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審決分類 審判 全部無効 2項進歩性  C07H
審判 全部無効 1項3号刊行物記載  C07H
審判 全部無効 5項1、2号及び6項 請求の範囲の記載不備  C07H
管理番号 1260658
審判番号 無効2010-800107  
総通号数 153 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2012-09-28 
種別 無効の審決 
審判請求日 2010-06-25 
確定日 2012-03-28 
事件の表示 上記当事者間の特許第3313191号発明「立体選択的グリコシル化法」の特許無効審判事件について,次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は,成り立たない。 審判費用は,請求人の負担とする。 
理由 1.手続の経緯

本件特許第3313191号の請求項1?13に係る発明は,平成5年6月21日(パリ条約による優先権主張1992年6月22日(6件)及び1993年4月7日(6件),いずれも米国)に出願され,平成14年5月31日に特許権の設定登録がなされたものである。
これに対して,請求人は平成22年6月25日に本件特許に対して無効審判を請求し,被請求人は同年11月25日付けで答弁書を提出した。
そして,平成23年4月15日に第1回口頭審理が行われ,これに先立ち請求人は同年4月1日付けで口頭審理陳述要領書を,また被請求人も同日付けで口頭審理陳述要領書を提出し,さらに被請求人は口頭審理の当日に上申書を提出した。
その後,被請求人は平成23年4月28日付けで上申書(2)を提出し,請求人は同年6月13日,7月8日,及び7月25日付けで,それぞれ上申書,上申書(2),上申書(3)を提出した。

2.本件発明

本件特許第3313191号の請求項1?13に係る発明は,特許明細書の特許請求の範囲に記載された事項により特定される次のものである。

「【請求項1】 式:
【化1】


[式中,Tは水素またはフッ素から選択され,Rは群:
【化2】


{ここにR_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(2)はヒドロキシ,ハロ,アジド,1級アミノおよび2級アミノからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキル,およびハロからなる群から選択され,R_(4),R_(5)およびR_(6)は水素,-OH,-NH_(2),-NH(アルキル),ハロ,アルコキシおよびチオアルキルからなる群から独立に選択され,R_(7)は水素,ハロ,シアノ,アルキル,アルコキシ,アルコキシカルボニル,チオアルキル,チオカルボキシアミドおよびカルボキシアミドからなる群から選択され,QはCH,CR_(8)およびNからなる群から選択される(ここにR_(8)はハロ,カルボキシアミド,チオカルボキシアミド,アルコキシカルボニルおよびニトリルからなる群から選択される)}から選択される核酸塩基を表す]で表されるβアノマーに富むヌクレオシドを製造する方法であって,式:
【化3】


[式中,Xはヒドロキシ保護基から独立に選択され,Tは上記と同意義である]で表されるαアノマーに富む炭水化物のスルホニルオキシ基(Y)の,群:
【化4】


【化5】


[式中,R_(1)からR_(7)までとQは上記と同意義であり,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表し,M^(+)はカチオンを表す]から選択される少なくとも1モル等量の核酸塩基(R'')によるS_(N)2置換と,脱保護して式(I)の化合物を生成させることからなる方法。
【請求項2】 R''が群:
【化6】


[式中,R_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキルおよびハロからなる群から選択され,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表す]から選択され,Yがアルキルスルホニルオキシ,アリールスルホニルオキシ,置換アルキルスルホニルオキシおよび置換アリールスルホニルオキシからなる群から選択され,炭水化物濃度が20%以上の溶液中で行い,溶媒が高沸点不活性溶媒である請求項1の方法。
【請求項3】 R''が群:
【化7】


[式中,R_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(2)はヒドロキシ,ハロ,アジド,1級アミノおよび2級アミノからなる群からなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキル,およびハロからなる群から選択され,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表す]から選択され,Yがトリフルオロメタンスルホニルオキシ,1,1,1-トリフルオロエタンスルホニルオキシ,オクタフルオロブタンスルホニルオキシおよびナノフルオロブタンスルホニルオキシからなる群から選択され,反応が低融点不活性溶媒を用いて-120℃から25℃までの温度で行われる請求項1の方法。
【請求項4】 R''が群:
【化8】


[式中,R_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキル,およびハロからなる群から選択され,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表す]から選択され,触媒の存在下で行われ,Yがアルキルスルホニルオキシ,アリールスルホニルオキシ,置換アルキルスルホニルオキシおよび置換アリールスルホニルオキシからなる群から選択される請求項1の方法。
【請求項5】 触媒が,溶媒に実質上可溶性であり,非求核性アニオンを含有する高度にイオン化した塩から選択される請求項4の方法。
【請求項6】 溶媒が極性非求核性溶媒から選択される請求項4または5の方法。
【請求項7】 R''が群:
【化9】


[式中,R_(2)はヒドロキシ,ハロ,アジド,1級アミノおよび2級アミノからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキル,およびハロからなる群から選択され,R_(4),R_(5)およびR_(6)は水素,-OZ,-NHW,N(アルキル)W,ハロ,アルコキシ,およびチオアルキルからなる群から独立に選択され,R_(7)は水素,ハロ,シアノ,アルコキシ,アルコキシカルボニル,チオアルキル,チオカルボキシアミドおよびカルボキシアミドからなる群から選択され,QはCH,CR_(8),およびNからなる群から選択され(ここにR_(8)はハロ,カルボキシアミド,チオカルボキシアミド,アルコキシカルボニル,およびニトリルからなる群から選択される),Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表し,M^(+)はカチオンを表す]から選択され,Yがトリフルオロメタンスルホニルオキシ,1,1,1-トリフルオロエタンスルホニルオキシ,オクタフルオロブタンスルホニルオキシ,およびナノフルオロブタンスルホニルオキシからなる群から選択され,溶媒が低融点不活性溶媒である請求項1の方法。
【請求項8】 溶媒なしで行われ,R''が群:
【化10】


[式中,R_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキルおよびハロからなる群から選択され,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表す]から選択され,Yがアルキルスルホニルオキシ,アリールスルホニルオキシ,置換アルキルスルホニルオキシおよび置換アリールスルホニルオキシからなる群から選択される請求項1の方法。
【請求項9】 反応温度が100℃から160℃までである請求項8の方法。
【請求項10】 R''が群:
【化11】


[式中,R_(1)は水素,アルキル,置換アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(2)はヒドロキシ,ハロ,アジド,1級アミノおよび2級アミノからなる群から選択され,R_(3)は水素,アルキルおよびハロからなる群から選択され,R_(4),R_(5)およびR_(6)は水素,-OZ,-NHW,N(アルキル)W,ハロ,アルコキシおよびチオアルキルからなる群から独立に選択され,R7は水素,ハロ,シアノ,アルキル,アルコキシ,アルコキシカルボニル,チオアルキル,チオカルボキシアミドおよびカルボキシアミドからなる群から選択され,QはCH,CR_(8)およびNからなる群(ここにR_(8)はハロ,カルボキシアミド,チオカルボキシアミド,アルコキシカルボニルおよびニトリルからなる群から選択される)から選択され,Zはヒドロキシ保護基を表し,Wはアミノ保護基を表す]から選択され,Yがアルキルスルホニルオキシ,アリールスルホニルオキシ,置換アルキルスルホニルオキシおよび置換アリールスルホニルオキシからなる群から選択される請求項1の方法。
【請求項11】 式:
【化12】


で表される構造を有する式(I)の化合物を製造するための請求項1ないし請求項10のいずれかの方法。
【請求項12】 式(II)で表される化合物のヒドロキシ保護基(X)がベンゾイルである請求項1ないし請求項11のいずれかの方法。
【請求項13】 式(II)で表される化合物のスルホニルオキシ基(Y)がメタンスルホニルである請求項1ないし請求項12のいずれかの方法。」
(上記請求項1に係る発明を「本件特許発明1」といい,以下,請求項2?13に係る発明を,順次「本件特許発明2」,……,「本件特許発明13」という。なお,これらを総称して「本件特許発明」ということもある。)

3.請求人の主張

これに対して,請求人は,「特許第3313191号を無効とする,審判費用は被請求人の負担とする,」との審決を求め,証拠方法として以下の書証を提出し,本件特許は,
(i)請求項1,8,9,11?13に係る発明が甲第1号証に実質的に記載されたものであって特許法第29条第1項第3号に該当し,
(ii)請求項1?13に係る発明が,(a)甲第2号証と甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せ,(b)甲第8号証と甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せ,又は(c)甲第2号証,甲第8号証及び甲第11号証の組合せに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり,
(iii)請求項2,3,5,及び7の記載が特許法第36条第6項第2号に規定の要件を満足しないため,
特許法第123条第1項第2号及び第4号の規定により無効とされるべきである旨を主張している。(なお,(i)?(iii)の詳細は,後記参照。)

(証拠方法)
甲第1号証:特開昭62-29527号公報
甲第2号証:T. S. Chou, et al., SYNTHESIS, June 1992, pp.565-570 (1992)
甲第2号証の2:甲第2号証の発行日の証明書
甲第3号証:A. J. Hubbard, et al., Nucleic Acids Research, Vol.12, No.17, pp.6827-6837 (1984)
甲第4号証:Hiroshi Kawakami, et al., HETEROCYCLES, Vol.31, No.3, pp.569-574 (1990)
甲第5号証:Henry G. Howell, et al., J. Org. Chem., Vol.53, No.1, pp.85-88 (1988)
甲第6号証:Muzammil M. Mansuri, et al., J. Med. Chem., Vol.30, No.5, pp.867-871 (1987)
甲第7号証:Yogesh S. Sanghvi, et al., NUCLEOSIDES & NUCLEOTIDES, Vol.6, No.4, pp.761-774 (1987)
甲第8号証:特開平1-71894号公報(ただし,印刷された公報は特開昭64-71894号と記載されている。)
甲第9号証:特開平6-56865号公報
甲第10号証:特開平3-170496号公報
甲第11号証:米国特許第5371210号明細書
甲第12号証:カレル教授の意見書
(請求人が提出した参考資料)
参考資料1:特許第3313191号公報
参考資料2:Jerry March, “Advanced Organic Chemistry, Reactions, Mechanisms, and Structure”, Fourth Edition, John Wiley & Sons, pp.293-307, 339-361 (1992)
参考資料3:Heinz Becker, et al., “Organikum - Organisch-chemisches Grundpraktikum 2”, EB Deutscher Verlag der Wissenschaften, Berlin, 15th ed., pp.220-237 (1976)
参考資料4:John McMurry, “Organic Chemistry”, Brooks/Cole Publishing Company, Pacific Grove, California, 2nd edition, pp.328-355 (1988)

4.被請求人の主張

被請求人は,「本件審判の請求は成り立たない。審判費用は請求人の負担とする。」との審決を求め,上記請求人の主張する無効理由は,いずれも理由がないと主張し,以下の証拠方法を提出している。

(証拠方法)
乙第1号証:Bruce Albertsら著,中村桂子ら監訳,「細胞の分子生物学 第4版」,株式会社ニュートンプレス,2004年,第117頁
乙第2号証:L. W. Hertel, et al., J. Org. Chem., Vol.53, No.11, pp.2406-2409 (1988)
乙第3号証:William J. Wheeler, et al., Journal of Labelled Compounds and Radiopharmaceuticals, Vol.XXIX, No.5, pp.583-589 (1991)
乙第4号証:長倉三郎ら編,「岩波 理化学辞典 第5版」,株式会社岩波書店,第5刷,2001年,第660頁
乙第5号証:David I. Ward, et al., Tetrahedron Letters, Vol.34, No.42, pp.6779-6782 (1993)
乙第6号証:Boons教授の鑑定意見書

5.当審の判断
5-1.本件特許発明1について

本件特許発明1,すなわち本件請求項1に係る発明は,以下のとおりである。
「【請求項1】 式:
【化1】


……(略)……
で表されるβアノマーに富むヌクレオシドを製造する方法であって,式:
【化3】


[式中,Xはヒドロキシ保護基から独立に選択され,Tは上記と同意義である]で表されるαアノマーに富む炭水化物のスルホニルオキシ基(Y)の,群:
……(略)……
から選択される少なくとも1モル等量の核酸塩基(R'')によるS_(N)2置換と,脱保護して式(I)の化合物を生成させることからなる方法。」

これに対して,請求人は,本件特許発明1について,次の無効理由を主張している。
(1)甲第1号証に基づく新規性違反(無効理由1)
(2)(a)甲第2号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2A)
(b)甲第8号証と甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2B)
(c)甲第8号証,甲第2号証及び甲第11号証に基づく
進歩性違反(無効理由2C)
以下,順次検討する。

5-1-1.甲第1号証に基づく新規性違反(無効理由1)

請求人は,甲第1号証には,本件特許発明1の全ての構成要件が開示されているため,本件特許発明1は,甲第1号証から新規性がなく,特許法第29条第1項第3号の規定により無効とされるべきものであると主張している。

5-1-1-1.甲第1号証の記載事項
本件優先権主張の日前に頒布されたことが明らかな甲第1号証(特開昭62-29527号公報)には,以下のことが記載されている。
(1a) (第2頁右下欄9行?第3頁右上欄2行)
「より特定的には,本発明は式


のヌクレオシド類又は薬学的に受入れられるその塩による新生物の処置に関する。式中Rは次の構造式をもつ群から選ばれる塩基である。





式中R^(1)は水素,メチル,ブロモ,フルオロ,クロロ又はヨードである。R^(2)はヒドロキシ又はアミノ,R^(3)はクロロ,ブロモ又はヨードである。」
(1b) (第3頁左下欄7行?右下欄1行)
「上に描かれた構造は,本発明化合物類の立体化学を示していない。全構造の化合物類が有用であると考えられ,化合物の立体化学は制限を与えるものと考えられてはならない。しかし,天然に生ずるリボース構造(下記)をもつ化合物類が好ましい。


リボースと塩基との連結点の構造が以下のとおりであるのが,更に好ましい。



(1c) (第11頁左上欄6?13行)
「塩基との効率的な反応を得るために,炭水化物の1-位置に適当な脱離基を置かなければならない。好ましい脱離基はメタンスルホニルであり,これはトリエチルアミン等のような適当な酸除去剤1当量の存在下,メタンスルホニルクロライドとの反応によって容易に提供される。他のスルホニル脱離基も同様に,適当なスルホニルハライドとの反応によって提供される。」
(1d) (第11頁左下欄下から5行?右下欄7行)
「リボースとキシロースは,その環の1-位置にヒドロキシ基をもつ。本発明の炭水化物を塩基と反応させて,本発明の抗腫よう化合物をつくるには,1-位置に脱離基を置かなければならない。脱離基は有機合成に典型的に使用される脱離基である。好ましい脱離基はスルホネートであり,このうち最も好ましいのはメタンスルホネートである。トルエンスルホネート,エタンスルホネート,イソプロパンスルホネート,4-メトキシベンゼンスルホネート,4-ニトロベンゼンスルホネート,2-クロロベンゼンスルホネート,クロロ,及びブロモのような他の典型的な脱離基も使用できる。」
(1e) (第12頁左上欄5?8行)
「要約すると,式Iに包括される化合物類は,2-デスオキシ-2,2-ジフルオロ炭水化物と適当に保護された塩基との標準的なカップリング反応によってつくられる。」
(1f)(第14頁左上欄1?15行)
「実施例5 3,5-ビス(第三ブチルジメチルシリロキシ)-1-メタンスルホニロキシ-2-デソキシ-2,2-ジフルオロリボース
3,5-ビス(第三ブチルジメチルシリロキシ)-2-デソキシ-2,2-ジフルオロリボース0.5g量を,無水ジクロロメタン5ml及びトリエチルアミン0.17g中に溶解した。この溶液に穏やかに冷却しながら塩化メタンスルホニル0.11mlを添加した。窒素下に約25°で3時間かきまぜてから,混合物を真空下に蒸発させ,残留物を酢酸エチル10ml中に取り上げた。溶液を重炭酸ナトリウム飽和水溶液3mlと,次に1N塩酸3ml,水3mlと塩化ナトリウム飽和水溶液3mlで次々に抽出した。次に有機溶液を硫酸ナトリウムで乾燥し,真空下に濃縮すると,望む生成物0.59gが得られた。」
(1g) (第14頁左下欄5行?右下欄4行)
実施例7 1-(4-アミノ-2-オキソ-1H-ピリミジン-1-イル)-2-デソキシ-2,2-ジフルオロリボース
窒素雰囲気下に,乾燥1,2-ジクロロエタン100ml中の3,5-ビス(第三ブチルジメチルシリロキシ)-1-メタンスルホニロキシ-2-デソキシ-2,2-ジフルオロリボース5.0gに,ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシン4.68gを加え,続いてトリフルオロメタンスルホニロキシトリメチルシラン3.96gを加えた。溶液を3?15時間還流させた。反応を室温に冷却し,メタノール2.0mlを加え,懸濁液を約30分かきまぜる。沈殿物をろ過し,ろ液を真空中で乾固まで濃縮する。残留物を塩化メチレンに溶解し,無水HBrで飽和させ,室温で約45分かき混ぜる。混合物を真空中で乾固まで濃縮し,飽和メタノール性アンモニア中に取り上げ,室温で約15時間かき混ぜる。溶液を真空中で乾固まで濃縮し,H_(2)Oですり砕き,水溶液部分を逆相HPLCカラムにかけると,水で溶離する時に望む生成物100mgを生じた。」

5-1-1-2.対比・判断
本件特許発明においては,出発物質が「αアノマーに富む炭水化物」と『αアノマーに富む』と限定されているが,これは,請求項1の式(II)中のD-リボフラノースすなわちリボース構造の1位(Yが結合する部位)において,脱離基となるスルホニルオキシ基Yが,「α位」と「β位」という二つの可能性があるうちのα位側により多く結合した化合物を,出発物質として使用することを意味するものである。
そこで,甲第1号証記載の方法においてこのような立体特異性をもった化合物を出発物質として使用することが記載されているか否かについて検討する。
甲第1号証においては,原料として使用されている炭水化物が,その1位において立体特異性を有している,あるいは,1位に結合する脱離基の結合方向がα位又はβ位のどちらかに偏っているといった直接的な記載はなされていない。
すなわち,例えば,前記「5-1-1-1」で,摘示事項(1c)及び(1d)においては,1位に結合する脱離基の種類や,好ましい脱離基がスルホネートであるといったこと,あるいは,その製法については言及されているものの,該脱離基が結合する部位の立体構造についてまでは言及されていないし,また,(1e)においては,反応に使用される炭水化物が単に「2-デスオキシ-2,2-ジフルオロ炭水化物」とされているだけであって,αやβといった立体特異性を有する旨の記載は何ら伴っていない。さらに,1位にメタンスルホニルオキシ基を導入する反応の具体例を記載した実施例5(摘示事項(1f))においても,立体選択的な合成が行われている旨,あるいは,生成物の立体構造がどちらに偏っているかといった記載は一切なされていないことに加え,実際にかかる炭水化物を用い,核酸塩基とのカップリング反応の具体例を記載した実施例7(摘示事項(1g))においても,使用される炭水化物原料が1位において立体特異性を有している旨の記載は何らなされていない。さらに,甲第1号証の他の記載をみても,出発物質として使用する炭化水素が1位において立体特異性を有している旨の記載は見あたらない。

もっとも,摘示事項(1b)において,
「上に描かれた構造は,本発明化合物類の立体化学を示していない。全構造の化合物類が有用であると考えられ,化合物の立体化学は制限を与えるものと考えられてはならない。しかし,天然に生ずるリボース構造(下記)をもつ化合物類が好ましい。」との記載に続き,式(II)として1位に結合するヒドロキシル基がα位に結合する構造式が示されている。
そこで,ここにおける記載を,以下,詳細に検討する。
「上に描かれた構造は,」というのは,摘示事項(1a)に記載された目的化合物を包括的に示した式Iにおける構造のことであり,該式Iではリボース構造のみならず他の部位の立体構造も含めて,全てについて明らかにされているとはいえないものである。したがって,(1b)において「上に描かれた構造は,本発明化合物類の立体化学を示していない。全構造の化合物類が有用であると考えられ,化合物の立体化学は制限を与えるものと考えられてはならない。」という記載によって,甲第1号証においては,1位のみならず,他の部位も含めてあらゆる立体異性体が,式Iに包括的に含まれことを強調的に表現したものであると解される。このような記載に引き続いて,「しかし,天然に生ずるリボース構造(下記)をもつ化合物類が好ましい。」とされているのであるから,ここでは,式Iによって包括的に示される甲第1号証が対象とする全ての目的化合物(すなわち,1位にR(核酸塩基)が結合したヌクレオシド類)の中にあって,式(II)で示される特定の立体構造(1位のみならず他の部位も含めて)を有する化合物が「好ましい」としているものと解すべきである。すなわち,(1b)で意味しようとしているところは,1位が核酸塩基により置換された目的化合物のヌクレオシドのうち,「好ましい」化合物の立体構造(1位以外の部位も含めて)について,これを糖構造部分のみを取り上げて表現したに過ぎないものであり,このことは,式(II)に引き続いて「リボースと塩基との連結点の構造が以下のとおりであるのが,更に好ましい。」としつつ,式IIIを示して,連結点である1位の構造について,「OH」ではなく「N」の記号に置き換えた構造式が示されていることからも支持されるものである。
要するに,摘示事項(1b)の記載は,あくまで甲第1号証の目的化合物である式Iで示される化合物における「部分構造」として式(II)を示したものであって,甲第1号証で原料として使用される炭水化物の立体構造を特定又は限定しようとするものとは解されないものであり,また,甲第1号証の他の記載によっても,原料として使用される炭水化物の1位の立体特異性について,これを特定又は限定しようとするものと解されないことは,上記したとおりである。

したがって,甲第1号証においては,出発物質として使用する炭水化物の1位の立体構造に関し,「αアノマーに富む」化合物を使用することが記載されているものとすることができない。
よって,その余の点を検討するまでもなく,本件特許発明が甲第1号証に記載された発明であるとすることができない

5-1-2.甲第2号証と甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2A)

請求人は,本件特許発明1は,甲第2号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せから進歩性がなく,特許法第29条第2項の規定により無効とされるべきであると主張している。

5-1-2-1.甲第2号証?甲第7号証の記載事項
本件優先権主張の日前に頒布されたと認められる甲第2号証?甲第7号証には,以下のことが記載されている。なお,甲第2号証?甲第7号証はいずれも英文であるため,訳文を示す。
(i)甲第2号証(T. S. Chou, et al., SYNTHESIS, June 1992, pp.565-570 (1992))
(2a)(第565頁左欄10行?右欄3行)
「潜在的抗がん剤である2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン(1b)^(1)の合成は,最初,Hertel及び共同研究者によって行われた^(2)。しかし,この合成はキログラムスケールの製造には適していない。我々は,同様の合成スキームを用いたが,ヒドロキシル基の保護基として,tert-ブチルメチルシリルよりもベンゾイルを選択した。この改良によって,重要な選択的結晶化,すなわち2aと2bからなるジアステレオマー混合物からの所望のリボノラクトン2aの結晶化が現在可能である。1:1アノマー混合物からのヌクレオシド1bの結晶化も行われた。この1:1アノマー混合物もまた,tert-ブチルジメチルシリルが保護基として使われた場合の1a:1b=4:1混合物と比較すると大きな改良である。これらの成功により,異性体の分離の困難性に対処する製造方法が見いだされた。



(2b)(第566頁左欄「Table.」直後の行?第567頁左欄3行)
「ピリミジンヌクレオシドは,Vorbrueggenプロトコル^(10)に従って10a/bをシリル化ピリミジン誘導体11又は12と反応させることにより作製され,対応するヌクレオシド13a/b又は14a/b^(11)は中程度の収率で得られた。


意義深くも,メシレートのアノマー組成にもかかわらず,両方の場合に2つのアノマーヌクレオシドの1:1混合物が得られた。非分極性溶媒と高温(80?130℃)が,グリコシル化反応の成功のために得られた重要な因子であった。なぜなら,反応が室温でも4日間ジクロロエタン中で行われたとき,13kbarまでの圧力があっても,微量のヌクレオシドが検出されたのみだからである。我々は,オキソニウムイオン中間体15を含むS_(N)1経路を通って反応が進行し,ヌクレオシドアノマーの1:1混合物を生成すると考える。


このメカニズムに対する支持が次の研究から得られた。少量のラクトール9a/bの形成を除き,10bを1,2-ジクロロエタンのみにおいて還流した場合,又は1当量のトリメチルシリルトリフレートを反応混合物に添加した場合に,アノマー生成物は見いだされなかった。同様に,ヌクレオシド14a(α-アノマー)をVorbrueggenのグリコシル化条件に再び付したとき,アノマー生成物14b(β-アノマー)は検出されなかった。さらに,ヌクレオシド1a及び1bをトリアセテートに転換し^(13),Saneyoshi及びYmamaguchiによって2’-デオキシシチジンとチミジンに対して開発されたアノマー化手順^(14)を行ったとき,何のアノマー化も起こらなかった。したがって,我々は,観察されたβ/α比1:1のヌクレオシドは,メシレート出発物質又はヌクレオシド生成物のどちらかのエピマー化の結果ではなく,むしろ支配的な反応メカニズムの帰結であると結論づけた。
13a/b又は14a/bを,メタノール中でアンモニア又はナトリウムメトキシドのいずれかで処理すると,ベンゾイル基が効率的に除去された。アンモニア中の脱ベンゾイル化は段階的に観察することができ,C3’におけるベンゾイル基が最初に除去された^(15)。完全に脱保護されたヌクレオシド1a/bはヌクレオシドのイソプロピルアルコール溶液に濃塩酸を加えることにより,塩酸塩として結晶化させることができた^(16)。この塩もアノマー16a/bの1:1混合物であったが,16bは,水に溶解し,次いで過剰のアセトンをカウンター溶媒として加えることにより,混合物から選択的に結晶化させることができた。この結晶化の選択性は非常に高く一貫しており,99%を超える純粋な16bがほんの一回の結晶化の後に得ることができた。あるいは,β-ヌクレオシド1bは,遊離塩基として1a/b又は16a/bの1:1混合物から選択的に結晶化することができた。このプロセスのジアステレオマー選択性も非常に高かった(>99%)。ヌクレオシド1bは,濃塩酸を使用してpHを調整することにより,16bに再転換させることができた。


塩酸塩は,2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンという一般名であるゲムシタビンの好ましい最終生成剤形である。」
(2c)(第568頁左欄29?42行)
「2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-リボフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート(10a/b):
乾燥CH_(2)Cl_(2)(17L)の9a/b(1679g,0.44mol)の溶液に0℃でEt_(3)N(875mL)を添加し,続いてMeSO_(2)Cl(421mL,1.2当量)を28℃未満で添加した。混合物を23℃で2時間撹拌し,次いで1N HCl,5%NaHCO_(3)及び水それぞれ12Lで洗浄し,乾燥(MgSO_(4))してろ過した。ほとんどの溶媒を除去してから赤茶色の油状物として10a/b(4022g)を得た。……(略)……

10a/b及び11からの2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン(16a/b):
1,2-ジクロロエタン(30L)中のビス(トリメチルシリル)-N-アセチルシトシン^(18)(11;2.92kg,13mol)とMe_(3)SiOTf(2.9kg,13mol)のスラリーを23℃で撹拌した。30℃で1時間放置した後,1,2-ジクロロエタン(10L)中10a/b(3.94kg,8.6mol)を添加し,混合物を終夜還流(83℃)した。HPLC(システムC,保持時間:10aは24.8分;10bは25.6分;13aは15.6分;13bは16.8分)又はTLC(システムB)によって10a/bが検出できない場合,還流を停止した。混合物を40℃に冷却し,水(2×24L),5%NaHCO_(3)(1×24L),ブライン(1×24L)で洗浄し,乾燥し(MgSO_(4)),次いでろ過した。ろ液を濃縮して所望の13a/bを含む泡を得た。
化合物13a/bを次のように脱保護した。MeOH(38L)を添加して泡を溶解した。溶液を12℃に冷却し,1kg(7.1モル当量)のNH_(3)ガスを約2時間溶液にバブリングした。混合物を終夜室温で撹拌した。溶媒と揮発成分を除去し,重量4.16kgのガムを得た。このガムを水(8L)に溶解し,EtOAc(8L)で抽出した。有機層を分離し,水(8L)で洗浄した。あわせた水層をActibon C(790g)で処理し,Hyfloのパッドを通してろ過した。水を除去して重量1.73kgの黄色のガムを得た。HPLC(システムD:1a,7.4分;1b,11.9分)分析により,およそ等しい量の1a/bを含むことが示された。このガムをi-PrOH中(8L)でスラリーにし,70℃に加熱して濃HCl(2L)を一度に1回分量で添加した。ただちに,全ての固体を溶解し,溶液を結晶化しはじめた。結晶をろ過し,i-PrOH(3L)とヘプタン(2L)の氷冷溶液でリンスし,次いで真空乾燥した。……(略)……HPLC分析により,47.3%の16bと52.7%の16aを含むことが示された。」
(2d)(第569頁左欄14行?下から13行)
「10a/b及び12からの2’,2-ジフルオロ-2-デオキシシチジン-3’,5’-ジベンゾエート(14a/b):
新たに調製された1,2,2-トリクロロエタン19(200mL)中ビス(トリエメチルシリル)シトシン(12;90mmol,10gのシトシンから調製)に,Me_(3)SiOTf(19.5g,87.7mmol)を添加した。混合物を室温で30分撹拌した。次いで,メシレート10a/b(25g,54.8mmol)を添加し,混合物として113℃で18時間還流した。反応に続いて行ったTLC(システムB)とHPLC(システムC)により,混合物がα/βヌクレオシド(1.4:1.0)を含むことが示された。混合物を室温に冷却し,真空中で濃縮して残渣を得た。残渣をEtOAc(300mL)に溶解し,水で3回,5%NaHCO_(3)溶液で1回洗浄した。層を分離し,有機スラリーを1/2の体積まで濃縮し,ろ過し,真空乾燥して白色固体を得た。……(略)……
この混合物を,前の2つの実験で示したように,そのHCl塩(16a/b)への転換のために直接使用した。
14bは14aよりもMeOHへの溶解性がかなり低いので,温かい(30?35℃)MeOH中で14a/bをスラリー化し,不溶性14bを収集することにより,純粋な14bを得ることができた(HPLC分析98%)。16aの試料をろ液から回収した(純度97%)。
……(略)……
14a/bから1a/bへの脱保護は,CH_(3)OH中NH_(3)によって実施することができ,濃HCl及びi-PrOHによる1a/bから16a/bへの転換は上記手順に記載の手順に類似していた。」

(ii)甲第3号証(A. J. Hubbard, et al., Nucleic Acids Research, Vol.12, No.17, pp.6827-6837 (1984))
(3a)(第6827頁,要約)
「要約
適切に保護された塩基とクロロ糖とのNMR管中における250MHzでの反応の進行をたどることにより,生成物はクロロ糖のアノマーカーボンにおける配置の反転を有するSN2メカニズムから予想されるものと一致することが示された。β-2’-デオキシヌクレオシドの高収率を達成するために,用いられた結晶性α-クロロ糖は,糖部分のアノマー化が最小限に抑えられるように,迅速に反応しなければならない。塩基が十分に反応性である場合(例えば,5-メチルウラシル,ウラシル),触媒は必要とされず,クロロホルムが好ましい溶媒である。等モル量の反応物質を用いて,ほとんど定量的な収量のヌクレオシドが,1時間以内にβ:α比が4を超えて得ることができる。過剰の塩基により,β:α比は更に高めることができる。反応塩基が少ないと(例えば,5-ニトロウラシル,5-アセチルウラシル),触媒の添加が,糖のアノマー化または分解の速度より縮合の速度を高めることができる。ZnCl_(2)(0.1当量)が十分な結果を与えることが見いだされたが,反応が遅いほど,不可避的に多くのα-2’-デオキシヌクレオシドが形成される。本質的には,純粋なα-2’-デオキシヌクレオシドが,クロロ糖を,塩基の添加前に極性溶媒(アセトニトリル)中に置くことによってアノマー化させて,高収率で単離することができる。」
(3b)(第6828頁6?29行)
「Wittenbergによってシリル基を用いるように修正され^(3),Vorbrueggenによってペルアシル化された糖とフリーデル-クラフツ触媒を用いるように修正された^(4),Hilbert及びJohnsonによるアルコキシピリミジンの使用^(2)の導入により,リボヌクレオシドが高収率で製造できる。しかし,デオキシヌクレオシドの合成に関しては,系統的な研究はほとんど報告されておらず,単離されるものよりはむしろ,そのような縮合において実際に生み出されるものを扱った研究はないようである。糖部分の通常の出発材料は,2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-リボフラノシルクロリド^(5)であり,これは調製するときにα-アノマーの形態で結晶化する^(6)。したがって,2位におけるアシル基の欠如によって起こる立体制御の欠如にもかかわらず,糖のアノマー化を阻止しSN2型の反応を促進するような条件下で縮合が行われ得るならば,高収率のβ-2’-デオキシヌクレオシドを得ることが可能であるはずである。
したがって,我々は,NMR管中で種々の条件下で,α-2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-リボフラノシルクロリド(クロロ糖)による適切に保護された5-メチルウラシル誘導体の縮合に従うことを決定した。このアプローチの利点は,必要な反応物質の濃度が予備スケールで用いられるものと同様であることであり,250MHzでの5-CH_(3)の信号に従うことにより,溶液中で全ての可能な5-メチルウラシル含有化合物をいつでも区別できる。我々は,溶媒,触媒及び他の条件の合理的選択により,非常に高い収率のβ-又はα-ヌクレオシドのどちらかを,ほとんど単独に製造できることを示した。獲得した原理は,以前は調製が困難であった2’-デオキシヌクレオシド,5-ニトロ-2’-デオキシウリジン及び5-アセチル-2’-デオキシウリジンの合成に適用された。」
(3c)(第6830頁最下行?第6831頁10行)
「2,4-ビス-トリメチルシリル-5-メチルピリミジンはアルコシキピリミジンよりもずっと活発であり,それゆえ,有意な反応が生じないベンゼンの場合を除き,全ての溶媒におけるヌクレオシド収率はそれに応じて高い。アセトニトリルの場合,結果(図3)は予想通りのパターンをたどり,反応がむしろ遅く,収率は高いが,大部分はα-ヌクレオシドである。実際には,クロロ糖が溶媒中で核酸添加前にアノマー化されうるとき,それに続く反応はずっと速く,もっぱらα-ヌクレオシドが製造される。この反応の速度は,β-クロロ糖はα-アノマーより反応が速いというという理論への更なる証拠である。[ここで記載される全ての反応において,α-及びβ-アノマーで平衡がとれたという証拠はない]。」
(3d)(第6832頁 図3)
図3には,「様々な条件下での,ビス-トリメチルシリルオキシ-5-メチルウラシルとクロロ塩との縮合」として,図中に,形成されたα-ヌクレオシドの収率(●),β-ヌクレオシドの収率(○),そして,β:α比(……)が示されている。
(3e)(第6834頁 表1)
表1は,「予備スケール反応からのヌクレオシドの反応条件,単離収率及びβ:αの詳細」として,いくつかの場合について,塩基,触媒,溶媒,ヌクレオシドの収率,及びβ:αの値が記載されている。

(iii)甲第4号証(Hiroshi Kawakami, et al., HETEROCYCLES, Vol.31, No.3, pp.569-574 (1990))
(4a)(第569頁下から3行?第570頁5行)
「Hubbardらは,クロロホルム中での2と,塩基の5位に置換基を含むシリル化ウラシル誘導体とのカップリング反応により,主にβ-アノマーが得られると報告した^(7)。我々は,最初に,これらの条件(2当量の3,クロロホルム中,触媒なし,室温,終夜)下で,2と3のカップリング反応を行った。しかし,反応は非立体選択的に進行し,α:β比=44:56のアノマー混合物が得られた。立体選択性を高めるために反応条件を調べ,結果を表に集約した。



(4b)(第570頁 表)
表は,「2-デオキシ-エリスロ-ペントフラノシルクロリド2とシリル化塩基3とのカップリング反応における立体選択性」として,0.25mmolスケール,2mlの溶媒中,室温,終夜の条件化で行われること,また,その際の化合物2と3の割合,添加物,α+βの収率%,及びα:βの立体選択性が記載されている。

(iv)甲第5号証(Henry G. Howell, et al., J. Org. Chem., Vol.53, No.1, pp.85-88 (1988))
(5a)(第86頁左欄 スキームII)




(5b)(第86頁右欄15行?第87頁左欄6行)
「反応条件を適切に制御するとヌクレオシド形成の立体制御が達成できることが,Prystasによって報告された研究^(7b)に基づいて,Foxによって指摘された^(7a)。実際,FoxとRitzmanは,β/α比が溶媒によって変化することを見いだした^(8)。アセトニトリルでは1/1,ジクロロメタンでは3/1,ジクロロエタンでは6/1。最近の報告^(9)は,クロロホルムにおけるカップリング反応がβ-ヌクレオシドの優先性を示す(β/α=3/1)と述べている。Walkerと共同研究者は,2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-α-D-リボフラノシルクロリドの縮合を研究することによって,アノマー比を制御する因子をさらに調べた^(10)。これらの著者は,α-ハロ糖がSN2メカニズムによって単独にβ-ヌクレオシドを形成し,β-ハロ糖へのアノマー化に続くSN2置換の結果としてα-ヌクレオシドが形成すると結論づけた。Walkerはジクロロメタン中のα-クロロ糖の溶液が,3時間で「有意な」量のβ-クロロ糖を生成することを見いだした。ブロモ糖7が乾燥アセトニトリル中で還流されると(18時間),そのNMRスペクトルは変化しないままであり,ジクロロメタン中の試料も同様に30日後に変化していなかった。」
(5c)(第87頁左欄第15?26行)
「異なる極性の溶媒におけるピリミジンによる7の縮合の割合から,最も高いβ/αアノマー比は,より低い誘電率の溶媒で得られることが示される(表I)。α-ヌクレオシドを生成するためのイオン種に介入は,これらの結果及びPrystasによって報告された結果^(7b)と一致する。CCl_(4)中のカップリング反応(還流6日)によって得られるβ/α比は,注目すべき60/1(98%β)であり,純粋なβ-アノマーの再結晶収率は73%を示した。対応するクロロホルムカップリング(還流において18時間後に完了)により,β/α比が20/1(95%β),β-アノマーの単離収率76%の粗生成物が得られた。」
(5d)(第87頁 表I)
表Iは,「異なる極性の溶媒中で調製されたヌクレオシドのアノマー比」として,生成物10a?10dのβ/α比について,反応温度,誘電率,及び反応時間が限定された溶媒ごとに,結果が示されている。
(5e)(第88頁左欄5?18行)
「1-(3’,5’-ジ-O-ベンゾイル-2’-デオキシ-2’-フルオロ-β-D-アラビノフラノシル)-5-エチルウラシル(8c)。2,4-ビス-O-(トリメチルシリル)-5-エチルウラシル(11c)(0.408mol),3,5-ジ-O-ベンゾイル-2-デオキシ-2-フルオロ-α-D-アラビノフラノシルブロミド(7)(0.343mol),及び1.7LのCHCl_(3)(アルコールなし)の溶液を20時間還流下で撹拌した^(12a)。冷却した反応混合物を洗浄し(水,2×2L),乾燥し(NaSO_(4)),溶媒を減圧下で除去した。固体生成物を1.5Lの熱い無水エチルアルコールから再結晶化して126gの8cを得た。融点……(略)……」

(v)甲第6号証(Muzammil M. Mansuri, et al., J. Med. Chem., Vol.30, No.5, pp.867-871 (1987))
(6a)(第868頁左欄下から8行?右欄12行)
「5-エチルウラシル(7)をKaulらの方法に従って調製した^(19)。最小量のDMFによる還流においてヘキサメチルジシラザン(HMDS)中で7を単に加熱するとビス-シリル化塩基8を生成した(スキームI)。以前の実験では,8は蒸留によって単離されたが,過剰のHMDSが除去されると,8は精製せずに直接用いることができる。シリル化化合物をブロモ糖9とカップリングさせた^(20)。反応物質8と9をアセトニトリル中の還流下で2時間加熱すると,所望のβ-アノマー10を優先させ,生成物10と11を3:2の比で63%の収率で得た。関連する2’-クロロシリーズでは,Ritzmannらが,これらの縮合反応は非常に溶媒に依存することを示した^(21,22)。Ritzmannによって述べられている最適条件,すなわち,ジクロロメタン中で8と9を加熱して還流することを用いて,我々は所望のβ-アノマー10を優先させて,その比を6:1に高めることができた。我々は後に,反応がクロロホルム中での還流が行われると,この比は17:1までさらに改善できることを見いだした^(23)。クロロホルム反応における10の単離収率は76%であった。
(6b)(第868頁左上 スキームI)




(6c)(第869頁右欄下から27行?第870頁左欄11行)
「1-(2-デオキシ-2-フルオロ-3,5-ジ-O-ベンゾイル-β-D-アラビノフラノシル)-5-エチルウラシル(10)。手順A。CH_(3)CN(5mL)の8(1.3g,4.5mm)の溶液をCH_(3)CN(5mL)のブロモ糖9^(20)(2g,4.78mM)溶液に添加し,反応混合物を2時間加熱還流させた。反応を氷水で急冷し,次いでCH_(2)Cl_(2)(50mL)を添加した。CH_(2)Cl_(2)溶液を水で洗浄し(2×25mL),乾燥させた(MgSO_(4))。有機溶液をろ過し,次いで濃縮し1.3g(63%)の淡黄色の油状物を得た。この油状物は,分析的なHPLCと1H NMRによってみられるように,2つのアノマー10と11の混合物であった。エタノールからの結晶化により,白い結晶性粉末の所望のβ-アノマー10が得られた(0.8g,38%)。……(略)……
1-(2-デオキシ-2-フルオロ-3,5-ジ-O-ベンゾイル-β-D-アラビノフラノシル)-5-エチルウラシル(10)。手順B。ヘキサメチルジシラザン(96.5mL)と硫酸アンモニウム(4.83g,36mM)を,CH_(3)CN(1.45L)の5-エチルウラシル(7)(57.2g,405mM)懸濁液に添加した。次に反応混合物を3時間加熱還流し,次いで冷却した。次いで,過剰のNH_(3)を除去するために,溶液を減圧下で注意深く撹拌し(アスピレーター),次いで蒸発させて油性の残渣を得た。残渣にクロロホルム(200mL)を添加し,溶液を再び濃縮した。この手順をもう一度繰り返した。粗生成物をCHCl_(3)(300mL)に溶解し,3Lの一口フラスコに移した。これに,新たに調製されたCHCl_(3)(700mL)のブロモ糖9(145g,343mM)溶液を加えた。追加のCHCl_(3)(700mL)を加え,反応混合物を20時間加熱して撹拌しながら還流した。反応混合物を冷却し,次いで水で洗浄した(2×2L)。有機層を乾燥し(Na_(2)SO_(4)),次いで濃縮して,153g(94%)の,2つのアノマーの混合物としてのカップリングされた生成物を得た。粗生成物を熱エタノール(1.5L)に溶解し,溶液を室温で冷却した。64時間後,物質をろ過し,所望の生成物10を白色の結晶固体(126g,76%)として得た。融点149?152℃。」

(vi)甲第7号証(Yogesh S. Sanghvi, et al., NUCLEOSIDES & NUCLEOTIDES, Vol.6, No.4, pp.761-774 (1987))
(7a)(第762頁12?17行)
「この観察を考慮して,我々は,Na塩手順を用いて2のグリコシル化を調べた^(10)。それゆえ,CH_(3)CN中のNaHを添加することによりその場で生成した2のNa塩を1-クロロ-2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-α-D-エリスロ-ペントフラノース(1)で処理し,2つの生成物の混合物を生じた。シリカゲルクロマトグラフィーの後,高Rf化合物(4)が25%収率で,低Rf化合物(3)が28%収率で得られた。」
(7b)(第762頁26?33行)
「しかし,1,2,4-トリアゾール-3-カルボニトリル(5)のグリコシル化により,1-グリコシル異性体が単独で得られることが示され,そして,化合物5が,Na塩法を用いてグリコシル化の立体選択性と組み合わせることのできる部位特異性に使用されうることを示唆した^(10)。CH_(3)CN中のNaHによりその場で生成された5のNa塩を1によって周囲温度で処理した。反応生成物をシリカゲルカラムで精製し,1-(2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-β-D-エリスロ-ペントフラノシル)-1,2,4-トリアゾール-3-カルボニトリル(6)を35%の収率で生じた。」
(7c)(第763頁 図1)
図1には,(7a),(7b),(7d)において記載される化合物の構造式が,以下のとおり記載されている。



(7d)(第769頁下から13行?第770頁3行)
「メチル1-(2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-β-D-エリスロ-ペントフラノシル)-1,2,4-トリアゾール-3-カルボキシレート(3)及びメチル1-(2-デオキシ-3,5-ジ-O-p-トルオイル-β-D-エリスロ-ペントフラノシル)-1,2,4-トリアゾール-5-カルボキシレート(4)。メチル1,2,4-トリアゾール-3-カルボキシレート^(28)(2,1.27g,10mmol)とNaH(油中に60%,0.5g,12.5mmol)との混合部を無水CH_(3)CN(50mL)中,窒素雰囲気下,室温で30分間撹拌した。1の乾燥粉末(3.88g,10mmol)を30分間にわたって少量ずつ添加し,15時間撹拌を続けた。少量の不溶性物質をろ過によって除去した。ろ液を蒸発させることにより油性残渣が得られ,これをシリカゲルカラムに投入した(4×40cm)CHCl_(3):MeOH(98:2,v/v)で溶出すると,2つの主要なヌクレオシドが書かれた順番で単離された。化合物4を,所望の画分の蒸発によって単離して1.2g(25%)を得,これをアンモノリシスの後に特性決定した。化合物3を所望の画分で蒸発後に単離して1.32g(28%)得,これは真の試料^(12)と全ての点で同一であった^(25)。」

5-1-2-2.対比・判断
(1)甲第2号証記載の発明
甲第2号証には,前記「5-1-2-1.」の摘示事項(2a)?(2d),特に(2d)の記載からみて,次の発明(以下,「引用発明2」という。)が記載されているといえる。
「10a/b(2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-リボフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート)と12(ビス(トリエチルシリル)シトシン)とから,14a/b(2’,2-ジフルオロ-2-デオキシシチジン-3’,5’-ジベンゾエート)を製造し,引き続いて脱保護して1a(1bのαアノマー)/1b(2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン)を製造する方法。」

(2)対比
本件特許発明1と引用発明2とを対比する。
まず,引用発明2における「10a/b(2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-リボフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート)」(以下,単に「10a/b」ともいう。)は,本件特許発明1における,Xがヒドロキシ保護基であるベンゾイル基であり,Tがフッ素であり,Yがスルホニルオキシ基である,本件式(II)に対応する化合物であって,「αアノマーに富む」と限定されていないものに対応する。
次に,引用発明2における「12(ビス(トリエチルシリル)シトシン)」(以下,単に「12」ともいう。)は,本件特許発明1の核酸塩基(R'')
のうち,


であって,R_(1)が水素,Wがアミノ保護基であるトリメチルシリル,Zがヒドロキシ保護基であるトリメチルシリルである場合の化合物に相当する。
さらに,引用発明2における「1a(1bのαアノマー)/1b(2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン)」(以下,単に「1a/b」ともいう。)は,本件特許発明における,Tがフッ素であり,Rが


である(R_(1)は水素であり,R_(2)はアミノである。)式(I)のヌクレオシドであって,「βアノマーに富む」と限定されていないものに対応する。
また,甲第2号証の(2d)においては,54.8mmolの10a/bに対して90mmolの12が使用されているから,本件特許発明1でいう「少なくとも1モル当量の核酸塩基」が使用されたことになっている。

したがって,本件特許発明1と引用発明2とは,本件特許発明1における表現を用いると,
「式:


[式中,Tはフッ素であり,Rは


{式中,R_(1)は水素,R_(2)はアミノである}を表す]で表されるヌクレオシドを製造する方法であって,式:


[式中,Xはベンゾイル基であり,Tは上記と同意義である]で表されるメタンスルホニルオキシ基(Y)の,


[式中,R_(1)は水素,Zはトリエチルシリル基,Wはトリエチルシリル基を表す]である少なくとも1モル等量の核酸塩基(R'')による求核置換反応と,脱保護して式(I)の化合物を生成させることからなる方法。」
という点で一致しており(ただし,リボース構造の1位における置換基の立体選択性についてはαアノマー,βアノマーの区別を行うことを意図していない。),以下の点で相違している。
[相違点]
(1)本件特許発明1では式(II)の炭水化物スルホネートが「αアノマーに富む」とされているのに対し,引用発明2ではそのような特定がない点。
(2)本件特許発明1では求核置換反応が「S_(N)2置換」と特定されるのに対し,引用発明2ではそのような特定がない点。
(3)本件特許発明1では式(I)のヌクレオシドが「βアノマーに富む」とされているのに対し,引用発明2ではそのような特定がない点。

(3)検討
S_(N)2置換反応では,立体配置の反転を伴って立体選択的に反応が進行することは周知であり,また,本件発明に係る生成物であるヌクレオシドはβアノマーのほうが好ましいことは既に甲第2号証等により示されているものであるから,上記相違点(2)についての容易想到性を検討すれば,他の相違点(1)及び(3)は,それにともなって従属的に選択される事項といえるので,以下では,相違点(2)を中心としつつ,これら相違点(1)?(3)を一体のものとして検討する。
一般に,立体的に非選択な反応の選択性を高める方法は,必ずしも決まった手法があるわけではなく,個々の反応に対応して適宜種々の工夫が試みられている。例えば,引用発明2のような置換反応において,甲第2号証の記載によれば,反応基質である炭水化物におけるヒドロキシル基の保護基の種類を変えることにより,所望の生成物の選択性が4:1すなわち25%から,1:1すなわち50%にまで改善したとされている(甲第2号証の(2a))が,甲第2号証の(2b)及び乙第2号証の記載(第2407?2408頁)によれば,この変化は専らS_(N)1置換における要因に基づくものであって,S_(N)2置換の割合の増減に基づくものではない。そして,このような試みは必ずしも成功裏に所望の選択性を高める結果に到るものとは限らないというのが技術常識である。このように,反応の選択性を高める方法はS_(N)2置換反応を採用することだけとは限らないし,また,必ずしも所望の選択性が実現できるものとは限らないのがこの分野における技術常識である。
一方,求核置換反応においては,S_(N)1経路による置換反応とS_(N)2経路による置換反応とは,置換反応である点については共通するものの,主経路がS_(N)1経路による置換反応が起きることが確認されたからといって,反応基質及び求核反応剤を変えることなく反応条件を操作するのみでは,必ずしも主経路がS_(N)2経路による置換反応が起きるとは限らないことは技術常識であり,また,S_(N)1経路による置換反応の反応条件を,ある決まった手法に基づいて変更すればS_(N)2経路によるものに変更できるというものでもない。例えば,S_(N)1経路による置換反応は,反応中間体であるカルボカチオンが生成しやすい条件が求められるのに対して,S_(N)2経路による置換反応は,逆にカルボカチオンの生成を極力抑制しつつ,求核反応剤の求核性を高める反応条件が求められることになる。したがって,仮にS_(N)1経路による置換反応をS_(N)2経路によるものに変更することができるとしても,脱離基の種類を含めた反応基質の構造,求核反応剤の種類,それらの化合物間の相互関係や,さらには触媒,溶媒,求核反応物質の当量比等とも複雑に相関する反応条件の変更が必要であり,通常多数の試行錯誤や詳細な条件検討の結果はじめて可能になるといい得るものである。
このような前提を踏まえると,甲第2号証における4:1から1:1まで選択性を高めた方法は,S_(N)1経路かS_(N)2経路かの選択によらない方法であるし,また,上記したように反応の選択性を高める方法は,それぞれの反応に応じた種々の工夫がなされているのであるから,少なくとも甲第2号証の記載のみからでは,引用発明2において所望の生成物の選択性を高めるために,そもそも当業者がS_(N)2経路による置換反応に想到するとはいえないものである。
この点に関して,甲第3号証?甲第7号証において,ハロゲンアニオンを脱離基とするS_(N)2置換反応により,引用発明2における目的化合物と同種のβアノマーのヌクレオシドが得られたことが記載されている。しかし,甲第2号証では「S_(N)1経路を通って……生成すると考える(believe)」旨の記載がなされており(前記摘示事項(2b)参照。),そのことは反応条件や得られた生成物のαアノマーとβアノマーとの比率,すなわちα/β比からみても当業者にとって十分首肯できることであって,また,S_(N)1置換反応とS_(N)2置換反応とでは反応条件の点が大きく異なるものとなる上,S_(N)1置換反応が行われるからといって,脱離基を含めた反応基質及び求核反応剤を変えない場合に,必ずしもS_(N)2置換反応が行われるとも限らないものである。
そうすると,甲第3号証?甲第7号証において,ハロゲンアニオンを脱離基とするS_(N)2置換反応により,引用発明2の目的化合物と同種のβアノマーのヌクレオシドが得られていることから,当業者が,仮に引用発明2において選択性を高めるためにS_(N)2経路による置換反応に想い到ったとしても,甲第2号証では「S_(N)1経路を通って……生成すると考える(believe)」とされており,また,そもそもS_(N)1経路とS_(N)2経路とは反応条件が大きく異なるものである上,脱離基の種類も異なっており,それに伴って各種反応条件が相関しつつ決定されるというのが技術常識であるから,引用発明2の方法に対して,脱離基や求核反応試薬を変えることなく,S_(N)2経路による置換反応に変更しようと検討する際に,甲第3号証?甲第7号証に記載の技術的知見が参考にされることは極めて限定的な部分にとどまるものといわざるを得ないものである。そして,そのような検討の結果,S_(N)1経路からS_(N)2経路に変更することが可能であるか否かも明らかでない上,仮に可能であっても相当な困難が伴うものといえる。
このようなことを考慮すると,引用発明2に係る反応において,原料としてαアノマーに富む炭水化物スルホネートを用いて,これと求核反応剤である核酸塩基とを使用して,S_(N)2置換反応を行わせて,その結果βアノマーに富むヌクレオシドを製造することは,当業者といえども容易にはなし得ないと解すべきである。
すなわち,甲第2号証の記載と,甲第3号証?甲第7号証の記載をいかに組み合わせたとしても,本件特許発明1の進歩性を否定することはできない。

ところで,この点に関し,請求人は口頭審理陳述要領書及び上申書において,以下の旨を主張している。
(ア)甲第2号証に記載の反応がSN1機構のみで進行したとする根拠は存在せず,SN2機構の存在を無視することはできない。そして,SN1置換反応とSN2置換反応の進行を調整するための反応条件は当該技術分野で広く知られたものであるから,甲第2号証に記載の反応をSN2置換反応とするための条件を検討することは当業者にとり容易である。
(イ)被請求人は,ハロゲンに変えてスルホニルオキシを脱離基として用いた場合に,立体選択的にβアノマーを得ることが可能なSN2置換反応が生じることは知られておらず,SN2置換反応を行うための反応条件を容易に決定することができない旨を主張するが,本件特許明細書では脱離基としてスルホニルオキシのみならず,臭素及びヨウ素等のハロゲンを使用した合成例も記載され,両者が同等のものとして開示しているのであるから,被請求人の主張は明細書に基づいた基準と異なるものであって,適切ではない。

しかしながら,以下のとおり,これらの主張はいずれも採用することができないものである。
(ア)について
上記したように,甲第2号証では「S_(N)1経路を通って……生成すると考える(believe)」旨の記載がなされており,しかも反応条件及び反応結果を併せ考えれば,当業者ならばS_(N)1経路による旨の記載を肯定的に理解することは明らかであり,また,「SN1置換反応とSN2置換反応の進行を調整するための反応条件は当該技術分野で広く知られたものである」といっても,それは大まかな方向性の指針が示されているに過ぎず,実際の検討に際しては,個別の反応基質及び求核反応試薬に応じた,複雑に相関する多数の選択肢の中から改めて反応条件を検討する必要があり,さらにそのような検討の結果,必ずS_(N)1置換反応をS_(N)2置換反応に変更できる,というわけでもないことも上記したとおりである。
したがって,確かに,請求人が指摘するように,甲第2号証に記載の反応においては,技術的により正確を期すならば「SN2機構の存在を無視することはできない」ということはできるものの,その割合はきわめて小さなものであると考えられる上,この反応をS_(N)2経路を主とするものに変更することは,当業者にとって容易になし得るとは,到底いえないものである。
(イ)について
たとえ本件特許明細書において,スルホニルオキシ基を脱離基とするS_(N)2置換反応と臭素やヨウ素を脱離基とするS_(N)2置換反応とが同等のものとして記載されているとしても,請求人が無効理由として主張するのは,甲第2号証と甲第3号証?甲第7号証の記載とを組み合わせて,当業者が本件特許発明1を容易に発明することができたというものであって,そのようなことがいえないことは,上記したとおりである。本件特許発明の進歩性の判断に際し,いまだ公知とはなっていない本件特許明細書に記載事項を直接引用することは適切でないことはいうまでもないことであり,請求人が指摘した本件明細書の記載は,上記進歩性の判断に際し考慮されるべきものではない。

したがって,本件特許発明1は,甲第2号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せによって,進歩性を否定することはできない。

5-1-3.甲第8号証と甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2B)

請求人は,本件特許発明1は,甲第8号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せから進歩性がなく,特許法第29条第2項の規定により無効とされるべきであると主張している。

5-1-3-1.甲第3号証?甲第8号証の記載事項
甲第3号証?甲第7号証に関する記載については,前記「5-1-2-2.」の(ii)?(vi)を参照する。

そして,本件優先権主張の日前に頒布されたことが明らかな甲第8号証(特開平1-71894号公報)には,以下のことが記載されている。
(8a)(第2頁左上欄16行?第3頁左上欄最下行,請求項4?10)
「4.α/β-アノマー比が約1:1である式:


[式中,Bは


で示される塩基;
XはNまたはC-R^(4);
R^(1)はヒドロキシまたはアミノ;
R^(2)はブロモ,クロロまたはヨード;


R^(4)は水素,C_(1)?C_(4)アルキル,アミノ,ブロモ,フルオロまたはヨード;
R^(5)は水素またはC_(1)?C_(4)アルキル;
を表わす]
で示される2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシドを製造するに当り,式:


[式中,Lは脱離される基を表わす]
で示される保護された炭水化物を,B-Hで示される適当な塩基と反応させ,強塩基または適度の強塩基との反応によりベンゾイル保護基を脱離させることを特徴とする前記2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシドの製造法。
5.Bが式:


[式中,XはC-R^(4);R^(3)およびR^(4)は水素を表す]
で示される基である請求項4記載の製造法。
6.α/β-アノマー比が約1:1である2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩のアノマー混合物を熱水に溶解し,アセトンを加え,この溶液を約-10℃?50℃の温度に冷やし,沈澱した固体を集めることを特徴とする,少なくとも約80.0%純度のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を選択的に単離する方法。
7.引き続き,上記約80.0%より大なる純度のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を熱水に溶解し,アセトンを加え,この溶液を約-10℃?50℃の温度に冷やし,沈澱した固体を集めることからなる処理段階を包含する約99.0%純度のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を選択的に単離する請求項6記載の方法。
8.α/β-アノマー比が約1:1である2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンまたはその有機酸もしくは無機酸付加塩のアノマー混合物を熱水に溶解し,この水性溶液のpHを約7.0?9.0に上昇させ,この溶液を約-10℃?30℃の温度に冷やし,沈澱した固体を集めることを特徴とする,約99.0%純度のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンを選択的に単離する方法。
9.(a)α/β-アノマー比が約1:1である2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンまたはその有機酸もしくは無機酸付加塩のアノマー混合物を熱水に溶解し,この水性溶液のpHを約7.0?9.0に上昇させ,この溶液を約-10℃?30℃の温度に冷やし,沈澱した固体を集め,
(b)集めた固体を熱水に溶解し,この溶液に薬学的に許容される有機酸または無機酸を加え,この溶液を約-10℃?40℃の温度に冷やし,沈澱した固体を集めることを特徴とする,約99.0%純度のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンの薬学的に許容される有機酸もしくは無機酸付加塩を選択的に単離する方法。
10.水性溶液のpHを約8.0?8.5に上昇させる請求項8または9記載の方法。」
(8b)(第4頁右下欄5?13行)
「本発明は,従来必要としたカラムクロマトグラフィーによる膨大な精製を行なう必要がなく所望のエリトロ形およびβ-立体化学構造を有する2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシド類を得るための好都合な製造法を提供するものである。加うるに本発明は,従来可能であった収量より高い収率で所望のエリトロ形およびβ-立体化学構造を有する2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシド類を得る方法を提供する。」
(8c)(第5頁左下欄7行?第6頁左上欄6行)
「更に本発明の実施態様は,式:


で示される塩基;
XはNまたはC-R^(4);
R^(1)はヒドロキシまたはアミノ;
R^(2)はブロモ,クロロまたはヨード;


R^(4)は水素,C_(1)?C_(4)アルキル,アミノ,ブロモ,フルオロまたはヨード;
R^(5)は水素またはC_(1)?C_(4)アルキル;
を表わす]
で示される2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシドを製造するに当り,式:


[式中,Lは脱離される基を表わす]
で示される保護された炭水化物を,B-Hで示される適当な塩基と反応させ,強い塩基または適度の強い塩基と反応させることによりベンゾイル保護基を脱離させることから成るα/β-アノマー比が約1:1である前記2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシドの製造法に存する。本発明の製造法により得られるα/β-アノマー比(1:1)は,従来の製造法により得られるα/β-アノマー比(4:1)に対比させるのが好都合である。」
(8d)(第9頁左上欄12行?右下欄最下行)
「保護されたラクトンのエリトロ形光学的対掌体を上記のように単離し,これを米国特許第4,526,988号に開示された方法により式:


[式中,Lは脱離される基を表わす]
で示される化合物に変換する。適当な脱離される基は,メタンスルホネート基,トルエンスルホネート基,エタンスルホネート基,イソプロパンスルホネート基,4-メトキシベンゼンスルホネート基,4-ニトロベンゼンスルホネート基,2-クロロベンゼンスルホネート基などのようなスルホネート基,クロロ,ブルモなどのようなハロゲンおよび関連する他の脱離される基を包含する。本発明の方法のための脱離される基のうち好ましい基はメタンスルホネート基である。
上記脱離される基を有する化合物を,本発明の方法により式:


[式中,XはNまたはC-R^(4);
R^(1)はヒドロキシまたはアミノ;
R^(2)はブロモ,クロロまたはヨード;


R^(4)は水素,C_(1)?C_(4)アルキル,アミノ,ブロモ,フルオロまたはヨード;
R^(5)は水素またはC_(1)?C_(4)アルキル;
を表わす]
で示される塩基と反応させて,α/β-アノマー比(約1:1)の2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシドを得る。
上記塩基は有機化学に関する技術者に通常知られた化合物であって,その合成法を説明する必要はない。しかし数種の塩基に存在する第一アミノ基は,この塩基を炭水化物とカップリングさせる前に保護されるべきである。通常のアミノ保護基たとえばトリメチルシリル,イソプロピルジメチルシリル,メチルジイソプロピルシリル,トリイソプロピルシリル,t-ブチルジメチルシリル,t-ブトキシカルボニル,ベンジルオキシカルボニル,4-メトキシベンジルオキシカルボニル,4-ニトロベンジルオキシカルボニル,ホルミル,アセチルなどのようなアミノ保護基を,プロテクテイブ・グループス・イン・オーガニック・ケミストリー(Protective Groups in Organic Chemistry),マッコミー(McOmie)編,ニューヨーク在プレナム・プレス(Plenum Press,N.Y.)(1973年);およびプロテクテイブ・グループス・イン・オーガニック・シンセシス(Protective Groups in Organic Synthesis),ニューヨーク在ジュン・ウイリー・アンド・サンズ(John Wiley and Sons,N.Y.(1981年)のような教科書に説明されている方法に従って使用することができる。
塩基の芳香族性を増大させ,それにより塩基の攻撃で炭水化物との結合をより容易にするため,塩基上のケト型酸素原子をエノール型に変換するのがしばしば適当である。好ましくは前記シリル保護基で酸素原子がエノール化される。」
(8e)(第10頁左上欄1行?第11頁右下欄11行)
「塩基と炭水化物の間のカップリング反応は,米国特許第4,526,988号に開示されている方法に従って行なうことができる。好ましいカップリング処理は,トリメチルシリルトリフレート(trimethylsilyltriflate)のような反応開始剤および1,2-ジクロロエタンのような溶媒を用い,約20?100℃の温度で行なわれる。約20?100℃で反応させるとき,約2?20時間でカップリング反応が実質的に完結し,保護されたヌクレオシド体がα/β-アノマー(約1:1)の比で得られる。
保護基を脱離させることにより同様のアノマー比を有する保護されていないヌクレオシド体が得られる。シリル部分を有する大概のアミノ保護基は水またはアルコールのような極性溶媒を用いて容易に脱離される。ベンゾイル部分を有するヒドロキシ保護基およびアシル部分を有するアミノ保護基は,強塩基または適度に強い塩基を用い,約0?100℃で加水分解することにより脱離される。この反応に用いるために適当な強塩基または適度に強い塩基は,pKa(25℃における)約8.5?20.0を有する塩基である。かかる塩基は,水酸化ナトリウム,水酸化カリウムのような水酸化アルカリ金属;ナトリウムメトキシドまたはカリウムt-ブトキシドのようなアルカリ金属アルコキシド;ジエチルアミン,ヒドロキシルアミン,アンモニアなどのようなアミン類;およびヒドラジンなどのような他の通常の塩基を包含する。好ましくはこの反応において保護基を除くため,アンモニアを用い,約10℃で反応させる。脱離させるべき保護基1個当り少なくとも1モル当量の塩基が必要である。この反応において過剰量の塩基を使用するのが好ましい。しかし保護基を脱離させるために使用する過剰量の塩基は決定的要件ではない。
ヒドロキシ保護基およびアミノ保護基の脱離は,アルコール溶媒,特にメタノールのような水性アルコール中で行なうのが好都合である。しかしこの反応はまた,エチレングリコールを含むポリオール類,テトラヒドロフランのようなエーテル類,アセトンおよびメチルエチルケトンのようなケトン類またはジメチルスルホキシドのような好都合な溶媒中で進行させることができる。
2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロヌクレオシド類を製造する好ましい方法は,塩基成分として式:


で示されるシトシンを用い,2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンをα/β-アノマー(1:1)混合物として得る方法である。
前記のように本発明は,2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンのα/β-アノマー(約1:1)混合物から,最終的にβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンまたはその有機酸もしくは無機酸付加塩を約99.0%純度で選択的に単離する方法を提供する。
β-アノマーを選択的に単離する一つの方法は,出発物質としてα/β-アノマー(1:1)混合物の塩酸塩または臭化水素酸塩を使用する方法である。α/β混合物の塩酸塩または臭化水素酸塩は,α/β(1:1)混合物をイソプロパノールと合し,要すれば加熱してアノマー混合物を溶媒に溶解することにより単離される。イソプロパノールの使用量は重要ではないが,塩酸または臭化水素酸付加終了後のアノマー混合物を完全に溶解させるのに充分量であって,しかも結晶化および単離の間における過剰の生成物損失を避けることができるような最少量とすべきである。イソプロパノールの好ましい使用量は,アノマー混合物g当り溶媒約2?12mlである。
アノマー混合物が実質的に溶媒に溶解したら,塩酸または臭化水素酸を加えてαおよびβ-アノマーのそれぞれ塩酸塩または臭化水素酸塩を製造する。イソプロパノール溶液に酸を加えた後,未溶解アノマー混合物を溶解させる。試薬級液体濃塩酸および水性48%臭化水素酸は,塩酸または臭化水素酸・αおよびβ塩の製造に使用するための好ましい型の塩酸および臭化水素酸である。酸の添加量は,アノマー混合物に対して少なくともわずかに過剰量の酸を使用する限り重要なことではない。アノマー混合物の1モル当量に対して塩酸または臭化水素酸2モル当量を使用するのが好ましい。
酸を加えた後,αおよびβ-塩酸塩または臭化水素酸塩が結晶化し始める。塩酸塩または臭化水素酸塩の製造において,α/β-アノマー(1:1)混合物少量たとえば5.0g以下を使用する場合,α-アノマーに比較してβ-アノマーが選択的に結晶化する。このようにただ単にα/β-アノマー(1:1)混合物をイソプロパノールを合し,混合物に塩酸または臭化水素酸を加え,この溶液を約-10℃?50℃に冷やし,沈澱した固体を集めることにより,α/β-アノマー(1:1)混合物少量を精製してα/β-アノマー比少なくとも約(1:4)の2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を得ることができる。
しかし,より多量のα/β-アノマー(1:1)混合物を使用して塩酸塩または臭化水素酸塩を製造するとき,α塩およびβ塩は,α/β混合物中に存在する比率とほぼ同一の(1:1)比で沈澱する。α塩とβ塩を高収率で得るためには,溶液を約-10℃?50℃に冷やすべきである。以下に説明するように,溶液から沈澱したα/β(約1:1)の2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を,標準的単離方法,典型的には濾過処理により単離し,精製してほぼ99.0%のβ-アノマーを得ることができる。
最初,α/β-アノマー(1:1)塩混合物を熱水に溶解する。熱水の温度は重要ではないが,水温は約50℃?ほぼ還流温度(100℃)であるのが好ましい。好ましい熱水温は約80℃である。水中のアノマー塩混合物の濃度は,全溶解を確実にするのに充分量の水を使用する限り重要ではない。使用する水の量は,結晶化および単離の間の生成物の過剰な損失を避けることができる範囲で最小限であるのが好ましい。水中のアノマー塩混合物の適当な濃度は,水ml当り混合物約50?400mgの範囲で変えられる。β-アノマーの単離に使用する好ましい濃度は水ml当りアノマー塩混合物約200mgである。
アノマー塩混合物を水に溶解したら,この熱溶液にアセトンを加えて溶媒混合物を調製造する。溶媒混合物の組成は水1容量部に対してアセトン約7?30容量部の範囲で変えることができる。アセトン:水の組成(約12:1)(v:v)であるのが好ましい。アセトン添加後,β-アノマーが結晶化し始める。β-アノマーを高収率で得るため,溶液を約-10℃?50℃,好ましくは約0?15℃に冷やすべきである。冷溶液を所望の温度に保持しながら約30分?約24時間撹拌し,標準的単離法,典型的には濾過処理により溶液からα/β-アノマー比少なくとも約1:4の2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を単離する。
このように単離したアノマー(1:4)混合物を,必要に応じて前記α/β-アノマー(1:4)混合物の製造で行なった処理を繰返すことにより更に精製することができる。このようにして得られた純度少なくとも80.0%のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を熱水に溶解し,アセトンを加え,溶液を約-10℃?50℃に冷やし,沈澱した固体を集めることにより,純度ほぼ99.0%のβ-2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン塩酸塩または臭化水素酸塩を得ることができる。」
(8f)(第16頁右下欄下から2行?第17頁右下欄8行,実施例7,8)
「実施例7
2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンのα/β-アノマー(1:1)混合物の製造
1,2-ジクロロエタン250mlを入れた500ml三頚丸底フラスコに,2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-erythro-ペントフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート15.00g(32.88ミリモル),ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシン15.65g(52.60ミリモル)およびトリフルオロメタンスルホニルオキシトリメチルシラン9.50g(42.74ミリモル)を加える。この溶液を還流温度(84℃)に約8時間加熱する。反応溶液を室温(22℃)に冷やし,5重量%の塩酸溶液100mlを加える。約5分間撹拌後,各層を分離し,水層を塩化メチレン25mlで洗う。有機層を合して順次,5重量%炭酸水素ナトリウム溶液100mlと飽和食塩溶液100mlで洗う。得られた有機層を無水硫酸マグネシウムで乾燥し,減圧下に濃縮して泡状物質を得る。
メタノール150mlを加えて泡状物を溶解する。溶液を約0℃に冷やす。溶液にアンモニアガスを約1分通して発泡させる。減圧下に揮発成分を除いてガム状物質を得る。ガム状物質を酢酸エチル100mlと水100mlに溶解する。各層を分離して有機層を水25mlで洗う。双方の水層を合してジエチルエーテル100mlで洗い,水溶液を減圧下に濃縮してガム状物質を得る。メタノール約10mlを加えてガム状物質を溶解する。この溶液を減圧下に濃縮乾固し,2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン4.14gを得る。
生成物をHPLCにより真正な対照標準化合物と比較し,次のようにその特性決定を行なった。生成物3mgを5mlメスフラスコに入れ,0.1N塩酸で容量希釈する。カラムをメタノール5容量%と0.04M酢酸ナトリウム95容量%から成る溶離剤で溶離する。使用するカラムは25cm・YMC型A-303である。検出器波長275nm,カラム流速1.0ml/分,注入容量20μlおよびカラム温度は雰囲気温度(22℃)である。HPLC試験により,2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンのα/β-アノマー(約1:1)混合物として,生成物を確定した。」

5-1-3-2.対比・判断
(1)甲第8号証記載の発明
甲第8号証には,前記「5-1-3-1.」の摘示事項(8a)?(8f)の記載からみて,次の発明(以下,「引用発明8」という。)が記載されていると認められる。
「2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-erythro-ペントフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネートを,ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシンと反応させ,強塩基または適度の強塩基との反応によりベンゾイル保護基を脱離させて,α/β-アノマー比が約1:1である2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジンを製造する方法。」

(2)対比
本件特許発明1と引用発明8とを対比する。
引用発明8の「2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-erythro-ペントフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート」は,前記「5-1-3-1.」の摘示事項(8a),(8c),(8d)に記載の式:


で表される構造を有し,Lがメタンスルホネート基である化合物にあたり,リボース構造の1位における置換基の立体選択性は特に限定されていない。そして,メタンスルホネート基はメタンスルホニルオキシ基であり,スルホニルオキシ基の一つにあたるとともに,ベンゾイル保護基は置換反応後に脱離されるものであり,リボース構造の3位,5位のヒドロキシル基の保護基にあたる。そうすると,引用発明8の「2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-erythro-ペントフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート」は,リボース構造の1位における置換基の立体選択性の点を除き,本件特許発明1の式(II)において,Xがベンゾイル保護基,Yがメタンスルホニルオキシ基であるものに相当する。
引用発明8の「ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシン」について,前記「5-1-3-1.」の摘示事項(8d)?(8f)の記載をみると,置換反応前に結合しているトリメチルシリル基及びアセチル基は置換反応後に脱離されているので,シトシンのアミノ基及びオキソ基の保護基にあたる。そして,前記「5-1-1-2.」の(2)で検討したように,本件特許明細書には,核酸塩基(R'')におけるアミノ基やケト酸素原子の保護基として種々のものが挙げられるとともに,段落【0031】において,具体的な核酸塩基(R'')として「ビストリメチルシリル-N-アセチルシトシン」が記載されている。そうすると,引用発明8の「ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシン」は,本件特許発明1の


で,R_(1)が水素,「-OZ」がトリメチルシリルオキシ基であり,「-NHW」はアミノ基やアセチルやトリメチルシリル基で保護したものに相当する。
引用発明8の「2’-デオキシ-2’,2’-ジフルオロシチジン」は,リボース構造の1位における置換基の立体選択性の点を除き,本件特許発明1の式(I)で表されるヌクレオシドにおいて,Tがフッ素,Rが


という構造であって,R_(1)が水素,R_(2)がアミノであるものに相当する。
引用発明8に関し,前記「5-1-3-1.」の摘示事項(8f)の記載をみると,反応時に「2-デオキシ-2,2-ジフルオロ-D-erythro-ペントフラノース-3,5-ジベンゾエート-1-メタンスルホネート」は32.88ミリモル,「ビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシン」は52.60ミリモル使用されており,反応において核酸塩基が少なくとも1モル等量使用されたことが明らかである。

したがって,本件特許発明1と引用発明8とは,本件特許発明1における表現を用いると,
「式:


[式中,Tはフッ素であり,Rは


{式中,R_(1)は水素,R_(2)はアミノをあらわす}を表す]で表されるヌクレオシドを製造する方法であって,式:


[式中,Xはベンゾイル保護基であり,Tは上記と同意義である]で表されるメタンスルホニルオキシ基(Y)の,すくなくとも1モル等量のビス-トリメチルシリル-N-アセチルシトシンである核酸塩基(R'')による置換反応と,脱保護して(I)の化合物を生成させることからなる方法。」という点で一致しており,(ただし,リボース構造の1位における置換基の立体選択性についてはαアノマー,βアノマーの区別を行うことを意図していない。),以下の点で相違している。
[相違点]
(1)本件特許発明1では式(II)の炭水化物スルホネートが「αアノマーに富む」とされているのに対し,引用発明8ではそのような特定がない点。
(2)本件特許発明1では求核置換反応が「S_(N)2置換」と特定されるのに対し,引用発明8ではそのような特定がない点。
(3)本件特許発明1では式(I)のヌクレオシドが「βアノマーに富む」とされているのに対し,引用発明8ではそのような特定がない点。

(3)検討
S_(N)2置換反応は,立体配置の反転を伴って立体選択的に反応が進行することは周知であり,また,本件発明に係る生成物であるヌクレオシドはβアノマーのほうが好ましいことは既に甲第2号証等により示されているものであるから,上記相違点(2)についての容易想到性を検討すれば,他の相違点(1)及び(3)は,それにともなって従属的に選択される事項といえるので,以下では,相違点(2)を中心としつつ,これら相違点(1)?(3)を一体のものとして検討する。
また,ここにおいても,上記「5-1-2-2.(3)」で述べたような,反応の立体選択性やS_(N)1置換反応及びS_(N)2置換反応に関する技術常識を踏まえて,以下検討する。
立体的に非選択な反応において,所望の目的化合物の選択性を高める方法は,S_(N)2経路による置換反応に限らず,例えば,S_(N)1経路による置換反応で立体障害を利用した方法なども知られている。また,甲第8号証には,引用発明8の反応機構について何ら言及されていない。そうすると,甲第8号証の記載の範囲内では,引用発明8に係る反応において所望の目的化合物の選択性を高めるために,当業者が必ずしもS_(N)2経路による置換反応を行わせようとするものとはいえない。
次に,甲第3号証?甲第7号証において,ハロゲンアニオンを脱離基とする糖化合物と核酸塩基とによるS_(N)2置換反応により,βアノマーのヌクレオシド類を合成する方法が記載されているので,このようなS_(N)2置換反応と引用発明8に係る反応との関係について検討する。
甲第8号証には引用発明8に係る反応の機構等に関し明記されていないことは上記したとおりであるが,その実施例等の記載を詳細に検討すると,当業者ならば以下のような解釈をし得るものといえる。
すなわち,引用発明8に係る反応は,その原料化合物と生成物から見て求核置換反応であることは明らかであり,また,一般にそのような求核置換反応の場合,S_(N)1置換反応では反応中間体のカルボカチオンの生成しやすさ及び安定性が求められることから,中性?酸性の条件が選択されるのに対し,S_(N)2置換反応では,逆にカルボカチオンの生成を抑制しつつ求核反応剤の求核性を高めるために,中性?塩基性条件が採用されることは技術常識といえる。そのような技術常識を踏まえると,脱離基自体がスルホニルオキシ基という脱離しやすい性質のものであるうえ,甲第8号証の実施例7での条件は「トリフルオロメタンスルホニルオキシトリメチルシラン」という,カップリング反応での反応開始剤にあたる酸性触媒を使用するものであって(摘示事項(8e)及び(8f)参照。),しかも生成物のα/β比が約1:1の混合物であるというのであるから,このような記載を総合的に参酌すると,当業者ならば引用発明8はS_(N)1経路による置換反応であると解釈するものといえる。
そうすると,甲第3号証?甲第7号証においてハロゲンアニオンを脱離基とするS_(N)2置換反応により引用発明8と同種のβアノマーのヌクレオシド類が選択的に得られていることから,当業者が,仮に引用発明8において選択性を高めるためにS_(N)2経路による置換反応に想い到ったとしても,甲第8号証記載の反応はS_(N)1経路による置換反応であると解釈され,そもそもS_(N)1経路とS_(N)2経路とは反応条件が大きく異なるものである上,脱離基の種類も異なっておりそれに伴って各種反応条件が相関しつつ決定されるというのが技術常識であるから,引用発明8の方法に対して,脱離基や求核反応試薬を変えることなく,S_(N)2経路による置換反応に変更しようと検討する際に,甲第3号証?甲第7号証に記載の技術的知見が参考にされることは極めて限定的な部分にとどまるものといわざるを得ないものである。そして,そのような検討の結果,S_(N)1経路からS_(N)2経路に変更することが可能であるか否かも明らかでない上,仮に可能であっても相当な困難が伴うものといえる。
したがって,甲第8号証の記載と,甲第3号証?甲第7号証の記載とをいかに組み合わせたとしても,本件特許発明1の進歩性を否定することはできない。

ところで,この点に関し,請求人は甲第9号証(本件特許と同日の出願を基礎としたパリ条約による優先権主張を伴う,被請求人自身の出願に基づく特許文献)には,αアノマーに富むリボフラノシルスルホネートは,クロマトグラフィー又は抽出などの当該技術分野公知の方法で単離することができることが記載されているように,本件優先日の時点において,出発物質であるαアノマーに富んだリボフラノシルスルホナートは通常の方法により得られるものであったことは出願人自身が認めていることである旨を主張している。

しかしながら,上記したように,引用発明8において,生成物(βアノマー)の選択性を高めるために,S_(N)2経路による置換反応を行わせることが,当業者が容易にはなし得るとはいえないので,仮に原料となるαアノマーが入手できたとしても,そのことのみでS_(N)2置換反応への変更が可能となるものではなく,反応条件についての相当の困難を伴う検討が必要となるものであるから,請求人の上記主張によっては,当業者が甲第8号証及び甲第3号証?甲第7号証の記載に基づいて本件特許発明1を容易になし得たか否かの判断は左右されないものである。
したがって,本件特許発明1は,甲第8号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかとの組合せによって,進歩性を否定することはできない。

5-1-4.甲第8号証,甲第2号証及び甲第11号証の組合せに基づく
進歩性違反(無効理由2C)

請求人は,本件特許発明1は,甲第8号証,甲第2号証及び甲第11号証の組合せから進歩性がなく,特許法第29条第2項の規定により無効とされるべきであると主張している。

5-1-4-1.甲第11号証の頒布時期について
甲第11号証は米国特許に係る公報であって,その発行日は1994年12月6日である。
そうすると,甲第11号証は特許法第29条第1項第3号における「特許出願前に日本国内又は外国において,頒布された刊行物」にあたるものではなく,甲第11号証に記載された発明は同条第2項における「前項各号に掲げる発明」にはあたらないから,これを無効理由の証拠とすることはできない。

そして,甲第2号証の記載や甲第8号証の記載に基づいて,当業者が本件特許発明1を容易にはなし得ないことは前述のとおりであるし,また,これら両証拠の記載を組み合わせた場合でも,先に述べた判断が覆し得ないことは明らかである。

したがって,本件特許発明1は,甲第8号証と,甲第2号証,及び甲第11号証の組合せによって,進歩性を否定することはできない。

5-1-5.小括
よって,請求人が提示した主張及び証拠方法によっては,本件特許発明1は特許法第29条第1項第3号に該当するものではなく,同条第2項の規定により,特許を受けることができないとすることもできない。

5-2.本件特許発明2?13について

本件特許発明2?13,すなわち本件請求項2?13に係る発明は,それぞれ,前記「2.」の請求項2?13に記載のとおりである。

これに対して,請求人は,本件特許発明2?13について,次の無効理由を主張している。
(1)本件特許発明8,9,11?13に対し,
甲第1号証に基づく新規性違反(無効理由1)
(2)本件特許発明2?13に対し,
(a)甲第2号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2A)
(b)甲第8号証と,甲第3号証?甲第7号証のいずれかに基づく
進歩性違反(無効理由2B)
(c)甲第8号証と,甲第2号証及び甲第11号証に基づく
進歩性違反(無効理由2C)
(3)本件特許発明2,3,5,7に対し,
特許法第36条第6項第2号違反(無効理由3)

ところで,(3)について,請求人,被請求人はともに特許法第36条第6項第2号違反の適否を主張しているが,本件特許発明は,平成6年法律第116号改正附則第6条第2項の規定によりなお従前の例によるとされる特許法(以下,単に「旧特許法」という。)第36条においては,第6項第2号という規定は存在しない。そして,現行特許法における第36条第6項第2号は旧特許法の同条第5項第2号に対応するものであり,かつ,(3)に関する請求人の主張もこれに沿ったものとなっている。
したがって,本審決においては,無効理由3は旧特許法の「第36条第5項第2号」違反に関するものとして判断を行う。

以下,順次検討する。

5-2-1.無効理由1,2A?2Cについて

本件特許の請求項2?13は,いずれも請求項1,又は請求項1を引用した請求項を引用したものであるところ,本件特許発明2?13の構成要件は,本件特許発明1の構成要件をそのまま又はこれを限定して含むものであるから,前記「5-1-1-2.」,「5-1-2-2.」及び「5-1-3-2.」において検討したのと同旨の無効理由である,上記1及び2A?2Cについては,これらの理由によって本件特許発明2?13を無効とすることはできない。

5-2-2.無効理由3について

請求人は,本件請求項2,3,5及び7の記載が,以下の(1)?(3)の点で不明であり,本件特許発明2,3,5及び7は旧特許法第36条第5項第2号の規定により無効にされるべきであると主張する。

(1)本件請求項2には,「溶媒が高沸点不活性溶媒である」と記載されているが,「高沸点」がいかなる温度を意味するのか不明である。
(2)本件請求項3には「反応が低融点不活性溶媒を用いて-120℃から25℃までの温度で行われる」なる記載が,また,本件請求項7には「溶媒が低融点不活性溶媒である」なる記載があるが,当該「低融点」がいかなる温度を意味するのか不明である。
(3)本件請求項5には,「触媒が,溶媒に実質上可溶性であり,非求核性アニオンを含有する高度にイオン化した塩から選択される」と記載されているが,「溶媒に実質上可溶性」とはいかなる状態を意味するのか不明である。

これらの点について,検討する。

一般に,反応に使用される溶媒は,きわめて多くのものが知られており,それぞれの反応において,使用される原料化合物や反応剤,さらには主として反応温度などの各種反応条件に応じて最適なものが選択されるものである。そして,たとえ反応としては同じ種類のものといえる反応であっても,原料化合物や反応剤等により,必ずしも同一の溶媒が使用されるとは限らないものである。そうすると,特許請求の範囲において化学反応に使用する溶媒,特に化合物等について多数の選択肢が含まれている発明における溶媒を記載する場合にあっては,「高沸点不活性溶媒」や「低融点不活性溶媒」などの一定の幅のある記載がなされること自体をもって,直ちに不明確とされるものではない。このような前提を踏まえ,以下検討する。

(1)請求項2における「高沸点不活性溶媒」について
請求項2は,請求項を1を引用しつつ,概略以下のとおり記載される。
「R''が群:……(中略)……から選択され,Yがアルキルスルホニルオキシ,……(中略)……から選択され,炭水化物濃度が20%以上の溶液中で行い,溶媒が高沸点不活性溶媒である請求項1の方法。」
ここで使用されている「高沸点不活性溶媒」なる語については,通常,当業者ならば「沸点が室温を一定以上超えるものであって,反応条件において不活性である」という概ね共通した概念が想起されるものといえる。
そして,このような概念は以下に示すように特許明細書から把握される技術水準とも整合するものである。すなわち,本件特許明細書における請求項2に係る反応に関する記載は,次のようになっている。
まず,【0035】?【0036】において,
「【0035】グリコシル化反応を反応溶媒中で行う場合には,その溶媒はグリコシル化反応に対して不活性でなければならない。しかし,前述のように,使用する特定の反応溶媒は使用するグリコシル化反応条件(例えば,反応温度,溶媒),脱離基および核酸塩基に依存するであろう。
【0036】グリコシル化反応は大気条件下約170℃から約-120℃までの範囲の温度で行うことができ,典型的には約5分ないし約20分で実質上完結する。」
と,請求項1に記載されたような,炭水化物と核酸塩基との反応であるグリコシル化反応全般にわたる,溶媒に共通する一般的な記載がなされていて,ここでは反応条件において不活性である旨の記載とともに,反応温度等に依存して溶媒が決められる旨の記載もなされている。
このようなグリコシル化反応全般にわたる溶媒に関する記載に引き続いて,【0038】において,
「反応を溶液中で達成する場合には,高沸点不活性溶媒と少なくとも20%炭水化物の炭水化物濃度を有する溶液を使用することが好ましい。……(中略)……適切な反応温度範囲は約70℃から約170℃までである。」
との記載があり,ここにおける「少なくとも20%炭水化物の炭水化物濃度を有する溶液を使用」との記載は請求項2に記載に対応するものであり,さらに【0040】において請求項2で特定されている「Y」に対応する記載があって,しかも【0041】には請求項2で特定されている核酸塩基に対応する記載もあることから,【0038】における「適切な反応温度範囲は約70℃から約170℃までである。」は請求項2に係る反応に関する記載と解される。
このような【0038】における反応温度に関する記載に続いて,【0039】において,
「【0039】高沸点溶媒は好ましくは約70℃以上の沸点を有し,非求核性の芳香族,ハロアルキル,アルコキシおよびハロ置換芳香族溶媒,およびそれらの混合物からなる群から選択される。好ましい溶媒は1,2-ジクロロエタン,……(中略)……ジオキサンおよびそれらの混合物であり,より好ましくはアニソールである。」
と具体的に使用される溶媒について例示されている。
そうすると,本件特許明細書の記載によれば,請求項2に係る反応はおよそ70℃?170℃で行われ,その際の好ましい溶媒は約70℃以上の沸点を有するものであるとされていて,具体的な溶媒も多数例示されているものであって,これらの記載は,上記したような「高沸点不活性溶媒」なる用語によって想起される当業者に共通する概念とは何ら齟齬するものではない。
さらに,本件特許明細書の他の記載を考慮しても,請求項2に係る反応において,使用する溶媒がどのようなものであるかが具体的に特定されていなければ不明確とされるものではないと解される。
このように,請求項2における「高沸点不活性溶媒」という用語については,特許請求の範囲の記載に基づいて,概ね共通する概念が当業者によって把握されるものである上,そのような概念と本件特許明細書において説明されている内容とが整合するものであって,具体的な例示もなされているのであるから,これによって同項に係る発明が不明確となっているものとはいえない。

(2)請求項3及び7における「低融点不活性溶媒」について
(2-1)請求項3について
請求項3は,請求項1を引用しつつ,概略以下のとおり記載される。
「R''が群:……(中略)……から選択され,Yがトリフルオロメタンスルホニルオキシ,……(中略)……からなる群から選択され,反応が低融点不活性溶媒を用いて-120℃から25℃までの温度で行われる請求項1の方法。」
ここでは,「-120℃から25℃までの温度」という反応温度とともに使用されているのであるから,当業者ならば,「低融点不活性溶媒」なる語については,「そこに示された反応温度,すなわち-120℃から25℃までの範囲で液体状態を維持する溶媒であって,反応条件において不活性である」という,概ね共通する概念が想起されるものといえる。
そして,このような概念は,以下に示すように本件特許明細書から把握される技術事項とも整合するものである。すなわち,本件特許明細書における請求項3に係る反応に関する記載は次のようになっている。
まず,上記したように【0035】において,
「【0035】グリコシル化反応を反応溶媒中で行う場合には,その溶媒はグリコシル化反応に対して不活性でなければならない。しかし,前述のように,使用する特定の反応溶媒は使用するグリコシル化反応条件(例えば,反応温度,溶媒),脱離基および核酸塩基に依存するであろう。」
と記載されており,溶媒は不活性であって,反応温度等の反応条件などに依存することも示されている。
そして,【0042】には,
「式(II)のαアノマーに富む炭水化物がフルオロスルホニルオキシ基を含有する場合,室温より高い温度で不安定である。したがって,これらのスルホニルオキシ基を使用するグリコシル化反応は室温か,室温未満の温度で行わなければならない。グリコシル化反応がこれらの条件下で行われる場合,その溶媒は低融点でなければならない。この反応にとって好ましい温度は約25℃から約-120℃までにわたる。」
と記載され,ここにおける脱離基Y及び反応温度が請求項3に対応するものであることに加えて,引き続く【0043】における核酸塩基の記載も,請求項3に対応するものであるから,【0042】の記載は請求項3に係る反応に関する説明であると解される。そして,同段落は,
「好ましい溶媒は1,2-ジクロロエタン,1,1,2-トリクロロエタン,グライム,ジグライム,トルエン,キシレン,アニソール,ジクロロブロモメタン,クロロベンゼン,ジブロモクロロメタン,トリブロモエタン,ジブロモエタン,アセトニトリル,プロピオニトリル,ジオキサンおよびそれらの混合物であり,より好ましくはアニソールである。」
と使用できる溶媒に関して具体的な例示もある。
このような本件特許明細書の記載は,請求項3に記載から当業者に把握される「低融点不活性溶媒」の内容と特段の違いがあるわけではない。
さらに,本件特許明細書の他の記載を考慮しても,請求項3に係る反応において,使用する溶媒が具体的に特定されていなければ不明確とされるものでもないと解される。
このように,請求項3における「低融点不活性溶媒」なる用語については,特許請求の範囲の記載に基づいて,概ね共通する概念が当業者よって把握されるものである上,そのような概念と特許明細書において説明されている内容とは整合するものであって,具体的な例示もなされているのであるから,「低融点不活性溶媒」なる用語が請求項2において使用されているからといって,これによって同項に係る発明が不明確となっているものとはいえない。

(2-2)請求項7について
請求項7は,請求項1を引用しつつ,概略以下のとおり記載される。
「R''が群:……(中略)……から選択され,Yがトリフルオロメタンスルホニルオキシ,……(中略)……からなる群から選択され,溶媒が低融点不活性溶媒である請求項1の方法。」
ここで使用されている「低融点不活性溶媒」なる語については,当業者ならば,通常,「比較的低温で行われる反応において,反応条件において液体状態を維持する溶媒であって,反応条件で不活性である」という概ね共通した概念が想起されるものといえる。
そして,このような概念は以下に示すように本件特許明細書から把握される技術事項とも整合するものである。すなわち,本件特許明細書における請求項7に係る反応に関する記載は,次のようになっている。
まず,上記したように【0035】において,
「【0035】グリコシル化反応を反応溶媒中で行う場合には,その溶媒はグリコシル化反応に対して不活性でなければならない。しかし,前述のように,使用する特定の反応溶媒は使用するグリコシル化反応条件(例えば,反応温度,溶媒),脱離基および核酸塩基に依存するであろう。」
と記載されており,溶媒は不活性であって,反応温度等の反応条件などに依存することも示されている。
そして,【0045】におけるR''の記載,及び,【0046】における脱離基Yに関する記載が,いずれも請求項7に対応するものであり,さらに,請求項7で特定されているR''及び【0045】に記載のR''が,いずれも【0047】でいうところの『金属カチオン塩核酸塩基』といえるものであるから,【0047】の記載は請求項7に係る反応に関して説明されているものと解される。そして,ここには,
「【0047】上述のように,式(II)のフルオロスルホニルオキシ基は高温で不安定になる傾向があり,金属カチオン塩核酸塩基との上記反応はそのような基と共に低融点不活性溶媒を用いて達成されるべきである。この反応にとって好ましい温度は約25℃から約-120℃の範囲である。」
と記載されている。
すなわち,式(II)のYがフルオロスルホニルオキシ基の化合物の場合に,当該化合物の安定性のために低融点(不活性)溶媒を使用する必要があり,反応温度もおよそ25℃?-120℃の範囲で行うことが好ましいとするものであるが,これと同旨のことは上記(2-1)で引用した【0042】にも記載があり,したがって,【0047】でいう「上述のように」についても【0042】の記載を意味するものと解される。そうすると,【0047】においては「低融点不活性溶媒」との記載にとどまり具体的に使用できる溶媒についての例示がなされていないが,このことに関しても,【0042】で例示されているものが使用できると解すべきである。
このような本件特許明細書の記載は,上記したような「低融点不活性溶媒」なる語から当業者によって把握される概ね共通する概念と何ら不整合はないし,また,本件特許明細書の他の記載を考慮しても,請求項7に係る発明において。使用する溶媒が具体的に特定されていなければ不明確とされるものでもないと解される。
したがって,請求項7における「低融点不活性溶媒」なる用語についても,上記(2-1)と同様に,これによって同項に係る発明が不明確となっているものとはいえない。

なお,請求人は,口頭審理陳述要領書において,被請求人が引用する本件特許明細書の記載がいずれも「好ましい」ものを記載した例示に過ぎないから,その外縁は依然として不明である,と主張する。
しかしながら,それらの例示箇所のみならず,本件特許明細書の他の関連する記載に加えて技術常識をも踏まえて解釈すれば,「高沸点不活性溶媒」や「低融点不活性溶媒」なる用語がそれぞれの請求項に含まれていることによって,各請求項に係る発明が不明確になっているとすることができないことは上記したとおりであるから,上記請求人の主張は採用できない。
(被請求人が答弁書において引用する【0013】の記載は,【0010】?【0012】の記載に照らし,式(II)のαアノマーに富む中間体を製造する際の反応性に関するものと解されるのに対して,請求人が「低融点不活性溶媒」なる語につき明確性が欠如し無効理由があるとする請求項3及び7に係る反応は,このような反応とは異なるものである。同様に,【0044】の記載は,核酸塩基を(その求核置換性を増大させるために)求核反応に先立って金属カチオン塩に変換する際に使用する溶媒に関するのみであるのに対して,請求人が「不活性」との表現が含まれていることを指摘し明確ではないとの無効理由があるとする請求項2,3,及び7に係る各反応は,【0044】に関する反応とは別異のものである。
したがって,被請求人が引用するこれらの箇所の記載は,技術常識を示す資料の一つとして参照することは可能であるとしても,これらの記載をもって,請求項2,3,及び7の記載を補足する直接の根拠とすることはできない。)

(3)請求項5における「溶媒に実質的に可溶性」について
請求項5は請求項4を引用し,さらに請求項4は請求項1を引用するものであるが,請求項4及び5の記載は,概略以下のとおりである。
「【請求項4】 R''が群:……(中略)……から選択され,触媒の存在下で行われ,Yがアルキルスルホニルオキシ,……(中略)……からなる群から選択される請求項1の方法。
【請求項5】 触媒が,溶媒に実質上可溶性であり,非求核性アニオンを含有する高度にイオン化した塩から選択される請求項4の方法。」
ところで,本件特許発明のごとき求核置換反応は,長年にわたり研究されており,触媒についても多くの種類が使用されており,また,基本的には均一反応系で行われることも技術常識である。このような技術常識を踏まえて,請求項5の記載を解釈すると,「溶媒に実質上可溶性であり」及び「高度にイオン化した塩」なる記載から,均一反応系で行われることが意図されていることは明らかであって,このことは従来の求核置換反応の条件から逸脱するものではないから,技術常識からみて格別特異な触媒を使用することを特定しようとするものではないことは明らかである。そうすると,請求項5における記載からは,当業者ならば,そこで特定されている触媒としては,「従来から求核置換反応に使用されてきた触媒のうち,個別の反応基質,求核反応剤,溶媒等の組合せに応じて,均一反応系の条件下で反応促進能を有する程度の溶解性をもつ触媒が使用される」ということが容易に読み取れるものである。
そして,このように特許請求の範囲の記載から読み取れる技術事項は,以下に示すように本件特許明細書から把握される技術事項とも整合するものである。すなわち,本件特許明細書における請求項4及び5に係る反応に関する記載は,次のようになっている。
請求項4におけるR''に関する記載及びYに関する記載が,それぞれ【0054】及び【0053】に対応するものであることなどから,請求項5に係る反応(すなわち,請求項4に係る反応)に関する説明は,【0051】?【0054】においてなされているものと解される。
【0051】及び【0052】においては,触媒及び溶媒に関して,以下のように記載されている。
「【0051】本工程を触媒によって促進させることもできる。……(中略)……本工程では非求核性アニオンを含有する塩である触媒を使用することが望ましい。……(中略)……触媒は反応溶媒に可溶性であって,高度にイオン化されるべきである。好ましいものは,トリフルオロメタンスルホン酸,……(中略)……塩からなる群から選択される塩触媒であり,より好ましいものはトリフルオロメタンスルホン酸のカリウムまたはセシウム塩である。好適な反応温度は約50℃から約100℃までにわたる。
【0052】溶媒は好ましくは極性非求核性溶媒,例えばグライム,……(中略)……およびそれらの混合物などから選択され,より好ましくはアセトニトリルである。」
すなわち,「触媒は反応溶媒に可溶性であって,高度にイオン化されるべきである」とされるのであるから,反応はいわゆる均一系で行われることが意図されており,さらに反応温度もおよそ50?100℃といった範囲で行われる旨記載されており,使用される溶媒についても例示されている。そうすると,請求項5に係る反応で使用される溶媒は,「従来から求核置換反応に使用されている触媒の中から,およそ50?100℃といった温度範囲において,例示されているような溶媒に対して均一反応系が維持される程度の溶解性を有していて,反応促進させるに十分な機能を発揮する触媒が選択される」といったことが,本件特許明細書の記載から把握されるものである。
そして,このような事項は,特許請求の範囲の請求項4及び5などの記載から,当業者によって把握される事項と齟齬はなく,したがって,請求項5において「溶媒に実質的に可溶性」なる語があることによって,請求項5に係る発明が不明確になっているとすることはできない。

なお,請求人は,「溶媒に実質的に可溶性」がどのような意味を有するかについて何ら明らかにされていない旨を主張するが,このような記載によって格別な技術事項を特定又は限定しようとするものではなく,単に「均一反応系で,触媒としての基本的性質である反応促進能を発揮する程度の溶解性を持つ」といったごく常識的な事項を表現しようとしたことは,上記したように明らかなことであるから,請求人の主張は採用できない。

5-2-3.小括
よって,請求人が提示した主張及び証拠方法によっては,本件特許発明2?13は特許法第29条第1項第3号に該当するものではなく,同条第2項の規定により,特許を受けることができないとすることもできないし,旧特許法第36条第5項第2号に掲げる要件を満足しないものともいえない。

6.むすび
以上のとおり,請求人の主張及び証拠方法によっては,本件特許の請求項1?13に係る発明の特許を無効とすることができない。また,他にこれら発明の特許を無効にすべき理由を発見しない。
審判に関する費用については,特許法第169条第2項の規定で準用する民事訴訟法第61条の規定により,請求人が負担すべきものとする。
よって,結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2011-09-12 
結審通知日 2011-09-14 
審決日 2011-11-15 
出願番号 特願平5-149130
審決分類 P 1 113・ 121- Y (C07H)
P 1 113・ 534- Y (C07H)
P 1 113・ 113- Y (C07H)
最終処分 不成立  
特許庁審判長 星野 紹英
特許庁審判官 内藤 伸一
荒木 英則
登録日 2002-05-31 
登録番号 特許第3313191号(P3313191)
発明の名称 立体選択的グリコシル化法  
代理人 田代 玄  
代理人 小林 純子  
代理人 片山 英二  
代理人 箱田 篤  
代理人 小和田 敦子  
代理人 辻居 幸一  
代理人 吉光 真紀  
代理人 岡本 尚美  

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