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審決分類 審判 全部申し立て 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  C22C
審判 全部申し立て 特36条4項詳細な説明の記載不備  C22C
管理番号 1369009
異議申立番号 異議2020-700735  
総通号数 253 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2021-01-29 
種別 異議の決定 
異議申立日 2020-09-25 
確定日 2020-12-07 
異議申立件数
事件の表示 特許第6672620号発明「油井用ステンレス鋼及び油井用ステンレス鋼管」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6672620号の請求項1?8に係る特許を維持する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6672620号(請求項の数8。以下,「本件特許」という。)は,平成27年6月29日を出願日とする特許出願(特願2015-129610号)に係るものであって,令和2年3月9日に設定登録されたものである(特許掲載公報の発行日は,令和2年3月25日である。)。
その後,令和2年9月25日に,本件特許の請求項1?8に係る特許に対して,特許異議申立人である豊田敦子(以下,「申立人」という。)により,特許異議の申立てがされた。

第2 本件発明
本件特許の請求項1?8に係る発明は,本件特許の願書に添付した特許請求の範囲の請求項1?8に記載された事項により特定される以下のとおりのものである(以下,それぞれ「本件発明1」等という。また,本件特許の願書に添付した明細書を「本件明細書」という。)。

【請求項1】
質量%で,
C:0.04%以下,
Si:0.05?1.0%,
Mn:0.01?0.5%,
Cr:16.0?18.0%,
Mo:2.0?3.0%,
Cu:0.70?3.5%,
Ni:4.9?6.0%,
sol.Al:0.001?0.1%,
W:0?2.0%,
V:0?0.5%,
Ca:0?0.01%,及び,
Mg:0?0.01%を含有し,残部はFe及び不純物からなり,
前記不純物のうち,P,S,O,N,Ti,Nb及びBはそれぞれ,
P:0.05%以下,
S:0.002%未満,
O:0.02%以下,
N:0.02%以下,
Ti:0.10%以下,
Nb:0.10%以下,及び,
B:0.005%以下であり,
式(1)で定義されるFn1が80以上である化学組成と,
体積率で,10?50%のフェライトと,5.0?20%の残留オーステナイトとを含有し,残部がマルテンサイトからなるミクロ組織とを有し,
降伏強度が862MPa以上であり,
ASTM E23に準拠した-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上であり,
0.01barのH_(2)Sと,0.99barのCO_(2)とを飽和させた25mass%のNaCl溶液を,0.41g/リットルのCH_(3)COONaを含有したCH_(3)COONa+CH_(3)COOH緩衝液によりpH4.0に調整した25℃の試験浴を用い,NACE TM0177 METHOD Aに準拠した耐SSC性評価試験において,実測の降伏応力の90%を付加して720時間浸漬した後,割れが確認されないことを特徴とする,油井用ステンレス鋼。
Fn1=576.5-2660.7×[C]-74.9×[Ni]-37.4×[Cu] (1)
ここで,式(1)中の各元素記号には,対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【請求項2】
請求項1に記載の油井用ステンレス鋼であってさらに,
式(2)で定義されるFn2が2.5以上である,油井用ステンレス鋼。
Fn2=[Ni]/[Cu] (2)
ここで,式(2)中の各元素記号には,対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【請求項3】
請求項1又は請求項2に記載の油井用ステンレス鋼であって,
W:0.2?2.0%を含有する,油井用ステンレス鋼。
【請求項4】
請求項1?請求項3のいずれか1項に記載の油井用ステンレス鋼であって,
V:0.01?0.5%を含有する,油井用ステンレス鋼。
【請求項5】
請求項1?請求項4のいずれか1項に記載の油井用ステンレス鋼であって,
Ca:0.0005?0.01%,及び,
Mg:0.0005?0.01%からなる群から選択される1種以上を含有する,油井用ステンレス鋼。
【請求項6】
請求項1?請求項5のいずれか1項に記載の油井用ステンレス鋼から製造される,油井用ステンレス鋼管。
【請求項7】
請求項6に記載の油井用ステンレス鋼管であってさらに,
Ni含有量(質量%)は,式(3)で定義されるFn3よりも高い,油井用ステンレス鋼管。
Fn3=0.0211×t+4.4606 (3)
ここで,式(3)中のt(mm)は,前記油井用ステンレス鋼の肉厚(mm)を意味する。
【請求項8】
請求項6又は請求項7に記載の油井用ステンレス鋼管であって,
15mm以上の肉厚を有する,油井用ステンレス鋼管。

第3 特許異議の申立ての理由の概要
本件特許の請求項1?8に係る特許は,下記1及び2のとおり,特許法113条4号に該当する。証拠方法は,下記3の甲第1号証?甲第3号証(以下,単に「甲1」等という。)及び参考資料1である。

1 申立理由1(サポート要件)
本件発明1?8については,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項1号に適合するものではないから,本件特許の請求項1?8に係る特許は,同法113条4号に該当する。
2 申立理由2(実施可能要件)
本件発明6?8については,発明の詳細な説明の記載が特許法36条4項1号に適合するものではないから,本件特許の請求項6?8に係る特許は,同法113条4号に該当する。
3 証拠方法
・甲1 特開2013-249516号公報
・甲2 平成24年(行ケ)第10151号判決
・甲3 特許第6672620号公報
・参考資料1 Ti,Nb,Bの含有量とAEの関係を予測した参考図

第4 当審の判断
以下に述べるように,特許異議申立書に記載した特許異議の申立ての理由によっては,本件特許の請求項1?8に係る特許を取り消すことはできない。

1 申立理由1(サポート要件)
特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,明細書のサポート要件の存在は,特許権者が証明責任を負うと解するのが相当である(知的財産高等裁判所,平成17年(行ケ)第10042号,同年11月11日特別部判決)。以下,検討する。

(1)本件発明1について
ア 本件発明1は,所定の化学組成とミクロ組織とを有する油井用ステンレス鋼であって,「降伏強度が862MPa以上」であり,「ASTM E23に準拠した-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上」であり,「0.01barのH_(2)Sと,0.99barのCO_(2)とを飽和させた25mass%のNaCl溶液を,0.41g/リットルのCH_(3)COONaを含有したCH_(3)COONa+CH_(3)COOH緩衝液によりpH4.0に調整した25℃の試験浴を用い,NACE TM0177 METHOD Aに準拠した耐SSC性評価試験において,実測の降伏応力の90%を付加して720時間浸漬した後,割れが確認されない」油井用ステンレス鋼に関するものである。
本件明細書の記載(【0002】?【0005】,【0012】?【0014】)によれば,本件発明1の課題は,高強度を有し,高温での耐応力腐食割れ性(耐SCC性),常温での耐硫化物応力割れ性(耐SSC性)及び低温靭性に優れる油井用ステンレス鋼を提供することであると認められる。

イ 本件明細書の記載(【0015】,【0017】?【0024】,【0034】?【0063】)によれば,本件発明1の課題は,油井用ステンレス鋼において,以下の(ア)及び(イ)の各要件を備えることによって解決できるとされている。
(ア)「質量%で,C:0.04%以下,Si:0.05?1.0%,Mn:0.01?0.5%,Cr:16.0?18.0%,Mo:2.0?3.0%,Cu:0.70?3.5%,Ni:4.9?6.0%,sol.Al:0.001?0.1%,W:0?2.0%,V:0?0.5%,Ca:0?0.01%,及び,Mg:0?0.01%を含有し,残部はFe及び不純物からなり,前記不純物のうち,P,S,O,N,Ti,Nb及びBはそれぞれ,P:0.05%以下,S:0.002%未満,O:0.02%以下,N:0.02%以下,Ti:0.10%以下,Nb:0.10%以下,及び,B:0.005%以下であり,式(1)」「Fn1=576.5-2660.7×[C]-74.9×[Ni]-37.4×[Cu] (1) ここで,式(1)中の各元素記号には,対応する元素の含有量(質量%)が代入される。」「で定義されるFn1が80以上である化学組成」を有する(以下,「化学組成要件」という。)
(イ)「体積率で,10?50%のフェライトと,5.0?20%の残留オーステナイトとを含有し,残部がマルテンサイトからなるミクロ組織」を有する(以下,「組織要件」という。)

ウ そして,本件明細書には,油井用ステンレス鋼に関する各種の本発明例(試験番号4?12,16?22,26及び27)及び比較例(試験番号1?3,13?15及び23?25)が記載されているところ(【0077】?【0103】,表1,表2),これら本発明例は,上記の化学組成要件及び組織要件を備えるものである。
本件明細書には,本発明例及び比較例について,以下のとおり,引張試験,シャルピー衝撃試験,高温耐SCC性評価試験及び常温での耐SSC性評価試験を行ったことが記載されており(【0085】?【0092】),その結果が表2,【0096】に示されている。
・引張試験
鋼板の厚さ中央部から,長手方向が鋼板の圧延方向に平行な方向となるよう丸棒引張試験片(平行部の直径6mm,標点間距離40mm)を採取し,室温で引張試験を実施し,降伏強度(0.2%耐力)を求めた。
・シャルピー衝撃試験
鋼板の厚さ中央部から,長手方向が板幅方向に平行となるようASTM E23に準拠したフルサイズ試験片を採取し,-60℃においてシャルピー衝撃試験を実施し,吸収エネルギー(J)を測定した。
・高温耐SCC性評価試験
鋼板から,4点曲げ試験片(長さ75mm,幅10mm,厚さ2mm)を採取し,ASTM G39に準拠して,耐力と等しい応力を試験片に与え,4点曲げによるたわみを付与し,30barのCO_(2)と0.01barのH_(2)Sとが加圧封入された200℃のオートクレーブ内において,25mass%のNaClと,0.41g/リットルのCH_(3)COONa(pHは4.5,CH_(3)COONa+CH_(3)COOH緩衝系)を含有する水溶液に試験片を720時間浸漬した後,引張応力が付加された部分の断面を100倍視野の光学顕微鏡で観察し,割れの有無を判定した。
また,試験前の試験片の重量及び720時間浸漬後の試験片の重量の変化量に基づいて,腐食減量を求め,年間腐食量(mm/年)を計算した。
・常温での耐SSC性評価試験
鋼板から,NACE TM0177 METHOD A用の丸棒試験片(直径6.35mm,平行部の長さ25.4mm)を採取し,NACA TM0177-2005に準拠して,試験片の軸方向に降伏応力(実測)の90%の引張応力を負荷し,0.01barのH_(2)Sと,0.99barのCO_(2)とを飽和させた25mass%のNaCl溶液を,0.41g/リットルのCH_(3)COONaを含有したCH_(3)COONa+CH_(3)COOH緩衝液によりpH4.0に調整した25℃の試験浴に,引張応力を負荷した丸棒試験片を720時間浸漬した後,試験中に破断した試験片及び破断しなかった試験片の平行部を肉眼にて観察し,クラック又は孔食の発生を確認した。
表2,【0096】によれば,化学組成要件及び組織要件を備える本発明例では,いずれも,引張試験において,降伏強度が862MPa以上であり,シャルピー衝撃試験において,-60℃での吸収エネルギーが80J以上であり,耐SCC性評価試験において,割れが観察されず,年間腐食量が0.01mm/年であり,耐SSC性評価試験において,割れが観察されないことが示されている。
すなわち,本発明例において,ステンレス鋼が,高強度を有し,高温での耐応力腐食割れ性,常温での耐硫化物応力割れ性及び低温靭性 に優れることが示されているといえる。
そうすると,当業者であれば,本発明例以外の場合であっても,化学組成要件及び組織要件を備えるステンレス鋼であれば,本発明例の場合と同様に,高強度であり,高温での耐応力腐食割れ性,常温での耐硫化物応力割れ性及び低温靭性に優れることが理解できるといえる。

エ また,本件発明1は,化学組成要件及び組織要件を備えるほか,強度,低温靭性及び常温での耐硫化物応力割れ性に関する,以下の(ウ)?(オ)の各要件を備えるものである。
(ウ)「降伏強度が862MPa以上」である(以下,「強度要件」という。)
(エ)「ASTM E23に準拠した-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上」である(以下,「低温靱性要件」という。)
(オ)「0.01barのH_(2)Sと,0.99barのCO_(2)とを飽和させた25mass%のNaCl溶液を,0.41g/リットルのCH_(3)COONaを含有したCH_(3)COONa+CH_(3)COOH緩衝液によりpH4.0に調整した25℃の試験浴を用い,NACE TM0177 METHOD Aに準拠した耐SSC性評価試験において,実測の降伏応力の90%を付加して720時間浸漬した後,割れが確認されない」(以下,「耐硫化物応力割れ性要件」という。)
上記の(ウ)?(オ)の各要件は,それぞれ,上記ウで述べた,本発明例について行われた各試験のうち,引張試験,シャルピー衝撃試験,常温での耐SSC性評価試験の結果に対応する特性に関するものであり,本件発明1に係るステンレス鋼が,実際に,高強度を有し,常温での耐硫化物応力割れ性及び低温靭性に優れることを具体的に特定するものである。

オ 以上のとおり,本件明細書の記載を総合すれば,化学組成要件及び組織要件を備えるとともに,強度要件,低温靭性要件及び耐硫化物応力割れ性要件を備える本件発明1は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであって,当業者が出願時の技術常識に照らして発明の詳細な説明の記載により本件発明1の課題を解決できると認識できる範囲のものということができる。
以上のとおりであるから,本件発明1については,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するものである。

(2)本件発明6について
本件発明6は,油井用ステンレス鋼管に関するものである。
本件明細書の記載(【0002】?【0005】,【0012】?【0014】)によれば,本件発明6の課題は,高強度を有し,高温での耐応力腐食割れ性,常温での耐硫化物応力割れ性及び低温靭性に優れる油井用ステンレス鋼管を提供することであると認められる。
本件明細書の記載(【0015】,【0017】?【0024】,【0034】?【0063】,【0070】?【0074】)によれば,本件発明6の課題は,化学組成要件及び組織要件を備える油井用ステンレス鋼から製造される油井用ステンレス鋼管によって解決できるとされている。
そして,本件明細書には,油井用ステンレス鋼管を想定したステンレス鋼板に関する各種の本発明例(試験番号4?12,16?22,26及び27)及び比較例(試験番号1?3,13?15及び23?25)が記載されているところ(【0077】?【0103】,表1,表2),本発明例は,化学組成要件及び組織要件を備えるものである。
そうすると,上記(1)で本件発明1について述べたのと同様の理由により,本件明細書の記載を総合すれば,本件発明6は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであって,当業者が出願時の技術常識に照らして発明の詳細な説明の記載により本件発明6の課題を解決できると認識できる範囲のものということができる。
以上のとおりであるから,本件発明6については,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するものである。

(3)本件発明2?5,7及び8について
本件発明2?5,7及び8は,本件発明1又は6を引用するものであるが,上記(1),(2)で本件発明1及び6について述べたのと同様の理由により,本件発明2?5,7及び8についても,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するものである。

(4)申立人の主張について
ア 申立人は,本件発明1は,「Ti:0.10%以下」と特定するものであるところ,本件明細書の表1には,Ti含有量が<0.001?0.005%のステンレス鋼板について記載されているものの,Ti含有量が0.005%を超える実施例については記載がなく,0.005%よりもはるかに多いTiが0.1%に近い含有量で,シャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上になり,低温靱性が高くなることは示されておらず,当業者が認識することができるように記載されているともいえず,また,表1及び表2によれば,Tiが0.1%に近い含有量では,シャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J未満になることが予測されるから,「低温靱性に優れる油井用ステンレス鋼を提供する」という本件発明1の課題を解決し得るとはいえないと主張する。また,本件発明2?8についても同様に主張する。(申立書14?16頁)
しかしながら,本件発明1が,「ASTM E23に準拠した-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上」であるとの要件(低温靱性要件)を備えるものであることは,上記(1)エのとおりである。
そうすると,本件発明1に係るステンレス鋼が低温靱性に優れることは明らかであり,そうであれば,本件発明1が,「低温靱性に優れる油井用ステンレス鋼を提供する」という本件発明1の課題を解決できると認識できる範囲のものであることも明らかである。また,本件発明2?8についても同様である。
なお,仮に,申立人が主張するように,Tiが0.1%に近い含有量では,シャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J未満になることがあり得るとしても,そのような場合は,本件発明1の範囲外と理解されるにすぎない。
よって,申立人の主張は採用できない。

イ 申立人は,Nb及びBについても,上記アのTiについての主張と同様に主張するが(申立書16?19頁),上記アで述べたのと同様の理由により,申立人の主張は採用できない。

ウ 申立人は,本件発明1は,「V:0?0.5%」と特定するものであるところ,本件明細書の表1には,V含有量が0.05%,0.04%のステンレス鋼板について記載されているものの,V含有量が0.05%を超える実施例については記載がなく,Vが0.5%という,実施例の上限0.05%の10倍に相当する量に近い含有量で,シャルピー衝撃試験における吸収エネルギーが80J以上になり,低温靱性が高くなるかどうか,当業者は認識することができず,また,甲1の表1及び表3には,油井管用高強度ステンレス鋼について,V含有量が0.054%までの適合例に対して,その約8.5倍に相当する0.460%で,低温靱性が低下することが示されているから,本件発明1において,V含有量が0.05%の実施例に対して,その10倍に相当する0.5%で,低温靱性が低下することは明らかであるとして,Vが0.5%に近い含有量では,「低温靱性に優れる油井用ステンレス鋼を提供する」という本件発明1の課題を解決し得るとはいえないと主張する。また,本件発明2?8についても同様に主張する。(申立書19?21頁)
しかしながら,上記アで述べたのと同様の理由により,本件発明1が,「低温靱性に優れる油井用ステンレス鋼を提供する」という本件発明1の課題を解決できると認識できる範囲のものであることは明らかである。また,本件発明2?8についても同様である。
なお,甲1の表1に記載される油井管用高強度ステンレス鋼の化学組成は,本件発明1の油井用ステンレス鋼の化学組成と一致せず,また,同表3に記載される靱性は,-10℃でのシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーに基づくものであり(甲1【0045】),本件発明1の-60℃でのシャルピー衝撃試験における吸収エネルギーとは異なるものであるから,このような甲1に基づく主張は,妥当なものとはいえない。
よって,申立人の主張は採用できない。

エ 申立人は,特許請求の範囲に特定される鋼の組成範囲が,発明の詳細な説明に具体的に記載されている範囲よりも広い場合には,組成範囲から,どのような特性を有するか予測することは困難であり,また,ある成分の含有量を増減したりすると,その特性が大きく変わるものであって,合金の組成範囲が異なれば,同じ製造方法により製造したとしても,その特性は異なることが通常であるといえるから,本件発明1においても,発明の詳細な説明に具体的に記載された以外の組成範囲(Ti:0.10%以下,Nb:0.10%以下,B:0.005%以下,V:0?0.5%)を有する鋼を用いる場合においても,所定の製造方法により製造されたステンレス鋼が,良好な低温靱性を有するものであると,当業者が認識することができないと主張する。また,本件発明2?8についても同様に主張する。(申立書21?22頁)
しかしながら,上記アで述べたのと同様の理由により,本件発明1が,「低温靱性に優れる油井用ステンレス鋼を提供する」という本件発明1の課題を解決できると認識できる範囲のものであることは明らかである。また,本件発明2?8についても同様である。
よって,申立人の主張は採用できない。

(5)まとめ
したがって,申立理由1(サポート要件)によっては,本件特許の請求項1?8に係る特許を取り消すことはできない。

2 申立理由2(実施可能要件)
物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから,物の発明について,発明の詳細な説明の記載が,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものである(実施可能要件を満たす)というためには,発明の詳細な説明には,当業者がその物を製造することができ,かつ,その物を使用することができる程度に明確かつ十分に記載されている必要がある。以下,検討する。

(1)本件発明6?8について
本件発明6?8は,所定の化学組成,ミクロ組織及び特性を有する油井用ステンレス鋼から製造される油井用ステンレス鋼管に関するものである。
本件明細書には,油井用ステンレス鋼の化学組成(【0034】?【0060】,【0068】,【0069】),油井用ステンレス鋼のミクロ組織(【0061】?【0067】),降伏強度(【0085】,表2),-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギー(【0086】,表2),耐SSC性評価試験(【0090】?【0092】,表2)の各事項について,具体的な説明がなされている。
また,本件明細書には,油井用ステンレス鋼の製造方法の一例としての継目無鋼管の製造方法(【0070】?【0073】),製造された油井用ステンレス鋼管とその用途(【0074】?【0076】,【0105】)について,具体的な説明がなされている。
そして,本件明細書には,本発明例(試験番号4?12,16?22,26及び27,表1,表2)として,油井用ステンレス鋼管を想定した,本件発明6の条件を満たす所定の化学組成,ミクロ組織及び特性を有する各種のステンレス鋼板を製造したことが記載されている。
また,本件明細書には,上記のとおり,継目無鋼管の製造方法について記載されているから,当業者であれば,本発明例において,油井用ステンレス鋼板に代えて,油井用ステンレス鋼管を製造することができる。
さらに,上記以外の油井用ステンレス鋼板及び油井用ステンレス鋼管についても,当業者であれば,本件明細書の記載に基づき,所定の化学組成,ミクロ組織及び特性を有する油井用ステンレス鋼板及び油井用ステンレス鋼管を上記の製造方法により製造することができ,得られた油井用ステンレス鋼管を上記の用途に使用することができる。
以上によれば,当業者が,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて,本件発明6?8に係る油井用ステンレス鋼管を製造し,使用することができるといえる。
以上のとおりであるから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,本件発明6?8について,実施可能要件を満たすものである。

(2)申立人の主張について
申立人は,本件明細書の発明の詳細な説明には,鋼板についての実施例の記載があるだけで,鋼管についての実施例の記載はなく,また,ステンレス鋼管(継目無鋼管)の製造方法として,一般的な製造方法の記載はあるが,具体的にどのような条件で熱間加工して素管を製造し,どのような条件で熱間加工後の素管を焼入れ焼戻しするのか,具体的な製造条件が記載されていないから,所定のミクロ組織,降伏強度,-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギー,耐SSC性を有するものが得られるかどうか明らかではなく,さらに,本件明細書の表2に記載されるFn3の「0.0211×t+4.4606」における肉厚t(mm)は,ステンレス鋼板の板厚であって,ステンレス鋼管の肉厚ではないから,「油井用ステンレス鋼管において,Ni含有量は,式(3)で定義されるFn3よりも高い」(【0075】)とはいえないから,「肉厚の増加に伴う低温靱性の劣化を留めるのに十分なNiが含有されている。そのため,さらに優れた低温靱性が安定して得られる」(【0076】)ことも明らかではないとして,所定のミクロ組織,降伏強度,-60℃のシャルピー衝撃試験における吸収エネルギー,耐SSC性を有するステンレス鋼管を製造するために,当業者は過度の試行錯誤を繰り返さなければならないと主張する。
しかしながら,本件明細書には,継目無鋼管の製造方法として,所定の化学組成を有する素材(連続鋳造法により製造された鋳片等)を準備し,準備された素材を加熱炉又は均熱炉に装入して加熱し,加熱した素材をマンネスマン法等により熱間加工して素管を製造し,熱間加工後の素管を,900℃以上の焼入れ温度で焼入れし,620℃以下の焼戻し温度で焼戻しして,降伏強度が862MPa以上になるように強度を調整することが記載されている(【0070】?【0073】)。
ここで,マンネスマン法による素管の製造方法は,当業者において周知の製造方法であるから(例えば,甲1の実施例等を参照),本件明細書の上記記載に基づいて継目無鋼管を製造するにあたり,当業者であれば,技術常識に照らして,通常の条件を採用して素管を製造することができることは,明らかである。また,焼入れ焼戻しの具体的な条件については,本件明細書の上記記載に基づいて,当業者が適宜決定し得るものである。
そして,本件明細書には,本発明例として,各種のステンレス鋼板を製造したことが記載されていることは,上記(1)で述べたとおりであるが,これらの本発明例は,油井用ステンレス鋼管を想定して製造したものである(【0077】)。
ここで,所定の化学組成を有する鋼に対して,所定の条件(温度や加工率等)での加工や,所定の条件(温度や時間等)での熱処理が施されれば,鋼の形態(板や管等)が異なるとしても,同様の組織や特性が得られることが通常であることを踏まえると,当業者であれば,実際に油井用ステンレス鋼管を製造するにあたり,本発明例において各種のステンレス鋼板を製造する際に採用された加工条件や熱処理条件を参考にして製造することにより,ステンレス鋼板の場合と同様の組織や特性が得られることが理解できるといえる。
以上によれば,当業者が,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて,本件発明6?8に係る油井用ステンレス鋼管を製造することができるといえ,その製造に際して,申立人が主張するような,当業者に期待しうる程度を超える過度の試行錯誤が必要になるとはいえない。
よって,申立人の主張は採用できない。

(3)まとめ
したがって,申立理由2(実施可能要件)によっては,本件特許の請求項6?8に係る特許を取り消すことはできない。

第5 むすび
以上のとおり,特許異議申立書に記載した特許異議の申立ての理由によっては,本件特許の請求項1?8に係る特許を取り消すことはできない。
また,他に本件特許の請求項1?8に係る特許を取り消すべき理由を発見しない。
よって,結論のとおり決定する。
 
異議決定日 2020-11-27 
出願番号 特願2015-129610(P2015-129610)
審決分類 P 1 651・ 536- Y (C22C)
P 1 651・ 537- Y (C22C)
最終処分 維持  
前審関与審査官 佐藤 陽一  
特許庁審判長 池渕 立
特許庁審判官 磯部 香
井上 猛
登録日 2020-03-09 
登録番号 特許第6672620号(P6672620)
権利者 日本製鉄株式会社
発明の名称 油井用ステンレス鋼及び油井用ステンレス鋼管  
代理人 アセンド特許業務法人  

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