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審決分類 審判 全部申し立て 特36条4項詳細な説明の記載不備  C23C
審判 全部申し立て 1項3号刊行物記載  C23C
審判 全部申し立て 2項進歩性  C23C
管理番号 1360506
異議申立番号 異議2019-701025  
総通号数 244 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2020-04-24 
種別 異議の決定 
異議申立日 2019-12-16 
確定日 2020-03-05 
異議申立件数
事件の表示 特許第6533818号発明「摺動部材およびピストンリング」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6533818号の請求項1ないし6に係る特許を維持する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6533818号(以下、「本件特許」という。)に係る出願は、平成29年10月20日を出願日とするものであって、令和 1年 5月31日にその請求項1?6に係る発明について特許権の設定登録がされ、同年 6月19日に特許掲載公報が発行され、その後、全請求項に係る特許に対して、同年12月16日付けで特許異議申立人 野口 昌徳(以下、「申立人」という。)により特許異議の申立てがされたものである。

第2 本件特許発明
本件特許の請求項1?6に係る発明(以下、「本件発明1」?「本件発明6」といい、まとめて「本件発明」という。)は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1?6に記載された事項により特定される以下のとおりのものと認める。
「【請求項1】
基材と、該基材の上に形成された、水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上の硬質炭素皮膜と、を有する摺動部材であって、
前記硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上であることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記HITは、50GPa以下である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記硬質炭素皮膜の厚さは、5μm以上である、請求項1又は2に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記硬質炭素皮膜の表面粗さRaが0.12μm以下である、請求項1?3のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記基材と前記硬質炭素皮膜との間に、Cr、Ti、Co、V、Mo、及びW、並びにそれらの炭化物、窒化物、及び炭窒化物から選択された一つ以上の材料からなる中間層を有する、請求項1?4のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項6】
請求項1?5のいずれか一項に記載の摺動部材からなるピストンリング。」

第3 異議申立理由の概要
申立人は、証拠として甲第1号証?甲第25号証を提出し、以下の異議申立理由によって、本件発明1?6に係る特許を取り消すべきものである旨を主張している。
1 特許法第29条第1項(新規性)、第2項(進歩性)について
甲第1号証:特開2017-101279号公報
甲第2号証:特開2006-250348号公報
甲第3号証:国際公開第2017/104822号
甲第4号証:特開2017-13136号公報
甲第5号証:特開2016-128599号公報
甲第6号証:国際公開第2016/017375号
甲第7号証:特開2015-193913号公報
甲第8号証:国際公開第2014/157560号
甲第9号証:特開2013-249491号公報
甲第10号証:特開2004-99983号公報
甲第11号証:特開2002-57148号公報
甲第12号証:国際公開第2011/161912号
甲第13号証:特開2010-199107号公報
甲第14号証:特開2010-41041号公報
甲第15号証:特開2017-53469号公報
甲第16号証:特開2016-60921号公報
甲第17号証:特開2015-86967号公報
甲第18号証:特開2008-297477号公報
甲第19号証:特開2011-149035号公報
甲第20号証:特開2003-171758号公報
甲第21号証:特開2001-316800号公報
甲第22号証:三浦一真、薄膜硬度計(ナノインデンター)と測定事例の紹介、新規導入機器操作講習会、平成25年12月17日、p.1-15
甲第23号証:荒 翔太ら、超微小硬度計による結晶粒の機械的特性評価法に関する基礎的検討、第61回理論応用力学講演会、平成24年 3月、OS15-11
甲第24号証:【県央技術トピックス】ビッカース硬さ試験とヌープ硬さ試験、新潟県工業技術総合研究所県央技術支援センター、2015年
甲第25号証:特願2017-203898号(本件特許出願)の早期審査に関する事情説明書、株式会社リケン、平成31年 3月14日、p.1-4

(1)甲第1号証または甲第19号証を主引用例とする場合について
本件発明1は、甲第1号証または甲第19号証に記載された発明と、甲第2号証に記載された事項、甲第3?9号証に記載された周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
本件発明2?3、5、6は、甲第1号証に記載された発明と、甲第2号証に記載された事項、甲第3?9号証に記載された周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
本件発明4は、甲第1号証に記載された発明と、甲第2号証に記載された事項、甲第3?9号証、甲第15?17号証に記載された周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。

(2)甲第3号証を主引用例とする場合について
本件発明1?3、5、6は、甲第3号証に記載された発明と実質的に同一である。
本件発明4は、甲第3号証に記載された発明と、甲第15?17号証に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。

(3)甲第18号証を主引用例とする場合について
本件発明1?6は、甲第18号証に記載された発明と、甲第2号証に記載された事項及び甲第3?9号証に記載された周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。

2 特許法第36条第4項第1号(実施可能要件)について
本件発明においてイオンプレーティング法により「HM/HITが0.40以上」を実現するための成膜条件は、本件特許明細書の【0029】に開示されるものであり、同【0037】によれば、発明例1?8のみならず比較例1?3、5も、前記【0029】に開示された条件の範囲内で成膜されたものと解されるが、このうち比較例1?3は「HM/HITが0.40以上」を満たしていない。
そうすると、前記【0029】に開示された条件の範囲内で成膜されたものであっても、「HM/HITが0.40以上」を満たさない場合があることとなり、更に甲第25号証によれば、「HM/HITが0.40以上」を満たす具体的な成膜条件は、技術常識を考慮しても当業者が容易に理解することはできない。
したがって、本件特許明細書の記載に接した当業者は、技術常識を考慮しても、「HM/HITが0.40以上」を満足する成膜条件を理解できないから、発明例と比較例1?3とを確実に作り分けることができない。
すなわち、当業者は、本件発明に係る「摺動部材」を必ず製造することができず、その製造には過度の試行錯誤が必要となるから、本件発明1?6について、発明の詳細な説明には当業者がその実施をできる程度に明確かつ十分に記載されていない。

第4 異議申立理由についての判断
1 特許法第29条第1項(新規性)、第2項(進歩性)について
(1)各甲号証の記載事項及び各甲号証に記載された発明
ア 甲第1号証の記載事項及び甲第1号証に記載された発明
甲第1号証には以下の記載がある(当審注:下線は当審が付与した。また、「・・・」は記載の省略を表す。以下、同様である。)。
(1a)「【請求項1】
カーボンを主成分とする陰極材料を用いてアーク放電を行うことにより、前記陰極表面に形成されたアークスポットから前記カーボンを昇華させて、基材表面にカーボンを主成分とする炭素膜を成膜するアーク式成膜装置であって、
前記陰極を保持する陰極保持手段と、
前記基材を保持する基材保持手段と、
前記陰極保持手段および前記基材保持手段が収容された真空チャンバーとを備えており、
成膜中、少なくとも前記陰極の前記アークスポット近傍の領域の温度を500?3000℃にする手段を備えていることを特徴とするアーク式成膜装置。」

(1b)「【実施例】
【0099】
[1]実験1
実験1においては、陰極を加熱する加熱手段としてヒーターを設け、成膜中の陰極をヒーターで加熱して、粉砕粒子の放出を抑制することができる陰極の温度を調べた。
【0100】
1.実験例1?4
具体的には、従来のアーク式成膜装置にヒーターを設置して、表1に示す陰極の温度となるように制御して実験例1?4を行った。なお、ヒーター温度以外の具体的な成膜条件は以下の通りにした。
【0101】
陰極 :長さ 30mm
直径 50mm
基材 :テスト用の基材(高速度工具鋼製)
真空度 :1×10^(-3)Pa
バイアス電圧 :-50V
アーク電圧 :-20V
アーク放電電流 :50A
成膜時間 :20min
【0102】
2.評価
(1)陰極の温度
各実験例において、赤外放射温度計を用いて、成膜中の陰極の温度を測定した。結果を表1に示す。
【0103】
(2)DLC膜の表面粗さ
各実験例において成膜されたDLC膜について、表面粗さ計を用いて表面形状を測定し、測定結果に基づいて表面粗さ(十点平均粗さ)を算出した。結果を表1に示す。
・・・
【0105】
【表1】



(ア)前記(1a)によれば、甲第1号証には「アーク式成膜装置」に係る発明が記載されており、当該「アーク式成膜装置」は、カーボンを主成分とする陰極材料を用いてアーク放電を行うことにより、前記陰極表面に形成されたアークスポットから前記カーボンを昇華させて、「基材」表面にDLC膜を成膜するものである。
そして、前記(1b)の実験例1に注目すると、前記「アーク式成膜装置」により表面に前記DLC膜が成膜された「基材」は、陰極:長さ 30mm、直径 50mm、基材:テスト用の基材(高速度工具鋼製)、真空度:1×10^(-3)Pa、バイアス電圧:-50V、アーク電圧:-20V、アーク放電電流:50A、成膜時間:20min、陰極の温度:200℃の成膜条件で製造され、表面粗さが1.2μmであるものである。

(イ)そうすると、甲第1号証には以下の発明が記載されているといえる。
「カーボンを主成分とする陰極材料を用いてアーク放電を行うことにより、前記陰極表面に形成されたアークスポットから前記カーボンを昇華させて、基材表面にDLC膜を成膜するアーク式成膜装置により表面にDLC膜が成膜された基材であって、
陰極:長さ 30mm、直径 50mm、基材:テスト用の基材(高速度工具鋼製)、真空度:1×10^(-3)Pa、バイアス電圧:-50V、アーク電圧:-20V、アーク放電電流:50A、成膜時間:20min、陰極の温度:200℃の成膜条件で成膜され、表面粗さが1.2μmである、表面にDLC膜が成膜された基材。」(以下、「甲1発明」という。)

イ 甲第3号証の記載事項及び甲第3号証に記載された発明
甲第3号証には以下の記載がある。
(3a)「請求の範囲
[請求項1]基材の表面に被覆される被覆膜であって、
断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有しており、
前記白色の硬質炭素層は、厚み方向に扇状に成長した領域を有していることを特徴とする被覆膜。
・・・
[請求項13]前記黒色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が30?80GPaであることを特徴とする請求項1ないし請求項12のいずれか1項に記載の被覆膜。
[請求項14]前記白色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が10?30GPaであることを特徴とする請求項13に記載の被覆膜。
[請求項15]PVD法を用いて、基材の表面に請求項1ないし請求項14のいずれか1項に記載の被覆膜を成膜する被覆膜の製造方法であって、
前記基材が、50℃を超え200℃以下の低温域と200℃を超え300℃以下の高温域との間で昇温と降温を交互に繰り返すように、前記基材への成膜条件を制御すると共に、
前記基材を自転および/または公転させることを特徴とする被覆膜の製造方法。
・・・
[請求項17]前記PVD法としてアーク式PVD法を用い、バイアス電圧、アーク電流、ヒーター温度および炉内圧力の少なくとも1つのパラメータを制御することにより、前記基材の昇温と降温を交互に繰り返すことを特徴とする請求項15または請求項16に記載の被覆膜の製造方法。
[請求項18]前記バイアス電圧を-50?-1500Vに制御すると共に、前記アーク電流を10?200Aに制御することを特徴とする請求項17に記載の被覆膜の製造方法。
・・・
[請求項24]基材の表面に被覆される被覆膜であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚さ方向に交互に積層されており、積層された少なくとも2層以上の層間に跨る隆起状形態部が現れていることを特徴とする請求項1に記載の被覆膜。
・・・
[請求項31]請求項24ないし請求項30のいずれか1項に記載の被覆膜を少なくとも外周摺動面に有することを特徴とするピストンリング。」

(3b)「[0019]摺動部材の被覆膜としてPVD法を用いて硬質炭素膜を成膜する場合、基材温度が高くなるとsp^(3)結合性炭素(ダイヤモンド構造)が生成しにくくなり、sp^(2)結合性炭素(グラファイト構造)がリッチな硬質炭素膜、即ち、低硬度の硬質炭素膜が成膜されてしまうため、従来より基材温度を200℃以下に制御して成膜を行ってsp^(3)結合性炭素の比率が高く、耐摩耗性に優れた硬質炭素膜を成膜していた。
[0020]しかしながら、上記のようにPVD法を用いて硬質炭素膜を成膜する場合に、十分な耐久性を確保して寿命を長くするために厚膜の硬質炭素膜を成膜しようとすると、膜厚が1μmを超えると硬質炭素膜中の圧縮残留応力が大きくなりすぎて膜が自己破壊する。自己破壊しなかったとしても、圧縮残留応力が大きく歪を蓄積した状態であるので、耐チッピング性は低い。このように、PVD法では、厚膜の硬質炭素膜の成膜を安定して行うことは困難であり、十分な耐久性を確保することが難しかった。
・・・
[0035]請求項1に記載の発明は、上記の知見に基づくものであり、
基材の表面に被覆される被覆膜であって、
断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有しており、
前記白色の硬質炭素層は、厚み方向に扇状に成長した領域を有していることを特徴とする被覆膜である。
・・・
[0038]なお、黒色の硬質炭素層と白色の硬質炭素層の層数は、特に限定されず、被覆膜の総膜厚、各硬質炭素層1層当りの厚み等に基づいて適宜設定されるが、十分な耐久性を確保するためには、各2層以上を交互に積層させることが好ましい。例えば、黒色の硬質炭素層と白色の硬質炭素層をそれぞれ9層程度積層させた総膜厚5μm程度の被覆膜を好ましい例としてあげることができる。」

(3c)「[0122]一方、黒色の硬質炭素層は、sp^(2)/sp^(3) 比が0.1?0.4であることが好ましく、0.2?0.35であるとより好ましい。また、黒色の硬質炭素層は、水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下、さらに好ましくは0原子%であることが好ましく、残部が実質的に炭素のみからなっていると硬度が上昇し耐摩耗性が向上するため好ましい。なお、ここで「実質的に炭素のみ」とは、N、B、Siその他の不可避不純物以外は含まれていないことを指す。
[0123]白色の硬質炭素層1bも水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下であり、残部は実質的に炭素のみからなりN、B、Siその他の不可避不純物以外は含まれていないことが好ましいが、白色の硬質炭素層1bにおいては、これらの元素を含んでいても、耐チッピング性を向上させることは可能である。」

(ア)前記(3a)によれば、甲第3号証には「ピストンリング」に係る発明が記載されており、当該「ピストンリング」は、「基材」の表面に被覆される「被覆膜」であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される「白色の硬質炭素層」と、黒で示される「黒色の硬質炭素層」とが厚み方向に交互に積層されて、1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有し、前記「白色の硬質炭素層」は、厚み方向に扇状に成長した領域を有し、前記「黒色の硬質炭素層」のナノインデンテーション硬度が30?80GPaであり、前記白色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が10?30GPaであり、積層された少なくとも2層以上の層間に跨る隆起状形態部が現れている「被覆膜」を、少なくとも外周摺動面に有するものである。
また、前記「被覆膜」は、PVD法を用いて基材の表面に成膜する製造方法により製造されるものであって、前記「基材」が、50℃を超え200℃以下の低温域と200℃を超え300℃以下の高温域との間で昇温と降温を交互に繰り返すように、前記「基材」への成膜条件を制御すると共に、前記「基材」を自転および/または公転させ、前記PVD法としてアーク式PVD法を用い、バイアス電圧を-50?-1500Vに制御すると共に、アーク電流を10?200Aに制御して、前記「基材」の昇温と降温を交互に繰り返す「被覆膜」の製造方法により製造されるものである。
更に、前記(3c)によれば、黒色の硬質炭素層は、水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下、さらに好ましくは0原子%であり、白色の硬質炭素層も水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下であるものである。

(イ)そうすると、甲第3号証には以下の発明が記載されているといえる。
「基材の表面に被覆される被覆膜であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて、1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有し、
前記白色の硬質炭素層は、厚み方向に扇状に成長した領域を有し、
前記黒色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が30?80GPaであり、
前記白色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が10?30GPaであり、
積層された少なくとも2層以上の層間に跨る隆起状形態部が現れている被覆膜を、少なくとも外周摺動面に有するピストンリングであって、
前記被覆膜は、PVD法を用いて基材の表面に成膜する製造方法により製造されるものであって、前記基材が、50℃を超え200℃以下の低温域と200℃を超え300℃以下の高温域との間で昇温と降温を交互に繰り返すように、前記基材への成膜条件を制御すると共に、前記基材を自転および/または公転させ、前記PVD法としてアーク式PVD法を用い、バイアス電圧を-50?-1500Vに制御すると共に、アーク電流を10?200Aに制御して、前記基材の昇温と降温を交互に繰り返す被覆膜の製造方法により製造され、
黒色の硬質炭素層は、水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下、さらに好ましくは0原子%であり、白色の硬質炭素層も水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下である、ピストンリング。」(以下、「甲3発明」という。)

ウ 甲第18号証の記載事項及び甲第18号証に記載された発明
甲第18号証には以下の記載がある。
(18a)「【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材上に実質的に水素を含有しないダイヤモンドライクカーボン膜を形成して成り、該ダイヤモンドライクカーボン膜が潤滑材の存在下で相手部材と相対的に摺動する摺動部材であって、
上記ダイヤモンドライクカーボン膜の表面粗さが算術平均粗さRaで0.01μm以下であると共に、当該ダイヤモンドライクカーボン膜の表面における異物粒子の付着及び/又は脱離に起因する凹凸の射影面積率が0.4%以下であることを特徴とする低摩擦摺動部材。
・・・
【請求項5】
上記ダイヤモンドライクカーボン膜がta-Cに分類されるダイヤモンドライクカーボンから成り、sp^(3)/(sp^(2)+sp^(3))構造比が0.5?0.9、水素含有量が0?5原子%、ナノインデンテーション硬さが40GPa以上、密度が2.8?3.4g/cm^(3)であることを特徴とする請求項1?4のいずれか1つの項に記載の低摩擦摺動部材。」

(18b)「【0012】
一般に、DLC膜は、実質的に水素を含まないa-C(amorphous Carbon)及びta-C(tetrahederal amorphous Carbon;テトラヘドラルアモルファスカーボン)と、水素を含有するta-C:H及びa-C:Hの四つに分類され、a-Cはsp^(3)(ダイヤモンド構造)成分が少なく、sp^(2)(グラファイト構造)成分が多いのに対し、ta-Cはsp^(3)(ダイヤモンド構造)成分が多い。
・・・
【0013】
一般に、DLCの形成には、・・・真空アーク蒸着法などが用いられるが、真空アーク蒸着法以外の成膜方法、・・・などでは、原料に炭化水素ガスを用いるため、原理的に水素を含む場合がほとんどであり、a-Cやta-Cの形成には、真空アーク蒸着法が用いられる。
・・・
【0014】
真空アーク蒸着法によりDLC膜を形成する場合、・・・プロセスチャンバ内へガスを何も導入しなければ、水素を実質的に含有しないa-Cやta-Cを形成することができる。
【0015】
基板に印加するバイアス電圧を変えることによって、これらのいずれかを形成することができ、ta-C又はta-C:Hを形成するには、バイアス電圧を0?-200V、より好適には-50?-150V、更に好適には-100V±20Vとすることによってta-C又はa-C:Hを形成することができる。装置内へガスを何も導入しなければ、水素を実質的に含有しないta-Cを形成できる。
・・・
【0029】
このとき、これらフィルタードアーク蒸着法において、ドロップレットの発生を極力抑え、ドロップレットに起因する凹凸数を少なくする観点から、・・・あるいは、アーク電流を50A以下とし、より好ましくは30A以下とし、ドロップレットの発生自体を抑制するような成膜条件を採用することが望ましい。中でも、アーク電流は低いほうがドロップレットの発生量が減るので、比較的簡単に凹凸量を少なくすることができる。」

(ア)前記(18a)によれば、甲第18号証には「低摩擦摺動部材」に係る発明が記載されており、当該「低摩擦摺動部材」は、基材上に実質的に水素を含有しないダイヤモンドライクカーボン膜を形成して成り、該ダイヤモンドライクカーボン膜が潤滑材の存在下で相手部材と相対的に摺動する摺動部材であって、前記ダイヤモンドライクカーボン膜の表面粗さが算術平均粗さRaで0.01μm以下であると共に、当該ダイヤモンドライクカーボン膜の表面における異物粒子の付着及び/又は脱離に起因する凹凸の射影面積率が0.4%以下であり、前記ダイヤモンドライクカーボン膜は、ta-Cに分類されるダイヤモンドライクカーボンから成り、sp^(3)/(sp^(2)+sp^(3))構造比が0.5?0.9、水素含有量が0?5原子%、ナノインデンテーション硬さが40GPa以上、密度が2.8?3.4g/cm^(3)であるものである。

(イ)そうすると、甲第18号証には以下の発明が記載されているといえる。
「基材上に実質的に水素を含有しないダイヤモンドライクカーボン膜を形成して成り、該ダイヤモンドライクカーボン膜が潤滑材の存在下で相手部材と相対的に摺動する摺動部材であって、
前記ダイヤモンドライクカーボン膜の表面粗さが算術平均粗さRaで0.01μm以下であると共に、当該ダイヤモンドライクカーボン膜の表面における異物粒子の付着及び/又は脱離に起因する凹凸の射影面積率が0.4%以下であり、
前記ダイヤモンドライクカーボン膜は、ta-Cに分類されるダイヤモンドライクカーボンから成り、sp^(3)/(sp^(2)+sp^(3))構造比が0.5?0.9、水素含有量が0?5原子%、ナノインデンテーション硬さが40GPa以上、密度が2.8?3.4g/cm^(3)である、低摩擦摺動部材。」(以下、「甲18発明」という。)

エ 甲第19号証の記載事項及び甲第19号証に記載された発明
甲第19号証には以下の記載がある。
(19a)「【特許請求の範囲】
【請求項1】
実質的に炭素及び水素からなる水素含有非晶質炭素被膜中に、平均粒径0.05μm以上0.5μm以下の実質的に炭素及び水素からなる非晶質炭素微粒子が分散した水素含有非晶質硬質炭素被覆部材。」

(19b)「【実施例】
【0026】
以下の具体的実施例により、本発明をさらに詳細に説明する。
実施例1
まず、基材として用いる硬化処理を施した高速度工具鋼(JIS G4403規格材のSKH51材)の円板(φ24 mm、厚さ4 mm)の一方の表面を、表面粗さRz(JIS B0601 ’94の10点平均粗さ)が0.3?0.5μmになるように研磨加工した。成膜開始直前に、アセトン及びエタノールで順次超音波洗浄を行い、表面に付着した汚れを除去した。クロム(Cr)カソードとグラファイトカソードを備えた反応性アークイオンプレーティング装置内に上記円板をセットし、真空排気した後、イオンボンバード処理を実施し、続いてCr中間層を形成した。次に、アルゴンガス及びアセチレンガスを導入し、アーク放電電流を80Aに設定し、アーク放電によってグラファイトカソード(炭素98at%以上)を蒸発させながら、ピーク電圧-50V、周波数250kHz、ON/OFF比1.0のパルスバイアスを印加する条件で反応性アークイオンプレーティング法によって硬質炭素被膜を形成した。得られた被膜の膜厚は約7μmであった。」

(ア)前記(19a)によれば、甲第19号証には「水素含有非晶質硬質炭素被覆部材」に係る発明が記載されており、当該「水素含有非晶質硬質炭素被覆部材」は、実質的に炭素及び水素からなる水素含有非晶質炭素被膜中に、平均粒径0.05μm以上0.5μm以下の実質的に炭素及び水素からなる非晶質炭素微粒子が分散したものである。
そして、前記(19b)の実施例1に注目すると、前記「水素含有非晶質硬質炭素被覆部材」は、基材として用いる硬化処理を施した高速度工具鋼(JIS G4403規格材のSKH51材)の円板(φ24 mm、厚さ4 mm)の一方の表面を、表面粗さRz(JIS B0601 ’94の10点平均粗さ)が0.3?0.5μmになるように研磨加工し、成膜開始直前に、アセトン及びエタノールで順次超音波洗浄を行い、表面に付着した汚れを除去し、クロム(Cr)カソードとグラファイトカソードを備えた反応性アークイオンプレーティング装置内に上記円板をセットし、真空排気した後、イオンボンバード処理を実施し、続いてCr中間層を形成し、次に、アルゴンガス及びアセチレンガスを導入し、アーク放電電流を80Aに設定し、アーク放電によってグラファイトカソード(炭素98at%以上)を蒸発させながら、ピーク電圧-50V、周波数250kHz、ON/OFF比1.0のパルスバイアスを印加する条件で反応性アークイオンプレーティング法によって硬質炭素被膜を形成して製造されたものであり、得られた被膜の膜厚は約7μmであるものである。

(イ)そうすると、甲第19号証には以下の発明が記載されているといえる。
「実質的に炭素及び水素からなる水素含有非晶質炭素被膜中に、平均粒径0.05μm以上0.5μm以下の実質的に炭素及び水素からなる非晶質炭素微粒子が分散した水素含有非晶質硬質炭素被覆部材であって、
基材として用いる硬化処理を施した高速度工具鋼(JIS G4403規格材のSKH51材)の円板(φ24 mm、厚さ4 mm)の一方の表面を、表面粗さRz(JIS B0601 ’94の10点平均粗さ)が0.3?0.5μmになるように研磨加工し、成膜開始直前に、アセトン及びエタノールで順次超音波洗浄を行い、表面に付着した汚れを除去し、クロム(Cr)カソードとグラファイトカソードを備えた反応性アークイオンプレーティング装置内に上記円板をセットし、真空排気した後、イオンボンバード処理を実施し、続いてCr中間層を形成し、次に、アルゴンガス及びアセチレンガスを導入し、アーク放電電流を80Aに設定し、アーク放電によってグラファイトカソード(炭素98at%以上)を蒸発させながら、ピーク電圧-50V、周波数250kHz、ON/OFF比1.0のパルスバイアスを印加する条件で反応性アークイオンプレーティング法によって硬質炭素被膜を形成して製造され、
得られた被膜の膜厚が約7μmである、水素含有非晶質硬質炭素被覆部材。」(以下、「甲19発明」という。)

(2)対比・判断
(2-1)甲第1号証を主引用例とする場合について
ア 対比
(ア)本件発明1と甲1発明とを対比すると、甲1発明において「基材」の表面に成膜された「DLC膜」は、本件発明1において「基材」の上に形成された「硬質炭素皮膜」に相当し、甲1発明における、「表面にDLC膜が成膜された基材」は、本件発明1における「部材」に相当する。

(イ)前記(ア)によれば、本件発明1と甲1発明とは、
「基材と、該基材の上に形成された硬質炭素皮膜と、を有する部材。」
の点で一致し、以下の点で相違している。
相違点1:本件発明1は、「硬質炭素皮膜」の「水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上」、との発明特定事項を有するのに対して、甲1発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

相違点2:本件発明1は、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との発明特定事項を有するのに対して、甲1発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

相違点3:本件発明1は、「部材」が「摺動部材」である、との発明特定事項を有するのに対して、甲1発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

イ 判断
(ア)事案に鑑み、前記ア(イ)の相違点2から検討すると、本件特許明細書には以下の記載がある。
(a)「【0027】
このような特性を有するDLC皮膜12は、例えばカーボンターゲットを用いた真空アーク放電によるイオンプレーティング法によって、基材10の上に形成することができる。以下では、DLC皮膜12の形成方法を説明する。
・・・
【0029】
本実施形態では、HM/HITを0.40以上とすることが重要であり、これはバイアス電圧とアーク放電電流を以下の範囲から調整することによって実現することができる。バイアス電圧は-50V以上0V以下とする。バイアス電圧が-50V未満であると、HITの増加量に対してHMの増加量が小さくなる傾向を示し、HM/HITが0.40未満になってしまう。また、アーク放電電流は50A以上200A以下とする。50A未満の場合、緻密なDLC皮膜を形成することができないので、HITの増加量に対してHMの増加量が小さくなり、HM/HITが0.40未満になってしまう。アーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施することにより基材温度の上昇を防ぐことで、DLC皮膜の硬度が低下するおそれもなく、HITを15GPa以上、HMを6GPa以上にすることができる。ここで、バイアス電圧が-50V以上0V以下を満たし、かつアーク放電電流が50A以上200A以下を満たす範囲では、バイアス電圧の絶対値を増加させるとHM/HITが減少し、アーク放電電流を増加させるとHM/HITが増加する。なお、基材の温度は100℃以上230℃以下とすることが好ましい。」

(イ)前記(ア)(a)によれば、本件発明は、「HM/HIT」を0.40以上とするものであり、これは、カーボンターゲットを用いた真空アーク放電によるイオンプレーティング法においてバイアス電圧を-50V以上0V以下、アーク放電電流を50A以上200A以下の範囲から調整することによって実現できるものである。
また、本件発明は、アーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施することにより「基材」温度の上昇を防ぐことで、DLC皮膜の硬度が低下するおそれもなく、「HIT」を15GPa以上、「HM」を6GPa以上にすることができるものであり、このときの「基材」の温度は100℃以上230℃以下とすることが好ましいものである。
すなわち、本件発明は、バイアス電圧を-50V以上0V以下、アーク放電電流を50A以上200A以下の範囲から調整し、更にアーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施して、「基材」の温度を100℃以上230℃以下とする、との成膜条件(以下、「本件成膜条件」という。)で成膜することで、前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとできるものであり、甲1発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致する場合、甲1発明は、前記相違点2に係る発明特定事項を有する可能性があるものである。

(ウ)そこで、甲1発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するか否かについて検討すると、甲1発明においては、バイアス電圧:-50V、アーク放電電流:50Aの成膜条件で成膜されるものであり、これは、本件成膜条件のバイアス電圧を-50V以上0V以下、アーク放電電流を50A以上200A以下の範囲から調整することと合致する。
ところが、甲1発明における「硬質炭素皮膜」は、陰極の温度:200℃の成膜条件で成膜されるものであるが、陰極の温度から「基材」の温度が明らかとなるものではなく、甲第1号証には、基材温度の上昇を防ぐことについて何らの記載もないから、甲1発明の「基材」の温度が100℃以上230℃以下となっていることは推認できず、甲1発明における「硬質炭素皮膜」は、本件発明と「基材」の温度がおおむね合致した条件において成膜されたものとはいえない。
そうすると、甲1発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するとはいえないので、甲1発明は、前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとはいえない。

(エ)ここで、申立人は、前記相違点2に係る発明特定事項の実現に関係する本件成膜条件は、「基材温度の上昇を防ぐこと」であり、その具体的な方法は、「アーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施する」ことにあるが、甲第3号証(前記(1)イ(3a)[請求項15]、(3b)[0019])、甲第4号証(【0029】)、甲第5号証(【0048】)、甲第6号証(【0024】)、甲第7号証(【0018】)、甲第8号証(【0029】)、甲第9号証(【0007】、【0021】)によれば、DLC膜の硬度の低下を防ぐ、といった目的のために、「基材」の温度を230℃以下として成膜することは、本件特許出願日における周知技術といえ、甲1発明に前記周知技術を適用することは容易になし得る旨、甲1発明において陰極近傍の温度を高温に保つために加熱手段を用いる場合、放電を休止しても陰極近傍の温度は低下せず、放電休止の実施を十分に許容できるから、甲第25号証における「甲1発明には、放電休止により基材温度の上昇を防ぐという技術思想が存在しない」、との特許権者の主張は失当であり、甲1発明の課題を達成するうえで、基材温度の上昇防止を図る手段を採用する動機付けが否定される余地はないから、甲1発明において基材温度の上昇防止を図る手段を採用することは強く動機付けられる旨、甲第10号証(【0030】)、甲第11号証(【0025】?【0026】)、甲第12号証([請求項2]、[0069])、甲第13号証(【請求項6】)、甲第14号証(【請求項1】、【請求項16】、【0002】)によれば、イオンプレーティング装置等の成膜装置において基板の冷却装置を備えることは、本件特許出願日における常套手段といえ、甲1発明において、基材温度の上昇防止を図る手段として放電休止以外の前記常套手段を採用することは容易である旨、甲第2号証(【特許請求の範囲】、【0023】、【0041】(実施例2))によれば、甲第2号証には、DLC被膜のナノインデンテーション硬度を20GPa?70GPaとすることが記載されているから、甲1発明において「HIT」を「15GPa以上」とすることは容易である旨を主張している(申立書37頁2行?42頁5行)。

(オ)これに対して、本件特許明細書には前記(ア)(a)に加えて、以下の記載がある。
(b)「【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1,2では、高硬度で耐摩耗性に優れるDLC皮膜を得るべく、応力が加わった時の歪みを考慮したヤング率や、塑性変形を考慮したインデンテーション硬さを所定の範囲に調整している。ところが、耐久性の観点から皮膜が厚膜化する傾向にある近年、ヤング率やインデンテーション硬さのそれぞれに着目したのみでは、皮膜を3μm以上としたときに、高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させるという点において改善の余地がある。
【0007】
本発明は、上記課題に鑑み、厚さを3μm以上としても、高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させた硬質炭素皮膜を有する摺動部材を提供することを目的とする。また、本発明は、当該摺動部材からなるピストンリングを提供することを目的とする。
・・・
【0023】
DLC皮膜12のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとしたとき、これらの比であるHM/HITは0.40以上である。本実施形態では、水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上のDLC皮膜において、HM/HITが0.40以上であることが重要である。以下では、その技術的意義を述べる。
【0024】
本発明者らは、水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上のDLC皮膜において、緻密性が高い皮膜ほど耐剥離性と耐摩耗性が高くなっているという既述の実験結果に基づいて、高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させるためには、緻密性と強い相関があると考えられる弾性変形を考慮したマルテンス硬さに着目することが重要であるとの着想を得た。・・・以上のように、摺動部材として良好な特性を発揮するためには、皮膜の剛性や残留応力と強い相関があると考えられる緻密性の指標としてのマルテンス硬さ(HM)と、皮膜の強度と相関がある塑性硬さの指標としてのインデンテーション硬さ(HIT)とのバランスが重要であることを知見した。・・・そこで、これらを実験的に検討した結果、HM/HITを0.40以上とすることにより、高い耐剥離性と高い耐摩耗性を両立させた皮膜が得られることが分かった。HM/HITを0.40以上0.55以下とするとより好ましい。
【0025】
なお、HITは、15GPa以上50GPa以下とすることが好ましい。15GPa以上であれば、十分な強度を得ることができる。また、50GPa以下であれば、皮膜が脆性的な特性を示すおそれもなく、耐摩耗性に優れた皮膜が得られる。また、HMは、6GPa以上20GPa以下とすることが好ましい。6GPa以上であれば、緻密性を高くすることができるので、耐剥離性に優れた皮膜が得られる。20GPa以下であれば、膜厚を厚くしても皮膜が剥離するおそれもない。」

(カ)前記(オ)(b)によれば、本件発明は、DLC被膜の厚さを3μm以上としたときに、高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させるという点において改善の余地がある、との課題(以下、「本件課題」という。)を解決するものであって、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2に係る発明特定事項を有することにより、本件課題を解決するものといえる。
そして、前記相違点2に係る発明特定事項は、本件成膜条件を満足することによって達成されるものであるが、甲第2?14号証には、本件成膜条件とおおむね合致する成膜条件によりDLC膜を成膜することは記載されておらず、かつ、甲第1号証において、成膜条件のうち基材温度のみを変更して本件成膜条件を満足させる動機づけは存在しないから、甲1発明において基材温度の上昇防止を図る手段を採用することが強く動機付けられるとはいえない。
また、仮に、DLC膜の硬度の低下を防ぐ、といった目的のために、「基材」の温度を230℃以下として成膜することは、本件特許出願日における周知技術といえ、「甲1発明には、放電休止により基材温度の上昇を防ぐという技術思想が存在しない」、との特許権者の主張は失当であり、イオンプレーティング装置等の成膜装置において基板の冷却装置を備えることは、本件特許出願日における常套手段といえ、甲第2号証に、DLC被膜のナノインデンテーション硬度を20GPa?70GPaとすることが記載されているとしても、甲第2?14号証には、本件成膜条件とおおむね合致する成膜条件によりDLC膜を成膜して、前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとすることで、本件課題を解決できることが記載も示唆もされていないから、甲1発明において「基材」の温度を100℃以上230℃以下として成膜した場合に、前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとなり、厚さを3μm以上としても高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させた硬質炭素皮膜を有する「摺動部材」が提供されて本件課題を解決できることを、甲第2?14号証の記載から当業者が予測することは困難である。

(キ)してみれば、甲1発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易になし得るものではなく、申立人の前記(エ)の主張は採用できない。
したがって、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明1を、甲1発明、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

ウ 本件発明2?6について
(ア)本件発明2?6は、直接的又は間接的に本件発明1を引用するものであり、本件発明2?6のいずれかと甲1発明を対比した場合、いずれの場合であっても、少なくとも前記ア(イ)の相違点2と同じ点で相違する。

(イ)そして、甲1発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易になし得るものではないことは前記イ(キ)に記載のとおりである。
更に、甲第15?17号証にも、成膜条件を本件成膜条件とおおむね合致させることや、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」ものとすることが記載も示唆もされるものではないから、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明2?6を、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術、甲第10?14号証に記載される常套手段及び甲第15?17号証に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

(2-2)甲第19号証を主引用例とする場合について
ア 対比
(ア)本件発明1と甲19発明とを対比すると、甲19発明において、「基材」として用いる硬化処理を施した高速度工具鋼(JIS G4403規格材のSKH51材)の円板(φ24 mm、厚さ4 mm)の一方の表面に形成されたCr中間層に更に形成された「硬質炭素皮膜」は、本件発明1において、「基材」の上に形成された「硬質炭素皮膜」に相当し、甲19発明において、「得られた被膜の膜厚が約7μmである」ことは、本件発明1において、「硬質炭素皮膜」の「厚さが3ミクロン以上」であることに相当し、甲19発明における、「水素含有非晶質硬質炭素被覆部材」は、本件発明1における「部材」に相当する。

(イ)前記(ア)によれば、本件発明1と甲19発明とは、
「基材と、該基材の上に形成された、厚さが3μm以上の硬質炭素皮膜と、を有する部材。」
の点で一致し、以下の点で相違している。
相違点1’:本件発明1は、「硬質炭素皮膜」の「水素含有量が3原子%以下」、との発明特定事項を有するのに対して、甲19発明は、「硬質炭素皮膜」が「水素含有非晶質硬質炭素被膜」である点。

相違点2’:本件発明1は、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との発明特定事項を有するのに対して、甲19発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

相違点3’:本件発明1は、「部材」が「摺動部材」である、との発明特定事項を有するのに対して、甲19発明は「部材」が「摺動部材」であるか否かが明らかでない点。

イ 判断
(ア)事案に鑑み、前記ア(イ)の相違点2’から検討すると、甲19発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致する場合、甲19発明が前記相違点2’に係る発明特定事項を有する可能性があることは、甲1発明の場合と同様である。

(イ)そこで、甲19発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するか否かについて検討すると、甲19発明は、アーク放電電流を80Aに設定し、アーク放電によってグラファイトカソード(炭素98at%以上)を蒸発させながら、ピーク電圧-50V、周波数250kHz、ON/OFF比1.0のパルスバイアスを印加する条件で反応性アークイオンプレーティング法によって硬質炭素被膜を形成するものであり、この成膜条件は、本件成膜条件のバイアス電圧を-50V以上0V以下、アーク放電電流を50A以上200A以下の範囲から調整することと合致する。
ところが、甲19発明におけるアーク放電電流80A、ピーク電圧-50V、周波数250kHz、ON/OFF比1.0のパルスバイアスから「基材」の温度が明らかとなるものではないから、甲19発明における「硬質炭素皮膜」が、「基材」の温度を100℃以上230℃以下として成膜されたものとおおむね合致するとはいえない。
そうすると、甲19発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するとはいえないので、甲19発明は、前記相違点2’に係る発明特定事項を有するものとはいえない。

(ウ)そして、前記相違点2’は前記(2-1)ア(イ)の相違点2と同じものであって、前記(2-1)イ(カ)に記載したのと同様の理由により、甲19発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2’に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易になし得るものではないから、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明1を、甲19発明、甲第2号証の記載事項、甲第3?9号証に記載される周知技術及び甲第10?14号証に記載される常套手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

(2-3)甲第3号証を主引用例とする場合について
ア 対比
(ア)本件発明1と甲3発明とを対比すると、甲3発明における、「基材の表面に被覆される被覆膜であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて、1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有して」いる「被覆膜」は、本件発明1における、「基材と、該基材の上に形成された、厚さが3μm以上の硬質炭素皮膜」に相当し、甲3発明における「ピストンリング」は、本件発明1における「摺動部材」に相当する。
また、甲3発明において、「黒色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が30?80GPaであり」、「白色の硬質炭素層のナノインデンテーション硬度が10?30GPaであ」ることは、本件発明1において、「硬質炭素皮膜」の「インデンテーション硬さをHITとして」、「HITが15GPa以上」であることと合致する。
更に、甲3発明において、「黒色の硬質炭素層は、水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下、さらに好ましくは0原子%であり、白色の硬質炭素層も水素含有量が10原子%以下、より好ましくは5原子%以下である」ことは、本件発明1において、「硬質炭素皮膜」の「水素含有量が3原子%以下」であることと合致する。

(イ)前記(ア)によれば、本件発明1と甲3発明とは、
「基材と、該基材の上に形成された、水素含有量が3原子%以下および厚さが3ミクロン以上の硬質炭素皮膜と、を有する摺動部材であって、前記硬質炭素皮膜のインデンテーション硬さをHITとして、HITが15GPa以上である、摺動部材。」
の点で一致し、以下の点で相違している。

相違点2’’:本件発明1は、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との発明特定事項を有するのに対して、甲3発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

イ 判断
(ア)以下、前記ア(イ)の相違点2’’について検討すると、甲3発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致する場合、甲3発明が前記相違点2’’に係る発明特定事項を有する可能性があることは、甲1発明の場合と同様である。

(イ)そこで、甲3発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するか否かについて検討すると、甲3発明は、「硬質炭素皮膜」を、PVD法を用いて「基材」の表面に成膜する方法により製造するものであり、このとき、「基材」が、50℃を超え200℃以下の低温域と200℃を超え300℃以下の高温域との間で昇温と降温を交互に繰り返すように、前記「基材」への成膜条件を制御すると共に、バイアス電圧を-50?-1500Vに制御すると共に、アーク電流を10?200Aに制御するものである。
そして、甲3発明における成膜条件のバイアス電圧と本件成膜条件のバイアス電圧は、-50Vの1点でのみ合致するに過ぎず、甲3発明における成膜条件のアーク電流は、本件成膜条件のアーク電流が50A以上200A以下であるのに対して、10?200Aとし得るのであり、甲3発明における成膜条件の「基材」の温度は、本件成膜条件の「基材」の温度が100℃以上230℃以下であるのに対して、50℃を超え200℃以下の低温域、あるいは200℃を超え300℃以下の高温域とし得るのであって、例えば甲3発明においてバイアス電圧を-50Vとしたときに、アーク電流及び「基材」の温度がどのように制御されるのかは明らかでないことからみて、甲3発明の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するとはいえない。
そうすると、甲3発明は、前記相違点2’’に係る発明特定事項を有するものではないから、本件発明1が甲3発明であるとはいえない。

ウ 本件発明2、3、5、6について
(ア)本件発明2、3、5、6は、直接的又は間接的に本件発明1を引用するものであり、本件発明2、3、5、6のいずれかと甲3発明を対比した場合、いずれの場合であっても、少なくとも前記ア(イ)の相違点2’’と同じ点で相違する。

(イ)そして、甲3発明は、前記相違点2’’に係る発明特定事項を有するものではないから、本件発明1が甲3発明であるとはいえないことは、前記イ(イ)に記載のとおりであり、同様の理由により、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明2、3、5、6も、甲3発明であるとはいえない。

エ 本件発明4について
(ア)本件発明4は、直接的又は間接的に本件発明1を引用するものであり、本件発明4と甲3発明を対比した場合、少なくとも前記ア(イ)の相違点2’’と同じ点で相違する。
そして、甲第15?17号証には、「摺動部材」において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上」とすることも、本件成膜条件とおおむね合致する成膜条件で成膜することも、記載も示唆もされていない。

(イ)してみれば、甲3発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2’’に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第15?17号証の記載事項に基づいて当業者が容易になし得るものではないから、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明4を、甲3発明及び甲第15?17号証の記載事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

(2-4)甲第18号証を主引用例とする場合について
ア 対比
(ア)本件発明1と甲18発明とを対比すると、甲18発明において、「基材」上に形成された「ダイヤモンドライクカーボン膜」は、本件発明1において、「基材」の上に形成された「硬質炭素皮膜」に相当し、甲18発明における「低摩擦摺動部材」は、本件発明1における「摺動部材」に相当する。
また、甲18発明において「ダイヤモンドライクカーボン膜」の「ナノインデンテーション硬さが40GPa以上」であることは、本件発明1において、「硬質炭素皮膜」の「インデンテーション硬さをHITとして」、「HITが15GPa以上」であることと合致する。

(イ)前記(ア)によれば、本件発明1と甲18発明とは、「基材と、該基材の上に形成された、硬質炭素皮膜と、を有する摺動部材であって、前記硬質炭素皮膜のインデンテーション硬さをHITとして、HITが15GPa以上である、摺動部材。」
の点で一致し、以下の点で相違している。
相違点1’’’:本件発明1は、「硬質炭素皮膜」の「水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上」、との発明特定事項を有するのに対して、甲18発明は、「硬質炭素皮膜」が「実質的に水素を含有しない」ものであり、その厚さは明らかでない点。

相違点2’’’:本件発明1は、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との発明特定事項を有するのに対して、甲18発明は前記発明特定事項を有するか否かが明らかでない点。

イ 判断
(ア)事案に鑑み、前記ア(イ)の相違点2’’’から検討すると、甲18発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致する場合、甲18発明が前記相違点2’’’に係る発明特定事項を有するものといえることは、甲1発明の場合と同様である。

(イ)そこで、甲18発明における「硬質炭素皮膜」の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するか否かについて検討すると、前記(1)ウ(18b)によれば、甲18発明の成膜条件は、真空アーク蒸着法において、バイアス電圧を0?-200Vとし、アーク電流を50A以下とするものであり、「基材」の温度は明らかでない。
そして、甲18発明における成膜条件のアーク電流と本件成膜条件のアーク電流は、50Aの1点でのみ合致するに過ぎず、甲18発明における成膜条件のバイアス電圧は、本件成膜条件のバイアス電圧が-50V以上0V以下であるのに対して、0?-200Vとし得るのであり、甲18発明における成膜条件の「基材」の温度は明らかでないのであって、例えば甲18発明においてアーク電流を50Aとしたときに、バイアス電圧及び「基材」の温度がどのように制御されるのかは明らかでないことからみて、甲18発明の成膜条件が本件成膜条件とおおむね合致するとはいえない。

(ウ)また、本件発明は、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との発明特定事項2’’’に係る発明特定事項を有することにより、本件課題を解決するものといえることは、前記(2-1)イ(カ)に記載したとおりである。
そして、前記相違点2’’’に係る発明特定事項は、本件成膜条件を満足することによって達成されるものであるが、仮に、甲第2号証に、DLC被膜を、「水素含有量が3原子%以下および厚さが3μm以上」、「HITが15GPa以上」とすることが開示され、「基材」の温度を230℃以下としてDLC膜を成膜することが本件特許出願時における周知技術であるとしても、前記(2-1)イ(カ)に記載したのと同様の理由により、甲18発明において本件成膜条件で成膜した場合に、厚さを3μm以上としても高い耐剥離性と高い耐摩耗性とを両立させた硬質炭素皮膜を有する摺動部材が提供されて本件課題を解決できることを、甲第2?9号証の記載から当業者が予測することは困難である。

(エ)してみれば、甲18発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2’’’に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第2?9号証の記載事項に基づいて当業者が容易になし得るものではないから、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明18を、甲18発明及び甲第2?9号証の記載事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

ウ 本件発明2?6について
(ア)本件発明2?6は、直接的又は間接的に本件発明1を引用するものであり、本件発明2?6のいずれかと甲18発明を対比した場合、いずれの場合であっても、少なくとも前記ア(イ)の相違点2’’’と同じ点で相違する。

(イ)そして、甲18発明において、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上」、「及びHMが6GPa以上である」、との前記相違点2’’’に係る発明特定事項を有するものとすることを、甲第2?9号証の記載事項に基づいて当業者が容易になし得るものではないことは前記イ(エ)に記載のとおりであるから、そのほかの相違点について検討するまでもなく、本件発明2?6を、甲18発明、甲第2?9号証に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえない。

(3)小括
以上のとおりであるので、前記第3の1(1)?(3)の異議申立理由はいずれも理由がない。

2 特許法第36条第4項第1号(実施可能要件)について
(1)本件特許明細書の記載事項
(ア)本件特許明細書には、前記1(2)(2-1)イ(ア)(a)、同(オ)(b)に加えて、以下の記載がある。
(c)「【実施例】
【0036】
各発明例および比較例について、図2に示すピストンリングの外周面が表1に示すDLC皮膜の表面となるように、以下の条件でピストンリングを作製した。
【0037】
各発明例および比較例において、公知のPVD法を用いて、呼称径90mm、厚さ2.9mm、幅1.2mmの寸法からなるシリコンクロム鋼の基材上にクロムからなる厚さ0.4μmの中間層を形成した。次に、1×10^(-1)Pa以下の真空雰囲気にて、カーボンターゲットを用いた真空アーク放電によるイオンプレーティング法を用いて、バイアス電圧、アーク放電電流、及びアーク放電時間を既述の範囲から適宜調整することによって、表1に示すDLC皮膜を中間層の上に形成した。ただし、比較例4についてのみ、炭化水素ガスを導入しながらカーボンスパッタ法によるDLC成膜を実施した。
・・・
【0042】
【表1】



(イ)前記(ア)(c)によれば、本件発明の発明例1?8及び比較例1?3、5におけるバイアス電圧、アーク放電電流、放電休止時間、「基材」温度はいずれも明らかでない。
ここで、前記1(2)(2-1)イ(ア)(a)、(ア)(c)によれば、本件特許明細書の記載に接した当業者は、発明例1?8及び比較例1?3、5においても、本件成膜条件を満足する成膜条件で成膜が行われていると理解するが、前記(ア)(c)によれば、比較例1?3、5はいずれも「HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上」との発明特定事項を満たすものであって、これは、アーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施することにより「基材」温度を100℃以上230℃以下とすることで、「HIT」を15GPa以上、「HM」を6GPa以上にできる、との前記1(2)(2-1)イ(イ)の事項と合致するから、本件成膜条件を満足する成膜条件で成膜が行われれば、「HIT」を15GPa以上、「HM」を6GPa以上とできることが強く推認されるものである。
そして、アーク放電電流を200A以下とし、かつ適切な放電休止を実施することにより「基材」温度を100℃以上230℃以下とすることは、当業者であれば過度の試行錯誤をすることなくなし得るものである。

(ウ)一方、比較例1?3は、いずれも「HM/HIT」が0.33?0.37の範囲にあって0.40以上とはならないから、本件成膜条件を満足する成膜条件で成膜が行われたとしても、「HM/HITが0.40以上」を満足しない場合があると認められる。
ところが、前記1(1)(1-1)イ(ア)(a)によれば、バイアス電圧が-50V以上0V以下を満たし、かつアーク放電電流が50A以上200A以下を満たす範囲では、バイアス電圧の絶対値を増加させると「HM/HIT」が減少し、アーク放電電流を増加させると「HM/HIT」が増加するのであるから、比較例1?3のように、本件成膜条件で成膜しても「HM/HITが0.40以上」を満足しない場合があるとしても、本件特許明細書の記載に接した当業者は、アーク放電電流を増加させることで「HM/HIT」を増加させて、「HM/HITが0.40以上」を満足する発明例を製造できること、あるいは、発明例1?8のように、「HM/HITが0.40以上」を満足するものから、バイアス電圧の絶対値を増加させることで「HM/HIT」を減少させて、「HM/HITが0.40以上」を満足しない比較例を製造できることを理解できる。
また、仮に、本件成膜条件で成膜しても「HM/HITが0.40以上」を満足しない場合があり、本件発明に係る「摺動部材」を確実に作製することができないとしても、同様の理由により、本件発明に係る「摺動部材」の製造に過度の試行錯誤が必要となるとまではいえない。

(エ)してみれば、本件発明の発明例1?8及び比較例1?3、5におけるバイアス電圧、アーク放電電流、放電休止時間、「基材」温度が明らかでないとしても、本件特許明細書の記載に接した当業者は、発明例と比較例を作り分けることができ、「硬質炭素皮膜のマルテンス硬さをHMとし、インデンテーション硬さをHITとして、HM/HITが0.40以上、HITが15GPa以上、及びHMが6GPa以上である」との発明特定事項を有する本件発明を、過度の試行錯誤をすることなく実施できることを理解できるものである。

(オ)以上のとおりであるから、本件特許に係る出願は特許法第36条第4項第1号に規定する要件に適合するので、前記第3の2の異議申立理由は理由がない。

第5 むすび
以上のとおり、特許異議申立書に記載した特許異議申立理由によっては、本件発明1?4に係る特許を取り消すことはできない。
また、他に本件発明1?4に係る特許を取り消すべき理由を発見しない。
よって、結論のとおり決定する。
 
異議決定日 2020-02-25 
出願番号 特願2017-203898(P2017-203898)
審決分類 P 1 651・ 121- Y (C23C)
P 1 651・ 113- Y (C23C)
P 1 651・ 536- Y (C23C)
最終処分 維持  
前審関与審査官 末松 佳記  
特許庁審判長 菊地 則義
特許庁審判官 川村 裕二
金 公彦
登録日 2019-05-31 
登録番号 特許第6533818号(P6533818)
権利者 株式会社リケン
発明の名称 摺動部材およびピストンリング  
代理人 川原 敬祐  
代理人 杉村 憲司  

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