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審決分類 審判 全部申し立て 1項3号刊行物記載  C12N
審判 全部申し立て 2項進歩性  C12N
管理番号 1369985
異議申立番号 異議2019-701067  
総通号数 254 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2021-02-26 
種別 異議の決定 
異議申立日 2019-12-27 
確定日 2020-11-11 
異議申立件数
訂正明細書 有 
事件の表示 特許第6536639号発明「幹細胞用培地」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6536639号の特許請求の範囲を令和2年5月28日付け訂正請求書に添付された訂正特許請求の範囲のとおり、訂正後の請求項〔1?6〕について訂正することを認める。 特許第6536639号の請求項1?4、6に係る特許を維持する。 特許第6536639号の請求項5に係る特許についての特許異議の申立を却下する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6536639号の請求項1?6に係る特許についての出願は、平成26年8月12日(優先権主張 平成26年3月31日)に国際出願された特願2016-511307号の一部を新たな特許出願として平成29年8月23日に出願されたものであって、令和1年6月14日にその特許権の設定登録がされ、令和1年7月3日に特許公報が発行された。本件特許異議の申立ての経緯は、次のとおりである。
令和1年12月27日付け 特許異議申立人石井宏司による請求項1?6に係る特許に対する特許異議の申立て
令和2年 3月26日付け 取消理由通知書
令和2年 5月28日付け 特許権者による意見書及び訂正請求書
令和2年 8月17日付け 特許異議申立人石井宏司による意見書


第2 訂正の適否
1 訂正の内容
令和2年 5月28日付け訂正請求書において特許権者が請求する訂正(以下、「本件訂正」という。)は、一群の請求項1?6について訂正事項1?3の訂正を求める、次のとおりのものである。
(1)訂正事項1
特許請求の範囲の請求項1に「基礎培地に、ポリビニルアルコールとアルブミンとを添加する工程を含む、幹細胞培養用培地の製造方法であって、アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中の含有量の比が、1:1.1?100である、方法。」と記載されているのを、「基礎培地に、ポリビニルアルコールとアルブミンとを添加する工程を含む、幹細胞増殖用培地の製造方法であって、アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中の含有量の比が、1:1.1?100であり、該培地が、幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである、方法。」に訂正する(下線は訂正箇所を示す)。
請求項1を引用する請求項2?4、6も同様に訂正する。

(2)訂正事項2
特許請求の範囲の請求項5を削除する。

(3)訂正事項3
特許請求の範囲の請求項6に「幹細胞がiPS細胞である、請求項1?5のいずれか1項に記載の方法。」と記載されているのを、「幹細胞がiPS細胞である、請求項1?4のいずれか1項に記載の方法。」に訂正する(下線は訂正箇所を示す)。

2 訂正の適否
(1)訂正の目的の適否、新規事項の有無、及び特許請求の範囲の拡張・変更の存否
ア 訂正事項1
訂正事項1は、訂正前の請求項1に記載された「幹細胞培養用培地」を明細書段落【0019】に記載されている「幹細胞増殖用培地」に減縮し、さらに、請求項5に記載されている「培地が、幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」ことを特定するものであるから、特許法第120条の5第2項ただし書き第1号に規定する「特許請求の範囲の減縮」を目的とし、新規事項の追加に該当せず、また、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
イ 訂正事項2
訂正事項2は、訂正前の特許請求の範囲から請求項5を削除するものであるから、特許法第120条の5第2項ただし書き第1号に規定する「特許請求の範囲の減縮」を目的とし、新規事項の追加に該当せず、また、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
ウ 訂正事項3
訂正事項3は、訂正前の請求項6に記載された「請求項1?5のいずれか1項に記載」を「請求項1?4のいずれか1項に記載」に訂正するものであるから、特許法第120条の5第2項ただし書き第1号に規定する「特許請求の範囲の減縮」を目的とし、新規事項の追加に該当せず、また、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。

(2)小括
以上のとおりであるから、本件訂正は、特許法第120条の5第2項ただし書第1号に掲げる事項を目的とするものであり、かつ、同条第9項で準用する同法第126条第5項及び第6項の規定に適合する。したがって、訂正後の請求項1?6について訂正を認める。


第3 本件発明
本件訂正により訂正された請求項1?4、6に係る発明は、訂正特許請求の範囲の請求項1?4、6に記載された次の事項により特定されるとおりのものである。
「【請求項1】
基礎培地に、ポリビニルアルコールとアルブミンとを添加する工程を含む、幹細胞増殖用培地の製造方法であって、アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中の含有量の比が、1:1.1?100であり、該培地が、幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである、方法。
【請求項2】
さらに、アルブミンの脂肪酸担持量を測定してアルブミン1gに対して9mgよりも多い場合にアルブミンに対して脂肪酸低減処理を施す工程を含む、請求項1記載の方法。
【請求項3】
ポリビニルアルコールの臨界ミセル濃度が0.1?5mg/mlである、請求項1又は2記載の方法。
【請求項4】
ポリビニルアルコールの加水分解率が60?95%である、請求項1?3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
(削除)
【請求項6】
幹細胞がiPS細胞である、請求項1?4のいずれか1項に記載の方法。」
(以下、それぞれ「本件発明1」、「本件発明2」等という。これらをまとめて「本件発明」ということもある。)


第4 取消理由通知に記載した取消理由について
1 取消理由の概要
訂正前の請求項1?4、6に係る特許に対して、当審が令和2年3月26日付けで特許権者に通知した取消理由の概要は、次のとおりである。
(1)取消理由1(新規性)
請求項1、3?4、6に係る発明は、本件特許出願前に日本国内又は外国において頒布された下記甲1又は甲2に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明であって、特許法第29条第1項第3号に該当するから、上記請求項に係る特許は、特許法第29条第1項の規定に違反してされたものであり、取り消されるべきものである。

(2)取消理由2(進歩性)
請求項1、3?4、6に係る発明は、本件特許出願前に日本国内又は外国において頒布された下記甲1又は甲2に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明に基づいて、本件特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、上記請求項に係る特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、取り消されるべきものである。
また、請求項2?4、6に係る発明は、本件特許出願前に日本国内又は外国において頒布された下記甲1又は甲2に記載された発明及び甲3?5に記載された周知技術又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明に基づいて、本件特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、上記請求項に係る特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであり、取り消されるべきものである。

(3)引用文献等
甲1:国際公開第2011/100286号
甲2:PLoS ONE,2011,vol.6,no.4,e18293(https://doi.org/10.1371/journal.pone.0018293)及びその補足図面であるFig.S4(https://doi.org/10.1371/journal.pone.0018293.s004)
甲3:特表2009-528034号
甲4:特表2012-525148号
甲5:特表2014-501518号

2 当審の判断
(1)甲1の記載事項
甲1には以下の事項が記載されている。(甲1は英文なので、翻訳にて摘示する。翻訳及び下線は当審による。)
ア 表紙(タイトルと要約)
「タイトル: 分化中胚葉細胞を生成する組成物と方法
要約: 本発明は、ヒト胚性幹細胞(hESC)のような幹細胞由来の心筋細胞を含む分化中胚葉細胞、及び、ヒト誘導多能性幹細胞(hiPSC)由来の分化心筋細胞を含む分化中胚葉細胞の迅速かつ信頼性のある生成に有用な培養システム、培養システム要素および培養方法を特徴とする。」
イ 図面


」(図5続き)
ウ 図面の説明
「図5は、0?2日目の培地処方と成長因子を変化させて最適化したことを示す表である。分化のd0-d2第2相ステージの最適化された条件は、次のとおりである。(a)25ngmL^(-1)のBMP4。(b)5ngmL^(-1)のFGF2。(c)RPMI。(e)400μMの1-チオグリセロール。(f)10μgmL^(-1)のインスリン、及び(k)4mgmL^(-1)ポリビニルアルコール、(i)1×脂質及び(l)Y-27632。そして、(d)L-グルタミン、(g)トランスフェリン、(h)L-アスコルビン酸、(j)非必須アミノ酸、又は(k) ポリビニルアルコールのウシ血清アルブミンへの置換はいずれも分化をさらに促進しなかったか、又は、分化に悪影響を及ぼした。」 (10頁19?25行)
エ 実施例1
「実施例1:心臓分化を順次最適化するための系統的戦略
効率、再現性を改善し、心臓分化のインターライン変動性を減少させるために、心臓分化戦略を分析し(図1A-D)、及び実験変数を同定した(図2A)。次にhPSCの心臓分化を系統的に最適化するための戦略を開始した(図2B)。既知数の細胞から均一均質なヒト胚様体(hEB)を形成するために強制的集塊化心臓分化システムが使用された(・・・)(図1A)効率的な心臓系統の分化に対して不応性であることが証明されている細胞株であるH9(WA09)ヒト胚性幹細胞(hESC)を初期システム開発のために使用した。
心臓分化プロトコルは、最適化のために4つの異なる相に分けられた(図3A)。第1相:均一な未分化増殖;第2相;hEB形成/中胚葉誘導;第3相:hEB心臓の特定化;第4相:収縮心筋細胞の成熟。プロトコルの強化されたプロトタイプ版における最大パーセンテージの収縮の日として特定された時点である分化9日後に単純収縮hEBアッセイを使用して収縮するhEBの数を計数することにより、これら4つの相の各々における心臓分化の改善を連続的に評価した。」(26頁1行?17行)
「以下に、この高度に効率的な心臓分化プロトコルの4相の各々を系統的に最適化するためのアプローチについて説明する。」(26頁最終行?27頁2行)
「第2相(d0-d2):中胚葉誘導を加速する化学的に定義された培地
このプロトコルの第2相を改良するために、hESC及びmESCの分化と培養の培地処方物を系統的に試験し、強制的集塊化を介するhEB形成を最適化した(・・・)。・・・最も効率的な心臓分化を与えた最終培地処方物は、RPMI+ポリビニルアルコールとして記載されている(表1)。



表1は3ステップそれぞれの心臓分化のための最終的に最適化された培地処方物を示す。8つのhESC/hiPSC株における分化9日目までの90%を超える収縮hEBを産生する強制的集塊化心臓分化手順の間、2つの異なる培地処方物が使用された。分化15日目までの60%までの収縮hEBを産生する2日目から4日目の培地の無血清版も含まれる。
この培地の3成分(RPMI、ポリビニルアルコール、及びインスリン)は強制的集塊化hEB形成に十分だったが、脂質と1-チオグリセロールのこの最小限の処方への補充は、高効率の心臓分化をもたらした(図5E、5I)。小分子Y-27632(ROCK阻害剤)の含有は、再現性および心臓分化をさらに改善した。これは、1μMという限られた濃度で使用された(図5l)。」(27頁15行?28頁10行)
オ 実施例4
「要約すると、このプロトコルは、広範な独立して誘導されたhESC及びhiPSC株からの心筋細胞分化のほぼ全体的な効率性を生じる。重要なことに、この系を使用して産生された収縮細胞は、正常心筋細胞マーカーを発現し、電気的に結合し、非常に再現性の高い電気生理学的プロフィールを示した。」(34頁14?18行)
カ 心臓分化
「 強制的集塊化hEBの分化のために、3?13継代にわたり単層として市販の細胞外マトリックス、Geltrex(Invitrogen)上で増殖させたコンフルエントhESC又はhiPSCをTrypLE Selectで継代し、T25フラスコあたり2.5×10^(6)で播種した。24時間増殖させた後、細胞をPBSで洗浄し、37℃で1分間室温のTrypLE Selectで処理した。ウェルあたり100μLのRPMI+ポリビニルアルコール培地を含む96ウェルV底非被覆プレート(249952、NUNC)にウェルあたり5000個で細胞を播種した。RPMI+ポリビニルアルコール培地は、RPMI培地1640(L-グルタミンを含む)、4mgmL^(-1)のポリビニルアルコール(P8136、シグマ、少なくとも4℃でRPMIに溶解72時間、毎日反転して混合)、1%の化学的に定義された脂質濃縮物、10μgmL^(-1)の組換えヒトインシュリン(シグマ)、400μMの1-チオグリセロール(シグマ)、25ngmL^(-1)のBMP4及び5ngmL^(-1)のFGF2(両方ともR&Dシステムズ)、1μMのY-27632(カルビオケム)からなる。」(36頁6?12行)
キ 特許請求の範囲
「1.a)細胞接着を補助するタンパク質性細胞培養マトリックス上の単層としてヒト幹細胞を培養すること;
b)ポリ(ビニルアルコール)、BMP4及びFGF2を含む培地中で細胞を培養することによって細胞の凝集を促進すること;
c)中胚葉系譜の仕様を補助する条件下でさらに48時間細胞を維持培養すること;及び
d)ヒト胚様体成熟を促進する条件下でさらに6日間細胞を維持し、それにより分化中胚葉細胞を生成する、
を包含する、分化中胚葉細胞を生成するための方法。」(請求項1)

(2)甲1を主引例とした取消理由1(新規性)及び取消理由2(進歩性)について
ア 甲1発明の認定
上記(1)ア、エ、オ、キから、甲1には、第1相の均一な未分化増殖、第2相の強制的集塊化hEB形成、第3相のhEB心臓の特定化、第4相の収縮心筋細胞の成熟を含む、幹細胞から分化心筋細胞を生成する方法が記載されていると認められる。上記(1)ウにおいて、図5は第2相において用いられる培地の培地処方と成長因子を変化させて最適化したことを示す表であると記載されていることから、図5のa?lは、培地処方や成長因子の添加量や種類をどのように変化させたのかを示すものであると認められる。そして、上記(1)ウより、甲1の図5続き(上記(1)イ)の「k」中の「2PVA 1BSA」における培地処方は、最適化された処方である「(a)25ngmL^(-1)のBMP4。(b)5ngmL^(-1)のFGF2。(c)RPMI。(e)400μMの1-チオグリセロール。(f)10μgmL^(-1)のインスリン、及び(k)4mgmL^(-1)ポリビニルアルコール、(i)1×脂質及び(l)Y-27632。」において、「(k)4mgmL^(-1)ポリビニルアルコール」を「2mgmL^(-1)ポリビニルアルコール及び1mgmL^(-1)BSA(ウシ血清アルブミン)」に変更したものであると認められる。ここで、上記(1)エの表1より、「RPMI」は「RPMI1640」の略語であるといえる。また、基本培地に添加剤を添加して各種培地を製造することは常法に過ぎないから、甲1には、培地の製造方法が記載されていると認められる。
よって、甲1には、以下の発明が記載されていると認められる。
「RPMI培地1640に2mg/mLのポリビニルアルコール及び1mg/mLのウシ血清アルブミンを添加する工程を含む、ヒト胚性幹細胞の培養培地の製造方法。」(以下、甲1発明という。)

イ 本件発明1?4、6に係る発明と甲1発明との対比・判断
甲1発明の「RPMI培地1640」、「ウシ血清アルブミン」、「ヒト胚性幹細胞」はそれぞれ、本件発明1の「基礎培地」、「アルブミン」、「幹細胞」に相当し、甲1発明のウシ血清アルブミンとポリビニルアルコールの培地中の含有量の比は1:2である。
そうすると、本件発明1と甲1発明とは、「基礎培地に、ポリビニルアルコールとアルブミンとを添加する工程を含む、幹細胞培地の製造方法であって、アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中の含有量の比が、1:1.1?100である方法」である点で共通し、次の点で相違する。
(相違点1)培地について、本件発明1は「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」「幹細胞増殖用培地」であるのに対して甲1発明は「ヒト胚性幹細胞の培養培地」である点

相違点1について検討する。甲1発明の培地は、上記(1)エに記載があるように、強制的集塊化hEB形成用の培地であり、当該培地は、中胚葉誘導を加速するためのものであること、脂質や1-チオグリセロールのような高効率の心臓分化をもたらす成分や小分子Y-27632のような心臓分化を改善する成分を含有することが記載されていること、集塊化hEBはヒト胚性幹細胞よりも明らかに分化の進んだ状態であることから、分化培地であるといえ、本件発明1のような「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」「幹細胞増殖用培地」ではない。甲1発明の認定の基礎となった、図5続き(上記(1)イ)の「k」中の「2PVA 1BSA」において、「%hEB contracting on day 9」(9日目の収縮hEB%)が0であることが開示されている。しかし、上記(1)エ、オに記載があるように、収縮hEBのパーセントは、心臓分化の改善を評価するための指標であり、収縮hEBは、正常心筋細胞マーカーを発現するものであることを踏まえると、図5続き「k」中の「2PVA 1BSA」の結果から、この培養系において心筋細胞への分化に失敗したことは把握できるが、当該培養系において培養されたヒト胚性幹細胞が未分化な性質を維持した状態で複製が可能であったことまでは把握することができない。そうすると、この開示より、当該培養系の培地が「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」「幹細胞増殖用培地」であるということはできない。

ウ 本件発明の培地の解釈に関する異議申立人の主張
異議申立人は、令和1年12月27日付け特許異議申立書において次のように主張している。すなわち、「未分化な性質の維持」という用語の意味について、単に「多能性、複能性、又は単能性の維持」程度の意味にも解釈できること、そして、特定の組織や細胞へと最終的に分化するよりも前段階の「前駆細胞」は本件特許明細書で言う「幹細胞」に該当するものであると解されることから、本件発明の幹細胞増殖用培地は、「幹細胞の多能性、複能性又は単能性を維持した状態で幹細胞を複製(増殖)させる培地」である(ただし、「多能性、複能性又は単能性を維持し」とは、培養を通じて前駆細胞のような単能性細胞である「幹細胞」が生産されるような細胞培養までもが包含されている。)と解釈すべきである。
さらに、令和2年8月17日付け意見書において、次のように主張している。すなわち、本件特許発明は、「幹細胞培養用」という用途が、「培地組成物」の用途として新たな用途を提供したといえる場合でなければならないところ、本件発明の培地の適用対象は「幹細胞」であり、しかもその「幹細胞の増殖」という行為自体に区別はできず、単に「増殖」させようという主観的な意図によって新たな用途が提供されたと言える必要がある。しかし、「幹細胞」とは万能細胞から単能性細胞まで分化ポテンシャルは多様であり、ある組成の培地は細胞によって増殖にも分化誘導にも働き得るのであり、培地と幹細胞との組み合わせや培養条件によっても増殖にも分化誘導にも働き得ることが技術常識であるから、「増殖用」という特定によって培地に新たな用途を提供することは不可能であると言える。

これらの点について検討すると、細胞培養培地の技術分野において幹細胞増殖用培地、幹細胞分化用培地といった用途、概念は、汎用されており、確立されたものであり、本件発明1は、幹細胞分化用培地ではなく、「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とする」幹細胞増殖のための培地であるといえる。そして、ある種の培地で幹細胞を培養した結果、前駆細胞のような分化の進んだ細胞が得られたとすれば、当業者はその培地を幹細胞増殖用培地とは認識せずに幹細胞分化用培地として認識することは明らかであるから、異議申立人の主張するように本件発明1の「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」「幹細胞増殖用培地」を文言解釈することは妥当ではないし、本件発明1の培地と甲1発明の培地が相違しないということもできない。
同様の理由により、当業者は、本件発明1において特定されている「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである」「幹細胞増殖用培地」という用途を、幹細胞分化培地のような培地と区別して認識することができるといえるから、本件発明1は用途発明であるといえる。

エ 小括
したがって、本件発明1は、甲1に記載された発明であるか、又は、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない。
本件発明1と同様に「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とする」「増殖用培地」を構成要件に含む本件発明2?4、6も、甲1に記載された発明であるか、又は、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない。
以上により、甲1を主引例とした取消理由1、2は理由がない。

(3)甲2を主引例とした取消理由1(新規性)及び取消理由2(進歩性)について
甲2は、甲1に対応する学術論文であって、甲1と同一の内容を報告するものであるから、甲2には、甲1発明と同一の発明が記載されていると認められる。
したがって、上記(2)に記載した理由により、本件発明1?4、6は、甲2に記載された発明であるか、又は、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるということはできない。
以上により、甲2を主引例とした取消理由1、2は理由がない。

(4)甲1又は甲2を主引例として甲3?5を組み合わせることによる取消理由2(進歩性)について
上記(2)、(3)のとおり、本件発明の「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とする」「増殖用培地」と甲1又は甲2に記載された幹細胞を分化させるための「培養培地」とは異なる培地である。したがって、甲1又は甲2に記載された発明に、ヒト幹細胞の培養培地に添加するアルブミンとして脂肪酸フリーのアルブミンを用いるという周知技術(例えば、甲3?5)を組み合わせたとしても、本件発明1?4、6を容易に発明をすることができたということはできない。
したがって、この取消理由2は理由がない。


第5 取消理由通知において採用しなかった特許異議申立理由について
1 取消理由通知において採用しなかった特許異議申立理由
訂正前の請求項1?6に係る特許に対して、異議申立人が申し立てたが、当審が取消理由通知において採用しなかった特許異議申立理由の要旨は、次の通りである。
さらに、異議申立人は、令和2年8月17日付け意見書において特許異議申立理由についてさらに意見を述べており、その要旨は、次の通りである。

(1)甲1又は甲2を主引例とした特許異議申立理由1(新規性)及び2(進歩性)
ア 理由
訂正前の請求項5に係る発明は、幹細胞培養培地が「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とする」ものである点を特定するものであるところ、「未分化な性質の維持」という用語の意味について、単に「多能性、複能性、又は単能性の維持」程度の意味にも解釈できる。そして、特定の組織や細胞へと最終的に分化するよりも前段階の「前駆細胞」は本件特許明細書で言う「幹細胞」に該当するものであると解される。したがって、本件発明の幹細胞増殖用培地は、「幹細胞の多能性、複能性又は単能性を維持した状態で幹細胞を複製(増殖)させる培地」である(ただし、「多能性、複能性又は単能性を維持し」とは、培養を通じて前駆細胞のような単能性細胞である「幹細胞」が生産されるような細胞培養までもが包含されている。)と解釈すべきである。
イ 意見
本件特許発明は、「幹細胞培養用」という用途が、「培地組成物」の用途として新たな用途を提供したといえる場合でなければならないところ、本件発明の培地の適用対象は「幹細胞」であり、しかもその「幹細胞の増殖」という行為自体に区別はできず、単に「増殖」させようという主観的な意図によって新たな用途が提供されたと言える必要がある。しかし、「幹細胞」とは万能細胞から単能性細胞まで分化ポテンシャルは多様であり、ある組成の培地は細胞によって増殖にも分化誘導にも働き得るのであり、培地と幹細胞との組み合わせや培養条件によっても増殖にも分化誘導にも働き得ることが技術常識であるから、「増殖用」という特定によって培地に新たな用途を提供することは不可能であると言える。

(2)特許異議申立理由3(実施可能要件)及び4(サポート要件)
本件特許は、次のア?エの点で、請求項1?6について発明の詳細な説明の記載が不備のため、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たしておらず、また、請求項1?6の記載が不備のため、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない。
ア 理由その(1)
Essential8培地を基礎培地とすることで、多能性幹細胞であるiPS細胞にとっては、訂正前の請求項1に記載される「幹細胞培養用培地」や訂正前の請求項5に記載されているような「幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とする培地」を製造するという課題が達成できるとしても、複能性細胞であるhMSC細胞などiPS細胞以外の「幹細胞」でも同課題が達成できると当業者は合理的に推認することができない。甲7の開示は、Essential8培地はhMSC細胞に対して、コロニー形成できるような細胞増殖能を示さないことを示唆している。
イ 理由その(2)
iPS細胞を対象としてEssential8培地を基礎培地とする発明においては発明の課題が達成できるとしても、Essential8培地以外の培地が基礎培地とされる場合でも同課題が達成できると当業者は合理的に推認することができない。
ウ 理由その(3)
甲6は、ポリビニルアルコール(PVA)とアルブミンの比率の下限値であるアルブミン:PVA=1:1付近の場合は未分化状態の維持よりもむしろ分化誘導用の培地として適していることを示していること、甲1の図5(k)によれば、ヒトEB細胞の基礎培地に対してPVA単独で投与する場合には、1?8mgmL^(-1)で分化促進能が高いことが読み取れ、アルブミンとポリビニルアルコールとの含有量の比「1:100」付近の培地を幹細胞培養用培地に用いた場合は、幹細胞の未分化状態をそのまま維持した状態で増殖させることは困難であることが示唆されることから、請求項1に記載された発明において「アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中での含有比」が「1:1.1?100」とする培地の製造方法に係る発明の範囲まで発明を拡張ないし一般化することは不可能である。
エ 意見
上記意見書とともに甲第8号証(以下、「甲8」という)、甲第9号証(以下、「甲9」という)を提出し、甲8より、本件明細書の実施例において用いられている「Essential8培地」はヒトES細胞、ヒトiPS細胞の細胞培養に最適化されたものであること、甲9においてiPS細胞、ES細胞の未分化状態での増殖用培地とMSCの増殖用培地とは異なっており、iPS細胞のコロニーをMSC増殖用培地で継代培養させることでiPS細胞がコンフルエントまで増殖することはできず、MSCに分化することが記載されていることから、当業者であればiPS細胞とEssential8培地との組み合わせにおいて発明の課題を解決できたことをもって、MSCを含む幹細胞全てに対しても課題を達成できるという合理的な期待を持つとは考えにくい。

なお、甲6?9は以下のものである。
甲6 Nature Protoclos,2008,vol.3,no.5,768-776
甲7 Plos One,2014年10月27日,vol.9,issue10,e110496
甲8 Nature Methods,2011,vol.8,no.5,424-429
甲9 Stem cells translational medicine,2012,vol.1,83-95

2 当審の判断
上記1の特許異議申立理由についての当審の判断は次のとおりである。

(1)甲1又は甲2を主引例とした特許異議申立理由1(新規性)及び2(進歩性)について
訂正前の請求項5は訂正により削除された。
したがって、特許異議申立理由1及び2は理由がない。

(2)特許異議申立理由3(実施可能要件)及び4(サポート要件)について
アについて
本願出願時の技術常識を踏まえると、どのような幹細胞に対してどのような基礎培地が適しているかは当業者が把握していることであるから、当業者は幹細胞を増殖するために最適な培地を幹細胞の種類に応じて適宜選択できるといえる。そして、本件明細書の開示、特に、アルブミンが培地性能の安定維持効果が期待でき(【0002】、【0028】)、ポリビニルアルコールがそのミセル形成能によりアルブミンの代替もしくは補助となり得る(【0029】、【0032】)という記載や、実施例の開示から、iPS細胞以外の幹細胞を用いた場合でもアルブミンとポリビニルアルコールとを特定の割合で添加した最適な基礎培地で幹細胞を培養すれば、発明の課題を解決できることを推認することができるといえる。
なお、甲7は、本件出願後の2014年10月27日に公開されたものであるから、本件出願時の技術常識を示すものであるということはできない。
イについて
Essential8培地はiPS細胞の増殖に適した培地に過ぎないのであり、発明の課題を解決するために必要不可欠な成分であると認めることはできない。そして、アについてで検討したとおり、どのような幹細胞に対してどのような基礎培地が適しているかは当業者が把握していることであるから、iPS細胞以外の幹細胞を用いる場合には当該幹細胞に適した基礎培地を選択すれば、発明の課題を解決することができると推認することができるといえる。
ウについて
甲6は、「スピン胚様体としてのヒト胚性幹細胞分化のための組換えタンパク質ベースの動物由来製品を含まない培地(APEL)の使用を説明するプロトコル」というタイトルである。そして、甲6には、外因的に追加された成長因子に応答してヒト胚性幹細胞(HESCs)の均一かつ再現可能な分化を促進するために、組換えタンパク質ベースであり、動物由来製品を使用しない培地であって、HESCsが遠心分離により凝集してEBを形成するための培地を使用する方法(スピン胚様体(EBs))を開発したことが記載されている(要約1,2行)。そして、その具体的な手順の説明をみると、実験に十分な量の良質な細胞が利用できることが確認されたら、分化を行う日に、必要なサイトカインをAPELまたはBPEL(当審注 ウシ血清アルブミンポリビニルアルコール必須油脂の略語)分化培地ベース(手順のステップ1-3)に追加すること(771頁の手順6)、追加のサイトカイン(通常、ウェル当たり、APELまたはBPEL培地ベースによって希釈された10μlの容量)を分化の間いつでも追加することができること(772頁の手順14)が記載されている。すなわち、当該培地は、外因的に追加された成長因子であるサイトカインを含む分化誘導培地であるといえる。
また、甲1の図5(k)の、ポリビニルアルコールとウシ血清アルブミンを含む第2相の培地は、第4の2(2)イに記載したとおり、分化培地である。すなわち、第4の2(1)エに記載のとおり、当該第2相の培地は、ポリビニルアルコールやウシ血清アルブミンの他に、BMP4やFGF2、1-チオグリセロール、脂質、小分子Y27632を含有するものであるところ、甲1には、1-チオグリセロール、脂質、小分子Y27632は心臓分化をもたらすものであること(同エ)、BMP4やFGF2は、mesodermal morphogens(すなわち、中胚葉への分化を誘導する物質)であること(13頁下から3行)が記載されている。
そうすると、甲6の培地や甲1の図5(k)の培地は、分化誘導のための物質を含有するものであり、これら培地は、本件発明の培地と条件や用途を異にするものであるから、これら培地において幹細胞を培養した場合の結果を、本件発明の培地に当てはめて、アルブミン:ポリビニルアルコールの比が1:1付近や1:100付近、すなわち、本件発明1で特定する範囲の上下限付近で発明の課題を解決できないと推認することは妥当性を欠くというべきである。
エについて
アについてで検討したように、本件発明の方法をiPS細胞以外の適当な幹細胞に適用する場合に技術常識に基づいて最適な基礎培地を選択することが当業者はできるから、幹細胞と基礎培地との組み合わせが不適切な場合に発明の課題を解決できないことをもってして、iPS細胞と特定の基礎培地とを組み合わせた場合にしか発明の課題を解決できないと直ちに結論付けることはできない。
iPS細胞がMSC培地で増殖することができない根拠として申立人が提示した甲9についても検討する。甲9のタイトルは、「ヒト間葉系幹細胞/間質細胞を生成するための、ヒト誘発多能性幹細胞の小分子間葉系誘導」であり、甲9には、まずESC/iPSCをトランスフォーミング増殖因子(TGF)β経路阻害剤であるSB431542を含有する無血清培地中で培養し、上皮様単層細胞を作製したこと、その10日後、iPSCは中胚葉遺伝子のアップレギュレーションと多能性遺伝子のダウンレギュレーションを示したこと、その後、細胞を従来のMSC培地に移すことにより分化を完了したこと(要約7-11行)、小分子TGFβがhESCの全能性を維持するものであることが知られていること、TGFβ経路阻害剤であるSB431542がESCを様々な細胞へ分化誘導すること(84頁左欄15-19行)が記載されている。
そうすると、甲9において、MSC培地で培養されたiPS細胞は、分化誘導剤であるSB431542によって処理された後のものであり、甲9に開示されたiPSCの培養条件は、本件発明の培養条件と異なるものであるから、甲9の結果を踏まえて本件発明において発明の課題を解決できない場合があると推認することは妥当性を欠くというべきである。

したがって、特許異議申立理由3及び4は理由がない。


第6 むすび
以上のとおりであるから、取消理由通知に記載した取消理由及び特許異議申立書に記載した特許異議申立理由によっては、請求項1?4、6に係る特許を取り消すことはできない。
また、請求項5に係る特許は本件訂正により削除され、請求項5に係る特許異議申立てはその対象が存在しないものとなったため、特許法第120条の8第1項で準用する同法第135条の規定により却下する。
他に請求項1?4、6に係る特許を取り消すべき理由は発見しない。
よって、結論のとおり決定する。

 
発明の名称 (57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基礎培地に、ポリビニルアルコールとアルブミンとを添加する工程を含む、幹細胞増殖用培地の製造方法であって、アルブミンとポリビニルアルコールとの培地中の含有量の比が、1:1.1?100であり、該培地が、幹細胞の未分化な性質を維持した状態で該細胞の複製を可能とするものである、方法。
【請求項2】
さらに、アルブミンの脂肪酸担持量を測定してアルブミン1gに対して9mgよりも多い場合にアルブミンに対して脂肪酸低減処理を施す工程を含む、請求項1記載の方法。
【請求項3】
ポリビニルアルコールの臨界ミセル濃度が0.1?5mg/mlである、請求項1又は2記載の方法。
【請求項4】
ポリビニルアルコールの加水分解率が60?95%である、請求項1?3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
(削除)
【請求項6】
幹細胞がiPS細胞である、請求項1?4のいずれか1項に記載の方法。
 
訂正の要旨 審決(決定)の【理由】欄参照。
異議決定日 2020-10-28 
出願番号 特願2017-160520(P2017-160520)
審決分類 P 1 651・ 113- YAA (C12N)
P 1 651・ 121- YAA (C12N)
最終処分 維持  
前審関与審査官 千葉 直紀  
特許庁審判長 長井 啓子
特許庁審判官 大久保 智之
高堀 栄二
登録日 2019-06-14 
登録番号 特許第6536639号(P6536639)
権利者 味の素株式会社
発明の名称 幹細胞用培地  
代理人 高島 一  
代理人 高島 一  

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