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審決分類 審判 一部申し立て 2項進歩性  C22C
審判 一部申し立て 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  C22C
管理番号 1371662
異議申立番号 異議2019-700611  
総通号数 256 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2021-04-30 
種別 異議の決定 
異議申立日 2019-08-01 
確定日 2020-12-10 
異議申立件数
訂正明細書 有 
事件の表示 特許第6474348号発明「高速度工具鋼およびその製造方法」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6474348号の特許請求の範囲を訂正請求書に添付された訂正特許請求の範囲のとおり,訂正後の請求項〔1?5〕について訂正することを認める。 特許第6474348号の請求項1?5に係る特許を維持する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6474348号(以下「本件特許」という。)の請求項1?14に係る特許についての出願は,2014年(平成26年)6月24日(優先権主張平成25年9月27日)を国際出願日とする出願であって,平成31年2月8日に特許権の設定登録がされ,同年2月27日に特許掲載公報が発行されたものである。
その後,令和元年8月1日に,本件特許の請求項1?5に係る特許に対して,特許異議申立人である神田紀子(以下「申立人」という。)により特許異議の申立てがされ,以降の本件特許異議の申立てにおける手続の経緯は,以下のとおりである。

令和 1年11月14日付け:取消理由通知書
同年12月18日 :特許権者による意見書及び訂正請求書の提

令和 2年 2月26日 :申立人による意見書の提出
同年 5月25日付け:取消理由通知書(決定の予告)
同年 7月 8日受付:特許権者による意見書及び訂正請求書の提

同年 8月17日 :申立人による意見書の提出


第2 訂正の適否
1 訂正の趣旨及び内容
令和2年7月7日受付の訂正請求書による訂正(以下「本件訂正」という。)の請求は,本件特許の特許請求の範囲を上記訂正請求書に添付した訂正特許請求の範囲のとおり,訂正後の請求項1?5について訂正することを求めるものであり,その内容は以下のとおりであって,下線は訂正箇所を表す。
なお,令和1年12月18日付けの訂正請求書による訂正の請求は,本件訂正の請求がされたことに伴い,特許法120条の5第7項の規定により,取り下げられたものとみなす。

(1)訂正事項1
本件訂正前の特許請求の範囲の請求項1に「質量%で,C:0.40?0.90%,Si:1.00%以下,Mn:1.00%以下,Cr:4.00?6.00%,WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%,並びに,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し,Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり,残部がFeおよび不純物からなり,断面組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼。」とあるのを,「質量%で,C:0.40?0.90%,Si:1.00%以下,Mn:1.00%以下,Cr:4.00?6.00%,WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%,並びに,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し,Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり,残部がFeおよび不純物からなり,焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有し,断面の前記組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼。」に訂正する。
請求項1の記載を直接又は間接的に引用する請求項2?5も同様に訂正する。

(2)一群の請求項について
本件訂正前の請求項1?5について,請求項2?5は,請求項1を直接又は間接的に引用するものであり,上記訂正事項1によって訂正される請求項1に連動して訂正されるものであるから,訂正前の請求項1?5は,一群の請求項である。
したがって,本件訂正は,その一群の請求項ごとに請求がされたものである。

2 訂正の適否に関する当審の判断
(1)訂正の目的の適否,特許請求の範囲の拡張・変更の存否,新規事項の有無
ア 訂正の目的の適否,特許請求の範囲の拡張・変更の存否
訂正事項1による訂正は,本件訂正前の請求項1に係る「高速度工具鋼」を「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有」するものに特定し,かつ,訂正前の請求項1における「炭化物の円相当径の最大値」が特定される「断面組織」を「断面の前記組織」,つまり「断面の」「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」に特定する訂正であって,訂正前の請求項1に係る「高速度工具鋼」の組織について,「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」を有するものであることを具体的かつ限定的に特定する訂正であることから,特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正であり,また,実質上特許請求の範囲を拡張し,または変更するものには該当しない。

イ 新規事項の有無
本件の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)には,以下の記載がある。なお,下線は当審が付与し,「・・・」は記載の省略を表すものであって,以下同様である。

「【0005】
本発明の目的は,鋼塊を均熱処理した後に該鋼塊の表面温度が900℃以下になるまで冷却し,次いで鋼塊に熱間加工および焼入れ焼戻しを行って製造される高速度工具鋼であって・・・」
「【0028】
・・・Cの一部は,焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織に硬さを付与する。」
「【0074】
次に,各丸棒鋼材からそれぞれ一部分を採取し,採取した一部分に対し,1080℃からの焼入れおよび560℃での焼戻しを行い,硬さ56HRCに調整された評価用試料(高速度工具鋼)をそれぞれ得た(焼入れ焼戻し工程)。
・・・
【0075】
次に,以下のようにして,前記評価用試料の断面組織中の炭化物分布を調べた。」
「【0077】
・・・本発明例の評価用試料(高速度工具鋼)では,断面組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下であった。」

以上の記載から,本件訂正前の請求項1に記載された「高速度工具鋼」における「炭化物の円相当径の最大値」の特定は,鋼材に焼入れ焼戻し工程を施した後の断面組織において行うものであって,当該断面組織は,焼入れ焼戻しによってマルテンサイト組織となったものといえるから,訂正事項1は,本件明細書に記載した事項の範囲内の訂正である。

(2)独立特許要件について
本件は,特許異議の申立てがされていない訂正前の請求項6?14についての訂正はなく,本件訂正により訂正された訂正前の請求項1?5に対しては特許異議の申立てがなされているので,訂正事項1について,特許法120条の5第9項で読み替えて準用する特許法126条7項は適用されない。

3 訂正の適否についての結論
以上のとおり,上記訂正事項1による訂正は,特許法120条の5第2項ただし書1号に掲げる事項を目的とするものであり,かつ,同条9項で準用する同法126条5項及び6項の規定に適合する。
したがって,特許請求の範囲を,訂正請求書に添付された訂正特許請求の範囲のとおり,訂正後の請求項〔1?5〕について訂正することを認める。


第3 本件発明
本件訂正は,上記第2で検討したとおり適法なものであるから,本件特許の特許請求の範囲の請求項1?14に係る発明(以下,それぞれ「本件発明1」?「本件発明14」といい,本件発明1?本件発明5を「本件発明」ということがある。)は,本件訂正請求書に添付された訂正特許請求の範囲の請求項1?14に記載された事項により特定される次のとおりのものである。

「【請求項1】
質量%で,C:0.40?0.90%,Si:1.00%以下,Mn:1.00%以下,Cr:4.00?6.00%,WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%,並びに,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し,Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり,残部がFeおよび不純物からなり,焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有し,断面の前記組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼。
【請求項2】
質量%で,Ni:1.00%以下をさらに含有する請求項1に記載の高速度工具鋼。
【請求項3】
質量%で,Co:5.00%以下をさらに含有する請求項1または請求項2に記載の高速度工具鋼。
【請求項4】
Siの含有量が,質量%で0.20%以下である請求項1?請求項3のいずれか1項に記載の高速度工具鋼。
【請求項5】
硬さが45HRC以上である請求項1?請求項4のいずれか1項に記載の高速度工具鋼。
【請求項6】
質量%で,C:0.40?0.90%,Si:1.00%以下,Mn:1.00%以下,Cr:4.00?6.00%,WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%,並びに,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し,Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり,残部がFeおよび不純物からなる鋼塊を準備する準備工程と,
前記鋼塊を1200?1300℃に加熱することによって均熱処理する均熱処理工程と,
前記均熱処理工程後の前記鋼塊を該鋼塊の表面温度が900℃以下になるまで冷却する過程で,少なくとも,前記表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がった以降は,前記表面温度の冷却速度が3℃/分以上となる条件で前記表面温度が900℃以下になるまで冷却し,かつ前記表面温度が前記温度T1に下がるまでの少なくとも一部において,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却する冷却工程と,
前記冷却工程後の前記鋼塊を900℃超の熱間加工温度に再加熱し,前記再加熱した鋼塊を熱間加工して鋼材とする熱間加工工程と,
前記鋼材に焼入れ焼戻しを行う焼入れ焼戻し工程と,
を有する高速度工具鋼の製造方法。
【請求項7】
前記冷却工程は,前記鋼塊の表面温度が前記温度T1に下がるまでは,前記鋼塊を,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却する請求項6に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項8】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は,脱酸精錬法によって精錬された溶鋼を鋳造することによって得られた鋼塊である請求項6または請求項7に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項9】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は,脱酸精錬法によって精錬された溶鋼を鋳造して再溶解用電極を得,得られた再溶解用電極を用いて再溶解法によって得られた鋼塊である請求項8に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項10】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は,質量%で,Ni:1.00%以下をさらに含有する請求項6?請求項9のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項11】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は,質量%で,Co:5.00%以下をさらに含有する請求項6?請求項10のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項12】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は,Siの含有量が,質量%で0.20%以下である請求項6?請求項11のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項13】
前記焼入れ焼戻し工程は,前記焼入れ焼戻しにより,鋼材の硬さを45HRC以上に調整する請求項6?請求項12のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項14】
前記熱間加工工程後であって前記焼入れ焼戻し工程前に,前記鋼材を工具形状に機械加工する機械加工工程をさらに有し,
前記焼入れ焼戻し工程は,工具形状に機械加工された鋼材に対して焼入れ焼戻しを行う請求項6?請求項13のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。」


第4 異議申立理由及び取消理由の概要
1 異議申立理由の概要
申立人は,異議申立理由として以下(3)の証拠方法に基づき,以下(1)及び(2)を概要とする理由を主張し,本件特許の請求項1?5に係る特許は取り消されるべき旨を申立てた。

(1)異議申立理由1(進歩性)
請求項1?5に係る発明は,甲1に記載された発明と甲2に記載された事項に基いて,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)が容易に発明をすることができたものであるから,同発明に係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してされたものであり,同法113条2号に該当し,取り消されるべきものである。

(2)異議申立理由2(サポート要件)
請求項1?5に係る発明は,発明の詳細な説明に記載したものでないから,特許法36条6項1号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものであり,同法113条4号に該当し,取り消されるべきものである。

(3)証拠方法
ア 甲第1号証:特開2004-307963号公報
イ 甲第2号証:特開2006-104519号公報
(以下,甲第1号証及び甲第2号証を,それぞれ「甲1」及び「甲2」という。)

さらに,特許異議申立人は,周知の技術的事項を示す文献として以下を提示した。
ウ 特開2004-307963号公報
エ 特開昭64-11945号公報
オ 特開2004-169177号公報
カ 特開2005-206913号公報
キ 特開2013-87322号公報
ク 特開2013-213256号公報
ケ 特表2002-509986号公報
(以下,上記ウ?ケを,それぞれ「周知文献1」?「周知文献7」といい,「周1」?「周7」ということがある。)

2 当審から通知した取消理由
(1)当審は,上記1の異議申立理由を検討した結果,甲1,甲2及び周知文献3?7に記載された事項に基いて,上記異議申立理由1を採用し,取消理由1として,令和1年11月14日付けで取消理由を通知した。

(2)その後,当審は,特許権者が提出した令和1年12月18日付け意見書及び訂正請求書,並びに申立人が提出した令和2年2月26日付け意見書を踏まえて検討した結果,取消理由1(進歩性)の取消理由は解消したが,令和1年12月18日付け訂正請求書による訂正によって生じた取消理由2(明確性)を当審が職権により発見したことから,令和2年5月25日付けで取消理由(決定の予告)を通知した。


第5 当審の判断
当審は,特許権者が提出した令和2年7月7日受付の意見書及び訂正請求書並びに申立人が提出した同年8月17日付け意見書を踏まえて検討した結果,以下のとおり,取消理由(決定の予告)は解消するとともに,特許異議申立書に記載した特許異議申立ての理由及びその他の理由によっても,本件請求項1?5に係る特許を取り消すべき理由はないと判断した。

1 取消理由通知(決定の予告)に記載した取消理由について
(1)取消理由(決定の予告)の概要(明確性)
ア 令和1年12月18日付け訂正請求書により訂正された請求項1(以下「当初訂正請求項1」という。)には,高速度工具鋼における「断面のマルテンサイト組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下」と記載されているが,マルテンサイト組織には,オーステナイトを急冷して焼入れしたままの結晶組織(当審注:「焼入れマルテンサイト」ともいわれる。)の場合と,前記焼入れしたものをさらに焼き戻して靱性を向上させた結晶組織(当審注:「焼戻しマルテンサイト」ともいわれる。)の場合が含まれることは,当該技術分野において通常知られており,当初訂正請求項1に記載の「マルテンサイト」についても,その記載の限りでは,同様に両方の場合を含むものであるといえる。

イ ここで,本件明細書の記載によれば,上記第2の2(1)イに摘示したとおり,高速度工具鋼は「焼入れ焼戻しを行って製造される」ものとされ(【0005】),実施例においても「焼入れ焼戻し工程」を経るものであり(【0074】),「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」が得られるものであること(【0028】)が記載されている。

ウ しかしながら,上記2のとおりであるにもかかわらず,当初訂正請求項1に記載の「マルテンサイト組織」は,「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」であることが特定されていないから,当初訂正請求項1に係る発明は明確でない。

4 そして,当初訂正請求項1を直接的又は間接的に引用する,令和1年12月18日付け訂正請求書により訂正された請求項2?5に係る発明も,同様に明確でない。

(2)当審の判断
本件訂正により,高速度工具鋼が有する組織について,「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」であるとされたことから,上記(1)の取消理由は解消された。
したがって,本件発明が明確でないとはいえない。

(3)取消理由通知(決定の予告)に記載した取消理由についての小括
よって,本件特許の請求項1?5に係る特許は,特許法36条6項2号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものであるとはいえないから,同法113条4号により取り消すことはできない。

2 取消理由通知(決定の予告)において採用しなかった特許異議申立理由について
(1)異議申立理由1(進歩性)について
ア 甲1,2及び周3?7の記載事項と引用発明
(ア)甲1(特開2004-307963号公報)
a 記載事項
上記甲1には,以下の記載がある。

「【請求項1】
質量%でC:0.4?0.9%,Si:1.0%以下,Mn:1.0%以下,Cr:4?6%,W及びMoの1種又は2種が(1/2W+Mo)で1.5?6%(但し,W:3%以下),V及びNbの1種又は2種が(V+Nb)で0.5?3%を有する高速度工具鋼であって,マトリックス中に分散する析出炭化物の平均粒径が0.5μm以下かつ,その分布密度が80×10^(3 )個/mm^(2) 以上であることを特徴とする高速度工具鋼。
【請求項2】
質量%でNi:1%以下を有することを特徴とする請求項1に記載の高速度工具鋼。
【請求項3】
質量%でCo:5%以下を有することを特徴とする請求項1又は2に記載の高速度工具鋼。」

「【0001】
【発明の属する技術分野】
本発明は,良好な常温強度,耐摩耗性と十分な焼入性を備え,とくに高温強度と靭性に優れ,工具性能のばらつきが少ない高速度工具鋼,例えばダイス,パンチなどの圧造工具や金型用の高速度工具鋼及びその製造方法に関するものである。」

「【0016】
Siは脱酸材として不可避的に含有するが,1.0%を超えると焼なまし硬さが高くなり冷間加工性を低下するのでSi:1.0%以下とした。一方,SiはM2 C型の棒状一次炭化物を球状微細化する効果があるので,0.1%以上含有させることが好ましい。」

「【0019】
また,本発明の高速度工具鋼は上記元素の他にNi及びCoを添加することができる。
NiはC,Cr,Mn,Mo,Wなどとともに優れた焼入性を付与し,マルテンサイト主体の組織を形成し,基地の本質的な靭性を改善する。しかし多すぎるとA_(1)点を過度に低下させ,耐へたり寿命を低下し,焼戻し硬さが高くなって機械加工性を低下する。そこでNi:1%以下とする。好ましくは0.05%以上である。」

「【0020】
上記高速度工具鋼の組成は,残部を実質的にFeとすることができ,請求項以外の元素については例えば10%以下,好ましくは5%以下とすればよい。これについては残部Fe及び不純物で構成される鋼も含まれる。」

「【0049】
【表2】



「【0053】
すなわち,上記高速度工具鋼の組成は,炭化物に作用するC量と炭化物形成元素のバランスが良好になり,炭化物の縞状分布が減少して適量の炭化物が微細に分散分布する。また適量のNiとNbを添加することにより結晶粒の微細化と,軟化抵抗が高まり工具性能が向上する。
【0054】
これによって,焼入れ焼戻し状態においてマトリックス中に分散する析出炭化物の平均粒径が0.5μm以下かつ,その分布密度が80×10^(3)個/mm^(2)以上の鋼材が得られるので,200J/cm^(2)以上の衝撃値がばらつきなく得られる。
【0055】
これによって,成形工具における早期破損が防止され,工具寿命を延長し,生産コストを大幅に低減できた。」

b 引用発明
上記aに摘示した請求項1,【0019】及び【0020】から,甲1には,以下の発明(以下「引用発明」という。)が記載されていると認められる。

<引用発明>
「質量%でC:0.4?0.9%,Si:1.0%以下,Mn:1.0%以下,Cr:4?6%,W及びMoの1種又は2種が(1/2W+Mo)で1.5?6%(但し,W:3%以下),V及びNbの1種又は2種が(V+Nb)で0.5?3%を有し,残部Fe及び不純物で構成される高速度工具鋼であって,マトリックス中に分散する析出炭化物の平均粒径が0.5μm以下かつ,その分布密度が80×10^(3 )個/mm^(2) 以上であり,マルテンサイト主体の組織を形成した焼入れ焼戻し状態の高速度工具鋼。」

(イ)甲2(特開2006-104519号公報)
上記甲2には,以下の記載がある。

「【請求項1】
鋼中に晶出した炭化物および炭窒化物,ならびに酸化物系の介在物を合わせたものの存在密度が,鋼の断面積1mm^(2)あたり,1)円相当径が50μmを超える大型のものは0.01個以下であり,かつ,2)円相当径が1?50μmの小型のものは100個以下であることを特徴とする高靭性熱間工具鋼。
【請求項2】
重量基準で,C:0.3?0.5%,Si:0.05?1.5%,Mn:0.3?2%,Cr:3?6%,Mo+0.5W:0.5?3.5%,V:0.5?1.5%,Al:0.001?0.025%およびN:0.005?0.025%を含有し,P:0.05%以下,S:0.015%以下,O:0.0025%以下であって,残部Feおよび不純物からなる合金組成を有する請求項1の高靭性熱間工具鋼。」

「【0015】
上述のように,粗大な晶出炭化物および炭窒化物,ならびに酸化物系介在物は,破壊の起点として作用することにより,金型の衝撃値を大幅に低下させる。このため,これらの粗大な晶出物はできるだけ低減することが好ましい。発明者らは,所望の衝撃値が得られるしきい値を決定するため,金型から切り出した衝撃試験片で衝撃値が低いものの破面を観察し,起点として作用する粗大晶出物を確認した結果,円相当径で50μmを超える大型のもの,または1?50μmの比較的微細な炭化物,炭窒化物であってもクラスター状に存在しているものが,破壊の起点となっており,したがってその存在密度は厳重に規制すべきこと,また円相当径で1μm未満の大きさの晶出物は,実質的に破壊の起点として作用せず,衝撃値を低下させないことを確認した。」

「【0020】
Si:0.05?1.5%
Siは,製鋼時に脱酸元素として必要であり,また,その含有量を高めると,被削性および焼戻し軟化抵抗性が向上するという利益もあるから,少なくとも0.05%のSiを添加する。ただし,添加量が多くなると靭性が低下するから,1.5%を上限とする。」

「【実施例1】
【0037】
表1に示す組成の鋼を溶製し,一方向凝固炉を使用して種々の冷却速度で凝固させることにより,Φ100×80mmの円柱状鋼塊を準備した。これらの鋼塊を1200?1320℃の範囲の温度に加熱し,保持時間を変化させて固溶化処理を行なった。固溶化処理後,1180℃に加熱して1/2アップセットにより据え込み,Φ140×40mmの円盤に加工した。さらにこれを1180℃に加熱し,60×60×170mmの直方体に熱間鍛造した。この鍛造材を,970℃×1時間・空冷の焼ならし処理をした後,750℃×1時間・空冷の低温焼きなましを施し,さらに870℃に2時間保持後,600℃まで冷却速度15℃/時間で冷却する,球状化焼きなましを施した。
【0038】


【0039】
この球状化焼きなまし材の心部から,11×11×55mmのJIS3号シャルピー衝撃試験片用の素材(ノッチ方向はT方向)と,光学顕微鏡による組織観察用の素材とを切り出した。組織観察用の素材は,#1500までのエメリー紙による研磨とバフ研磨とを行なって鏡面とし,10mm2の範囲を撮影倍率400倍で写真撮影し,この領域に存在する晶出炭化物・炭窒化物および酸化物系介在物のすべてを,画像解析した。具体的には,個々の炭化物・炭窒化物および酸化物系介在物の面積を測定し,同じ面積を有する円の直径を算出してこれを「円相当径」とすることにより,(晶出炭化物・炭窒化物および酸化物系介在物)の存在密度を調査した。
【0040】
衝撃試験片用の素材は,1030℃×1時間・油冷の焼き入れ後,620℃×2時間・空冷で2回焼き戻した後に,JIS3号衝撃試験片に加工して,室温で試験に供した。試験は各条件で6本実施し,それらの中の最低値を採用した。結果を表2に示す。
【0041】



(ウ)周3(特開2004-169177号公報)
上記周3には,以下の記載がある。

「【請求項1】
焼鈍し状態でM_(23)C_(6)型炭化物が2?5vol%生成する組成を有し(ただし,MはFe,Cr,Mo,W,V,Nbより選ばれる1種又は2種以上),かつMC型炭化物及びM_(6)C型炭化物の少なくともいずれかが分散析出した焼入れ焼戻し組織を有してなり,かつロックウェルCスケール硬さがHRC55以上HRC66以下であることを特徴とする合金工具鋼。
【請求項2】
質量%で,Fe:79.135?93.75%,C:0.50?0.80%,Si:0.10?2.00%,Mn:0.10?1.00%,P:0.050%以下,S:0.015%以下,Cu:1.00%以下,Ni:1.00%以下,Cr:4.50?6.00%,Mo:0.05?5.00%,W:5.00%以下,V:0.05?1.00%,Nb:0.50%以下を含有し,かつ
2×Mo(%)+W(%)が2以上10以下であることを特徴とする請求項1に記載の合金工具鋼。」

「【0017】
Si(ケイ素):0.10?2.00%
Siは主に脱酸剤として添加されるとともに,炭化物,マトリックス両方に固溶し硬さの増大に寄与する。そのため,0.10%以上を添加する。他方,Si添加による熱間での加工性低下や靭性低下を防止するため,上限を2.00%とする。」

(エ)周4(特開2005-206913号公報)
上記周4には,以下の記載がある。

「【請求項1】
C :0.45wt%以上0.65wt%以下,
Si:0.10wt%以上1.00wt%以下,
Mn:0.20wt%以上2.00wt%以下,
P :0.020wt%以下,
S :0.015wt%以下,
Cu:1.00wt%以下,
Ni:1.00wt%以下,
Cr:3.50wt%以上5.00wt%以下,
Mo:0.00wt%以上3.00wt%以下,
W :0.00wt%以上10.00wt%以下,
V :1.00wt%以上2.00wt%以下,
Co:0.00wt%以上8.00wt%以下,
Al:0.10wt%以下,
O :0.01wt%以下,及び
N :0.02wt%以下
を含み,残部が実質的にFe及び不可避的不純物からなり,かつ
Weq:2.0以上10.0以下,
2Mo/Weq:0.60以下,
ΔC:-0.3以上0.0以下
である合金工具鋼。
但し,Weq=2Mo(wt%)+W(wt%)。
△C=C(wt%)-(0.06×Cr(wt%)+0.063×Mo(wt%)+0.033×W(wt%)+0.2×V(wt%))。」

「【0015】
(2) Si:0.10wt%以上1.00wt%以下。
Siは,脱酸元素として添加されるとともに,炭化物,マトリックス両者に固溶し,硬さ増大に寄与する。従って,最低限の添加量として,0.10wt%以上を添加する。他方,Siを過剰に添加すると熱間加工性の低下や,靱性の低下を招く。従って,Si添加量は,1.00wt%以下が好ましい。材料の靱性の低下を抑制するためには,Si添加量は,さらに好ましくは,0.5wt%以下である。」

(オ)周5(特開2013-87322号公報)
上記周5には,以下の記載がある。

「【請求項1】
質量%で,C:0.30?0.50%,Si:0.10?0.50%,Mn:0.10?1.00%,Cr:4.00?6.00,Mo:1.40?2.60%,V:0.20?0.80%,Ti:0.0030%以下,N:0.0120%以下を含有し,残部Feおよび不可避不純物からなり,さらに,Mo,Crは質量%で,0.33×[%Cr]-0.37<[%Mo]<4.45-0.44×[%Cr]の関係式を満足することを特徴とする高靭性及び高強度な熱間金型用鋼。」

「【0018】
Si:0.10?0.50%
Siは,製鋼における脱酸の効果及び被削性並びに焼入性の確保に必要な元素である。Siが0.10%未満であると脱酸の効果及び焼入性の確保は発揮できず,また,被削性を悪化させる。Siが0.50%より多すぎると靭性を低下させ,また,熱間工具鋼として重要な物性値である熱伝導率を低下させる。そこで,Siは0.10?0.50%とする。」

「【0024】
N:0.0120%以下
Nは,Tiとともに凝固時に晶出するMX型炭窒化物に混入し,固溶温度を上昇させる。その結果,均質化熱処理での固溶が不足し,靭性を阻害する。また,十分に固溶させるためには,均質化熱処理の高温化や長時間化が必要となり,コストおよび環境負荷を増大させる。そこでNは0.0120%以下,望ましくは0.0100%以下とする。」

(カ)周6(特開2013-213256号公報)
上記周6には,以下の記載がある。

「【請求項1】
質量%で,C:0.70?0.89%,Si:0.30?0.80%,Mn:0.45?0.95%,Cr:3.00?6.00%,Mo:2.00%以上かつ4.00%未満,W:5.00%以下,V:0.40?2.00%,N:0.0300%以下,好ましくはN:0.0120%以下を有し,MoおよびWは上記の範囲内で,6.00%<2Mo+W<9.00%を満足し,ΔC:-0.03?0.20,K値:1.67以上を満足する合金元素を含有し,残部Feおよび不可避不純物であり,該不可避不純物中のTi:0.005%以下である鋼を1100?1180℃で焼入れを行い,500?580℃の範囲で焼戻した時の硬さが64HRC以上であることを特徴とする高強度マトリックスハイス。
ただし,上記において,ΔC=C-Ceq,
Ceq=0.06×%C+0.063×%Mo+0.033×%W+0.2×%V+0.1×%Nb,
K値=1.05×%Mo+0.55×%W+3.33×%V+1.67×%Nb-%Crである。
ここで,Cは質量%を示し,%元素は各合金元素の質量%を示す。」

「【0018】
N:0.0300%以下,望ましくはN:0.0120%以下
Nは,V,Nbと結合しMC型の窒化物および/または炭窒化物を形成し,硬度および耐摩耗性に寄与する。それらのMC型の窒化物および/または炭窒化物は,焼入時に結晶粒粗大化を抑制し,靭性を改善する。ただし,0.0300%より多すぎると,凝固の過程で,より高温でのV,Nb,Tiとの結合を助長するため,晶出のMC型の窒化物および/または炭窒化物が粗大化し,逆に靭性を阻害する。そこで,Nは0.0300%以下,望ましくは,0.0120%以下とする。」

(キ)周7(特表2002-509986号公報)
上記周7には,以下の記載がある。

「 【請求項1】 重量%で実質上次に示す値からなる合金組成を有することを特徴とする,熱間加工工具用の鋼材:
C : 0.3-0.4
Mn: 0.2-0.8
Cr: 4-6
Mo: 1.8-3
V : 0.4-0.6
バランス: 鉄及び不可避の金属及び非金属不純物からなり,該非金属不純物は,次に示す最高量で存在できるシリコン,窒素,酸素,リン及び硫黄を含む:
Si: max. 0.25重量%
N : max. 0.010重量%
O : max. 10ppm
P : max. 0.010重量%」

「 【0018】
窒素は初析炭化物の生成を安定化する傾向がある元素である。初析炭窒化物,より詳しくはバナジゥムの他にチタン,ジルコニゥム及びニオビゥムを含む炭窒化物は純粋な炭化物よりも溶解しにくい。これらの炭化物が仕上り工具中に存在すると,鋼材の衝撃靭性に大きな悪影響を与える。窒素の含有量が非常に少いと,これらの炭化物は熱処理と関連して鋼のオーステナイト化の際により容易に溶解し,それに続いて主としてサブミクロンサイズ,すなわち100nm未満,通常2-100nmサイズのMC及びM_(23)C_(6)型の前記の小さな2次炭化物が析出する。これは好都合である。本発明の鋼材のN含量はしたがってmax. 0.010重量%N,好ましくはmax. 0.008重量%Nとしなければならない。」

イ 本件発明1について
(ア)引用発明との対比
本件発明1と引用発明とを対比すると,両者は,C,Si,Mn,Cr及びWの含有量,並びにWおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量が重複する。
また,引用発明の「マルテンサイト主体の組織を形成した焼入れ焼戻し状態」は,本件発明1の「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有」するに相当する。
してみると,本件発明1と引用発明とは,以下の一致点及び相違点を有するものと認められる。

<一致点>
「質量%で,C:0.40?0.90%,Si:1.00%以下,Mn:1.00%以下,Cr:4.00?6.00%,WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%,並びに,VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し,残部がFeおよび不純物からなり,焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有する高速度工具鋼。」である点。

<相違点1>
本件発明1は,「Nの含有量が質量%で0.0200%以下」であるのに対し,引用発明は,Nの含有量について特定されていない点。

<相違点2>
本件発明1は,「断面の」「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」「中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下」であるのに対し,引用発明は,断面のマルテンサイト組織中の炭化物の円相当径の最大値について特定されていない点。

(イ)相違点についての判断
事案に鑑み,相違点2について検討する。

a 上記ア(イ)に摘示した,工具鋼に係るものである甲2には,「粗大な晶出炭化物および炭窒化物,ならびに酸化物系介在物は,破壊の起点として作用することにより,金型の衝撃値を大幅に低下させる」「ため,これらの粗大な晶出物はできるだけ低減することが好まし」く,「円相当径で1μm未満の大きさの晶出物は,実質的に破壊の起点として作用せず,衝撃値を低下させない」ことが記載され(【0015】),衝撃値は,靭性の評価方法として通常知られたものであるから,甲2において,靭性に優れた工具鋼とするために,晶出物である炭化物の大きさを,円相当径で1μm未満とすることが開示されていると一見読み取れる。

b しかしながら,同【0039】?【0040】に記載のように,甲2に記載のものにおいて,衝撃試験片用の素材は,球状化焼きなまし材の心部から切り出したものを焼き入れ後,2回焼き戻ししたものであるのが,組織観察用の素材は,球状化焼きなまし材の心部から切り出したものを研磨したものであって,焼入れ焼戻し前の焼鈍組織である組織観察用の素材について,晶出炭化物・炭窒化物および酸化物系介在物のすべてを画像解析し,【0041】の表2のように,晶出物数密度を調べているといえる。

c 上記bから,甲2の【0015】において,「円相当径で1μm未満の大きさの晶出物」としているのは,焼入れ焼戻し前の焼鈍組織における晶出物のことと解するのが妥当であるといえる。

d そして,技術常識を踏まえても,焼入れ焼戻し前の焼鈍組織において「円相当径で1μm未満の大きさの晶出物」であったものが,焼入れ焼戻し後においても,必ず「円相当径で1μm未満の大きさの晶出物」であるということはできない。

e してみると,「焼入れ焼戻し状態の高速度工具鋼」である引用発明において,靭性を高めるという共通の課題があることから,焼入れ焼戻し前の焼鈍組織における晶出物である炭化物の大きさを,円相当径で1μm未満とするという甲2に記載の事項を適用できても,相違点2に係る発明特定事項である,「断面の」「焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織」「中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下」を備えたものとはならない。

f そして,本件発明1は,本件明細書の【0021】に記載のように,炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下であることとともに,Nの含有量が0.0200%以下であることにより,従来の高速度工具鋼と比較して,靱性がさらに向上するという格別顕著な効果を奏するものである。

(ウ)申立人の主張について
a 申立人は,令和2年8月17日付け意見書の10頁16行?11頁3行において,相違点2に関し,以下(a)?(f)に鑑みれば,「炭化物の円相当径の最大値を1.00μm以下に設定することは,当業者がなし得る設計事項にすぎないと言うべきである」旨主張している。

(a)甲第1号証の高速度工具鋼においても,炭化物の円相当径の最大値として何らかの値が内在していること。
(b)マルテンサイト組織において炭化物をなるべく小径なものにしようとする技術思想が,甲第1号証に記載されていること。
(c)マルテンサイト組織において炭化物をなるべく小径なものにしようとする技術思想が,甲第1号証に記載されているのであるから,甲第1号証の高速度工具鋼における炭化物の円相当径の最大値も,ある程度小さいものであるはずであること。
(d)甲第1号証の高速度工具鋼において,粒径が1.00μmを大きく超える粗大な炭化物が存在しない場合もありうることを,本件明細書において本件特許権者自らが認めていること。
(e)本件発明において1.00μm以下と規定された数値範囲の全ての部分で顕著性があることが,本件明細書で明らかにされていないこと。
(f)本件発明のいわゆる臨界性が,本件明細書で明らかにされていないこと。

b しかしながら,上記(a)?(c)について,甲1の高速度工具鋼において,炭化物の円相当径の最大値として何らかの値が内在し,甲1に炭化物をなるべく小径なものにしようとする技術思想が記載されているとしても,その最大値が当然に1.00μmであるとまでいうことはできない。

c また,上記(d)について,甲1において「粒径が1.00μmを大きく超える粗大な炭化物が存在しない場合もありうることを,本件明細書において本件特許権者自らが認めている」としても,それは,「粒径が1.00μmを大きく超える」ものについてであって,「粒径が1.00μmを超える」ものが一切存在しないことをいうものではなく,最大値が1.00μm以下であることを意味するものとはいえない。

d そして,上記(e)及び(f)について,申立人が同意見書の9頁10行?10頁13行で主張する顕著性及び臨界性は,特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節の「6.数値限定を用いて発明を特定しようとする記載がある場合」に示されたもののことであるが,当該基準は,「主引用発明との相違点がその数値限定のみにあるとき」に適用するものであって,本件発明1と引用発明とは,数値限定に係る相違点2のみでなく,N含有量に係る相違点1においても相違し,相違点が数値限定のみにあるときではないから,当該基準を適用するものではない。

e したがって,申立人の上記aの主張を採用することはできない。

f さらに,申立人は,以下(a)に示した参考文献1(加田善裕,「工具鋼の基礎知識」,特殊鋼,一般社団法人特殊鋼倶楽部発行,平成26年11月1日発行,第63巻第6号,2?3頁)に基づき,以下(b)のとおり主張している。

(a)「



(b)「参考文献1に記載されている通り,工具鋼に含まれる炭化物には,大きな一次炭化物と微細な二次炭化物がある。一次炭化物は焼入れ前に生じている炭化物で有り,二次炭化物は焼入れ焼戻しによって生じる炭化物である。一次炭化物のサイズは,焼入れ焼戻しによってもほとんど変化しない。
本件特許権者が主張する通り,甲2発明では焼入れ焼戻し前の組織において炭化物の円相当径が特定されている。しかし,参考文献1に示された周知技術に鑑みれば,甲第2号証には,「焼入れ焼戻し後の組織において円相当径が1μm未満である炭化物」が,実質的に記載されていることとなる。」

g しかしながら,参考文献1に申立人が主張するとおりの事項が記載されているとしても,甲2の焼入れ焼戻し後の組織において,円相当径が1μm以上の炭化物が存在しないものに必ずなるとまでいうことはできないから,申立人の主張を採用することはできない。

(3)小括
したがって,相違点1に係る容易想到性について検討するまでもなく,本件発明1は,引用発明と甲2に記載された事項及び周知の技術的事項に基いて,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。

ウ 本件発明2?5について
本件発明2?5は,請求項1を直接又は間接的に引用するものであるから,少なくとも上記相違点1及び2において引用発明と相違するものであるところ,当該相違点についての判断は,上記イ(2)のとおりであるから,本件発明2?5も,引用発明と甲2に記載された事項及び周知の技術的事項に基いて,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。

エ 異議申立理由1(進歩性)についての小括
よって,本件特許の請求項1?5に係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してされたものであるとはいえず,同法113条2号に該当するものではなく,取り消すことはできない。

(2)異議申立理由2(サポート要件)
ア 申立人は,異議申立書の11頁7?28行及び令和2年2月26日付け意見書の3頁14行?4頁13行において,以下のとおり主張している(ここでは,異議申立書における主張を含んでいる当該意見書における主張を摘記する。)。

「本件明細書の段落【0009】には,本件特許発明の効果として,「表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がるまでの少なくとも一部において,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却することで製造された場合であっても,靭性がさらに向上された高速度工具鋼を提供できる」との記載がある。
本件発明1では,マルテンサイト組織中の炭化物の円相当径の最大値は,1.00μm以下である。マルテンサイト組織において円相当径が測定されるのであるから,この工具鋼は,焼入れ焼戻しがなされたものである。従って,焼入れ焼戻しに先立つ均熱処理及び冷却も,なされている。
本件発明1の高速度工具鋼には,
・少なくとも一部において,表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却することで,製造されたもの
・すべての範囲にわたって,表面温度の冷却速度が3℃/分以上となる条件で冷却することで,製造されたもの
の両方が含まれる。これらのうち,「すべての範囲にわたって表面温度の冷却速度が3℃/分以上となる条件で冷却することで製造された高速度工具鋼」は,本件明細書の段落【0009】に記載された,「表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がるまでの少なくとも一部において,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却することで製造された場合であっても,靭性がさらに向上された高速度工具鋼を提供できる」との効果を奏しえない。高速度工具鋼が辿らなかった製造工程を,もし辿っていたらと仮定して,その製造工程における効果を主張することは,そもそも失当である。
本件発明1には,本件明細書において記載された発明に固有の作用効果を奏さない高速度工具鋼が,含まれている。本件発明1は,発明の詳細な説明において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えている。本件発明2-5についても,同様である。」(令和2年2月26日付け意見書3頁14行?4頁13行)

イ しかしながら,本件発明1?5が解決しようとする課題は,本件明細書の【0005】に記載のように,「鋼塊を均熱処理した後に該鋼塊の表面温度が900℃以下になるまで冷却し,次いで鋼塊に熱間加工および焼入れ焼戻しを行って製造される高速度工具鋼であって,前記冷却の際に前記表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がるまでの少なくとも一部において,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却することで製造された場合であっても,靭性がさらに向上された高速度工具鋼を提供」することであるところ,これは,表面温度の冷却速度にかかわらず,「靱性がさらに向上された高速度工具鋼を提供」することが課題であるということができる。
この点,申立人は,「表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がるまでの少なくとも一部において,前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却することで製造された場合」に,「靭性がさらに向上された高速度工具鋼を提供できる」ことが,本件発明1?5の課題であるかのような主張をしているが,失当である。
そして,上記課題は,本件明細書の【0021】に記載のように,「Nの含有量が0.0200%以下であること,および,断面組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下であることにより,従来の高速度工具鋼(例えば特許文献1に記載の高速度工具鋼)と比較して,靱性がさらに向上する。」ことで解決できるものと認められる。
したがって,申立人の上記アの主張を採用することはできない。

ウ また,申立人は,令和2年2月26日付け意見書の4頁14行?5頁1行においても,以下の理由によりサポート要件違反を主張しているが,これは,本件異議申立の当初に主張されておらず,当該意見書において初めて示された新たな理由であるから,採用しない。

「本件発明1では,マルテンサイト組織中の炭化物の円相当径の最大値を1.00μm以下とすることで,「靭性がさらに向上される」との課題が解決されている。
本件明細書の表2及び本件図5の記載から,円相当径の最大値が0.60μm以下である高速度工具鋼が耐衝撃性(つまり靭性)に優れることが,分かる。しかし,円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼が靭性に優れるか否かは,不明である。本件発明1は,発明の詳細な説明において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えている。本件発明2-5についても,同様である。」

エ なお,上記ウの理由について念のため検討しても,本件明細書の【0019】には,「高速度工具鋼の断面組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μmを超えると,粒径が大きい炭化物(特に,円相当径が1.00μmを超える炭化物)が破壊の起点になりやすくなり,高速度工具鋼の靱性が低下する。」と記載されていることから,円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼は,靭性に優れるものであるということができる。

オ 異議申立理由2(サポート要件)についての小括
したがって,本件発明は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものでないとはいえない。

(3)取消理由通知(決定の予告)において採用しなかった特許異議申立理由についての小括
よって,本件特許の請求項1?5に係る特許が,特許法29条2項の規定に違反してされたものであるとはいえないし,同法36条6項1号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものであるともいえないから,同法113条2号又は4号に該当するものではなく,取り消すことはできない。


第6 むすび
以上のとおり,本件訂正は適法であるから,これを認める。
そして,取消理由通知(決定の予告)に記載した取消理由及び特許異議申立書に記載した特許異議の申立ての理由によっては,本件特許の請求項1?5に係る特許を取り消すことはできない。
また,他に本件特許の請求項1?5に係る特許を取り消すべき理由を発見しない。
よって,結論のとおり決定する。
 
発明の名称 (57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.40?0.90%、Si:1.00%以下、Mn:1.00%以下、Cr:4.00?6.00%、WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%、並びに、VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し、Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり、残部がFeおよび不純物からなり、焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織を有し、断面の前記組織中の炭化物の円相当径の最大値が1.00μm以下である高速度工具鋼。
【請求項2】
質量%で、Ni:1.00%以下をさらに含有する請求項1に記載の高速度工具鋼。
【請求項3】
質量%で、Co:5.00%以下をさらに含有する請求項1または請求項2に記載の高速度工具鋼。
【請求項4】
Siの含有量が、質量%で0.20%以下である請求項1?請求項3のいずれか1項に記載の高速度工具鋼。
【請求項5】
硬さが45HRC以上である請求項1?請求項4のいずれか1項に記載の高速度工具鋼。
【請求項6】
質量%で、C:0.40?0.90%、Si:1.00%以下、Mn:1.00%以下、Cr:4.00?6.00%、WおよびMoのうちの1種または2種:関係式(Mo+0.5W)によって求められる含有量として1.50?6.00%、並びに、VおよびNbのうちの1種または2種:関係式(V+Nb)によって求められる含有量として0.50?1.50%を含有し、Nの含有量が質量%で0.0200%以下であり、残部がFeおよび不純物からなる鋼塊を準備する準備工程と、
前記鋼塊を1200?1300℃に加熱することによって均熱処理する均熱処理工程と、
前記均熱処理工程後の前記鋼塊を該鋼塊の表面温度が900℃以下になるまで冷却する過程で、少なくとも、前記表面温度が1000℃以下950℃以上の範囲内に含まれる温度T1に下がった以降は、前記表面温度の冷却速度が3℃/分以上となる条件で前記表面温度が900℃以下になるまで冷却し、かつ前記表面温度が前記温度T1に下がるまでの少なくとも一部において、前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却する冷却工程と、
前記冷却工程後の前記鋼塊を900℃超の熱間加工温度に再加熱し、前記再加熱した鋼塊を熱間加工して鋼材とする熱間加工工程と、
前記鋼材に焼入れ焼戻しを行う焼入れ焼戻し工程と、
を有する高速度工具鋼の製造方法。
【請求項7】
前記冷却工程は、前記鋼塊の表面温度が前記温度T1に下がるまでは、前記鋼塊を、前記表面温度の冷却速度が3℃/分未満となる条件で冷却する請求項6に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項8】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は、脱酸精錬法によって精錬された溶鋼を鋳造することによって得られた鋼塊である請求項6または請求項7に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項9】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は、脱酸精錬法によって精錬された溶鋼を鋳造して再溶解用電極を得、得られた再溶解用電極を用いて再溶解法によって得られた鋼塊である請求項8に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項10】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は、質量%で、Ni:1.00%以下をさらに含有する請求項6?請求項9のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項11】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は、質量%で、Co:5.00%以下をさらに含有する請求項6?請求項10のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項12】
前記準備工程で準備する前記鋼塊は、Siの含有量が、質量%で0.20%以下である請求項6?請求項11のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項13】
前記焼入れ焼戻し工程は、前記焼入れ焼戻しにより、鋼材の硬さを45HRC以上に調整する請求項6?請求項12のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
【請求項14】
前記熱間加工工程後であって前記焼入れ焼戻し工程前に、前記鋼材を工具形状に機械加工する機械加工工程をさらに有し、
前記焼入れ焼戻し工程は、工具形状に機械加工された鋼材に対して焼入れ焼戻しを行う請求項6?請求項13のいずれか1項に記載の高速度工具鋼の製造方法。
 
訂正の要旨 審決(決定)の【理由】欄参照。
異議決定日 2020-11-30 
出願番号 特願2015-538960(P2015-538960)
審決分類 P 1 652・ 537- YAA (C22C)
P 1 652・ 121- YAA (C22C)
最終処分 維持  
前審関与審査官 松本 要蛭田 敦光本 美奈子本多 仁  
特許庁審判長 中澤 登
特許庁審判官 亀ヶ谷 明久
井上 猛
登録日 2019-02-08 
登録番号 特許第6474348号(P6474348)
権利者 日立金属株式会社
発明の名称 高速度工具鋼およびその製造方法  
代理人 福田 浩志  
代理人 加藤 和詳  
代理人 福田 浩志  
代理人 加藤 和詳  
代理人 中島 淳  
代理人 中島 淳  
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