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審決分類 審判 全部無効 2項進歩性  C22C
管理番号 1123423
審判番号 無効2004-80052  
総通号数 71 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 1986-11-19 
種別 無効の審決 
審判請求日 2004-05-21 
確定日 2005-09-12 
事件の表示 上記当事者間の特許第1825311号発明「深絞り加工後の張出し成形性に優れたフエライト系ステンレス鋼板」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 特許第1825311号の請求項1に係る発明についての特許を無効とする。 審判費用は、被請求人の負担とする。 
理由 I.手続の経緯
特許出願(特願昭60-98916号) 昭和60年 5月11日
手続補正 昭和62年 7月30日
出願公告(特公平2-7391号公報) 平成 2年 2月16日
特許異議申立(川崎製鉄株式会社) 平成 2年 5月10日
特許異議申立(日本鋼管株式会社) 平成 2年 5月14日
特許異議申立(日新製鋼株式会社) 平成 2年 5月15日
異議決定 平成 5年 8月 5日付け
特許査定 平成 5年 8月 5日付け
特許登録 平成 6年 2月28日
無効審判請求 平成16年 5月21日
答弁書 平成16年 8月10日
口頭審理陳述要領書(請求人) 平成17年 2月18日
口頭審理陳述要領書(被請求人) 平成17年 2月18日
口頭審理(特許庁審判廷) 平成17年 2月18日
上申書(被請求人) 平成17年 3月18日
上申書(請求人) 平成17年 4月18日
上申書(被請求人) 平成17年 5月 9日

II.本件発明
本件特許についての発明は、特公平2-7391号公報として出願公告された明細書の特許請求の範囲に記載された次のとおりのものである(以下、「本件発明」という)。
「C:0.002〜0.030%、Si:1.0%以下、Mn:1.0%以下、Cr:10.0〜20.0%、N:0.02%以下、S:0.001超〜0.010%、Al:0.002〜0.150%、Ti:0.02〜0.70%でTi/(C+N)≧6、B:0.0003〜0.0050%を含有し、残部が鉄および不可避的不純物から成る深絞り加工後の張出し成形性に優れたフェライト系ステンレス鋼板。」

III.請求人の主張及び証拠方法
1.請求人の主張
請求人は、本件発明についての特許を無効とする、審判費用は被請求人の負担とするとの審決を求め、無効審判請求書に添付して甲第1〜11号証を、口頭審理陳述要領書に添付して甲第12〜15号証を、また口頭審理後に提出された上申書に添付して甲第16〜20号証をそれぞれ提出して、次のとおり無効理由1〜3を主張している。
無効理由1:
本件発明は、甲第1号証を主要な証拠とした甲第1〜6号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件発明についての特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、同法第123条第1項第2号に該当し無効とすべきものである。
無効理由2:
本件発明は、甲第3号証を主要な証拠とした甲第1〜6号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件発明についての特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、同法第123条第1項第2号に該当し無効とすべきものである。
無効理由3:
本件特許明細書は、その特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載が不備であるから、本件発明についての特許は、特許法第36条第3項及び第4項に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものであり、同法第123条第1項第4号に該当し無効とすべきものである。

2.証拠方法
請求人が提出した証拠方法とその主な証拠の記載事項は、次のとおりである。
(審判請求時に提出されたもの)
(1)甲第1号証:特開昭58-61258号公報
(甲1a)「重量%において、
Cr;11.0〜16.0%、
C;0.03%以下、
N;0.02%以下、
C+N;0.04%以下、
Si;0.5%以下、
Mn;0.5%以下、
P;0.025%以下、
S;0.01%以下、
Al;0.1%以下、
O;0.01%以下、
Ti;5(%C+%N)〜0.30%、
であって、かつ
α=0.03(%Cr)+0.2(%Si)+0.03(%Mn)+3.3(%P)+(%固溶Ti)+(%固溶Al)
ただし、(%固溶Ti)=(%Ti)-{4(%C)+3.4(%N)}
の式で表わされるαが0.8以下を満足する量のCr、Si、Mn、P、TiおよびAl含有量であり、残部がFeおよび不可避的不純物からなる焼鈍状態でフェライト単相組織を有し張り出し性および二次加工性に優れたフェライト系ステンレス鋼。」(特許請求の範囲第1項)
(甲1b)「本発明は、張り出し性および二次加工性に優れたフェライト系ステンレス鋼に関する。より詳しく言えば、本発明は、従来の汎用フェライト系ステンレス鋼のうちでも最も成形性に優れるとされているSUS430LXよりも一段と張り出し性に優れかつ深絞り加工後においても良好な靭性(二次加工性)を示す焼鈍状態でフェライト単相組織を有するステンレス鋼を提供するものである。」(第1頁右下欄第15行〜第2頁左上欄第2行)
(甲1c)「フェライト系ステンレス鋼は、オーステナイト系ステンレス鋼に比べ、成形加工性、耐食性、溶接性などの材料特性が一般的に劣るので、ある面では用途が限定されている。特に成形加工性においては、張り出し性および二次加工性が劣るため、苛酷なプレス成形をほどこす用途には適用が困難で、この面での改善が強く望まれていた。
・・・(中略)・・・
これを改善する目的のもとに、これまで、各種元素の添加並びに調整が試みられている。なかでも、最も成形性を有するとされるSUS430LXは、16.00〜18.00%のCr、0.030%までのC、0.75%までのSi、1.00%までのMn、0.040%までのP、0.030%までのS、および0.10〜1.00%のTiまたはNbを含む成分組成としたもので、SUS430に比べ、C値を低くしかつTiまたはNbを添加した点に特徴がある。このSUS430LXはSUS430に比べれば成形性、特に深絞り性は向上している。しかし、それでも必ずしも十分ではなく、張り出し成形性の不足や深絞り後の二次加工において縦割れの発生を見るなど、成形面での問題が依然として指摘されている。」(第2頁左上欄第12行〜右上欄下から第2行)
(甲1d)「本発明の目的は、前述のように、従来のフェライト系ステンレス鋼は、張り出し成形や深絞り後の二次加工を要する用途には不向であるという基本的な材質上の欠点を改善することである。」(第2頁右下欄下から第3行〜第3頁左上欄第1行)
(甲1e)「この目的において本発明者らは、成形性に好ましいCr含有量の検討並びに不純物の低減とTiの微量添加という基本方針のもとに広範囲な研究と検討を重ねてきた。その結果、侵入型固溶元素であるCとNを所定値以下に低減した上でこのCとNを固定するための適正な量のTiを添加してマトリックスの純化を図り、かつ置換型固溶元素のCr、Si、Mn、Ti、P、Alのそれぞれの含有量を相互の関連量の範囲に規制して含有させるならば、前述のSUS430LXをはじめ従来のフェライト系ステンレス鋼では達成し得なかった著しく良好な張り出し性および二次加工性を示す焼鈍状態でフェライト単相組織のステンレス鋼が得られることを見い出した。」(第3頁左上欄第2〜15行)
(甲1f)「フェライト系ステンレス鋼における成形性の改善は、従来においては深絞り性の指標とされる塑性ひずみ比(r値:ランクフォード値)の向上をその指針とするのがほとんどであった。しかし、プレス成形などの成形加工における加工性を第1義に重視する場合には、深絞り加工のみならず、張り出し加工、および深絞り-張り出しの複合加工などの複雑な成形を施す場合の成形性を評価しなければならず、r値だけでは十分ではない。換言すれば、実際の成形加工性の改善に対して、深絞り性の改善のみでは限界があり、張り出し性を抜きにしては、総合的な成形加工性の向上は図れない。本発明では、このような観点から、張り出し性を重視し、加工硬化指数(n値)を張り出し性の評価指数として使用する。」(第3頁右上欄下から第2行〜左下欄第13行)
(甲1g)「本発明においては張り出し成形性を厳密に調査する指標としてこのn値を採用し、従来あまり変化しないとされていたフェライト系ステンレス鋼のn値の向上を目標に各種元素の影響を調べた。」(第3頁右下欄第4〜8行)
(甲1h)「第4図は、Crを13%の一定とし、かつ他の不純物元素の含有量も同レベルの供試材について、n値とTi/(C+N)の関係を示したものである。この第4図は、Ti/(C+N)が約7のところまではTi/(C+N)が大きくなるとn値もこれにつれて大きくなるが約12を過ぎると逆に低下しはじめるという興味深い関係を示している。すなわち、Ti/(C+N)が7〜12の範囲でn値について極大値を示すのである。TiはCおよびNをTiCおよびTiNとして固定し、このマトリックス純化効果によってn値を上昇させる作用を供すると考えられるが、この第4図の結果はn値を高くするには化学量論的に考えられる以上の量のTiが必要であり、他方において、過剰のTiは固溶Tiとしてn値を低下させる作用があることを示している。」(第4頁右上欄第11行〜左下欄第4行)
(甲1i)「第8図の結果は、このパラメータαとn値との間には明確な相関があることを示しており、αが小さくなるにつれてn値が大きくなる。なお、図中、黒丸印で示した、(C+N)≦0.04%で、かつTi/(C+N)≧5の組成の鋼については、従来のフェライト系ステンレス鋼に比べて十分高いn値(0.24以上)を得るには、このαを0.8以下にすることが必要であることがわかる。」(第4頁右下欄第14行〜第5頁左上欄第1行)
(甲1j)「Cを0.03%以下にする理由は、(C+N)を0.04%以下とするためである。また、Cの増加は張り出し性、組織の面から好ましくなく、より望ましくは0.02%以下である。」(第5頁左上欄下から第2行〜右上欄第2行)
(甲1k)「Pを0.025%以下とするのは、本発明の非常に重要な点である。従来、Pについては成形性、特に張り出し性におよぼす影響が検討された例はなく、成形性の観点からのP量の規制は本発明によってはじめてなされたものである。すなわち、Pは微量の増加であっても張り出し性に大きな悪影響をおよぼすため、できる限り低い方が好ましく上限を0.025%とする。また、より望ましくは0.015%以下とする。」(第5頁左下欄第3行〜第11行)
(甲1l)「二次加工性試験結果を第10図に示した。この二次加工性は深絞り後の靭性を落重試験によって評価したものであり、供試材の素板径76mmφの円板を外径27mmφのカップに絞り、これの耳を落したものを試験材とし、第11図に示したように、この試験カップ1を横にしてこれの縁部に向けて重り2を落下させ、割れを生ずるのに要したエネルギーで評価した。第10図から明らかなように、本発明鋼はいづれも優れた二次加工性を有している。」(第6頁右下欄第9行〜下から第3行)
(甲1m)鋼No.1〜5の本発明鋼の供試材の化学成分は、C;0.0018〜0.0250%、Si;0.13〜0.18%、Mn;0.17〜0.23%、P;0.004〜0.019%、S;0.003〜0.006%、Cr;11.31〜14.83%、Ti;0.09〜0.25%、N;0.0027〜0.0106%、O;0.0045〜0.0145%、Al;0.005未満〜0.031%、残部;Fe及び不可避不純物であり、Ti/(C+N)は、7.6〜20である。(第6頁第2表)
(2)甲第2号証:特開昭57-35662号公報
(甲2a)「C:0.002〜0.020%、Si:0.1%以下、Mn:0.50%以下、酸可溶Al:0.002〜0.150%、N:0.008%以下、Ti:0.02〜0.50%でTi/C>4、B:0.0080%以下、P:0.02%以下を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる2次加工性の優れた超深絞り用冷延鋼板。」(特許請求の範囲)
(甲2b)「本発明は2次加工の際に縦割れという脆性的破断を生じない超深絞り用冷延鋼板に関するものである。」(第1頁左下欄第12〜14行)
(甲2c)「一般に冷延鋼板は自動車や電機部品など広範囲に使用されているが、特に自動車用冷延鋼板の中には苛酷なプレス加工を施して成形した後、さらに2次加工例えばフランジ曲げ加工等を行って最終成形品を得るプレス加工法も採用されることから、苛酷な成形加工とそれに続く2次加工に耐え得る深絞り性と2次加工性がともにすぐれた冷延鋼板が要望されている。
これに対し、従来の深絞り用といわれている脱炭焼鈍冷延鋼板やAlキルド冷延鋼板は、例えば絞り比が2.1程度の通常の深絞り加工には耐え得るが、それ以上の厳しい深絞り加工では割れが多発し、高度なプレス加工ができない。また前者の脱炭焼鈍冷延鋼板は前記の2次加工性が劣り、プレス加工後にオレンジピールという表面肌荒れも発生しやすい。このようなことから超深絞り用冷延鋼板として開発されたのが極低炭素Ti添加冷延鋼板であり、本発明者の1人も特公昭44-18066号にその技術を開示し、今日までその製品を市場に供してきた。この鋼板は絞り比が約2.4もしくはそれ以上の非常に苛酷なプレス加工にも耐え得るが、このプレス加工後に例えばフランジ曲げ加工の如き2次加工を施す際に2次加工割れといわれる脆性破断(割れ)が散見されることがあり、現在要望されている深絞り性と2次加工性がともにすぐれた冷延鋼板に対しては改善の余地があった。」(第1頁左下欄第15行〜第2頁左上欄第1行)
(甲2d)「この2次加工割れについてその原因を調査した結果、TiによってCやNおよびSが完全に固定されたために結晶粒界の強度が著しく劣化したことによるものと判明した。
そこで本発明者らは、深絞り性を損わずに2次加工性を改善する方法について検討した結果、Bを添加することによって結晶粒界の強度を上昇せしめ、2次加工性に優れた極低炭素Ti添加超深絞り用冷延鋼板が得られることを知見した。」(第2頁左上欄第2〜10行)
(甲2e)「Bは本発明鋼において2次加工性の改善のために最も重要な成分元素であるが、あまり多すぎると深絞り性が劣化するとともに鋼片の割れが発生するため上限を0.0080%とする。好ましくは0.0010〜0.0050%がよい。
このBによる2次加工性の改善作用について以下に推察する。
従来の極低炭素Ti添加冷延鋼板の粒界強度が低く粒界脆化を起こしやすい理由は鋼中のCが完全にTiCとして固定されて、Cの粒界強化作用が消失し、Cの代りに鋼中に含有されるPが結晶粒界へ偏析し粒界強度を著しく低下させるためと考えられる。従って、Bの添加により脆性破壊が改善される作用効果は、まだ不明確な点もあるが、Bは原子量論的にCと酷似した元素であり、粒界偏析によって粒界強度を低下させるPやSと比べてBは鋼中での拡散速度が早く、容易に粒界へ偏析し、Cと同様に粒界の強度を上昇せしめるものと考えられる。」(第2頁左下欄第12行〜右下欄第10行)
(甲2f)「Pは前述した如く2次加工性に有害な元素であるため上限を0.020%とする。好ましくは0.015%以下である。」(第2頁右下欄下から第4〜2行)
(甲2g)「機械的性質と2次加工性の評価結果を第2表に示す。2次加工性は、鋼板から円板状のブランク取りを行い、3段階の円筒絞り加工により絞り比の異なる1次加工品を製作した。次に、その絞り部品を-20℃に冷却した後カップ頭部に荷重を負荷し、カップ側壁部に脆性割れが発生したか否かを4個のくり返しで評価した。表中の○印は2次加工割れなし、×印は2次加工割れありを表わす。」(第3頁左下欄第1〜9行)
(甲2h)「実施例で示した如く、本発明鋼板は、従来極低炭Ti添加冷延鋼板の欠点であった2次加工性が著しく向上し、かつ優れた深絞り性を有することから、非常に苛酷なプレス加工条件下で成形され、次いで2次加工される各種部品の成形不良率が大幅に低減でき、工業的意義が大きい。」(第4頁左上欄下から第10〜5行)
(甲2i)2次加工性の評価結果について、Bを添加しない従来鋼は、絞り比が2.8では、すべて○印であるが、絞り比が3.4、3.6、3.8と大きくなるに従って、×印が増える(絞り比が3.4では、4個のうち1個が×印、絞り比が3.6では、4個のうち3個が×印、絞り比が3.8では、4個すべてが×印)のに対して、Bを0.0015%、0.0032%添加した本発明鋼A及びCは、絞り比が2.8〜3.8の範囲で、すべて○印であり、Bを0.0007%添加した本発明鋼Bは、絞り比が2.8〜3.6の範囲で、すべて○印であり、絞り比が3.8で、4個のうち1個が×印である。(第1表及び第2表)
(3)甲第3号証:特公昭57-55787号公報
(甲3a)「重量%でC:0.1%以下、Si:1.0%以下、Mn:0.75%以下、Cr:10〜30%、Ni:0.5%以下、N:0.025%以下、B:2〜30ppm、Al:0.005〜0.4%、さらにTi:0.005〜0.6%、Nb:0.005〜0.4%、・・・の1種又は2種以上を含み、その他不可避不純物よりなる成形性のすぐれたフェライト系ステンレス鋼。」(特許請求の範囲第3項)
(甲3b)「本発明は、深絞り性など成形性の優れたフェライト系ステンレス鋼に関するものである。」(第2欄第9〜10行)
(甲3c)「フェライト系ステンレス鋼は、オーステナイト系ステンレス鋼に比べ、Niなどが低いために、安価で成形精度が良い、応力腐食割れがない等の理由で、広く厨房用品、自動車用部品などに使用されている。しかしながら、オーステナイト系ステンレス鋼に比し、成形性は劣り、また最近のNi資源が少ないという問題からオーステナイト系に代って成形性のより優れたフェライト系ステンレス鋼の出現が強く要望されている。
フェライト系ステンレス鋼の深絞り性など成形性を改善するために、Al添加フェライト系ステンレス鋼(例えば特公昭51-44888号公報)、Al-Ti添加フェライト系ステンレス鋼(例えば特開昭51-98616号公報)等の鋼が知られている。
フェライト系ステンレス鋼の代表的鋼種である17%Cr鋼(SUS 430系)をベースに、AlまたはTiを添加すると成形性、例えば深絞り性が改善されるが、多量の添加になると材質の向上が飽和してくる傾向にあり、添加量のわりに、その向上量が少なくなる傾向にある。
またフェライト系ステンレス鋼にB添加(特公昭44-736号公報)、B、Ti複合添加(特公昭47-4786号、特公昭51-8733号公報)してリツジング、深絞り加工性を改善した鋼も知られている。しかし、これら鋼におけるB添加量は比較的多いため、粒界にボロン化合物が析出して耐食性、熱間加工性が劣化する等の問題があり、また経済的にも好ましくないので実用化されていない。」(第1頁右欄第11行〜第2頁左欄第2行)
(甲3d)「このような事情から本発明者は添加元素による効果として、微量のBを添加することにより成形性を向上させることを計り、またBの他にAlを添加し、さらにTi,Nb,V,Zr,Cu,Ca,Ceの1種または2種以上を添加することにより、これら各種元素の複合添加効果をみいだした。」(第2頁左欄第3〜8行)
(甲3e)「本発明はフェライト系ステンレス鋼に2〜30ppmの微量Bを添加することにより深絞り性を改善し、さらにAlを0.005〜0.4%添加して深絞り性をより改善し、さらにTi:0.005〜0.6%、Nb:0.005〜0.4%、・・・の1種又は2種以上を添加して深絞り性をより一層改善するものである。」(第2頁左欄第9〜16行)
(甲3f)「Cは鋼板の引張強さなど機械的性質にきわめて有効に働く元素であり、用途にあわせて強度を調節するためのものである。しかし多量の添加は強化はされるものの、伸びなどの低下をまねき、成形加工性などに悪影響をおよぼすので、その上限は0.1%とした。」(第2頁左欄第34〜39行)
(甲3g)「Niは事実上多量には含まれないが、フェライト系ステンレス鋼では鋼板の靭性を確保する目的で添加し、通常常温での靭性を確保するために、0.5%まで添加すればよい。そこで、上限を0.5%とした。」(第2頁右欄第6〜9行)
(甲3h)「B添加により伸び、平均r値が向上しリジング性が改善され深絞り性が向上する。これら効果が現れるのはB含有量が2ppm以上であり、30ppmを超えると効果が飽和に達するかやや低下の傾向が見られ、又フェライト粒界にボロン化合物が析出し耐食性、熱間加工性劣化等の問題が生じ、さらに経済的にも好ましくないので上限を30ppmとした。」(第2頁右欄第14〜20行)
(甲3i)「Tiは、安定な炭窒化物を形成する元素であり、結晶粒の均一細粒化を計り、かつ、伸び、靭性の増大により深絞り性を向上する。」(第2頁右欄第38〜40行)
(甲3j)「以上の如く本発明に従えば、深絞り性など成形性のすぐれたフェライト系ステンレス鋼板をボックス焼鈍法あるいは連続焼鈍法のいずれにおいても製造することが可能である鋼を提供することができる。」(第3頁右欄第24〜28行)
(甲3k)本発明鋼の供試材11の化学成分は、C:0.04%、Si:0.45%、Mn:0.19%、P:0.030%、S:0.006%、Ni:0.11%、Cr:16.53%、N:135ppm、B:9ppm、Al:0.15%、Ti:0.48%であること」(第4頁表1)
(4)甲第4号証:「鉄と鋼」第63年(1977)第5号、第283〜294頁
(甲4a)「低炭素鋼板に各種炭化物形成元素を添加して深絞り性の向上を目指す数多くの研究が行われ、Ti添加鋼というすぐれた超深絞り鋼板が開発された。
本研究は、その低C,N-フェライト系ステンレス鋼への適用を試みたものであり、Ti添加低C,N-17%Crステンレス鋼のr値および再結晶集合組織におよぼす製造条件の影響を検討した。」(第283頁左欄第2〜8行)
(甲4b)「低C,N-17%Crステンレス鋼にTiを添加する効果は現象的に次のように理解される。すなわち、冷延前に好ましい微細なTi(C,N)析出物を形成することによりかなり高いある範囲の冷延率で強い{112}〈110〉冷延方位を発達させ、再結晶焼鈍において微細析出物が{110}〈001〉方位の再結晶を抑制し、強い{554}〈225〉型再結晶集合組織を優先的に形成させる結果、r値を著しく改善することにあると考えられる。・・・
低C,N-17%Crステンレス鋼のr値におよぼすTi添加の効果を検討し、炭素鋼と同様にTi添加によりr値の著しく高いステンレス鋼が得られることを明らかにした。」(第293頁左欄下から第4行〜右欄第12行)
(5)甲第5号証:「日新製鋼技報第50号」1984・June、第107〜115頁
(甲5a)「近年、C,Nの低減や、Ti,Nbなどの炭窒化物形成元素の添加による成形用フェライト系ステンレス鋼板が開発されてきている。これらの鋼は、深絞り性の改善を目的として、おもにr値の向上を図ったものである。しかしながら、実際のプレス成形においては、材料は深絞り加工のみならず張り出し加工、深絞り-張り出し複合加工など複雑な成形を施されるのが常である。したがって、張り出し性は深絞り性とともに成形性の重要な因子であり、その改善はフェライト系ステンレス鋼の成形性向上に関して大きな課題である。
このような背景から、張り出し性に優れたフェライト系ステンレス鋼の研究開発を進めてきた。」(第107頁左欄第9行〜右欄第5行)
(甲5b)「SUS430LXなどの成形用フェライト系ステンレス鋼では、r値の向上にともない厳しいプレス成形が施されるようになった。ところが、一次加工として厳しい深絞り加工を与えた後、二次加工を行なうと、深絞り容器側壁部に絞り方向と平行に脆性的な割れを生じ、問題となることがある。この現象は、一般に『たて割れ』と呼ばれており、普通鋼では以前から知られている。たて割れは、一次加工による加工脆化に起因するもので、側壁部の遷移温度上昇により、特に冬期に発生し易い。」(第111頁左欄第2〜11行)
(6)甲第6号証:第104・105回西山記念技術講座「マイクロアロイング技術の最近の動向」(社)日本鉄鋼協会、昭和60年5月2日、第141〜170頁
(甲6a)「NbやTiを多量に添加することにより完全にCとNを固定することはできても、固溶C、N不足により脆化しやすくなる場合がある。特に極低炭素鋼でしかもPを添加して高張力化した場合に脆化は顕著となる。これは二次加工脆性と呼ばれ、その原因はまず結晶粒界の強化に必要な最低限以下に固溶Cが減少しかつP等の脆化傾向の強い元素が粒界に偏析した場合に、一次加工により結晶粒内が強化され、その状態で応力が加わると粒界から破壊するためであると推定される。
NbやTi添加鋼でこの耐脆性を向上させるには、その添加量を減らすか・・・あるいは図40に示すようにBを添加する方法などがある。」(第165頁下から第5行〜第166頁第8行)
(7)甲第7号証:「試験報告 ステンレス鋼板の落重縦割れ性試験」
(8)甲第8号証:特許庁編「組成物に関する審査基準」(昭和48年3月9日)
(9)甲第9号証:特開平1-184251号公報
(10)甲第10号証:特開平6-93376号公報
(11)甲第11号証:特開2000-1750号公報

(口頭審理時に提出されたもの)
(12)甲第12号証:東京高裁昭和52年10月27日判決(昭和46(行ケ)48)
(13)甲第13号証:「試験報告 ステンレス鋼の特性調査」
(14)甲第14号証:「落重試験」
(15)甲第15号証:東京高裁昭和55年12月25日判決(昭和54(行ケ)151)

(口頭審理後に提出されたもの)
(16)甲第16号証:特公昭44-736号公報
(甲16a)「ホウ素量の限定は本発明の特徴たるリッジングを防止し、降伏点を低下させるためのものである。しかし、0.2%以上になるとフェライト粒界にホウ素化合物ができる可能性があり、従ってこれ以上含有されることは好ましくない。」(第2頁左欄第6〜10行)
(17)甲第17号証:特公昭47-4786号公報
(甲17a)「通常のステンレス鋼には0.01〜0.03%のNが含まれているので、このNを固定してBNの生成を抑制し、Bの効果を有効ならしめるためにBと同時に、強力な窒化物生成元素であるTiを添加してリッジングのない良好なプレス成形性を向上せしめたものである。」(第1頁右欄第16〜21行)
(甲17b)「ボロン量の限定は本発明の特徴たるリッジングを防止し、降伏点を低下させるためのものである。
しかし、0.1%以上になるとフェライト粒界にホウ素化合物が出来る可能性があり、したがって、これ以上含有させることは好ましくない。」(第2頁左欄第15〜19行)」
(甲17c)「チタン量の限定はこのボロンの効果を有効ならしめるために、ボロンの窒化物の生成を防止するためと、チタン炭化物の形成を促進するものである。」(第2頁左欄第21〜24行)
(18)甲第18号証:特公昭51-8733号公報
(甲18a)「本発明は上記の周期律第III族のホウ素を添加したさい見出された性質を利用したものである。従来のフェライト系ステンレス鋼と異なる点はホウ素添加量を減少させてボロン化合物によって発生する疵や機械的性質の一部劣化を可能なかぎり減少させた点にある。」(第1頁右欄第23〜27行)
(甲18b)「ホウ素量の限定はリッジングを防止し、しかもホウ素化合物による疵の発生や、機械的性質の一部劣化を可能なかぎり減少させるためのものである。しかし、0.01%以上になると疵の発生や機械的性質の点で好ましくない場合があり、したがってこれ以上含有させることは好ましくない。又0.001%以下では有効でない。」(第2頁左欄第13〜19行)
(甲18c)「チタン量の限定はこのホウ素の効果を有効ならしめるために、ボロン窒化物の生成を防止するためとチタン炭化物の形成を促進するものである。」(第2頁左欄第19〜22行)
(19)甲第19号証:H.Erhart and H.J.Grabke:Metal Science,Vol.15(September 1981),第401〜408頁
(甲19a)「2.2%Crおよび0.048%Pを含有したFe-Cr-P合金に関して、PとCrの粒界偏析を研究した。・・・PとCrは本合金の粒界に濃化している。粒界におけるCr濃度は、バルクに比べて若干高い程度である。本合金のP偏析の挙動はFe-P2元合金で観察されたのと同様な温度依存性を示している。Fig.13に示すように、測定された粒界濃度はFe-P合金で得られた結果とほぼ一致している。Crの添加によりP偏析は助長されないことがわかる。したがって、PとCrとの相互作用は非常に小さいと結論できよう。」(第406頁左欄第9〜末行)
(20)甲第20号証:「鉄と鋼」70(1984)第16号、第86〜92頁

IV.被請求人の反論と証拠方法
1.被請求人の反論
被請求人は、本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とするとの審決を求め、本件発明に係る特許には、請求人が主張するような無効理由は存在しない旨主張している。

2.証拠方法
被請求人が提出した証拠方法とその主な証拠の記載事項は、次のとおりである。
(答弁書に添付して提出されたもの)
(1)乙第1号証:本件特許公報(特公平2-7391号公報)
(乙1a)「極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板は、絞り比が2.3もしくはそれ以上の非常に苛酷な深絞り加工にも耐え得るが、このような苛酷な深絞り加工後周広げによる張出し成形を施す際に、縦割れといわれる脆性破断(割れ)が散見されることがあり、現在要望されている深絞り性と深絞り加工後の張出し成形性がともにすぐれたフェライト系ステンレス鋼板に対しては改善の必要があった。」(第2頁左欄第1〜10行)
(乙1b)「本発明は絞り比が2.1を超えるような苛酷な深絞り加工が行え、かつそのような加工を行ったのちに、周広げによる張出し成形が行えるフェライト系ステンレス鋼板を提供することを目的とする。」(第2頁左欄第15〜19行)
(乙1c)「本発明者は、苛酷な深絞り加工を行った後の張出し成形性を改善することを検討した結果、極低炭素化するとともにBを添加することによってこれを達成した。」(第2頁左欄第21行〜24行)
(乙1d)「Bは本発明鋼において深絞り加工後の張出し成形性の改善のため最も重要な成分元素でありその効果は0.0003%以上で発揮される。しかし、多すぎると深絞り性が劣化するとともに鋼片の割れが発生するために上限を0.0050%とした。」(第2頁左欄第29〜33行)
(乙1e)「従来の極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の粒界強度が低く粒界脆化を起こしやすい理由は鋼中のCが完全にTiCとして固定されて、Cの粒界強化作用が消失し、Cの代りに鋼中に含有されるPが結晶粒界へ偏析し粒界強化を著しく低下させるためと考えられる。従って、Bの添加により脆性破壊が改善される作用効果は、まだ不明確な点もあるが、Bは原子量論的にCと酷似した元素であり、かつ粒界偏析によって粒界強化を低下させるPと比べて鋼中での拡散速度が早く、容易に粒界へ偏析して、Cと同様に粒界の強度を上昇せしめるものと考えられる。」(第2頁右欄第38行〜第3頁左欄第5行)
(乙1f)「OはAlあるいはMnによって酸化物として固定されるが、あまり多量に含有すると酸化物を起因として加工性が劣化するので含有量はできるだけ少ない方が良く0.010%以下が好ましい。」(第3頁左欄第13〜16行)
(乙1g)実施例の本発明鋼(A〜D)は、Oを0.0021〜0.0035%、Pを0.020〜0.025%含有する(第3頁第1表)
(2)乙第2号証:「鉄と鋼」日本鉄鋼協会第100回講演大会講演概要集、’80-S1127
(乙2a)「超深絞り用極軟鋼板としてよく知られている極低炭素Ti添加鋼の優れた深絞り性を維持しつつ鋼板の高強度化をはかるために固溶体強化型元素の影響を調査し、その中で最も有効なPを添加した極低炭素Ti添加鋼の現場試作実験を行った。」(「1.緒言」第3〜5行)
(乙2b)「高強度化によって悪化する2次加工縦割れ(脆性破壊)はBの添加によって大幅に改善できる。」(「3.結果」下から第2〜1行)
(3)乙第3号証:「鉄と鋼」Vol.84(1998)No.11,第42〜48頁
(乙3a)「二次加工脆化については、極低炭素鋼板(以下、IF[Interstitial-atom Free]鋼板と呼ぶ)に関して多くの研究が行われている。IF鋼板は深絞り加工後に衝撃的な高速変形を受けると、粒界脆性破断を発生することがある。高橋らは、二次加工脆化に対する脆性・延性遷移温度はTi添加IF鋼へのボロン(B)添加により大幅に低温化すると報告している。」(第42頁左下欄第13〜19行)
(乙3b)「一方、フェライト系ステンレス鋼板の二次加工脆化に関する研究は少ない。SUS430およびTi、Nbを添加した低炭窒素13Cr、17Cr鋼の耐二次加工脆性に及ぼす化学成分の影響が宮楠らにより報告されている。この報告によると、耐二次加工脆性は、Ti/(C+N)あるいはNb/(C+N)で整理でき、(C+N)量に対するTi、Nb量が5倍程度までの微量添加であれば、耐二次加工脆性はSUS430に比べて若干向上するが、Ti、Nbがさらに多くなると逆に劣化する。一方、SUS430では二次加工による粒界破断は高純度フェライト系ステンレス鋼に比べ極めて起こりにくい。
そこで、本研究では高純度フェライト系ステンレス鋼板における耐二次加工脆性に及ぼす結晶粒径およびB量の影響を明らかにする。さらに、高純度フェライト系ステンレス鋼板のB添加による二次加工脆化の改善メカニズムについて、Bの粒界偏析挙動の点から検討したので報告する。」(第42頁右欄第6〜20行)
(乙3c)「BがCの代替として固溶状態で粒界へ偏析し粒界を強化するため耐二次加工脆性が改善されると考えられる。この結果は、、極低炭素鋼板で得られた知見と一致する。」(第48頁右欄第13〜16行)
(4)乙第4号証:昭和48年度塑性加工春季講演大会・講演論文集(1973)、第297〜300頁、「鉄と鋼」59(1973)S489、S490、第24回塑性加工連合講演会・講演論文集、第141〜148頁
(5)乙第5号証:異議答弁書(平成2年12月31日付)に添付した参考図1

(口頭審理後に提出されたもの)
(6)乙第6号証:乙第6号証「JIS工業用語大辞典(第5版)」財団法人日本規格協会(2001年3月30日第5版第1刷発行)第1108頁
(乙6a)「ステンレス鋼 耐食性を向上させる目的で、クロム又はクロムとニッケルを含有させた合金鋼。一般にはクロム含有量が約11%以上の鋼をステンレス鋼といい、主としてその組織によって、マルテンサイト系、フェライト系、オーステナイト系、オーステナイト・フェライト系及び析出硬化系の五つに分類される。」
(7)乙第7号証:「ステンレス鋼便覧」日刊工業新聞社(1973年8月30日初版1刷発行)第220頁〜第228頁
(乙7a)「粒界析出物を伴う場合
オーステナイトステンレス鋼は、400〜850℃の範囲を徐冷またはこの範囲に加熱されると粒界腐食感受性を有するようになる。粒界腐食感受性を与えるような熱的処理を鋭敏化熱処理という。上記温度範囲ではオーステナイト地中に過飽和に固溶しているCがCrを主体とする炭化物(M23C6)として析出し、その結果その隣接部のCr量が粒内よりも少なくなるために、腐食条件によってはその部分が粒界より優先的に腐食する。鋭敏化は溶接の際の熱影響などにより起こる。」(第220頁下から第5行〜第221頁第2行)
(乙7b)「フェライトステンレス鋼の粒界腐食機構としては、・・・実験によりCr欠乏にもとづいて生ずることが裏づけられた。ただしフェライトステンレス鋼の粒界腐食に対してはC以外にNも有害であるといわれている。これら元素のフェライト中への固溶度はオーステナイト中へのそれよりもきわめて小さいので、両者がそれぞれ0.01%含まれていても粒界腐食感受性がある。これら低C-低Nフェライトステンレス鋼の粒界腐食現象もCr欠乏説により説明できる。ただし、CおよびNをTi添加により十分安定化した鋼が高温焼きなまし後、濃硝酸中などで粒界腐食を生ずるのは、高温からの冷却中に生ずるMX形炭窒化物自体の腐食によるといわれている。
フェライトステンレス鋼の鋭敏化条件は、オーステナイトステンレス鋼のそれとは異なり、850℃以上から冷却したときに粒界腐食されやすい。これはCr炭化物および窒化物の析出がきわめて速いためであるが、フェライト中のCrの拡散はオーステナイト中のそれよりも約2けた速いため、高温から徐冷してもまた炭化物析出温度に短時間保持しても、Cr欠乏部にCrが補給されて粒界腐食は生じなくなる。」(第227頁第8〜21行)
(8)乙第8号証:National Research Council Canada「INTERNATIONAL CONGRESS ON METALLIC CORROSION」TORONTO,JUNE 3-7 JUIN 1984、vol.3 第134〜140頁
(乙8a)「Cr欠乏ゾーンの形成は、例え当該ゾーンの幅が狭くても、B含有CrNi鋼においては、粒界応力腐食割れに加えて粒界腐食が、環境条件によっては顕著となる懸念がある。」(第137頁左欄30〜35行)
(9)乙第9号証:「STAINLESS STEELS '84」THE INSTITUTE OF METALS、 London 1985、第229〜239頁
(乙9a)「5.M2Bの析出は、粒界にCr欠乏ゾーンを生成させる。しかし、Cr欠乏の程度は、局部的には顕著になる場合もあろうが、通常はCrレベルで最大3から4%程度の減少に限られている。M23(C,B)6が生成すると、析出相の体積率は増加し、従って、Cr欠乏領域の深さと幅が増大する。
6.例え少量のM2B析出物であっても、蓚酸による腐食テスト(ASTM A262-A)により明瞭な粒界腐食をもたらす。しかしながら、同じ素材についてのストラウステスト(ASTM A-E)における腐食は、Cr欠乏の程度が限られているので、非常に僅かである。M23(C,B)6の存在はCr欠乏をより顕著にするため、ストラウステスト液中での粒界腐食の程度をより大きくする。」(第239頁左欄10〜26行)
(10)乙第10号証:「判例工業所有権法(第二期版)」第一法規出版(株)711の581〜586頁

V.当審の判断
1.無効理由1について
1-1.甲第1号証記載の発明
甲第1号証の上記(甲1a)には、「重量%において、Cr;11.0〜16.0%、C;0.03%以下、N;0.02%以下、C+N;0.04%以下、Si;0.5%以下、Mn;0.5%以下、P;0.025%以下、S;0.01%以下、Al;0.1%以下、O;0.01%以下、Ti;5(%C+%N)〜0.30%、であって、かつα=0.03(%Cr)+0.2(%Si)+0.03(%Mn)+3.3(%P)+(%固溶Ti)+(固溶Al)
ただし、(%固溶Ti)=(%Ti)-{4(%C)+3.4(%N)}
の式で表わされるαが0.8以下を満足する量のCr、Si、Mn、P、TiおよびAl含有量であり、残部がFeおよび不可避的不純物からなる焼鈍状態でフェライト単相組織を有し張り出し性および二次加工性に優れたフェライト系ステンレス鋼。」と記載され、また、該ステンレス鋼について、上記(甲1l)には、「二次加工性は深絞り後の靭性を落重試験によって評価したものであり、供試材の素板径76mmφの円板を外径27mmφのカップに絞り、これの耳を落したものを試験材とし、」と記載され、該ステンレス鋼の形態は、「鋼板」であると云えるから、甲第1号証には、
「重量%において、Cr;11.0〜16.0%、C;0.03%以下、N;0.02%以下、C+N;0.04%以下、Si;0.5%以下、Mn;0.5%以下、P;0.025%以下、S;0.01%以下、Al;0.1%以下、O;0.01%以下、Ti;5(%C+%N)〜0.30%、であって、かつα=0.03(%Cr)+0.2(%Si)+0.03(%Mn)+3.3(%P)+(%固溶Ti)+(固溶Al)
ただし、(%固溶Ti)=(%Ti)-{4(%C)+3.4(%N)}
の式で表わされるαが0.8以下を満足する量のCr、Si、Mn、P、TiおよびAl含有量であり、残部がFeおよび不可避的不純物からなる焼鈍状態でフェライト単相組織を有し張り出し性および二次加工性に優れたフェライト系ステンレス鋼板。」という発明(以下、「甲1発明」という)が記載されていると云える。
この甲1発明は、「フェライト系ステンレス鋼は、・・・張り出し性および二次加工性が劣るため、苛酷なプレス成形をほどこす用途には適用が困難で、この面での改善が強く望まれていた。・・・これを改善する目的のもとで、・・・最も成形性を有するとされるSUS430LXは、16.00〜18.00%のCr、0.030%までのC、0.75%までのSi、1.00%までのMn、0.040%までのP、0.030%までのS、および0.10〜1.00%のTiまたはNbを含む成分組成としたもので、SUS430に比べ、C量を低くしかつTiまたはNbを添加した点に特徴がある。このSUS430LXはSUS430に比べれば成形性、特に深絞り性は向上している。しかし、それでも必ずしも十分ではなく、張り出し成形性の不足や深絞り後の二次加工において縦割れの発生を見るなど、成形面での問題が依然として指摘されている。」(甲1c)という従来技術を背景とし、「深絞り-張り出しの複合加工などの複雑な成形を施す場合の成形性を評価しなければならず」(甲1f)、「従来のフェライト系ステンレス鋼は、張り出し成形や深絞り後の二次加工を要する用途には不向であるという基本的な材質上の欠点を改善すること」(甲1d)を目的とするものであるから、極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の深絞り後の張出し成形等の二次加工において見られる縦割れ発生問題を解決して、深絞り後の張出し成形等の二次加工性を改善することを課題としていると云える。

1-2.本件発明と甲1発明との一致点、相違点
本件発明と甲1発明とを対比すると、甲1発明における「二次加工性に優れた」は、前示の課題からみて、本件発明における「深絞り加工後の張出し成形性に優れた」に相当するから、両者は、
「C:0.002〜0.030%、Si:0.5%以下、Mn:0.5%以下、Cr:11.0〜16.0%、N:0.02%以下、S:0.001超〜0.010%、Al:0.002〜0.1%、Ti:0.02〜0.30%でTi/(C+N)≧6を含有し、残部が鉄および不可避的不純物を含む深絞り加工後の張出し成形性に優れたフェライト系ステンレス鋼板。」である点で一致するが、次の点で相違する。
相違点:
(イ)本件発明は、フェライト系ステンレス鋼がP、Oを含有すること、CとNの合計量の上限を0.04%以下とすること、及び、下記式で表されるαが0.8以下を満足する量のCr、Si、Mn、P、TiおよびAl含有量とすることについて規定がなされていないのに対し、甲1発明は、フェライト系ステンレス鋼板が「P;0.025%以下」、「O;0.01%以下」を含有し、しかも、
「C+N;0.04%以下」、
「α=0.03(%Cr)+0.2(%Si)+0.03(%Mn)+3.3(%P)+(%固溶Ti)+(固溶Al)
ただし、(%固溶Ti)=(%Ti)-{4(%C)+3.4(%N)}
の式で表わされるαが0.8以下を満足する量のCr、Si、Mn、P、TiおよびAl含有量」である点。
(ロ)本件発明は、フェライト系ステンレス鋼板が「B:0.0003〜0.0050%」を含有するのに対し、甲1発明は、フェライト系ステンレス鋼板がBを含有していない点。

1-3.相違点の検討
(i)相違点(イ)について
本件明細書には、「OはAlあるいはMnによって酸化物として固定されるが、あまり多量に含有すると酸化物を起因として加工性が劣化するので含有量はできるだけ少ない方が良く0.010%以下が好ましい。」(乙1f)と記載され、また、実施例として、Oを0.0021〜0.0035%、Pを0.020〜0.025%含有する旨が記載されているから(上記(乙1g)参照)、フェライト系ステンレス鋼板が「P;0.025%以下」、「O;0.01%以下」を含有する点で、両者が実質的に相違するとは云えない。
また、本件発明におけるC、Nの規定含有量は、「C+N;0.04%以下」を満足し得るから、「C+N;0.04%以下」の点で、両者が実質的に相違するとは云えない。
さらに、甲1発明は、Cr、Si、Mn、P、Ti及びAlの含有量を、前記式で表わされるαが0.8以下を満足する量とする点で、本件発明におけるCr、Si、Mn、Ti、Alのそれぞれの規定範囲よりも狭い範囲に規定し、さらに、不可避的不純物としてのPの量も規定していると云えるが、本件発明におけるCr、Si、Mn、Ti、Alの規定含有量、及び、実施例におけるPの含有量は、甲1発明における前記式で表わされるαが0.8以下という構成要件を満足し得るから、その構成要件の点でも、両者が実質的に相違するとは云えない。
したがって、前記相違点(イ)は、実質的な相違とは云えない。

(ii)相違点(ロ)について
(ii-1)本件発明における相違点(ロ)の構成要件の技術的意義について
相違点(ロ)について検討するに当たり、まず、本件発明における前記相違点(ロ)の構成要件の技術的意義について検討する。
本件発明は、超深絞り用フェライト系ステンレス鋼として開発された「極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板は、絞り比が2.3もしくはそれ以上の非常に苛酷な深絞り加工にも耐え得るが、このような苛酷な深絞り加工後周広げによる張出し成形を施す際に、縦割れといわれる脆性破断(割れ)が散見される」(乙1a)という従来技術を背景とし、「絞り比が2.1を超えるような苛酷な深絞り加工が行え、かつそのような加工を行ったのちに、周広げによる張出し成形が行えるフェライト系ステンレス鋼板を提供することを目的」(乙1b)としたものであるから、本件発明は、極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の苛酷な深絞り加工後の張出し成形を施す際に見られる縦割れ発生問題を解決し、苛酷な深絞り加工後の張出し成形性の改善を課題としていると云える。
この課題を解決するため、本件発明は、「従来の極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の粒界強度が低く粒界脆化を起こしやすい理由は鋼中のCが完全にTiCとして固定されて、Cの粒界強化作用が消失し、Cの代りに鋼中に含有されるPが結晶粒界へ偏析し粒界強化を著しく低下させるためと考えられる。従って、Bの添加により脆性破壊が改善される作用効果は、・・・Bは原子量論的にCと酷似した元素であり、かつ粒界偏析によって粒界強化を低下させるPと比べて鋼中での拡散速度が早く、容易に粒界へ偏析して、Cと同様に粒界の強度を上昇せしめるものと考えられる。」(乙1e)、「Bは本発明鋼において深絞り加工後の張出し成形性の改善のため最も重要な成分元素でありその効果は0.0003%以上で発揮される。しかし、多すぎると深絞り性が劣化するとともに鋼片の割れが発生するために上限を0.0050%とした。」(乙1d)という知見を基礎として、前記相違点(ロ)の「B:0.0003〜0.0050%」を含有する旨の構成要件を採用したものと認められる。

(ii-2)甲第2号証記載の発明について
これに対し、甲第2号証の上記(甲2a)には、
「C:0.002〜0.020%、Si:0.1%以下、Mn:0.50%以下、酸可溶Al:0.002〜0.150%、N:0.008%以下、Ti:0.02〜0.50%でTi/C>4、B:0.0080%以下、P:0.02%以下を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなる2次加工性の優れた超深絞り用冷延鋼板。」という発明(以下、「甲2発明」という)が記載されている。
また、甲2発明の課題に関して、上記(甲2b)には、「本発明は2次加工の際に縦割れという脆性的破断を生じない超深絞り用冷延鋼板に関するものである。」と記載され、上記(甲2c)には、「超深絞り用冷延鋼板として開発されたのが極低炭素Ti添加冷延鋼板であり、・・・この鋼板は絞り比が約2.4もしくはそれ以上の非常に苛酷なプレス加工にも耐え得るが、このプレス加工後に例えばフランジ曲げ加工の如き2次加工を施す際に2次加工割れといわれる脆性破断(割れ)が散見されることがあり、現在要望されている深絞り性と2次加工性がともにすぐれた冷延鋼板に対しては改善の余地があった。」と記載されているから、甲2発明も、極低炭素Ti添加鋼板の苛酷な深絞り加工後の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生問題を解決し、深絞り加工後の二次加工性の改善を課題としていると云える。
この課題を解決するため、甲2発明は、「この2次加工割れについてその原因を調査した結果、TiによってCやNおよびSが完全に固定されたために結晶粒界の強度が著しく劣化したことによるものと判明した。・・・Bを添加することによって結晶粒界の強度を上昇せしめ、2次加工性に優れた極低炭素Ti添加超深絞り用冷延鋼板が得られることを知見した。」(甲2d)、「従来の極低炭素Ti添加冷延鋼板の粒界強度が低く粒界脆化を起こしやすい理由は鋼中のCが完全にTiCとして固定されて、Cの粒界強化作用が消失し、Cの代りに鋼中に含有されるPが結晶粒界へ偏析し粒界強度を著しく低下させるためと考えられる。従って、Bの添加により脆性破壊が改善される作用効果は、・・・Bは原子量論的にCと酷似した元素であり、粒界偏析によって粒界強度を低下させるPやSと比べてBは鋼中での拡散速度が早く、容易に粒界へ偏析し、Cと同様に粒界の強度を上昇せしめるものと考えられる。」(甲2e)という知見を基礎として、「B:0.0080%以下」(好ましくは、0.0010〜0.0050%、実施例では、0.0007〜0.0032%;上記(甲2e)(甲2i)参照)の含有という構成要件を採用したものと云える。

(ii-3)甲1発明と甲2発明との組合わせについて
甲2発明は、上記1-1.や上記(ii-1)(ii-2)から明らかなように、極低炭素Ti添加鋼板の深絞り加工後の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生問題を解決し、深絞り加工後の二次加工性の改善を課題としている点で、本件発明や甲1発明と共通している。そして、甲2発明は、その課題を解決するための基礎となる知見が、『鋼中のCが完全にTiCとして固定されて、Cの粒界強化作用が消失し、Cの代りに鋼中に含有されるPが結晶粒界へ偏析し粒界強化を著しく低下させる』、及び、『Bは原子量論的にCと酷似した元素であり、かつ粒界偏析によって粒界強度を低下させるPと比べて鋼中での拡散速度が早く、容易に粒界へ偏析して、Cと同様に粒界の強度を上昇せしめる』というものである点で本件発明と一致し、さらに、その知見に基づく課題解決手段がBの含有である点でも本件発明と一致し、その含有量も『B:0.0003〜0.0050%』の範囲で重複している。
してみれば、甲1発明において、極低炭素Ti添加鋼板の深絞り加工後の二次加工性の改善などを課題として、フェライト系ステンレス鋼板に甲2発明におけるその課題の解決手段である「0.0003〜0.0050%の範囲内のBの含有」という手段を適用することは、当業者が容易に想到し得たものと云うべきである。

1-4.小括
以上のとおりであるから、本件発明は、甲第1、2号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと云うべきである。

1-5.被請求人の主張に対して
(i)甲1発明と甲2発明とを組み合わせる課題に関する主張に対して
被請求人は、甲1発明と甲2発明とを組み合わせる課題に関し、甲1発明は、極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板における「張出し成形性および二次加工性」に劣るという技術的課題を、置換型固溶元素を低減した成分組成とすることによって解決済みであるので、本件発明のようにさらにこれにBを添加することによって二次加工性を高める必要がないと主張し、その根拠として、乙第10号証に記載された東京高裁の判決文を引用している(答弁書第13頁第10〜17行、平成17年3月18日付け上申書第7頁第21行〜第9頁第17行参照)。
しかしながら、加工性の改善を課題とし、さらに、加工性をより高い目標レベルとするようなことは、当業者が通常考慮する程度のことである。また、甲2発明は、縦割れの原因に対する知見に基づき解決策を提示するもので、しかも、甲1発明における二次加工性の評価は、絞り比2.8(=76mm/27mm)の深絞り加工後のものであるのに対し(上記(甲1l)参照)、甲2発明における二次加工性の評価は、絞り比2.8〜3.8の深絞り加工後のものであるから(上記(甲2i)参照)、甲2発明の適用によって甲1発明に比べて一層高い目標レベルが得られる可能性を容易に想起し得ると云える。してみれば、『深絞り加工後の二次加工性の改善』及び『二次加工性の目標レベルの一層の高度化』を目指して、甲1発明に甲2発明を組み合わせようとすることは、当業者が容易に想到し得たものと云うべきである。
また、甲1発明は、『深絞り加工後の二次加工性の改善』という課題の解決のために、前示のとおり、置換型固溶元素のCr、Si、Mn、Ti、P、Alのそれぞれの含有量を相互の関連量の範囲に規制しなければならないところ(上記(甲1e)、上記1-1.参照)、甲2発明に基づけば、そのような規制をすることなく前記課題を解決することができ、成分調整がより容易となり、コスト面などでより望ましい結果が得られることが容易に想定し得る。それ故、『二次加工性の目標レベルの一層の高度化』を課題としない場合においても、『深絞り加工後の二次加工性の改善』及び『成分調整の容易化やコスト低減』を目指して、甲1発明に甲2発明を組み合わせようとすることは、当業者が容易に想到し得たものと云うべきである。
さらに、被請求人が前記主張の根拠として引用した乙第10号証の判決文は、前示のような課題を想定できない特定の事例について判断したものに過ぎず、本件に適用できるものとは云えない。
したがって、被請求人の、甲1発明の課題は解決済みであるから、同じ課題で甲2発明を組み合わせられない旨の主張は、妥当なものでなく採用できない。

(ii)フェライト系ステンレス鋼であるか否かの点で相違する甲1発明と甲2発明との組合せに関する主張に対して
被請求人は、フェライト系ステンレス鋼であるか否かの点で相違する甲1発明と甲2発明とは組み合わせられない旨を主張している(答弁書第13頁第25行〜第14頁第24行、被請求人の口頭審理陳述要領書第4頁下から第4行〜第6頁第5行参照)。
しかしながら、甲第5号証の上記(5b)には、「SUS430LXなどの成形用フェライト系ステンレス鋼では、r値の向上にともない厳しいプレス成形が施されるようになった。ところが、一次加工として厳しい深絞り加工を与えた後、二次加工を行なうと、深絞り容器側壁部に絞り方向と平行に脆性的な割れを生じ、問題となることがある。この現象は、一般に『たて割れ』と呼ばれており、普通鋼では以前から知られている。たて割れは、一次加工による加工脆化に起因するもので、側壁部の遷移温度上昇により、特に冬期に発生し易い。」と記載されており、『極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生』と、『普通鋼の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生』とが同様のものとして認識されていたと云える。そして、極低炭素Ti添加冷延鋼板は、普通鋼と比べてその組成が、極低炭素及びTi添加の点で、極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼により近いものであるから、甲第5号証の前示の記載に着目すれば、『極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生』と、『極低炭素Ti添加冷延鋼板の二次加工を施す際に見られる縦割れ発生』とを共通の課題として認識することに、何らの困難性も存在しないと云うべきである。
しかも、極低炭素Ti添加冷延鋼板に関する技術を極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板に適用できないとする証拠は全く存在しない。むしろ、甲第4号証には、「低炭素鋼板に各種炭化物形成元素を添加して深絞り性の向上を目指す数多くの研究が行われ、Ti添加鋼というすぐれた超深絞り鋼板が開発された。本研究は、その低C,N-フェライト系ステンレス鋼への適用を試みたものであり」(甲4a)、「低C,N-17%Crステンレス鋼のr値におよぼすTi添加の効果を検討し、炭素鋼と同様にTi添加によりr値の著しく高いステンレス鋼が得られることを明らかにした。」(甲4b)と記載され、低炭素鋼に係る有用な技術をフェライト系ステンレス鋼に適用する試みも行われていたのであるから、(Crを含有しない)低炭素鋼板にTiを添加した超深絞り鋼板の技術を低C,N-フェライト系ステンレス鋼板に適用することも、当業者が普通に行っていたと云うべきである。
したがって、被請求人の『フェライト系ステンレス鋼板であるか否かの点で相違する甲1発明と甲2発明とは組み合わせられない』旨の主張は採用できない。

なお、被請求人は、『フェライト系ステンレス鋼板であるか否かの点で相違する甲1発明と甲2発明とは組み合わせられない』旨の主張の根拠として、次の(a)(b)の事項を挙げている。
(a)本件発明と同じ課題を持つ甲第1号証の発明者は、甲第1号証の出願当時すでに公知であった極低炭素Ti添加冷延鋼板における二次加工縦割れに対するB含有の効果を示唆する乙第2号証の記載に着目すれば、本件発明を発明したはずであるのに、実際は、独自の技術思想で甲1発明を発明しただけで、本件発明を発明しなかった。
(b)本件発明の発明者が本件発明と関連した事項を本件特許の出願後に発表した文献(乙第3号証)には、極低炭素Ti添加冷延鋼板における知見が極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板にそのまま適用できるとの発想が全く記載されていない。
しかしながら、特許法第29条第2項の規定に則った当業者が容易に発明をすることができたか否かの判断は、実際にその発明がなされたか否かとは直接の関係がないから、甲1発明と甲2発明との組合せの発明が実際になされなかっただけの理由で、そのような組合せが特許法上の当業者にとって容易でなかったとすることはできない。したがって、前記(a)の事項は、被請求人の前記主張の根拠になるとは云えない。
また、本件発明の発明者が本件発明の特許性乃至独創性を否定するような『極低炭素Ti添加冷延鋼板における知見が極低炭素Ti添加フェライト系ステンレス鋼板にそのまま適用できる』という発想について記載していないという理由だけで、そのような発想が困難であるとすることはできない。しかも、乙第3号証には、「BがCの代替として固溶状態で粒界へ偏析し粒界を強化するため耐二次加工脆性が改善されると考えられる。この結果は、極低炭素鋼板で得られた知見と一致する。」(乙3c)との記載に見られるように、そのような発想を肯定し得る記載は存在するものの、そのような発想を否定したり、妥当なものでないとする旨の記載は全く存在しないから、前記(b)の事項も、被請求人の前記主張の根拠になるとは云えない。
したがって、被請求人が挙げた前記(a)(b)の事項は、被請求人の前記主張の根拠になるとは云えない。

(iii)甲1発明においてBを含有することの技術的阻害要因に関する主張に対して
被請求人は、甲1発明においてBを含有することの技術的阻害要因について、概略、次のように主張している(平成17年3月18日付け上申書第3頁第1行〜第7頁第20行参照)。
「本件特許の出願当時、ステンレス鋼の最大の特徴である耐食性がB添加により損なわれることは、甲第3号証、乙第7〜9号証の記載により周知の事項であったから、フェライト系ステンレス鋼にBを添加することは、技術的に阻害されていた。本件発明においては、そのようなB添加についての技術的阻害要因を認識した上で、これを回避しながら、同時に、『深絞り加工後の張出し成形性の改善』という課題を解決した。」

しかしながら、本件明細書には、B添加についての技術的阻害要因を認識した上で、これを回避した旨を示す記載は全く存在しないから、フェライト系ステンレス鋼にBを添加することが技術的に阻害されていた旨の被請求人の前記主張は、本件明細書の記載に基づかないものである。
次に、本件特許の出願当時、甲第3号証、乙第7〜9号証の記載によりフェライト系ステンレス鋼にBを添加することが技術的に阻害されていたと云えるのか否かについて検討する。

(1)甲第3号証、乙第7〜9号証の記載について
甲第3号証の上記(甲3h)には、フェライト系ステンレス鋼に関し、「B添加により伸び、平均r値が向上しリジング性が改善され深絞り性が向上する。これら効果が現れるのはB含有量が2ppm以上であり、30ppmを超えると効果が飽和に達するかやや低下の傾向が見られ、又フェライト粒界にボロン化合物が析出し耐食性、熱間加工性劣化等の問題が生じ、・・・」と記載され、フェライト系ステンレス鋼において、B含有量が30ppmを超えるとフェライト粒界にボロン化合物が析出し耐食性劣化の問題が生じ得ることが記載されていると云える。
また、乙第8、9号証には、オーステナイト系ステンレス鋼の腐食に関して、それぞれ、
「Cr欠乏ゾーンの形成は、例え当該ゾーンの幅が狭くても、B含有CrNi鋼においては、粒界応力腐食割れに加えて粒界腐食が、環境条件によっては顕著となる懸念がある。」(乙8a)、
「5.M2Bの析出は、粒界にCr欠乏ゾーンを生成させる。しかし、Cr欠乏の程度は、局部的には顕著になる場合もあろうが、通常はCrレベルで最大3から4%程度の減少に限られている。M23(C,B)6が生成すると、析出相の体積率は増加し、従って、Cr欠乏領域の深さと幅が増大する。
6.例え少量のM2B析出物であっても、蓚酸による腐食テスト(ASTM A262-A)により明瞭な粒界腐食をもたらす。しかしながら、同じ素材についてのストラウステスト(ASTM A-E)における腐食は、Cr欠乏の程度が限られているので、非常に僅かである。M23(C,B)6の存在はCr欠乏をより顕著にするため、ストラウステスト液中での粒界腐食の程度をより大きくする。」(乙9a)と記載されている。
これら乙第8、9号証の記載は、オーステナイト系ステンレス鋼の腐食に関するものであって、甲1発明のようなフェライト系ステンレス鋼の腐食について直接的に教示するものではないが、乙第7号証の、オーステナイト地中に過飽和に固溶しているCがCrを主体とする炭化物(M23C6)として粒界に析出し、その結果隣接部のCr量が粒内よりも少なくなるために、腐食条件によってはその部分が粒界より優先的に腐食する旨(乙7a参照)、低C-低Nフェライトステンレス鋼の粒界腐食現象もCr欠乏説により説明できる旨(乙7b参照)の記載を併せ考慮すると、フェライト系ステンレス鋼においても、BがCrとの析出物を粒界に形成し、隣接部にCr欠乏ゾーンを生成し、粒界腐食現象が起こり得ることが示唆されていると云える。

(2)甲第3号証、乙第7〜9号証の記載によりフェライト系ステンレス鋼にBを添加することが技術的に阻害されていたか否かについて
しかしながら、甲第3号証の前示の記載は、30ppm(0.0030%)までのBを添加しても、フェライト粒界にボロン化合物が析出することはなく、耐食性の問題が生じないことを意味している。
また、乙第7〜9号証に記載された粒界腐食は、乙第7号証の「オーステナイトステンレス鋼は、400〜850℃の範囲を徐冷またはこの範囲に加熱されると粒界腐食感受性を有するようになる。粒界腐食感受性を与えるような熱的処理を鋭敏化熱処理という。」(乙7a)、「フェライトステンレス鋼の鋭敏化条件は、オーステナイトステンレス鋼のそれとは異なり、850℃以上から冷却したときに粒界腐食されやすい。これはCr炭化物および窒化物の析出がきわめて速いためであるが、フェライト中のCrの拡散はオーステナイト中のそれよりも約2けた速いため、高温から徐冷してもまた炭化物析出温度に短時間保持しても、Cr欠乏部にCrが補給されて粒界腐食は生じなくなる。」(乙7b)という記載からみて、鋭敏化熱処理を受けたときに生じるのであり、しかも、フェライト系ステンレス鋼は、鋭敏化熱処理を受けるような使用条件で必ず使用されるわけでもないから、Bを添加しても必ず粒界腐食の問題が生じるとは云えない。
以上の事項を考慮すると、甲1発明のようなフェライト系ステンレス鋼において、0.0030%までのBを添加することが技術的に阻害されていたとは云えない。
また、0.0030%を超えるBの添加により多少の耐食性の劣化が生じ得るとしても、甲第3号証の前示の記載によって示されているように、リジング性、深絞り性が向上する等の耐食性劣化のデメリットを上回るメリットが得られるならば、そのような多少の耐食性の劣化は、技術的な阻害要因とはならないと云うべきである。
しかも、腐食性環境がそれほど厳しくない条件で使用し得ることも考慮すると、甲第3号証、乙第7〜9号証の前示の記載によって、甲1発明のようなフェライト系ステンレス鋼において、0.0003〜0.0050%の範囲内のBを添加することが技術的に阻害されていたとは云えない。
したがって、被請求人の、甲第3号証、乙第7〜9号証の記載により、本件特許の出願前に甲1発明のようなフェライト系ステンレス鋼において0.0003〜0.0050%の範囲内のB含有が技術的に阻害されていた旨の主張は、妥当なものでなく採用できない。

(iv)甲1発明と甲2発明との組合せに関するその他の主張に対して
被請求人は、「本件発明は、甲第2号証が1982年2月26日に出願公開され、甲第1号証が1983年4月12日に出願公開された後、2年後の1985年5月11日に出願されたものである。実際に技術的阻害要因がないのであれば、第三者が直後に出願することが可能であったはずであるが、現実には2年後に漸く被請求人が出願したものである。」と述べ、本件特許の出願前において、甲1発明と甲2発明とを組み合わせた第三者の出願がなされなかったことを根拠として、そのような組合せは容易ではない旨を主張している(平成17年3月18日付け上申書第9頁第18〜23行参照)。
しかしながら、前述したように、特許法第29条第2項の規定に則った当業者が容易に発明をすることができたか否かの判断は、実際にその発明がなされたか否かとは直接の関係がないから、甲1発明と甲2発明との組合せの発明が実際になされなかっただけの理由で、そのような組合せが特許法上の当業者にとって容易でなかったとすることはできない。また、発明を実際に出願するか否かは、出願人自身が企業秘密の保持、特許性の有無、費用対効果等をも事前に考慮して決定されるのが通常であるから、組合せの発明が実際に第三者によって出願されなかったという理由だけで、そのような組合せが特許法上の当業者にとって容易でないとも云えない。
したがって、甲第1号証と甲第2号証が開示されてから本件発明の出願までに第三者の出願がなされなかったという理由を根拠とした、甲1発明と甲2発明との組合せは容易ではないという被請求人の主張は、妥当なものでなく採用できない。

VI.むすび
以上のとおり、本件発明の特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、同法第123条第1項第2号に該当するから、前記無効理由1により無効とすべきものである。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項で準用する民事訴訟法第61条の規定により、被請求人が負担すべきものとする。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2005-07-01 
結審通知日 2005-07-07 
審決日 2005-08-01 
出願番号 特願昭60-98916
審決分類 P 1 113・ 121- Z (C22C)
最終処分 成立  
前審関与審査官 三浦 悟岡田 万里  
特許庁審判長 沼沢 幸雄
特許庁審判官 綿谷 晶廣
平塚 義三
登録日 1994-02-28 
登録番号 特許第1825311号(P1825311)
発明の名称 深絞り加工後の張出し成形性に優れたフエライト系ステンレス鋼板  
代理人 松本 悟  
代理人 戸谷 由布子  
代理人 大野 聖二  
代理人 大友 良浩  
代理人 早稲本 和徳  
代理人 山田 勇毅  
代理人 鈴木 英之  
代理人 飯田 秀郷  
代理人 隈部 泰正  
代理人 七字 賢彦  
代理人 栗宇 一樹  

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