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審決分類 審判 全部無効 2項進歩性  C25D
審判 全部無効 1項3号刊行物記載  C25D
管理番号 1246652
審判番号 無効2010-800160  
総通号数 145 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2012-01-27 
種別 無効の審決 
審判請求日 2010-09-10 
確定日 2011-10-11 
訂正明細書 有 
事件の表示 上記当事者間の特許第4218000号発明「含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 訂正を認める。 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。 
理由 第1 手続の経緯
本件特許第4218000号に係る経緯の概要は、以下のとおりである。
平成13年 9月12日 特許出願(特願2001-321202号)
平成20年11月21日 設定登録
平成22年 9月10日 本件無効審判請求(請求項1及び2に対して)
平成22年12月16日 答弁書及び訂正請求書
平成23年 2月 4日 弁駁書
平成23年 4月22日 口頭審理陳述要領書(請求人)
平成23年 4月22日 口頭審理陳述要領書(被請求人)
平成22年 5月17日 口頭審理
平成23年 5月28日 上申書(請求人)
平成23年 5月31日 上申書(被請求人)
平成23年 6月 7日 訂正拒絶理由通知
平成23年 6月 8日 職権審理結果通知(請求人に対して)
平成23年 7月 4日 意見書及び手続補正書(被請求人)

第2 訂正請求について
(1)訂正請求書の補正について
被請求人は、平成22年12月16日付けで訂正請求書(以下、「本件訂正請求書」という。)を提出し、当審による平成23年6月7日付けの訂正拒絶理由通知に応答して、平成23年7月4日付けで手続補正書を提出した。当該補正書による補正は、本件訂正請求書について、以下ア?エの補正をしようとするものである。

ア.「5.請求の趣旨」の欄において、「特許第4218000号の明細書、特許請求の範囲(及び図面)を本件請求書に添付した訂正明細書、特許請求の範囲(及び図面)のとおり訂正することを求める。」との記載から、「、特許請求の範囲(及び図面)」を削除し、「特許第4218000号の明細書を本件請求書に添付した訂正明細書のとおり訂正することを求める。」とする。

イ.「6.請求の理由」の「(3)訂正事項」及び「(4)訂正の原因」の欄において、請求項2に係る訂正の請求に関する箇所である6(3)"丸2"(審決注:これは、数字の2を○で囲った文字を意味する。以下、同様に、数字の1、2、3、・・・を○で囲んだ文字を「"丸1"」、「"丸2"」、「"丸3"」、・・・と表示する。)、6(3)"丸3"、6(4)"丸2"、及び、6(4)"丸3"を削除する。

ウ.「7.添付書面の目録」の欄において、「(2)特許請求の範囲 正副 各1通」を削除し、「(3)訂正請求書副本」及び「(4)特許第4218000号の特許公報」を、それぞれ「(2)訂正請求書副本」及び「(3)特許第4218000号の特許公報」とし、訂正請求書に添付した「書類名【特許請求の範囲】」及び「書類名【図面】」の各書類を削除する。

エ.「訂正明細書」において、以下の(ア)?(コ)の訂正をする。
(ア)発明の名称の欄の「その製造法」を「その製造方法」とする。
(イ)請求項1の「浸透せしめることにより表層部に比べて約6A深さの弗素濃度」及び「該鋼種相応の耐食性に塩素による耐孔食性」を、それぞれ、「浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度」及び「該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性」とする。
(ウ)請求項2の「ステンレス鋼を直流の陽極に」、「弗酸のナトリウム」、及び「対向する電極」を、それぞれ、「請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって、ステンレス鋼を直流の陽極に」、「弗酸若しくはそのナトリウム」、及び「対抗する電極」とする。
(エ)段落【0001】の「弗素と酸素とをイオン状で拡散」及び「被膜の形成によって齎される効果」を、それぞれ、「弗素と酸素とををイオン状で拡散」及び「被膜の形成によって齎せる効果」とする。
(オ)段落【0002】の「大気汚染の激しい工業地帯に於いては」、「環境下に於いては」、「このような塩素による腐食現象の事を」、及び「該被膜の最も弱い箇所」を、それぞれ、「大気汚染の激しい工業地帯等に於ては」、「環境下に於ては」、「このような塩素による腐食現象のことを」、及び「該被膜の最も弱い個所」とする。
(カ)段落【0004】の「上記に溶接など」、「約数十A」、「単なるA単位」、「実用にたえない」、「これらを除いた硫酸、燐酸、クエン酸、酒石酸、蓚酸、酢酸、グルコン酸、グリコール酸、コハク酸」、「弗酸のナトリウム」、「該ステンレス鋼をの表面上に於いて該対極との間に」、及び「表面素から数十Å程度の内部まで浸透させ」を、それぞれ、「上記の溶接など」、「約数十Å」、「単なるÅ単位」、「実用に耐えない」、「これらを除いた硫酸、硝酸、燐酸、クエン酸、酒石酸、蓚酸、酢酸、グルコン酸グリコール酸、コハク酸」、「弗酸若しくはそのナトリウム」、「該ステンレス鋼の表面上に於て該対極との間に」、及び「表面層から数十Å程度の内部にまで浸透させ」とする。
(キ)段落【0005】の「比較対象的」、「素材メーカーの製造工程に於いて」、「産業界に於いて」、「応力腐食割れ自己が十分それを証明」、「追及するために」、「金属の不動態化効果の簡易測定法」、及び「更に高い不動態化効果のあることが立証された。」を、それぞれ、「比較対照的」、「素材メーカーの製造工程に於て」、「産業界に於て」、「応力腐食割れ事故が充分それを証明」、「追求するために」、「金属の不動態化効果の簡易測定方法」、及び「更に高い不動態化電位を示し、やはり同様に従来法よりも更に高い不動態化効果のあることが立証された。」とする。
(ク)段落【0006】の「製鉄プラントのAPラインに於いて」、「黒船」、「6Åエッチング面に於いては」、「かなりの高い値」、「資料"丸1"”、"丸2"”」、「異物の付着状態に於いても」、「被処理剤とその対極と」、「被処理剤を交流電源の」、「摺動するように処理するように処理したところ」、「また一方の添加剤については、弗酸のナトリウム」、及び「また添加濃度については、0.01%付近」を、それぞれ、「製鉄プラントのAPラインに於て」、「黒鉛」、「6Åエッチング面に於ては」、「可成りの高い値」、「試料"丸1"”、"丸2"”」、「異物の付着状態に於ても」、「被処理材とその対極と」、「被処理材を交流電源の」、「摺動するように処理したところ」、「また一方の添加剤については、弗酸と弗酸のナトリウム」、及び「また添加濃度については0.01%付近」とする。
(ケ)表1において、「装置」の項の「EACA-850」及び「電圧」の項の「8KV」を、それぞれ、「ESCA-850」及び「8kV」とする。
(コ)表2において、「試料」の項の「"丸2"」の「2B,材を」を「2B材を」とし、表題として「各試料の元素存在割合」を追加する。

そこで、上記の補正について検討する。
上記ア?ウの補正は、いずれも訂正事項の削除に相当するものである。
また、上記エ(ア)及びエ(ウ)?エ(コ)の補正は、上記ア?ウの補正に対応して訂正明細書の記載を訂正前の特許明細書の記載に戻すものであり、実質的に訂正事項の削除に相当するものである。
次に、上記エ(イ)の補正について検討する。
平成22年12月16日付けの訂正請求書の訂正事項"丸1"には、「特許第4218000号における特許請求の範囲の請求項1を『ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。』と訂正する。」と記載されている。
また、訂正前の特許明細書の請求項1には、「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」と記載されている。
まず、補正前の訂正明細書の請求項1に記載された「浸透せしめることにより表層部に比べて約6A深さの弗素濃度」の「6A」について検討するに、この「A」は、深さを示す単位ではなく、上記訂正事項"丸1"の記載及び訂正前の請求項1の記載を参照すれば、「6Å」とすべきところを「6A」と誤記したものであることは明らかである。
次に、補正前の訂正明細書の請求項1に記載された「該鋼種相応の耐食性に塩素による耐孔食性」については、「耐食性に」という用語がどれにかかる副詞句であるのか不明であり、文法的にも正しい記載とはいえない。
そして、上記訂正事項"丸1"に記載された「該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性」が、文法的に正しく、日本語として自然な記載であるから、上記訂正事項"丸1"及び訂正前の請求項1の記載を参照すれば、訂正明細書の請求項1の「該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性」とすべきところを、「該鋼種相応の耐食性に塩素による耐孔食性」と誤記したものであることは明らかである。
したがって、上記エ(イ)の補正は、誤記を補正するものに相当する。
以上のことから、平成23年7月4日付けの手続補正書による補正は、訂正請求書の要旨を変更するものではなく、特許法第134条の2第5項で準用する特許法第131条の2第1項の規定に適合するので、当該補正を認める。

(2)訂正請求の内容
補正された本件訂正請求書によると、被請求人が請求する訂正の内容は、「訂正事項"丸1"」に記載されたとおりであり、訂正前の特許請求の範囲の請求項1である「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」を、
「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」と訂正するものである(以下、「本件訂正」という。下線は訂正箇所を示す。)。

(3)訂正の適否
上記訂正事項"丸1"は、請求項1において、ステンレス鋼にイオン状で拡散、浸透せしめるために用いられる「弗素若しくは弗素と酸素」を「含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素」と訂正するものであり、当該訂正は、ステンレス鋼にイオン状で拡散、浸透せしめるために用いられる「弗素若しくは弗素と酸素」について限定するものであるから、本件訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものである。

また、本件特許の明細書の発明の詳細な説明には、以下の(明1)、(明2)の記載がある。
(明1)「【0004】
【課題を解決するための手段】
・・・(略)・・・
上述の経緯から、本発明の課題に鑑み、問題解決の手段として次の如く提案する。即ちその要旨とするところは、電解液の主剤としては、ステンレス鋼に対し逆に腐食や孔食を発生させる性質のある塩酸や塩化物などは実用に耐えないことは勿論であり、その他沃素、臭素ならびにその塩類も同様に好ましくはないが、これらを除いた硫酸、硝酸、燐酸、クエン酸、酒石酸、蓚酸、酢酸、グルコン酸グリコール酸、コハク酸などの酸若しくはその水溶性塩類の一種若しくは二種類以上に対し、弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩を適宜配合添加した溶液を電解液とし、処理すべきステンレス鋼を直流の陽極に又は直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側か若しくは交流電源の一極側に接続した状態で該電解液中に浸漬し、ステンレス鋼か黒鉛或はタングステン、モリブデン材などの難溶性電極を対極として対向せしめた状態で通電する所謂浸漬電解法を行うか、または他の一方法としては処理すべきステンレス鋼を該電源の一極に接続すると共に、該ステンレス鋼の表面上に於て該対極との間に、天然又は合成、人造繊維よりなる織布若しくは不織布よりなる滞水性物質を介在させさらに該電解液を含浸せしめた状態で該対極をステンレス鋼の表面上で摺動しながら移動し通電処理することにより該ステンレス鋼の表面に対し弗素イオンを拡散、浸透させるものであり、その組成や形状については未だ明らかではないがFとして表面層から数十Å程度の内部にまで浸透させ、耐食性に優れた被膜層を形成させることに成功した。」

(明2)「【0006】
【実施例】
・・・(略)・・・
実施例3.
そこで本発明方法による実施例として、電解液として、硫酸ソーダ15%にクエン酸を5%、さらに弗化ナトリウムを0.5%添加した水溶液を電解液とし、電源器としては直流電源の陽極電圧を15Vとし、これにさらに交流の17Vを重ね合せた交直重乗電流とし、処理すべき前述のSUS304の2B材をこれに接続、他の陰極側には黒鉛を接続して電解液中に対立せしめ3分間通電して電解処理した。
・・・(略)・・・
実施例9.
電解液の組成について、基材としては硫酸ソーダ、燐酸ソーダ、酒石酸ソーダ、クエン酸ソーダ、蓚酸ソーダ、リンゴ酸ソーダ、酢酸ソーダ、グルコン酸ソーダ、グリコール酸ソーダ、コハク酸ソーダなどが何れも好適で効果の面で大差なく、またソーダ塩に代りカリウム塩やアンモニウム塩を用いても略々同等の効果が、またさらに、前記中性塩に代り夫々の酸を用いたところ、ステンレス鋼表面に対する溶解反応が強過ぎて若干効果は劣るものの、弗素イオンの浸透効果は認められ、pH調整を行うことによりその効果は増強し、何れも濃度的には0.1%付近から飽和濃度付近までが実用的であった。
また一方の添加剤については、弗酸と弗酸のナトリウム、カリウム、アンモニウム塩による比較では略々同等の被膜形成効果のあることが認められ、また添加濃度については0.01%付近乃至それ以上飽和濃度まで効果があり、実用的には0.05%から0.5%程度の濃度が有効なことが認められた。」

ここで、上記(明1)の「弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩を適宜配合添加した溶液を電解液」の「弗酸」の「ナトリウム、カリウム、アンモニウム塩」、及び上記(明2)の「実施例3」の電解液の成分として用いられている「弗化ナトリウム」は、いずれも含弗素水溶性塩類に該当する。
そして、上記(明1)及び(明2)の記載によれば、硫酸ソーダ等の基材に、弗化ナトリウム等の「弗酸」の「ナトリウム、カリウム、アンモニウム塩」を添加した水溶液を電解液として電気分解を行い、ステンレス鋼の表面に対し弗素イオンを拡散、浸透させていることから、ステンレス鋼にイオン状で拡散、浸透せしめるために用いられる「弗素若しくは弗素と酸素」は、「含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素」であることは明らかである。
そうすると、本件訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載されている事項の範囲内の訂正であり、かつ、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。

よって、本件訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き、及び、同条第5項において準用する同法第126条第3項、4項の規定に適合するので、適法な訂正と認める。

第3 本件発明
本件特許の明細書の特許請求の範囲は、上記のとおり訂正が認められるから、本件特許の請求項1及び2に係る発明(以下、それぞれ、「本件特許発明1」及び「本件特許発明2」という。)は、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された次のとおりのものである。

1.本件特許の請求項1に係る発明(「本件特許発明1」)
「【請求項1】
ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」

2.本件特許の請求項2に係る発明(「本件特許発明2」)
「【請求項2】
請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって、ステンレス鋼を直流の陽極に、又は交流の一極に、若しくは直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側に接続し、他の電導性対極との間に、塩素、沃素、臭素を含まぬ他の有機或は無機酸若しくはその水溶性塩類に弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩の一種若しくは二種以上を配合添加した溶液を電解液とし、対抗する電極との間に前記ステンレス鋼を介在せしめた状態で電解処理することにより、ステンレス鋼表層に含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることを特徴とするステンレス鋼の製造方法。」

第4 請求人及び被請求人の主張の概要

1.請求人の主張
請求人の主張は、以下のとおりである。

本件の請求項1及び2に係る特許は、下記の、甲第1号証乃至甲第5号証のそれぞれに記載された発明であるから、特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができない(以下、「無効理由1」という。)。
本件の請求項1及び2に係る特許は、下記の、甲第1号証乃至甲第5号証のそれぞれに記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない(以下、「無効理由2」という。)。

〈証拠方法〉
甲第1号証:泉浩人、菊永芳弘、川脇理謁、菊山裕久、櫻井稔久、大見忠弘、「金属表面フッ化不動態皮膜の形成と特性」、信学技報、社団法人電子情報通信学会、2000年10月、Vol.100、No.374、9頁?16頁
甲第2号証:泉浩人、博士学位論文「半導体装置用表面処理技術に関する研究」、東北大学大学院工学研究科電子工学専攻
甲第3号証:特開昭62-294200号公報
甲第4号証:特公昭42-11201号公報
甲第5号証:特公昭42-11202号公報
甲第6号証:学術研究データベース・リポジトリ(http://dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/OdnCsvSearch.cgi)
甲第7号証:特許第3030351号公報
参考資料1:特公平5-48315号公報
参考資料2:間宮富士雄、山口裕、渡辺與七、「NPシリーズ 化学研磨と電解研磨」、槇書店、2001年7月30日、101頁

なお、甲第1号証については、平成22年5月17日に行われた口頭審理において、原本が提示されるとともに、請求人の提出した平成23年4月22日付けの口頭審理陳述要領書に添付された、表紙、目次、9頁?16頁及び奥付の写しに差し替えられた。
また、甲第2号証については、請求人が提出した平成23年5月28日付けの上申書において、発行日の立証が困難である旨の上申がなされたため、参考資料とする。

2.被請求人の主張
本件特許発明1及び2は、甲第1号証乃至甲第5号証にそれぞれ記載された発明ではなく、甲第1号証乃至甲第5号証にそれぞれに記載された発明された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものではないから、無効審判の請求は成り立たない。

<証拠方法>
乙第1号証:橋本政哲、「現場で生かす金属材料シリーズ ステンレス」、第1版、株式会社工業調査会、2007年10月20日、233頁
乙第2号証:特許・実用新案審査基準「第II部 第2章 新規性進歩性」(1頁?8頁)、特許庁
乙第3号証:東京高判平13.4.25(平成10(行ケ)401)

第5 当審の判断
1.甲第1号証、甲第3号証乃至甲第5号証の記載内容
(1)甲第1号証
甲第1号証は、「金属表面フッ化不動態皮膜の形成と特性」と題し、図面とともに以下の記載がある。

(甲1ア)「あらまし
フッ素ガスと金属表面との反応に関する研究は古くから行われていたが、形成するフッ化物皮膜を保護皮膜として扱った研究は少ない。半導体製造装置に使用されるステンレス鋼とアルミニウム材の表面とフッ素ガスとの反応を調査し、ステンレス鋼ではフッ化反応後の熱処理によりフッ素に対する耐性が現れた。またアルミニウム材とフッ素ガスとの反応では、材料に含まれるマグネシウムが反応に大きな影響を与えていることを明らかにした。」(9頁8行?14行)

(甲1イ)「1、はじめに
・・・(略)・・・KrF・ArFエキシマレーザーでは、金属との反応性に富んだフッ素ガスをエキシマレーザー発振器に安定に供給しなければならないが、現状ではガス供給ラインの簡単なフラッシング作業だけを行い、フッ素ガスを供給しているため、ガス供給配管内部とフッ素ガスが反応してしまいガスの安定供給できずに、エキシマレーザー発振器並びにステッパーの立ち上げに労力を費やしている。
・・・(略)・・・
本稿では、フッ素ガスや腐食性ガスに対する耐食性を向上させる目的で、金属表面とフッ素ガスとの直接反応により耐食性を備えた薄膜を形成させる技術とその評価について報告する。
ステンレス表面とフッ素との反応直後では、形成されたフッ化物皮膜内部に未結合のフッ素が存在し、フッ素ガスとの反応テストを行うとさらにフッ素と反応が進み、フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えていないが、フッ素化後の不活性ガス中での熱処理によりフッ化物皮膜内部の未結合フッ素が除去され、バリヤー性能を備えた皮膜が形成された。
・・・(略)・・・

2、フッ素ガスを用いた金属表面処理方法
図1にフッ素ガスを用いた金属表面処理装置を示す。
ニッケル製の容器に処理対象物を入れた後、以下の手順でフッ素ガスと金属表面とを反応させた。"丸1"高純度窒素ガスを流しながら加熱し、金属表面に付着している吸着水分などを除去する。"丸2"ガスを高純度窒素からフッ素ガスに切り替え、金属表面とフッ素ガスを所定の温度で反応させる。"丸3"ガスをフッ素ガスから高純度窒素に切り替え再度加熱処理を行う。尚加熱(反応)時間や温度は処理対象金属により異なる。」(10頁左欄1行?11頁左欄8行)

(甲1ウ)「3、ステンレス鋼の処理と評価
3-1、ステンレス鋼とフッ素との反応
図2は150℃の温度でSUS316L-EP表面とフッ素とを反応させたとき形成される膜厚と時間の関係を示している。膜厚はXPS測定によりフッ素原子濃度と鉄原子濃度が交差するまでのスパッタ時間から算出している。スパッタ時間と膜厚の関係はシリコンの熱酸化膜換算で60Å/分とした(図3)。
フッ素化時間の経過とともに形成されるフッ化物皮膜の膜厚も増加するが、フッ素化時間が3時間を超えたあたりから膜の成長が鈍り、5時間を過ぎると膜の成長は極端に遅くなる。図4にはフッ素化したSUS316L-EP表面のXPS測定により得られた各元素のナロースキャンスペクトルを示した。フッ素元素の検出と同期して鉄・クロム元素の結合エネルギーが高エネルギー側にシフトしており、これらの元素がフッ素と結合しそれぞれフッ化鉄・フッ化クロムを形成していることがわかる。」(11頁左欄9行?右欄6行)

(甲1エ)「3-2、フッ素ガスを用いた評価
以下の手順でフッ素化処理を行ったサンプルを用いて、フッ素ガスを用いた評価を行った。高純度窒素ガスを流しながら150℃で10時間べーキングを行い、1%フッ素/窒素ガスでフッ素化(150℃、3時間)、その後再度窒素ガスを流しながら、250で10時間の熱処理を加えた(サンプル1)。比較サンプルとして、フッ素ガスを室温で封入し、内表面をフッ素処理したものと(サンプル2)、150℃のフッ素化後の不活性ガスを流しながらの熱処理を行わないものも用意した。
・・・(略)・・・
図6は、1%フッ素/ネオンガスを封入した後、室温で70時間放置した後内部圧力を測定した結果を示している。150℃のフッ素化を行った後、続けて窒素ガスを流しながら加熱処理を行ったサンプル1では、初期封入圧力を保っていたが、室温でフッ素化処理を行ったサンプル2では、内部圧力が755Torrまで低下していた。これらの現象から、ステンレスをフッ素化した後不活性ガス中で再加熱処理を行った表面は、再度フッ素と接触しても反応は起こさないが、室温でフッ素化処理しただけの表面は、再度フッ素と接触するとさらにフッ素と反応し、フッ素を消費したために内部圧力が低下したと考えられる。755Torrまで圧力が低下した内部のガス濃度はフッ素濃度として0.35%まで低下していると推測される。
・・・(図、略)・・・
図7は150℃でのフッ素化処理の後、不活性ガス中での再加熱処理を行わなかったサンプルを用いて同様のテストを行った結果である。1%フッ素/ネオンガスを760Torrまで封入した後、テストを加速させる為に100℃で1時間加熱したときと、室温で70時間放置したときの内部圧力を示している。どちらの場合も初期封入圧力の760Torrから圧力が低下しており、フッ素と内部表面が反応していることが推測される。
フッ素化処理の後の不活性ガス中での再加熱処理によりフッ化物皮膜内部に残存する未結合のフッ素が皮膜から放出され、またXRD測定から結晶格子間距離の変化が確認されており^(9-12))、再加熱処理によりフッ素ガスに対るバリヤー特性を備えた良質な皮膜が形成されていることが確認された。」(11頁左欄下から4行?13頁左欄5行)

(甲1オ)図3によると、フッ素化したSUS316L表面には、フッ素及び酸素を含む皮膜が形成され、当該皮膜内のフッ素濃度は、SUS316L表面からスパッタ時間1.5分まで単調に増加していることが看取される。

上記の記載事項によると、次のことがいえる。
上記(甲1イ)及び(甲1ウ)には、「SUS316L」の規格記号で表されたステンレス鋼(以下、「SUS316Lステンレス鋼」という。)を用いて、150℃の温度でSUS316Lステンレス鋼表面とフッ素ガスとを反応させて、当該表面にフッ化物皮膜を形成することが記載されている。
上記(甲1オ)において、フッ素濃度が「スパッタ時間1.5分」まで増加する点については、上記(甲1ウ)によると、「スパッタ時間と膜厚の関係はシリコンの熱酸化膜換算で60Å/分」とされているので、この「スパッタ時間1.5分」を膜厚に換算すれば、約90Åの厚さに相当する。
上記(甲1イ)によると、ステンレス鋼の表面に形成されたフッ化物皮膜には、フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えていないものと当該バリアー性能を備えたものとがある。前者のバリアー性能を備えていない皮膜は、「ステンレス表面とフッ素との反応直後では、形成されたフッ化物皮膜内部に未結合のフッ素が存在」するのに対し、後者のバリアー性能を備えた皮膜は、「フッ素化の不活性ガス中での熱処理によりフッ素化物皮膜内部の未結合フッ素が除去され」たものである。
上記(甲1エ)によると、150℃で3時間のフッ素化処理した後、250℃で10時間の熱処理を加えた「サンプル1」、及び「150℃のフッ素化後の不活性ガスを流しながらの熱処理を行わないもの」(サンプル)を用意し(甲第1号証12頁左欄1行?8行)、再度フッ素ガスと接触させた場合、図6のとおり、熱処理を行ったサンプル1は、「反応は起こさない」(同12頁右欄6行?7行)のに対し、熱処理をしなかったサンプルは、図7によれば「フッ素と内部表面が反応していることが推測される」(同12頁右欄下から4行?3行)、「再加熱処理によりフッ素ガスに対するバリヤー特性を備えた良質な皮膜が形成されていることが確認された」(同13頁左欄3行?5行)と記載されている。
そうすると、上記(甲1ウ)における150℃でフッ素ガスと反応させて形成されたフッ化物皮膜は、熱処理をしなかった上記サンプルに相当するから、「フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えていない」ものであって、「ステンレス表面とフッ素との反応直後では、形成されたフッ化物皮膜内部に未結合のフッ素が存在」するものに該当することは明らかである。

したがって、甲第1号証には、「半導体製造装置に使用されるSUS316Lステンレス鋼であって、150℃でのフッ素ガスとの反応によりフッ素及び酸素を含むフッ化物皮膜が形成されており、当該フッ化物皮膜のフッ素濃度は、約90Åの厚さまで、表面から単調に増加しており、当該フッ化物皮膜は、フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えていないSUS316Lステンレス鋼。」(以下、「甲1発明」という。)が記載されている。

(2)甲第3号証
甲第3号証には、「ステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法」(発明の名称)が記載され、図面とともに以下の記載がある。

(甲3ア)「2.特許請求の範囲
(1)硝酸を電解液として電解処理するステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法において、前記電解液として硝酸に弗素化合物を添加した水溶液を用いることを特徴とするステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法。
(2)前記弗素化合物はKF、NH_(4)F、NH_(4)HF_(2)、(NH_(4))_(3)FeF_(6)、HFのうちより選ばれたいずれかである特許請求の範囲の第1項に記載のステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法。」(1頁左下欄4?14行)

(甲3イ)「3.発明の詳細な説明
〔産業上の利用分野〕
本発明はステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法に係り、特にステンレス冷延鋼帯の焼鈍後の表面スケールを短時間で除去する電解酸洗方法に関し、ステンレス冷延鋼帯の製造分野で利用される。」(1頁左下欄下から2行?右下欄4行)

(甲3ウ)「一般にステンレス鋼は、その材料機能としての高耐食性を付与するために、通常酸洗の最終工程で硝酸による不働態化処理を施している。この不働態化処理は硝酸への浸漬もしくは硝酸による電解によって達成されるが、この処理はステンレス鋼の機能を確保する上において不可欠の工程である。
ステンレス鋼を不働態化するためには酸化性酸への浸漬が有効であり、そのために工業的な規模での実用性から硝酸が用いられる。電解質としては、硝酸中での解離定数の大きいものほど有効であるが、硝酸塩では脱スケール効果が小さくまた、塩化物では均一な脱スケールが達成できない。
本発明者らは一液による高能率脱スケールを行うために、硝酸による電解条件に関して広範な実験を行なったが、特に硝酸による電解効率を高めるための電解液組成について研究した結果、硝酸に弗素化合物の添加が有効であるとの知見を得たので、この知見に基いて更に研究を重ね本発明を完成するに至ったものである。
ステンレス冷延、焼鈍鋼帯の硝酸を電解液とする電解酸洗に際しては、ステンレス冷延鋼板の焼鈍条件により電流密度、電解時間などが多少異なるものの、水素もしくは(水素+窒素)雰囲気中での低い酸化性雰囲気中の焼鈍板および酸化性雰囲気中の焼鈍板は、本発明による弗素化合物を添加した硝酸水溶液を電解液とする場合、比較的短時間にしかも確実に脱スケールされることが判明した。
添加する弗素化合物はどのようなものであっても脱スケール性に差はないが、工業的な利用の観点からは、KF、NH_(4)F、NH_(4)HF_(2)、(NH_(4))_(3)FeF_(6)、HFのうちから選ばれることが好ましい。」(2頁左下欄7行?右下欄下から2行)

(甲3エ)「〔発明の効果〕
ステンレス冷延鋼帯のCALもしくはAPLによる連続焼鈍もしくは焼鈍、酸洗工程における従来の脱スケール方法は複数の酸洗工程による長時間処理を余儀なくされて来たが、本発明による電解酸洗方法は、従来の硝酸単味の水溶液を電解液とする方法を廃して、電解液として硝酸に弗素化合物を添加した水溶液を用いることにしたので、次の如き大きな効果を挙げることができた。
(イ)一液による脱スケールが可能となったので、工程を大幅に簡素化できた。
(ロ)均一な完全脱スケールが可能となった。
(ハ)脱スケール時間を従来より短縮できるので、比較的スケールの薄いCAL材については高速通板が可能となり、生産性の向上が可能となった。
(ニ)(イ)、(ロ)、(ハ)の結果脱スケールコストを大幅に低減できる。
本発明はステンレス冷延、焼鈍鋼帯の酸洗の最終工程における硝酸による不働態化処理等に際し、硝酸に弗素化合物を添加した水溶液を用いて電解することを提案したもので、本発明法単独で実施できることは勿論、従来の酸洗法と組合わせても適用可能であることは自明のとおりである。」(5頁左下欄14行?右下欄下から4行)

上記の記載によると、甲第3号証には、「KF、NH_(4)F、NH_(4)HF_(2)、(NH_(4))_(3)FeF_(6)、HFのうちから選ばれる弗素化合物を添加した硝酸水溶液を電解液として脱スケールを行うステンレス冷延、焼鈍鋼帯の電解酸洗方法。」及び「当該電解酸洗方法によって処理されたステンレス鋼。」(以下、まとめて「甲3発明」という。)が記載されている。

(3)甲第4号証
甲第4号証には、「鉄鋼材料の電解脱スケール法」(発明の名称)が記載され、以下の記載がある。

(甲4ア)「鉄鋼材料の酸化スケールを電解除去するに当り、硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくはこれらの塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液を電解液としかつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして電解することを特徴とする酸洗法を提案し、極めて満足すべき結果を得たが、酸化スケールの種類によって例えば18-8系ステンレスの冷間圧延鋼に対しては、完全脱スケールにやや長時間を要することならびに仕上り表面がやや光沢性に欠けること等の難点が発見され、これらはいずれも上記強酸電解法との比較において数段秀れていたが、さらにその改良が望まれた。
本発明は上記要求を満すべく提案するもので、鉄鋼材料の酸化スケールを電解するに当り、硫酸または硝酸のナトリューム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくは、これら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%の水溶性弗化物を添加したものを電解液とし、かつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして直接通電するか、もしくは鉄鋼材料自体を極性化するごとき間接通電を行って、電解することを特徴とするものである。
なお上記間接通電を行う方法とは、帯状鉄鋼材等の連続式電解脱スケール装置において通常採用されているものであって、鉄鋼材自体には直接通電せず別に電解液中に浸漬して設けた複数組の陽極対と陰極対との間に鉄鋼材を通過させることにより,陽極対間を通過する部分は陰極に帯電させ陰極対間を通過する部分は陽極に帯電させ極性化させるごとく電解する方法である。」(1頁右欄7行?下から6行)

(甲4イ)「上述のごとく、本発明方法は電解質として従来の叙上のごとき無機強酸に対し、例えばNa_(2)SO_(4)のごとき硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩およびNaFのごとき水溶性弗化物を使用するので、かかる塩の水溶液はほぼ中性であるが,これを用いて脱スケールすべき鉄鋼材料を陽極もしくは交流電極の一極として電解した場合,電極面付近においては遊離の酸即ち硫酸および弗酸等が生成され、これらの酸によって脱スケールが極めて有効に達成されるものと考えられる。しかして上記塩類には、硫酸または硝酸のナトリュームおよびカリウム塩としてNa_(2)SO_(4)の外にK_(2)SO_(4),NaNO_(3)およびKNO_(3)等があり、また水溶性弗化物としてはNaFの外にNH_(4)F,KF,KHF_(2),SnF_(2)等がこれに含まれるが、これら塩をそれぞれ単独にあるいは数種混合した状態において、上記濃度の水溶液となし、これを電解液とするものである。」(1頁右欄下から5行?2頁左欄13行)

(甲4ウ)「次にこのような本発明による電解反応を理論的に説明すれば、上記の塩類例えば硫酸ソーダと弗化ソーダとの水溶液を電解液とし、脱スケールすぺき鉄鋼材料も陽極として電解すると、陰極側においては、硫酸ソーダ、弗化ソーダ中のNa^(+)が電離し次式により苛性ソーダと水素とを発生するが、
陰極反応:2H_(2)O^(2e)→2OH+H_(2)↑
2Na^(+)+2OH^(-)→2NaOH (1)
陽極側においては、硫酸ソーダからは次の(2)式により硫酸と発生機の酸素とを発生し、
陽極反応:H_(2)O^(-2e)→2H^(+)+1/2O_(2)
SO_(4)^(--)+2H^(+)→H_(2)SO_(4) (2)
また弗化ソーダからは次の(3)式により同じく弗化水素酸と発生機の酸素とを生ずる。
陽極反応:H_(2)O^(-2e)→2H^(+)+1/2O_(2)
F^(-)+H^(+)→HF (3)
しかして陽極を構成する鉄鋼材のFeOを主体とする酸化スケールは、ここに生成した硫酸に溶解することとなるが、発生機の酸素と弗化水素酸とは溶解反応を促進して極めて効果的に脱スケールが行われるである。」(2頁左欄14行?2頁右欄4行)

上記の記載によると、甲第4号証には、「硫酸または硝酸のナトリューム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくは、これら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%のNaF、NH_(4)F,KF,KHF_(2),SnF_(2)等の水溶性弗化物を添加したものを電解液とし、かつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして直接通電するか,もしくは鉄鋼材料自体を極性化するごとき間接通電を行って電解する18-8系ステンレスの冷間圧延鋼等の鉄鋼材料の電解脱スケール法。」及び「当該電解脱スケール法で処理されたステンレス鋼。」(以下、まとめて「甲4発明」という。)が記載されている。

(4)甲第5号証
甲第5号証には、「鉄鋼材の電解脱スケール法」(発明の名称)が記載され、以下の記載がある。

(甲5ア)「鉄鋼材料の酸化スケールを電解除去するに当り、硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくはこれらの塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液を電解液とし、かつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして電解することを特徴とする酸洗法を提案し、極めて満足すべき結果を得たが、酸化スケールの種類によって例えば18-8系ステンレスの冷間圧延鋼に対しては、完全脱スケールにやや長時間を要することならびに仕上り表面がやや光沢性に欠けること等の難点が発見され、これらはいずれも上記強酸電解法との比較において数段秀れてはいたが,さらにその改良が望まれた。本発明は上記要求を満すべく提案するもので、鉄鋼材料の酸化スケールを電解除去するに当り,硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくはこれら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%の水溶性弗化物および10%以下の酒石酸またはクエン酸もしくはこれらの塩類を添加したものを電解液とし、かつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして直接通電するかもしくは鉄鋼材料自体を極性化せしめるがごとき間接通電を行って電解することを特徴とするものである。
なお上記間接通電を行う方法とは、帯状鉄鋼材等の連続式電解脱スケール装置において通常採用されているものであって、鉄鋼材自体には直接通電せず別に電解液中に浸漬して設けた複数組の陽極対と陰極対との間に鉄鋼材を通過させることにより、陽極対間を通過する部分は陰極に帯電させ陰極対間を通過する部分は陽極に帯電させ極性化させるごとく電解する方法である。」(1頁右欄3行?下から8行)

(甲5イ)「上記のごとく本発明方法は電解質として従来の無機強酸の代りに例えばNa_(2)SO_(4)およびNaF等のごとき中性塩と、酒石酸またはクエン酸等のごとき有機酸あるいはその塩を使用するので、その溶液自体は中性乃至は徴酸性であるが、これを用いて脱スケールすべき鉄鋼材料を陽極もしくは交流電極の一極として電解した場合、極面付近においては遊離の酸、即ち硫酸および弗酸等が生成され、これらの酸によって脱スケールが極めて有効に達成されるとともに電解液中の酒石酸またはクエン酸等の存在により、これと当量以内の鉄鋼材からの溶出金属例えばFeNiは溶液中に析出分離することなしに錯イオンを生成して溶存し、これらによって鋼材面の研摩がさらに促進されるものと推定される。しかして上記塩類には硫酸または硝酸ナトリュームおよびカリウム塩としてNa_(2)SO_(4)の外にK_(2)SO_(4),NaNO_(3)およびKNO_(3)がまた水溶性弗化物としてはNaF,NH_(4)F,KF,KHF_(2),SnFe等がありさらに有機酸として酒石酸またはクエン酸の外にこれらのNaまたはK塩のごとき塩類が挙げられる。」(1頁右欄下から7行?2頁左欄14行)

(甲5ウ)「なお本発明における電解反応を理論的に説明すれば、上記の塩類例えば硫酸ソーダと弗化ソーダおよび酒石酸の水溶液を電解液とし、脱スケールすべき鉄鋼材料を陽極として電解すると、陰極側においては、硫酸ソーダ、弗化ソーダ中のNa^(+)が電離し次式によって苛性ソーダと水素とを発生するが、
陰極反応;2H_(2)O^(2e)→2OH^(-)+H_(2)↑
2Na^(+)+2OH^(-)→2NaOH (1)
陽極側においては、次の(2)式により硫酸ソーダからは硫酸と発生機の酸素とを発生し、
陽極反応;H_(2)O^(-2e)→2H^(+)+1/2O_(2)
SO_(4)^(--)+2H^(+)→H_(2)SO_(4) (2)
また弗化ソーダからは次の(3)式により同じく弗化水素酸と発生機の酸素とを生ずる。
陽極反応;H_(2)O^(-2e)→2H^(+)+1/2O_(2)
F^(-)+H^(+)→HF (3)
しかして陽極を構成する鉄鋼材のFeOを主体とする酸化スケールはここに生成した硫酸により溶解するが、さらに発生機の酸素と弗化水素酸とは溶解反応を促進し、硫酸第二鉄Fe_(2)(SO_(4))_(3)等となりながら効果的に溶解脱スケールされる。
一方酒石酸の存在は溶解したこれらの金属イオンとさらに反応して酒石酸鉄Fe_(2)(C_(4)H_(4)O_(6))_(3)等となり、それ自体の電解研摩的な効果によって光沢のある仕上げ面が得られるのである。」(2頁左欄15行?右欄6行)

(甲5エ)「次に上記電解液溶質の濃度であるが、上記Na_(2)SO_(4)等の塩類は1種または数種混合の如何を問わず2%以下の場合は効果的な脱スケールを期待できず2?10%の範囲でかなり満足な、また10%以上では極めて有効な脱スケールを為し得ることが確認され、また水溶性弗化物は鉄鋼材の溶解減量が比較的少くてしかも効果的な範囲として0.25%以上10%以下、経済性を考慮すれば0.5?1.0%程度が最適である。また酒石酸またはクエン酸の添加量としては10%以下が好ましく、経済的には5%以内が適当である。さらにNa_(2)SO_(4)およびNaFのごとき上記塩類は、既成塩の一定量を直接溶解してもよく、また溶液中において上記塩類が生成されるような酸および塩基例えばH_(2)SO_(4)とHFおよびNaOHをそれぞれ定量ずつ添加してもよい。」(2頁右欄7行?22行)

上記の記載によると、甲第5号証には、「鉄鋼材料の酸化スケールを電解除去するに当り,硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくはこれら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%のNaF,NH_(4)F,KF,KHF_(2),SnFe等の水溶性弗化物および10%以下の酒石酸またはクエン酸もしくはこれらの塩類を添加したものを電解液とし、かつ該電解液に浸漬せる鉄鋼材料を陽極または交流電極の一つとして直接通電するかもしくは鉄鋼材料自体を極性化せしめるがごとき間接通電を行って電解する鉄鋼材の電解脱スケール法。」及び「当該電解脱スケール法で処理されたステンレス鋼。」(以下、まとめて「甲5発明」という。)が記載されている。

請求人は、甲第1号証乃至甲第5号証を提示して、新規性及び進歩性に係る無効理由1及び2を主張する。これら甲各号証のうち、参考資料の甲第2号証は、上記「第4」1で述べたように、本件特許発明1及び2に係る特許出願前に頒布された刊行物であるのか明らかでないから、甲第2号証の記載は、本件特許発明1及び2と対比する引用例の発明として採用できない。
そこで、以下、無効理由1及び2の検討においては、甲第1号証、甲第3号証乃至甲第5号証に記載された発明と対比する。

2.本件特許発明1について
(1)甲第1号証を主引用例とした場合
ア.無効理由1(新規性)について
本件特許発明1と甲1発明とを対比する。
甲1発明の「フッ化物皮膜」は、フッ素及び酸素を含む皮膜であり、皮膜内のフッ素濃度は、ステンレス鋼表面から約90Åの厚さまで単調に増加しているから、本件特許発明1の「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」に相当する。
そして、甲1発明の「フッ化物皮膜が形成され」た「SUS316Lステンレス鋼」は、本願特許発明1の「含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼」に相当する。
よって、本件特許発明1と甲1発明は、いずれも「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」であり、この点で一致するが、次の点で相違する。

(相違点)
本件特許発明1における「含弗素、酸素系被膜層」は、「含弗素水溶液塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより」形成させたものであり、「該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめた」ものであるのに対し、甲1発明における「フッ化物皮膜」は、150℃でのフッ素ガスとの反応により形成させたものであり、フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えておらず、「該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめた」ものか明らかでない点。

したがって、本件特許発明1は、甲1発明と同一ではない。

イ.無効理由2(進歩性)について
次に、上記アの相違点について検討する。

(ア)本件特許明細書の段落【0002】に記載されるように、ステンレス鋼の耐食性は、その表面に形成された含酸素系不動態化被膜の作用効果によるものであるが、当該不動態化被膜であっても、ハロゲン元素特に塩素イオンを含む環境下においては孔食が発生することが知られている。そこで、本件特許発明1は、ステンレス鋼表面に「含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層」を形成することにより、「特に塩素による耐孔食性をより向上させた」ものであり、当該被膜層は、含弗素水溶液塩類の水溶液を電解液とし、ステンレス鋼に対して電解処理を行うことにより形成されるものである。
それに対し、甲1発明における「フッ化物皮膜」は、容器内に処理対象物のステンレス鋼を入れた後、フッ素ガスを流して、ステンレス鋼表面とフッ素ガスを所定温度(150℃)で反応させることにより形成されるものである。
すなわち、ステンレス鋼の表面に対してフッ素を含有させるために、本件特許発明1は、水溶液の電解処理という電気化学的手法を利用するのに対し、甲1発明は、フッ素ガスとの直接反応を利用したものであるから、両者の発明におけるフッ素を含有させた処理条件や処理環境は異なっている。そうすると、両者の発明において、ステンレス鋼表面にフッ素含有の皮膜が形成されているとしても、含有されるフッ素の状態やステンレス鋼の耐食性に及ぼす効果が同じであるとは直ちにいえない。
この点につき、甲第1号証の記載をみると、甲1発明のステンレス鋼表面に形成した「フッ化物皮膜」は、フッ素ガスに対する耐食性を目的としたものであって(甲1ア)、ステンレス鋼において塩素イオンによる耐孔食性の向上を目的とするものではない。さらに、上記1(1)で述べたように、甲1発明のフッ化物皮膜は、フッ素ガスに対してもバリヤー性能を備えていない(甲1イ)のであるから、ステンレス鋼の耐食性を向上させることに結びつくものではない。なお、このバリヤー性能に関しては、甲第1号証に、フッ素化処理後の加熱処理によってフッ素ガスに対するバリヤー性能を備えた皮膜が得られる旨(甲1エ)記載されているが、その加熱処理は、「フッ化物皮膜内部に残存する未結合のフッ素が皮膜から放出され」(甲第1号証12頁右欄末行?13頁左欄1行)ることを伴うから、甲1発明の「当該フッ化物皮膜のフッ素濃度は、約90Åの厚さまで、表面から単調に増加して」いるとの濃度分布が当該バリヤー性能を備えたフッ化物皮膜においても維持されているのか明らかな事項ではない。
以上によれば、甲1発明において、甲第1号証の記載に基づいて上記アの相違点に係る事項を備えることが容易になし得るものであるとは認められない。

(イ)なお、参考資料とした甲第2号証に言及するに、甲第2号証には、「本研究は半導体産業で使用さ高純度金属表面にさらに耐腐食性を備えたフッ化不動態皮膜を形成しようとするものである。」(7頁末行?8頁1行)と記載され、図2-2-2及びそれに関する記載によると、甲1発明と同旨の内容が記載されるだけであるから、甲第2号証の記載内容は、甲第1号証に基づく上記判断に影響しない。

(ウ)次に、甲1発明に甲第3号証乃至甲第5号証の各記載内容を組み合わせて本件特許発明1が容易に発明をすることができたか検討する。

(a)甲第3号証乃至甲第5号証には、甲3発明乃至甲5発明のとおり、弗化物を添加した水溶液の電解液を用いてステンレス鋼の表面の酸化スケールを除去して脱スケールする電解酸洗方法あるいは電解脱スケール方法、及び当該方法により処理されたステンレス鋼が開示されている。
そして、弗化物を添加した電解液を使用する場合の効果については、次の記載がある。
甲第3号証:「本発明による弗素化合物を添加した硝酸水溶液を電解液とする場合、比較的短時間にしかも確実に脱スケールされることが判明した」(甲3ウ)、「添加する弗素化合物はどのようなものであっても脱スケール性に差はない」(甲3ウ)、「電解液として硝酸に弗素化合物を添加した水溶液を用いることにしたので、次の如き大きな効果を挙げることができた。(イ)一液による脱スケールが可能となった・・・(ロ)均一な完全脱スケールが可能となった。(ハ)脱スケール時間を従来より短縮できる・・・」(甲3エ)
甲第4号証:「本発明方法は電解質として・・・硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩およびNaFのごとき水溶性弗化物を使用するので・・・電極面付近においては遊離の酸即ち硫酸および弗酸等が生成され、これらの酸によって脱スケールが極めて有効に達成されるものと考えられる」(甲4イ)、「陽極を構成する鉄鋼材のFeOを主体とする酸化スケールは、ここに生成した硫酸に溶解することになるが、発生機の酸素と弗化水素酸とは溶解反応を促進して極めて効果的に脱スケールが行われる」(甲4ウ)
甲第5号証:「本発明方法は電解質として・・・Na_(2)SO_(4)およびNaF等のごとき中性塩・・・をしようするので・・・極面付近においては遊離の酸、即ち硫酸および弗酸等が生成され、これらの酸によって脱スケールが極めて有効に達成される」(甲5イ)、「 陽極を構成する鉄鋼材のFeOを主体とする酸化スケールはここに生成した硫酸により溶解するが、さらに発生機の酸素と弗化水素酸とは溶解反応を促進し・・・効果的に脱スケールされる」(甲5ウ)
上記の記載によれば、甲第3号証乃至甲第5号証に記載された電解酸洗方法または電解脱スケール方法は、ステンレス鋼等の鉄鋼材料の表面に形成されたスケール(酸化膜)を除去するためのものであり、電解液に添加された弗化物は、脱スケールという目的に沿った作用をする配合成分であると理解できる。

(b)また、甲第3号証には、「本発明はステンレス冷延、焼鈍鋼帯の酸洗の最終工程における硝酸による不働態化処理等に際し、硝酸に弗素化合物を添加した水溶液を用いて電解することを提案したもの」(甲3エ)との記載があり、この記載によれば、硝酸に弗素化合物を添加した電解液は、脱スケールだけでなく、不働態化処理としても使用できるものである。ただ、硝酸に添加された弗素化合物については、不働態化の作用を有するとの記載はなく、不動態化被膜に弗素を含有するとの記載もない。むしろ、当該不働態化処理は、「一般にステンレス鋼は、その材料機能としての高耐食性を付与するために、通常酸洗の最終工程で硝酸による不働態化処理を施している。この不働態化処理は硝酸への浸漬もしくは硝酸による電解によって達成されるが、この処理はステンレス鋼の機能を確保する上において不可欠の工程である。」(甲3ウ)と記載されるように、硝酸の作用によって達成されるものであるから、添加された弗素化合物の作用により不働態化効果があるのか明らかでない。
よって、甲第3号証に記載された不働態化処理においても、弗素化合物の添加目的及び効果は、上述したように、脱スケールを促進することに留まるというべきである。

(c)以上のとおり、甲第3号証乃至甲第5号証には、弗素含有の電解液を用いてステンレス鋼表面を処理することは記載されているが、その電解液による作用は酸化膜の除去にあること、甲第3号証に不働態化処理に関する記載はあっても弗素化合物と皮膜形成や耐食性向上との関係を示す記載がないことからすると、甲1発明におけるフッ素ガスとの反応により形成されたフッ化物皮膜を有するステンレス鋼に対して、甲3発明乃至甲5発明を適用するとした場合、弗素を含有する電解液を用いて脱スケール処理されたステンレス鋼に係る甲第3号証乃至甲第5号証の記載をもって、適用する動機付けがあるとすることはできない。
そうすると、上記の相違点に係る事項は、甲第3号証乃至甲第5号証に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得るものであるとはいえない。
したがって、本件特許発明1は、甲第1号証乃至甲第5号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではあるとは認められない

(2)甲第3号証乃至甲第5号証を主引用例とした場合
ア.無効理由1(新規性)について
本件特許発明1と甲3発明乃至甲5発明のそれぞれとを対比する。
甲3発明の「KF、NH_(4)F、NH_(4)HF_(2)、(NH_(4))_(3)FeF_(6)、HFのうちから選ばれる弗素化合物を添加した硝酸水溶液の電解液」、甲4発明の「硫酸または硝酸のナトリューム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくは、これら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%のNaF、NH_(4)F,KF,KHF_(2),SnF_(2)等の水溶性弗化物を添加した」電解液、甲5発明の「硫酸または硝酸のナトリュームまたはカリウム塩を溶質とする2%以上の水溶液もしくはこれら塩の2種以上を溶質とする2%以上の水溶液に0.1%乃至10%のNaF,NH_(4)F,KF,KHF_(2),SnFe等の水溶性弗化物および10%以下の酒石酸またはクエン酸もしくはこれらの塩類を添加した」電解液は、いずれも、本件特許発明1の「含弗素水溶性塩類の水溶液」に相当する。
よって、本件特許発明1と甲3発明乃至甲5発明のそれぞれとは、いずれも「含弗素水溶性塩類の水溶液によって電解処理されたステンレス鋼。」である点で一致し、以下の点で相違する。
本件特許発明1のステンレス鋼は、「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめた含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」であるのに対し、甲3発明乃至甲5発明のそれぞれのステンレス鋼は、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」を有するのか明らかでなく、その被膜層による耐食性向上についての効果も明らかでない点。

したがって、本件特許発明1は、甲3発明乃至甲5発明のいずれとも同一ではない。

イ.無効理由2(進歩性)について
上記アの相違点について検討する。
(ア)甲第3号証乃至甲第5号証における弗化物を添加した電解液の効果は、上記(1)イ(ウ)で述べたように、ステンレス鋼等の鉄鋼材料の表面に形成されたスケール(酸化膜)を除去することにあり、電解液に添加された弗化物は、脱スケールの作用をする配合成分である。
他方、甲第1号証には、上記(1)で述べたように、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」を有するステンレス鋼に相当するものが開示されているが、当該「含弗素、酸素系被膜層」は、フッ素ガスとの反応により形成されたフッ化物皮膜であって、フッ素ガスに対するバリヤー性能を備えたものでなく、また、塩素イオンによる耐孔食性等の耐食性の向上に関する記載もない。
そうすると、含弗素水溶性塩類の水溶液によって電解処理されたステンレス鋼に係る甲3発明乃至甲5発明のそれぞれに対し、甲1発明を適用するとした場合、フッ素ガスとの反応により形成されたフッ化物皮膜を有するステンレス鋼に係る甲第1号証の記載は、適用する動機付けを欠いているというべきである。
また、甲第3号証乃至甲第5号証に、上記相違点に係る「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」や当該被膜層による耐食性向上の効果について記載も示唆もないことは、上記(1)イ(ウ)のとおりであり、たとえ、電解処理によって、「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶液塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより」、「含弗素、酸素系被膜層」が形成されていたとしても、当該被膜層内の弗素について「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」状態にあることは、処理条件や処理環境の異なる甲第1号証の記載から当業者が予測できる事項ではない。

(イ)したがって、甲3発明を主引用例とした場合、甲4発明を主引用例とした場合、甲5発明を主引用例とした場合のいずれにおいても、本件特許発明1は、甲第1号証乃至甲第5号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではない。

(3)請求人の主張について
ア.請求人は、平成22年9月10日付け審判請求書、平成23年2月4日付け弁駁書、同年4月22日付け口頭審理陳述要領書、同年5月28日付け上申書により、以下(a)?(c)の主張をしている。
(a)「請求項1のステンレス鋼は、これら甲第3号証、甲第4号証、及び甲第5号証の方法により処理されたステンレス鋼と同じものであると言えます。
よって、本件請求項1の発明は、甲第3号証乃至甲第5号証に開示された方法により表面処理されたステンレス鋼に対し、甲第1号証と甲第2号証の分析結果により明らかにされている「フッ素濃度が表層部から一定深さの範囲で順次上昇して逆V字形を形成している」という既に発見されている自然現象の範囲内の事実「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」を記述として加えただけのものであるとも言え、新規性はありません。」(審判請求書9頁10行?17行)
「「フッ素濃度が表層部から一定の深層部(6Å深さも含む)に向かって上昇していく」という当該効果(現象)が、フッ素と反応させたステンレス鋼では普通に発生する現象であることは、甲第1号証及び甲第2号証によって明らかにされております。
よって、本件の出願時の引用例(甲第3号証)においても「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」ことは当然生じていると考えられますので、実質的に引用例(甲第3号証)と本件特許は同一のものと考えられます。」(審判請求書12頁17行?22行)

(b)「本件特許は、請求項1は、ステンレス鋼の極表面層において「フッ素濃度が表層部に比べて約6Å深さで高くなっている」ことを特徴とすることで、引用例との差異を生じたとして特許許可されておりますが、上記比較例、実施例からわかることは、従来から行われている「弗化物を添加された電解液による電解」を用いれば、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなっている」ということであり、何等新しい技術的創作を伴っておりません。
よって、こうして処理されたステンレス鋼の極表面層のフッ素濃度が「表層部に比べて約6Å深さで高くなっている」ということは単なる発見であります。」(審判請求書12頁23行?30行)

(c)「仮に「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」ものを確認したもののみを本件特許の対象とするという主張がされたとしても、甲第1号証や甲第2号証の記載から明らかなように、従来からある手法に対して何等新たな手法を加えずとも、極表面層の表層部に比べて深層部の弗素濃度が高くなるのは必然的に生じる化学的現象であり、甲第3号証、甲第4号証、又は甲第5号証をも含めたこの発明前から行われていたフッ化物が添加された電解液を用いた際に必然的に生じるステンレス鋼表面への化学的現象を特徴点として記載した発明に特許を与えるのは、本件特許の出願前からなされていたフッ化物を添加された電解液の使用は勿論の事、平成2年1月19日に出願され、平成12年2月10日に特許され、既に実施が行われている特許第3030351号(甲第7号証参照)によるフッ化不動態皮膜の形成されたステンレス鋼にも権利範囲が及ぶこととなり、本件出願日の平成13年9月12日より前から既にある物の既得権を制限することとなり、不合理であります。」(審判請求書12頁31行?42行)

イ.上記(a)の主張について
請求人は、本件特許発明1は、甲第3号証乃至甲第5号証に開示された方法により表面処理されたステンレス鋼に対し、甲第1号証と甲第2号証の分析結果により明らかにされている「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」を記述として加えただけのものであり、また、甲第3号証においても「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」ことは当然生じているから、新規性がない旨主張する。
しかし、上記(1)で述べたように、甲第1号証と甲第2号証において、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」ステンレス鋼が開示されているとしても、それは、フッ素ガスとの反応により形成されたフッ化物膜の場合である。それに対し、甲第3号証乃至甲第5号証に開示された方法は、弗化物を含む硝酸の水溶液を用いて電解処理を行うものであって、甲第1号証及び甲第2号証と異なる処理方法であるから、甲第3号証乃至甲第5号証の方法により表面処理されたステンレス鋼が「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」との構成を当然に備えているということはできない。
よって、本件特許発明1は甲第1号証乃至甲第5号証によって新規性がないとする請求人の主張は理由がない。

ウ.上記(b)の主張について
請求人は、本件特許発明1における「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなっている」は、単なる発見であって、新しい技術的創作を伴っていない旨主張する。
しかし、本件特許発明1のステンレス鋼は、その請求項1に記載されるとおり、「含弗素水溶液塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ」たものであり、「その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめた」ものであるから、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなっている」ことの単なる発見ではない。
よって、新しい技術的創作を伴っていないとする請求人の主張には理由がない。

エ.上記(c)の主張について
請求人は、本件特許が付与された場合、本件特許の出願前からなされていた、フッ化物を添加された電解液の使用や、フッ化不動態皮膜の形成されたステンレス鋼に権利範囲が及ぶこととなり、本件出願日より前から既にある物の既得権を制限することとなり、不合理である旨主張する。
しかし、本件審判において請求人は、特許法第29条第1項第3号新規性及び同法第29条第2項進歩性に係る要件につき、証拠方法として甲第1号証乃至甲第5号証を提示し、それらに基づいて、本件特許発明1に新規性及び進歩性がないとの無効理由を主張するものである。しかるに、無効理由として主張する新規性及び進歩性に係る要件は、同法に規定されるとおりであり、本件特許付与によって既存物に権利範囲が及ぶことや既得権が制限されることは、判断する際の要件となっていない。
そして、甲第3号証乃至甲第5号証には、弗化物を添加した電解液を用いた電解処理が開示されているとしても、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」が形成されていることや当該被膜層によって塩素による耐孔食性等を向上させることは記載されておらず、甲第1号証乃至甲第5号証によって本件特許発明1の新規性及び進歩性を否定することができないことは上記(1)、(2)で述べたとおりである。
よって、請求人の主張は理由がない。

以上のとおり、上記アの請求人の主張は、上記(1)、(2)の判断を左右するものではなく、採用できない。

3.本件特許発明2について
ア.本件特許発明2は、「請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって」と特定されるとおり、本件特許発明1に係るステンレス鋼の製造方法の発明である。
上記2で述べたように、本件特許発明1のステンレス鋼は、甲第1号証乃至甲第5号証に記載された発明でもなく、同各号証に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものでもない。
そうすると、本件特許発明1に係るステンレス鋼の製造方法の発明である本件特許発明2は、甲第1号証乃至甲第5号証に記載された発明でもなく、同各号証に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものでもない。

イ.請求人は、本件特許発明1の構成要件は、甲第1号証及び甲第2号証にて明らかにされており、本件出願時に既に存在しているフッ化不動態皮膜を形成されたステンレス鋼一般の特徴であり、その製造方法としての本件特許発明2の構成要件は、甲第3号証乃至甲第5号証によって明らかにされているのみならず、従来より一般に行われている電解研磨・電解酸洗で使用される態様を全て含んだ既成事実であるから、本件特許発明2には新規性がない旨(審判請求書10頁31行?38行)主張する。
しかし、本件特許発明1に新規性及び進歩性に係る無効理由がないことは上述したとおりであるから、本件特許発明1を引用する本件特許発明2についても新規性及び進歩性に係る無効理由1及び2に理由はない。
よって、本件特許発明2に対する請求人の上記主張は採用できない。

4.まとめ
以上で検討したとおり、請求人の主張する無効理由1及び2は、いずれも理由がない。

第6 むすび
以上のとおりであるから、請求人の主張及び証拠方法によっては、本件特許発明1及び2の特許を無効とすることはできない。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項で準用する民事訴訟法第61条の規定により、請求人が負担すべきものとする。
よって、結論のとおり審決する。
 
発明の名称 (54)【発明の名称】
含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。
【請求項2】請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって、ステンレス鋼を直流の陽極に、又は交流の一極に、若しくは直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側に接続し、他の電導性対極との間に、塩素、沃素、臭素を含まぬ他の有機或は無機酸若しくはその水溶性塩類に弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩の一種若しくは二種以上を配合添加した溶液を電解液とし、対抗する電極との間に前記ステンレス鋼を介在せしめた状態で電解処理することにより、ステンレス鋼表層に含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることを特徴とするステンレス鋼の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【0001】
【産業上の利用分野】
本発明は、電気化学的手法により、ステンレス鋼の表層部乃至はその近傍に対し、弗素若しくは弗素と酸素とををイオン状で拡散、浸透せしめることにより含弗素系乃至含弗素・酸素系の被膜層を形成させ、従来のステンレス鋼表面に形成されている酸素系不動態化被膜に比べてより耐食性に優れた新規な被膜の形成によって齎せる効果により、該ステンレス鋼の鋼種に応じて保有する固有の耐食性をより一層飛躍的に向上させ、特にオーステナイト系ステンレス鋼に特有の塩素による孔食発生から異状腐食さらには応力腐食割れに至る諸問題を大幅に改善したステンレス鋼とその製造方法とに係る。
【0002】
【従来の技術】
ステンレス鋼の耐食性は、ステンレスの鋼種に応じた各合金成分自身の耐食性によるものではなく、その製造工程に於て、熱濃硝酸の溶液中に一定時間浸漬する通称不動態化処理により、その表面に生成させてあるÅ単位(10^(-1)nm)の極めて薄い含酸素系不動態化被膜の作用効果によるものであり、その成分組成としてのクロムやニッケル、或はモリブデンなどの合金元素の種類やその多寡はその不動態化被膜の生成を促すための要素に過ぎないことは衆知の事実である。
その一証拠として、前述の不動態化被膜の膜厚も前述の通り極めて薄いためステンレス鋼素材の切断や切削、或は研磨工程などに伴って簡単に破壊されるが、田園地帯などの清浄な空気中であれば放置するだけでも大気中の酸素による酸化作用によって自然に不動態化し、反対に海塩粒子の多い海岸地帯や大気汚染の激しい工業地帯等に於ては、該被膜の生成が妨げられることもよく知られている。
ところが、このようなステンレス鋼の不動態化被膜も、ハロゲン元素特に塩素イオン(Cl^(-))を含む環境下に於ては、たちまちの内にピット状の異状腐食を発生するし、またこれに外部からの応力がかかった状態や或は応力が残留していると異状腐食や、ひいては応力腐食割れ(SCC)などが発生することなども公知であり、このような塩素による腐食現象のことを一般に孔食と呼称し、特にオーステナイト系ステンレス鋼にとっての宿命的とも云える致命傷となっていることも公知の事実である。
ところで、このような孔食発生に係るCl^(-)の作用のメカニズムについては未だ定説はないものの、大別して▲1▼.Cl^(-)によって吸着置換される吸着説、▲2▼.Cl^(-)の浸透破壊による浸透説、▲3▼.FeSやMnSなどの介在物の存在箇所から発生する欠陥説などが提唱されており、何れもCl^(-)が不動態化被膜に吸着し、該被膜の最も弱い個所を破壊して遂に金属が溶出するために孔食が発生し、さらにこれを起点として応力腐食割れ(SCC)が始まると云う理論については疑う余地のない事実である。
一方、このような孔食の発生防止対策としては、環境因子としては接触する溶液の組成やpH,温度などを改善するという間接的手段や、冶金的因子としては合金元素の添加、或は溶接などの熱影響部に対しては熱処理として溶体化処理を施すことなどが対策として講じられてはいるものの、何れもステンレス鋼自体に係わる具体的かつ抜本策とは云い難く、その画期的防止対策の必要性が強く望まれて来た。
【0003】
【発明が解決しようとする課題】
本発明は、上述のようにステンレス鋼の合金成分を変更したり、或は冶金的な加熱処理のように煩雑な処理を施すことなく、既存のステンレス鋼の表面に対し酸素のほかに新規な弗素系の耐食性被膜層を形成させることにより、従来の酸素系不動態化膜の欠点を補って耐食性特に耐孔食性の大幅な改善と、ひいては孔食個所を起点として発生する異状腐食や応力腐食割れの防止を計った画期的なステンレス鋼とその製造方法を提供せんとすることにある。
【0004】
【課題を解決するための手段】
本出願人は、過去ステンレス鋼の溶接後の焼け取り作業が極めて危険な毒劇物に該当する硝弗酸に依存して来た現状に鑑み、研究の結果、安全無害な中性塩電解焼け取り法を開発し、「合金鋼の脱スケール法」の名称のもとに特許第543867号ほかを取得し、従来の毒劇物硝弗酸の使用を抑制して、より安全無害な焼け取り作業を可能にして来た経緯がある。
その発明の要旨とするところは、燐酸、硫酸、弗酸などの無機中性塩溶液にグリセリンを混合して電解液とし、被処理ステンレス鋼を陽極とする直流電解法である。
この方法によれば、上記の溶接などに伴って発生する焼け取り作業が極めて効果的に実施出来るため、過去長期に渡り有効に実用化して来たが、これらの内の弗酸及びその中性塩の使用は、飽くまでもステンレスの溶接などに伴って発生する焼け、つまり酸化鉄、酸化クロムなどを主体とするスケールをより効果的に溶解除去することを目的とし、通電に伴って発生する発生期の弗酸によるスケールの溶解の作用効果を期待したものに過ぎなかった。
ところが、その後多くの研究を重ねているうちに、弗酸の中性塩を配合した電解液を用いて電解焼け取りを施したステンレス鋼には、何故か耐食性特に耐塩素孔食性に優れていることを見出したことから、さらにX線光電子分析装置ESCAなどを用いて精査した結果、酸素のほかに従来のステンレス鋼にはその存在が全く知られていなかった弗素(F)が浸透、拡散し存在していることを発見、さらにその存在は表層のみにとどまらず約数十Åの深部にまで、また処理方法の如何によってはその深度並びに強度も大幅に変化し、それに伴って耐孔食性も順次増強することから、従来の単なるÅ単位の薄い酸素系不動態化膜に比較しCl^(-)に対しより強い含弗素系乃至含弗素・酸素系被膜層を持つステンレス鋼とその製造方法を発明するに至ったものである。
上述の経緯から、本発明の課題に鑑み、問題解決の手段として次の如く提案する。即ちその要旨とするところは、電解液の主剤としては、ステンレス鋼に対し逆に腐食や孔食を発生させる性質のある塩酸や塩化物などは実用に耐えないことは勿論であり、その他沃素、臭素ならびにその塩類も同様に好ましくはないが、これらを除いた硫酸、硝酸、燐酸、クエン酸、酒石酸、蓚酸、酢酸、グルコン酸グリコール酸、コハク酸などの酸若しくはその水溶性塩類の一種若しくは二種類以上に対し、弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩を適宜配合添加した溶液を電解液とし、処理すべきステンレス鋼を直流の陽極に又は直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側か若しくは交流電源の一極側に接続した状態で該電解液中に浸漬し、ステンレス鋼か黒鉛或はタングステン、モリブデン材などの難溶性電極を対極として対向せしめた状態で通電する所謂浸漬電解法を行うか、または他の一方法としては処理すべきステンレス鋼を該電源の一極に接続すると共に、該ステンレス鋼の表面上に於て該対極との間に、天然又は合成、人造繊維よりなる織布若しくは不織布よりなる滞水性物質を介在させさらに該電解液を含浸せしめた状態で該対極をステンレス鋼の表面上で摺動しながら移動し通電処理することにより該ステンレス鋼の表面に対し弗素イオンを拡散、浸透させるものであり、その組成や形状については未だ明らかではないがFとして表面層から数十Å程度の内部にまで浸透させ、耐食性に優れた被膜層を形成させることに成功した。
【0005】
【作用】
上述の電解処理によって得られたステンレス鋼の耐食性については、SUS304の2B材を試片として用い、購入したままの未処理品と比較対照的に本発明方法で処理した各試片を、JISに規定されている10%塩化第二鉄を用いる孔食試験法に基づいて同一条件で2時間浸漬後引き上げて水洗しその切断面と表面との状況を比較したところ、未処理品は、素材メーカーの製造工程に於て従来方式の酸素系不動態化被膜処理が施されているにも拘らず、その表面には若干の孔食が発生、またその切断面については、試片をシャーリング加工した際に該被膜が完全に破壊されていることと、切断に伴って発生した残留応力が原因で無数の孔食の発生が認められたが、これに対し本発明方法に基づく試片については切断面といえども孔食は全く認められず、極めて顕著な差異が認められた。
また上記テストに引続き、購入したままの前記未処理材の表面に、サンドペーパーを掛けたり、或は稀硫酸中に浸漬して該不動態化被膜を故意に破壊した試片について、前記と全く同様の孔食試験を行ったところ、該表面には前述の切断面と同様に無数の孔食の発生が認められ、ステンレス鋼の活性化のおそろしさと、不動態化被膜の防食上の有効性とがよく確認された。
以上のテスト結果が示すように、従来公知の硝酸法に基づいて生成する酸素系不動態化被膜は、該被膜を物理的手段で剥離するか或は稀硫酸のような還元性の酸を用いて溶解除去して所謂活性態となった試片に比べれば、該不動態化膜の効用により或る程度の耐孔食性は認められるものの、ステンレス製品、とりわけその溶接加工製品が、海水や食塩を始めとする塩化物を取扱う産業界に於て多発している無数の孔食事例や、孔食を起点として発生する応力腐食割れ事故が充分それを証明しているように決して完全なものではなく、これに比べて、本発明方法に基づく試片については完璧とも云える程の極めて高い耐孔食性が確認された。
このような耐孔食性を更に追求するために、本発明者が先に特許第1925460号(特公平5-23386)「金属の不動態化効果の簡易測定方法」を権利化し、これに基づき商品化して業界でも広く採用されている商品名「ステンチェッカー」を用いて測定比較したところ、ペーパー掛けした試片は、不動態化電位(起電位)はゼロを示して完全な活性態(0.2V以下)を示すのに対し、購入したままの市販品の2B材は約0.5Vの起電位と、1規定濃度の稀硫酸を用いる電解液中での0.2Vまで低下するまでの維持時間が約30秒程度を示し、通常の不動態化度であることが認められ、またさらに、本発明方法に基づく試片は約0.6?0.7V、約60秒とこれよりも更に高い不動態化電位を示し、やはり同様に従来法よりも更に高い不動態化効果のあることが立証された。
そこで更に、本発明方法に基づく弗素(F)被膜層の存在を立証するために、上記の各試片について、ESCA法による表面層並びにその近傍の元素分析を行ったところ、従来の硝酸法による2B材に於ける不動態化の場合は予想通り酸素(O)が検出され、Fについては、製鉄ラインに於ける不動態化に先だって通常必ず実施されている硝弗酸酸洗に由来するものと考えられるバックグラウンド程度の微量が検出されたのに対し、本発明方法による試片については、Oの存在のほかに、バックグラウンド値を遥かに超えた極めて多量のFが検出されてその存在が立証されたことから上記の各事実と併せて、従来法の定説となっている酸素系よりも塩素に対して遥かに強力な含弗素乃至は含弗素・酸素系不動態化被膜の生成法を発明するに至ったものである。
以上詳述の通り、Cl^(-)が不動態化被膜に吸着しこれを破壊することにより発生する孔食現象も、本発明方法によれば、ステンレス鋼表面から電解法により拡散、浸透させて該表層部付近に形成された含弗素系被膜の作用で、Cl^(-)の侵入を効果的に防御することにより完全に防止されるものであることが明らかとなった。
【0006】
【実施例】
以下に記述する実施例中の素材はすべてオーステナイト系の中でも最も代表的なステンレス鋼種のSUS304の2B材を用いた。
表1は、下記の各実施例に於ける各試片のX線光電子分析ESCA法による各元素分析の諸条件を示すものであり、対象元素としては何れもF,O,C,Fe,Cr,Niについて、夫々最表層部と6Åエッチング後の表面について測定を行い、その内のFとOの光電子スペクトルの変化を取纏めて図1に示した。また表2は、各試片毎の前記各元素のピーク面積と感度係数とから簡易的に求めた各元素の存在割合を示したものである。
実施例1.(比較例)
ステンレスメーカーから購入したまま何ら手を加えない未処理のSUS304の2B材を対象に前述の条件によるESCA分析を行ったところ、図1並びに表2に於ける試料▲1▼に示す如く、極く微量のFが検出されたが、これは前述の製鉄プラントのAPラインに於て使用される酸洗用の硝弗酸処理による影響かとも思考されるもので、本実施例に於けるバックグラウンド値である。
一方、Oの存在は、同じくAPラインの最終工程に於て施される熱硝酸浸漬法による不動態化処理により形成されたものであり、約6Åエッチング後の表面には更により強いピークが検出されることからみても、一般に公知の酸素系不動態化被膜の形成とその存在とが明らかに認められた。
次に、前述のステンチェッカーによる測定値も不動態電位は約0.5V、維持時間も約30秒で、略々通常通りの不動態化状態にあることが確認された。
実施例2.(比較例)
実施例1に於けるSUS304の2B材を、さらに20%の硝酸を60℃に加温した溶液中に5分間浸漬処理し、APラインに於て形成された不動態被膜の上にさらに重ねて従来公知の手段による不動態化処理を施し、同様にESCA分析を行った結果は、図1並びに表2の試料▲2▼に示した如く、Fについては表層部に比べて6Åエッチング面に於ては稍々減少の傾向にあり、また前記ステンチェッカーによる不動態電位の値も略々変化ないことから、市販の2B材を更に幾ら重ねて不動態化処理しても耐食性向上の面では全く効果ないことが立証され、むしろF値は低下を示した。
実施例3.
そこで本発明方法による実施例として、電解液として、硫酸ソーダ15%にクエン酸を5%、さらに弗化ナトリウムを0.5%添加した水溶液を電解液とし、電源器としては直流電源の陽極電圧を15Vとし、これにさらに交流の17Vを重ね合せた交直重乗電流とし、処理すべき前述のSUS304の2B材をこれに接続、他の陰極側には黒鉛を接続して電解液中に対立せしめ3分間通電して電解処理した。
終了後引上げて前記比較例と全く同様にESCA分析を行ったところ、図1並びに表2の各試料▲3▼に示す如く、表層部に於ては勿論、6Åエッチング面に於ては更に多量のFが検出され、可成り深部にまでFが拡散、浸透していることを示し、Oもこれに伴って富化されていることが確認され、不動態化電位も約0.65V、維持時間も60秒まで上昇が認められた。
実施例4.
実施例3に於ける電源器を単純な直流電源の陽極に代え、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲4▼に示す如く、Fについては表層部では実施例3と同等で、6Åエッチング面では稍々低下しているものの、同様に多量のFが浸透していることが確認され、不動態化電位も約0.55V、維持時間も50秒を記録した。
実施例5.
実施例3に於ける電源器を交流電源に代えて、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲5▼に示す如く、Fについてはバックグラウンド値と同じであるが、6Åエッチング後の面では可成りの高い値を示しており、更にエッチングを継続しながらFの検出を続けたところ、約30Å付近でFが消失していることが確認された。なお、不動態化電位の測定結果も0.5V、維持時間は35秒と記録され、一般的には不動態化被膜が形成されにくい交流電解にもかかわらず、Oの測定値も富化されて充分不動態化効果を伴っていることが確認された。
実施例6.
上述の実施例(比較例)1と2、並びに本発明の実施例3,4,5の各条件に基づいて夫々処理して作製した別の試料▲1▼´、▲2▼´、▲3▼´、▲4▼´、▲5▼´について、夫々を塩化第二鉄の10%水溶液を用いる孔食試験法に基づいて、2時間浸漬処理した後の孔食試験結果は、▲1▼´と▲2▼´とについては平方センチメートル当り5乃至6個の孔食発生が認められたが、本発明の実施例3、4、5に基づく試料▲3▼´、▲4▼´、▲5▼´については何れも孔食は全く認められず、完全な耐塩素孔食性のあることが確認された。
実施例7.
次に、実施例6に於ける諸条件と全く同一とし、夫々の試料の条件としては、その中心部をアルゴンTIG溶接を施したうえで実施例6と同様に実施したところ、何れも溶接焼けは全く同程度に除去されたが、更に引続き実施した孔食試験の結果では比較例の試料▲1▼”、▲2▼”については、クロム欠乏現象を伴う溶接周辺部を中心に平方センチメートル当り20乃至25個にも及ぶ夥しい孔食の発生が認められたのに対し、本発明の実施例に基づく試料▲3▼”、▲4▼”、▲5▼”については何れも孔食は認められず、溶接施工に伴う金属組織変化や多少の溶接ヒュームなどの異物の付着状態に於ても、完全に孔食発生防止効果のあることが確認された。
実施例8.
実施例7に於ける電解処理方法について、電解液中に被処理材とその対極とを対向的に浸漬処理する方法に対し、被処理材を交流電源の一極に直接接続し、対極自体はステンレス製とし、その表面に滞水性の布を被せたうえでこれに更に電解液を含浸させ、該処理ステンレス材の表面に直接接触させ、摺動するように処理したところ、浸漬電解法と摺動電解法との間に大差は認められず、むしろ溶接個所の周辺などで金属組織変化を伴うステンレス製品や残留応力の除去が困難な切断面などへの局部的処理に対しては極めて効果的なことが立証され、オーステナイト系ステンレスの溶接加工製品に於けるクロム欠乏層や組織変化を生じた個所に多発する応力腐食割れの防止対策用など局部処理に適用して特に有効な方法である。
実施例9.
電解液の組成について、基材としては硫酸ソーダ、燐酸ソーダ、酒石酸ソーダ、クエン酸ソーダ、蓚酸ソーダ、リンゴ酸ソーダ、酢酸ソーダ、グルコン酸ソーダ、グリコール酸ソーダ、コハク酸ソーダなどが何れも好適で効果の面で大差なく、またソーダ塩に代りカリウム塩やアンモニウム塩を用いても略々同等の効果が、またさらに、前記中性塩に代り夫々の酸を用いたところ、ステンレス鋼表面に対する溶解反応が強過ぎて若干効果は劣るものの、弗素イオンの浸透効果は認められ、pH調整を行うことによりその効果は増強し、何れも濃度的には0.1%付近から飽和濃度付近までが実用的であった。
また一方の添加剤については、弗酸と弗酸のナトリウム、カリウム、アンモニウム塩による比較では略々同等の被膜形成効果のあることが認められ、また添加濃度については0.01%付近乃至それ以上飽和濃度まで効果があり、実用的には0.05%から0.5%程度の濃度が有効なことが認められた。
【0007】
【発明の効果】
本発明は、電気化学的手法により、ステンレス鋼表面乃至その近傍に対し含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることにより、従来極めて困難視されていた耐塩素孔食性の飛躍的改善と、ひいてはオーステナイト系ステンレスの欠点とされている異状腐食や応力腐食割れの防止策の改善を齎したステンレス鋼とその加工方法とを提供するもので、産業上益するところ甚だ大きい。
【図面の簡単な説明】
【図1】
本図は、本発明の各実施例に於ける各試片のESCA光電子スペクトル測定結果の内のFとOに係る表層部と約6Åエッチング後の表面に於ける各スペクトルを示す。


 
訂正の要旨 審決(決定)の【理由】欄参照。
審理終結日 2011-08-11 
結審通知日 2011-08-16 
審決日 2011-09-01 
出願番号 特願2001-321202(P2001-321202)
審決分類 P 1 113・ 121- YA (C25D)
P 1 113・ 113- YA (C25D)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 馳平 憲一  
特許庁審判長 北村 明弘
特許庁審判官 川端 修
鈴木 正紀
登録日 2008-11-21 
登録番号 特許第4218000号(P4218000)
発明の名称 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法  
代理人 有原 幸一  
代理人 松島 鉄男  
代理人 渡辺 篤司  
代理人 松島 鉄男  
代理人 立川 登紀雄  
代理人 奥山 尚一  
代理人 河村 英文  
代理人 玉利 冨二郎  
代理人 河村 英文  
代理人 有原 幸一  
代理人 奥山 尚一  
代理人 渡辺 篤司  

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