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審決分類 審判 全部無効 5項1、2号及び6項 請求の範囲の記載不備  H04B
審判 全部無効 2項進歩性  H04B
管理番号 1195217
審判番号 無効2007-800219  
総通号数 113 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2009-05-29 
種別 無効の審決 
審判請求日 2007-10-10 
確定日 2009-04-09 
事件の表示 上記当事者間の特許第2951710号発明「多重放送受信機」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。 
理由 1.手続の経緯
本件特許第2951710号に係る発明についての出願は、平成2年9月27日に特許出願され、平成11年7月9日にその発明について特許権の設定登録(請求項の数は1)がなされたものである。
これに対して、平成19年10月10日に、請求人鈴木秀雄より、本件特許の請求項1に係る発明についての特許を無効とする、との審決を求める本件審判の請求がなされ、平成19年12月28日付けで被請求人(特許権者)クラリオン株式会社より、本件審判請求は成り立たない、との審決を求める答弁書が提出され、平成20年2月19日に口頭審理が実施されたものである。

2.本件特許発明
本件特許の請求項1に係る発明(以下「本件特許発明」という。)は、本件特許明細書(甲第1号証、特許第2951710号公報)の記載からみて、その特許請求の範囲の請求項1に記載された、次のとおりのものである。(なお、記号「A」?「F」は、分説のため当審において付与したものである。以下、記号「A」?「F」が付与された各項に記載された構成要件の各々をそれぞれ「構成要件A」?「構成要件F」という。)

「A 交通情報信号と、該交通情報信号がどの場所の情報であるかを示す交通情報位置データが多重化された多重放送を受信可能な多重放送受信機であり、
B 前記多重放送受信機の現在位置を検出し、現在位置情報を出力する位置検出手段と、
C 前記交通情報信号を音声信号に変換し交通情報音声信号を得る信号変換手段と、
D 前記交通情報位置データ及び現在位置情報に基づき、交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段と、
E 前記演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である前記交通情報位置に対応する交通情報音声信号を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段と、
F を備えたことを特徴とする多重放送受信機。」

3.請求人の主張
請求人の主張に係る本件特許発明の無効理由は、以下の2点である。
本件特許発明の記載は、特許法第36条第4項第1号に適合しないものであるから、本件特許は特許法第123条第1項第3号の規定により無効とされるべきである。(無効理由1)

本件特許発明の記載は、本件特許の出願中である平成11年4月1日付で提出された手続補正書により補正されたもの(甲第3号証の7、以下「本件補正」という。)であるところ、本件補正は、特許法第40条に規定する要旨を変更するものであり、かつ、特許法第41条に規定する補正には該当しないものである。
したがって本件特許は、特許法第40条の規定により、上記手続補正書の提出の日に出願されたとみなされ、本件特許発明は、平成11年4月1日前に日本において頒布された刊行物(甲第4号証、特開平8-339490号公報)に記載された発明に基いて当業者者が容易に発明をすることができたものであるから、本件特許は、特許法第123条第1項第1号の規定により、無効とされるべきものである。(無効理由2)

請求人が主張する上記無効理由1及び2の詳細は、下記(i)(ii)のとおりである。

(i)明細書の特許請求の範囲の記載要件違反による無効性(無効理由1)について
発明の詳細な説明の記載によれば、本件特許発明の目的、作用及び効果は、次のとおりである。
・「【発明の目的】
本発明の目的はFM多重放送受信機にナビゲーション装置を組み合わせ、現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせることを可能とすることにある。」(甲第1号証2頁左欄第21?24行)
・「【作用】
上述した構成によれば、ナビゲーション装置等の位置検出手段からの現在位置情報に応じて、現在位置周辺の交通情報を知ることができる。」(甲第1号証2頁左欄第39?42行)
・「【発明の効果】
以上説明したように本発明によれば、たえず現在位置周辺の種々の交通情報のみを自動的に選択してスピーカから出力することができ、大変便利であると共に現在位置周辺の交通情報と関係のないものはスピーカから出力されないので、煩わしさがない。」(甲第1号証2頁右欄第35?40行)

また、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載においては、発明の構成についての具体的説明又は実施態様の説明についての記載(すなわち、特許請求の範囲に記載された発明の構成の裏付けとなるべき記載)は、「実施例」の記載のみである。
しかし、以下に述べるとおり、上記「実施例」には、本件特許発明の構成のうち、少なくとも、「前記交通情報信号を音声信号に変換し交通情報音声信号を得る信号変換手段」(構成要件C)を裏付ける説明ならびに、「前記交通情報位置データ及び現在位置情報に基づき、交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」(構成要件D)の事項を裏付ける説明は、全く記載されていない。

ア 構成要件Cについての説明記載の欠如
本件特許発明の構成要件Cは、本件特許発明に係る受信機が、受信した「前記交通情報信号」を「音声信号に変換」する「信号変換手段」を備えるべきことを定めた要件であるから、当該「前記交通情報信号」は文言上当然に、「音声信号」以外の信号送信方式(例えば、文字列による信号)のものを意味し、そのような信号を「音声信号に変換」する手段を有すべきことを定めていることが、明らかである。
しかし、発明の詳細な説明には、送信側からデジタル音声信号で送られてくる交通情報信号をアナログ音声信号に変換する手段は記載されているが、音声信号以外の信号方式で送られてくる信号を「音声信号に変換する手段」については、全く記載も示唆もされていない。
発明の詳細な説明によれば、受信機が受信する交通情報信号は、送信側において、マイクロホン1によって吹き込まれたアナログ音声信号をA/D変換器2によってデジタル音声信号に変換し、かつ位置情報と多重化変調して放射されたデジタル音声信号であり、受信側においては、受信した上記多重信号の中から音声信号を抽出し、これを単にD/A変換器11によって再びアナログ信号に変換し(すなわち「復調」し、)スイッチ12の開閉に応じてスピーカ15に供給しているにすぎない。すなわち、音声信号以外の信号方式(例えば文字列信号)による交通情報信号を音声信号に変換してスピーカに供給することについては、記載も示唆もされていない。
したがって、前記のとおり、音声信号以外の交通情報信号を音声信号に変換する手段を有すべきことを定めた構成要件Cは、発明の詳細な説明の記載による裏付けを伴わない記載事項である。

イ 構成要件D及びEについての説明記載の欠如
本件特許発明の構成要件Dは、送信側から前記交通情報信号と共に多重化されて送られてくる「交通情報の位置データ」と、受信側の現在位置を検出する「(現在)位置検出手段」とに基づいて「交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」を備えるべきことを定めた要件である。
しかし、次に述べるとおり、発明の詳細な説明には、上記二つの位置の間の「距離」を演算することについては、全く記載も示唆もされていない。

発明の詳細な説明によれば、受信側において「地磁気センサー等を用い」た自動車の現在位置信号32と、「FM多重信号復調器10から出力された位置情報31」とを、「差分演算器13」で比較してその差を計算することになるが、二つの信号の「差」を計算するという以上、両信号は同質の信号でなければならず、例示されている「地磁気センサー等」から出力される位置信号は当然に緯度、経度の二次元方向に基づく位置を示す信号(すなわち「X、Yの両軸方向による信号」)であるから、それと比較される「交通位置情報31」も、特段の説明がない限り、当然にX、Y両方向の二次元位置を示す信号であると解する外はない。
したがって、両者の「差分」は当然にX、Y二方向におけるそれぞれの差を示すことになる。すなわち、自動車の現在位置が「Xa、Ya」であり、交通情報の位置が「Xb、Yb」であれば、その差を計算するということは、「△X(すなわちXb-Xa)」と「△Y(すなわちYb-Ya)」の二つの数値を計算することに他ならない。また、「差分演算器」がそれ以外の計算を行う装置であることは、本件特許明細書には全く記載も示唆もされていない。

一方、構成要件Dに記載されている「交通情報位置と現在位置との間の距離」は、「距離」の一般的語義に従えば、二つの地点間の長さを意味することになるが、かりに本件特許発明において、その「地点間の長さ」が、通常「距離」なる概念によって意味される長さ、すなわち、上記二つの位置の間を結ぶ「直線距離」、或いは二つの位置の間を結ぶ「道路の長さを示す距離」を意味するのであれば、本件特許発明の「距離」なる事項は、発明の詳細な説明において全く裏付けられていない事項である。すなわち、発明の詳細な説明には、前記のとおり、二つの地点間の二次元方向における「差分」(△X、△Y)を計算することのみが記載されていて、「距離」なる概念は全く用いられていないばかりでなく、「差分演算器」なるものが、上記のような「距離」を計算する装置であることは、全く記載も示唆も示されていない。
したがって、構成要件Dの「交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」は、発明の詳細な説明に裏付けを伴わない記載事項である。

なお、上記のとおり、発明の詳細な説明に裏付けを伴わない構成要件Dを前提とする、本件特許発明の構成要件「前記演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である前記交通情報位置に対応する交通情報音声信号を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段」(以下「構成要件E」という。)も、発明の詳細な説明に裏付けを伴わない記載事項である。
また、二つの位置が、それぞれ二次元方向の二つの位置信号「Xa、Ya」及び「Xb、Yb」で示されるとき、二次元方向それぞれの「差」が、いずれも「所定値」を超えないときにのみ音声信号をスピーカに供給するようにしておけば、現在地から「一定範囲内」の地点の交通情報がもたらされたときにのみ音声信号を聴取しうるようにすること(すなわち、本件特許発明の目的、効果の達成)はその限りにおいて可能である。したがって、発明の詳細な説明に記載されている発明は、その限りの技術的思想に基づく発明を意図していたものと解せざるをえないのであるから、特許請求の範囲はそのような技術思想とは異質の構成を記載したものであると、云わざるをえない。

以上のとおり、本件特許の特許請求の範囲の記載において、構成要件C、D及びEの記載は、いずれも発明の詳細な説明に記載されていない事項である。
したがって、本件特許の請求の範囲の記載は、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たしていないものに該当するから、本件特許は、特許法第123条第1項第3号の規定により、無効とされるべきである。

(ii)要旨変更補正による繰下出願日を基準とする進歩性欠如による無効性(無効理由2)について
請求人は、審判請求書第11頁の項目「(5)-1」において、本件補正の不適法性を主張するとともに、審判請求書第11?14頁の項目「(5)-2」において、本件特許の願書に最初に添付された明細書(甲第3号証の2、以下「出願当初明細書」という。)の「特許請求の範囲」、「発明の概要」及び「実施例」を参照して、出願当初明細書に記載された発明(以下「出願当初の発明」という。)を定義している。
そして、審判請求書第15?17頁の項目「(5)-3」において、出願当初の発明と補正後の発明(本件特許発明)の対比を行い、下記ア、イの理由で、本件補正は、特許法第41条に規定する補正に該当しないものであり、特許法第40条に規定する「願書又は明細書の要旨を変更する補正」に該当すると主張し、
その結果、本件特許発明を要旨とする本件特許は、特許法第40条の規定により、本件補正を行った手続補正書を提出した日に出願されたものとみなされ、本件特許発明は、上記平成11年4月1日前に日本において頒布された刊行物(甲第4号証)の記載に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件特許は、特許法第123条第1項第1号の規定により、無効とされるべきものである、と主張している。

上記無効理由2に関する詳細は、下記ア?ウのとおりである。

ア 構成要件C及びEが出願当初明細書に記載されていない点
出願当初の発明においてはスピーカに供給される音声信号が、受信した多重信号中に含まれる「音声による交通情報信号」を「復調」したものであるのに対し、本件特許発明においてスピーカに供給される信号は、「(音声以外の方式による)交通情報信号を音声信号に変換」したものである点(構成要件C及びEの構成の点)において、両者は相違している。
そこで、出願当初明細書に、本件特許発明におけるような、音声以外の「交通情報信号を音声信号に変換する」ことが記載されているか否かを考察すると、次に述べるとおり、そのような事項は記載されていないことが明らかである。

すなわち、上記(i)アにおいても述べたとおり、FM放送による交通情報提供においては、音声による情報伝達の外に、例えば文字列信号によって交通情報を送信することも行われている。本件特許の出願当初明細書の発明の詳細な説明においては、受信した多重信号を「FM多重信号復調器」によって「復調」し、当該復調信号を「交通情報信号30」(デジタル音声信号による信号)と「位置情報信号31」とに分離して前者を抽出し、そのデジタル音声信号をD/A変換器11によりアナログ信号に変換してスピーカに送る態様のみが記載されており、音声信号以外の信号を「音声信号に変換する」操作については、全く記載も示唆もなされていない。すなわち、出願当初明細書に記載されているのは、まさに音声信号を単に「復調」して得られた信号をスピーカに供給する態様のみである。
これに対し、本件特許発明の構成要件Cにおいては、「前記交通情報信号を音声信号に変換し交通情報音声信号を得る信号変換手段」として、音声信号以外の態様からなる交通情報信号を音声信号に変換すべきことが必須の事項とされ、また、構成要件Eにおいては、そのような変換信号を選択的にスピーカに供給すべきことが発明の構成の必須事項とされている。これらの事項、すなわち、本件特許発明の構成要件C及びEに記載されている事項が、出願当初明細書に記載されていない事項であることは、明らかである。

イ 構成要件Dが出願当初明細書に記載されていない点
出願当初の発明が、「差分演算手段」すなわち復調信号に含まれる交通情報位置信号と、ナビゲーション装置より得られる現在位置信号との差を演算する「差分演算手段」を有すべきものであるのに対し、本件特許発明は「交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」を有すべきものである点(構成要件Dの構成の点)においても、大きく相違している。
そこで、補正後の発明の構成要件Dにおける如き手段が、出願当初明細書に記載されているか否かを考察すると、次に述べるとおり、出願当初明細書にそのような事項は記載されていないことが明らかである。
すなわち、上記(i)イにおいても述べたとおり、本件特許の明細書(ならびに出願当初明細書)の発明の詳細な説明に記載されている「差分演算器」なるものは、いずれもX、Yの二次元方向によって特定される二つの位置の信号(「現在位置信号」と「交通情報位置信号」)、すなわち「Xa、Ya」によって特定される信号と「Xb、Yb」によって特定される信号との「差」を演算するものと解する外はないから、その「差分の演算」は、X方向における差△X(Xb-Xa)、Y方向における差△Y(Yb-Ya)のそれぞれを演算するのみである。出願当初明細書には、それ以外の演算を行うべきことについては、全く記載も示唆もされていない。

一方、一般に二つの地点間の距離は、二つの地点を結ぶ「直線距離」の外、二つの地点間を走行すべき道路の長さ(いわゆる「道なり距離」)を意味する場合も多く、車両のナビゲーション技術の分野においても同様である。したがって、二つの地点間の「距離の演算」なるものを特許請求の範囲に記載するのであれば、少なくとも発明の詳細な説明又は図面において、その「距離」が如何なる「距離」を意味するものであるかが分かるような記載が存在すべきものである。
しかし、出願当初明細書には、そのような説明は全く記載されていないのみならず、そもそも「距離」なる文言自体、発明の詳細な説明の何処にも記載されていないのである。したがって、本件特許発明における「交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する手段」なるものは、出願当初明細書には全く記載されていない事項であることが明らかである。

なお、上記(i)イにおいても述べたとおり、二つの地点の位置が、それぞれ二次元方向の二つの位置信号「Xa、Ya」及び「Xb、Yb」で示されるとき、二次元方向それぞれの「差」が、いずれも「所定値」を超えないときにのみ音声信号をスピーカに供給するようにしておけば、現在地から「一定範囲内」の地点の交通情報がもたらされたときにのみ音声信号を聴取しうるようにすることは可能である。したがって、発明の詳細な説明の記載から見る限り、出願当初の本件発明は、その限りでの発明を意図していたものと思料され、したがって、「差分演算手段」を用いることとした出願当初の特許請求の範囲の記載は、まさに、発明の詳細な説明に記載された発明の要旨に即していたものであると、云わざるをえない。
このように、本件特許発明の構成要件Dは、出願当初明細書には記載も示唆もされていない事項を発明の構成事項としたものであるから、本件補正は、この点においても、特許法第41条に規定する「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を……変更する補正」に該当しないものであることが明らかである。

ウ 先行発明が存在する事実及び証拠の説明
本件特許発明と甲第4号証記載の発明とは、前者が上位概念的構成からなるものであるにのに対して後者が下位概念的構成からなるものである点において相違するのみであって、両者の間に実質的な相違点はなく、したがって、本件特許発明は、少なくとも、甲第4号証に記載された発明に基づいて、本件特許の繰下出願日である平成11年4月1日当時における当業者が容易に発明をすることができた発明であることが、明らかである。

以上のとおり、本件補正は明細書の要旨を変更するものであるから、本件特許は、特許法第40条の規定により本件補正の手続補正書提出の日である平成11年4月1日に出願されたものとみなされるべきものであるところ、その本件特許発明は、上記繰下出願日以前である平成8年12月24日に頒布された刊行物である甲第4号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができるものに該当し、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許は、特許法第123条第1項第1号の規定により無効とされるべきものである。

4.被請求人の主張
請求人の主張する無効理由1、2は、いずれも理由のないものであるから、本件審判請求は成り立たない、との審決を求める。

(i)無効理由1について
ア 構成要件Cについての説明記載
(あ)構成要件Cの「交通情報」と「交通情報音声信号」は、上記3.(i)アに記載された請求人の主張通り、「交通情報信号」を「交通情報音声信号」に変換するものであるから、「交通情報信号」と「交通情報音声信号」とが異なるものであることは明らかである。

しかし、請求人が上記3.(i)アで主張する『受信機が受信する交通情報信号は、送信側において、マイクロホン1によって吹き込まれたアナログ音声信号をA/D変換器2によってデジタル音声信号に変換し、かつ位置情報と多重化変調して放射されたデジタル音声信号であり、』の点は、あくまでも実施例の記載のみに基づいた主張であり、本件特許発明において交通情報信号が音声信号であるとの限定的な記載は、明細書中に一切存在しない。

それよりは、本願当初明細書の[従来の技術]の欄、乙第1号証:特開昭58-130637号公報及び乙第2号証:特開平2-28800号公報の記載からも明らかなように、本件特許発明の出願当時、ナビゲーションシステムにおいて交通情報を音声以外の形態で出力することも周知のことであるから、単に「交通情報」と記載されている場合に、この「交通情報」を音声情報に限定して解釈することは当業者にとってむしろ不自然なことであり、種々の情報形態を含む上位の概念として捉えることが当業者の技術常識である。
従って、構成要件Cにおいて、受信された情報を「交通情報信号」と定義し、一方、スピーカから出力される情報を「交通情報音声信号」と定義することは、FM受信機で受信された信号を意味する上位の概念である「交通情報信号」と、本件特許発明において出力されるのは音声信号であることを限定した「交通情報音声信号」とを明確に区別する適切な表現である。
このように、本件特許発明における「交通情報信号」との記載は、出願当初明細書に記載された複数の形態の「交通情報」を包含する上位の概念を示すものであり、また、「交通情報音声信号」との表現は、出願当初明細書において「交通情報がスピーカから音声出力される」との記載を根拠とする限定された下位の概念を示すものであり、いずれの表現も、出願当初より一貫して記載している「交通情報」との記載に基づくものである。

(い)請求人が主張する「音声信号以外の信号方式」については、確かに、出願当初明細書の実施例に、多重放送によりデジタル音声信号を受信する技術が開示されている。
しかし、前記のように、出願当初明細書の[発明の概要]、[従来の技術]、[発明の目的]、[発明の効果]の欄には、交通情報信号に音声以外の信号もあることが記載されているので、「交通情報音声信号」と明記されているもの以外は、「交通情報」が音声信号に限定されるものではない。よって、上位概念である「交通情報信号」と下位概念である「交通情報音声信号」とは明確に区別されるべきであり、請求人が主張するような多重放送によって送られてくる信号が「音声信号」であると限定的に解釈する根拠は何ら存在しない。
この点について、本件特許発明の目的は「現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせる」ものであり、また、本件特許発明の効果も、「たえず現在位置周辺の種々の交通情報のみを自動的に選択してスピーカから出力する」ものであるから、出力としての交通情報が音声であることは間違いないので、請求人は、受信した信号もデジタル音声信号であると理解して、本件特許の技術的内容を実施例そのものに限定して曲解したものである。
前記(あ)のように、本件特許における「交通情報信号」と「交通情報音声信号」とは、上位概念と下位概念との関係にあり、交通情報に音声以外のものが含まれていることが、本件特許の明細書に開示されているのであるから、音声以外の交通情報信号を受信することが、構成要件Cに包含されていたとしても、構成要件Cが明細書の記載に基づくものではないと主張することはできない。

(う)出願当初明細書に「信号変換手段」という用語そのものは記載されていないが、「変換」という用語を使用しても、出願当初明細書の記載と同一性の問題はなく、発明の要旨を変更することには当たらない。また、本件特許の出願時の技術水準として、「交通情報信号」から「交通情報音声信号」を得る手法は、出願当初明細書の実施例に具体的に記載されたFM受信機8やFM多重信号復調器10に限らず、種々の手段を採用することが当業者であれば適宜選択できる事項である。
よって、本件特許発明における構成要件Cの「信号変換手段」は、出願当初明細書に記載がなくても、これに接した当業者であれば、出願時の技術常識に照らして、その意味であることが明らかであって、その事項がそこに記載されているのと同然であると理解する事項に相当する。

イ 構成要件D及びEについての説明記載
(あ)本件特許発明の構成要件Dは
『前記交通情報位置データ及び現在位置情報に基づき、交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段と、』
というものである。
「距離」という概念の一般的語義は、「へだたり、間」(乙第3号証の広辞苑第5版)、「二つの物・場所などの空間的な離れ方の大きさ。へだたり。」(乙第4号証の大辞林第二版)であるから、「交通情報位置と現在位置との間の距離」とは、「交通情報位置と現在位置の間のへだたりや離れ方の大きさ」とすることができる。
一方、出願当初明細書の[実施例]において「FM多重信号復調器10から出力された位置情報31とナビゲーション装置32からの現在位置信号32とは差分演算器13に与えられ、その差信号を演算する。」と記載されるように、本件特許では、位置情報31と現在位置信号32の2つの位置情報を比較している。
この点について、請求人も上記3.(i)イにおいて認めた「交通情報位置信号31」と「現在位置信号32」の両信号がともに二次元位置を示す信号であることを用いた場合、その差分とは、出願人の主張するようなΔX、ΔYの単体を示すものではなく、例えば、ΔX、ΔYによって計算される二次元的な空間の差分であることが当然であり、(ΔX^(2)+ΔY^(2))^1/2で示されることは当業者にとって自明な事項である。
前記のように、請求人自身も出願当初明細書から二次元的な情報を比較した差分を演算することまで理解している通り、差分演算器13によって演算されるものが二次元的な空間のへだたりであり、しかも、(ΔX^(2)+ΔY^(2))^1/2で示されることは当業者にとって自明な事項であることからすると、この差分演算器13が行っている演算は、発明の目的、作用、及び、発明の効果から考えて、まさに距離そのものを演算しているに他ならない。
要するに、本件特許発明の構成要件Dは、登録公報第2頁右欄26行?同頁同欄31行にあるように、『現在位置信号32とは差分演算器13に与えられ、その差信号を演算する。この差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して、…』とあるように、交通情報位置が現在位置に接近したかどうかを判断出来れば良いものであるから、出願当初明細書の[実施例]には構成要件D「前記交通情報位置データ及び現在位置情報に基づき、交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」の二点間の距離を演算する手段を示すことが記載されているとすることができる。

(い)請求人による、審判請求書第10頁第1?5行に『すなわち、発明の詳細な説明には、前記のとおり、二つの地点間の二次元方向における「差分」(△X、△Y)を計算することのみが記載されていて、「距離」なる概念は全く用いられていないばかりでなく、「差分演算器」なるものが、上記のような「距離」を計算する装置であることは、全く記載も示唆も示されていないからである。』の記載は、『「差分」と「距離」とは異なる、「差分演算器」は「距離を演算する装置」ではない』というだけのものに過ぎない。
この点については、前記(あ)に述べたように、本件特許のようなナビゲーションに関する技術においては、「差分」と「距離」、「差分演算器」と「距離を演算する装置」はそれぞれ実質的に同一のものであり、「距離」及び「距離を演算する装置」のいずれについても、出願当初明細書に記載されていたと判断できるから、請求人の「本件特許の特許請求の範囲における「距離」なる事項は、発明の詳細な説明において全く裏付けられていない事項であることは明らかである。」との主張には、根拠がない。

特に重要な点は、本件特許の出願した際の技術思想は、「車両に接近した位置の交通情報のみを選択して音声出力し、車両の走行に不要な遠方の交通情報は出力しない」点に有り、接近の程度やその態様を「距離」や「差分」などのような異なる用語で表現したとしても、本件特許の実質的な技術思想の内容が変わる訳ではない。従って、技術思想としての発明に着目することなく、単なる語句の意味のみを取り上げて「距離」なる表現が出願当初明細書に基づくものではないとする請求人の主張は技術思想認定の手法を誤ったものである。このように、本発明において、補正後の「距離」との表現は補正前の「差分」との記載と同様に出願当初明細書において裏付けられたものである。

(う)請求人は、前記(あ)(い)で主張した「距離」に関する議論を援用して、構成要件Eも発明の詳細な説明に裏付けられていない事項であると主張する。
しかし、この「距離」に関する点については、前記(あ)(い)のとおり構成要件Dに関する項で説明したように、請求人の主張には理由がないものであるから、構成要件Eが発明の詳細な説明に裏付けられていない事項であるとの請求人の主張にも根拠がないものである。
以上より構成要件Eについて、特許請求項の範囲の記載は、特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであるので、特許法36条第4項第1号違反とはならない。

(ii)無効理由2について
本件特許発明は、次に述べるとおり、出願当初明細書に記載されたものであるから、出願日の繰り下げはなくなり、その結果、本件特許発明よりも後願の甲第4号証を証拠とした無効理由は存在しない。

ア 構成要件C及びEが出願当初明細書に記載したものである点
構成要件C及びEについて、上記4.(i)アで述べたように、「交通情報信号」は上位の概念であり、「交通情報音声信号」は下位の概念であり、両者は明確に異なるものであるから、「交通情報信号を交通情報音声信号に変換する」という用語は適切なものであり、また、出願当初明細書の記載に裏付けられたものである。
よって、本件特許発明の記載は、本件特許の出願中である本件補正であるところ、本件補正は、特許法第40条に規定する要旨を変更するものであり、かつ、特許法第41条に規定する補正には該当しないものという、請求人の主張は失当である。

イ 構成要件Dが出願当初明細書に記載したものである点
構成要件Dについて、上記4.(i)ア(あ)(い)で述べた通り、出願当初明細書に記載された「差分演算手段」と「距離を演算する手段」とは、実質的に同一であるから、本件補正は、出願当初の明細書に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を変更する補正に該当し、明細書の要旨を変更するものではないことは明らかである。
以上の理由により、本件特許発明の記載は、本件特許の出願中である本件補正であるところ、本件補正は、特許法第40条に規定する要旨を変更するものであり、かつ、特許法第41条に規定する補正には該当しないものという、請求人の主張も成立しない。

ウ 特開平8-339490号公報(甲第4号証)との比較
請求人は、無効理由2における本件特許発明は「要旨変更補正による繰り下げ出願日を基準とする進歩性欠如」の根拠として、甲第4号証(特開平8-339490号公報)を提示している。
甲第4号証は、平成8年(1996年)12月24日に領布されたものであって、「交通情報出力装置」に関する発明が記載されている。しかし、本件補正により、補正後の請求項1に記載されている事項は、いずれも出願当初明細書に記載されている事項であるから、出願日の繰下げはおこらず、本件特許の出願日は、平成2年(1990年)9月27日となるので、平成8年(1996年)12月24日に領布された、甲第4号証の記載内容により、本件発明の進歩性は否定されることはない。

5.当審の判断
(1)まず、上記請求人の主張(i)無効理由1について検討する。
本件特許明細書(甲第1号証(特許第2951710号公報))の発明の詳細な説明(以下「本件の発明の詳細な説明」という。)には、構成要件C?Eに関して次のように記載されている。

ア 「[発明の概要]
送信側ではFM多重信号に交通情報と、この交通情報がどの場所の情報であるかを示す位置情報と、を乗せて送信し、受信側ではこれを復調したものと、ナビゲーション装置の現在位置の検出装置を利用し、現在位置周辺の交通情報を音声で聞き取ることができる装置である。」(甲第1号証、第1頁右欄第6?11行)

イ 「[従来の技術]
ナビゲーション装置の陰極線管(CRT)に渋滞などの交通情報を重ね表示する装置は、既に考案されている(例えば、特開昭62-95423号参照)。」(甲第1号証、第1頁右欄第12?15行)

ウ 「[発明の目的]
本発明の目的はFM多重放送受信機に…現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせることを可能とすることにある。」(審決注:「…」は途中を省略したことを意味している。以下同様。)(甲第1号証、第2頁左欄第21?24行)

エ 「[実施例]
以下図面に示す実施例を参照して本発明を説明する。第1図は本発明によるFM多重受信機の一実施例を示す。…
送信側aでは、…音声による交通情報23をA/D変換器2でA/D変換し、これと同期して現在放送している交通情報の位置を示す情報24をFM多重信号変調器3に出力する。交通情報と位置情報は、FM多重信号変調器3により時分割多重,変調され、FM多重信号25となる。…
受信側bでは…入力した信号27に対して、FM受信機8を用いて同調,復調し、ベースバンド信号28を得る。…FM多重信号復調器10は入力されたベースバンド信号28を復調し、復調されたデータ列の中から交通情報30と位置情報31を抽出する。…
FM多重信号復調器10から出力された位置情報31とナビゲーション装置32からの現在位置信号32とは差分演算器13に与えられ、その差信号を演算する。この差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して、スイッチ制御信号33でスイッチ12をオンにする。
スイッチ12がオンされると、D/A変換器11によりD/A変換された交通情報30がスイッチ12を介してスピーカ15から出力され、現在位置周辺の交通情報を知らせる。」(甲第1号証、第2頁左欄第43行?同頁右欄第34行)

オ 「[発明の効果]
以上説明したように本発明によれば、たえず現在位置周辺の種々の交通情報のみを自動的に選択してスピーカから出力することができ」 (甲第1号証、第2頁右欄第35?38行)

(1-1)構成要件Cについて
一般に、放送波に多重化された交通情報を受信する多重放送受信機の分野において、特開昭62-111536号公報(被請求人提出の口頭審理陳述要領書の参考資料1)の第1頁左下欄第5行?第2頁左上欄第4行に「受信した無線交通情報を復号して再生装置に供給する無線交通情報復号装置において、無線交通情報復号装置(20)は交通情報を示すデジタル信号を処理するように構成され、…前記デジタル信号は、文字文信号(ASCII)であり、前記無線交通情報復号装置(20)は受信交通情報を…音響的に再生する文字文処理装置(62)を有する…無線交通情報復号装置。」 及び、
特開昭62-180625号公報(被請求人提出の口頭審理陳述要領書の参考資料2)の第1頁右下欄第3行?第2頁左上欄第11行に「放送波を受信して該放送波に含まれる情報を再生する放送受信装置において、該装置は、前記放送波を受信して復調する受信手段と、該受信手段の出力を可聴信号または可視信号として再生する出力手段とを含み、…前記放送波に含まれる情報は、ディジタルデータの形をとった道路交通情報データを含むこと…前記再生手段は、前記ディジタルデータを音声合成して可聴音声として出力する音声出力手段を含むことを特徴とする放送受信装置。」
と記載されているように、交通情報を伝送する信号としてASCIIコード等の文字列を表す信号、つまり音声以外の信号を用いること、そしてその音声以外の信号を音声信号に変換することにより、交通情報を可聴音声として利用者に伝達することは、本件出願前において周知である。

「交通情報信号」として、音声以外の信号を用いること、及び 、音声以外の信号を音声信号に変換することが共に周知であることは、平成20年2月19日に実施された口頭審理において、請求人及び被請求人の双方に確認し了承された事項であり、当事者間に争いのない事項である。(第1回口頭審理調書を参照)

そして、上記エの一実施例には、上記ウの発明の目的として記載された「現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせる」ための構成であり、課題を解決するための手段として
送信側aで音声による交通情報23がA/D変換されて、交通情報23とその位置を示す位置情報24は、FM多重信号変調器3により時分割多重,変調されてFM多重信号25を生成し、受信側bで信号27から同調,復調されたベースバンド信号28をFM多重信号復調器10で復調し、復調されたデータ列の中から交通情報30を抽出し、D/A変換された交通情報がスピーカ15から出力されて、現在位置周辺の交通情報を知らせる手段が記載されている。
すなわち、受信側で受信された信号からベースバンド信号を得て、さらにベースバンド信号からデータ列を復調し、復調されたデータ列の中から音声による交通情報を抽出して、抽出された音声による交通情報が音声にD/A変換される手段が、本件の発明の詳細な説明には記載されている。

さらに、上記エの一実施例では音声をA/D変換してデジタル音声信号に変換しているが、これは、位置情報と共に交通情報をデジタル信号として通常の放送波に多重化するための変換であり、音声以外の信号であってもデジタル化した信号はこのデジタル音声信号と同じデジタル信号であるので、交通情報を音声以外の信号を用いて放送波に多重化して伝送可能であることは当業者にとって自明である。
上記のように交通情報として、音声以外の信号を用いること及び音声以外の信号を音声信号に変換することが周知である点、さらに本件特許明細書の発明の詳細な説明に音声以外の信号を用いることを妨げる記載が存在しないことを考慮すると、本件の発明の詳細な説明に記載された「受信側で受信された信号からベースバンド信号を得て、さらにベースバンド信号からデータ列を復調し、復調されたデータ列の中から音声による交通情報を抽出して、抽出された音声による交通情報が音声にD/A変換される手段」は、本件特許発明の構成要件Cである「交通情報信号を音声信号に変換し交通情報音声信号を得る信号変換手段」に対応したものである。
したがって、本件特許発明の構成要件Cは本件の発明の詳細な説明に記載された事項である。

(1-2)構成要件Dについて
まず、構成要件Dの「交通情報位置データ」は、本件特許発明の構成要件Aとして「交通情報信号がどの場所の情報であるかを示す交通情報位置データ」と記載されているから、上記エのFM多重信号復調器10から出力された「位置情報31」に対応する。
また、構成要件Dの「現在位置情報」は、本件特許発明の構成要件Bとして「多重放送受信機の現在位置を検出し、現在位置情報を出力する」と記載されているから、上記エのナビゲーション装置から出力された「現在位置信号32」に対応する。

ここで、上記ウの発明の目的に「現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせる」ものと記載されているから、上記エにある差分演算器13で位置情報31と現在位置信号32から演算される差信号は、当然現在位置周辺を検出するためのものである。
すなわち、本件の発明の詳細な説明には、上記エに「差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して」とあるように、演算された差信号が差分判定器17で所定値と比較されその所定値よりも小さい場合に、現在位置周辺を検出するものが記載されている。

また、一般に、現在位置周辺を検出するとは、現在位置の周辺にあるエリアの範囲内を検出するものであるから、上記エに記載の、演算された差信号が差分判定器17で所定値と比較されその所定値よりも小さい場合に、現在位置周辺であると検出するものは、差分判定器17で比較される差信号が、所定値である現在位置周辺距離の最大値(エリア)より小さい場合(エリアの範囲内)を検出するものである。
つまり、差分演算器で位置情報と現在位置信号に基づいて演算される差信号は、現在位置と交通情報位置との間の距離に相当する。

よって、本件特許発明における構成要件Dの「交通情報位置データ及び現在位置情報に基づき、交通情報位置と現在位置との間の距離を演算する演算手段」は、本件の発明の詳細な説明に記載された事項である。

(1-3)構成要件Eについて
上記エに「この差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して、スイッチ制御信号33でスイッチ12をオンにする。スイッチ12がオンされると、…交通情報30がスイッチ12を介してスピーカ15から出力され、現在位置周辺の交通情報を知らせる。」と記載されており、また、上記オの発明の効果には、「本発明によれば、たえず現在位置周辺の種々の交通情報のみを自動的に選択してスピーカから出力することができ」ると記載されている。
これは、差分演算器13の出力であって、上記「(1-2)構成要件Dについて」で述べた距離を演算した差信号に基づいて、差分判定器17で現在位置からの距離が所定値以下である交通情報の位置に対応した交通情報30をスイッチ12を介して選択的にスピーカ15に供給している。
つまり、本件の発明の詳細な説明には、構成要件Dの演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である交通情報位置に対応する、構成要件Cの「交通情報音声信号」を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段が記載されている。

よって、本件特許発明における構成要件Eの「前記演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である前記交通情報位置に対応する交通情報音声信号を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段」は、本件の発明の詳細な説明に記載された事項である。

(1-4)無効理由1の検討結果
したがって、上記(1-1)から(1-3)に記載のとおり、構成要件C?Eは本件特許明細書の発明の詳細な説明に記載されている事項であるので、本件特許請求項の範囲の記載は、特許法36条第4項第1号に規定する要件を満たしているものであり、上記3.(i)における、構成要件C、D及びEの記載は、いずれも発明の詳細な説明に記載されていない事項であり、本件特許の請求の範囲の記載は、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たしていない、という請求人の主張は、当を得ないものである。

(2)次に、上記請求人の主張(ii)無効理由2について検討する。
出願当初明細書(甲第3号証の2)には、構成要件C?Eに関して次のように記載されている。

(ア)「通常の放送音声信号に交通情報信号を含む主多重信号と、該信号に夫々対応した交通情報位置信号を含む副多重信号とを多重して送信されるFM多重信号を受信するFM多重受信機において、
受信されたFM多重信号を復調し、主多重復調信号と副多重復調信号を得る多重信号復調器と、
上記主多重復調信号を選択的にゲートし、スピーカに選択された主多重復調信号を供給せしめるゲート手段と、
上記副多重復調信号に含まれる交通情報位置信号と、ナビゲーション装置より得られる現在位置信号との差を演算する差分演算手段と、
該差分演算手段の出力に基づいて、上記ゲートのオン、オフを制御する差分判定手段とを備えたことを特徴とするFM多重受信機。」(甲第3号証の2、第1頁第4?18行)

(イ)「[発明の概要]
送信側ではFM多重信号に交通情報とこれに同期した位置情報とを乗せて送信し、受信側ではこれを復調したものと、ナビゲーション装置の現在位置の検出装置を利用し、現在位置周辺の交通情報を音声で聞き取ることができる装置である。」(甲第3号証の2、第2頁第6?11行)

(ウ)「[従来の技術]
ナビゲーション装置の陰極線管(CRT)に渋滞などの交通情報を重ね表示する装置は、既に考案されている(例えば、特開昭62-95423号参照)。」(甲第3号証の2、第2頁第12?16行)

(エ)「[発明の目的]
本発明の目的はFM多重放送受信機に…現在位置周辺の交通情報のみを音声によって知らせることを可能とすることにある。」(甲第3号証の2、第3頁第18行?第4頁第2行)

(オ)「[課題を解決するための手段]
上記目的を達成するため、本発明は通常の放送音声信号に交通情報信号を含む主多重信号と、該信号に夫々対応した交通情報位置信号を含む副多重信号とを多重して送信されるFM多重信号を受信するFM多重受信機において、受信されたFM多重信号を復調し、主多重復調信号と副多重復調信号を得る多重信号復調器と、上記主多重復調信号を選択的にゲートし、スピーカに選択された主多重復調信号を供給せしめるゲート手段と、上記副多重復調信号に含まれる交通情報位置信号と、ナビゲーション装置より得られる現在位置信号との差を演算する差分演算手段と、該差分演算手段の出力に基づいて、上記ゲートのオン、オフを制御する差分判定手段とを備えたことを要旨とする。
[作用]
上述した構成によれば、ナビゲーション装置からの現在位置情報に応じて」(甲第3号証の2、第4頁第3?20行)

(カ)「[実施例]
以下図面に示す実施例を参照して本発明を説明する。第1図は本発明によるFM多重受信機の一実施例を示す。…
送信側aでは、…音声による交通情報23をA/D変換器2でA/D変換し、これと同期して現在放送している交通情報の位置を示す情報24をFM多重信号変調器3に出力する。交通情報と位置情報は、FM多重信号変調器3により時分割多重,変調され、FM多重信号25となる。…
受信側bでは…信号27に対して、FM受信機8を用いて同調,復調し、ベースバンド信号28を得る。…FM多重信号復調器10は入力されたベースバンド信号28を復調し、復調されたデータ列の中から交通情報30と位置情報31を抽出する。…
FM多重信号復調器10から出力された位置情報31とナビゲーション装置32からの現在位置信号32とは差分演算器13に与えられ、その差信号を演算する。この差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して、スイッチ制御信号33でスイッチ12をオンにする。
スイッチ12がオンされると、D/A変換器11によりD/A変換された交通情報30がスイッチ12を介してスピーカ15から出力され、現在位置周辺の交通情報を知らせる。」 (甲第3号証の2、第5頁第2行?第7頁第10行)

(キ)「[発明の効果]
以上説明したように本発明によれば、たえず現在位置周辺の種々の交通情報のみを自動的にキャッチして聞くことができ大変便利であると共に現在位置周辺の交通情報と関係ないものはキャッチされないので、煩わしさがない。」(甲第3号証の2、第7頁第11?14行)

(2-1)構成要件C及びDについて
無効理由1についての上記「(1-1)構成要件Cについて」及び「(1-2)構成要件Dについて」で採用した本件特許明細書の記載事項である上記(1)ウ、エについては、本件補正(甲第3号証の7)により補正された事項ではなく、出願当初明細書においても上記(エ)、(カ)のごとく全く同じ事項が記載されているのであるから、上記「(1-1)構成要件Cについて」及び「(1-2)構成要件Dについて」で示したものと同じ理由により、本件補正により補正された構成要件C及びDは、出願当初明細書に記載した事項の範囲内のものと認められる。
よって、構成要件C及びDに係る補正は、明細書の要旨を変更しないものである。

(2-2)構成要件Eについて
出願当初明細書には、上記(カ)のごとく「この差信号は差分判定器17で所定値と比較され、その所定値よりも小さければ、位置情報31が現在位置信号に接近していると判定して、スイッチ制御信号33でスイッチ12をオンにする。スイッチ12がオンされると、…交通情報30がスイッチ12を介してスピーカ15から出力され、現在位置周辺の交通情報を知らせる。」と記載されており、また、上記(ア)及び(オ)のごとく「上記主多重復調信号を選択的にゲートし、スピーカに選択された主多重復調信号を供給せしめるゲート手段と、…該差分演算手段の出力に基づいて、上記ゲートのオン、オフを制御する差分判定手段」と記載されている。
上記出願当初明細書の記載事項(カ)、(ア)及び(オ)によれば、差分演算器13(差分演算手段)の出力(上記「(2-2)構成要件Dについて」で述べた距離を演算した差信号)に基づいて、差分判定器17(差分判定手段)で現在位置からの距離が所定値以下である交通情報の位置に対応した交通情報30(主多重復調信号)をスイッチ12(ゲート手段)を介して選択的にスピーカに供給している。
つまり、出願当初明細書には、構成要件Dの演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である交通情報位置に対応する「交通情報音声信号」を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段が記載されている。

よって、構成要件Eの「前記演算手段の出力に基づいて、現在位置からの距離が所定値以下である前記交通情報位置に対応する交通情報音声信号を選択的にスピーカに供給せしめる信号選択手段」は、出願当初明細書に記載した事項の範囲内のものであるから、構成要件Eに係る補正は、明細書の要旨を変更しないものである。

また、本件補正(甲第3号証の7)におけるその他の補正事項についても出願当初明細書に記載した事項の範囲内のものである。

(2-3) したがって、上記(2-1)及び(2-2)に記載のとおり、構成要件C?Eの記載事項は出願当初明細書に記載されているものであって、本件補正は、特許法第41条の規定を満たすものであるから、上記3.(ii)ア、イに記載された、本件特許発明の構成要件C?Eとして記載されている事項が出願当初明細書に記載されていない事項であるという請求人の主張は、当を得ないものである。

(2-4)甲第4号証による進歩性の欠如について
請求人は、無効理由2における進歩性欠如の根拠として、平成8年12月24日に頒布された刊行物である甲第4号証(特開平8-339490号公報)を提示している。
しかしながら、本件補正は、上記(2-1)から(2-3)に記載のとおり、特許法第41条の規定を満たすものであるので、出願日が繰り下がることはなく、本件特許の出願日は、平成2年9月27日である。
そうすると、本件特許の出願後に頒布されたことが明らかな甲第4号証の記載内容により、本件特許発明の進歩性が否定されることはない。

したがって、上記3.(ii)ウに記載された「本件特許発明は、少なくとも、甲第4号証に記載された発明に基づいて、本件特許の繰下出願日である平成11年4月1日当時における当業者が容易に発明をすることができた発明である」という請求人の主張は、当を得ないものである。

6.むすび
以上のとおりであるから、請求人の主張及び証拠方法によっては、本件特許の請求項1に係る発明の特許を無効とすることはできない。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項の規定で準用する民事訴訟法第61条の規定により、請求人が負担すべきものとする。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2008-03-04 
結審通知日 2008-03-06 
審決日 2008-03-19 
出願番号 特願平2-255087
審決分類 P 1 113・ 121- Y (H04B)
P 1 113・ 534- Y (H04B)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 板橋 通孝  
特許庁審判長 井関 守三
特許庁審判官 橋本 正弘
桑江 晃
登録日 1999-07-09 
登録番号 特許第2951710号(P2951710)
発明の名称 多重放送受信機  
代理人 町田 正史  
代理人 木内 光春  
代理人 茜ケ久保 公二  
代理人 大熊 考一  

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