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審決分類 審判 全部無効 特36条4項詳細な説明の記載不備  F16H
審判 全部無効 産業上利用性  F16H
審判 全部無効 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  F16H
管理番号 1207434
審判番号 無効2007-800225  
総通号数 121 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2010-01-29 
種別 無効の審決 
審判請求日 2007-10-16 
確定日 2009-11-05 
事件の表示 上記当事者間の特許第3746636号発明「トロイダル型無段変速機」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 特許第3746636号の請求項1に係る発明についての特許を無効とする。 審判費用は、被請求人の負担とする。 
理由 1.手続の経緯の概要
本件特許第3746636号(以下、「本件特許」という。)に係る発明についての出願は、平成11年5月25日に特許出願され、平成17年12月2日にその発明について特許の設定登録がなされた。
これに対して請求人より平成19年10月16日に本件無効審判の請求がなされ、それに対し被請求人より平成19年12月27日付けで審判事件答弁書が提出され、請求人より平成20年2月22日付けで弁駁書が提出され、請求人及び被請求人より平成20年5月22日付けで口頭審理陳述要領書が提出された。
そして、平成20年5月22日に口頭審理が実施され、その後、請求人より平成20年6月20日付けで上申書が提出され、被請求人より平成20年6月23日付けで上申書が提出されたものである。

2.本件特許発明
本件特許の請求項1に係る発明(以下、「本件特許発明」という。)は、特許明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲の請求項1に記載された事項により特定される次のとおりのものである。

「【請求項1】凹湾曲面からなる円周軌道を有するディスクを対向させ、この対向するディスクの両円周軌道に摩擦接触しながら回転して、両ディスク間のトルク伝達を行うと共に、このディスクに対して傾斜して変速機を増減速するローラを備えたトロイダル型無段変速機において、
上記ディスクとローラの接触面に働いて上記トルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、上記接触面に働いて上記トルク伝達ロスの原因になる径方向の摩擦力を低減すべく、
上記ディスクとローラとの接触面の周方向のトラクション係数が、上記接触面の径方向のトラクション係数よりも大きくなるように、上記ディスクの転動面の粗さと上記ローラの転動面の粗さを設定したことを特徴とするトロイダル型無段変速機。」

3.請求人の主張
これに対して、請求人は、本件特許の請求項1に係る発明についての特許は、これを無効にする、との審決を求め、審判請求書、弁駁書、口頭審理陳述要領書(第1回?第3回)、及び口頭審理後に上申書を提出し、概略下記の証拠方法をもって以下に示す無効理由により、本件特許の請求項1に係る発明についての特許は無効にされるべきであると主張する。

(無効理由)
【無効理由1】(特許法第36条第4項)
特許発明を記載した明細書及び図面には、周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくする為に、各方向の粗さをどの様な条件の下でどの様に異ならせるかに就いて、全く記載されていない。
トラクション係数と粗さとの関係は、甲第1及び2号証に記載されている様に、各種条件に伴って異なるものである以上、上記明細書及び図面の様に、何らの条件も示さずに、単に周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくするとしただけでは、特許発明の属する技術分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」とする)が特許発明を実施する事はできない。
要するに、特許発明を記載した特許請求の範囲、明細書、図面には、単に願望を記載しただけであって、その願望を満たす為に必要とされる、具体的な手段は何ら記載されていない。

【無効理由2】(特許法第29条第1項柱書、又は、同法第36条第6項第1号又は同項第2号)
特許発明は、トラクション部(ディスクとローラとの接触面であるトルク伝達部)でのスピン損失の低減により伝達効率の向上を図るものであるのに対して、単に周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくしただけでは、上記スピン損失に基づくトルク伝達ロスを低減できない。
従って、特許請求の範囲に記載された発明は、産業上利用できないものであるか、或いは、特許請求の範囲には、スピン損失を低減する為の要件が十分に記載されていないかの何れかである。

(証拠方法)
甲第1号証:NSK/TECHNICAL/JOURNAL/649
甲第2号証:「弾性流体潤滑下の潤滑油の挙動(第1報)-潤滑油のトラクション特性-」,雑誌「潤滑」、第32巻第11号(1987)811?817
甲第3号証:平成17年3月30日付け拒絶理由通知書
甲第4号証:平成17年6月3日付け意見書
甲第5号証:田中裕久、株式会社コロナ社発行、「トロイダルCVT」(2000年7月13日発行)
甲第6号証:「微小すべりを伴うころがり接触におけるトラクション」江口正夫他3名著、社団法人日本潤滑学会、名古屋大会(昭和52年度)、予稿集、P.157?160

なお、以下の添付資料1?4、添付図面、資料A?I、及び資料aが添付された。
添付資料1:田中裕久、株式会社コロナ社発行、「トロイダルCVT」(2000年7月13日発行)
添付資料2:参考図面
添付資料3:最高裁判例 昭和49(行ツ)107
添付資料4:NSK TECHNICAL JOURNAL No.670(2000.11)
添付図面(全5頁)
資料A :実用化されたトロイダル型無段変速機の構造に関する刊行物(青山元男著、三推社/講談社発行、レッドバッジシリーズ「車の最新メカが分かる本」)
資料B :トロイダル型無段変速機の参考図面
資料C :トラクションドライブ及びトラクションカーブに関する参考資料
資料D :トラクションオイルの挙動に関する刊行物(田中裕久著 株式会社コロナ社発行「トロイダルCVT」)
資料E :トラクション係数と滑り率と表面粗さとの関係を示すグラフ(甲第2号証の図12)
資料F :トラクションドライブでの使用範囲を記載した刊行物1(田中裕久著 株式会社コロナ社発行「トロイダルCVT」)
資料G :トラクションドライブでの使用範囲を記載した刊行物2{自動化技術第26巻第8号、株式会社工業調査会、1994年8月1日発行)
資料H :境界潤滑なる語を説明する為の図面
資料I :境界潤滑なる語が記載されている刊行物(木村好次著、株式会社養賢堂、「トライボロジー概論」、1992年1月10日発行)
資料a :1996年9月に横浜国立大学で行われた、自動車技術会のCVT国際会議で頒布された講演論文前刷集

4.被請求人の主張
これに対し被請求人は、本件審判請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、との審決を求め、答弁書、第1口頭審理陳述要領書、第2口頭審理陳述要領書、及び口頭審理後に上申書を提出し、下記の証拠方法をもって、請求人の主張する本件特許の無効理由1及び2には理由がない旨主張している。

(証拠方法)
乙第1号証:歯車のピッチング発生における接線力の役割,潤滑,第20巻第4号(1975)268?275
乙第2号証:転がり摩擦とその発生機構,数理科学NO.364,OCTOBER 1993 34?39
乙第3号証:特開2002-327819号公報

なお、以下の参考図1、参考資料1?5が添付された。
参考図1
参考資料1:請求人口頭審理陳述要領書(第2回)の添付図面の3頁分
参考資料2:特開2004-218711号公報
参考資料3:特開2001-263443号公報
参考資料4:特開2004-190830号公報
参考資料5:特開平11-30236号公報

5.甲各号証及び乙各号証に記載された事項
(5-A)甲第1号証
甲第1号証には、ころ軸受の摩擦と転がり粘性抵抗について、以下の事項が図面とともに記載されている。
〔A1〕:「転がり粘性抵抗の荷重依存性に関しては述べたが,表面粗さでも興味深い結果がある.常識的には粗さが大きくなると摩擦は増えると考えられるが,転がり粘性抵抗に関しては,反対に粗さの大きい方が粘性抵抗が小さくなった^(9)).図7は二円筒試験機による測定結果であるが,粗さの影響といっても実際は油膜-粗さ比(∧)に関連している.理由を一言で言うと,粘性抵抗のもととなる流体圧力が,表面粗さの小さいとき(∧の大きいときは)接触面荷重全部を支えるが,∧が小さくなると荷重の一部は表面突起の金属接触で支えられ,流体膜の圧力は減らされる.金属接触に起因する転がり抵抗は粘性抵抗に比べ小さいため,全体として図7のように接触部の転がり抵抗としては減少するのである.
円すいころ軸受で軌道面の粗さを変えたトルク測定では,図8のように,表面粗さの大きい方が動摩擦トルクの小さいことが確認される.」(第4頁左欄第1行?同頁右欄第2行)

(5-B)甲第2号証
甲第2号証には、弾性流体潤滑下の潤滑油の挙動に関して、以下の事項が図面とともに記載されている。
〔B1〕:「図4はナフテン系基油を使用した場合のトラクション係数μと接触圧力P_(max)の関係を横軸にすべり率Sをとって示したもので,ローラ間の電圧値で表わした潤滑状態も図中に同時に示している.いずれの接触圧力の場合も,トラクション係数はすべり率の絶対値の小さな範囲(以下,すべり率の大小は絶対値で考える)ではすべり率の増加とともに直線的に増加し(直線領域),それよりもすべり率が大きくなるとトラクション係数の増加割合が小さくなり(非直線領域),最大値を示した後はすべり率の増加とともにゆるやかに減少する(熱領域)傾向を示している.」(第813頁(右上記載の頁による、下端記載の頁では第55頁)の右欄下から第11?1行参照)
〔B2〕:「図12にトラクション係数と表面あらさの関係を示す.直線領域ではトラクション係数にあらさの違いによる差はみられず,潤滑状態も良好である.しかしS=-2%以上にすべり率が増加して熱領域に入るとあらさの小さいσ=0.06?0.19μmの場合は,すべり率の増加に伴いトラクション係数が減少するのに対して,あらさの比較的大きいσ=0.24?0.57μmの場合には逆に増加の傾向を示し,トラクション係数に及ぼすあらさの影響が顕著となっている.」(第816頁の左欄第3?11行)
この記載、及び図12の記載からみて、直線領域、及び境界領域のうちのトラクション係数が最大になる点に近い部分より直線領域に近い範囲(すべり率の絶対値が約2%以下)ではトラクション係数にあらさの違いによる差はみられないと認められる。
〔B3〕図12の記載から、すべり率の絶対値が約2%よりも大きい熱領域では、表面粗さの相違がトラクション係数の大きさに影響を及ぼすが、すべり率の絶対値が約2%?約11%の範囲では、表面粗さの大小関係とトラクション係数の大小関係とは必ずしも一致しないこと、及び、すべり率の絶対値が約11%よりも大きい領域では、表面粗さの大小関係とトラクション係数の大小関係とが一致することが看取できる。

(5-C)甲第3号証
〔C1〕:「(前略)
引用文献2、3には、トラクションドライブ式の遊星ローラ式動力伝達装置において、ころがり摩擦接触面の転がり方向の表面粗さを、転がり方向と非平行な方向の表面粗さよりも粗くすることが記載されている。
(中略)
そして、ころがり摩擦接触面の転がり方向の表面粗さを、転がり方向と非平行な方向の表面粗さよりも粗くしたその結果、転がり方向のトラクション係数は転がり方向と非平行な方向のトラクション係数よりも大きくなるものと認められる。」(第1頁下半部の備考欄)

(5-D)甲第4号証
〔D1〕:「引用文献2には、今回の拒絶理由通知でご指摘のように、『トラクションドライブ式の遊星ローラ式動力伝達装置において、ころがり摩擦接触面の転がり方向の表面粗さを、転がり方向と非平行な方向の表面粗さよりも粗くすること』が記載されていると考えられます。
しかし、引用文献2では、第1図,第5図を参照すれば明らかなように、遊星ローラ12bは、相手面(アウタリング16bの内周面)に対して傾斜するものではないので、遊星ローラと相手面との接触面間で径方向の力が作用することはありません。よって、引用文献2の遊星リングは径方向のトラクションとは無関係です。」(第2頁の下から第6行?第3頁第2行)
〔D2〕:「引用文献3には、今回の拒絶理由通知でご指摘のように、『トラクションドライブ式の遊星ローラ式動力伝達装置において、ころがり摩擦接触面の転がり方向の表面粗さを、転がり方向と非平行な方向の表面粗さよりも粗くすること』が記載されていると考えられます。
しかし、引用文献3では、その図5(a),(b)に示されるように、遊星ローラ2は、相手面(入力軸1の外周面,固定輪4の内周面)に対して径方向に傾斜しないので、引用文献3の遊星ローラ2は径方向のトラクションとは無関係です。」(第3頁下から第4行?第4頁第3行)

(5-E)甲第5号証
〔E1〕:トロイダル型無段変速機の技術分野で、ディスクとローラとの接触面(トラクション面)でのスピンの挙動に関する技術常識が記載されている。

(5-F)甲第6号証
〔F1〕:「トラクション係数に対するD値の影響に関し、D値の小さい範囲では構成されるE・H・L油膜の挙動が大きく影響し,大きい所では表面凹凸による金属の直接接触が支配的となるためと思われる。」(第160頁下から11行?9行)

(5-a)乙第1号証
〔a1〕:「図1は,S45C(被駆動ローラ)とSUJ2(駆動ローラ)とを組み合わせ,SUJ2ローラの表面あらさをパラメータとして伝達トルク(摩擦係数)とすべり率との関係を求めたものである^(5)).同一のすべり率に対して摩擦係数は表面あらさが大なるほど増大するというきわめて当然の結果が得られている.」(第269頁左欄第23?28行参照)

(5-b)乙第2号証
〔b1〕:「図5に示すように,両軸にはすべりによるトラクションと純転がり時にも生じるドラッグの双方によるトルクが同時に作用している.従って,駆動軸と従動軸には,図2に示す方向にトラクションとドラッグが作用する.図5^(4))はこのような両者の関係からトラクションとドラッグを算定してそれらを図示したものであり,ドラッグとしての転がり摩擦の大きさが,微小表面形状,転がり速度の影響を受けることがわかる.」(第36頁右欄第6?14行参照)

(5-c)乙第3号証:
〔c1〕:表3及び図11の記載からみて、「表面粗さが大きくなると、トラクション係数が増大する」ことが記載されている。

6.当審の判断
6-1【無効理由1について】
(1)無効理由1に関係する審査基準について
「特許・実用新案審査基準」の「明細書及び特許請求の範囲の記載要件」の「3.2 実施可能要件」には、次のとおり説明されている。
「(3) 条文中の「その実施」とは、請求項に係る発明の実施のことであると解される。したがって、発明の詳細な説明は、当業者が請求項に係る発明(…)を実施できる程度に明確かつ十分に記載されていなければならない。…」
同じく、「3.2.1 実施可能要件の具体的運用」には、次のとおり説明されている。
「(6) 請求項の記載と発明の詳細な説明との関係
1(原文は丸囲い数字)上記(1)に述べたように、「請求項に係る発明」についてその実施の形態を少なくとも一つ記載することが必要であるが、請求項に係る発明に含まれるすべての下位概念又はすべての選択肢について実施の形態を示す必要はない。
しかし、請求項に係る発明に含まれる他の具体例が想定され、当業者がその実施をすることは、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識をもってしてもできないとする十分な理由がある場合は、請求項に係る発明は当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されていないといえる。」
同じく、「3.2.2.2 請求項に係る発明に含まれる実施の形態以外の部分が実施可能でないことに起因する実施可能要件違反」には、次のとおり説明されている。
「(1) 請求項に上位概念の発明が記載されており、発明の詳細な説明に当該上位概念に含まれる一部の下位概念についての実施の形態のみが実施可能に記載されている場合であって、当該上位概念に含まれる他の下位概念については、当該一部の下位概念についての実施の形態のみでは当業者が出願時の技術常識(実験や分析の方法等も含まれる点に留意)を考慮しても実施できる程度に明確かつ十分に説明されているとはいえない具体的理由があるとき。」
(2)判断及び結論
まず、請求人が提出した平成20年5月22日付け口頭審理陳述要領書(第3回)の「5.陳述の要領(1)トロイダル型無段変速機の構造・作用及びその特殊性に就いて」によれば、現在自動車用として実用化されているトロイダル型無段変速機は、トラクションオイルの油膜を介して動力を伝達(いわゆる「トラクションドライブ」)するものであり、これにより、金属接触を伴うことなく大きな動力の伝達を可能としたものである。同じく「(2)表面粗さとトラクション係数との関係、及び、トロイダル型無段変速機で利用可能な範囲に就いて」によれば、甲第2号証の図12のトラクションカーブで表された範囲のうち、トロイダル型無段変速機の運転に利用できるのは、主として弾性領域(直線領域、線形領域)である。そして、請求人が提出した平成20年5月22日付け口頭審理陳述要領書(第2回)の第4頁第21?25行によれば、上記のトロイダル型無段変速機は、入力トルクの急増時にも、トラクションカーブの平衡状態から下がり始める点に達しない様に、十分な安全率を確保して、直線領域、及び、境界領域のうちの直線領域に近い範囲でのみ運転しているものであって、境界領域のうちでトラクション係数が最大になる点は勿論、最大に近い部分も使用していないと認められる。
ここで、審査基準には、上記のとおり、「請求項に係る発明」に含まれると想定される具体例について、当業者がその実施をすることが明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識をもってしてもできないとする十分な理由がある場合は、「請求項に係る発明」は当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されていないといえると説明されているところ、本件特許発明の「トロイダル型無段変速機」は、どのような形式・種類のものかについて特に特定されていないので、上記のような、現在自動車用として実用化されているトロイダル型無段変速機について、無効理由1の成否を検討する。
甲第2号証の上記〔B2〕、及び図12の記載によれば、上記のトロイダル型無段変速機が運転される直線領域、及び境界領域のうちのトラクション係数が最大になる点に近い部分より直線領域に近い範囲(甲第2号証の図12ですべり率の絶対値が約2%以下)では、トラクション係数にあらさの違いによる差はみられないと認められることは上記のとおりである。したがって、上記のようなトロイダル型無段変速機については、単に表面粗さを設定することによって、周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくすることはできないと認められる。
この点に関して、次に、本件特許明細書の記載内容をみると、本件特許発明は請求項1に記載されたとおり、トロイダル型無段変速機において「ディスクとローラの接触面に働いてトルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、上記接触面に働いて上記トルク伝達ロスの原因になる径方向の摩擦力を低減すべく、上記ディスクとローラとの接触面の周方向のトラクション係数が、上記接触面の径方向のトラクション係数よりも大きくなるように、上記ディスクの転動面の粗さと上記ローラの転動面の粗さを設定したことを特徴とする」ものであるが、発明の詳細な説明の欄においては、周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数より大きくする方法として、ディスクの転動面の粗さとローラの転動面の粗さに異方性を持たせることにより行う旨の開示しかされておらず(特に、段落【0009】及び【0015】を参照。)、各種実験条件、粗さの絶対値はおろか、両方向の粗さの大小関係すらどのように設定するのか一例も開示されていないものである。このように、発明の詳細な説明の欄をみても、単に表面粗さを設定することによって、周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくする実施の形態は何も記載されていないのである。
してみると、「請求項に係る発明」に含まれると想定される具体例である、上記のようなトロイダル型無段変速機について、当業者がその実施をすることが明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識をもってしてもできないとする十分な理由があると認められ、したがって、本件特許発明について、発明の詳細な説明に当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されているということはできない。
本件特許発明は、上記のようなトラクションドライブを行うトロイダル型無段変速機ではない、特殊なタイプのトロイダル型無段変速機に関するものであるか、あるいは、通常のタイプのものにおいて何らかの特殊な条件のもとで従来の技術常識を超えた結果を得たものである可能性が存在するが、本願の請求項1にはもちろん、本件特許明細書及び図面のいずれの箇所にも、そのような記載ないし示唆は一切認められず、そのような具体例も一つも開示がないのであるから、結局、この点からみても、本件特許発明について、発明の詳細な説明に当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されているということはできない。
したがって、本件特許は、特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていない。

なお、被請求人は、上記無効理由1に関して、審判事件答弁書、口頭審理陳述要領書及び上申書において、概略次のように主張している。
「乙第1?3号証、甲第2号証から明らかなように、表面粗さとトラクション係数(摩擦係数)とには、当業者に周知な単純な相関関係がある。さらに、仮に、直線領域(流体潤滑領域)に相関関係がないとしても、飽和領域(境界潤滑領域)において、表面粗さが粗いほどトラクション係数が大きくなるという単純な相関関係があることは、乙第1?3号証、甲第2号証から当業者に明らかである。しかも、請求人は、トロイダル無段変速機は、飽和領域の一部(全部ではない)で使用されることを、自認しているのである。
したがって、トロイダル無段変速機において、表面粗さが粗いほどトラクション係数が大きくなるという単純な相関関係があることは、周知で、自明なことである。
この単純な相関関係を求めるために、当業者は、何等、期待しうる程度を超える試行錯誤や複雑高度な実験は要求されることはない。
したがって、本件特許発明は、特許法第36条第4項の要件を充足するものである。」
以上の主張について検討する。被請求人は、トラクションカーブにおける領域の名称である、「直線領域」及び「飽和領域」と、潤滑状態の名称である「流体潤滑領域」及び「境界潤滑領域」とを、それぞれその順に対応するものとした上で、本件特許発明は、境界潤滑状態で使用されるもの、すなわちフリクションドライブをするものであるかの如く主張し、この領域(境界潤滑領域)にあっては、粗さとトラクション係数との間には単純な相関関係があることが当業者に明らかであるから、本件特許発明は特許法第36条第4項の要件を充足する旨主張するものであるが、まず、本件特許発明の「トロイダル型無段変速機」がそのようなものに特定されていないことは上記のとおりである。また、境界潤滑状態とは金属接触が伴う領域であり、境界潤滑領域(飽和領域とは必ずしも一致しない)で使用するようなトロイダル型無段変速機を想定することは技術常識からみて困難であり、それが実施の形態として想定し得るとする根拠は見出し得ない。
要するに、被請求人の主張は、金属接触を伴うフリクションドライブの分野で常識とされている技術を、そのまま通常は金属接触を伴わないトラクションドライブの分野に当てはめようとするもの、ないしはフリクションドライブでトロイダル型無段変速機を実現しようとするものであろうと推測するが、高面圧下でのトラクションドライブの分野ではトラクション部の挙動が特殊であることから、フリクションドライブでの常識をそのまま当てはめることはできない。そして、そもそも、トラクションカーブにおいて、表面粗さのがトラクション係数に影響を及ぼす範囲はクリープが大きく、通常のトロイダル型無段変速機では故障時でもない限り使用しない範囲なのである。 したがって、境界潤滑領域で表面粗さが大きい程摩擦係数が大きい事が当業者の常識であったとしても、上記のようなトラクションドライブを行うトロイダル型無段変速機に関する限り、それだけで、各方向の表面粗さを設定することによって各方向のトラクション係数の大小を設定できることにはならないのである。
しかも、上記のとおり、発明の詳細な説明において、どのような条件下で粗さをどのように設定すれば必要十分であるかについても具体例が一つも開示されておらず、当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されているということはできない。
よって、上記被請求人の主張は採用できない。

6-2【無効理由2について】
(1)無効理由2に関する請求人及び被請求人の主張を再度、整理する。
(1-1)請求人は、概ね次のとおり主張する。
A1.「特許発明は、トラクション部(ディスクとローラとの接触面であるトルク伝達部)でのスピン損失の低減により伝達効率の向上を図るものであるのに対して、単に周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくしただけでは、上記スピン損失を低減できない。従って、特許請求の範囲に記載された発明は、産業上利用できないものであるか、或いは、特許請求の範囲には、スピン損失を低減する為の要件が十分に記載されていないかの何れかである。」(審判請求書第2頁第25行?第3頁第1行)

A2.「…本件特許発明が、ディスクとローラとの接触部(トラクション部)でのスピンすべりに基づくトルク伝達ロスの低減を意図している事は明らかである。但し、単にトラクション部のトラクション係数を、周方向で大きく、径方向で小さくしただけでは、上記スピンすべりに基づくトルク伝達ロスを低減する事はできない。この点に就いて、添付した参考図面を参照しつつ説明する。

スピンに基づくすべりの摩擦は、上記接触楕円の中心を境に、径方向反対位置で逆方向に生じる。又、この接触楕円の中心から近い、短径部分、即ち周方向両側部分での摩擦は(モーメント半径が小さいので)比較的小さな値に抑えられるのに対して、同じく遠い、長径部分、即ち径方向両側部分での摩擦は比較的大きな値になる。摩擦長さを考慮したとしても、周方向両側部分と径方向両側部分とがほぼ同じになる程度である。
この事を考慮しつつ上記参考図面の(B)を見れば明らかな通り、周方向のトラクション係数、即ち、接触楕円の長径部分での摩擦を大きくする事は、上記スピンに基づくトルク伝達ロスの増大に結び付く。
勿論、径方向のトラクション係数、即ち、接触楕円の短径部分での摩擦を小さくする事は、上記スピンに基づくトルク伝達ロスの低減に寄与するが、モーメント半径が小さい分、低減に関する寄与は小さい。むしろ、長径部分での摩擦増大に基づくトルク伝達ロスの増大の方が支配的になる。上記摩擦長さを考慮したとしても、短径部分でのトルク伝達ロスの低減分が、長径部分でのトルク伝達ロスの増大分を上回る事はないと考えられる。
以上の事から明らかな通り、単にトラクション部のトラクション係数を、周方向で大きく、径方向で小さくしただけでは、上記スピンすべりに基づくトルク伝達ロスを低減する事はできないし、場合によっては、却ってトルク伝達ロスを増大させる可能性すらある。
これらの事を考慮すれば、本願発明は、産業上利用できない発明であって、特許法第29条第1項柱書に規定に違反する発明と言わざるを得ない。
仮に、接触楕円の長径と短径との比に応じて周方向のトラクション係数と径方向のトラクション係数との増減の割合を調節すれば、上記スピンに基づくトルク伝達ロスを多少は低減できる可能性は考えられる。但し、その様な技術事項は、特許請求の範囲には勿論、明細書の発明の詳細な説明の欄にも、図面にも、一切記載されていない。
従って、本件特許は、前述した特許法第36条第4項だけでなく、特許法第29条第1項柱書、又は、同法第36条第6項第1号又は同項第2号の規定にも違反していると言わざるを得ない。」(審判請求書第8頁第3行?第9頁末行)

(1-2)これに対し、被請求人は、概ね次のとおり反論する。
B1.「何故なら、第1に、周方向のトラクション係数は、トルクの伝達に寄与し、径方向のトラクション係数はトルクの伝達に寄与しないでロスの原因になることは、明白である。本件発明のトロイダル型無段変速機は、ディスクとローラとの間のトルク伝達ロスを低減できて、トルク伝達効率が高くて、かつ、トルク容量も大きなものであるから、産業上利用できることは、明白である。
したがって、本件特許は、特許法第29条第1項柱書の要件を充足する。
第2に、本件特許発明は、発明の詳細な説明に記載されたものであり、本件特許発明が明確であることは、明白である。これらのことは、審査の過程でも認められたものである。
したがって、本件特許は、特許法第36条第6項第1号および第2号の要件を充足することは、明白である。
なお、請求人の上述の特異な理論、主張は、実際の物理的現象を反映しているという証拠がないから、本件特許に関して、請求人の上述の特異な理論、主張は。認否の限りではない。請求人の示した参考図面はローラとディスクのトロイダル変速機に適用できるという何の証拠もないし、ころ軸受あるいは玉軸受に適用できるかすら分からない。はたまた、参考図の周方向の設定、径方向の設定の当否も不明である。
結局、請求人の上記特異な理論、主張は、本件特許に関して、特許法第36条第4項、第6項第1号および第2号の要件を判断する上で、何の価値もない。」(答弁書第21頁第4?22行)

B2.「(12)請求人は、口頭審理陳述要領書(第3回)の5頁1?14行で、
「(4)伝達ロスに関する被請求人の主張に就いて
特許請求の範囲の記載は、「周方向摩擦増+径方向摩擦減」としており、これらの組み合わせにより「スピンロス低減」としています。伝達ロスに関して、スピンロス以外のロスは全く記載されていません。
「周方向摩擦増+径方向摩擦減」なる条件では、先に述べた様に、スピンロスを低減できるとは限りません。
被請求人は、「周方向摩擦増+径方向摩擦減」なる条件を全く無視して、「周方向摩擦同じ+径方向摩擦減」の組み合わせにより「スピンロス低減」としたり、「周方向摩擦確保」で「クリープロス低減」等、特許明細書の記載から乖離した主張をしています。
被請求人の主張は、特許請求の範囲のうちの下から第3?1行部分のみを取り出し、同第6?4行部分の記載を無視して、特許明細書に全く記載されていない事項を述べているのです。
このような主張が許されないことは明らかです。」(アンダーラインは被請求人が説明の便宜上付した。)
と主張している。
しかしながら、この請求人の主張は、合理的な思考力の欠如と、特許明細書の読み方が正しく無いことに起因するもので、全くの誤りである。
何故なら、まず第1に、請求人は、比較の仕方が不合理である。請求人の比較の仕方は、周方向のトラクション係数と径方向のトラクション係数とに異方性がある本件発明の1つのトロイダル無段変速機のスピンロスと、周方向のトラクション係数と径方向のトラクション係数に等方性がある従来例のトロイダル無段変速機のスピンロスとの大小を、トルク容量の大小を無視して、比較するもので、あたかも、100馬力のある発明の自動車の全エネルギーロスが、30馬力の従来例の自動車の全エネルギーロスよりも、小さくなっていないから、発明のエネルギーロスが小さくなっていないと、主張するもので、不合理極まるものである。このような比較の仕方は、当業者は言うに及ばず、小学生ですら、認めないであろう。
第2に、そのような不合理な比較の仕方の根拠として、請求人は、本件特許公報の特許請求の範囲の下から第6?4行部分の記載を挙げている。この特許請求の範囲の下から6?4行には、『上記ディスクとローラの接触面に働いて上記トルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、上記接触面に働いて上記トルク伝達ロスの原因になる径方向の摩擦力を低減すべく、』と記載されているが、この「増やす」、「低減」とは、『上記ディスクとローラの接触面に働いて上記トルク伝達を行う周方向の摩擦力を径方向の摩擦力よりも増やすと共に、上記接触面に働いて上記トルク伝達ロスの原因になる径方向の摩擦力を周方向の摩擦力よりも低減すべく、』と読むべきである。何故なら、特許請求の範囲において、例えば、Aを増やし、Bを低減と記載されている場合、比較の基準として、AをBより増やし、BをAより低減すると解釈するのが正しい。飽くまでも、比較の基準は、特許請求の範囲に記載のものである。決して、特許請求の範囲に記載されていない未確定な従来例の1つよりも、Aを増やし、特許請求の範囲に記載されていない未確定な従来例の1つよりも、Bを低減すると言う権利範囲が定まらないおかしな解釈をすべきではない。
本件の被請求人の知財担当者およびその代理人は、40有余年に亘って、特許出願および特許係争を業務としているが、寡聞にして、そのようなおかしな解釈をした判例、審決を見聞したことがない。
そもそも、知財に関して後進国ならいざ知らず、日本国特許庁、裁判所が、特許請求の範囲に記載されていない未確定な従来例に基づいて権利範囲を定めるような特許請求の範囲の解釈をする筈がなく、さらに、日本国の担当審査官がそのようなおかしな解釈で、特許を付与する筈がない。
したがって、請求人の上述の主張は、完全に誤っている。」(平成20年6月23日付け上申書第10頁第18行?第12頁第20行)

B3.「(13)請求人は、口頭審理陳述要領書(第3回)の5頁15?28行で、
「例えば、打出の小槌の如く、被請求人があらゆる事の根拠にしている、特許明細書の段落【0015】部分には、被請求人が根拠としている記述(粗さに異方性を持たせる→周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくする)の後に、「したがって、」として、
「周方向の摩擦力が大きくなる」→「径方向の摩擦力を周方向の摩擦力に比較して相対的に低減でき」→「トルク伝達ロスを低減できる」としています。
「周方向摩擦増+径方向摩擦同じ」なる組み合わせを示唆する記述はあっても、「周方向摩擦同じ+径方向摩擦減」の組み合わせを示唆する記述は存在しません。
「周方向摩擦増+径方向摩擦同じ」なる組み合わせは、トルク容量を増大させる構成であって、スピンロスを低減する組み合わせではありません。
この事からも、被請求人が、本件の出願時に「周方向摩擦同じ+径方向摩擦減」の組み合わせを全く考慮していなかった事、並びに、被請求人の主張が、特許明細書の記載に基づかない事は、明らかです。」
と述べている。
しかしながら、請求人の上述の主張は、本件特許公報の段落【0015】の記載に正確に基づかないから、誤りである。
何故なら、本件特許公報の段落【0015】には、
『このトロイダル型無段変速機では、ディスク2,3および5の転動面である軌道8,11および7,10の粗さとローラ12,13の転動面12A,13Aの粗さに異方性を持たせた。この異方性によって、ディスク2,3および5とローラ12,13の接触面の周方向のトラクション係数を、ディスク2,3および5とローラ12,13の接触面の径方向のトラクション係数よりも大きくした。したがって、ディスクとローラの接触面に働く周方向の摩擦力が大きくなって、ディスク2,3,5とローラ12,13との接触面に働く径方向の摩擦力をディスクとローラの接触面に働く周方向の摩擦力に比較して相対的に低減でき、トルク伝達ロスを低減できる。したがって、トルク伝達効率が高くて、トルク容量も大きなトロイダル型無段変速機を実現できる。』
と記載されているからである。
すなわち、「粗さに異方性をもたせた。」→「この異方性によって、周方向のトラクション係数を、径方向のトラクション係数よりも大きくした。」→「したがって、周方向の摩擦力が(径方向の摩擦力よりも)大きくなって(このカッコ内は、説明の便宜上、被請求人が記載した。)、径方向の摩擦力を周方向の摩擦力に比較して相対的に低減でき」と記載されているからである。
つまり、段落【0015】の記載は、粗さに異方性を持たせて、周方向のトラクション係数を、径方向のトラクション係数よりも大きくしたから、周方向の摩擦力が径方向の摩擦力よりも大きくなって、径方向の摩擦力が周方向の摩擦力よりも相対的に低減できると言っているのであり、ただ、それだけである。
請求人の主張は、「径方向摩擦同じ」、「周方向摩擦同じ」という段落【0015】に記載されていない文言を導入している上に、どの基準に対して「同じ」なのか、基準が未確定で有るから意味がない。
一方、被請求人の口頭審理陳述要領書および第2口頭審理陳述要領書において、本件発明のトルク伝達ロスが低減することについて、比較対象とトルク容量が同じ状態にして比較していることは、本件特許公報の段落【0007】の記載からも、正しい。
何故なら、本件特許公報の段落【0007】には、
『そこで、この発明の目的は、トルク容量を確保できると共に、トルク伝達ロスを低減できるトロイダル型無段変速機を提供することにある。』
と記載されている。
ここで、「確保」とは、広辞苑第四版(岩波書店)によると、「しっかりともちこたえること。」と記載されている。このことから、本件特許発明の目的は、必ずしも、トルク容量を増大することを目的としているのではなく、トルク容量をしっかりともちこたえ、つまり、低減させることなく、かつ、トルク伝達ロスを低減することである。
このことは、請求人も、口頭審理陳述要領書(第2回)の7頁15?17行で、『本件特許発明の目的は、トルク容量を低減せずにスピン損失を低減する点にあるはずです。』と述べて、認めているのである。
したがって、比較対象と本件発明とをトルク容量を同じにして、トルク伝達ロスを比較することは、正しいことである。」(同上上申書第12頁第21行?第15頁第6行)

B4.「「(b)周方向のトラクション係数を径方向より大きくしたときトルク伝達ロスが増大する場合がある。」について
請求人の主張は、完全に誤っている。以下、請求人が提出した口頭審理陳述要領書(第2回)の添付図面(3/5,4/5,5/5頁)を確認のため援用して詳細に説明する。この請求人が作成した添付図面を、参照および確認の便宜のため、参考資料1として本上申書にも添付している。
この参考資料1である添付図面の3/5頁は、等方性のトラクション係数を示すもので、周方向のトラクション係数μ円周=径方向のトラクション係数μ半径=0.05であり、基準状態と考える点において、請求人も被請求人も同じである。
また、添付図面の4/5頁(その1)は、異方性のトラクション係数を有するもので、周方向のトラクション係数μ円周=0.05 > 径方向のトラクション係数μ半径=0.01である。この4/5頁の異方性のトラクション係数を有する場合は、3/5頁の等方性のトラクション係数を有する基準状態の場合よりも、スピンロスが小さくなると言う認識において、請求人も被請求人も全く同じである。
この3/5頁の等方性のトラクション係数を有する基準状態の場合と、4/5頁の異方性のトラクション係数を有するその1の場合との両場合とも、周方向のトラクション係数μ円周は、0.05であるから、両場合で、トルク容量は同じである。
一方、添付図面の5/5頁(その2)は、異方性のトラクション係数を有するもので、周方向のトラクション係数μ円周=0.08 、径方向のトラクション係数μ半径=0.05である。この5/5頁の異方性のトラクション係数を有する場合は、3/5頁の等方性のトラクション係数を有する基準状態の場合よりも、スピンロスが大きくなることは、請求人が認めるように、被請求人も認める。
しかしながら、この添付図面の5/5頁(その2)は、周方向のトラクション係数μ円周=0.08であり、この周方向のトラクション係数μ円周=0.08は、3/5頁の等方性のトラクション係数の基準状態の周方向のトラクション係数μ円周=0.05よりも大きいから、添付図面の5/5頁(その2)のトルク容量は、3/5頁の等方性のトラクション係数の基準状態のトルク容量よりも明らかに大きい。3/5頁の等方性の基準状態の場合と、5/5頁(その2)の異方性の場合とでは、トルク容量が全く異なるから、このトルク容量の異なる2つのものについてのスピンロスの大小の比較は意味がない。意味のある比較は、トルク容量を同じにした3/5頁の等方性の基準状態の場合と、4/5頁(その1)の異方性の場合との比較である。
例えば、2つのエンジンのエネルギーロスを比較する場合、出力が50馬力同士のものを比較するのならば意味があるが(トルク容量が同じである3/5頁の基準状態の場合と4/5頁のその1の場合との比較ならば意味があるが)、50馬力のエンジンの全エネルギーロスと80馬力のエンジンの全エネルギーロスとを比較しても意味がないことは(トルク容量が異なる3/5頁の基準状態の場合と5/5頁のその2の異方性の場合との比較をしても意味がないことは)、当業者は言うに及ばず、小学生でも分かることである。
被請求人は、トルク容量の異なる3/5頁の基準状態と5/5頁のその2の異方性の場合とを比較しており、それをもって、「トルクロスが増大する場合がある」と主張するもので、通常の判断力のある人には、到底、認められない奇妙な主張で、明白な過ちである。
等方性の基準状態と異方性の本件発明とのトルク容量を同じにした場合(周方向のトラクション係数を同じにした場合)、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きい本件発明は、等方性の基準状態よりも、トルク伝達ロスが減少して、増大することは決してない。
このことは、請求人も、口頭審理陳述要領書(第2回)の添付図面の3/5,4/5で、自認しているのである。」(同上上申書第18頁第5行?第20頁第6行)

B5.「(3)特許法第29条第1項柱書きについて
請求人は、本件出願が特許法第29条第1項柱書きの要件に違反していると主張するが、その理由は、結局、第1回口頭審理調書に記載のように、「(b)周方向のトラクション係数を径方向より大きくしたときトルク伝達ロスが増大する場合がある。」ということである。
しかし、(二)被請求人の主張の(1)で詳述したように、参考資料1である請求人が作成した添付図面の3/5、4/5頁から明らかなように、周方向のトラクション係数が同じでトルク容量が同じである添付図面の3/5頁と4/5頁の場合、トラクション係数が等方性である3/5頁の基準状態の場合よりも、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きい4/5頁の本件発明の方がスピンロスが小さくなる。このことは、請求人自体が、口頭審理陳述要領書(第2回)で、認めているのである。
なお、スピンロスが小さくなると、当然、トルク伝達ロスは小さくなる。周方向のトラクション係数が同じなら、クリープ損失は、同じになるからである。
請求人は、参考資料1であ添付図面の3/5頁の等方性の基準状態よりもトルク容量を増大した異方性の5/5頁の状態と、3/5頁の等方性の基準状態とを比較して、スピン損失が減少していないと主張する。
しかし、この異方性の5/5頁の状態と、3/5頁の等方性の基準状態とは、トルク容量が全く異なるから、上述の比較は意味がない。
したがって、トルク容量を確保して同じ状態にして比較すると、周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくすると、トルク伝達ロスは低減する。
したがって、本件特許発明は、特許法第29条第1項柱書きの要件を充足する。
(4)特許法第36条第6項第1号について
本件特許発明は、トルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、トルクロスの原因となる径方向の摩擦力を低減すべく、周方向のトラクション係数を、径方向のトラクション係数よりも大きくなるように、表面粗さを設定したものである。
一方、本件特許公報の段落【0015】には、
『……粗さに異方性を持たせた、この異方性によって、……周方向のトラクション係数を、……径方向のトラクション係数よりも大きくした。したがって、ディスクとローラの接触面に働く周方向の摩擦力が大きくなって、ディスク2,3,5とローラ12,13との接触面に働く径方向の摩擦力をディスクとローラの接触面に働く周方向の摩擦力に比較して相対的に低減でき、トルク伝達ロスを低減できる。したがって、トルク伝達効率が高くて、トルク容量も大きなトロイダル型無段変速機を実現できる。』
と記載されているから、
本件特許発明は、発明の詳細な説明に完全に記載されていることになる。
したがって、本件特許出願は、特許法第36条第6項第1号のサポート要件を充足する。
(5)特許法第36条第6項第2号について
本件特許発明は、単に、トルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、トルクロスの原因となる径方向の摩擦力を低減すべく、周方向のトラクション係数を、径方向のトラクション係数よりも大きくなるように、表面粗さを設定したものである。
このように、本件発明は、簡素なもので、明確そのものであるから、特許法第36条第6項第2号明確性の要件を充足する。
以上より明らかなように、本件特許は、特許法第29条第1項柱書き、第36条第4項、第6項第1号および第2号の要件を充足し、特許法第123条第1項第2号または第4号に該当しなく、無効理由はない。」(同上上申書第21頁第4行?第23頁第7行)

(2)無効理由2についての当審の判断及び結論は次のとおりである。
(2-1)無効理由2に関係する審査基準について
「特許・実用新案審査基準」の「明細書及び特許請求の範囲の記載要件」の「2.2.1 第36条第6項第1号」には、次のとおり説明されている。
「(1) 請求項に係る発明は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであってはならない。…
(3) 以下に、第36条第6項第1号の規定に適合しないと判断される類型を示す。
1(原文は丸囲い数字)請求項に記載された事項と対応する事項が、発明の詳細な説明に記載も示唆もされていない場合。
2(原文は丸囲い数字)請求項及び発明の詳細な説明に記載された用語が不統一であり、その結果、両者の対応関係が不明りょうとなる場合。
3(原文は丸囲い数字)出願時の技術常識(2.2.2(3)参照)に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合。
4(原文は丸囲い数字)請求項において、発明の詳細な説明に記載された、発明の課題を解決するための手段が反映されていないため、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えて特許を請求することとなる場合。」

同じく「2.2.2 第36条第6項第2号」には、次のとおり説明されている。
「(3) 発明の把握は、第36条第5項の規定により請求項に記載された、特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項(以下、「発明を特定するための事項」という。)に基づいて行う。ただし、発明を特定するための事項の意味内容の解釈にあたっては、請求項の記載のみでなく、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識(注2)をも考慮する。…
(4)…
(留意事項)
1(原文は丸囲い数字)第36条第5項の「特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載」すべき旨の規定の趣旨からみて、出願人が請求項において特許を受けようとする発明について記載するにあたっては、種々の表現形式を用いることができる。…
2(原文は丸囲い数字)他方、第36条第6項第2号の規定により、請求項は、一の請求項から発明が明確に把握されるように記載すべきであるから、出願人による前記種々の表現形式を用いた発明の特定は、発明が明確である限りにおいて許容されるにとどまることに留意する必要がある。
例えば、物の有する作用、機能、性質又は特性(以下、「機能・特性等」という。)からその物の構造を予測することが困難な技術分野では、請求項が機能・特性等による物の特定を含む結果、発明の範囲が不明確となる場合が多い(例:化学物質発明)ことに留意する必要がある。…
2.2.2.1 第36条第6項第2号違反の類型

(6) 機能・特性等により物を特定する事項を含む結果、発明の範囲が不明確となる場合

2(原文は丸囲い数字)したがって、請求項が機能・特性等による物の特定を含む場合において、発明の範囲が明確であるか否かは、以下のように判断する。
当業者が、出願時の技術常識(明細書又は図面の記載から出願時の技術常識であったと把握されるものも含む)を考慮して、請求項に記載された当該物を特定するための事項から、当該機能・特性等を有する具体的な物を想定できる場合(例えば、当該機能・特性等を有する周知の具体的な物を例示することができる場合、当該機能・特性等を有する具体的な物を容易に想到できる場合、その技術分野において物を特定するのに慣用されている手段で特定されている場合等)は、発明の範囲は明確である。
他方、当該機能・特性等を有する具体的な物を想定できない場合であっても、
(i)当該機能・特性等による物の特定以外には、明細書又は図面に記載された発明を適切に特定することができないことが理解でき、かつ、
(ii)当該機能・特性等を有する物と出願時の技術水準との関係が理解できる場合は、発明の範囲が明確でないとはいえない。
技術水準との関係が理解できる場合としては、例えば、実験例の提示又は論理的説明によって当該機能・特性等を有する物と公知の物との関係(異同)が示されている場合等がある。
(i)、(ii)のいずれかの条件を満たさない場合は、発明の範囲は不明確である。」

また、「特許・実用新案審査基準」の「産業上利用することができる発明」には、次のとおり説明されている。
「1.1 「発明」に該当しないものの類型
(6) 発明の課題を解決するための手段は示されているものの、その手段によっては、課題を解決することが明らかに不可能なもの。」
同じく、
「2.1 「産業上利用することができる発明」に該当しないものの類型

(3) 実際上、明らかに実施できない発明
理論的にはその発明を実施することは可能であっても、その実施が実際上考えられない場合は、「産業上利用することができる発明」に該当しない。」

(2-2)判断及び結論
(2-2-1)請求人は上記に摘記したとおり、「単にトラクション部のトラクション係数を、周方向で大きく、径方向で小さくしただけでは、上記スピンすべりに基づくトルク伝達ロスを低減する事はできない。」と主張している。これは、転動面の粗さを適宜設定してトラクション係数を周方向で大きく径方向で小さくすることができたという仮の前提のもとでの主張と解される。実際、請求人が提出した平成20年5月22日付け口頭審理陳述要領書の「5.陳述の要領」の「(3)理由2(第29条第1項柱書等)」では「(A)この理由は、仮に、粗さ及びトラクション係数の調節により、周方向の摩擦力を増やすと共に径方向の摩擦力を低減できたとしても、それだけでは、スピンによる損失が低減できない事を述べたものです。」と主張している。そこで、以下では、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを調節して周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとで検討する。
まず、段落【0005】には「…このスピンすべりがトルク伝達ロスの原因となるという問題がある。」と記載されており、また、段落【0006】には「…上記スピンに起因する伝達ロスは小さくなる…」と記載されている。したがって、段落【0006】の「伝達ロス」は「トルク伝達ロス」の意味であり、また、段落【0007】、【0009】、【0015】、【0017】の「トルク伝達ロス」が「スピンすべり」に基づく「トルク伝達ロス」を意味することは明らかである。
次に、本件特許発明は転動面の粗さに起因するトラクション係数について「上記ディスクとローラの接触面に働いて上記トルク伝達を行う周方向の摩擦力を増やすと共に、上記接触面に働いて上記トルク伝達ロスの原因になる径方向の摩擦力を低減すべく、上記ディスクとローラとの接触面の周方向のトラクション係数が、上記接触面の径方向のトラクション係数よりも大きくなるように、上記ディスクの転動面の粗さと上記ローラの転動面の粗さを設定した」という事項を具備している。上記に摘記した請求人及び被請求人の主張を参酌すると、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするための代表的ないし典型的手段として、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくするかの3つの手段を一応想定することができる。
ここで、請求人は平成20年5月22日付け口頭審理陳述要領書(第3回)において「特許明細書の段落【0015】部分には、…「周方向摩擦増+径方向摩擦同じ」なる組み合わせを示唆する記述はあっても、「周方向摩擦同じ+径方向摩擦減」の組み合わせを示唆する記述は存在しません。」と主張し、これに対して被請求人は上記に摘記したとおり、「しかしながら、請求人の上述の主張は、本件特許公報の段落【0015】の記載に正確に基づかないから、誤りである。」、及び「つまり、段落【0015】の記載は、粗さに異方性を持たせて、周方向のトラクション係数を、径方向のトラクション係数よりも大きくしたから、周方向の摩擦力が径方向の摩擦力よりも大きくなって、径方向の摩擦力が周方向の摩擦力よりも相対的に低減できると言っているのであり、ただ、それだけである。」と主張している。したがって、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、等方性のものに対して周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくするものが本件特許発明に包含されるかどうかについて見解の相違がみられる。もしこれを肯定に解すると、本件特許発明の「周方向の摩擦力を増やす」という事項に明らかに相反する。「増やす」とは何かと比較して結果的に「増えている」という静的状態の意味にとどまらず、ある状態からある状態への動的な変化を意味するからである。以上より、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために想定できる上記の3つの手段のうち、等方性のものに対して周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくするものは本件特許発明に包含されないと解する。すなわち、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために想定できる上記の3つの手段のうち、本件特許発明に包含されるのは残りの2つ、すなわち、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくするものである。なお、被請求人の上記主張を認めても、この2つのものが本件特許発明に包含されることに変わりはない。
そして、本件特許発明はこの2つの手段を包含するとともに、そのいずれによるかは任意的であるから、この2つの手段を採用したいずれのものについても、本件特許発明の課題を解決できること、すなわち、トルク伝達ロスが低減できるという本件特許発明の作用効果を奏し得ることを要する。
ここで被請求人は、「トルク伝達ロスを低減できる。」の作用効果の意味について、上記に摘記したとおり、「このトルク容量の異なる2つのものについてのスピンロスの大小の比較は意味がない。」、「等方性の基準状態と異方性の本件発明とのトルク容量を同じにした場合(周方向のトラクション係数を同じにした場合)、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きい本件発明は、等方性の基準状態よりも、トルク伝達ロスが減少して、増大することは決してない。」と主張している。
しかし、まず、
(a)段落【0006】には「そこで、ディスクとローラの面粗さを変えて、ディスクとローラのトラクション係数を下げると、上記スピンに起因する伝達ロスは小さくなるが、トルク容量が低下するという問題がある。」と記載されており、ここでの「伝達ロスは小さくなる」がトルク容量を同じにした場合の比較でないことは明らかである。明細書に記載されている用語は、特段の事情のない限り、同じ意味に解されるというのが当業者の通常の理解であり、段落【0007】、【0015】等の「トルク伝達ロス」を段落【0006】の「伝達ロス」(この「伝達ロス」が「トルク伝達ロス」の意味であることは上記のとおりである。)と別異に解するとする記載ないし示唆は本件特許明細書に見当たらず、また、そのように解すべき特段の理由はない。また、
(b)被請求人が主張するとおり、トルク容量が大きく異なるような互いに関連のないトロイダル無段変速機についてトルク伝達ロスを比較しても意味がないことはそのとおりであろうが、ここでは、等方性である従来技術の課題から出発してその課題を解決するために上記のような手段を採用して異方性にするという本件特許発明における一連の連関関係においてトルク伝達ロスの低減という本件特許発明の課題ないし作用効果を捉えるべきである。すなわち、本件特許発明は、上記のような手段を採用する前の等方性のものと比較してトルク伝達ロスが低減できるという作用効果を奏し得ることを要する。
本件特許発明についての「トルク伝達ロスを低減できる。」という作用効果の意味について以上を前提にして本件特許発明の特定事項と作用効果を検討すると、上記の2つの手段、すなわち、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくしたものが、その手段を採用する前の等方性のものと比較してトルク伝達ロスを低減することができないことは、上記に摘記した「一方、添付図面の5/5頁(その2)は、異方性のトラクション係数を有するもので、周方向のトラクション係数μ円周=0.08 、径方向のトラクション係数μ半径=0.05である。この5/5頁の異方性のトラクション係数を有する場合は、3/5頁の等方性のトラクション係数を有する基準状態の場合よりも、スピンロスが大きくなることは、請求人が認めるように、被請求人も認める。」との被請求人の主張に照らして明らかである。
これに関して、被請求人は、上記に摘記したとおり、「特許請求の範囲に記載されていない未確定な従来例の1つよりも、Aを増やし、特許請求の範囲に記載されていない未確定な従来例の1つよりも、Bを低減すると言う権利範囲が定まらないおかしな解釈をすべきではない。」と主張する。しかし、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きいある特定のものに対して、上記手段を採用する前の等方性のものは仮想的に無数に想定可能であるが、そのような等方性のものとして、例えば、周方向のトラクション係数が上記のものにおける径方向のトラクション係数と等しいもの、あるいは、両トラクション係数がともに上記のものにおける両トラクション係数の平均値であるものなど、そのようなものを少なくとも1つ容易に想定するができる。そして、本件特許発明では等方性のものに対してトラクション係数を周方向にどの程度大きくあるいは径方向にどの程度小さくするかは任意的であるから、本件特許発明は上記のように想定した等方性のものと比較してもトルク伝達ロスを低減できなければならないはずである。このように、本件特許発明は上記のような手段を採用する前の等方性のものと比較してトルク伝達ロスが低減できることを要すると解しても、有意義な比較検討が可能であり、決して「おかしな解釈」ではない。
被請求人はまた、上記に摘記したとおり、「ここで、「確保」とは、広辞苑第四版(岩波書店)によると、「しっかりともちこたえること。」と記載されている。このことから、本件特許発明の目的は、必ずしも、トルク容量を増大することを目的としているのではなく、トルク容量をしっかりともちこたえ、つまり、低減させることなく、かつ、トルク伝達ロスを低減することである。」と主張している。等方性のものに対して周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくして径方向のトラクション係数を小さくした場合、一般にトルク容量が増大すると考えられるが、段落【0009】には「トルク容量も大きなトロイダル型無段変速機を実現できる。」との記載があり、また、「トルク容量を確保できる」という記載が「トルク容量が同じ」に限られるものでないことは、被請求人の「必ずしも、トルク容量を増大することを目的としているのではなく、トルク容量をしっかりともちこたえ、つまり、低減させることなく、」という上記主張からも明らかである。したがって、上記手段を採用する前の等方性のものと本件特許発明とのトルク容量が同じでなければならない理由は何もない。
仮に、被請求人が主張するように、そのような等方性のものと比較するのではなく何らかの規準を設けるとしても、本件特許明細書にはその規準が「トルク容量が同じ」ことでなければならないとする記載ないし示唆は何もない。また、規準としては、例えばスピンモーメントが同じとか全トルク伝達ロスが同じとか、種々想定することが可能であり、「トルク容量が同じ」という規準にする技術的必然性はない。
以上のとおり、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくするという手段を採用した本件特許発明が、それを採用していない等方性のものと比較してトルク伝達ロスを低減できるとは認められない。したがって、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでも、本件特許発明(請求項1に係る発明)は発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであって、本件特許は特許法第36条第6項第1号の要件を満たしているとはいえない。
しかしながら、上記のとおり、本件特許発明について、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくするという手段を採用した具体的な物を想定することができるから、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでは、本件特許発明の範囲が不明確であるということはできない。よって、本件特許が特許法第36条第6項第2号の要件を満たしていないということはできない。
また、上記に摘記したとおり、審査基準では特許法第36条第6項第1号について「(1)請求項に係る発明は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであってはならない。」とし、同項第2号については「(3)発明の把握は、第36条第5項の規定により請求項に記載された、特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項(以下、「発明を特定するための事項」という。)に基づいて行う。」とし、いずれも請求項に係る発明を検討の対象とする趣旨であるのに対して、「産業上利用することができる発明」の審査基準では発明についてそのような趣旨の説明がない。したがって、そこでの発明は請求項に係る発明に限るものではないと推認される。そして、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくしたものが、その手段を採用する前の等方性のものと比較してトルク伝達ロスを低減することができることは、上記に摘記した「勿論、径方向のトラクション係数、即ち、接触楕円の短径部分での摩擦を小さくする事は、上記スピンに基づくトルク伝達ロスの低減に寄与する…」との請求人の主張に照らして明らかであるから、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでは、本件特許明細書に記載された発明が「発明の課題を解決するための手段…によっては、課題を解決することが明らかに不可能なもの」、あるいは「実際上、明らかに実施できない発明」であるということはできない。よって、本件特許が特許法第29条第1項柱書の規定に違反するということはできない。

(2-2-2)以上では、上記のとおり、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを調節して周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとで検討した。一方、請求人は無効理由1において、トラクション係数と粗さとの関係は各種条件に伴って異なるものである以上、本件明細書及び図面のように各方向の粗さをどのような条件の下でどのように異ならせるかについて何らの条件も示さずに、単に周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくするとしただけでは、当業者が特許発明を実施することはできない旨、主張しているのであるから、無効理由2の「単に周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくしただけでは、上記スピン損失に基づくトルク伝達ロスを低減できない。」旨の主張は、表面粗さを変えることによって周方向のトラクション係数を径方向のトラクション係数よりも大きくすることができない場合には、なおさらスピン損失に基づくトルク伝達ロスを低減できないという旨の主張を含意していると解するのが合理的ないし必然的である。このように解しても、被請求人にはその主張の基礎をなす事実である無効理由1について十分に反論の機会が与えられており、また、実際に反論がなされているので、被請求人にとって不当なものではない。そこで、以下ではこのような主張の成否について検討する。
上記の「6-1【無効理由1について】」で述べたとおり、直線領域、及び境界領域のうちのトラクション係数が最大になる点に近い部分より直線領域に近い範囲(甲第2号証の図12ですべり率の絶対値が約2%以下)では、トラクション係数にあらさの違いによる差はみられないと認められる。したがって、上記のようなトラクションドライブのトロイダル型無段変速機では、単に転動面の粗さを変えるということによって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることはできない。以上の点に留意すると、
第1に、(2-2-1)の検討では、「本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでも、本件特許発明(請求項1に係る発明)は発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであって、特許法第36条第6項第1号の要件を満たしていない。」としたが、その仮の前提がない場合、すなわち、転動面の粗さを変えることによって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができない場合には、なおさら、本件特許発明は発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであって、本件特許が特許法第36条第6項第1号の要件を満たしているとはいえないことは明らかである。
第2に、(2-2-1)の検討では、「本件特許発明について、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、等方性のものに対して径方向のトラクション係数を変えることなく周方向のトラクション係数を大きくするか、または周方向のトラクション係数を大きくするとともに径方向のトラクション係数を小さくするという手段を採用した具体的な物を想定することができるから、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでは、本件特許発明の範囲が不明確であるということはできない。よって、特許法第36条第6項第2号の要件を満たしていないということはできない。」としたが、上記の仮の前提がない場合、すなわち、転動面の粗さを変えることによって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができない場合には、上記のようなトラクションドライブのトロイダル型無段変速機では、上記の3つの手段及びその他の手段によって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにした具体的な物を想定することができない。また、「6-1【無効理由1について】」で述べたとおり、上記のようなトラクションドライブのトロイダル型無段変速機以外のトロイダル型無段変速機についても、この点に関して発明の詳細な説明の欄に当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されているということはできない。したがって、結局、トロイダル型無段変速機一般について、周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにした具体的な物を想定することができない。よって、本件特許は特許法第36条第6項第2号の要件を満たしているということはできない。
第3に、(2-2-1)の検討では、「周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにするために、周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくしたものが、その手段を採用する前の等方性のものと比較してトルク伝達ロスを低減することができることは、…明らかであるから、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、転動面の粗さを適宜設定することにより周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができるという仮の前提のもとでは、本件特許明細書に記載された発明が「発明の課題を解決するための手段…によっては、課題を解決することが明らかに不可能なもの」、あるいは「実際上、明らかに実施できない発明」であるということはできない。よって、特許法第29条第1項柱書の規定に違反するということはできない。」としたが、上記の仮の前提がない場合、すなわち、転動面の粗さを変えることによって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数より大きくなるようにすることができない場合には、周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくすることはできないのであるから、上記のようなトラクションドライブのトロイダル型無段変速機では、転動面の粗さを変えることによって周方向のトラクション係数を変えることなく径方向のトラクション係数を小さくすることはできないといわざるを得ない。また、「6-1【無効理由1について】」で述べたとおり、上記のようなトラクションドライブのトロイダル型無段変速機以外のトロイダル型無段変速機についても、この点に関して発明の詳細な説明に当業者が実施できる程度に明確かつ十分に説明されているということはできない。また、当業者の技術常識をもってしても、そのようなトロイダル型無段変速機を想定することはできない。したがって、結局、転動面の粗さを変えることによって周方向のトラクション係数が径方向のトラクション係数よりも大きくなるようにし、トルク伝達ロスを低減することができるトロイダル型無段変速機は「発明の課題を解決するための手段…によっては、課題を解決することが明らかに不可能なもの」、ないし「実際上、明らかに実施できない発明」に相当するといわざるを得ない。よって、本件特許は特許法第29条第1項柱書の規定に違反する。

7.むすび
以上のとおりであるから、本件特許の請求項1に係る発明についての特許は、特許法第29条第1項柱書、第36条第4項、並びに、第6項第1号及び第2号の規定に違反してされたものであり、同法第123条第1項第2号及び第4号に該当し、無効とすべきものである。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項の規定で準用する民事訴訟法第61条の規定により、被請求人が負担すべきものとする。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2008-10-20 
結審通知日 2008-10-22 
審決日 2008-11-05 
出願番号 特願平11-144830
審決分類 P 1 113・ 536- Z (F16H)
P 1 113・ 14- Z (F16H)
P 1 113・ 537- Z (F16H)
最終処分 成立  
前審関与審査官 谿花 正由輝高山 芳之  
特許庁審判長 山岸 利治
特許庁審判官
戸田 耕太郎
常盤 務
登録日 2005-12-02 
登録番号 特許第3746636号(P3746636)
発明の名称 トロイダル型無段変速機  
代理人 山崎 宏  
代理人 仲倉 幸典  
代理人 篠 剛  
代理人 大田 隆史  
代理人 小山 欽造  
代理人 武藤 正樹  
代理人 小山 武男  

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