に、高周波焼入れによって作製する軸受構成部品の簡単な熱処理パターンおよび条件を示す。機械加工によって所定の形状に加工された部品は、調質処理によってHv500以下の高靱性組織とした後に、高周波焼入れおよび低温焼戻し処理によって表層部をHv650以上の硬化層とする。なお、前処理としては図3の調質処理の焼入れ処理の代りに、800℃以上の温度域から空冷し、微細なパーライト組織とした後、高温焼戻しと同じ熱処理条件で保持してもよい。また、高周波焼入れ処理の周波数などの条件は表1に示す通りである。」

(キ)段落【0022】の【表1】及び【図3】によれば、高周波焼入れは温度800?1100℃、加熱時間1分?15分で行われることが理解できる。

(ク)段落【0026】の【表3】の「高周波焼入れによって作製する軸受構成部品」に関する試験結果によれば、その実施例1ないし5では、材質として「SUJ3」が用いられることが示されている。SUJ3は、JIS規格高炭素軸受鋼であって過共析鋼であることは明らかである。

これらの記載事項、認定事項及び図面の図示内容を総合し、本件発明1の記載ぶりに則って整理すると、刊行物1には、次の発明(以下「引用発明」という。)が記載されている。
「大型の転がり軸受の内輪及び外輪であって、
過共析鋼からなり、
高周波焼入れによって焼入れ硬化層が軌道面に沿って均一に形成されており、
軌道面の表面硬度がHv650以上であり、
前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ3である、内輪および外輪。」

(2)刊行物2(特開2002-174251号公報:異議申立人の提出した甲第1号証)
本件取消理由通知において引用した刊行物2には、「転がり軸受」に関して、図面(特に、図1及び図2参照)とともに、次の事項が記載されている。
(ア)「【0001】
【発明の属する技術分野】本発明は、医療機器、特にCTスキャナーのX線センサー等を回転・駆動する大型の転がり軸受に関し、詳しくは、外輪および内輪に形成された軌道面に特徴を有する転がり軸受に関する。
【0002】
【従来の技術】従来の転がり軸受においては、外輪および内輪からなる軌道輪の外周面および内周面上に形成された軌道面に玉やころ等の転動体が介挿されている。医療機器、特にCTスキャナーのX線センサーを回転・駆動する軸受には、大型のものが使用されている。こうした大型の軸受の軌道面においては、高周波焼き入れ等の熱処理がなされている。」

(イ)「【0010】
【課題を解決するための手段】本発明の前記目的は、外輪と内輪との間に、転動体と、該転動体を保持する保持器とを介挿した転がり軸受において、前記転動体が案内される前記外輪の内周面に形成された軌道面または前記内輪の外周面に形成された軌道面の少なくともいずれかの軌道面の全周に全体同時焼入れがなされていることを特徴とする転がり軸受によって達成することができる。
【0011】ここで「全体同時焼入れ」とは、加熱手段を軸受の軌道面の形状に合わせた形状として軌道面の全周に配置し、この加熱手段によって軌道面の全周を同時に加熱した後、加熱手段を後退させ、軌道面に配置した急冷手段によって急冷することで軌道面の全周にわたって一度に焼入れを施すことをいう。この場合、前記外輪の内径がφ400mm以上φ1500mm以下で、前記内輪の外径がφ350mm以上φ1400mm以下であることが好ましい。」

(ウ)「外輪10の内周面11には、図示しない転動体を収納し、断面視略円弧状の溝を有する軌道面12が形成されている。軌道面12およびその近傍の内周面11には、外輪10の全周にわたって高周波焼き入れによる熱処理がなされている。図において、熱処理がなされた軌道面12および内周面11の一部をクロスハッチングで示している。このような軸受の外輪10は、全体同時焼入れによって製造される。全体同時焼入れの手順を図2および図3に示す。図2に示すように、外輪10の内周面11側に、軌道面12の形状と対応した加熱手段であるコイル20を軌道面12の全周にわたって近接して配置する。この状態で、コイル20に高周波電流を流すことで、軌道面12を高周波誘導加熱によって所定の温度まで加熱する。この状態で、コイル20に高周波電流を流すことで、軌道面12を高周波誘導加熱によって所定の温度まで加熱する。」(段落【0018】ないし【0019】)

(エ)「本実施形態において、軸受の外輪の軌道面に全体同時焼入れを施していたが、内輪の外周面に形成された軌道面にも同様に全体同時焼入れを施してもよい。」(段落【0021】)

(オ)「【0022】
【発明の効果】以上説明したように、本発明の転がり軸受によれば、ソフトゾーン部が形成されないので、軌道面に逃げを設ける必要がなく、転動体が逃げを通過した際に発生する通過音や振動が生じることがない。さらに。潤滑不良になりがちなソフトゾーン部が形成されないので、摩耗や摩耗による寿命低下・異物による音の発生が生じない。したがって、音の管理が厳しい条件下においても、静かで安定した回転の転がり軸受を提供することができる。」

(3)刊行物3(「改訂5版 鋼の熱処理」社団法人日本鉄鋼協会編、丸善株式会社、平成元年1月30日 第2版第6刷発行:異議申立人の提出した甲第5号証)
本件取消理由通知において引用した刊行物3には、「第3編 熱処理の実際 8.軸受鋼」の426?431ページに、次の事項が記載されている。
(ア)「8・6 焼入れ
軸受は高度の耐転動疲れ性と耐摩耗性を要求されるので,高いかたさに均一に焼入れされなければならない.
8.6.1 加熱焼入方法
a.加熱焼入温度 焼入後の残留炭化物が面積比で約7%前後に調整されるための適当な焼入温度を表8・8に示す.
軸受の肉厚の大きい場合は温度範囲の上限が用いられる.加熱に際しては500?600℃に予熱し,次に焼入温度まで急速に加熱することが望ましい.」(428ページ右欄下から8行?429ページ左欄2行)

(イ)「表8・8 軸受鋼の焼入温度」(429ページ左欄)には、軸受鋼の鋼種として、SUJ1、SUJ2,SUJ3が示され、軸受鋼の焼入温度として、SUJ2は800?840℃であり、SUJ3は790?830℃であることが示されている。

(ウ)「8・6・4 焼入かたさ
焼入れのままの製品表面のかたさを表8・12に示す.
球面または曲面のかたさは平価かたさに換算する.表面のかたさむらはH_(R)C1以内を標準とする.」(429ページ右欄19?22行)

(エ)「表8・12 軸受鋼の焼入れのままのかたさ」(430ページ左欄)には、軸受鋼の鋼種として、SUJ1,SUJ2またはSUJ3が示され、軸受鋼の焼入れのままのかたさとして、SUJ2またはSUJ3において、「輪」ではかたさ[H_(R)C]が63?65であることが示されている。

(オ)「8・7 焼もどし
焼入れによって生じた内部応力を除去し塑性を与え,時効変化の防止,研摩割れの防止などのためのかたさ低下を著しく来たさない温度範囲で十分長時間加熱される必要がある.
8・7・1 加熱冷却方法
a.加熱温度 鋼種および製品の形状により表8・13に示す温度が用いられる.
特に大型軸受部品あるいは耐衝撃用部品には200℃以上の温度が用いられることがある.」(430ページ左欄1行?右欄5行)

(カ)「表8・13 軸受鋼の焼もどし温度」(430ページ右欄)には、軸受鋼の鋼種として、SUJ1、SUJ2、SUJ3が示され、軸受鋼の焼もどし温度として、輪についてSUJ2では140?180℃であり、SUJ3では160?200℃であることが示されている。

(キ)「8・7・4 焼もどしかたさ
一般に焼入かたさよりH_(R)C1?2低くするのが標準である.しかし,特に大きな衝撃荷重のかかるものはさらにかたさを低下させることがある.焼もどし後のかたさを表8・15に示す.」(430ページ右欄17?21行)

(ク)「表8・15 軸受鋼の焼もどしかたさ」(431ページ左欄)には、軸受鋼の鋼種として、SUJ1,SUJ2またはSUJ3が示され、軸受鋼の焼もどしかたさとして、SUJ2またはSUJ3において、大型または耐衝撃軸受用の「輪」ではかたさ[H_(R)C]が58?62であることが示されている。

(4)刊行物4( 「叢書 鉄鋼技術の流れ 第2シリーズ 第9巻 軸受用鋼」瀬戸浩蔵著、社団法人日本鉄鋼協会、1999年12月27日 初版第1刷発行:異議申立人の提出した甲第4号証)
本件取消理由通知において引用した刊行物4には、「4.高炭素クロム軸受鋼の熱処理 4.4.1 焼入れ」の74ページに、次の事項が記載されている。
(ア) 「焼なまし状態ではフェライト中に約15%の球状炭化物が存在するが、焼入れに際してオーステナイト中にこれを適量残存させることが肝要であり、焼戻し後はマルテンサイトならびに炭化物と残留オーステナイトの混在組織になる。それらの比率は7%程度が炭化物、10%程度が残留オーステナイトで、残りの80%以上がマルテンサイトである。したがって、組織の大半を占めるマルテンサイトが強度を左右する重要な要素となる。」(3?8行)

(イ)「図4.17は焼入温度により硬さ、残存炭化物量、残留オーステナイトならびに結晶粒度が変化する様子を集約した結果である。」(15?16行)

(ウ)「【図4.17】焼入温度と硬さ、残留オーステナイト、残存炭化物量、結晶粒度」(74ページ下)には、焼入温度が800?950℃の範囲で、硬さが62?65HRCであることが示されている。

(5)刊行物5(特開2007-297676号公報:異議申立人の提出した甲第2号証)
刊行物5には、「軸の製造方法およびこの方法で得られた軸」に関して、図面(特に、図3及び図4参照)とともに、次の事項が記載されている。
(ア)「【0001】
この発明は、転がり軸受の内輪軌道として機能する面を有し、端部を「かしめ」により固定して使用する軸の製造方法に関する。」

(イ)「【発明が解決しようとする課題】
【0007】
近年、遊星歯車機構の使用条件は、高荷重(例えば4000N以上)、高速回転(例えば8000min^(-1)以上)、高温(例えば120℃以上)、低潤滑油量(例えば、1ピニオン当たり供給量30ml/min以下)等のように過酷になってきており、このような過酷な条件での寿命が長いことが求められているが、特許文献1?3に記載の技術では不十分である。
本発明の課題は、転がり軸受の内輪軌道として機能する面を有し、端部を「かしめ」により固定して使用する軸として、このような過酷な条件での寿命が長く、「かしめ」による固定が良好に行われるものを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題を解決するために、本発明は、転がり軸受の内輪軌道として機能する面(軌道面)を有し、端部を「かしめ」により固定して使用する軸の製造方法において、「JIS G 4805」で規定されているSUJ1?SUJ5のいずれかの鋼材を所定形状に加工した後、熱処理として、以下の4つのいずれかの組み合わせによる1)の処理と2)の処理、3)前記面(軌道面)に対する高周波焼入れ処理、4)低温焼戻し処理をこの順に行い、下記の構成(A) ?(F) を満たすことを特徴とする方法を提供する。」

(ウ)「【0011】
(A) 1)の処理後の表層部の炭素含有率と窒素含有率の合計を、1.0質量%以上2.0質量%以下とする。
(B) 2)の処理後の表層部のマトリックスに固溶している炭素含有率と窒素含有率の合計を0.6質量%以上1.2質量%以下とする。
(C) 3)の処理後の、軌道面の表層部に析出している炭化物および炭窒化物の合計含有率を15面積%以上40面積%以下とし、この炭化物および炭窒化物の円相当最大粒径を3μm以下とする。
(D) 3)の処理により、軌道面の硬化層を深さ(d)が軸の直径(D)の3.0%以上15%以下となる(0.030≦d/D≦0.015を満たす)ように形成する。
(E) 軌道面の表層部の硬さをビッカース硬さ(Hv)で650以上900以下とし、前記面の表層部の残留オーステナイト量を5体積%以上20体積%以下とする。
(F) 軌道面の芯部および前記端部の硬さをビッカース硬さ(Hv)で150以上250以下とし、軌道面の芯部および前記端部の残留オーステナイトを0とする。
【0012】
本発明の軸の製造方法によれば、浸炭窒化処理後に、A_(C1) 点以上A_(Cm) 点以下の温度に保持する球状化焼鈍を行うことで、マトリックスの炭素と窒素合計含有率が高くなり、このマトリックス中に炭化物および炭窒化物を析出することで、軸の耐摩耗性が高くなる。球状化焼鈍の保持温度がA_(C1) 点未満であると処理時間が長くなり、析出する炭化物および炭窒化物の粒径が粗大になり易い。球状化焼鈍の保持温度がA_(Cm) 点を超えると、析出した炭化物および炭窒化物がマトリックス中に溶け込んでしまうため、マトリックス中に炭化物および炭窒化物の析出物が存在しにくくなる。」

(エ)「【0022】
また、前記構成(C) を満たすことにより、すなわち、軌道面の表層部に微細な炭化物および炭窒化物が存在していることにより、得られる軸の耐焼き付き性、耐摩耗性、耐かじり性、耐圧痕性、および耐白色剥離性が、著しく高くなる。・・・(略)・・・」

(オ)「【0024】
また、前記構成(E) を備えているため、得られる軸の転がり寿命が高くなる。・・・(略)・・・」

(カ)「【0027】
本発明は、また、転がり軸受の内輪軌道として機能する面(軌道面)を有し、端部を「かしめ」により固定して使用する軸であって、本発明の方法で製造され、下記の構成(1) ?(4) を備えたことを特徴とする軸を提供する。
(1) 軌道面の表層部に析出している炭化物および炭窒化物の合計含有率が15面積%以上40面積%以下で、その円相当最大粒径が3μm以下である。
(2) 高周波焼入れにより形成された硬化層の深さ(d)が軸の直径(D)の3.0%以上15%以下である(0.030≦d/D≦0.015を満たす)。
(3) 軌道面の表層部の硬さが、ビッカース硬さ(Hv)で650以上900以下であり、軌道面面の表層部の残留オーステナイト量が5体積%以上20体積%以下である。
(4) 軌道面の芯部および前記端部の硬さが、ビッカース硬さ(Hv)で150以上250以下であり、軌道面の芯部および前記端部の残留オーステナイトが0である。
【0028】
本発明の軸によれば、前記構成(3) を備えているため転がり寿命が高くなる。この構成(3) の限定理由は、前述の本発明の方法における構成(E) の限定理由と同じである。また、前記構成(2) を備えているため、軸の機械的強度が高く、軌道面の塑性変形曲がりや径の膨張が抑制される。この構成(2) の限定理由は、前述の本発明の方法における構成(D) の限定理由と同じである。
【0029】
また、前記構成(1) を備えているため、耐焼き付き性、耐摩耗性、耐かじり性、耐圧痕性、耐白色剥離性が、著しく高くなる。この構成(1) の限定理由は、前述の本発明の方法における構成(C) の限定理由と同じである。また、前記構成(4) を備えているため、軸の端部を「かしめ」により容易に固定することができるとともに、使用時の残留オーステナイトの分解に伴う塑性変形を防止できる。この構成(4) の限定理由は、前述の本発明の方法における構成(F) の限定理由と同じである。」

(キ)「【0031】
・・・(略)・・・
ピニオンシャフト用の素材として、SUJ2とSUJ3からなる棒状素材を用意し,これらを加工して、直径15.61mm、長さ65mmの軸を得た。・・・(略)・・・」

(ク)【表1】(段落【0045】)のサンプルNo.1ないしNo.8は、素材としてSUJ2が用いられるものであり、サンプルNo.9ないしNo.16は、素材としてSUJ3が用いられるものであり、上記(ウ)の(C)と(E)の条件を満たし、表層部の硬さに関して、いずれも、Hv800以上であることが見て取れる。

(6)刊行物6(特開2002-242927号公報:異議申立人の提出した甲第7号証及び参考資料1)
刊行物6には、「スラスト軸受」に関して、次の事項が記載されている。
(ア)「【請求項1】 相互間で偏心回転運動を行う第一の部材と第二の部材との間に介在してスラスト荷重を支持するスラスト軸受であって、
第一の部材に固定した第一の軌道輪と、
第二の部材に固定した第二の軌道輪と、
第一の軌道輪と第二の軌道輪との間に配置した中間輪と、
第一の軌道輪と中間輪との間に配置した複数の第一のころと、
第一のころを転動軸心が互いに平行になるように保持する第一の保持器と、
第二の軌道輪と中間輪との間に配置した複数の第二のころと、
第二のころを転動軸心が互いに平行になるように保持する第二の保持器とを具備し、第一のころの転動軸心と第二のころの転動軸心とが直交し、かつ、軌道輪、中間輪およびころのうち少なくともころの表面に耐摩耗性を高めるための表面処理を施したことを特徴とするスラスト軸受。
【請求項2】 上記表面処理が浸炭窒化処理であることを特徴とする請求項1に記載のスラスト軸受。
【請求項3】 軌道輪ところと中間輪のうち、少なくともころを、重量比にして、C:0.8?1.2%、Si:0.1?1.0%、Cr:0.2?1.6%、Mn:1.5%以下を含有する合金鋼より形成し、浸炭窒化処理した後、830℃?870℃の温度範囲に焼戻しして、表層部の残留オーステナイトを25%?50%としたことを特徴とする請求項1または2に記載のスラスト軸受。
・・・
【請求項8】 軌道輪および中間輪の表面硬さをHRC60?HRC64の範囲に規制したことを特徴とする請求項1ないし7のいずれかに記載のスラスト軸受。」

(イ)「【0001】
【発明の属する技術分野】本発明はスラスト軸受に関し、より詳しくは、スクロール圧縮機における旋回スクロール部材とハウジングのように、相互間で偏心回転運動を行う二つの部材間でスラスト荷重を支持するスラスト軸受に関する。」

(ウ)「【0008】そこで、本発明の目的は、上述の問題点を解消し、高負荷容量で長寿命のスラスト軸受を提供することにある。」

(エ)「【0018】Mnの含有量を1.5%以下としたのは、Mnは焼入れ性を確保して芯部まで焼入れするために添加するが、本発明においては、焼入れ過程および焼戻し過程の残留オーステナイトを安定化させる元素で表層部の残留オーステナイトを高める。多量のMnの添加は冷間加工性の低下や焼き割れや脆化の原因となるので、1.5%を越えない範囲にとどめる。このような高炭素合金鋼としてはSUJ2鋼やSUJ3鋼が使用できる。なお、焼入れ性改善のためMoが0.3%まで適宜添加されることがある。Moを添加した材料としてSUJ5鋼が利用される。」

(7)刊行物7(特開2006-124780号公報:異議申立人の提出した甲第3号証)
刊行物7には、「転がり、摺動部品およびその製造方法」に関して、次の事項が記載されている。
(ア)「【請求項1】
軸受鋼よりなり、浸炭処理または浸炭窒化処理が施されて、表面から最大せん断応力が作用する深さまでの表層部の全炭素量が1.0?1.6wt%となされるとともに、前記表層部のマトリックス中の固溶炭素量が0.6?1.0wt%となされ、さらに前記表層部に炭化物または炭窒化物が析出しているとともに、前記炭化物または炭窒化物の量が面積率で5?20%でかつその粒径が3μm以下となされており、前記表層部よりも深い部分の硬さがロックウェルC硬さで30?64、前記表層部よりも深い部分の残留オーステナイト量が15%以下となっている転がり、摺動部品。」

(イ)「【0001】
この発明は、転がり、摺動部品およびその製造方法、さらに詳しくは、たとえば異物が混入した潤滑油が用いられる転がり軸受の軌道輪および転動体として使用される転がり部品、またはすべり軸受部品として用いられるのに適した転がり、摺動部品およびその製造方法に関する。」

(ウ)「【0005】
この発明の目的は、低コストかつ長寿命で、寸法安定性に優れた転がり、摺動部品およびその製造方法を提供することにある。」

(エ)「【0009】
表層部のマトリックス中の固溶炭素量
この固溶炭素量を0.6?1.0wt%に限定したのは、下限値未満であると所望の表面硬さを得ることができなくて、潤滑油中に混入した異物により圧痕が生成し易くなり、上限値を超えると表層部の微細炭化物または炭窒化物の量が面積率で5%未満になって、耐摩耗性が低下するからである。
【0010】
表層部の微細炭化物または炭窒化物の量
この微細炭化物または炭窒化物の量を面積率で5?20%に限定したのは、下限値未満であると耐摩耗性が低下し、上限値を超えると粗大な炭化物または炭窒化物が発生し、この粗大炭化物または炭窒化物が疲労亀裂の起点となって転がり、摺動部品の短寿命化につながるからである。」

(オ)「【0012】
深部の硬さ
この深部の硬さをHRC30?64に限定したのは、下限値については、HRCが30未満であると、軸受が荷重を受けたときの転がり、摺動部品、すなわち転動体と軌道輪の弾性変形量が大きくなり、軸受剛性に問題が起きるからである。また、上限値については、炭素含有量1%の軸受鋼においてサブゼロ処理を施すことなく深部の硬さをHRCが64を超えると、残留オーステナイト量が15%を超え、寸法安定性に問題が起きるからである。」
(カ)「【0021】
請求項1の発明の転がり、摺動部品によれば、深部の硬さがHRC30?64で、深部の残留オーステナイト量が15%以下であるから、転がり、摺動部品の寸法安定性が向上し、経時的な寸法変化を抑制することができる。
【0022】
また、表層部の状態が前述した通りであるから、表面硬さが増大して潤滑油中に混入した異物により圧痕が生成しなくなるとともに、耐摩耗性が向上し、その結果転がり、摺動部品を用いた転がり軸受や、すべり軸受の長寿命化を図ることができる。しかも、軸受用として大量生産される軸受鋼(高炭素クロム軸受鋼)よりなるので、材料コストが安くなり、その結果トータルの製造コストが安くなる。軸受鋼の中でもJIS SUJ2は特に大量生産されるため、これを用いると材料コストが極めて安くなるので、好ましい。特に、転がり軸受の内輪の場合、その軌道面と転動体とは、凸と凸との接触になるので、発生する接触圧力が大きくなり、破損しやすい。この発明による転がり、摺動部品を内輪に用いた転がり軸受によれば、内輪の破損を防止することができ、その結果この転がり軸受の長寿命化を図ることができる。」

(キ)「【0026】
実施例1および比較例1?2
JIS SUJ2を用いて型番6206の転がり軸受に用いられる3種類の内輪素材を形成し、これらの内輪素材に熱処理を施して3種類の内輪(実施例1および比較例1?2)を製造した。」

(8)刊行物8(特開2002-275580号公報:異議申立人の提出した参考資料2)
刊行物8には、「転がり軸受」に関して、次の事項が記載されている。

(ア)「【請求項1】 外輪と、内輪と、前記外輪と前記内輪との間に転動自在に配設された複数の転動体と、を備えた転がり軸受において、
前記内輪及び前記外輪のうち少なくとも一方が、炭素を0.7?1.1%、ケイ素を1.0%以下、マンガンを1.5%以下、クロムを8.0%以下、モリブデンを2.0%以下含有し且つDI値が250mm以上である鋼で構成されるとともに、その厚さの最大値が3mm以下であることを特徴とする転がり軸受。」

(イ)「【0001】
【発明の属する技術分野】本発明は、転がり軸受に係り、特に、焼入れ等の熱処理時の変形が小さい転がり軸受に関する。」

(ウ)「【0002】
【従来の技術】従来、転がり軸受の軌道輪は、その厚さ(ラジアル軸受の場合は、内周面と外周面との間のラジアル方向の距離)の最大値が15mm以下の場合には、JISSUJ2で構成され、焼入れ,焼戻しが施されたものが使用されていた。そして、焼入れにおける冷却は、軌道輪の心部にまで焼入れが施されるように、油中に投入(油焼入れ)又はソルト中に投入(ソルト焼入れ)することによって行われていた。
【0003】
【発明が解決しようとする課題】しかしながら、前述の油焼入れでは、軌道輪の冷却が必ずしも均一には行われないため、変形が大きい場合があるという問題点があった。また、洗浄工程において焼入れ油の除去に時間を要するという問題点もあった。一方、前述のソルト焼入れは、油焼入れに比べて熱処理による変形は小さいものの、洗浄においてソルトの除去に時間を要するという問題点と、軌道輪に錆びが生じやすいという問題点とを有していた。
【0004】そこで、本発明は、このような従来技術が有する問題点を解決し、焼入れ等の熱処理時の変形が小さい転がり軸受を提供することを課題とする。」

(エ)「【0018】(5)モリブデン(Mo)
Mnの含有量は2.0%以下である必要がある。Moは焼入性を向上させるために添加されるが、2.0%超過であると焼入性の向上効果が減少する。」

(オ)「【0026】この環状部材を構成する鋼は、表1に示すような組成とDI値とを有する4種(実施例1?3及び比較例)である。なお、実施例1の鋼はSUJ5、実施例2の鋼はSKD12、比較例の鋼はSUJ2である。また、環状部材の形状は、外径が30mm、幅が9mm、厚さが1,2,3,5mmの4種で、呼び番号6200の深みぞ玉軸受の外輪に相当する形状である。」

(カ)「【0031】表2の結果から分かるように、比較例の場合は鋼の焼入性が不十分(DI値が250mm未満)であるため、厚さが1mmの場合でも焼入れが心部にまで施されておらず、転がり軸受に必要な硬さHv660(HRC58.3)を下回っていた。それに対して実施例1の場合は、厚さが5mmと大きい場合は焼入れが心部にまで施されていなかったが、厚さ3mmまでは焼入れが心部にまで施されていて、硬さはHv700以上であった。」

(キ)【表1】には、鋼の組成として、Moについて、実施例1が0.23%、比較例が0.01%であることが示され、【表2】には、厚さ3mm以下の場合の硬さHvが、実施例1が700Hv以上であり、比較例が640Hv以下であることが示されている。

3.対比
本件発明1と引用発明とを対比すると、後者の「内輪及び外輪」は前者の「軌道輪」に相当し、以下同様に、「高周波焼入れ」は「高周波焼入」に、「焼入れ硬化層」は「焼入硬化層」に、「軌道面」は「転走面」に、それぞれ相当する。
したがって、両者は、
「転がり軸受の軌道輪であって、
過共析鋼からなり、
高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って形成されており、
前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼である、軌道輪。」
で一致し、次の点で相違する。

[相違点1]
転がり軸受の軌道輪について、本件発明1は、「1000mm以上の内径を有」し、焼入硬化層が転走面に沿って「全周にわたって」形成されているのに対し、
引用発明は、「大型」であって、焼入れ硬化層が軌道面に沿って「均一に」形成されている点。

[相違点2]
本件発明1は、「前記転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、」「SUJ5である」のに対し、
引用発明は、「軌道面の表面硬度がHv650以上であり、」「SUJ3である」点。

4.判断
(1)相違点1について
(ア)本件取消理由において引用した刊行物2には、前記2.(2)(イ)に、外輪の内径がφ400mm以上φ1500mm以下で、内輪の外径がφ350mm以上φ1400mm以下である大型の転がり軸受の軌道輪であって、外輪又は内輪の軌道面の全周にわたって高周波焼き入れが施されることが記載されている(以下、「刊行物2に記載された事項」という。)。
本件発明1と前記「刊行物2に記載された事項」とを対比すると、後者の「軌道面」は前者の「転走面」に、同様に、「高周波焼き入れ」は「高周波焼入」に相当する。
前記「刊行物2に記載された事項」において「軌道面の全周にわたって高周波焼き入れが施される」ことにより、軌道面に焼入硬化層が形成されることは明らかである。

(イ)また、軌道輪の内径の数値範囲に関し、前記「刊行物2に記載された事項」は、外輪の内径として1000mm以上のものが含まれる点において本件発明1と共通し、内輪についても、その外径がφ350mm以上φ1400mm以下であるところ、内輪の内径についても1000mm以上とすることは、使用目的に応じて当業者が適宜に決定し得ることである。
そして、引用発明と前記「刊行物2に記載された事項」とは、大型の転がり軸受の軌道輪であって、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って形成される点で共通する。

(ウ)そうすると、引用発明に前記「刊行物2に記載された事項」を適用し、転がり軸受の軌道輪が、「1000mm以上の内径を有」し、焼入れ硬化層が軌道面に沿って「全周にわたって」形成されるようにすることは、当業者が容易に想到し得たことである。
したがって、相違点1に係る本件発明1の発明特定事項とすることは、引用発明に前記「刊行物2に記載された事項」に基いて当業者が容易に想到し得たことである。

(2)相違点2について
(ア)JIS規格(JIS G 4805)によれば、高炭素クロム軸受鋼鋼材は、鋼材中にCを含み、他の成分としてCr,Si、Mn、Mo、P、Sの含む量に応じて、少なくともSUJ2ないしSUJ5の種別を含み、各軸受の用途及び必要とする特性に応じて採用されているものと認められ、軸受の軌道輪としては、SUJ2ないしSUJ4とともに、SUJ5を用いること自体は、本件出願時において、周知であると認められる。

(イ)刊行物5には、前記2.(5)の事項が記載されている。すなわち、転がり軸受の内輪軌道として機能する面を有する軸の製造方法に関するものであって、「JIS G 4805」で規定されているSUJ1?SUJ5のいずれかの鋼材を所定形状に加工した後、特定の熱処理を施すことにより、過酷な条件での寿命が長く、「かしめ」による固定が良好に行われるものを提供することを目指したものである。刊行物5には、その請求項1ないし4において、「「JIS G 4805」で規定されているSUJ1?SUJ5のいずれかの鋼材を所定形状に加工した後」と記載され、SUJ1?SUJ5のいずれかの鋼材を軸受を形成する際の出発部材とした点が記載されている。
そうすると、実施例(段落【0031】、表1、表2)においては、SUJ2及びSUJ3を用いているものの、刊行物5の請求項1ないし4に記載された発明は、軸受の鋼材としての出発部材の点においては、SUJ1ないしSUJ5のいずれもが同等であり、刊行物5には、実施例に用いたSUJ2及びSUJ3に比べて、SUJ5等他の種別の鋼材が刊行物5に係る発明が奏するとされている、耐摩耗性の向上や長寿命化(段落【0022】)の点で劣る旨の記載は見当たらない。

(ウ)刊行物6は、前記2.(6)の事項が記載されている。すなわち、スラスト軸受を所定成分の合金鋼とすることで、高負荷容量で長寿命のスラスト軸受を目指したものであって、特に「このような高炭素合金鋼としてはSUJ2鋼やSUJ3鋼が使用できる。なお、焼入れ性改善のためMoが0.3%まで適宜添加されることがある。Moを添加した材料としてSUJ5鋼が利用される。」(【0018】)と記載されていることからみて、刊行物6に係る発明は、SUJ2及びSUJ3が使用可能であり、また、焼き入れ性の改善のためにMoが添加された材料であるSUJ5が適切であることがわかる。
このことから、SUJ5がMoが添加された材料であること、刊行物6に係る発明において、SUJ2,SUJ3,及びSUJ5が使用可能であり、特に、焼き入れ性の改善のためにMoが添加された材料であるSUJ5が利用されることが把握できる。

(エ)刊行物8は、前記2.(8)の事項が記載されている。すなわち、転がり軸受において、従来がSUJ2で構成されていたものをMoの添加を含む所定成分として焼入れ性を改善した合金鋼とすることで、焼入れ等の熱処理時の変形を小さくすることを目指したものであって、実施例の鋼をSUJ5、比較例の鋼をSUJ2としたものである。特に、「Moは焼入性を向上させるために添加されるが、2.0%超過であると焼入性の向上効果が減少する。」(段落【0018】)と記載されている。
このことからみて、転がり軸受として、SUJ2及びSUJ5が用いられること、焼入れ性の点で、SUJ2よりもSUJ5が優れていることが把握できる。

(オ)前記(2)(ア)ないし(エ)を総合的に勘案すると、本件出願時において、「一般に軸受の軌道輪に、JIS規格高炭素クロム軸受鋼として、SUJ2ないしSUJ4とともに、SUJ5を用いること自体は、周知であること、軸受の軌道輪を作成する出発部材として、SUJ2またはSUJ3とともに、SUJ5が使用されること、SUJ5はMoが添加されていることからSUJ2またはSUJ3に比べて焼き入れ性の点で優れていること」は、技術常識であると認められる。

(カ)本件発明1における炭化物の面積率及び硬度について
本件発明1は、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上」としたものである。
本件明細書に、「これに対し、本発明者は、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪のような大型軸受の軌道輪においては、焼入硬化処理において鋼に含まれる炭素の一部を炭化物として残存させた状態で冷却して硬化させることが可能な過共析鋼を用いて焼入硬化層を転走面に沿って全周にわたって形成することにより、従来よりも耐久性に優れた軌道輪が得られることを見出し、本発明に想到した。」(段落【0009】)、「上記軌道輪においては、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上である。このように転走面において十分な量の炭化物を残存させつつ60HRC以上という高い硬度を確保することにより耐摩耗性が向上し、転動体と軌道輪との接触応力が大きく、かつ転動体と軌道輪との間の油膜の形成が不十分な環境下において用いられた場合でも十分な耐久性を有する軌道輪を提供することができる。」(段落【0011】)、「・・・したがって、加熱領域11A全体が冷却された後、転走面11に所定量以上の炭化物が残存し、かつ転走面11が所定の硬度以上となる予め決定された温度および時間の範囲となるように、加熱領域11Aの温度が保持された後、加熱領域11A全体が冷却されることが好ましい。これにより、耐摩耗性を含む耐久性に優れた内輪(軌道輪)を製造することができる。」(段落【0027】)、「焼入硬化工程において、軌道輪の転走面に所定量以上の炭化物が残存し、かつ転走面が所定の硬度以上となる温度および時間の範囲を決定する方法の一例として、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上となる温度および時間の範囲を決定する実験を実施した。実験の手順は以下の通りである。」(段落【0059】)、「図8を参照して、炭化物の面積率は、加熱温度が高くなるにつれて少なくなり、かつ保持時間が長くなるにつれて少なくなることが確認される。これは、加熱温度が高いほど多くの炭化物が素地に溶け込み、かつ保持時間が長いほど多くの炭化物が素地に溶け込んだためであると考えられる。」(段落【0061】)、「・・・これは、加熱温度が低い場合、保持時間が長くなるにつれて焼入後のマルテンサイト組織に含まれる炭素量が増加して硬度が高くなる一方、加熱温度が高い場合において保持時間が長くなると焼入後の残留オーステナイト量が増加し、硬度を低下させたためであると考えられる。」(段落【0062】)、「上記実験結果より、炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上となる温度および時間の範囲を決定することができる。図10は当該範囲を示す図である。なお、硬度62HRCは、硬度746HVに相当する。図10において横軸は保持時間、縦軸は保持温度を示している。そして、図10において各点を結ぶ線分により取り囲まれた領域に該当する温度および時間の範囲で高周波焼入を実施することにより、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上という好ましい構成を得ることができる。このように、単に硬度だけに着目するのではなく、炭化物の面積率をも考慮したTTA(Time Temperature Austenitization)線図を作成し、焼入硬化工程においてこれに基づいて予め決定された温度および時間の範囲となるように加熱領域の温度が保持された後、加熱領域全体が冷却されることにより、容易に耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪を製造することができる。」(段落【0063】)と記載されている。
これらの記載及び図8ないし図10の記載からみて、過共析鋼を用いて焼入硬化処理において鋼に含まれる炭素の一部を炭化物として残存させた状態で冷却して硬化させることにより、従来よりも耐久性に優れた軌道輪が得られること、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上で硬度が62HRC以上とする手段として、所定の温度および時間の範囲で高周波焼入を実施することは把握可能である。
しかしながら、本件明細書には、炭化物の面積率が5.2%以上で硬度が62HRC以上であることで、耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪が得られる旨を定性的に述べた記載はあるものの、これ以外に、下限値を「5.2%」及び「60HRC」とする数値範囲を選択した数値的根拠や当該数値範囲外と比較して、当該数値範囲の場合に顕著な作用効果を奏すると認められるに十分な実験結果等が記載されているわけではない。したがって、上記数値範囲が臨界的意義を有する数値であると認めることはできない。

(キ)刊行物における炭化物の面積率及び硬度について
一方、本件取消理由通知で引用した刊行物3には、軸受鋼としてSUJ1ないし3が例示され、軸受は高度の耐転動疲れ性と耐摩耗性を要求されるので、高いかたさに均一に焼入れされなければならず、焼入後の残留炭化物が面積比約7%前後に調整される旨記載されており(前記2.(3)(ア))、また、本件取消理由通知で引用した刊行物4には、軸受鋼の種別は不明ではあるが、軸受の高炭素クロム軸受鋼において、焼戻し後では7%程度が炭化物である旨記載されている(前記2.(4)(ア))。
これらの記載を踏まえると,本件発明1における「炭化物の面積率が5.2%以上」における「5.2%」という値は、軸受において焼き入れ後の値として通常求められる値にすぎず、格別な値とは認められない。また、前記技術常識に照らしても、本件発明1が「SUJ5」に特定することにより、SUJ5以外の鋼材の場合と比較して「5.2%」という値に格別の意義を見いだすことはできないし、本件明細書にもそのような記載は見当たらない。
したがって、本件発明1における「炭化物の面積率が5.2%以上」との数値範囲に臨界的意義があると認めることはできないことからすれば、引用発明における「SUJ3」に代えて「SUJ5」を採用し、炭化物の面積率を5.2%以上とすることは、前記技術常識も踏まえつつ、刊行物3及び4に基いて、当業者が軸受に求められる耐転動疲れ性や耐摩耗性を考慮して、必要に応じて容易に想到し得たことであると認められる。
また、本件取消理由通知に引用した刊行物ではないが、刊行物5には、 軸受鋼としてSUJ1ないし5が例示され、表層部に析出している炭化物及び炭窒化物の合計含有率が15-40面積%である点が記載され(前記2.(5)(イ)、(ウ)、(カ))、同じく刊行物7には、軸受鋼としては、SUJ2ではあるが、炭化物及び炭窒化物の量が面積率で5-20%である点が記載されており(前記2.(7)(ア)、(エ)、(キ))、転走面における炭化物の面積率として、「5.2%以上」という数値範囲が格別な数値範囲ではないことが裏付けられる。

本件取消理由通知で引用した刊行物3には、SUJ2またはSUJ3において、軸受鋼の焼入れのままのかたさは輪ではかたさ[H_(R)C]が63?65であり、焼もどしかたさは大型または耐衝撃軸受用の輪では[H_(R)C]が58?62が耐転動疲れ性や耐摩耗性から要求されるかたさである旨記載されており(前記2.(3)(ア)、(エ)、(ク))、本件取消理由通知で引用した刊行物4には、軸受鋼の種別は不明ではあるが、軸受の高炭素クロム軸受鋼において、焼入温度が800?950℃の範囲で、硬さが62?65HRCである旨記載されている(前記2.(4)(ウ))。
これらの記載を踏まえると、本件発明1における「硬度が60HRC以上」における「60HRC」という値は、軸受の硬度において通常求められる値にすぎず、格別な値とは認められない。このことは、引用発明において、Hv650(HRCに換算すると約58)以上としていることとも整合する。また、前記技術常識に照らしても、本件発明1が「SUJ5」に特定することにより、SUJ5以外の鋼材の場合と比較して「60HRC」という値に格別の意義を見いだすことはできないし、本件明細書にもそのような記載も見当たらない。
したがって、本件発明1における「硬度が60HRC以上」との数値範囲に臨界的意義があると認めることはできないことからすれば、引用発明における「SUJ3」に代えて「SUJ5」を採用し、硬度を60HRC以上とすることは、前記技術常識も踏まえつつ、刊行物3及び4に基いて、当業者が軸受に求められる耐転動疲れ性や耐摩耗性を考慮して、必要に応じて容易に想到し得たことであると認められる。
また、本件取消理由通知に引用した刊行物ではないが、刊行物5には、 軸受鋼としてSUJ1ないし5が例示され、軌道面の表層部の硬さが、ビッカース硬さ(Hv)で650以上900以下とした点(注:HRCに換算すると、約58以上約67以下)が記載され(前記2.(5)(イ)、(ウ)、(カ))、同じく刊行物6には、軸受鋼としてSUJ2、SUJ3、及びSUJ5が例示され、軌道輪の表面硬さをHRC60?HRC64の範囲に規制した点が記載され(前記2.(6)(ア)、(エ))、同じく刊行物8には、軸受鋼としてSUJ5が例示され、厚さ3mm以下の場合の硬さHvが、700Hv以上(HRCに換算すると、約60以上)とした点が記載されており(前記2.(8)(オ)ないし(キ))、硬度として「60HRC以上」という数値範囲が格別な数値範囲ではないことが裏付けられる。

以上を総合すると、相違点2に係る本件発明1の発明特定事項とすることは、当業者が容易に想到し得たものと認められる。

(3)平成28年7月13日付け意見書による特許権者の主張について
特許権者は、平成28年7月13日付け意見書において、
訂正発明では、軌道輪がSUJ5からなることが限定された、SUJ5はSUJ3と比べて焼入れ性が高いので、訂正発明の軌道輪は、SUJ3からなる軌道輪と比べて、転走面からより深い領域にまで焼入硬化層が形成されている、その結果、訂正発明の軌道輪は、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪に要求される耐久性を十分に有しており、また、訂正発明の軌道輪は、調質工程において、SUJ3からなる軌道輪と比べて転走面からより深い領域までマルテンサイト化され得るため、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪に要求される靱性を十分に有している、これに対して、刊行物1?4には、少なくとも「前記転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である」との構成は開示されていない、
刊行物3及び4には、刊行物1および2と同様に、SUJ5からなる成形体に対し高周波焼き入れを行うこと、SUJ5からなる成形体に対し硬度および炭化物の面積率を考慮して高周波加熱条件を決定すること、およびその結果所定の硬度および所定の面積率を有し耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪が得られることは、開示されていない、SUJ1、SUJ2、SUJ3は、SUJ5と組成が異なるため、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪に要求される耐久性を実現するために適した構成、および当該構成を得るために適した焼き入れ条件なども異なる旨主張する。
しかしながら、前記4.(2)で示したように、本件出願時において、一般に軸受の軌道輪に、JIS規格高炭素クロム軸受鋼として、SUJ2ないしSUJ4とともに、SUJ5を用いること自体は、周知であり、軸受の軌道輪を作成する出発部材として、SUJ2またはSUJ3とともに、SUJ5が使用されており、SUJ5はMoが添加されていることからSUJ2またはSUJ3に比べて焼き入れ性の点で優れていることは、当業者の技術常識にすぎない。
また、本件出願の請求項1には、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、」と記載され、製造条件が記載されているものではなく、軸受部品に求められる性状及び特性を数値範囲で限定したものであり、前記4.(2)で示したように、当該数値範囲は、刊行物3及び刊行物4が開示する数値範囲に照らして格別なものでない。さらに、本件発明1が軸受鋼材を「SUJ5」に特定することにより、SUJ5以外の鋼材の場合と比較して、「5.2%以上」及び「60HRC」という数値に特有の意義を見いだすこともできないし、特許権者が主張する「SUJ5」かつ「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上」であることによる作用効果も、前記刊行物1ないし4に記載された事項及び前記技術常識に照らせば、当業者が予測できる範囲内というべきであり、本件明細書には、SUJ3等SUJ5以外の鋼種を選択した場合と比較して、「SUJ5」かつ「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上」であることによる格別な作用効果についての記載は見当たらない。
したがって、特許権者の前記主張は採用できない。

(4)平成29年1月10日付け意見書による特許権者の主張について
(ア)特許権者は、訂正発明1に係る軌道輪は、本件明細書の【0023】?【0037】に記載されているその一例としての内輪の製造方法に示されるように、JIS規格SUJ5からなる鋼材に対して鍛造、旋削などの加工が実施されて作製された成形体に対し、浸炭窒化処理等が施されることなく、高周波焼入による焼入硬化処理が施されることにより、製造される、そして、訂正発明1に係る軌道輪が有する「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上でありかつ硬度が60HRC以上である」という構成(以下、構成Aとも呼ぶ)は、焼入れ硬化処理において、転走面における炭化物の面積率および硬度を達成可能な予め決定された温度および時間の範囲となるように加熱領域の温度が保持された後、加熱領域全体が冷却されることにより得られる(本件明細書の【0033】参照)、訂正発明1に係る軌道輪は、転走面における焼入硬化層を、JIS規格SUJ5からなる成形体に高周波焼入を行って形成しており、当該高周波焼入の前に浸炭窒化処理などを行うことなく、上記成形体そのものの組成を前提として特性の向上を図ったものであり、当該焼入硬化層における炭化物の面積率は、成形体を構成するJIS規格SUJ5の組成における炭素量に応じてその上限が実質的に制限される旨主張する。
しかしながら、本件発明1は、「軌道輪」という「物の発明」であり、そもそも本件出願の請求項1には、単に「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、」と軌道輪の性状及び特性が数値範囲で限定されているだけで、製造方法に係る条件が何ら特定されているものではない。
したがって、本件発明1は、「浸炭窒化処理等が施されることなく、高周波焼入による焼入硬化処理が施される」ことにより製造されるものや「焼入れ硬化処理において、転走面における炭化物の面積率および硬度を達成可能な予め決定された温度および時間の範囲となるように加熱領域の温度が保持された後、加熱領域全体が冷却されることにより得られる」ものに限定されない。
よって、製造方法に技術的特徴があるかのような特許権者の当該主張は採用できない。

(イ)特許権者は、訂正発明1の転がり軸受が備える「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上」であり、「硬度が60HRC以上」であり、かつ「SUJ5」からなるとの各構成の組み合わせは、以下のような特有の技術的意義を有している、訂正発明1の転がり軸受は、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上」であることにより、素地への炭素の溶け込み量が抑制され、転走面近傍の残留オーステナイト量の増加が抑制されていることから、高い寸法安定性を有している、さらに、転走面近傍の残留オーステナイト量の増加が抑制されていることから、深い圧痕が形成されにくい、また、素地への炭素の溶け込み量が抑制されていることにより、他のマルテンサイトと比べて脆い欠陥が含まれているレンズマルテンサイトの生成が抑制され、高い耐久性を有している、さらに、訂正発明1の転がり軸受は、「SUJ3」ではなく「SUJ5」からなるため、上記のような特性を実現するために素地への炭素の溶け込み量が抑制されていながらも、鋼の焼入性が向上されている、その結果、訂正発明1の転がり軸受は、「硬度が60HRC以上」とされ得る、つまり、訂正発明1の転がり軸受は、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上」でありかつ「SUJ3」からなる転がり軸受と比べて、焼入性が向上されている、その結果、訂正発明1の転がり軸受は、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上」でありかつ「SUJ3」からなる転がり軸受と比べて高硬度であり、硬度60HRC以上とされている旨主張する。
しかしながら、本件発明1は、「軌道輪」という「物の発明」であり、そもそも本件出願の請求項1には、単に「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、」と軌道輪の性状及び特性が数値範囲で限定されているだけで、製造方法に係る条件が何ら特定されているものではない。
また、「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上」であることにより、素地への炭素の溶け込み量が抑制され、転走面近傍の残留オーステナイト量の増加が抑制されていることから、高い寸法安定性を有しており、深い圧痕が形成されにくい、他のマルテンサイトと比べて脆い欠陥が含まれているレンズマルテンサイトの生成が抑制されており、高い耐久性を有している、などと特許権者は主張するが、これらは、本件明細書に記載したものではない。
さらに、「SUJ3」ではなく「SUJ5」からなるため、上記のような特性を実現するために素地への炭素の溶け込み量が抑制されていながらも、鋼の焼入性が向上されている、と特許権者は主張するが、前記4.(2)で示したように、本件出願時において、一般に軸受の軌道輪に、JIS規格高炭素クロム軸受鋼として、SUJ2ないしSUJ4とともに、SUJ5を用いること自体は、周知であり、軸受の軌道輪を作成する出発部材として、SUJ2またはSUJ3とともに、SUJ5が使用されており、SUJ5はMoが添加されていることからSUJ2またはSUJ3に比べて焼き入れ性の点で優れていることは、当業者の技術常識にすぎない。
したがって、特許権者が主張する前記特有の技術的意義は認めることはできない。

(ウ)特許権者は、刊行物1および2には、SUJ5からなる成形体に対し高周波焼入れを行うこと、SUJ5からなる成形体に対し硬度および炭化物の面積率を考慮して高周波加熱条件を決定すること、およびその結果所定の硬度および所定の面積率を有し耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪が得られることは、開示も示唆もされていない、刊行物3および4には、SUJ5からなる成形体に対し硬度および炭化物の面積率を考慮して高周波加熱条件を決定する思想について開示も示唆もされていない、さらに、刊行物3および4には、刊行物1および2と同様に、SUJ5からなる成形体に対し高周波焼入れを行うこと、SUJ5からなる成形体に対し硬度および炭化物の面積率を考慮して高周波加熱条件を決定すること、およびその結果所定の硬度および所定の面積率を有し耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪が得られることは、開示されていない、SUJ1、SUJ2、SUJ3は、SUJ5と組成が異なるため、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪に要求される耐久性を実現するために適した構成、および当該構成を得るために適した焼き入れ条件なども異なる旨主張する。
しかしながら、本件発明1は、「軌道輪」という「物の発明」であり、そもそも本件出願の請求項1には、単に「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であ」ること及び「過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である」こと、すわわち、軌道輪の規格品名、性状及び特性のみが特定されているだけで、「高周波加熱条件を決定すること」や「当該構成を得るために適した焼き入れ条件」などの製造方法に係る条件が特定されているものではないので、特許権者の当該主張は、特許請求の範囲の請求項1の記載に基づくものではない。
前記4.(2)で示したように、本件発明1に係る数値範囲は、刊行物3及び刊行物4が開示する数値範囲に照らして何ら格別なものでない。さらに、本件発明1が軸受鋼材を「SUJ5」に特定することにより、SUJ5以外の鋼材の場合と比較して、「5.2%以上」及び「60HRC」という数値に特有の意義を見いだすこともできないし、特許権者が主張する「SUJ5」かつ「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上」であることによる作用効果も、前記刊行物1ないし4に記載された事項及び前記技術常識に照らせば、当業者が予測できる範囲内というべきであり、本件明細書には、SUJ3等SUJ5以外の鋼種を選択した場合と比較して、「SUJ5」かつ「転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上」であることによる格別な作用効果についての記載は見当たらない。
したがって、特許権者の当該主張は採用できない。

(5)まとめ
したがって、本件発明1は、引用発明及び刊行物2ないし4に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものである。
よって、本件発明1は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

5.訂正後の請求項2ないし6に係る発明について
上記訂正請求により訂正された訂正後の請求項2ないし6に係る発明(以下、それぞれ「本件発明2」ないし「本件発明6」という。)は、上記第2.1.訂正の内容の(1)(b)において示したとおりのものである。
(1)本件発明2について
刊行物1の「特許文献1の高周波焼入れ装置には、風車や圧延機などの大型の転がり軸受の内輪、外輪を均一に高周波焼入れするという点では、改善の余地がある。本発明の課題は、大型の転がり軸受の内輪、外輪であっても、均一に高周波焼入れが行われるようにすること・・・である。」(段落【0004】)との記載から、引用発明の転がり軸受は、風車の内輪、外輪に用いられ、内輪、外輪のいずれか一方は風車の主軸と一体となって回転することは明らかであり(例えば、特開2009-156295号公報の段落【0015】ないし【0017】及び図1ないし図3参照。)、その転走面が全周にわたって負荷領域となることも明らかである。
そうすると、本件発明2は、引用発明及び刊行物2ないし4に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものである。
よって、本件発明2は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

(3)本件発明3について
転がり軸受が、内輪と、外輪と、内輪と外輪との間に配置された複数の転動体を備えることは従来周知(例えば、刊行物2の段落【0010】参照。以下「周知技術1」という。)である。
引用発明と上記周知技術1は、いずれも転がり軸受に関するものであるから、本件発明3は、引用発明、刊行物2ないし4に記載された事項及び上記周知技術1に基いて、当業者が容易に想到し得たものである。

よって、本件発明3は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

(4)本件発明4について
転がり軸受が、油膜パラメータΛの値が1以下の環境下においても使用されることは従来周知(例えば、特開2004-150473号公報の段落【0012】を参照。以下「周知技術2」という。)である。
引用発明と上記周知技術2は、いずれも転がり軸受に関するものであるから、本件発明4は、引用発明、刊行物2ないし4に記載された事項並びに上記周知技術1及び2に基いて、当業者が容易に想到し得たものである。
よって、本件発明4は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

(5)本件発明5について
風力発電装置において、内輪にはブレードに接続された主軸が貫通して固定され、外輪はハウジングに対して固定されることにより、主軸をハウジングに対して回転自在に支持することは従来周知である(例えば、特開2009-156295号公報の段落【0015】ないし【0017】及び図1ないし図3参照。以下「周知技術3」という。)。
引用発明と上記周知技術3は、いずれも風車の転がり軸受に関するものであるから(刊行物1の段落【0004】参照)、本件発明5は、引用発明、刊行物2ないし4に記載された事項及び上記周知技術1ないし3に基いて、当業者が容易に想到し得たものである。
よって、本件発明5は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

(6)本件発明6について
風力発電装置が洋上風力発電に用いられることは従来周知である(例えば、特開2001-248535号公報の段落【0001】及び【0022】並びに図1参照。以下「周知技術4」という。)。
引用発明と上記周知技術4は、いずれも風車に関するものであるから(刊行物1の段落【0004】参照)、本件発明6は、引用発明、刊行物2ないし4に記載された事項及び上記周知技術1ないし4に基いて、当業者が容易に想到し得たものである。
よって、本件発明6は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

第4.むすび
以上のとおり、本件発明1ないし本件発明6は、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができないから、本件発明1ないし本件発明6に係る特許は、特許法第113条第2号に該当し、取り消されるべきものである。
よって、結論のとおり決定する。
 
発明の名称 (54)【発明の名称】
軌道輪および転がり軸受
【技術分野】
【0001】
本発明は軌道輪および転がり軸受に関し、より特定的には、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成された転がり軸受の軌道輪、および当該軌道輪を備えた転がり軸受に関するものである。
【背景技術】
【0002】
鋼からなる転がり軸受の軌道輪に対する焼入硬化処理として、高周波焼入が採用される場合がある。この高周波焼入は、軌道輪を炉内で加熱した後、油などの冷却液中に浸漬する一般的な焼入硬化処理に比べて、設備を簡略化できるとともに、短時間での熱処理が可能となるなどの利点を有している(たとえば、特許文献1および2参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開平6-17823号公報
【特許文献2】特開平6-200326号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
しかしながら、高周波焼入により焼入硬化された軌道輪は、使用環境によっては耐久性が不十分になるという問題があった。たとえば、1000mm以上の内径を有する大型の転がり軸受の軌道輪においては、転動体と軌道輪との接触応力が大きくなる場合が多い。また、大型の転がり軸受においては、運転と停止とが繰り返されることにより、転動体と軌道輪との間の油膜の形成が不十分となり、十分な耐久性を確保するためには高い耐摩耗性が要求される場合も少なくない。このような過酷な環境下において使用される大型の転がり軸受の軌道輪に用いられる場合、高周波焼入により焼入硬化された従来の軌道輪は十分な耐久性を有していないという問題があった。
【0005】
本発明は上述のような問題を解決するためになされたものであり、その目的は、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成され、かつ耐久性に優れた転がり軸受の軌道輪、および当該軌道輪を備えた転がり軸受を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明に従った軌道輪は、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪である。この軌道輪は、過共析鋼からなり、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成されており、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上である。上記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である。
【0007】
従来、高周波焼入により焼入硬化層が形成される軌道輪の素材としては、亜共析鋼が採用されていた。これは以下のような理由による。すなわち、素材として亜共析鋼を採用した場合、焼入の加熱において鋼に含まれる炭素を全量素地に溶け込ませ、その状態で冷却して硬化させることで本来の特性が得られる。一方、素材として過共析鋼を採用した場合、同様に焼入硬化処理を実施すると、十分な特性が得られないばかりか、焼割れが発生する場合もある。そのため、高周波焼入により焼入硬化層が形成される軌道輪の素材としては、亜共析鋼が採用されていた。
【0008】
また、内径が1000mm以上であるような大型の軌道輪の高周波焼入には、小型の誘導加熱コイルを用いた移動焼入が採用される場合がある。この移動焼入においては、軌道輪の加熱すべき環状の領域の一部に対向して配置され、当該領域に沿って相対的に移動するコイルを用いて高周波誘導加熱を実施し、加熱された領域に対してコイルの通過直後に水などの冷却液を噴射することにより、当該領域を順次焼入硬化する。しかし、このような方法では、焼入が開始された領域(焼入開始領域)からコイルが一回りし、最後に焼入を実施すべき領域(焼入終了領域)を焼入硬化する際、焼入開始領域と焼入終了領域とが部分的に重複する。そのため、当該領域の周辺に硬度が低下した領域が形成され、焼入硬化層を転走面に沿って全周にわたって形成することができない。そのため、硬化層の途切れた領域の硬度不足に起因した耐久性の低下が避けられないという問題があった。
【0009】
これに対し、本発明者は、1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪のような大型軸受の軌道輪においては、焼入硬化処理において鋼に含まれる炭素の一部を炭化物として残存させた状態で冷却して硬化させることが可能な過共析鋼を用いて焼入硬化層を転走面に沿って全周にわたって形成することにより、従来よりも耐久性に優れた軌道輪が得られることを見出し、本発明に想到した。
【0010】
すなわち、本発明の軌道輪は、素材として過共析鋼が採用されるとともに、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成された大型軸受の軌道輪である。これにより、本発明の軌道輪によれば、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成され、かつ耐久性に優れた転がり軸受の軌道輪を提供することができる。
【0011】
上記軌道輪においては、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上である。このように転走面において十分な量の炭化物を残存させつつ60HRC以上という高い硬度を確保することにより耐摩耗性が向上し、転動体と軌道輪との接触応力が大きく、かつ転動体と軌道輪との間の油膜の形成が不十分な環境下において用いられた場合でも十分な耐久性を有する軌道輪を提供することができる。
【0012】
ここで、「炭化物」とはFe_(3)Cで表わされる鉄の炭化物(セメンタイト)を主体とした炭化物である。また、炭化物の面積率は、たとえば以下のような方法で調査することができる。まず、軌道輪を転走面に垂直な断面において切断し、当該断面を研磨する。その後、腐食液としてピクラル(ピクリン酸アルコール溶液)を用いて断面を腐食し、転走面直下の金属組織を光学顕微鏡または走査型電子顕微鏡にて観察し、写真を撮影する。そして、当該写真を画像処理装置により画像処理し、炭化物の面積率を算出する。
【0013】
上記軌道輪においては、上記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である。高炭素クロム軸受鋼は、規格鋼であるため入手が容易で、かつ軌道輪の素材として好適である。また、軌道輪の体積が大きく、高い焼入性が要求される場合、高炭素クロム軸受鋼の中でもSUJ5が採用されることが好ましい。
【0014】
上記軌道輪においては、転走面が全周にわたって負荷域となっていてもよい。高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成された本発明の軌道輪は、転走面が全周にわたって負荷域となっている軌道輪に好適である。なお、負荷域とは、転走面において転動体との間で接触応力が発生する領域をいう。
【0015】
本発明に従った転がり軸受は、内輪と、内輪の外周側を取り囲むように配置された外輪と、内輪と外輪との間に配置された複数の転動体とを備えている。そして、内輪および外輪の少なくともいずれか一方は上記本発明の軌道輪である。
【0016】
本発明の転がり軸受によれば、上記本発明の軌道輪を備えていることにより、耐久性に優れた大型の転がり軸受を提供することができる。
【0017】
上記転がり軸受は、油膜パラメータΛの値が1以下の環境下において使用されるものであってもよい。素材として過共析鋼を採用し、耐久性が向上した軌道輪を含む本発明の転がり軸受は、油膜パラメータΛの値が1以下という過酷な環境下での使用に好適である。
【0018】
上記転がり軸受は、風力発電装置において、内輪にはブレードに接続された主軸が貫通して固定され、外輪はハウジングに対して固定されることにより、主軸をハウジングに対して回転自在に支持する転がり軸受(風力発電装置用転がり軸受)として用いることができる。上記耐久性に優れた大型の転がり軸受である本発明の転がり軸受は、風力発電装置用転がり軸受として好適である。
【0019】
また、上記風力発電装置は洋上風力発電に用いられるものであってもよい。洋上風力発電に用いられる転がり軸受は、補修作業が困難であるため、特に高い耐久性を有していることが好ましい。そして、耐久性に優れた軌道輪を備えた本発明の転がり軸受は、このような用途に好適である。
【発明の効果】
【0020】
以上の説明から明らかなように、本発明の軌道輪および転がり軸受によれば、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成され、かつ耐久性に優れた転がり軸受の軌道輪、および当該軌道輪を備えた転がり軸受を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】転がり軸受内輪の製造方法の概略を示すフローチャートである。
【図2】焼入硬化工程を説明するための概略図である。
【図3】図2の線分III-IIIに沿う断面を示す概略断面図である。
【図4】実施の形態2における焼入硬化工程を説明するための概略図である。
【図5】実施の形態3における焼入硬化工程を説明するための概略図である。
【図6】風力発電装置用転がり軸受を備えた風力発電装置の構成を示す概略図である。
【図7】図6における主軸用軸受の周辺を拡大して示す概略断面図である。
【図8】各温度における保持時間と炭化物の面積率との関係を示す図である。
【図9】各温度における保持時間と硬さとの関係を示す図である。
【図10】適切な保持時間および保持温度の範囲を示す図である。
【図11】移動焼入を実施した場合の転走面の任意の一点における温度履歴を示す図である。
【図12】実施の形態における焼入を実施した場合の転走面の任意の一点における温度履歴を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
以下、図面に基づいて本発明の実施の形態を説明する。なお、以下の図面において同一または相当する部分には同一の参照番号を付し、その説明は繰り返さない。
【0023】
(実施の形態1)
まず、転がり軸受の軌道輪である内輪の製造方法を例に、本発明の一実施の形態である実施の形態1について説明する。図1を参照して、本実施の形態における内輪の製造方法では、まず工程(S10)として成形体準備工程が実施される。この工程(S10)では、過共析鋼の鋼材が準備され、鍛造、旋削などの加工が実施されることにより、所望の内輪の形状に応じた形状を有する成形体が作製される。より具体的には、たとえば1000mm以上の内径を有する内輪の形状に応じた成形体が作製される。ここで、上記過共析鋼としては、たとえばJIS規格高炭素クロム軸受鋼であるSUJ3、SUJ5などを採用することができる。
【0024】
次に、工程(S20)として、焼ならし工程が実施される。この工程(S20)では、工程(S10)において作製された成形体がA_(1)変態点以上の温度に加熱された後、A_(1)変態点未満の温度に冷却されることにより焼ならし処理が実施される。このとき、焼ならし処理の冷却時における冷却速度は、成形体を構成する鋼がマルテンサイトに変態しない冷却速度、すなわち臨界冷却速度未満の冷却速度であればよい。そして、焼ならし処理後の成形体の硬度は、この冷却速度が大きくなると高く、冷却速度が小さくなると低くなる。そのため、当該冷却速度を調整することにより、所望の硬度を成形体に付与することができる。
【0025】
次に、図1を参照して、焼入硬化工程が実施される。この焼入硬化工程は、工程(S30)として実施される誘導加熱工程と、工程(S40)として実施される冷却工程とを含んでいる。工程(S30)では、図2および図3を参照して、誘導加熱部材としてのコイル21が、成形体10において転動体が転走すべき面である転走面11(環状領域)の一部に面するように配置される。ここで、コイル21において転走面11に対向する面は、図3に示すように転走面11に沿った形状を有している。次に、成形体10が中心軸周り、具体的には矢印αの向きに回転されるとともに、コイル21に対して電源(図示しない)から高周波電流が供給される。これにより、成形体10の転走面11を含む表層領域がA_(1)点以上の温度に誘導加熱され、転走面11に沿った円環状の加熱領域11Aが形成される。このとき、転走面11の表面の温度は、放射温度計などの温度計22により測定され、管理される。
【0026】
次に、工程(S40)においては、工程(S30)において形成された加熱領域11Aを含む成形体10全体に対して、たとえば冷却液としての水が噴射されることにより、加熱領域11A全体がM_(S)点以下の温度に同時に冷却される。これにより、加熱領域11Aがマルテンサイトに変態し、硬化する。以上の手順により、高周波焼入が実施され、焼入硬化工程が完了する。
【0027】
ここで、高周波焼入においては、加熱温度が高く保持時間が長いほど、鋼中の炭化物が鋼の素地に溶け込み、素地の炭素濃度が上昇する。そして、その後M_(S)点以下の温度に冷却されて焼入硬化が完了した時点における鋼の硬度は、基本的には素地の炭素濃度の上昇に伴って上昇する。しかし、素地の炭素濃度が高くなり過ぎると、残留オーステナイト量が上昇し、硬さが低下する。また、炭化物の素地への溶け込み量が上昇すると、これに伴って焼入硬化後の鋼中に存在する炭化物の量が少なくなり、耐摩耗性が低下する。したがって、加熱領域11A全体が冷却された後、転走面11に所定量以上の炭化物が残存し、かつ転走面11が所定の硬度以上となる予め決定された温度および時間の範囲となるように、加熱領域11Aの温度が保持された後、加熱領域11A全体が冷却されることが好ましい。これにより、耐摩耗性を含む耐久性に優れた内輪(軌道輪)を製造することができる。
【0028】
より具体的には、本発明者の検討によれば、耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪を得るためには、加熱領域11A全体が冷却された後、転走面11における炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上となる予め決定された温度および時間の範囲となるように、加熱領域11Aの温度が保持された後、加熱領域11A全体が冷却されることが好ましい。
【0029】
なお、A_(1)点とは鋼を加熱した場合に、鋼の組織がフェライトからオーステナイトに変態を開始する温度に相当する点をいう。また、M_(s)点とはオーステナイト化した鋼が冷却される際に、マルテンサイト化を開始する温度に相当する点をいう。
【0030】
次に、工程(S50)として焼戻工程が実施される。この工程(S50)では、工程(S30)および(S40)において焼入硬化された成形体10が、たとえば炉内に装入され、A_(1)点以下の温度に加熱されて所定の時間保持されることにより、焼戻処理が実施される。これにより、転走面11の硬度は低下するものの、好ましくは60HRC以上の硬度が確保される。
【0031】
次に、工程(S60)として仕上工程が実施される。この工程(S60)では、たとえば転走面11に対して研磨加工などの仕上げ加工が実施される。以上のプロセスにより、転がり軸受の軌道輪である内輪が完成し、本実施の形態における軌道輪の製造は完了する。
【0032】
このようにして製造される本実施の形態における内輪10は、図2および図3を参照して、たとえば1000mm以上の内径d_(3)を有し、高炭素クロム軸受鋼などの過共析鋼(SUJ3、SUJ5など)からなり、高周波焼入によって焼入硬化層11Aが転走面11に沿って全周にわたって均質に形成されている。これにより、本実施の形態における内輪10は、高周波焼入によって焼入硬化層11Aが転走面11に沿って全周にわたって形成され、かつ耐久性に優れた転がり軸受の軌道輪となっている。
【0033】
また、内輪10においては、転走面11における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であることが好ましい。これにより、転動体と内輪10との接触応力が大きく、かつ転動体と内輪10との間の油膜の形成が不十分な環境下において用いられた場合でも十分な耐久性を有する内輪10を得ることができる。なお、このような構成は、上記焼入硬化工程において、転走面11における上記炭化物の面積率および硬度を達成可能な予め決定された温度および時間の範囲となるように、加熱領域11Aの温度が保持された後、加熱領域11A全体が冷却されることにより得られる。
【0034】
また、本実施の形態では、工程(S30)において、成形体10の転走面の一部に面するように配置されたコイル21を周方向に沿って相対的に回転させることにより、成形体10に加熱領域11Aが形成される。そのため、成形体10の外形形状に対して小さいコイル21を採用することが可能となっており、大型の成形体10を焼入硬化する場合でも、焼入装置の製作コストを抑制することができる。また、本実施の形態では、加熱領域11A全体がM_(S)点以下の温度に同時に冷却される。そのため、周方向に均質な環状の焼入硬化領域を形成することが可能となり、一部の領域に残留応力が集中することが抑制される。さらに、本実施の形態では、焼入硬化により十分に高い硬度および十分な炭化物量を実現できる過共析鋼が素材として採用されている。その結果、本実施の形態における内輪の製造方法によれば、焼入装置の製作コストを抑制しつつ、高周波焼入によって焼入硬化層を転走面に沿って全周にわたって均質に形成し、かつ耐摩耗性を含む耐久性に優れた内輪(軌道輪)を製造することができる。
【0035】
なお、上記工程(S20)は、本発明の軌道輪の製造方法において必須の工程ではないが、これを実施することにより、製造される軌道輪の非硬化領域(焼入硬化層以外の領域)の硬度を調整することができる。
【0036】
また、上記工程(S20)においては、成形体10に気体とともに硬質の粒子が吹き付けられることにより、成形体10が冷却されつつショットブラスト処理が実施されてもよい。これにより、焼ならし処理の際の衝風冷却と同時にショットブラスト処理を実施することができる。そのため、焼きならし処理の加熱によって成形体10の表層部に生成したスケールが除去され、スケールの生成に起因した軌道輪の特性低下やスケールの生成による熱伝導率の低下が抑制される。ここで、硬質の粒子(投射材)としては、たとえば鋼や鋳鉄などからなる金属製の粒子を採用することができる。
【0037】
さらに、上記工程(S30)では、成形体10は少なくとも1回転すればよいが、周方向における温度のばらつきを抑制し、より均質な焼入硬化を実現するためには、複数回回転することが好ましい。すなわち、誘導加熱部材としてのコイル21は、成形体10の転走面の周方向に沿って相対的に2周以上回転することが好ましい。
【0038】
(実施の形態2)
次に、本発明の他の実施の形態である実施の形態2について説明する。実施の形態2における内輪の製造方法は、基本的には実施の形態1の場合と同様に実施され、同様の効果を奏する。しかし、実施の形態2における内輪の製造方法は、工程(S30)におけるコイル21の配置において、実施の形態1の場合とは異なっている。
【0039】
すなわち、図4を参照して、実施の形態2における工程(S30)では、成形体10を挟んで一対のコイル21が配置される。そして、成形体10が矢印αの向きに回転されるとともに、コイル21に対して電源(図示しない)から高周波電流が供給される。これにより、成形体10の転走面11を含む表層領域がA_(1)点以上の温度に誘導加熱され、転走面11に沿った円環状の加熱領域11Aが形成される。
【0040】
このように、コイル21が成形体10の周方向に沿って複数個(本実施の形態では2個)配置されることにより、実施の形態2における転がり軸受の内輪の製造方法は、周方向における温度のばらつきを抑制し、均質な焼入硬化を実現可能な軌道輪の製造方法となっている。また、周方向における温度のばらつきを一層抑制するためには、コイル21は成形体10の周方向において等間隔に配置されることが好ましい。
【0041】
(実施の形態3)
次に、本発明のさらに他の実施の形態である実施の形態3について説明する。実施の形態3における内輪の製造方法は、基本的には実施の形態1および2の場合と同様に実施され、同様の効果を奏する。しかし、実施の形態3における内輪の製造方法は、工程(S30)における温度計22の配置において、実施の形態1および2の場合とは異なっている。
【0042】
すなわち、図5を参照して、実施の形態3における工程(S30)では、加熱領域である転走面11の複数箇所(ここでは4箇所)の温度が測定される。より具体的には、実施の形態3の工程(S30)では、成形体10の転走面11の周方向に沿って等間隔に複数の温度計22が配置される。
【0043】
これにより、転走面11の周方向において同時に複数箇所の温度が測定されるため、転走面11の周方向において均質な加熱が実現されていることを確認した上で成形体10を急冷し、焼入硬化処理を実施することができる。その結果、実施の形態3における転がり軸受の内輪の製造方法によれば、転走面11の周方向において一層均質な焼入硬化を実現することができる。
【0044】
なお、上記実施の形態においてはコイル21を固定し、成形体10を回転させる場合について説明したが、成形体10を固定し、コイル21を成形体10の周方向に回転させてもよいし、コイル21および成形体10の両方を回転させることにより、コイル21を成形体10の周方向に沿って相対的に回転させてもよい。ただし、コイル21には、コイル21に電流を供給する配線などが必要であるため、上述のようにコイル21を固定することが合理的である場合が多い。
【0045】
また、上記実施の形態においては、軌道輪の一例としてラジアル型転がり軸受の内輪が製造される場合について説明したが、本発明を適用可能な軌道輪はこれに限られず、たとえばラジアル型転がり軸受の外輪であってもよいし、スラスト型軸受の軌道輪であってもよい。ここで、工程(S20)において、たとえばラジアル型転がり軸受の外輪を加熱する場合、コイル21を成形体の内周側に形成された転走面に面するように配置すればよい。また、工程(S20)において、たとえばスラスト型転がり軸受の軌道輪を加熱する場合、コイル21を成形体の端面側に形成された転走面に面するように配置すればよい。
【0046】
さらに、成形体10の周方向における誘導加熱部材としてのコイル21の長さは、効率よく均質な加熱を実現するように適切に決定することができるが、たとえば加熱すべき領域の長さの1/12程度、すなわち成形体(軌道輪)の中心軸に対する中心角が30°となる程度の長さとすることができる。
【0047】
さらに、本発明における高周波焼入の具体的な条件は、軌道輪(成形体)の大きさ、肉厚、材質、電源の容量など条件を考慮して、適切に設定することができる。
【0048】
また、周方向における温度のばらつきを抑制するためには、誘導加熱完了後、M_(S)点以下の温度への冷却前に、成形体を加熱が停止された状態に保持する工程を設けることが好ましい。より具体的には、上記成形体の形状および加熱条件の下においては、たとえば加熱完了後3秒間加熱を停止した状態に保持することにより、加熱された領域の表面における周方向の温度のばらつきを20℃以下程度にまで抑制することができる。
【0049】
(実施の形態4)
次に、本発明の軌道輪が風力発電装置用軸受(風力発電装置用転がり軸受)を構成する軌道輪として用いられる実施の形態4について説明する。
【0050】
図6を参照して、風力発電装置50は、旋回翼であるブレード52と、ブレード52の中心軸を含むように、一端においてブレード52に接続された主軸51と、主軸51の他端に接続された増速機54とを備えている。さらに、増速機54は、出力軸55を含んでおり、出力軸55は、発電機56に接続されている。主軸51は、風力発電装置用転がり軸受である主軸用軸受3により、軸まわりに回転自在に支持されている。また、主軸用軸受3は、主軸51の軸方向に複数個(図6では2個)並べて配置されており、それぞれハウジング53により保持されている。主軸用軸受3、ハウジング53、増速機54および発電機56は、機械室であるナセル59の内部に格納されている。そして、主軸51は一端においてナセル59から突出し、ブレード52に接続されている。
【0051】
次に、風力発電装置50の動作について説明する。図6を参照して、風力を受けてブレード52が周方向に回転すると、ブレード52に接続された主軸51は、主軸用軸受3によりハウジング53に対して支持されつつ、軸まわりに回転する。主軸51の回転は、増速機54に伝達されて増速され、出力軸55の軸まわりの回転に変換される。そして、出力軸55の回転は、発電機56に伝達され、電磁誘導作用により起電力が発生して発電が達成される。
【0052】
次に、風力発電装置50の主軸51の支持構造について説明する。図7を参照して、風力発電装置用転がり軸受としての主軸用軸受3は、風力発電装置用転がり軸受の軌道輪としての環状の外輪31と、外輪31の内周側に配置された風力発電装置用転がり軸受の軌道輪としての環状の内輪32と、外輪31と内輪32との間に配置され、円環状の保持器34に保持された複数のころ33とを備えている。外輪31の内周面には外輪転走面31Aが形成されており、内輪32の外周面には2つの内輪転走面32Aが形成されている。そして、2つの内輪転走面32Aが、外輪転走面31Aに対向するように、外輪31と内輪32とは配置されている。さらに、複数のころ33は、2つの内輪転走面32Aのそれぞれに沿って、外輪転走面31Aと内輪転走面32Aとに、ころ接触面33Aにおいて接触し、かつ保持器34に保持されて周方向に所定のピッチで配置されることにより複列(2列)の円環状の軌道上に転動自在に保持されている。また、外輪31には、外輪31を径方向に貫通する貫通孔31Eが形成されている。この貫通孔31Eを通して、外輪31と内輪32との間の空間に潤滑剤を供給することができる。以上の構成により、主軸用軸受3の外輪31および内輪32は、互いに相対的に回転可能となっている。
【0053】
一方、ブレード52に接続された主軸51は、主軸用軸受3の内輪32を貫通するとともに、外周面51Aにおいて内輪の内周面32Fに接触し、内輪32に対して固定されている。また、主軸用軸受3の外輪31は、ハウジング53に形成された貫通孔の内壁53Aに外周面31Fにおいて接触するように嵌め込まれ、ハウジング53に対して固定されている。以上の構成により、ブレード52に接続された主軸51は、内輪32と一体に、外輪31およびハウジング53に対して軸まわりに回転可能となっている。
【0054】
さらに、内輪転走面32Aの幅方向両端には、外輪31に向けて突出する鍔部32Eが形成されている。これにより、ブレード52が風を受けることにより発生する主軸51の軸方向(アキシャル方向)の荷重が支持される。また、外輪転走面31Aは、球面形状を有している。そのため、外輪31と内輪32とは、ころ33の転走方向に垂直な断面において、当該球面の中心を中心として互いに角度をなすことができる。すなわち、主軸用軸受3は、複列自動調心ころ軸受である。その結果、ブレード52が風を受けることにより主軸51が撓んだ場合であっても、ハウジング53は、主軸用軸受3を介して主軸51を安定して回転自在に保持することができる。
【0055】
そして、実施の形態4における風力発電装置用転がり軸受の軌道輪としての外輪31および内輪32は、たとえば上記実施の形態1?3に記載の軌道輪の製造方法により製造されており、上記実施の形態1における内輪10と同様の構成を有している。すなわち。この外輪31および内輪32は、1000mm以上の内径を有する風力発電装置用転がり軸受の軌道輪である。そして、外輪31および内輪32は、過共析鋼からなり、高周波焼入によって焼入硬化層が外輪転走面31Aおよび内輪転走面32Aに沿って全周にわたって均質に形成されている。すなわち、外輪31および内輪32は、1000mm以上の内径を有するとともに、過共析鋼からなり、高周波焼入により形成され、周方向に沿った円環形状の一様な深さの焼入硬化層を有し、当該焼入硬化層の表面が、それぞれ外輪転走面31Aおよび内輪転走面32Aとなっている。その結果、上記外輪31および内輪32は、熱処理のコストが抑制されつつ、高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって均質に形成され、かつ耐久性に優れた大型の軌道輪となっており、過酷な環境下においても使用可能な風力発電装置用軸受を構成する軌道輪となっている。
【0056】
また、上記内輪32は主軸51とともに回転するため、内輪転走面32Aが全周にわたって負荷域となっている。一方、内輪32においては、高周波焼入によって焼入硬化層が内輪転走面32Aに沿って全周にわたって形成されている。そのため、内輪転走面32Aが全周にわたって負荷域となった場合でも、内輪32は十分な耐久性を有している。
【0057】
さらに、主軸用軸受3は、主軸51が回転および停止を繰り返すこと等に起因して、油膜パラメータΛの値が1以下の環境下において使用され得る。一方、主軸用軸受3を構成する外輪31および内輪32は耐摩耗性を含む耐久性に優れた本発明の軌道輪である。そのため、このような過酷な環境下において使用された場合でも、主軸用軸受3は十分な耐久性を有している。また、耐久性に優れた主軸用軸受3は、補修作業が困難な洋上風力発電の主軸用軸受としても好適である。
【0058】
なお、上記実施の形態4においては、大型の転がり軸受の一例として風力発電装置用軸受について説明したが、他の大型の転がり軸受への適用も可能である。具体的には、たとえばCTスキャナのX線照射部が設置された回転架台を、当該回転架台に対向するように配置される固定架台に対して回転自在に支持するCTスキャナ用転がり軸受の軌道輪に、本発明の軌道輪を好適に適用することができる。また、本発明の軌道輪は、たとえば深溝玉軸受、アンギュラ玉軸受、円筒ころ軸受、円すいころ軸受、自動調心ころ軸受、スラスト玉軸受など、任意の転がり軸受の軌道輪に適用可能である。
【実施例1】
【0059】
焼入硬化工程において、軌道輪の転走面に所定量以上の炭化物が残存し、かつ転走面が所定の硬度以上となる温度および時間の範囲を決定する方法の一例として、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上となる温度および時間の範囲を決定する実験を実施した。実験の手順は以下の通りである。
【0060】
まず、JIS規格SUJ5からなる試験片を準備した。そして、この試験片を高周波加熱により3℃/secの昇温速度にて800、850、875、900、950、1000℃の各温度で10、30、60、300、600、1800秒の各時間保持し、その後急冷することにより焼入硬化させた。そして、得られた試験片を切断し、切断面を研磨した。さらに腐食液としてピクラル(ピクリン酸アルコール溶液)を用いて断面を腐食し、金属組織中に観察される炭化物の面積率を調査した。また、得られた試験片を切断し、ビッカース硬度計を用いて硬度を調査した。調査結果を図8および図9に示す。なお、図8および図9において横軸は保持時間を示している。また、図8の縦軸は炭化物の面積率、図9の縦軸はビッカース硬度を示している。
【0061】
図8を参照して、炭化物の面積率は、加熱温度が高くなるにつれて少なくなり、かつ保持時間が長くなるにつれて少なくなることが確認される。これは、加熱温度が高いほど多くの炭化物が素地に溶け込み、かつ保持時間が長いほど多くの炭化物が素地に溶け込んだためであると考えられる。
【0062】
一方、図9を参照して、硬度に関しては、加熱温度が800?850℃の範囲では、保持時間が長くなるにつれて高くなっている。また、加熱温度が875?900℃の範囲では、保持時間が長くなるにつれて硬度が高くなった後、さらに保持時間が長くなると硬度が低下している。さらに、加熱温度が950?1000℃の範囲では、保持時間が長くなるにつれて硬度が低下している。これは、加熱温度が低い場合、保持時間が長くなるにつれて焼入後のマルテンサイト組織に含まれる炭素量が増加して硬度が高くなる一方、加熱温度が高い場合において保持時間が長くなると焼入後の残留オーステナイト量が増加し、硬度を低下させたためであると考えられる。
【0063】
上記実験結果より、炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上となる温度および時間の範囲を決定することができる。図10は当該範囲を示す図である。なお、硬度62HRCは、硬度746HVに相当する。図10において横軸は保持時間、縦軸は保持温度を示している。そして、図10において各点を結ぶ線分により取り囲まれた領域に該当する温度および時間の範囲で高周波焼入を実施することにより、転走面における炭化物の面積率が5.2%以上、硬度が62HRC以上という好ましい構成を得ることができる。このように、単に硬度だけに着目するのではなく、炭化物の面積率をも考慮したTTA(Time Temperature Austenitization)線図を作成し、焼入硬化工程においてこれに基づいて予め決定された温度および時間の範囲となるように加熱領域の温度が保持された後、加熱領域全体が冷却されることにより、容易に耐摩耗性を含む耐久性に優れた軌道輪を製造することができる。
【実施例2】
【0064】
上記実施の形態における軌道輪の製造方法の優位性を確認するシミュレーションを行なった。外径φ2000mmの軌道輪を焼入硬化処理する場合を想定し、転走面の任意の一点における温度履歴を算出した。焼入硬化の方法として、転走面の周方向の一部に対向するコイルを用いて高周波誘導加熱を実施し、加熱された領域に対してコイルの通過直後に冷却液を噴射することにより当該領域を順次焼入硬化する方法(移動焼入)と、転走面の一部に面するコイルを周方向に沿って相対的に回転させて環状の加熱領域を形成し、加熱領域全体をM_(S)点以下の温度に同時に冷却する方法(実施例;上記実施の形態における軌道輪の製造方法に対応)とについて検討した。なお、上記移動焼入は、上述の特許文献2に記載された方法に相当する。
【0065】
図11に示すように、移動焼入を実施した場合、転走面の一点は短時間で急速に加熱された後、直ちに冷却されている。ここで、本発明において対象とする過共析鋼を素材とした軌道輪の焼入硬化においては、軌道輪を構成する鋼のミクロ組織中に所望の量の炭化物(セメンタイト)を残存させつつ、素地に必要十分な量の炭素を固溶させた適切な炭素の固溶状態から軌道輪を急冷することにより、適切な焼入硬化が達成される。炭化物の残存量が多く炭素の固溶量が少ない場合は転走面に十分な硬度を付与することが困難となる。逆に炭化物の残存量が少なく炭素の固溶量が多い場合は、十分な耐摩耗性を付与することが困難となることに加えて、焼割れ発生のリスクが高まる。また、鋼の素地への炭素の固溶量は加熱温度および保持時間に依存するが、加熱温度の変化が小さければ固溶量の増加は時間の経過によって飽和する。そのため、加熱温度の変化を小さくするとともに当該加熱温度で長時間保持することにより、炭素の固溶量を容易にコントロールすることができる。しかし、上述のように、図11に示す移動焼入を用いた焼入硬化では、加熱温度の変化が大きく、かつ保持時間が短いため、炭素の固溶量をコントロールすることは極めて困難である。そのため、過共析鋼からなる軌道輪の製造方法に移動焼入を採用して適切な焼入硬化を達成することは現実的であるとはいえない。
【0066】
一方、図12に示すように、上記実施の形態における軌道輪の製造方法に対応する実施例の焼入硬化方法を採用した場合、転走面の一点は焼入硬化が可能なA_(1)変態点以上の温度に加熱された後、温度の変化が小さい状態で長時間保持されている(M_(S)点以下の温度への冷却はさらに時間が経過した後に実施されるため、図中には示されていない。)。そのため、実施例の方法においては、炭素の固溶量を容易にコントロールすることができる。その結果、実施例の焼入方法を採用した場合、適切な焼入硬化を容易に達成することができる。
【0067】
以上の結果より、上記実施の形態における軌道輪の製造方法によれば、過共析鋼からなる軌道輪の適切な焼入硬化を容易に達成できることが確認された。
【0068】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって、制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味、および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【産業上の利用可能性】
【0069】
本発明の軌道輪および転がり軸受は、耐久性の向上が求められる軌道輪、および当該軌道輪を備えた転がり軸受に、特に有利に適用され得る。
【符号の説明】
【0070】
3 主軸用軸受、10 成形体(内輪)、11 転走面、11A 加熱領域(焼入硬化層)、21 コイル、22 温度計、31 外輪、31A 外輪転走面、31E 貫通孔、31F 外周面、32 内輪、32A 内輪転走面、32E 鍔部、32F 内周面、33 ころ、33A ころ接触面、34 保持器、50 風力発電装置、51 主軸、51A 外周面、52 ブレード、53 ハウジング、53A 内壁、54 増速機、55 出力軸、56 発電機、59 ナセル。
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
1000mm以上の内径を有する転がり軸受の軌道輪であって、
過共析鋼からなり、
高周波焼入によって焼入硬化層が転走面に沿って全周にわたって形成されており、
前記転走面における炭化物の面積率が5.2%以上であり、硬度が60HRC以上であり、
前記過共析鋼はJIS規格高炭素クロム軸受鋼のうち、SUJ5である、軌道輪。
【請求項2】
前記転走面が全周にわたって負荷域となっている、請求項1に記載の軌道輪。
【請求項3】
内輪と、
前記内輪の外周側を取り囲むように配置された外輪と、
前記内輪と前記外輪との間に配置された複数の転動体とを備え、
前記内輪および前記外輪の少なくともいずれか一方は請求項1または請求項2に記載の転がり軸受の軌道輪である、転がり軸受。
【請求項4】
油膜パラメータΛの値が1以下の環境下において使用される、請求項3に記載の転がり軸受。
【請求項5】
風力発電装置において、前記内輪にはブレードに接続された主軸が貫通して固定され、前記外輪はハウジングに対して固定されることにより、前記主軸を前記ハウジングに対して回転自在に支持する、請求項3または4に記載の転がり軸受。
【請求項6】
前記風力発電装置は洋上風力発電に用いられる、請求項5に記載の転がり軸受。
 
訂正の要旨 審決(決定)の【理由】欄参照。
異議決定日 2017-03-02 
出願番号 特願2011-10991(P2011-10991)
審決分類 P 1 651・ 121- ZAA (F16C)
最終処分 取消  
前審関与審査官 久島 弘太郎  
特許庁審判長 冨岡 和人
特許庁審判官 阿部 利英
中川 隆司
登録日 2015-04-03 
登録番号 特許第5721449号(P5721449)
権利者 NTN株式会社
発明の名称 軌道輪および転がり軸受  
代理人 特許業務法人深見特許事務所  
代理人 特許業務法人深見特許事務所  

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