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審決分類 審判 全部申し立て 2項進歩性  F02F
管理番号 1371721
異議申立番号 異議2020-700708  
総通号数 256 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2021-04-30 
種別 異議の決定 
異議申立日 2020-09-17 
確定日 2021-02-26 
異議申立件数
事件の表示 特許第6669922号発明「ピストンリング」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6669922号の請求項1ないし6に係る特許を維持する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6669922号の請求項1?6に係る特許についての出願は、令和1年6月12日に出願され、令和2年3月2日にその特許権の設定登録がされ、令和2年3月18日に特許掲載公報が発行された。その後、その特許に対し、令和2年9月17日に特許異議申立人浜俊彦(以下、「申立人」という。)は、特許異議の申立てを行った。そして、当審において令和2年12月16日付けで申立人に対し審尋を通知したところ、令和3年1月8日付けで申立人から回答書の提出がなされたものである。

第2 本件発明
特許第6669922号の請求項1?6に係る発明(以下、それぞれ「本件発明1」?「本件発明6」という。)は、それぞれ、その特許請求の範囲の請求項1?6に記載された事項により特定される次のとおりのものである。

「【請求項1】
エンジン潤滑油下で使用され、外周摺動面にDLC被膜を有するピストンリングであって、前記DLC被膜は、水素フリーDLC被膜であり、透過型電子顕微鏡(TEM)に電子エネルギー損失分光法(EELS)を組み合わせたTEM-EELSで測定されるsp^(2)成分比が0.5以上0.85以下であり、ナノインデンテーション法により測定される被膜の硬さが12GPa以上26GPa以下であり、ヤング率が250GPa以下であり、且つ分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.3以上2.6以下である、ピストンリング。
【請求項2】
前記DLC被膜のヤング率が200GPa以下である、請求項1に記載のピストンリング。
【請求項3】
前記DLC被膜は、その厚さ方向の断面を、走査型電子顕微鏡(SEM)で撮影した10,000倍の画像から観察されるマクロパーティクルの数が、10μm^(2)当たり2個以下である請求項1または2に記載のピストンリング。
【請求項4】
前記DLC被膜は、被膜の硬さが20GPa以下である、請求項1から3のいずれか1項に記載のピストンリング。
【請求項5】
前記DLC被膜の下に、さらにTi、Cr又はSiを含む下地層を備える、請求項1から4のいずれか1項に記載のピストンリング。
【請求項6】
前記DLC被膜は、膜厚が1μm以上である、請求項1から5のいずれか1項に記載のピストンリング。」

第3 申立理由の概要
請求項1?6に係る発明は、甲第1号証に記載された発明及び甲第2号証?甲第9号証に記載の技術的事項に基いて当業者が容易に発明をすることができたものである。したがって、請求項1?6に係る特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、取り消されるべきものである。

甲第1号証:森口秀樹、外2名、「新型DLC膜 ジニアスコートHAMの組織的特徴と摺動特性」、日新電機技報、2017年5月、Vol.62、No.2、p.30-35
甲第2号証:三宅浩二、外2名、「自動車エンジン部品用DLC膜の開発」、日新電機技報、2017年10月、Vol.62、No.3、p.45-49
甲第3号証:三宅浩二、「ダイヤモンド・ライク・カーボン(DLC)膜とその応用展開」、Journal of the Vacuum Society of Japan、2017年、Vol.60、No.11、p.428-436
甲第4号証:特許第6181905号公報
甲第5号証:Masanori HIRATSUKA、外5名、「Correlation between Optical Properties and Hardness of Diamong-Like Carbon Films」、Journal of Solid Mechanics and Materials Engineering、2013年、Vol.7、No.2、p.187-198
甲第6号証:国際公開第2014/133095号
甲第7号証:特許第6357607号公報
甲第8号証:国際公開第2017/022660号
甲第9号証:国際公開第2015/115601号

第4 各甲号証に記載の事項及び発明
1 甲第1号証
甲第1号証には、次の事項が記載されている(下線は当審で付した。以下同様。)。
(1)第30ページ概要
「概要
近年、自動車の燃費規制・環境規制は益々厳しくなっている。このため、摩擦係数低減に効果のあるDLCの自動車部品への採用事例が増加している。潤滑油との相性に優れる水素フリーDLCは特に注目を浴びているが、潤滑油の低粘度化や大荷重の過酷な摺動環境下で、従来型の水素フリーDLCよりもさらに優れた低摩擦性、耐焼き付き性、耐摩耗性を示すDLCが求められていた。日本アイ・ティ・エフ株式会社ではこれらのニーズに対応する新型の水素フリーDLCであるジニアスコートHAMの開発に成功したので、その特徴について報告する。」
(2)第31ページ左欄第1行?第3行
「また、非晶質であるため平坦性に優れ、相手材料との直接接触に際しての低摩擦性、即ち、小さな摩擦係数や優れた相手なじみ性を備えている。」
(3)第31ページ左欄第10行?第20行
「日本アイ・ティ・エフ株式会社(以下、ITF)が世界に先駆けてバルブリフター用途に量産化した水素フリーDLC膜以外にも、ピストンリングやピストンピンなどにDLC膜が適用され、実用化されている。近年、自動車業界では燃費の提言や環境規制への適合を目的として、潤滑油の低粘度化や部品の小型化による負荷荷重の増大など、過酷な摺動環境下でも安定して使用可能な高性能DLC膜への要求が高まっている^((4))。ITFでは、そのような過酷な摺動環境下でも使用可能な新しいタイプのDLC膜であるジニアスコートHAMを開発したので、以下に本膜の特徴について報告する。」
(4)第31ページ左欄第21行?第26行
「2.製造方法
今回開発したジニアスコートHAM-DLCは、図3に示すアーク式PVD成膜装置を用いて製造することができる。具体的にはITF製マルチアークPVD装置M720を用い、個体のグラファイトターゲットにアーク放電を起こすことで水素フリーのDLC成膜を行う。」
(5)第31ページ右欄第1行?第5行
「DLCは成膜温度が高くなると軟化する傾向を有しているので、この特徴を利用して、基材に近い部分の膜硬度は高く、膜表面に近い部分の硬度は低くなるように、膜厚方向で連続的に変化していくように成膜を行う。」
(6)第31ページ右欄第13行?第17行
「図5から従来型の水素フリーDCである膜には膜厚方向で組織の変化はなく、マクロパーティクルが一部存在するものの非常に均質であることがわかる。一方、HAM-DLCにおいては図6からわかるように、膜の上部1/4の部分に白色の組織が形成されている。」
(7)第32ページ左欄の図6



上記図6より、新型DLC膜の膜厚の上部1/4程度に白色部分が形成されていることが看取される。
(8)第32ページ右欄第15行?第23行
「4.電気・機械的特性
前述したように、DLCの特性はダイヤモンドの結合形態であるsp^(3)結合とグラファイトの結合携帯であるsp^(2)結合の構成比によって変化する。そこで、HAM-DLCの膜表面部でのsp^(3)結合とsp^(2)結合の構成比を調べるため、日立製透過型電子顕微鏡H9000UHRを用いてEELS(電子エネルギー損失分光法)測定を行った。EELS測定ではπ/σ強度比を求めることができ、検量線を用いてsp^(2)/sp^(3)比率を推定することができる。」
(9)第33ページ左欄第1行?第10行
「また、エリオニクス社製超微小押し込み硬さ試験機ENT1100aを用いて、DLC膜の表面側から荷重300mgf、荷重負荷時間1秒という条件で、ナノインデンテーション硬度の測定を行った。さらに、電気抵抗の測定をDLC膜の表面側から二端子法により行った。
それらの測定結果を表1に示すが、HAM-DLCは従来の水素フリーDLC膜よりもsp^(2)比率が大きくなっている。つまり、HAM-DLCの膜表面部ではグラファイト的な性質が強く出ており、この結果として、膜硬度は低下し、電気抵抗が小さくなったものと考えられる。」
(10)第33ページ左欄の表1



上記表1より、新型DLCのsp^(2)比率が80%前後であり、硬度が25GPaであることが看取される。
(11)第33ページ左欄第11行?第25行
「5.摺動特性
従来型水素フリーDLC膜とHAM-DLC膜の摩擦係数測定を往復動型すべり摩擦摩耗試験器の一種であるSRV(Schwingungs Reihungund und Verschleiss)試験により行った。SRV試験は短距離を高速で往復摺動させて摩擦摩耗試験を行う評価法である。直径15mmで長さ22mmのSCM415製円柱材の外径部にDLCを被覆し、ダイヤモンド砥粒を混合した弾性研磨剤で磨いた後、相手材としてSUJ2製円板を用いて、振幅1.5mm、周波数33Hz、荷重100Nの条件で試験を行った。潤滑油として低粘度油0W-16(Mo-DTC添加有)、油温80℃の条件にて120分間摺動させた後の摩擦係数を測定した。その結果を図9に示すが、従来型水素フリーDLCの摩擦係数が0.14であるのに対して、HAM-DLCの摩擦係数は0.08と従来型DLCよりも約42%低い値であった。」
(12)第33ページ右欄第16行?第19行
「HAM-DLCの膜表面部は低硬度であるにも関わらず、高硬度である従来型水素フリーDLC膜よりも優れた耐焼付き性と耐摩耗性を示した。」
(13)第33ページ右欄第23行?第34ページ左欄第8行
「HAM-DLCは膜表面部が柔らかいため摺動試験中に平坦化しやすく、潤滑状態が境界潤滑から混合潤滑に移りやすくなったものと考えられる。つまり、HAM-DLCは固体接触状態である境界潤滑から、油膜を挟んだ潤滑状態である混合潤滑に移りやすいため、低摩擦性を示すと推定される。この現象は一般的には「なじみ」と表現されている。このようにHAM-DLCは従来型水素フリーDLCであるよりも相手材となじみやすく、その結果として、油膜を挟んだ潤滑となって摩擦係数が低下し、固体接触で起こりやすい膜の損傷を抑制できるため、優れた耐焼き付き性と耐摩耗性を両立できたと考えている。」
(14)甲第1号証に記載された発明
上記(1)?(13)の記載を総合すると、甲第1号証には次の発明(以下、「甲1発明」という。)が記載されているものと認めることができる。
<甲1発明>
「優れた低摩擦性、耐焼き付き性及び耐摩耗性を示す水素フリーDLC膜であるジニアスコートHAM-DLCであって、
前記水素フリーDLC膜は、基材に近い部分の膜硬度は高く、膜表面に近い部分の硬度は低くなるように、膜厚方向で連続的に変化するように成膜されるものであり、
日立製透過型電子顕微鏡H9000UHRを用いてEELS(電子エネルギー損失分光法)測定から求められるDLC膜表面部でのsp^(2)比率が80%前後であり、
DLC膜の表面側から測定したナノインデンテーション硬度が25GPaであり、
潤滑油の低粘度化や部品の小型化による負荷荷重の増大などの過酷な摺動環境下でも安置して使用可能であり、ピストンリングやピストンピンに適用し得るジニアスコートHAM-DLC。」

2 甲第2号証
甲第2号証には、次の事項が記載されている。
(1)第45ページ概要
「概要
自動車の燃費改善や環境規制に対する要求はますます高まっており、低摩擦性などの優れた特性を有するダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜に注目が集まっている。日本アイ・ティ・エフ株式会社では2004年に量産を開始したバルブリフター用水素フリーDLC(ジニアスコートHA)膜を皮切りとして、自動車の様々な摺動部品にDLC膜のコーティングを行ってきた。
本稿では最近開発した高耐摩耗・低相手攻撃性など優れた特徴を持つ新しいDLC(ジニアスコートHC)を中心にエンジン部品用DLC膜について紹介する。」
(2)第46ページ左欄第1行?第12行
「2.水素フリーDLCの特徴と応用、改良
DLCはダイヤモンドやグラファイトのような結晶構造を持たない非晶質の物質であるが、微視的にみるとグラファイトの骨格構造(sp^(2)結合)とダイヤモンドの骨格構造(sp^(3)結合)が混在している。また一部の炭素同士の結合が切れていたいたり(ダングリングボンド)、製法によってはカーボン以外の元素として水素がカーボンの結合手を終端したりしている。この構造の模式図を図1に示す。DLCはsp^(2)結合とsp^(3)結合の比率や水素含有量などによって特性が大きく変わることから、図2に示すような疑似三元系状態図が2007年にRobertsonらによって提唱されている^(4))。」
(3)第46ページ左欄の図1



上記図1から、DLCにおいて、sp^(2)結合とsp^(3)結合が混在していることが看取される。
(4)第46ページ左欄の図2



上記図2にから、水素フリーDLCは、sp^(2)結合の比率が高い場合にa-Cに分類され、sp^(3)結合の比率が高い場合はta-Cに分類されることが看取される。
(5)第46ページ右欄第17行?第22行
「HAM-DLCは、HA-DLCの表層0.3μm程度の領域で成膜条件を変えることで、図4に示すように編み目(Mesh)状の構造を成長させた被膜である。この網目状部分ではsp^(2)比率が80%前後で硬度も25GPa程度となっており、図2のa-Cに分類される膜が形成されている。」
(6)第47ページ左欄の図4




上記図4から、DLC膜の上部に白い網目状部分が形成されていることが看取される。

3 甲第3号証
(1)第428ページ右欄第10行?第12行
「a-C(amorphous- Carbon)も水素を基本的に含まないがsp^(2)比率が高いため,グラファイト寄りの性質を持ち,導電性で比較的低硬度,黒色の膜となる.」
(2)第428ページ左欄の表1(Table 1)



表1からは、a-Cに分類されるDLCの特徴として、ヤング率(Young's modulus(GPa))が100?400の範囲である点、屈折率(Index of refraction、表中のredractionの『d』は『f』の誤記と認める。)が1.8?2.5の範囲である点が看取される。

4 甲第5号証
(1)第187ページ要約



(要約
本研究では、イオン化蒸着法を用いて4種類のDLC膜を作製した。基板電圧は1?3kVに制御した。ベンゼンとシクロヘキサンを原料ガスとして3種類の膜を作製した。これらのパラメータを用いてDLC構造を制御できた。これは、硬度および光学特性に関連する。標準化のためのラウンドロビン試験にしようされた種々のタイプのDLC膜も本研究で分析した。これらのDLC膜をSi基板上にイオン化蒸着法、スパッタリング法、アーク法およびプラズマCVD法により堆積した。DLC膜の硬さをナノインデンテーション法を用いて測定した。DLC膜の屈折率と消衰係数を分光エリプソメータを用いて評価した。四面体非晶質炭素(ta-C)の屈折率は2.50?2.74で比較的高く、消衰係数は0.04?0.50で低かった。水素化四面体非晶質炭素(ta-C:H)では、屈折率はta-Cより低かった。水素化非晶質炭素(a-C:H)は非晶質炭素(a-C)と同様に独自の消衰係数と屈折率範囲を示した。屈折率はDLC膜の硬さに比例した。屈折率と消衰係数はDLCの種類によって異なり、蒸着法とDLC構造に関係した。屈折率や消衰係数などの光学特性を利用して、DLC膜の種類を識別できる。(申立人が提出した甲第5号証の抄訳))
(2)第193ページ第10行?第28行



(3.2 各種DLC膜の光学特性及び硬度
図5に、2種類のDLC膜の屈折率と吸光係数の結果の例を示す。図5では、測定から得られた屈折率と消衰係数曲線に明瞭な差があることが分かった。各タイプのコーティングは、異なるパターンを示し、この分析で使用されるDLCのタイプを分類することを可能にする。
実験に用いた試料の種類、押込硬さ、波長550nmで測定した屈折率、消衰係数の値を表3に示す。屈折率は吸光係数と高度、平均値と標準偏差(σ)を示す。最小値と最大値も表示されます。得られた四面体非晶質炭素(ta-C)の屈折率は、表3に示すように、2.50?2.74であり、吸光係数は0.04?0.50であって。、水素化四面体非晶質炭素(ta-C:H)の屈折率は2.00?2.44、消衰係数は0.29?0.53であった。水素化非晶質炭素(a-C:H)の屈折率は2.00?2.31、吸光係数は0.08?0.22、0.61?0.75であった。得られた非晶質炭素(a-C)の屈折率は2.10?2.40であり、消衰係数は0.60?0.80であった。これらの結果は、異なる種類のDLCに対して光学特性に明確な違いがあることを示した。(申立人が提出した甲第5号証の抄訳))
(3)第194ページの表3(Table 3)



表3からはDLCのうちa-Cに分類されるものの波長550nmで測定した屈折率(n)の測定結果が、平均値(Avg)2.25かつ標準偏差(σ)0.04であり、最小値(min)が2.20で最大値(max)が2.32であることが看取される。

5 甲第4号証、甲第6号証?甲第9号証
甲第4号証には、DLC膜のヤング率の範囲等が記載されている。
甲第6号証には、DLC膜の分野において、マクロパーティクルを抑制することが課題として認識されていたことが記載されている。
甲第7号証には、DLC膜の分野において、ドロップレットの密度を小さくすることが課題として認識されていたことが記載されている。
甲第8号証及び甲第9号証には、DLC膜のインデンテーション硬さの範囲等が記載されている。

第5 当審の判断
1 請求項1に係る発明について
(1)甲1発明との対比
本件発明1と甲1発明とを対比する。
甲1発明の「ジニアスコートHAM-DLC」は、水素フリーDLC膜であって、ピストンリングに適用し得るものであって、「潤滑油の低粘度化や部品の小型化による負荷荷重の増大などの過酷な摺動環境下でも安置して使用可能」であることから、本件発明1のDLC被膜との間において、「エンジン潤滑油下で使用され、外周摺動面にDLC被膜を有するピストンリングであって、前記DLC被膜は、水素フリーDLC被膜で」ある限りにおいて共通する。
甲1発明の「DLC膜表面部でのsp^(2)比率」は、本件発明1の「DLC被膜」の「sp^(2)成分比」との関係において、ともに透過型電子顕微鏡を用いた電子エネルギー損失分光法(EELS)により測定されるものであるから、その比率が重複する範囲において共通する。また、本件発明1の「DLC被膜」のDLC膜表面部におけるsp^(2)成分比は、DLC被膜全体と同様のものと推測される。すなわち、甲1発明と本件発明1のsp^(2)成分比は、「DLC膜表面部でのsp^(2)成分比が80%前後(ただし85%以下に限る。)」の限りにおいて共通する。
甲1発明の「DLC膜の表面側から測定したナノインデンテーション硬度が25GPaで」あることは、本件発明1の「ナノインデンテーション法により測定される被膜の硬さが12GPa以上26GPa以下で」あることとの関係において、「ナノインデンテーション法により測定される被膜の硬さが25GPaで」ある限りにおいて共通する。
以上のとおりであるので、本件発明1と甲1発明との一致点及び相違点は次のとおりである。
[一致点]
「エンジン潤滑油下で使用され、外周摺動面にDLC被膜を有するピストンリングであって、前記DLC被膜は、水素フリーDLC被膜であり、透過型電子顕微鏡(TEM)に電子エネルギー損失分光法(EELS)を組み合わせたTEM-EELSで測定されるsp^(2)成分比が80%前後(ただし85%以下に限る。)であり、ナノインデンテーション法により測定される被膜の硬さが25GPaである、ピストンリング。」

[相違点1]
本件発明1におけるDLC被膜は、「ヤング率が250GPa以下で」あるのに対し、甲1発明ではヤング率が不明である点。
[相違点2]
本件発明1におけるDLC被膜は、「分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.3以上2.6以下である」のに対し、甲1発明では係る特定がない点。

(2)判断
事案に鑑み、上記相違点2について検討する。
甲第3号証には、上記「第4 3(2)」に記載のとおり、a-Cに分類されるDLCの屈折率が1.8?2.5の数値範囲を取ることが記載されている。ただし、表中に数値範囲が記載されるのみであり、分光エリプソメータを用いて測定された屈折率であるのか、波長550nmにおける屈折率であるのかは不明である。
甲第5号証には、上記「第4 4(2)」において、屈折率が2.10?2.40の数値範囲をとることが記載されているとともに、上記「第4 4(3)」において、屈折率が2.20?2.32の数値範囲をとることが記載されている。
そうすると、これら記載の重複する数値範囲から、少なくともその屈折率は「2.20?2.32」であるといえる。
すなわち、甲第3及び5号証から、少なくとも「a-Cに分類されるDLC膜が、分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.20?2.32である」ということが示唆される。
そして、甲1発明における水素フリーDLC膜のうち膜表面部は、sp^(2)比率が80%前後であるため、上記「第4 2(4)」に記載の甲第2号証の図2を考慮すると、a-C(amorpous Carbon)に分類されることが理解できる。
そうすると、甲1発明における水素フリーDLC膜のうち膜表面部は、甲第3及び5号証から示唆される上記技術的事項を考慮すると、分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.20?2.32であると認めることができる。
ここで、甲1発明における水素フリーDLC膜は、DLC膜表面部において上記屈折率であると言えるとしても、その屈折率は技術常識からして表面部のみによって決まるものではないから、DLC膜としての屈折率は把握することができないというべきである。つまり、上記「第4 1(5)」及び「第4 1(9)」の記載を考慮すると、甲1発明におけるDLC膜の基材に近い部分は、上記「第4 1(10)」に記載の「従来型DLC」により近い性質を持つので、DLC膜の基材に近い部分は、膜表面部と異なる屈折率であるといえるから、結局、DLC膜としての屈折率は把握できない。
そうすると、甲1発明におけるDLC膜は、その膜全体としての屈折率が、上記「波長550nmにおいて2.20?2.32」の範囲に含まれるとは言うことができず、屈折率を特定できないものである。そして、甲1発明におけるDLC膜は、上述のとおり膜厚方向で性質が連続的に変化するものであるから、「分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.3以上2.6以下である」ものとすることが当業者にとって容易になし得たことではない。また、甲1発明のDLC膜の表面部の構成のみを切り取って甲1発明に適用することを示唆する証拠もない。
したがって、甲1発明は、本件発明1の上記相違点3に係る屈折率を有するものということはできず、また該屈折率を持つものとすることも当業者にとって容易であるということができない。
以上のとおりであるから、相違点1及び2について検討するまでもなく、本件発明1は、甲1発明と、甲第2号証、甲第3号証及び甲第5号証に記載された技術的事項とに基いて当業者が容易に発明をすることができたものではない。また、このほかの甲第4号証、甲第6号証?甲第9号証にも、本件発明1の上記相違点3に係る構成についての記載はない。

(3)申立人の特許異議申立書及び回答書における主張について
申立人は、上記相違点3に関して、特許異議申立書の第22ページ第1行?第5行において、次の主張をしている。
「また、ジニアスコートHAM-DLC(甲1発明)は波長550nmで測定される屈折率が2.3以上2.6以下である蓋然性が高く、また、相違点2,3に係る構成は、当業者が適宜なし得る設計的事項に過ぎず、また、本件特許明細書等の実施例等を参酌しても、屈折率を2.3以上2.6以下としたこと自体による効果は本件特許明細書等には示されていない。」
上記主張について検討する。
甲1発明の波長550nmで測定される屈折率が、甲1発明のDLC膜は性質が膜厚方向で連続的に変化するものであるから、本件発明1の上記相違点3に係る構成を備えるものではなく、また当業者にとって容易なものでもないことは、上記(2)において説示したとおりである。
そして、本件特許明細書の段落【0044】には、「本実施形態のDLC被膜は、分光エリプソメータにより測定された屈折率が、波長550nmにおいて2.3以上2.6以下が好適である。上記範囲内の屈折率とすることで、DLC被膜が均質となり、マクロパーティクル数が低減される。」と記載されるとともに、段落【0061】の【表1】には、実施例1?4が当該数値範囲に含まれる屈折率を有するものであって、摩耗量評価がA又はSである点が記載されている。すなわち、本件特許明細書等には、屈折率を本件発明1の範囲とすることによる効果が開示されているものと言える。
したがって、申立人の上記主張は採用できない。

また、申立人は、審尋に対する回答書において、次の主張をしている。
「特許異議申立人は、審尋の第8頁に記載の『甲1発明(当審)』の認定について異存ありません。
なお、『甲1発明(当審)』における『DLC膜表面部』は本件特許発明1における『DLC被膜』に相当するものであり、『甲1発明(申立)』に代えて『甲1発明(当審)』と本件特許発明1とを対比した場合でも、異議申立書に記載の『1-3.本件特許発明1の進歩性が否定されるべき理由』は以下のとおり妥当性を失うものではないと異議申立人は考えております。
本件特許発明1においては『DLC被膜』の位置について『・・・外周摺動面にDLC被膜を有するピストンリングであって・・・』と記載されているに過ぎません。すなわち、本件特許発明1のピストンリングは、その外周摺動面に『DLC被膜』を有していればよく、この『DLC被膜』よりも深い領域(本件特許発明5に記載の下地層側の領域)については何ら特定されていませんし、外周摺動面から下地層側までの全体が『DLC被膜』で構成されているとも特定されてもいません。つまり、本件特許発明1は『甲1発明(当審)』の態様を包含しています。
以上のことから、本件特許発明1?6は依然として甲第1号証及び当業界における周知技術(甲第2?9号証に記載の事項)に基づいて当業者が容易に発明できたものであると思量致します。」
上記主張について検討する。
甲1発明の「DLC膜」は表面のみではなく、その屈折率が本件発明1の構成に相当しないことから、進歩性なしといえないことは既に説示の通りであるので、上記申立人の主張は採用できない。

2 本件発明2?本件発明6について
本件発明2?本件発明6は、本件発明1を更に限定するものであり、甲1発明との間に少なくとも上記相違点1?相違点3を有するものである。したがって、本件発明1と同様の理由により、本件発明2?本件発明6は、甲1発明と、甲第2号証?甲第9号証に記載の技術的事項とに基いて、当業者が容易に発明をすることができたものではない。

第6 むすび
したがって、特許異議の申立ての理由及び証拠によっては、請求項1?6に係る特許を取り消すことはできない。
また、他に請求項1?6に係る特許を取り消すべき理由を発見しない。
よって、結論のとおり決定する。
 
異議決定日 2021-02-12 
出願番号 特願2019-109157(P2019-109157)
審決分類 P 1 651・ 121- Y (F02F)
最終処分 維持  
前審関与審査官 保田 亨介  
特許庁審判長 田村 嘉章
特許庁審判官 杉山 健一
内田 博之
登録日 2020-03-02 
登録番号 特許第6669922号(P6669922)
権利者 TPR株式会社
発明の名称 ピストンリング  
代理人 特許業務法人秀和特許事務所  

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