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審決分類 審判 査定不服 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備 特許、登録しない(前置又は当審拒絶理由) H01M
審判 査定不服 特36条4項詳細な説明の記載不備 特許、登録しない(前置又は当審拒絶理由) H01M
管理番号 1353763
審判番号 不服2018-6907  
総通号数 237 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2019-09-27 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2018-05-21 
確定日 2019-07-25 
事件の表示 特願2016-233535「リチウムイオン電池用正極活物質、リチウムイオン電池用正極、及び、リチウムイオン電池」拒絶査定不服審判事件〔平成29年 2月23日出願公開、特開2017- 41457〕について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 
理由 第1 手続の経緯

本願は、平成25年 3月28日を出願日とする特願2013-70403号の一部を平成28年11月30日に新たな特許出願としたものであって、平成28年12月 2日付けで上申書が提出され、平成29年10月31日付けで拒絶理由が通知され、同年12月20日付けで意見書及び手続補正書が提出されたが、平成30年 2月13日付けで拒絶査定がされ、これに対し、同年 5月21日付けで拒絶査定不服審判が請求されたものである。
その後、平成31年 2月21日付けで当審から拒絶理由が通知され、同年 4月 8日付けで意見書及び手続補正書が提出されたものである。


第2 本願発明

本願の請求項1?7に係る発明(以下、「本願発明1?7」といい、総称して「本願発明」ということがある。)は、平成31年 4月 8日付けの手続補正書により補正された、以下のとおりのものである。

「【請求項1】
組成式:Li_(x)Ni_(1-y)M_(y)O_(2+α)
(前記式において、MはTi、V、Cr、Mn、Fe、Co、Cu、Al、Zn、Sn、Mg及びZrから選択される1種以上であり、0.9≦x≦1.2であり、0<y≦0.7であり、-0.1≦α≦0.1である。)
で表され、
TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であり、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒以下であるリチウムイオン電池用正極活物質。
【請求項2】
TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度の極大値Aと、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度の極大値Bとの比A/Bが、1.2以上2.0以下である請求項1に記載のリチウムイオン電池用正極活物質。
【請求項3】
TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき、260℃超500℃以下の領域での水分量が500ppm以下である請求項1又は2に記載のリチウムイオン電池用正極活物質。
【請求項4】
TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき、25℃以上260℃以下の領域での水分量が250ppm以下である請求項1?3のいずれかに記載のリチウムイオン電池用正極活物質。
【請求項5】
前記Mが、Mn及びCoから選択される1種以上である請求項1?4のいずれかに記載のリチウムイオン電池用正極活物質。
【請求項6】
請求項1?5のいずれかに記載のリチウムイオン電池用正極活物質を用いたリチウムイオン電池用正極。
【請求項7】
請求項6に記載のリチウムイオン電池用正極を用いたリチウムイオン電池。」


第3 当審において通知した拒絶理由の概要

当審は、平成31年 2月21日付けで拒絶理由を通知したが、その理由は要するに以下のとおりである。(なお、「・・・」は記載の省略を表す。以下同様。)


・・・
(明確性要件)この出願は、特許請求の範囲の記載が下記(1)の点で、特許法第36条第6項第2号に規定する要件を満たしていない。
(実施可能要件)この特許は、発明の詳細な説明の記載が下記(2)の点で、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たしていない。
(サポート要件)この出願は、特許請求の範囲の記載が下記(3)の点で、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない。



(1)請求項1?7について(明確性要件)
本願の請求項1に係る発明は、「リチウムイオン電池用正極活物質」について、「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であり、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒以下である」ことを特定している。
・・・
一方、「水分発生速度:25℃以上260℃以下(wtppm/秒)」の具体的な算出方法について、出願当初の本願明細書の発明の詳細な説明及び図面(以下、「本願明細書等」という。)には何ら記載がない。
・・・
しかし、「水分発生速度:25℃以上260℃以下(wtppm/秒)」については、単に表2の「水分量(ppm)25℃以上250℃以下」及び昇温時間(1410秒)からは算出することができない。そして、仮に、出願人の上記主張に基づいて、TPD-MS測定において試料を装置容器に入れて一定時間、温度をかけない状態で置いておくことが技術常識であるとしても、水分発生速度の計算において「試料を装置容器に入れた後、温度をかけない状態で置いておく時間」(以下、「安定化時間」という。)を「その発生に要した時間」に加えることは、水分発生速度について「25℃以上260℃以下」では昇温速度ゼロ℃/分で維持した時間と昇温速度10℃/分で昇温した時間とを混在させて算出し、「260℃超500℃以下」では一定の昇温速度10℃/分で昇温した時間で算出することとなり、それぞれの温度範囲で算出された水分発生速度の数値について、算出条件が異なるために比較評価することに意味をなさなくなることを鑑みれば、水分発生速度の計算において安定化時間を「その発生に要した時間」に加えることまで技術常識であるとはいえない。

また、仮に、出願人が主張するように、本願発明では、25℃以上260℃以下の水分発生速度の計算において安定化時間を「その発生に要した時間」に加えて算出したものであるとした場合、安定化時間がどの程度の時間であったかについて検討する。
・・・
また、表2に記載された数値から実施例1、2を例として安定化時間の逆算を試みると、
実施例1:80/0.03-1410(昇温時間)≒1257秒(20.95分)
実施例2:120/0.04-1410(昇温時間)=1590秒(26.5分)
となり、他の実施例含め、安定化時間として「25分」という一定の数値は算出されない。
・・・
そこで、仮に、安定化時間を「25分」とした上で、各実施例について、水分量を安定化時間及び昇温時間の和である2910秒で割り、小数点以下3桁を繰り上げて算出し、表2に記載された水分発生速度と整合するか否かを検討すると、下記「○25分+昇温時間(1500秒+1410秒)で水分量を割った場合の水分発生速度」のとおり、多くの例において整合せず、出願人の主張とは異なるが、小数点以下3桁を四捨五入したとしても、整合しない例が複数あることから、当該検討においても、安定化時間を「25分」という数値としたことについて出願当初明細書等から読み取ることはできない。
・・・
また、安定化時間を23、24、26、27分とした場合について同様に水分発生速度を計算した場合、下記「○安定化時間を23分、24分、26分、27分として同様に計算した場合の水分発生速度」のとおり、小数点以下3桁繰り上げでは25分とした場合とほぼ差異はなく、小数点以下3桁を四捨五入した場合はむしろ26分や27分とした場合の方が整合する値が多いことからみても、安定化時間を「25分」という数値としたことについて出願当初明細書等から読み取ることはできない。

さらに、TPD-MS測定において安定化時間を「25分」とすることが技術常識であるということもできない。
・・・
そうすると、請求項1、2における「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して測定したとき」の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」なる発明特定事項について、発明の詳細な説明の記載及び技術常識を参酌しても、如何なる算出方法で定義される数値であるのか明確でない。

したがって、請求項1、2に係る発明、及び請求項1、2を引用する請求項3?7に係る発明は明確でない。
・・・

(2)請求項1?7について(実施可能要件)
・・・
上記(1)で指摘したとおり、「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して測定したとき」の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、発明の詳細な説明の記載及び技術常識を参酌しても、如何なる算出方法で定義される数値であるのか明確でない。

そうすると、発明の詳細な説明の記載に基づいて、「焼成工程における昇温レート、保持温度(最高温度)及び最高温度から300℃までの降温レートの調整」を行おうとしたとしても、これらの製造条件を調整することで得られるリチウムイオン電池用正極活物質について、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」が本願の請求項1、2に係る発明で特定される範囲のものとなっているか否かを確認することができない。
したがって、この出願の発明の詳細な説明は、当業者が請求項1、2に係る発明及び請求項1、2を引用する請求項3?7に係る発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されていない。


(3)請求項1?7について(サポート要件)
・・・
本願発明が解決しようとする課題は、物理吸着している水分と化学吸着している水分を極力取り除かれた、良好な電池特性を有するリチウムイオン電池用正極活物質を提供することであるといえる。
・・・
また、仮に、出願人が主張するように、本願発明では、25℃以上260℃以下の水分発生速度の計算において安定化時間を「その発生に要した時間」に加えて算出したものであるとした場合、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」については、昇温速度の変化に加えて、上記(1)で指摘した安定化時間が変化すれば、その発生に要した時間が変化し、同じ正極活物質であったとしても測定される水分の発生速度の数値は変化するといえる。

してみると、本願明細書の発明の詳細な説明において、上記課題が解決できるように記載された範囲は、昇温速度を10℃/分として、さらに、出願人の主張するとおりであれば、安定化時間を25分として含めて計算した、特定の水分発生速度とすることと認められる。

一方、本願の請求項1、2に係る発明は、「水分の発生速度」を定義する条件として、昇温速度及び安定化時間について何ら特定するものではなく、あらゆる昇温速度及び安定化時間で算出される水分の発生速度を包含しうるものであるから、本願の請求項1、2に係る発明は、本願明細書の発明の詳細な説明において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えているものである。

したがって、請求項1、2に係る発明及び請求項1、2を引用する請求項3?7に係る発明は、発明の詳細な説明に記載したものではない。」


第4 当審の判断

上記第3に示した当審における拒絶理由の通知に対して、請求人は平成31年 4月 8日に意見書とともに手続補正書を提出して、特許請求の範囲の記載を上記第2に示したとおりとしたが、当審は、上記第3に示した当審における拒絶理由(1)?(3)がいずれも依然として解消されていないと判断する。

以下、その判断理由につき詳述する。

1.本願明細書の発明の詳細な説明の記載
本願明細書の発明の詳細な説明(以下、単に「発明の詳細な説明」ということがある。)には、以下の記載がある。(下線は強調のために当審が付した。以下同様。)

ア 「【技術分野】
【0001】
本発明は、リチウムイオン電池用正極活物質、リチウムイオン電池用正極、及び、リチウムイオン電池に関する。」

イ 「【発明が解決しようとする課題】
【0005】
正極材の表面の残留アルカリや、正極に含まれる水分や水が取り込まれ反応した水酸基などは、電池を作製する際に電解液と反応してしまうため、電池に必要な電解液の量が欠乏状態となり、さらに当該反応の際にはガス発生を伴うこともあるため、電池特性の劣化につながる。また、電池内に水分が持ち込まれると粒子表面の形態が変化して、充放電時のLiの拡散を妨げるおそれがある。このため、当該水分は極力取り除く必要がある。
【0006】
一般的に、水分の吸着には物理吸着と化学吸着の2種類がある。リチウムイオン電池の正極活物質も同様に、水分が表面に吸着して、比較的弱いファンデルワールス力によって物理吸着している水分と、化学結合などにより粒子内に取り込まれて化学吸着している水分との2種類がある。このうち、特に物理吸着は、正極材表面で反応しているもので、これが多いと特性に悪影響を及ぼす。しかしながら、従来、正極活物質の水分量の制御について、当該吸着の種類にまで踏み込んで検討されておらず、正極活物質の水分量の制御手段及びそれによる電池特性については未だ改善の余地がある。
【0007】
本発明は、良好な電池特性を有するリチウムイオン電池用正極活物質を提供することを課題とする。」

ウ 「【課題を解決するための手段】
【0008】
正極材中の水分量については、カールフィシャー水分計を用いて測定する手法が一般的である。しかしながら、カールフィシャー水分計では温度における積算水分量を出すために、どの温度領域までが物理吸着であるかが定かではない。また、カールフィシャー水分計による加熱温度測定領域は、常温から300℃の範囲までであり、それ以上の温度領域での測定が困難である。しかしながら、実際の水分、特に正極材の粒子内部に取り込まれた水分や反応している水分は、300℃程度の温度領域では取り除けない場合が多い。本発明者は、高温度測定領域まで測定可能なTPD-MS測定法を用いて、正極材の水分が物理吸着であるか、化学吸着であるかを明確に区別した上で、より電池特性に影響を与える方の水分の発生速度を制御することで、電池特性が良好な正極活物質が得られることを見出した。」

エ 「【0020】
本発明のリチウムイオン電池用正極活物質は、TPD-MS測定で正極活物質を測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であり、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒以下である。TPD-MS(加熱発生ガス分析:Temperature Programmed Desorption-Mass Spectrometry)測定装置は、温度コントローラ付き特殊加熱装置に質量分析計(MS)が直結されて構成されており、決められた昇温プログラムに従い加熱された試料から発生する気体の濃度変化を温度または時間の関数として追跡する。オンラインでの分析であるため、一度の測定で水分などの無機成分や有機成分を同時検出することが可能である。また、捕集されたトラップ物をGC/MS分析することにより有機成分の定性が可能である。TPD-MS測定によって、昇温の際の水分を検知し、温度依存性を調べることができる。本発明では、室温としての25℃から水分が蒸発するであろう500℃までの昇温領域において、低温領域(25℃以上260℃以下)、及び、より電池特性に影響を与える高温領域(260℃超500℃以下)でそれぞれ水分の発生速度を制御している。
【0021】
本発明では、このように、高温度測定領域まで測定可能なTPD-MS測定法を用いて、正極材の水分が物理吸着であるか、化学吸着であるかを明確に区別した上で、より電池特性に影響を与える方の水分の発生速度を制御することで、良好な電池特性を示す正極材を実現している。具体的には、物理吸着は、吸着物質(ここでは水)と個体の、ファンデルワールス力などの弱い相互作用による吸着である。一方、化学吸着は、吸着物質(ここでは水)と個体との比較的強固な化学結合による吸着である。このため、TPD-MS測定によれば、当該物理吸着している水分と、化学吸着している水分との除去温度が分かれることまで確認でき、水分の発生速度曲線において、低温領域で水分の発生速度のピークを有する山と、高温領域で水分の発生速度のピークを有する山とに分かれて観察される。本発明では、TPD-MS測定で正極活物質を測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であり、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒以下となるように制御しており、これによって、より電池特性に影響を与える高温領域でようやく除去できる水分量を制御することができ、その結果、当該正極材を用いた電池特性が良好となる。」

オ 「【0028】
次に、所定の大きさの容量を有する焼成容器を準備し、この焼成容器にリチウムイオン電池正極材用前駆体の粉末を充填する。次に、リチウムイオン電池正極材用前駆体の粉末が充填された焼成容器を、焼成炉へ移設し、焼成を行う。本発明のH_(2)O由来の水分の発生速度及び水分量の制御は、当該焼成工程における昇温レート、保持温度(最高温度)及び最高温度から300℃までの降温レートの調整によって行うことができる。焼成工程における昇温レートは150?170℃/h、保持温度(最高温度)は850?1000℃、最高温度から300℃までの降温レートは75?90℃/hが好ましい。焼成は、酸素雰囲気下及び大気雰囲気下で所定時間加熱保持することにより行う。また、101?202KPaでの加圧下で焼成を行うと、さらに組成中の酸素量が増加するため、好ましい。焼成後、室温まで冷却した後、解砕してリチウムイオン二次電池正極材の粉末を得る。」

カ 「【実施例】
・・・
【0033】
-水分量の評価-
株式会社東レリサーチセンター製TPD-MS測定装置に、正極材を30mgセットし、アルゴンのキャリアガスを15分間流して安定状態となっていることを確認した後、水分の発生速度の測定を開始した。標準物質としてタングステン酸ナトリウム2水和物を用い、室温(25℃)から500℃まで昇温速度10℃/分で加熱した。これにより、正極材の各測定温度領域の積算水分量及びH_(2)O由来の水分発生速度を測定した。
また、平沼産業製カールフィッシャー水分計を用いて、正極材の各測定温度領域の積算水分量を測定した。」

キ 「【0036】
【表2】



ク 「【0037】
表2より、実施例1?10は、いずれもTPD-MS測定で正極活物質を測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であり、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒以下であり、作製した電池の放電容量及び容量維持率が良好であった。
比較例1?3は、いずれもTPD-MS測定で正極活物質を測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒超え、及び/又は、260℃超500℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.32wtppm/秒超えであり、いずれも作製した電池の容量維持率が不良であった。」


2.明確性要件について

ア 特許法第36条第6項第2号は、特許請求の範囲の記載に関し、特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨(明確性要件)を規定する。同号がこのように規定した趣旨は、仮に、特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には、特許が付与された発明の技術的範囲が不明確となり、第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るので、そのような不都合な結果を防止することにある。そして、特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面(以下、「本願明細書等」という。)を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲が、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

イ 上記第2に示したとおり、本願発明1は、「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき、25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度が0.08wtppm/秒以下であ」るという発明特定事項を備えている。

ウ そして、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の定義が、本願明細書等を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、当業者にとって理解できるものでない場合は、ある具体的な物に対しその数値を求めることができず、本願発明の範囲内か否かが判断できないから、本願発明が明確性要件を満たすというためには、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の定義が当業者にとって理解できるものでなければならない。

エ そこで、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の定義が、本願明細書等を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、当業者にとって理解できるものであるか否かについて、特に、その数値を「0.08wtppm/秒以下」と特定する本願発明1が、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かを検討する。

オ 特許請求の範囲の記載によれば、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、「TPD-MS測定」で「測定したとき」の数値であるところ、上記1.エに示した本願明細書等には、「TPD-MS(加熱発生ガス分析:Temperature Programmed Desorption-Mass Spectrometry)測定装置は、温度コントローラ付き特殊加熱装置に質量分析計(MS)が直結されて構成されており、決められた昇温プログラムに従い加熱された試料から発生する気体の濃度変化を温度または時間の関数として追跡する。」と記載されていることから、「水分の発生速度」は、試料を加熱することで発生した水分量を「質量分析計(MS)」により測定し、その測定に要した時間で除したものにより算出されると解される。

カ そうすると、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、TPD-MS測定装置で測定される「25℃以上260℃以下の領域」において発生した水分量を、その測定に要した時間により除したものとして算出される数値であり、測定条件として、その測定に要した時間及びその時間における温度条件を一定のものとして定義されるものといえる。

キ ここで、特許請求の範囲には、「昇温速度10℃/分で測定したとき」との記載があり、「25℃以上260℃以下の領域」において昇温が行われた時間は、
(260-25)/10(分)=23.5(分)=1410(秒)
と算出されることから、特許請求の範囲の記載に接した当業者は、通常、本願発明における「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、「正極活物質を30mg」について「25℃以上260℃以下」で「昇温速度10℃/分」の条件で昇温し、その間に発生したH_(2)O由来の水分量を「1410秒」で除すことで得られると理解する。

ク 一方、上記1.カに記載される実施例には、「水分量の評価」として「株式会社東レリサーチセンター製TPD-MS測定装置に、正極材を30mgセットし、アルゴンのキャリアガスを15分間流して安定状態となっていることを確認した後、水分の発生速度の測定を開始した。標準物質としてタングステン酸ナトリウム2水和物を用い、室温(25℃)から500℃まで昇温速度10℃/分で加熱した。これにより、正極材の各測定温度領域の積算水分量及びH_(2)O由来の水分発生速度を測定した。」と記載されており、その測定の結果として、上記1.キに示す表2において、実施例1?10及び比較例1?3について「25℃以上260℃以下」の領域における「水分量」及び「水分発生速度」が記載されているところ、各実施例及び比較例について、「25℃以上260℃以下」の領域における「水分量」を同「水分発生速度」で除すことで得られる数値は、下記ス?ソに示すとおり、上記1410秒より長時間として算出されることから、各実施例及び比較例における「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、25℃以上260℃以下で昇温速度10℃/分の条件で昇温する間に発生した水分量を、昇温に要すると解される時間である1410秒で除したものではなく、1410秒に加え何らかの時間を含む時間で除したものであるといえる。

ケ しかし、本願明細書等には、1410秒に加えられた時間及びその温度条件の具体的な数値について何ら記載されていない。

コ ここで、出願人は、平成28年12月 2日付け上申書において、「25℃以上260℃以下での水分発生量は、表2の『水分量(ppm)25℃以上260℃以下』の値が用いられます。発生に要した時間は、25℃から260℃まで10℃/分必要ですので、(260-25)/10(分)=23.5(分)=1410(秒)となります。ここで、このような精密測定においては、装置容器に入れて25分間温度をかけない状態で置いておくことが重要です。装置へのダメージや、安定した測定のため、装置を立ち上げて急に温度を上げることは通常行われません。この時間を考慮し、1410(秒)+25(分)×60(秒)=2910(秒)が発生に要した時間となります。従って、表2の『水分量(ppm)25℃以上260℃以下』の値を2910(秒)で割った値が、『水分発生速度:25℃以上260℃以下(wtppm/秒)』となります。」と主張している。

サ しかし、TPD-MS測定において試料を装置容器に入れて一定時間、温度をかけない状態で置いておくことが技術常識であるとしても、昇温する時間だけでなく、昇温を行う前に「試料を装置容器に入れた後、温度をかけない状態で置いておく時間」(以下、「安定化時間」という。)を「25分」として「水分の発生速度」の算出に用いることまで技術常識であるとはいえないことから、本願明細書等の記載に基づいて、各実施例及び比較例において「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」を求める際に1410秒に加え何らかの時間を水分量の測定時間として含むことまではいえるとしても、その時間が昇温前の時間として25分であることまで明らかであるとはいえない。

シ さらに、仮に、出願人が上記コで主張するように、本願発明1では、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の測定において、安定化時間を1410秒に加えて算出したものであるとした場合、安定化時間の具体的な数値として主張される「25分」なる数値について、本願明細書等の記載から見いだすことができるか否かについて検討する。

ス 当審において、上記1.キに示す表2における実施例1?10及び比較例1?3のTPD-MSにより測定したものについて、「25℃以上260℃以下」の領域における「水分量」を、同「水分発生速度」で除して、1410秒を引くことで、安定化時間を逆算した結果を以下セ、ソに示す。すなわち、当該逆算した結果である「安定化時間逆算値」について、全ての実施例及び比較例で共通する値が安定化時間となり得る値である。
また、出願人は、平成30年 5月21日付け審判請求書において、「表2の発生速度の数値は小数点以下3桁を繰り上げたものであり、それを逆算で求めると当然に正しい結果が出ません。」と主張していることから、表2の水分発生速度の数値について小数点以下3桁を繰り上げたものと仮定し、有効数字2桁で記載される水分量についても1桁目を繰り上げたものと仮定し、それぞれ繰り上げする前の数値として取り得る上下限値から、安定化時間として取り得る具体的数値を範囲として算出した。また、出願人の主張とは異なるが、数値の処理として通常用いられる四捨五入を繰り上げに代えて用いた場合の算出結果についても併せて示す。
ここで、以下、セ、ソの表において、「水分量」、「水分発生速度」の左の「25-260℃」欄は上記1.キに示す表2の値であり、「繰り上げ前(下限)」は当該値の繰り上げ前の下限、「繰り上げ前(上限)」は繰り上げ前の上限、「四捨五入前(下限)」は当該値の四捨五入前の下限、「四捨五入前(上限)」は四捨五入前の上限を示し、「安定化時間逆算値(秒)」のうち「上限:b/c-1410)」は、上記セについては、水分量の「繰り上げ前(上限)」を水分発生速度の「繰り上げ前(下限)」で除して1410(秒)を引いたもの、上記ソについては、水分量の「四捨五入前(上限)」を水分発生速度の「四捨五入前(下限)」で除して1410(秒)を引いたものを示し、同「上限:a/d-1410)」は、上記セについては、水分量の「繰り上げ前(下限)」を水分発生速度の「繰り上げ前(上限)」で除して1410(秒)を引いたもの、上記ソについては、水分量の「四捨五入前(下限)」を水分発生速度の「四捨五入前(上限)」で除して1410(秒)を引いたものを示し、「安定化時間逆算値(分)」は、「安定化時間逆算値(秒)」を60(秒)で除したものを示す。

セ 繰り上げの場合(網掛けは強調を示す。以下同様。)


ソ 四捨五入の場合


タ 上記セ、ソから、各実施例及び比較例からの逆算では、水分量及び水分発生速度の有効数字を勘案したとしても、全ての実施例及び比較例において取り得る数値として共通する安定化時間の時間範囲として、繰り上げの場合は27.1?30.2分、四捨五入の場合は25.1?29.0分として算出され、「25分」という数値を導き出すことはできない。特に、出願人が主張する、水分発生速度について「小数点以下3桁を繰り上げ」を採用する場合は、「25分」という数値は取りえない数値となる。

チ したがって、本願明細書等には、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」を算出する際に、昇温にかかった時間である1410秒に加え、安定化時間を設けてその時間を「25分」とすることが記載されているとはいえない。

ツ また、出願人は、平成30年 5月21日付け審判請求書において、「『25分間』という数字が上申書で初めて登場したものであると拒絶査定で指摘されておりますが、表2の水分量を発生時間で割った値が発生速度であるという点から、例えば23分間や24分間や26分間では数値が合わないことからも、上申書の温度をかけない状態にしておく『25分間』については、当業者であれば本願明細書の記載から導くことができるものであると思量します。」と主張している。

テ そこで、仮に、安定化時間を「25分」とした上で、各実施例について、水分量(上記1.キに示す表2の値)を安定化時間(1500秒)及び昇温時間(1410秒)の和である2910秒で割り、小数点以下3桁を繰り上げて算出し、表2に記載された水分発生速度と整合するか否かを検討すると、下記テのとおり、多くの例において整合せず、出願人の主張とは異なるが、小数点以下3桁を四捨五入したとしても、整合しない例が複数あることから、当該検討においても、安定化時間を「25分」という数値としたことについて本願明細書等の記載から読み取ることはできない。

ト 25分+昇温時間(1500秒+1410秒)で水分量を割った場合の水分発生速度
(「・・」は小数点以下4桁を省略したものである。以下同様。)
実施例1の計算例
80(ppm)/(1500+1410)(秒)=0.027・・

繰り上げ 四捨五入
実施例1:0.027・・≒0.03(整合する) ≒0.03(整合する)
実施例2:0.041・・≒0.05(整合しない)≒0.04(整合する)
実施例3:0.051・・≒0.06(整合しない)≒0.05(整合する)
実施例4:0.058・・≒0.06(整合する)≒0.06(整合する)
実施例5:0.061・・≒0.07(整合しない)≒0.06(整合する)
実施例6:0.034・・≒0.04(整合しない)≒0.03(整合する)
実施例7:0.072・・≒0.08(整合しない)≒0.07(整合する)
実施例8:0.061・・≒0.07(整合しない)≒0.06(整合する)
実施例9:0.085・・≒0.09(整合しない)≒0.09(整合しない)
実施例10:0.065・・≒0.07(整合しない)≒0.07(整合しない)
比較例1:0.085・・≒0.09(整合しない)≒0.09(整合しない)
比較例2:0.092・・≒0.10(整合しない)≒0.09(整合する)
比較例3:0.132・・≒0.14(整合しない)≒0.13(整合する)

ナ また、安定化時間を23、24、26、27分とした場合について同様に水分発生速度を計算した場合、下記ナのとおり、小数点以下3桁繰り上げでは25分とした場合とほぼ差異はなく、小数点以下3桁を四捨五入した場合はむしろ26分や27分とした場合の方が整合する値が多いことからみても、安定化時間を「25分」という数値としたことについて本願明細書等の記載から読み取ることはできない。
さらに、TPD-MS測定において安定化時間を「25分」とすることが技術常識であると認めるに足りる証拠もない。
なお、安定化時間を26分及び27分として計算した水分発生速度について小数点以下3桁を四捨五入すると、いずれの場合も、表2に記載された水分発生速度と整合するが、26分又は27分のいずれであったかまで本願明細書等の記載から導き出すことはできない。

二 安定化時間を23分、24分、26分、27分として同様に計算した場合の水分発生速度

23分 24分 26分 27分
実施例1:0.028・・ 0.028・・ 0.026・・ 0.026・・
実施例2:0.043・・ 0.042・・ 0.040・・ 0.039・・
実施例3:0.053・・ 0.052・・ 0.050・・ 0.049・・
実施例4:0.060・・ 0.059・・ 0.057・・ 0.056・・
実施例5:0.064・・ 0.063・・ 0.060・・ 0.059・・
実施例6:0.035・・ 0.035・・ 0.033・・ 0.033・・
実施例7:0.075・・ 0.073・・ 0.070・・ 0.069・・
実施例8:0.064・・ 0.063・・ 0.060・・ 0.059・・
実施例9:0.089・・ 0.087・・ 0.084・・ 0.082・・
実施例10:0.068・・ 0.066・・ 0.063・・ 0.062・・
比較例1:0.089・・ 0.087・・ 0.084・・ 0.082・・
比較例2:0.096・・ 0.094・・ 0.090・・ 0.089・・
比較例3:0.139・・ 0.136・・ 0.131・・ 0.128・・


ヌ そうすると、本願発明1における「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき」の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」なる発明特定事項について、発明の詳細な説明の記載及び技術常識を参酌しても、昇温時間以外の時間でかつ当該「水分の発生速度」の算出に用いられる時間(例えば出願人の上記上申書における主張に従うならば昇温前の安定化時間)の具体的数値が不明であることから、如何なる算出方法で定義される数値であるのか明確でない。
そして、当該「水分の発生速度」は、その定義が異なれば算出結果が大きく変わることから、当該「水分の発生速度」の数値を「0.08wtppm/秒以下」として具体的数値で特定する本願発明1において、その定義が明確でないことは、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確である。

ネ したがって、請求項1?7に係る発明は明確でない。


3.実施可能要件について
ア 特許法第36条第4項第1号に係る規定(いわゆる「実施可能要件」)は、特許を受けることによって独占権を得るためには、第三者に対し、発明が解決しようとする課題、解決手段、その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な情報を開示し、発明を実施するための明確でかつ十分な情報を提供することが必要であるとの観点から、これに必要と認められる事項を「発明の詳細な説明」に記載すべき旨を課した規定である。
同号が実施可能要件を定める趣旨は、明細書の発明の詳細な説明に、当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には、発明が公開されていないことに帰し、発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。
そして、物の発明における発明の実施とは、その物の生産、使用等をする行為をいうから(特許法第2条第3項第1号)、物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには、当業者が、明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識とに基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、その物を製造し、使用することができる程度の記載があることを要する。

イ 本願発明1のリチウムイオン電池用正極活物質の製造について、上記1.オに示す本願明細書等の【0028】には、「・・・本発明のH_(2)O由来の水分の発生速度及び水分量の制御は、当該焼成工程における昇温レート、保持温度(最高温度)及び最高温度から300℃までの降温レートの調整によって行うことができる。」と記載されている。

ウ しかし、上記2.で指摘したとおり、「TPD-MS測定で正極活物質を30mg採取して昇温速度10℃/分で測定したとき」の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」は、発明の詳細な説明の記載及び技術常識を参酌しても、如何なる算出方法で定義される数値であるのか明確でない。

エ そうすると、発明の詳細な説明の記載に基づいて、「焼成工程における昇温レート、保持温度(最高温度)及び最高温度から300℃までの降温レートの調整」を行おうとしたとしても、これらの製造条件を調整することで得られるリチウムイオン電池用正極活物質について、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」が本願発明1で特定される範囲のものとなっているか否かを確認することができず、製造することができるということもできない。

オ したがって、この出願の発明の詳細な説明は、当業者が請求項1?7に係る発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されていない。


4.サポート要件について
ア 特許請求の範囲の記載が、特許法第36条第6項第1号に係る規定(いわゆる「明細書のサポート要件」)に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであるから、以下、当該観点に立って検討する。

イ 本願発明が解決しようとする課題について、上記1.イに示す本願明細書等の【0005】には、「正極材の表面の残留アルカリや、正極に含まれる水分や水が取り込まれ反応した水酸基などは、電池を作製する際に電解液と反応してしまうため、電池に必要な電解液の量が欠乏状態となり、さらに当該反応の際にはガス発生を伴うこともあるため、電池特性の劣化につながる。また、電池内に水分が持ち込まれると粒子表面の形態が変化して、充放電時のLiの拡散を妨げるおそれがある。このため、当該水分は極力取り除く必要がある。」と記載され、同【0006】には、「一般的に、水分の吸着には物理吸着と化学吸着の2種類がある。リチウムイオン電池の正極活物質も同様に、水分が表面に吸着して、比較的弱いファンデルワールス力によって物理吸着している水分と、化学結合などにより粒子内に取り込まれて化学吸着している水分との2種類がある。このうち、特に物理吸着は、正極材表面で反応しているもので、これが多いと特性に悪影響を及ぼす。しかしながら、従来、正極活物質の水分量の制御について、当該吸着の種類にまで踏み込んで検討されておらず、正極活物質の水分量の制御手段及びそれによる電池特性については未だ改善の余地がある。」と記載されている。

ウ そうすると、本願発明が解決しようとする課題は、物理吸着している水分が極力取り除かれた、良好な電池特性を有するリチウムイオン電池用正極活物質を提供することであるといえる。

エ そして、上記課題を解決するための手段として、上記1.ウに示す本願明細書等の【0008】には、「本発明者は、高温度測定領域まで測定可能なTPD-MS測定法を用いて、正極材の水分が物理吸着であるか、化学吸着であるかを明確に区別した上で、より電池特性に影響を与える方の水分の発生速度を制御することで、電池特性が良好な正極活物質が得られることを見出した。」と記載されている。

オ 上記「水分の発生速度を制御すること」に関し、上記1.オに示す本願明細書等の【0033】には、実施例における正極材の水分量の評価について、「株式会社東レリサーチセンター製TPD-MS測定装置に、正極材を30mgセットし、アルゴンのキャリアガスを15分間流して安定状態となっていることを確認した後、水分の発生速度の測定を開始した。標準物質としてタングステン酸ナトリウム2水和物を用い、室温(25℃)から500℃まで昇温速度10℃/分で加熱した。これにより、正極材の各測定温度領域の積算水分量及びH_(2)O由来の水分発生速度を測定した。」と記載されている。

カ そして、上記2.で示したとおり、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の算出においては、発生した水分量について、温度範囲及び昇温速度から算出される昇温時間に加えて昇温時間以外の時間でかつ当該「水分の発生速度」の算出に用いられる時間(例えば安定化時間)を加えた時間で除すことで算出されるものであるところ、その時間が異なれば、同じ正極活物質を測定したとしても、算出される水分の発生速度の数値は変化するといえる。

キ してみると、本願明細書の発明の詳細な説明において、上記課題が解決できるように記載された範囲は、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」について、TPD-MS測定を用い、試料重量を30mg、昇温速度を10℃/分とすることに加え、昇温時間以外の時間でかつ当該「水分の発生速度」の算出に用いられる時間(例えば出願人の上記上申書における主張に従うならば昇温前の安定化時間)を具体的に特定して定義されたものであるといえる。

ク 一方、本願発明1は、「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」の定義として、昇温時間以外の時間でかつ当該「水分の発生速度」の算出に用いられる時間について何ら特定するものではないことから、本願発明1は、本願明細書の発明の詳細な説明において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えているものである。

ケ したがって、請求項1?7に係る発明は、発明の詳細な説明に記載したものではない。


5.請求人の主張について

ア 出願人は、平成31年 4月 8日付け意見書において、参考文献1?3を示し、「いずれの文献でも、TPD-MS測定装置を用いた水分発生速度の測定条件について、どのような昇温速度で、何度(℃)から何度(℃)まで昇温させて水分発生速度を測定したのかを記載しているのみであり、本願の原出願に対する拒絶理由で指摘されたように安定化までどれくらいの時間費やしたのかを説明しているものはありません。当該技術分野において、TPD-MS測定装置の安定化は当然に行うものでありますが、それは当業者が適宜行うものであり、TPD-MS測定装置を用いた水分発生速度の測定については昇温速度と、昇温開始及び終了温度とを明確に規定することが重要であります。そのため、参考文献1?3でも特段そのような安定化に関して記載されておりませんし、それが当該技術分野における特許明細書の記載として一般的なものであると認識しております。」と主張している。

イ 参考文献1?3には、以下の記載がある。
参考文献1(特許第6159514号公報)
「【0036】
-TPD-MS測定による評価-
各正極材の粉末を約50mg量り採り、TPD-MS装置(加熱装置:TRC製、MS装置島津製作所製)、室温から1000℃まで、昇温速度10℃/分で加熱した。標準物質としてタングステン酸ナトリウム二水和物、二酸化炭素、空気を用いた。これにより、200?400℃の領域でのH_(2)O由来のピークにおける発生速度の極大値、及び、150?400℃の領域でのCO_(2)ガス由来のピークにおける発生速度の極大値をそれぞれ求めた。」

参考文献2(国際公開第2016/157899号)
「[0090]
・・・
<無機粒子の加熱発生ガス質量分析測定>
以下の要領で、TPD-MS(Temperature Programmed Desorption-Mass Spectrometry)法により行った。
測定装置:加熱装置として東レリサーチセンター製特殊加熱装置を、質量分析装置として島津製作所製、「GCMS-QP5050」を使用した。
測定試料:無機粒子を予め80℃のオーブン内で30分間乾燥させた後、湿度を30%以下に調整したデシケータ内で24時間放置して、測定試料とした。
測定条件:上述の測定試料20mgを上述の加熱装置内に入れ、ヘリウム流量50cc/分の条件下、昇温速度20℃/分で20℃から1000℃まで温温し、水分発生速度を測定した。
Wmax近傍水分発生量X:得られた水分発生速度曲線において、200℃の点と260℃の点を結んでベースラインを作成した。そして、横軸の温度表記を時間(秒)表記に換算した上で、水分発生速度曲線とベースラインで囲まれる領域の面積を算出し、Wmax近傍水分発生量X(質量ppm)を算出した。」

参考文献3(国際公開第2017/126312号)
「[0133]
次に、調製した各正極活物質について、TPD-MSにより放出される酸素発生速度及び水分発生速度の測定を行った。TPD-MSには、四重極型質量分析計(BEL JAPAN INC製 BEL-Mass)を接続した触媒反応装置(BEL JAPAN INC製 BEL-CAT)を使用した。
[0134]
TPD-MSは、120℃で2時間にわたって真空乾燥した各正極活物質を試料とし、真空乾燥後に分取した各0.5gについて測定を行った。TPD-MSにおいて、キャリアガスは、ヘリウムとし、昇温速度は、10℃/分とした。
・・・
[0138]
このように、調製した各正極活物質について、TPD-MSにより放出される酸素発生速度及び水分発生速度のそれぞれを測定し、これらを時間積分することによって酸素発生濃度及び水分発生濃度を求めた。その結果を下記の表3に示す。
・・・
[0145][表3]



ウ ここで、参考文献1の上記摘記箇所において示されるのは、「室温から1000℃まで、昇温速度10℃/分で加熱」する条件において「200?400℃の領域でのH_(2)O由来のピークにおける発生速度の極大値、及び、150?400℃の領域でのCO_(2)ガス由来のピークにおける発生速度の極大値」を求めたものであり、本願発明1の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」のように昇温開始前後の室温付近を含めた積分値及び時間から求められる水分発生速度を対象とするものではないことから、本件においては参酌に値しない。

エ また、参考文献2の上記摘記箇所において示されるのは、「昇温速度20℃/分で20℃から1000℃まで」昇温する条件において、「Wmax近傍水分発生量X:得られた水分発生速度曲線において、200℃の点と260℃の点を結んでベースラインを作成した。そして、横軸の温度表記を時間(秒)表記に換算した上で、水分発生速度曲線とベースラインで囲まれる領域の面積を算出し、Wmax近傍水分発生量X(質量ppm)を算出した。」ものであり、参考文献1と同様に、本願発明1の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」のように昇温開始前後の室温付近を含めた積分値及び時間から求められる水分発生速度を対象とするものではないことから、参酌に値しない。

オ さらに、参考文献3の上記摘記箇所において示されるのは、「昇温速度は、10℃/分」の条件において、「TPD-MSにより放出される酸素発生速度及び水分発生速度のそれぞれを測定し、これらを時間積分することによって酸素発生濃度及び水分発生濃度を求めた」ものであるところ、表3によれば、O_(2)発生量は200-450℃、H_(2)O発生量は150-450℃の範囲で算出されており、参考文献1、2と同様に、本願発明1の「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」のように昇温開始前後の室温付近を含めた積分値及び時間から求められる水分発生速度を対象とするものではないことから、本件においては参酌に値しない。

カ そして、出願人は、「TPD-MS測定装置を用いた水分発生速度の測定については昇温速度と、昇温開始及び終了温度とを明確に規定することが重要であります。」と主張しているが、水分発生速度を導出するためには、測定された水分量を除するための、水分発生に要した時間が必要となってくるところ、昇温速度と昇温開始及び終了温度から算出されるのは昇温されている時間、つまり、本願発明1における「1410秒」だけであり、上記2.?4.で示したとおり、本願発明1における「25℃以上260℃以下の領域でのH_(2)O由来の水分の発生速度」を算出する際に、測定された水分量を除する時間として、昇温時間である1410秒に、昇温時間以外の時間でかつ当該「水分の発生速度」の算出に用いられる時間(例えば出願人の上記上申書における主張に従うならば昇温前の安定化時間)を加えて算出するものである以上、その時間が明らかでない限り、上記2.?4.で示した明確性要件違反、実施可能要件違反、サポート要件違反のいずれも解消されることはない。

キ したがって、出願人の上記主張は採用できない。


第5 むすび

以上のとおり、本願の特許請求の範囲の請求項1?7に係る発明は明確でないから、特許法第36条第6項第2号に規定する要件を満たしておらず、また、本願の発明の詳細な説明は、当業者が請求項1?7に係る発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されていないから、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たしておらず、さらに、本願の特許請求の範囲の請求項1?7に記載された発明は、発明の詳細な説明に記載されたものではないから、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしておらず、特許を受けることができないものである。

よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2019-05-24 
結審通知日 2019-05-28 
審決日 2019-06-10 
出願番号 特願2016-233535(P2016-233535)
審決分類 P 1 8・ 537- WZ (H01M)
P 1 8・ 536- WZ (H01M)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 井原 純  
特許庁審判長 亀ヶ谷 明久
特許庁審判官 松本 要
土屋 知久
発明の名称 リチウムイオン電池用正極活物質、リチウムイオン電池用正極、及び、リチウムイオン電池  
代理人 アクシス国際特許業務法人  
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