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審決分類 審判 査定不服 5項独立特許用件 特許、登録しない。 F16G
審判 査定不服 2項進歩性 特許、登録しない。 F16G
審判 査定不服 特17条の2、3項新規事項追加の補正 特許、登録しない。 F16G
管理番号 1161279
審判番号 不服2005-12433  
総通号数 93 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2007-09-28 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2005-06-30 
確定日 2007-07-20 
事件の表示 特願2000-397930「チェーン用ピンおよびその製造方法」拒絶査定不服審判事件〔平成14年 7月10日出願公開、特開2002-195356〕について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 
理由
1.手続の経緯の概要

本願は、平成12年12月27日の出願であって、平成17年6月1日(起案日)付けで拒絶査定がなされ、これに対し、同年6月30日に拒絶査定不服審判が請求されるとともに、同日付けで明細書を補正する手続補正がなされたものである。

2.平成17年6月30日付けの手続補正についての補正却下の決定

[補正却下の決定の結論]

平成17年6月30日付けの手続補正を却下する。

[理由]

(1)補正後の本願発明

平成17年6月30日付けの手続補正(以下、「本件補正」という。)により、特許請求の範囲の請求項1は、
「【請求項1】 チェーン用ピンの母材となる鋼の表面に、クロム浸透拡散処理を行った後、クロムおよびバナジウム浸透拡散処理を行うことにより、チェーン用ピンの母材となる鋼の最表部において、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されるとともに、前記炭化物層と前記母材との間の境界領域において、バナジウム炭化物の含有率が急激に減少しかつクロム炭化物の含有率が急激に増加している境界層が形成されている、
ことを特徴とするチェーン用ピン。」
と補正された。(なお、下線部は、補正箇所を示すために審判請求人が付したものである。)

上記の本件補正は、請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項である炭化物層について、「母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に」「含有量が少なくとも10%の」少量のクロム炭化物を含むという限定を付加するものである(これらかぎ括弧内の限定を、以下、「本件補正の数値限定」という。)。

(2)本件補正が新規事項を追加するものであるか否かの判断

そこで、上記の数値限定を付加する本件補正が、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてした補正であるか否かについて検討する。

審判請求人は、平成17年6月30日提出の審判請求書において、本件補正の数値限定は出願当初の図1に基づくものである旨、主張している(当該審判請求書の【請求の理由】3.(b)「補正の根拠の明示」の欄を参照。)。

しかしながら、次の理由により、本件補正の数値限定は、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではない。

ア.審判請求人が本件補正の根拠とする図1には、本件補正の数値限定において炭化物層のクロム炭化物含有量の境界値として導入されている10%という数値が、記載されているとも示唆されているとも認められない。すなわち、当該図1には、「Cr%」との記載が付された縦軸が認められ、「0」及び「30」との目盛も認められるが、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されていることを示す明示の記載はもちろん、上記縦軸における「10」との目盛など、クロム炭化物含有量10%が数値範囲の境界値となることを示唆する記載すら認められない。よって、当該図1には上記の明示の記載がないばかりか、当該図1に接した当業者にとって、上記範囲内の領域におけるクロム炭化物含有量に10%という境界値を設けることが自明であったということもできない。

イ.上記ア.より、上記図1が本件補正の根拠とならないことは明らかであるが、さらに付言するならば、次の点からも、本件補正の数値限定を含む発明が当該図1に開示されているとはいえない。すなわち、当該図1に記載の具体的態様では、「(μm)」との記載が付された横軸の目盛からみて、炭化物層が20μmを超える厚みを有しているものと認められる。そして、その具体的態様では、母材表面からの厚みが20μmを超える、炭化物層の表面に近い領域では、クロム炭化物含有量を示す曲線が「0」の目盛に接近しており、クロム炭化物含有量が10%を下回っていることは明らかである。他方、本件補正により補正された請求項1の記載、及び、当該請求項1を引用する請求項である請求項3における「前記炭化物層の厚みが10μm以上である」との記載によれば、当該請求項1に係る発明は、炭化物層の厚みが20μm以下のものも包含している。そうすると、たとい、上記図1に記載の具体的態様が、仮に、たまたま、炭化物層が「母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に ・・・ 含有量が少なくとも10%の」少量のクロム炭化物を含んでいるものであったとしても、炭化物層の厚み自体が20μm以下の場合に、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内で(換言すれば、炭化物層の厚みの全体で)、クロム炭化物の含有量が10%以上になっていることが開示されているとはいえない、といわなければならない。そうすると、本件補正の数値限定を含む、本件補正後の請求項1に係る発明が、当該図1に開示されているということはできない。

ウ.本願の願書に最初に添付した明細書又は図面の全体をみても、本件補正の数値限定が記載されているとは認めることはできず、また、かかる数値限定が、当業者にとって、願書に最初に添付した明細書又は図面の記載から自明な事項であるとも認められない。なお、本願の願書に最初に添付した明細書の【0015】段落には、「チェーン用ピンの母材となる鋼の最表部には、バナジウム炭化物(V8C7)を主成分としかつ少量のクロム炭化物(CrnCm)を含む炭化物層が形成されている。また、この場合のバナジウム原子とクロム原子の比率は、概略8.5:1.5になっている。」との記載がなされているが、この記載は、当該炭化物層において場所により異なるクロム炭化物の含有量に関してその下限値を示すものではない。したがって、かかる記載は、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されていることを明示するものでないことはもちろん、示唆するものであるともいえない。

以上のように、本件補正は、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてした補正ではなく、平成15年法律第47号による改正前の特許法第17条の2第3項の規定に違反する補正である。よって、本件補正は、特許法第159条第1項で読み替えて準用する同法第53条第1項の規定により、却下すべきものである。

本件補正が却下すべきものであることは、右説示したとおりであるが、本項2.の以下においては、念のため、本件補正が上記特許法第17条の2第3項の規定に違反するものでないと仮定して、本件補正が平成15年法律第47号による改正前の特許法第17条の2第4項第2号の特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当するとしたうえで、本件補正後の上記請求項1に係る発明(以下、「本願補正発明」という。)が特許出願の際独立して特許を受けることができるものであるか(平成15年法律第47号による改正前の特許法第17条の2第5項において準用する同法第126条第4項の規定に適合するか)について、検討することとする。

(3)刊行物に記載の事項及び発明

(3-1)刊行物1

本願の出願前に日本国内において頒布された刊行物であり、原査定の拒絶の理由に引用された特開昭55-2721号公報(以下、「刊行物1」という。)には、「鉄合金材料の表面処理法」に関し、図面とともに、次の(a)ないし(f)の事項が記載されている。

(a)「0.2重量%以上の炭素を含む鉄合金材料の表面にクロムメツキを施してクロム層を形成せしめ、該材料を第Va族元素またはクロムの存在下にて加熱し、鉄合金材料中の炭素を拡散せしめて上記クロム層をクロム炭化物層に変化させるとともに、該クロム炭化物層中の炭素と上記第Va族元素またはクロムとを結合せしめて上記クロム炭化物層の上に更に第Va族元素の炭化物層またはクロムの炭化物層を形成させることを特徴とする鉄合金材料の表面処理法」(第1頁左下欄第5行-同第15行;特許請求の範囲)
(b)「本発明の処理法で得られる鉄合金部材は、その母材たる鉄合金材料とその上に形成されたクロム炭化物層との間、および該炭化物層とその上に形成された第Va族元素またはクロムの炭化物層とは治金的に(審決注:「冶金的に」の誤記であると認められる。)一体結合されているため機械的強度が高く耐剥離性が著しく改善されている。また予め施されたクロムメツキ層およびその後形成した第Va族元素またはクロムの炭化物層の各々に局部的な欠陥が存在したとしても、両層の欠陥部分が合致することはほとんど皆無であつて被覆層全体として欠陥のないものとなり、この鉄合金部材は耐食性に極めてすぐれたものとなる。このため鉄合金材料にクロムメツキを施したのみの場合や鉄合金材料に直接に炭化物層を被覆したのみの場合に比し、耐食性が著しく向上している。なお、本発明の被覆層は第Va属元素の炭化物またはクロムの炭化物が本来有する耐摩耗性を発揮するものであることは言うまでもない。」(第2頁左上欄第7行-同頁右上欄第6行)
(c)「上記メツキ層の上には第Va族元素、即ちバナジウム(V)、ニオビウム(Nb)、タンタル(Ta)の炭化物層またはクロム(Cr)の炭化物層を形成せしめる。また、これ等の複合炭化物を形成せしめてもよい。
形成手段は鉄合金材料中の炭素をクロムメツキ層に拡散せしめてこれをクロム炭化物層とし、同時に外部から供給される第Va属元素またはクロムと上記炭化物層中の炭素とを結合せしめて該炭化物層の上に更に第Va族元素の炭化物層またはクロムの炭化物層を形成せしめるのである。具体的手段としては、溶融塩浴法、溶融塩浴を用いる電解法、粉末法、気相法のいずれでもよい。」(第2頁左下欄第2行-同欄第15行; なお、上記の「クロム炭化物層とし、同時に」との記載を、「クロム炭化物層とした後に、」とする補正が、昭和56年9月28日に公開特許公報掲載により公開されていることが認められる。)
(d)「第Va族元素またはクロム炭化物の層厚さは2μないし20μ程度が適当である。2μよりも薄いと耐食性の効果に不安があり、また20μよりも厚くすると形成層が剥離しやすくなる傾向がある。」(第3頁左上欄第2行-同欄第6行)
(e)「実施例1
(1)直径8mm、長さ40mmのJIS SK4およびSKD11の多数の試片にクロムの電気メツキを施した。メツキ層厚さは9μないし88μの間で変化させた。
この試片を浴全量に対して20%のフエロバナジウム(Fe-V)粉を含む1000℃に保持された溶融硼砂浴中に浸漬し、大気中で8時間および16時間保持後、取出して油冷し、付着している処理剤を温水で洗滌した。
これ等試片について断面組織を観察したところ、すべての試片について二層の層が形成されているのが認められた。第1図は15μのCrメツキ後、8時間の炭化物被覆処理をしたSK4試片の断面の顕微鏡写真である。
第1図の試片についてX線マイクロアナライザ分析を行なつた結果、第6図に示す如く外層はVとC、内層はCr、FeおよびCで形成されていることが確かめられた。X線回折でも外層からVCに相当する回折線が認められた。」(第3頁左上欄第7行-同頁右上欄第7行)
(f)「第7図にメツキにより形成されたCrメツキ層の厚さと、本発明の処理により形成された炭化物層の厚さとの関係を示す。図中、横軸はCrメツキ層の厚さ、縦軸は炭化物層の厚さを示す。また符号○は内層、外層よりなる炭化物層全体、符号△は内層、符号×は外層の炭化物層を示す。
第7図より、Crメツキ層の厚さが厚い程内層の厚さが厚くなり外層の厚さが薄くなつているのがわかる。しかし炭化物層全体の厚さはCrメツキ層の厚さの影響を受けず約20μと一定しているのがみられる。」(第3頁左下欄第2行-同欄第13行)

さらに、上記摘記事項に加えて図面の記載も参酌することにより、次の(g)及び(h)の事項も該刊行物1の記載事項として認めることができる。

(g)「実施例1」(上記摘記事項(e)を参照。)に係る分析結果を示した第6図を参照すると、バナジウムの含有量を示す曲線とクロムの含有量を示す曲線とが交差する点(以下、単に「第6図中の交点」という。)において、後者の、クロムの含有量を示す曲線は、「%Cr」との記載が付された縦軸における「37」という目盛よりもやや低い、30%程度の値を示しており、他方、前者の、バナジウムの含有量を示す曲線は、概ね45%近辺の値を示している。第6図中の交点から(母材の側とは反対の側である)最表面の側に向かうと、それよりもクロムの含有量は減少しているとともに、バナジウムの含有量が増大している。また、当該第6図の横軸スケール(「10μ」との記載が付されている。)及び鉄の含有量を示す曲線の推移からみて、「実施例1」の炭化物層全体の厚さは、20μmと同程度か、ややそれよりも大きい程度であるとともに、第6図中の交点は、母材となる鉄合金材料の表面からの厚みが20μm以内の範囲に含まれている。そして、このことは、「炭化物層全体の厚さは ・・・ 約20μと一定している」(上記摘記事項(f)を参照。)との記載、及び、第7図の記載からも、裏付けられる。
そうすると、上記の「実施例1」にあっては、母材となる鉄合金材料の最表部において、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の一部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されているということができる。
(h)第6図中の交点のやや最表面に近い側から、(最表面の側とは反対の側である)母材の側に向かうと、バナジウムの含有量が急激に減少し、クロムの含有量が急激に増大し、やがて、第6図中の交点を過ぎた後で、クロムの含有量が極大値をとっている。このことと、「第6図に示す如く外層はVとC、内層はCr、FeおよびCで形成されていることが確かめられた。」(上記摘記事項(e)を参照。)との記載を併せれば、上記の「実施例1」にあっては、上記摘記事項(g)として認定した炭化物層と母材との間の境界領域において、バナジウム炭化物の含有率が急激に減少しかつクロム炭化物の含有率が急激に増加している境界層が形成されているということができる。

上記の摘記事項及び図面の記載によれば、刊行物1には、次の発明(以下、「刊行物1の発明」という。)が記載されているものと認められる。
「母材となる鉄合金材料の表面に、クロムメツキ処理を行った後、該材料をバナジウムの存在下にて加熱することにより、母材となる鉄合金材料の最表部において、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の一部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されるとともに、前記炭化物層と前記母材との間の境界領域において、バナジウム炭化物の含有率が急激に減少しかつクロム炭化物の含有率が急激に増加している境界層が形成されている、
表面処理された鉄合金材料。」

(3-2)刊行物2

また、本願の出願前に日本国内において頒布された刊行物であり、原査定の拒絶の理由に引用された特開平10-169723号公報(以下、「刊行物2」という。)には、「サイレントチェーン」に関し、図面とともに、下記の事項(i)ないし(l)が記載されている。

(i)「隣り合う関節列のプレートとガイド列のプレートどうしがピンで連結されているサイレントチェーンにおいて、
少なくとも関節列のプレートのピン孔の内面にシェービング加工が施されているとともに、ピンの表面にCr、Ti、V、Nbの少なくとも一つの硬質金属炭化物からなる硬化層が形成されていることを特徴とするサイレントチェーン。」(第2頁第1欄第2行-同欄第9行;特許請求の範囲の請求項1)
(j)「ここで硬化層とは、炭素量0.1%?0.4%の低炭素鋼のピン素材に浸炭処理を施して表層部の炭素含有量を0.7%?1.1%に高めたものの表面、または、炭素量0.7%?1.1%の高炭素鋼のピン素材の表面に、溶融塩炉や粉末炉等を用いて900℃?1100℃の高温下で8時間?25時間処理して形成したCr、Ti、V、Nbの金属炭化物の一つ、もしくはこれらを複合したHv1800以上の表面硬度を有する層をいう。」(第3頁第3欄第9行-同欄第17行;【0014】段落参照)
(k)「前記硬化層によりピンの摩耗量は極めて微少となり、チェーンの摩耗伸び量は極めて少ない。」(第3頁第3欄第38行-同欄第39行;【0017】段落参照)
(l)「一方、図2は、前記プレート1のピン孔に挿通されるピンの断面を示す図であって、同図に示すように、ピン5には、炭素を0.7%?1.1%含有した高炭素鋼のピン素材5Aの表面に、厚さ6μm?20μmのCrCの硬化層5Bが形成され、表面硬度をHv1800以上に高めたものが用いられている。なお、前記硬化層5Bは、CrCの他、Ti、V、Nbの金属炭化物の一つ、あるいは、これらの複数の金属炭化物を複合させたもので形成してもよい。」(第3頁第4欄第18行-同欄第26行;【0022】段落参照)

(3-3)刊行物3

また、本願の出願前に日本国内において頒布された刊行物であり、原査定の拒絶の理由に引用された特開昭48-48335号公報(以下、「刊行物3」という。)には、「鉄合金の表面処理法」に関し、図面とともに、下記の事項(m)ないし(o)が記載されている。

(m)「炭素を含む鉄合金材を硼酸塩に周期律表第Va族元素,クロムまたはこれ等を含む物質を添加して成る溶融浴中に浸漬して上記合金材表面に上記第Va族元素またはクロムの炭化物層を形成せしめた後,上記合金材を硼酸塩に周期律表第IVa族元素またはこれを含む物質を添加して成る溶融浴中に浸漬することにより上記合金材表面に上記第IVa族元素の炭化物層を形成せしめることを特徴とする鉄合金の表面処理法.」(第1頁左下欄第5行-同欄第13行;特許請求の範囲)
(n)「まず本発明の予備工程では,炭素を含む鉄合金被処理材を硼砂のごとき硼酸塩にバナジウム(V),ニオブ(Nb)などの第Va族元素,クロムを単体またはフエロバナジウム(Fe-V),フエロニオブ(Fe-Nb),フエロクロム(Fe-Cr)等の形で添加した溶融浴中に浸漬加熱して第Va族元素またはクロム炭化物層(以下予備被覆層という)を形成せしめる.」(第2頁右上欄第9行-同欄第16行)
(o)「上記予備被覆層を形成する手段として上記のごとく溶融浴を用いる他,溶射法,蒸着法,放電被覆法を用いても炭化物層を形成せしめることは可能である.しかしながら蒸着は装置が複雑となり生産性が乏しく,放電被覆法は層の表面が粗い.溶射法では被覆は比較的容易であるが密着性に乏しい.実用上価値あるのは上記のごとく溶融浴中への被処理材の浸漬による拡散浸透法であつて,特に引続き行なう仕上げ工程における処理浴とその主剤(硼酸塩)が共通であつて予備被覆処理後,浴物質を除去することなく仕上げ工程の浴に浸漬しても特に支障を生ぜず,浴の管理が容易である.」(第2頁左下欄第13行-同頁右下欄第4行)

(4)対比・判断

本願補正発明と刊行物1の発明とを比較すると、刊行物1の発明における「母材となる鉄合金材料」は、本願補正発明における「母材となる鋼」に相当するから、本願補正発明の用語に従えば、両者は、
「母材となる鋼の表面に、クロム及びバナジウムを加える処理を行うことにより、母材となる鋼の最表部において、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の少なくとも一部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されるとともに、前記炭化物層と前記母材との間の境界領域において、バナジウム炭化物の含有率が急激に減少しかつクロム炭化物の含有率が急激に増加している境界層が形成されている、
表面処理された金属。」
である点で一致し、以下の相違点1ないし3で相違している。

相違点1: 本願補正発明では、母材がチェーン用ピンの母材であり、当該母材に対して表面処理が行われた物がチェーン用ピンであるのに対して、刊行物1の発明では、母材である鉄合金材料に対して表面処理が行われた物がチェーン用ピンであるとの限定がない点。

相違点2: 本願補正発明では、表面処理が、クロム浸透拡散処理を行った後、クロムおよびバナジウム浸透拡散処理を行うことにより炭化物層を形成するものであるのに対して、刊行物1の発明では、表面処理が、クロムメツキ処理を行った後、該材料をバナジウムの存在下にて加熱することにより炭化物層を形成するものである点。

相違点3: 本願補正発明では、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されているのに対して、刊行物1の発明では、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の一部に、上記のごとき炭化物層が形成されている点。

そこで、以下、上記各相違点について検討する。

〈相違点1について〉
最初に、上記相違点1について検討する。
刊行物1の発明と刊行物2に記載の技術的事項とは、金属の表面処理技術という共通の技術分野に属し、母材の表面にクロムを加える処理を行うことによりクロム炭化物を含む炭化物層が形成されているという、共通の構成を備える。さらに、刊行物1の発明では、母材に対しクロムのほかにバナジウムも加えて、炭化物層を形成しているが、刊行物2に記載の技術的事項でも、母材であるピン素材5Aの表面に、クロム(Cr)のほかバナジウム(V)も加えて、クロム及びバナジウムの炭化物を複合させたもので硬化層5Bを形成しうることが明示されている。そのうえ、刊行物1の発明と刊行物2に記載の技術的事項とは、耐摩耗性の向上という共通の課題も有する(上記摘記事項(b)及び(k)を参照)。
上記のように、刊行物1の発明と刊行物2に記載の技術的事項とは、共通の技術分野に属し、共通の構成を備え、さらに課題においても共通性を有するから、刊行物1及び刊行物2に接した当業者であれば、刊行物1の発明における表面処理の対象物を、刊行物2に記載の技術的事項におけるピン素材5Aのごときチェーン用ピンの母材として、上記相違点1に係る本願補正発明の構成とすることは、容易に想到し得たものと認められる。

〈相違点2について〉
次に、上記相違点2について検討する。
刊行物1の発明と刊行物3に記載の技術的事項とは、金属の表面処理技術という共通の技術分野に属し、鉄合金材料でなる母材の表面にクロムを加える処理を行うことによりクロム炭化物を含む炭化物層が形成されているという、共通の構成を備える。さらに、刊行物1には、「試片を浴全量に対して20%のフエロバナジウム(Fe-V)粉を含む1000℃に保持された溶融硼砂浴中に浸漬し、大気中で8時間および16時間保持」(上記摘記事項(e)を参照)することが記載されているところ、刊行物3には、「鉄合金被処理材を硼砂のごとき硼酸塩にバナジウム(V) ・・・ などの第Va族元素,クロムを単体またはフエロバナジウム(Fe-V) ・・・ 等の形で添加した溶融浴中に浸漬加熱して第Va族元素またはクロム炭化物層 ・・・ を形成」(上記摘記事項(n)を参照)することが記載されており、両刊行物は、フエロバナジウムが含まれる溶融浴中に母材を浸漬して加熱することにより表面処理を行うことを、技術手段として開示している点でも共通する。
上記のように、刊行物1の発明と刊行物3に記載の技術的事項とは、共通の技術分野に属し、共通の構成を備え、さらに共通の技術手段に係るものである。そうすると、刊行物1及び刊行物3に接した当業者であれば、刊行物1の発明における表面処理の方法として、刊行物3に記載の技術的事項における「溶融浴中への被処理材の浸漬による拡散浸透法」(上記摘記事項(o)を参照)を採用するとともに、当該刊行物3に記載の技術的事項のごとく、炭化物層形成を二段階で行うようにし、上記相違点2に係る本願補正発明の構成とすることは、容易に想到し得たものと認められる。

〈相違点3について〉
進んで、上記相違点3について検討する。
前説示のとおり、刊行物1の発明では、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の一部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されている。相違点3に関し検討すべきは、かかる刊行物1の発明において、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されるようにすることが、当業者の容易に想到し得たことであるか否かである。
相違点3に係る本願補正発明の構成において、母材表面からの厚みについての「20μm以内」との限定や、クロム炭化物の含有量についての「少なくとも10%」との限定に関し、本願の明細書には、これら数値限定の奏する作用効果についての具体的な記載は、一切見られない。(なお、審判請求書には、かかる作用効果に関連する主張がみられるが、これについては後述する。) そうすると、かかる数値限定は、上記刊行物1の発明に接した当業者であれば、その通常の創作能力の発揮により、実験的手法を用いるなどして最適化ないし好適化し得たものであって、格別なものではないといわなければならない。
加うるに、当該刊行物1には、「上記メツキ層の上には第Va族元素、即ちバナジウム(V)、ニオビウム(Nb)、タンタル(Ta)の炭化物層またはクロム(Cr)の炭化物層を形成せしめる。また、これ等の複合炭化物を形成せしめてもよい。」(上記摘記事項(c)を参照)と記載されている。かかる記載にかんがみれば、当該刊行物1には、メツキ層に由来するクロム炭化物が主成分である層の上に、バナジウム炭化物からなる層を形成することだけでなく、上記のクロム炭化物が主成分である層の上に、バナジウムとクロムとの複合炭化物からなる層を形成してもよいことが、記載されているというべきである。そうすると、刊行物1には、母材に隣接した、クロム炭化物が主成分である層の上に、バナジウム炭化物を主成分にしつつもクロム炭化物を一定程度含有した炭化物の層を設けることが、少なくとも示唆されているものと認められる。
してみれば、刊行物1の発明において、バナジウム炭化物を主成分とした層におけるクロム炭化物の量を適宜調整して、相違点3に係る本願補正発明の構成とすることは、当業者であれば容易に想到し得たことであると認められる。

また、本願補正発明の作用効果について検討しても、刊行物1の発明、並びに刊行物1ないし3に記載された事項から、当業者であれば予測することができる範囲のものであって、格別のものということはできない。

したがって、本願補正発明は、刊行物1ないし刊行物3に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許出願の際独立して特許を受けることができないものである。

(5)審判請求人の主張について

審判請求人は、平成17年6月30日付けの審判請求書において、上記相違点3に関連する、次のような主張を展開し、本願補正発明が原査定で引用された各刊行物(刊行物1ないし3)に記載された発明から容易に発明をすることができたものではないとしている。
すなわち、審判請求人は、刊行物1に関し、「第6図には、試片の最表部にVC層を形成したものが記載されているが、該VC層中のCr含有量はわずか2%程度に留まっている。」(【請求の理由】の3.(c)「引用発明の説明」の項)などと述べたうえで、本願補正発明に関し、「鋼の最表部においてバナジウム炭化物層内に少なくとも10%の含有量のクロム炭化物を含ませたことによって、バナジウム炭化物層(・・・)の表面剥離をより起こりにくくさせる、といういずれの引用文献にもない格別の効果を奏する」(【請求の理由】の3.(d)「本願発明と引用発明との対比」の項)と主張している。その「格別の効果」については、「出願当初の明細書中には明確に記載されていないが、 ・・・ その後の研究で明らかになってきている」(同項)とも述べている。そして、かかる効果が生じる理由に関し、バナジウム炭化物層中に含有量10%以上のクロム炭化物が含まれていると、クロム炭化物がバナジウム炭化物に対して高い密着性(結合性)を有していることによって、バナジウム炭化物層の表面剥離の発生が抑えられると推測される旨、言及している。
しかしながら、かかる数値限定に関連する作用効果は、本願の明細書に具体的に記載されているものではなく、たとい、当該作用効果が存在するとしても、出願時点で認識されていたものではなく、上記のとおり、「その後の研究で明らかになってきている」ものにすぎないのであるから、そのような作用効果の主張に基づいて、本願補正発明における進歩性の存在を肯認することはできない。
しかも、刊行物1の発明でも、母材表面からの厚みが20μm以内の範囲の一部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ含有量が少なくとも10%の少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されていること、さらには、当該刊行物1には、母材に隣接した、クロム炭化物が主成分である層の上に、バナジウム炭化物を主成分にしつつもクロム炭化物を一定程度含有した炭化物の層を設けることが、少なくとも示唆されているものと認められることは、いずれも前説示のとおりである。
よって、上記の審判請求人の主張は、採用の限りではない。

また、審判請求人は、本願の審査段階で提出した平成16年12月10日付け意見書において、上記相違点2に関連する、次のような主張を行っている。
すなわち、刊行物1に記載された発明では、材料にまずクロムメツキ処理を施した後、該材料をVa族元素の存在下にて加熱することにより、材料内の炭素を拡散させてクロム層をクロム炭化物層に変化させると同時に、当該クロム炭化物層中の炭素をVa族元素と結合させて、クロム炭化物層の上にVa族元素の炭化物層を形成しているが、そのクロムメツキは、クロムを単に材料表面に付着させるものであり、本願のようなクロム浸透拡散処理とはまったく異なる、という旨の主張である。
しかしながら、上記した刊行物1の発明において、クロムメツキ処理は、単独で用いられているものではなく、クロムメツキ処理に引き続いて、バナジウムの存在下での加熱が行われるのであり、それにより、母材となる鉄合金材料の表面に炭化物層が形成されているのである。その際、鉄合金材料中の炭素がクロムメツキ層に拡散することが、刊行物1には明記されている(上記摘記事項(a)及び(c)を参照)。してみれば、クロムメツキ処理のみをとらえて、クロムを単に材料表面に付着させるものであってクロム浸透拡散処理とはまったく異なるとする主張は、当を得たものではない。そして、刊行物1及び刊行物3に接した当業者であれば、刊行物1の発明における表面処理の方法として、刊行物3に記載された拡散浸透法の採用を容易に想到し得たことは、前説示のとおりである。そうすると、上記意見書における審判請求人の主張を採用できないことは、明らかである。
なお、付言すれば、クロムやバナジウムの浸透拡散処理は、本願出願前に頒布された下記の刊行物の記載にもみることができるように、金属表面処理の技術として、本願出願前、既に当業者に周知であった技術である。
ア.原査定において引用された特開昭61-194170号公報には、「金属の表面にクロムを拡散、浸入させるクロマイジング法は、 ・・・ 公知である。 ・・・ 一方、被処理体の表面にクロムメッキを施し、これを加熱、拡散させる方法も、 ・・・ 公知である。」(第1頁左下欄第19行-同頁右下欄第17行)と記載されている。
イ.特開2000-249196号公報には、「多数のリンクプレートをピンにて連結したリンクチェーンにおいて、前記ピンが、その表面に、クロム、バナジウム、 ・・・ の少なくとも1種類の、拡散浸透法により形成される ・・・ 金属炭化物層を5[μm]以上被覆してなり ・・・」(第2頁第1欄第2行-同欄第8行;特許請求の範囲の【請求項1】を参照)と記載されている。
ウ.特開平5-5173号公報には、「金属Cr粉末と ・・・ の1種以上からなる金属粉末との混合物であって、 ・・・ を満足する金属粉末と、 ・・・ 浸透剤中に被処理材を埋設し、被処理材表面にクロム拡散層を形成させることを特徴とするクロマイジング処理方法。」(第2頁第1欄第2行-同欄第7行;特許請求の範囲の【請求項1】を参照)と記載されている。
エ.特開平1-177355号公報には、「金属の表面に、チタン、 ・・・ 、バナジウム、 ・・・ よりなる群のうちの金属の1種以上を拡散浸透させる工程と、浸炭処理する工程とを任意の順序で施こすことを特徴とする金属の表面硬化法。」(第1頁左下欄第5行-同欄第10行;特許請求の範囲を参照)と記載され、また、「なお、拡散浸透材は、金属チタンの他に ・・・ バナジウム、クロム、 ・・・ の何れでもよく、さらにこれらを混合させたものを用いてもよい。」(第2頁左下欄第5行-同欄第9行)と記載されている。
オ.社団法人 金属表面技術協会編「金属表面技術便覧」,改訂新版,日刊工業新聞社,昭和52年12月25日第2版発行(昭和51年11月30日初版発行)には、「金属浸透法では,素地金属と浸透拡散する金属とがどのような合金層を作るかが問題である.この合金層は,金属材料学の知見からその性質は推察されるので,処理の目的から浸透拡散させる金属を選択できる.鉄鋼素地の例を表15・17に示す.」(第1160頁第8行-同頁第10行)と記載され、当該表15・17には、「鉄鋼に対する金属浸透法(拡散被覆法)として実験室的にあるいは工業的に開発されたもの」との表題のもと、「主目的」が「耐食性」の欄に「浸透させる元素」としてクロム及びバナジウムが、同様に、「表面硬化(耐摩耗性)」の欄にクロム及びバナジウムが、「耐熱性」の欄にクロムが、それぞれ、他の元素とともに挙げられている。
上記のように、クロムやバナジウムの浸透拡散処理は、金属表面処理の技術として、本願出願前、既に当業者に周知であった技術である。このことに照らしても、前説示のとおり、刊行物1及び刊行物3に接した当業者であれば、刊行物1の発明において浸透拡散処理を採用することは、容易に想到し得たことであったというほかはない。

(6)むすび

以上検討したとおり、本件補正は、平成15年法律第47号による改正前の特許法第17条の2第3項の規定に違反する補正であり、また、たとい、同項の規定に違反する補正でないと仮定したとしても、平成15年法律第47号による改正前の特許法第17条の2第5項において準用する同法第126条第4項の規定に違反するものであるから、結局、同法第159条第1項で読み替えて準用する同法第53条第1項の規定により却下されるべきものである。

3.本願発明について

本件補正は上記のとおり却下されたので、本願の請求項1に係る発明(以下、「本願発明」という。)は、平成16年12月10日付け手続補正書の特許請求の範囲の請求項1に記載された事項により特定される、以下のとおりのものである。
「チェーン用ピンの母材となる鋼の表面に、クロム浸透拡散処理を行った後、クロムおよびバナジウム浸透拡散処理を行うことにより、チェーン用ピンの母材となる鋼の最表部に、バナジウム炭化物を主成分としかつ少量のクロム炭化物を含む炭化物層が形成されるとともに、前記炭化物層と前記母材との間の境界領域において、バナジウム炭化物の含有率が急激に減少しかつクロム炭化物の含有率が急激に増加している境界層が形成されている、
ことを特徴とするチェーン用ピン。」

(1)刊行物に記載の事項及び発明

原査定の拒絶の理由に引用された刊行物1ないし3に記載された事項及び刊行物1に記載された発明は、前記2.の(3)に記載したとおりである。

(2)対比・判断

本願発明は、前記2.で検討した本願補正発明から、「炭化物層」の限定事項である、「母材表面からの厚みが20μm以内の範囲内に」「含有量が少なくとも10%の」少量のクロム炭化物を含むという構成を省いたものである。
そうすると、本願発明の構成要件をすべて含み、さらに他の構成要件を付加したものに相当する本願補正発明が、前記2.に記載したとおり、刊行物1ないし刊行物3に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本願発明も同様の理由により、刊行物1ないし刊行物3に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである。

(3)むすび

以上のとおり、本願発明(本願の請求項1に係る発明)は、刊行物1ないし刊行物3に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
そして、本願の請求項1に係る発明が特許を受けることができないものである以上、本願の他の請求項に係る発明について検討するまでもなく、本願は拒絶すべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2007-05-23 
結審通知日 2007-05-28 
審決日 2007-06-08 
出願番号 特願2000-397930(P2000-397930)
審決分類 P 1 8・ 561- Z (F16G)
P 1 8・ 121- Z (F16G)
P 1 8・ 575- Z (F16G)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 ▲高▼辻 将人  
特許庁審判長 村本 佳史
特許庁審判官 大町 真義
礒部 賢
発明の名称 チェーン用ピンおよびその製造方法  
代理人 高崎 健一  
代理人 高崎 健一  

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