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この審決には、下記の判例・審決が関連していると思われます。
審判番号(事件番号) データベース 権利
無効200680258 審決 特許
無効2007800191 審決 特許
無効2007800043 審決 特許
無効200580223 審決 特許
無効200580026 審決 特許

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審決分類 審判 全部無効 特36条4項詳細な説明の記載不備  B24B
審判 全部無効 産業上利用性  B24B
審判 全部無効 特123条1項8号訂正、訂正請求の適否  B24B
審判 全部無効 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  B24B
審判 全部無効 2項進歩性  B24B
管理番号 1175668
審判番号 無効2006-80102  
総通号数 101 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2008-05-30 
種別 無効の審決 
審判請求日 2006-05-29 
確定日 2008-04-10 
事件の表示 上記当事者間の特許第2957571号発明「ソーワイヤ用ワイヤ」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。 
理由 第1.手続の経緯
平成10年 8月27日 出願(特願平10-242066号)
平成11年 7月23日 設定登録
平成11年10月 4日 特許公報発行(特許第2957571号)
平成12年 4月 3日 異議申立(2)(サンコール株式会社)
平成12年 4月 4日 異議申立(1)(トクセン工業株式会社)
平成12年 8月30日 第1回取消理由通知
平成12年11月 9日 意見書、第1回訂正請求書
平成13年 3月13日 第2回取消理由通知
平成13年 3月28日 第1回訂正請求取り下げ、第2回訂正請求書
平成13年 4月11日 異議決定(訂正を認め、維持決定)
平成18年 1月 6日 訂正審判請求書(訂正2006-39001)
平成18年 2月 7日 審決(訂正を認める)
平成18年 5月29日 無効審判請求書(無効2006-80102)
平成18年 8月11日 ジャパンファインスチール株式会社、答弁書を提出
平成18年10月 2日 株式会社キスワイヤ、弁駁書を提出
平成18年12月 7日 株式会社キスワイヤ、上申書を提出
平成18年12月13日 株式会社キスワイヤ、上申書を提出
平成18年12月20日 請求人、被請求人ともに、口頭審理陳述要領書を提出、及び口頭審理
平成19年 1月22日 ジャパンファインスチール株式会社、上申書を提出
平成19年 2月28日 株式会社キスワイヤ、上申書を提出

第2.本件発明
本件発明は、平成18年1月6日付け訂正審判請求書による訂正後の特許明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載されたとおりのものであり、次のとおりである。
「シリコン、石英、セラミック等の硬質材料の切断、スライス用に用いられるソーワイヤであって、径サイズが0.06?0.32mmφで、ワイヤ表面から15μmの深さまでの層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm^(2) (+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲に設定されていることを特徴とするソーワイヤ用ワイヤ。」

第3.請求人が主張する無効理由の概要及び提出した証拠方法
請求人は審判請求書において、本件発明は、以下の無効理由1ないし6により無効とすべきものである旨主張し、証拠方法として甲第1?19号証を提出した。

(3-1)無効理由1:特許法第29条第1項柱書違反について
本件特許発明は、元来定量的に正確な数値を得ることはできない方法に基づいて特定した数値範囲を特徴とするものであり、また、その計算自体までもが、発明者の過誤により誤った数式に基づいて行われたものであるから、最初から誤った認識に基づいてなされた発明であり、また、本件特許発明は、実際には作ることができないワイヤ表面での内部応力が「0kg/mm^(2) 」もしくは「圧縮応力となっている場合」を含んでいる。言い換えると、本件特許発明の内部応力は単なる願望を含み、実現不可能な部分を含む。
したがって、本件特許発明は、最初から誤った認識に基づいてなされたものであり、また、実現不可能な部分を含むから、特許法第29条第1項柱書の「産業上利用できる発明」に該当せず、特許法第123条第1項第2号に該当する。(審判請求書5頁12-15行、24-26行、35-37行。)
(3-2)無効理由2:特許法第36条第6項第1号違反について
本件特許明細書の【表1】には、線径が0.18mmφで、内部応力が23?35kg/mm^(2)の5点についての数値が開示されているだけであり、他の記載を見ても「ワイヤ径が0.06?0.32mmφまでの種々のワイヤにおける内部応力が0±40kg/mm^(2)」を導き出すデータは開示されていない。本件発明の特徴である内部応力値の数値限定について、その範囲に臨界的な意義が存在しないことも明白である。伸線加工により形成されるワイヤは、その表面には引張応力が残留応力として残っていることは周知のことと考えられ、伸線加工後の鋼線の表面残留応力を0とすること、もしくは圧縮応力とすることについて、本件特許明細書に何らの記載も示唆すらも存在しない。
したがって、本件特許発明は、発明の詳細な説明に記載されたものではなく、特許法第36条第6項第1号に違反して無効である。(審判請求書6頁4-6行、25-26行、30-35行、7頁1-2行、弁駁書13頁27-31行。)
(3-3)無効理由3:特許法第36条第6項第2号違反について
ワイヤ内部での残留応力は均一でなく、深さ方向で変化するものであるため、表面から15μmの深さに至るまでの各部分部分では、局所的に大きな残留応力を有している場合も十分に考えられ、そのような局所的に残留応力が高い部分が表面に露出しているときには、本件発明の効果が奏されるとは考えられない。
したがって、本件特許請求の範囲の記載はその技術的意義が不明なものであるといわざるを得ず、本件特許は、特許法第36条第6項第2号に違反し無効である。(審判請求書7頁13-23行。)
(3-4)無効理由4:特許法第36条第4項違反について
層の除去をエッチングにより行う方法では定量的な応力測定が不可能であることは、本件特許出願時において当業者に周知の技術的常識ともいえる事項であったのだから、本件特許発明者が、このように定量的測定には向かないことが知られている測定方法を用いて、あえて内部応力の数値を規定しようとするのであれば、まず、その測定方法を明らかにしなくてはならないことは当然であり、当業者が納得しうるだけの相応の工夫を開示すべきであると思われるのに対して、本件特許明細書のどこにもそのような工夫は示されていない。
また、本件特許においては、算出式が変わっているのに内部応力は変わっていない。このようなことでは、本件特許明細書は当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない。
さらに、本件特許の明細書には、「ワイヤ表面から15μmの深さまでの内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲に設定された」ソーワイヤの製造方法として、漠然とした説明が記載されているのみで、当該ソーワイヤ用ワイヤをいかにして得るのかを当業者は理解することはできないし、これらの製造条件が、製造されるソーワイヤの内部応力にどのように作用するか等の技術的意義が明らかではない。
明細書に測定方法や製造方法が記載されていない場合、記載不備となることは過去の判決例からも明らかである。
したがって、本件特許の明細書の記載は、「当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載しなければならない」と規定した特許法第36条第4項の規定を満たしておらず、本件特許は無効理由を有する。(審判請求書9頁15-23行、10頁3-5行、10-30行、11頁4-6行、10行、33行、12頁16-17行、末行。)
(3-5)無効理由5:特許法第126条第4項違反について
本件特許出願時の明細書には、本件特許発明者が、削除された数式【数1】に基づいて内部応力を数値化した旨が明記されている(当初明細書の段落【0007】)。しかし、上記の手法によって本件特許発明者が内部応力値の好ましい範囲として求めた0±40kg/mm^(2)の範囲は、誤った式に基づく誤った値である。
したがって、本件特許発明である、「内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲に設定されたソーワイヤ用ワイヤ」なるものが、上記訂正によって本件特許出願時のものとは異なったものとなったことは明白であり、かかる訂正は、特許請求の範囲の実質的な拡張または変更に該当するといわざるを得ない。
したがって、平成13年3月28日提出の「訂正請求書」に基づく訂正は、特許法第126条第4項及び同法第123条第1項第8号に該当し、本件特許は無効である。(審判請求書13頁15-32行。)
(3-6)無効理由6:特許法第29条第2項違反について
<相違点の検討1>
本件発明は、タイヤコードの素線としてもソーワイヤとしても利用可能であることが明らかな甲第1、2号証のワイヤを、単にソーワイヤ用ワイヤに転用したものにすぎない。同じ伸線加工により得られたワイヤを、タイヤ用スチールワイヤの素線として用いた場合でも、ワイヤソー用ワイヤとして用いた場合であっても、両者がもともと伸線加工で形成されるワイヤとして同じものである以上、それぞれが同じような内部応力分布を有していることは明らかであり、また、これらのワイヤを実際に使用するに当たって、その形状の経時的な変化を議論するに際しては、ワイヤ線として所望の線径のものが得られた状態での残留内部応力が小さいほどよいこともまた、当業者には周知の事項である。したがって、これらのワイヤにおいて、伸線加工後の残留内部応力が所定の数値よりも小さいものであることを規定する上で、その用途がスチールワイヤ用の素線であろうが、ソーワイヤ用のワイヤであろうが、大きな差異が存在するとはいえない。以上から、本件発明は、甲第1号証又は甲第2号証と、甲第3号証に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得た発明である。(審判請求書18頁12-30行。)
<相違点の検討2>
甲第4号証には、フリーサークル径の減径及び小波の発生と、ワイヤの偏磨耗、ワイヤ表面の内部応力との因果関係を開示ないし示唆していることが明らかである。よって、本件発明の課題は、ソーワイヤとして何等新規な点がない。また、甲第4号証には、ワイヤの偏摩耗は残留応力の分布の偏りによって生じるものであることが記載されているから、かかる甲第4号証の記載に基づいて、当業者が、ワイヤ表面の残留応力自体を小さくすることによって上記偏摩耗を低減もしくは解消できることに想到するのは容易であり、本件特許発明のように、その数値範囲を限定しようとすることに何らの困難性はない。ワイヤの製造条件は、タイヤコード等の極細鋼線の製造方法として至極一般的な事項にすぎないことが、甲第6号証、甲第1号証、甲第3号証の記載から明らかである。したがって、本件発明は、甲第1号証?甲第6号証から当業者が容易になし得た発明である。(審判請求書19頁1-10行、29-38行。)
<本発明のワイヤを得る手段の容易性>
本発明のワイヤを得る手段(ワイヤの製造方法)は、タイヤコード等の極細鋼線の製造方法として至極一般的な製造方法であって、本件発明に特有のものではない。本件発明のワイヤが従来のワイヤと相違するのであれば、そのワイヤの製造方法は従来の製造方法と異なる点があるはずである。しかしながら、本件明細書の発明の詳細な説明に本件発明のワイヤを得るための製造方法として示されたものは、従来の方法と何等異なるところがない。製造方法が共通していれば、得られたワイヤもまた共通しているのであり、このことからしても本件発明は容易である。(審判請求書20頁2-21行。)
<甲号各証>
甲第1号証 特開平5-71084号公報
甲第2号証 特開平8-291369号公報
甲第3号証 特開平6-312209号公報
甲第4号証 特開平9-70747号公報
甲第5号証 特開平8-158280号公報
甲第6号証 ワイヤロープハンドブック編集委員会編「ワイヤロープハンドブック」、日刊工業新聞社、1995年3月30日発行、P.2?3、P.98?99、P.111?113、P.116?117、P.730?731
甲第7号証 東京高裁判決 昭和54年(ネ)第2813号、昭和59年7月17日
甲第8号証 東京高裁判決 平成16年(行ケ)第290号、平成17年3月30日
甲第9号証 東京高裁判決 平成12年(行ケ)第120号、平成14年2月7日
甲第10号証 東京高裁判決 平成12年(行ケ)第354号、平成13年10月31日
甲第11号証 特開平8-216012号公報
甲第12号証 特開平5-9655号公報
甲第13号証 特開平5-43933号公報
甲第14号証 特開平10-121199号公報
甲第15号証 再公表公報WO92/393号
甲第16号証 特開平5-138230号公報
甲第17号証 特開平5-200667号公報
甲第18号証 特公平7-116552号公報
甲第19号証 特開平5-302120号公報

第4 被請求人の主張の概要
(4-1)本件特許発明の実現に至る経緯
被請求人は、「本発明は、従来知られていなかった表層部の内部応力規制と摩耗時の真直性向上との関係を見出したからこそ、他の分野のスチールワイヤをソーワイヤ用ワイヤに転用することができ、実現に至ったものです。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書3頁6行-8行。)と主張し、「表層部の内部応力を規制した従来周知のワイヤのソーワイヤへの転用」が本件特許発明の主要部であると主張している。また、答弁書において、乙第1号証乃至乙第15号証を提出している。
(4-2)無効理由1:特許法第29条第1項柱書違反に対する反論
本件特許の出願当初の明細書に記載された計算式に誤記があった点につき、被請求人は、「本件特許明細書に記載された内部応力に関する数値や、特許請求の範囲に記載された数値範囲は、正しい数式によって導き出されたものであり、上記の誤った数式により導き出されたものではないから、内容の信頼性には問題はない。」(答弁書7頁30行-32行)と主張し、また、ワイヤ表面での内部応力が「0kg/mm^(2) 」もしくは「圧縮応力となっている場合」を含んでいる点についても、「ワイヤ表面の内部応力が「0kg/mm^(2) 」もしくは「圧縮応力となっている場合」が存在することは、当業者において常識である。」(答弁書7頁末行-8頁1行。)と主張し、さらに、「甲第5号証段落0009における「最終ダイスから引き抜く力が素線に作用している際に繰り返し曲げを行なうことにより、素線の長手方向表層部に大きな圧縮残留応力を付与することができる。」との記載、」(答弁書8頁5行-7行。)、「同様に張力下で繰返し曲げ変形することによって表層部に残留圧縮応力を付与するものとして、特開平5-86589号の段落0006(乙第4号証)がある。さらに、加工に用いるダイスにかえてローラーを用いるローラーダイス引抜きによっても圧縮応力を付与することができる。」(答弁書8頁13行-16行。)と主張することにより、ワイヤ表面での内部応力を「0kg/mm^(2) 」もしくは「圧縮応力」とすることは実現可能であるとしている。
(4-3)無効理由2:特許法第36条第6項第1号違反に対する反論
ワイヤの「内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲」と特定したことによる意義につき、被請求人は、「本発明は、応力の数値範囲も含めて公知のワイヤを転用したものであるので、請求項に記載の全範囲にわたるデータの開示はそもそも必須ではありません。・・・本発明で規定されている内部応力の数値範囲は、実使用での結果に基づいて本発明の効果を発揮できる実用的な範囲として設定されているものであり、そもそも本発明の無効性の議論において最大の論点となるべき進歩性との関係においては決定的な意味はありません。・・・内部応力をゼロ以下とする手段は本件出願時において公知となっています。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書4頁5行-16行。)と主張し、本件特許発明は公知のワイヤの転用で、数値限定は実使用での結果に基づいて本件特許発明の効果を発揮できる実用的な範囲として定めたものとしている。さらに、内部応力をゼロ以下とする手段の本件出願時における公知性を主張している。
(4-4)無効理由3:特許法第36条第6項第2号違反に対する反論
被請求人は、局所的に残留応力の高い部分が存在するとしても、そのような残留応力のばらつきが、ワイヤのフリーサークル径に及ぼす影響は微々たるものであり、ワイヤの使用前後における曲率変化という観点からは実質的な影響が生じることはないと主張している。(答弁書10頁6-8行。)
(4-5)無効理由4:特許法第36条第4項違反に対する反論
本件特許明細書における測定方法に関する記載不備に関し、被請求人は、「本件特許発明に係るソーワイヤ用ワイヤの内部応力は、素線について従来行なっていた層除去法を用いて測定すればよいのである。即ち、エッチングにおける見込み角の大きさ及び長さ方向の領域、エッチング液の種類・濃度・温度等、ワイヤの長さ、曲率測定時のワイヤの保持方法、具体的な算出方法、計算式の補正方法等については、何れも従来行っていた層除去法をベースにして決定すればよいだけのことであり、本件特許の出願時における当業者にとってすれば何ら困難などない。」(答弁書10頁30行-35行。)と主張している。
また、内部応力の算出式の不備に関しては、「本件特許公報に記載された内部応力値は、元々正しい数式によって導き出されたものであり、訂正により削除した数式を用いて導き出したものではない。」(答弁書11頁22行-24行。)と主張している。
さらに、製造方法に関する本件特許明細書の記載不備に関しては、「本件特許発明に係るソーワイヤ用ワイヤを製造するに当り、本件特許明細書の記載のみでは当業者が十分に実施できない場合であっても、本件特許明細書の記載と、本件特許の出願時における上記周知技術とに基づけば、本件特許発明に係るソーワイヤ用ワイヤの製造方法は、当業者にとって十分に実施可能である。」(答弁書11頁43行-46行。)と主張している。
(4-6)無効理由5:特許法第126条第4項違反に対する反論
平成13年3月28日提出の「訂正請求書」に基づく根拠式の削除による特許請求の範囲の実質的拡張または変更に該当するという無効理由に関し、本件特許公報に記載された内部応力値は、元々正しい数式によって導き出されたものであり、訂正により削除した数式を用いて導き出したものではない。したがって、平成13年3月28日提出の「訂正請求書」に基づく訂正は、特許請求の範囲の拡張及び変更に該当しないと主張している。(答弁書13頁31-36行。)
(4-7)無効理由6:特許法第29条第2項違反に対する反論
甲第1及び甲第2号証は、タイヤ等のゴムを補強するためのスチールコードを開示するのに対し、本件特許発明はソーワイヤ用ワイヤであるところ、ゴム補強用スチールワイヤとソーワイヤ用ワイヤとでは、使用形態が全く異なることから、求められる性質も全く異なる。ゴム補強用スチールワイヤは、複数のワイヤが束ねられたより線として使用されるものであるため、疲労強度は求められるものの、ソーワイヤ用ワイヤのように耐磨耗性や偏磨耗時の真直性は問題とならない。ソーワイヤ用ワイヤに特有の偏磨耗時の真直性向上という問題を内部応力の規制により解決するという技術的思想が公知でない以上、径サイズ及び内部応力が同じ値のゴム補強用スチールワイヤが公知であって、両ワイヤ間に他の共通点があったとしても、このゴム補強用スチールワイヤをソーワイヤ用ワイヤに転用した場合に、偏磨耗時の真直性を向上させることができるということは、当業者において全く予想できることではないと主張している。(答弁書14頁26-29行、平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書5頁30-32行、6頁11-17行。)
甲第4号証には、ワイヤの小波については開示されていないし、偏摩耗と小波との関係についても何ら開示されていない。さらに、甲第4号証に記載された発明は、ワイヤの偏摩耗を抑制するワイヤソー(装置)であるのに対し、本発明は、偏摩耗が生じたとしても、それによって生じる小波を抑制することのできるワイヤについてである。本発明と甲第4号証に記載された発明とでは、「内部応力」という用語を互いに異なる前提のもとで用いており、両者は単純に比較できるものではないと主張している。(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書6頁29-33行、7頁17-19行。)
さらに、本発明は応力の数値範囲も含めて公知のワイヤを転用したものであり、その転用の技術的困難性に進歩性を有するものであるので、製造方法が公知であることや、数値範囲そのものを議論することは全く有意義ではないと主張している。(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書7頁22-25行。)
<乙号各証>
乙第1号証 「材料試験」共立出版株式会社発行(1967)
乙第2号証 「Wire残留応力算出法および測定法に関する意見書」早稲田大学機械工学科 浅川基男教授
乙第3号証 特開平8-158280号公報
乙第4号証 特開平5-86589号公報
乙第5号証 特開平10-129211号公報
乙第6号証 エッチング前後のワイヤ曲率半径の変化量からワイヤ表面の応力を求める場合の算定式、腐食角度を考慮したときの応力評価式、及び算定方法の一例を示す参考資料
乙第7号証 「Wire残留応力算出方法」
乙第8号証 「塑性加工」共立出版株式会社発行 朝倉健二著 1998年10月10日 初版第1刷発行
乙第9号証 「塑性加工用語辞典」日本塑性加工学会編 コロナ社発行 1998年12月16日 初版第1刷発行
乙第10号証 「技術分野別特許マップ機械23引抜・押出による金属成型」280頁 社団法人発明協会技術分野別特許マップ作成委員会編
乙第11号証 特開平8-325965号公報
乙第12号証 「技術分野別特許マップ機械23引抜・押出による金属成型」136頁 社団法人発明協会技術分野別特許マップ作成委員会編
乙第13号証 「マルチワイヤソー用細線の技術」長尾一郎著 砥粒加工学会誌45巻8号17頁
乙第14号証 特許異議申立に係る特許決定公報(平成13年10月26日発行)
乙第15号証 東京高裁平成17年(行ケ)第10091号判決

第5.甲第1号証ないし甲第6号証に記載された発明、事項の内容
<甲第1号証>
甲第1号証には、以下の記載がある。
ア 特許請求の範囲
「【請求項1】ゴム補強材として使用される炭素量が0.6%以上の高炭素鋼の母材外層にゴム接着性付与用のめっき層を有する極細のワイヤにおいて、該ワイヤがめっき後伸線工程の最後にアプローチ角が約8°以下の引き抜きダイスにより引抜加工されたものであり、表面の残留応力が、X線回折法により求められた軸方向における引張り側で45Kg/mm^(2)以下であることを特徴とするゴム補強用スチールワイヤ。」
イ 発明の詳細な説明の段落【0001】
「【産業上の利用分野】本発明はゴム補強用スチールワイヤとりわけ引張表面残留応力の低い特性を持つゴム補強用スチールワイヤに関する。」
ウ 発明の詳細な説明の段落【0002】
「・・・かかるスチールワイヤは、補強効果を高めるため、冷間加工特にダイスを用いた引き抜き法により目的直径まで伸線加工されるが、この引き抜きにより表面に引張り側の残留応力が残る。そして、コードとされゴム製品に補強材として使用された時には引張りや曲げの応力を受ける。そのため、スチールワイヤの表面には、すでにある残留応力にこの応力が重畳することになり、その応力が高い場合には、疲労現象が早期に現われ、亀裂の発生やその伝播が進行し、ひいてはゴム製品全体の強度や疲労性の劣化につながる。この観点から、スチールワイヤの表面に残留する引張り応力は低いほどよく言われており、そうした表面の引張り残留応力を低減する方法として、引き抜き加工後のスチールワイヤを多数の小径ロールを用いて引張り応力下で交互に曲げ加工を施す方法や、スチールワイヤ表面をショットブラストする方法が提案されている。また、他の方法として熱処理により応力を緩和する方法が知られている。」
エ 発明の詳細な説明の段落【0004】
「・・・本発明は、ワイヤ表面の残留応力を定量的に把握し、それに基いて、スチールワイヤの表面残留応力を後加工によってでなく、引き抜き加工そのもので低減させるようにしたものである。・・・表面の残留応力が、X線回折法により求められた軸方向における引張り側で45Kg/mm^(2)以下であることを特徴とするものである。」
オ 発明の詳細な説明の段落【0006】
「・・・この伸線加工は、断面形状や寸法の精度の面から、引き抜きダイスが用いられ、0.05?0.80mmにおける所定の直径になるまで、冷間で複数段行われる。これによってワイヤの強度を向上させ、またワイヤ表面を平滑化するのである。この引き抜き加工では、表面残留応力が不可避的に生ずる。その表面残留応力の測定法として、ゴム補強用ワイヤ類については、マニキュア法が唯一の実用的な方法として採用されていた。すなわち、このマニキュア法とは、ワイヤの一部に疎水性のマニキュア類を塗布してから、酸などで一部表面を溶解除去し、それによって生ずる形状変化により、残留応力を評価する方法である。しかし、この方法は塗布部のバラツキや溶解量の変動が形状変化に現われてしまう。したがって、表面残留応力を定性的に評価できるに止まり、定量的な評価は行えない。従来では、この定性的な評価に基いて表面残留応力を測定したとなしており、それゆえ、精度が低く、バラツキや安定性が乏しいものであった。」
カ 発明の詳細な説明の段落【0007】
「・・・表面残留応力の測定については、X線回折法が有効である。しかし、ワイヤのように円周があり、一方向に配向を持つ素材では測定が難しいとされていた。・・・この方法により細いワイヤについても、表面からワイヤ中心に向かって10μmの残留応力を精度よく測定することが可能となった。・・・」
キ 発明の詳細な説明の段落【0009】
「・・・本発明はアプローチ角を緩やかにし、それによってアプローチ2cでの接触面積を増し、ワイヤ単位面積あたりの応力負荷を減らすようにしたものである。そのアプローチ角を種々に調整してワイヤの引き抜きを行い、それぞれについて前記したX線回折法により表面残留応力を測定したところ、アプローチ角を9°未満好ましくは約8°以下としたときに、表面残留応力がすべて軸方向において引張り側で45Kg/mm^(2)以下になった。・・・」
ク 発明の詳細な説明の段落【0010】
「・・・このワイヤをアプローチ角:12°の直線状引き抜きダイスを21段用いて伸線加工を行い、0.30mmφのワイヤを得た。・・・」
ケ 発明の詳細な説明の段落【0012】
「この結果から、最終引き抜きダイスのアプローチ角を約8°以下にすると、表面残留応力を45Kg/mm^(2)以下にすることができ、疲労性も改善することができることがわかる。・・・」
コ 発明の詳細な説明の4頁には、表1として、X線回折法による表面残留応力が5kg/mm^(2)、25kg/mm^(2)のワイヤが例示されている。
以上、アないしコの記載事項から、甲第1号証には、以下の発明が記載されている。
「直径が0.05?0.80mmで、X線回折法により求められたワイヤ表面から10μmの深さ付近での内部応力が45kg/mm^(2)以下、特に5kg/mm^(2)、又は25kg/mm^(2)の範囲に設定されているゴム補強用スチールワイヤ。」
<甲第2号証>
甲第2号証には、以下の記載がある。
サ 発明の詳細な説明の段落【0001】
「【産業上の利用分野】本発明は、スチールタイヤコード、スチールベルトコード等の素線として使用され、線径が0.05?0.4mmである疲労特性の優れた高強度極細鋼線およびその製造方法に関するものである。」
シ 発明の詳細な説明の段落【0005】
「【発明が解決しようとする課題】本発明は上記の如き実状に鑑みなされたものであって、伸線加工によって線径0.05?0.4mmである極細鋼線を製造する際に生じる疲労特性の劣化を防止し、疲労特性の優れた高強度極細鋼線を実現するとともにその製造方法を提供することを目的とするものである。」
ス 発明の詳細な説明の段落【0013】
「・・・図2に極細鋼線の表層残留応力と疲労限の関係について解析した一例を示す。表層の残留応力が+200MPa以下で、鋼線の疲労限が著しく向上することから、表層の残留応力を+200MPa以下に制限した。・・・」
セ ここで、応力の値として、200MPaは、換算すると、約20.4kg/mm^(2)程度である。
以上、サないしスの記載事項、及びセの認定事項から、甲第2号証には、以下の発明が記載されている。
「線径0.05?0.4mmのスチールタイヤコード、スチールベルトコード等の素線であって、表層の残留応力を+200MPa(約20.4kg/mm^(2))以下に制限した疲労特性の優れたスチールタイヤコード用スチールワイヤ。」
<甲第3号証>
甲第3号証には、以下の記載がある。
ソ 発明の詳細な説明の段落【0001】
「【産業上の利用分野】本発明はゴム、有機材料の補強用に使用されている高強度で高延性の極細鋼線に関するものである。これらの鋼線は、乗用車用カーカスコード、ソーワイヤなどに使用することができる。」
タ 発明の詳細な説明の段落【0002】
「【従来の技術】一般的に使用されている0.15?0.35mmφのスチールコードなど伸線された高炭素鋼極細線は、通常必要に応じて熱間圧延した後に調整冷却した直径4.0?5.5mmの線材を一次伸線加工後、最終パテンティング処理を行い、その後ブラスメッキ処理を経て最終湿式伸線加工により製造されている。このような極細鋼線の多くは、2本撚り、5本撚りなどの撚り線加工を施した状態でスチールコードとして使用されている。これらの極細線は
1)より高強度であること、
2)高速伸線性が優れていること、
3)疲労特性が優れていること、
4)高速撚り線性が優れること、
等の特性を具備しなければならない。」
チ 発明の詳細な説明の段落【0026】
「これらのワイヤは、乾式伸線、湿式伸線のいづれかあるいは組み合わせで製造されているが、伸線の過程においてダイスの磨耗を出来るだけ起こしにくくするため表面にめっきを施すことが望ましい。・・・」
ツ 発明の詳細な説明の段落【0027】
「以上の製造工程において使用する引き抜きダイスに、アプローチ角が10°±2°である引き抜き用ダイスを使用することで、従来の14°±2°のダイスに比べ、内部に圧縮残留応力を働かせて伸線加工をすることが可能となり、いっそう優れた超極細線を製造することが可能となる。この製造工程により円相当直径が0.02?0.15mmφのワイヤを製造することで、疲労寿命の高い素線を製造することができる。・・・」
以上、ソないしツの記載事項から、甲第3号証には、以下の発明が記載されている。
「径サイズが0.02?0.15mmφで、アプローチ角が10°±2°である引き抜き用ダイスにより製造された乗用車用カーカスコード及びソーワイヤ等に使用できる疲労強度に優れた超極細線。」
<甲第4号証>
甲第4号証には、以下の記載がある。
テ 発明の詳細な説明の段落【0001】
「【発明の属する技術分野】本発明は、ワイヤと砥粒により、半導体材料、セラミックスなどのような材料を多数のウエハに高精度に切断するワイヤソーに関する。」
ト 発明の詳細な説明の段落【0014】
「【課題を解決するための手段】ワイヤソーに用いられる直径0.2mm以下の極めて細いワイヤは剛性に乏しく、簡単に捻られるものである。・・・」
ナ 発明の詳細な説明の段落【0015】?【0016】
「1)ワイヤを溝ローラに巻掛けた際、ワーク切断時にワイヤがワークと接するワイヤの外周面は、ワイヤの製造時に残留した応力の大きさに影響され、従来のワイヤソーでは、残留応力の小さい面がワークと接することになる。2)従って、ワイヤの残留応力の小さい外周面が摩耗し、その面の残留応力はますます小さくなり、ワイヤの残留応力の小さい外周面がワークに接する傾向はますます強くなる。」
ニ 発明の詳細な説明の段落【0026】
「・・・このように、引張残留応力が小さいワイヤの表層部位(X側)が摩耗する結果、表面Xの側の引張残留応力σt は小さくなり、ワイヤ4はさらに小さいρで曲がろうとする。・・・」
以上、テないしニの記載事項から、甲第4号証には、以下の事項が記載されている。
「半導体材料、セラミックス等の材料の切断に用いられるソーワイヤであって、径サイズが0.2mm以下で、ワイヤ外周面には、引張残留応力を有するソーワイヤ用ワイヤにおいて、ワーク切断時にワイヤの残留応力の小さい外周面が摩耗し、その面の残留応力はますます小さくなり、ワイヤの残留応力の小さい外周面がワークに接する傾向はますます強くなること。」
<甲第5号証>
甲第5号証には、以下の記載がある。
ヌ 発明の詳細な説明の段落【0001】
「【産業上の利用分野】この発明は、タイヤやベルトなどのゴム製品の補強に用いられるスチールコード素線の製造方法に関し、特には、耐疲労性、耐食性および延性に優れた高強度の鋼素線の製造方法に関するものである。」
ネ 発明の詳細な説明の段落【0020】
「・・・長さ100mmに切った素線の片側にエナメルを塗り、50%硝酸でもう片側を溶解する。すると、残留応力により素線が変形する。変形が最大のときの先端の移動長さ(図4の(ロ)に示す距離AまたはB)を測定し、エナメルを塗った方向に移動すれば引張り残留応力(+)とし、逆側に移動すれば圧縮残留応力(-)とした。移動距離の絶対値が大きくなるほど各残留応力も増大する。」
以上、ヌないしネの記載事項から、甲第5号証には、以下の事項が記載されている。
「ゴム補強用スチールコード素線の片側にエナメルを塗り、50%硝酸で他の片側を溶解すると残留応力により素線が変形し、先端の移動長さを測定することにより素線表層部の引張又は圧縮残留応力の大きさを移動距離(mm)で表すこと。」
<甲第6号証>
甲第6号証には、以下の記載がある。
ノ 2頁3行-4行
「ワイヤロープ(以下、ロープという)は鋼線(鉄線)をより合わせてつくられる。ロープを構成する鋼線を素線とよび,」
ハ 2頁18行-20行
「このような特性によってロープは,重量物の牽引,つり上げ,支持,繋留などにおいて,極めて有効な機械要素として,また近年ではコンクリート,ゴムなどの補強材として使用される。」
ヒ 99頁3行-7行
「減面率には2種類あり,伸線加工前の線材の原線断面積と伸線仕上げ断面積との差で表わす全断面減少率と,複数回ダイスで引抜く場合の1回の断面減少率とがある。全断面減少率と各回の断面減少率をどのように採用するかは線の種類,要求される品質,材料の性質などによって異なるが,普通各回約20%,時には10?30%の断面減少率で数回ダイスを通して行われる。」
フ 111頁27行-28行
「アプローチ部分の角度は,鋼線では実際作業で伸線のとき線表面があらく摩擦が大きいので10?12°位の角度を用いる。」
ヘ 112頁の表2.5.2「ダイス各部の角度と寸法」
アプローチ角度12°?13°、ベアリングの寸法0.5d(ただし、dはダイスの穴径)であることが記載されている。
ホ 113頁の図2.5.13「ダイス角度と減面率および伸線材料との関係」
ダイス角度と減面率及び伸線材料との関係が記載されている。
マ 117頁13行-17行
「(e)エマルジョンタイプの潤滑剤
油を親水性エマルジョンにして水に混合した潤滑剤では,水を添加すると光沢のない乳液をつくる特性がある。この潤滑剤は鉱物油の中へ乳化剤を加えてつくられ,潤滑剤として働くとともに防錆剤としても働き,軽い減面率の伸線に適している。」
ミ 731頁10行-12行
「スチールタイヤコードのより構造は,単純な構成が多く,その素線は一般のワイヤロープや鋼線に比して素線径が0.15?0.38mmと細く,引張強さは3,000?3,500N/mm^(2)と鋼材料としては最強である。」
以上、ノないしミの記載事項から、甲第5号証には、以下の事項が記載されている。
「素線径が0.15?0.38mmのスチールタイヤコードにおいて、ロープ用素線を伸線加工して製造するダイスは、アプローチ角12?13°、ベアリングの寸法0.5d(ただし、dはダイス穴径)のものが用いられること。」

第6.当審の判断
(6-1)本件特許発明の主要部、及び各種数値限定の意義について
本件特許発明は、従来知られていなかったソーワイヤにおける表層部の内部応力規制と磨耗時の真直性向上との関係を見い出し、他の分野のスチールワイヤをソーワイヤ用ワイヤに転用したものであって、3つの数値限定の意義は以下のとおりである。
<ソーワイヤの径サイズが0.06?0.32mmφとした点>
本件特許明細書の段落【0002】において、「通常その径は0.06?0.32mmφで」と記載されているように、ソーワイヤの従来用いられている実用的な数値をその範囲として特定したものである。
<ソーワイヤの層除去の深さを15μmとした点>
本件特許明細書の段落【0006】において、「内部応力を求める深さをワイヤ表面から15μmの深さまでに設定し得たのは、実使用における使用済みワイヤの片側最大磨耗が15μmであることを確認したことによるものである。」と記載されているように、内部応力を求める深さについては、実際のソーワイヤの実用磨耗限界が15μmであるので、15μmを超えて磨耗したソーワイヤを使用することはあり得ず、実用限度いっぱいの15μmとしたものである。
<層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm^(2)(+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲とした点>
本件特許明細書の段落【0006】において、「内部応力値の範囲は、実使用において使用線に小波の発生がなかったことを確認したことによるものである。また、この範囲では、従来例に比較し、使用線のフリーサークル径が明らかに大きくなっていることを確認した。」と記載されている。ここで、ソーワイヤにおいて、表層部の内部応力を減少させれば、ソーワイヤの使用により表面が局部的に磨耗しても、そのことによりソーワイヤの使用後にフリーサークル径が極端に小さくなったり、小波状になることが少なくなることは容易に理解し得るところである。してみると、本件特許発明において、層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたことの意義は、「ソーワイヤにおいて、表層部の内部応力を減少させる」ことにあるのであり、そのための実使用における目安値として「0±40kg/mm^(2)」の範囲として特定したものである。
本件特許発明における3つの数値限定の意義については、以上のとおりであり、本件特許発明は、特に、「ワイヤ表面から15μmの深さまでの層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたソーワイヤ」、すなわち、「表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたソーワイヤ」に発明の主要部が存在するものである。
(6-2)特許法第29条第1項柱書違反について
本件特許発明は、(6-1)において言及したとおり、従来知られていた「表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤ」をソーワイヤに適用したものである。
ここで、本件特許明細書に記載されていた「層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた」方法、すなわち、マニキュア法によってでは、「元来定量的に正確な数値を得ることはできない方法に基づいて特定した数値範囲を特徴とするもの」(審判請求書5頁12-13行。)と請求人が主張するように、内部応力の正確な測定が困難であるとしても、当該方法自体は甲第5号証や乙第4号証、乙第5号証に記載されているように、確立した内部応力の測定方法である。内部応力値の厳密な値は求められないかもしれないが、正確に測定できないことをもって、本件特許発明が未完成発明であるとまでは言うことができない。
さらに、本件特許明細書に実施例として挙げられていた数値はソーワイヤの内部応力が負の値のものは存在していないが、ソーワイヤにおいて、表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲とすれば、ソーワイヤの使用により表面が局部的に磨耗しても、そのことによりソーワイヤの使用後にフリーサークル径が極端に小さくなったり、小波状になることが少なくなることは容易に理解し得るところであって、その際、表層部の内部応力が正の値であっても負の値であっても同様の効果が期待できることは明らかであるから、本件特許明細書に実施例として負の値を示す例が記載されていなかったことが、本件特許発明に直接影響するものではない。そして、ワイヤにおいて、表層部の内部応力が負の値のものは、請求人の提出した甲第5号証や被請求人の提出した乙第4号証に記載されているように、本件特許出願前に公知の技術であったことから、実現不可能なものでもない。さらに、請求人は、「自然状態で湾曲しているワイヤの内部応力分布は、・・・必ず周方向で不均一となるのである。・・・自然な状態のワイヤは表層の内部応力がワイヤの周方向において均一となっているという被請求人の主張は誤認に他ならない。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書の4頁24行-30行。)と主張し、また、「その内部応力は周方向で均一であるとは考えられない。・・・内部応力を求めるための正しい式は、現実のワイヤと明らかな乖離を有するものである。」(同書の5頁1行-3行。)と主張しているように、ワイヤの表層部の内部応力は周方向で不均等であるので応力数値範囲を定めることができないとしているが、ソーワイヤにおいて、たとえワイヤの周方向における内部応力が不均一であったとしても、表層部の内部応力を減少させれば、ソーワイヤが偏磨耗したときに全体として小波状になることが少なくなることは容易に理解できるところである。
以上のとおり、特許法第29条第1項柱書違反だとする無効理由については、理由がない。
(6-3)無効理由2:特許法第36条第6項第1号違反について
(6-1)で言及しているように、本件特許発明は、特に「表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたソーワイヤ」に発明の主要部が存在するものであり、「内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲」については、従来のソーワイヤとの区別を示す実使用における目安値を示したものである。そして、内部応力がこの範囲であれば、ワイヤの磨耗によっても小波状となることが少ない。
請求人は、「審判請求書6頁27行?7頁1行の主張は、いわゆるサポート要件についての主張であり、残留応力が0kg/mm^(2)の場合や圧縮応力の場合であって、本件特許発明が奏するとされる作用効果を実際に奏することができるワイヤについて、そのワイヤを得る手段を含め何らの記載がないことを指摘するものである。従って、公知のワイヤで、表面残留応力が0やマイナスのものがあるからといって、本件特許におけるいわゆるサポート要件を満たしたことにならないのは明白である。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書7頁5行-10行。)と主張している。
しかしながら、上記したとおり、内部応力が正の値であっても、負の値であっても、その値が「0±40kg/mm^(2)の範囲」であれば、すなわち、その絶対値が小さければ、ワイヤの磨耗によっても小波状となることが少ないであろうことは、容易に理解できるところである。
したがって、特許法第36条第6項第1号違反だとする無効理由については、理由がない。
(6-4)無効理由3:特許法第36条第6項第2号違反について
特許法第36条第6項第2号は、「特許を受けようとする発明が明確であること。」と規定されているように、特許請求の範囲の明確性を規定している。そこで、本件特許発明の特許請求の範囲をみると、「ワイヤ表面から15μmの深さまでの層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm^(2)(+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲に設定されているソーワイヤ用ワイヤ」となっていることから、特許請求の範囲に記載されている発明自体は明確である。
また、請求人は、「本件特許発明では、ワイヤ表面から深さ15μmまでの層における残留応力について、『0±40kg/mm^(2)』の範囲を規定するものであるから、その15μmという層の中で、厚み方向の応力分布を見たときに、引張応力から圧縮応力へと変化する場合や、圧縮応力から引張応力へと変化する場合をも当然に含むものである。このように、厚み方向において内部応力の正負が変化した場合には、『最大摩耗状態より途中使用状態のワイヤの方が新線時からの曲率変化が大きいと言うことはあり得ません』などといえないことは明白である。従って、かかる被請求人の主張は、明らかに失当である。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書7頁18行-24行。)と主張している。
しかしながら、上記したように、特許法第36条第6項第2項は、特許請求の範囲の明確性であって、ワイヤの厚み方向において、内部応力の正負が変化する場合においても、その規定される範囲自体は明確である。
なお、ワイヤの厚み方向において、内部応力の値が表層で大きな圧縮応力、15μm以内の深層で大きな引張応力で、平均すると「0±40kg/mm^(2)の範囲」ということは理論上考えられるが、そのようなワイヤを製造することは通常ではありえず、現実的でもない。
したがって、特許法第36条第6項第2号違反だとする無効理由については、理由がない。
(6-5)無効理由4:特許法第36条第4項違反について
特許法第36条第4項は、「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。」と規定されているように、特許発明の実施可能要件である。
本件特許発明は、(6-1)で言及しているように、タイヤコード等に用いられるスチールワイヤをソーワイヤ用ワイヤに転用したものであって、表層部の内部応力を減少させたワイヤは、例えば甲第1号証に記載されているように、それ自体、公知のものである。すなわち、すでにタイヤコード等において実施されているワイヤであるものを、「実施できない」とまでは言うことができない。
したがって、特許法第36条第4項違反だとする無効理由については、理由がない。
(6-6)無効理由5:特許法第126条第4項違反について
平成13年3月28日提出の「訂正請求書」に基づく訂正により、訂正されたのは、発明の詳細な説明の段落【0007】であって、実質的に層除去法による算出式に関し、誤りがあるとして式自体を削除したものである。
ここで、訂正前後において、特許請求の範囲は訂正されておらず、「シリコン、石英、セラミック等の硬質材料の切断、スライス用に用いられるソーワイヤであって、径サイズが0.06?0.32mmφで、ワイヤ表面から15μmの深さまでの内部応力が0±40kg/mm^(2)(+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲に設定されていることを特徴とするソーワイヤ用ワイヤ。」というものである。特許請求の範囲において特定されているのは、「ワイヤ表面から15μmの深さまでの内部応力が0±40kg/mm^(2)(+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲」ということであって、測定手段も、計算方法も特定されたものではないことから、特許請求の範囲が実質的に拡張あるいは変更されたものとすることはできない。
したがって、特許法第126条第4項違反だとする無効理由については、理由がない。
(6-7)無効理由6:特許法第29条第2項違反について
(1)甲第1号証?甲第3号証に対する進歩性の判断
表層部の内部応力を減少させたワイヤは、甲第1号証ないし甲第2号証に記載されているように、スチールタイヤコードなどのゴム補強用ワイヤとして従来周知のものである。しかしながら、ゴム補強されるワイヤにおいては、ワイヤはゴムにより被覆されるものであるから、その磨耗を考慮する余地はない。これに対して本件特許発明は、表層部の内部応力を減少させたワイヤをソーワイヤに適用したことにより、「ワイヤ表面が磨耗したとしても、フリーサークル径の減少や小波状の変形が防止される」という、ゴム補強されたワイヤからでは予測し得ない顕著な効果を奏するものである。なるほど、甲第3号証に記載されているように、あるいは、審判請求人が平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書において提出した甲第12号証ないし甲第19号証に記載されているように、ソーワイヤとスチールタイヤコードなどのゴム補強用ワイヤでは、共通点が多く、両者は共通の高強度極細鋼線から成るものであって、互いに流用されていることが多い。しかしながら、表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに適用したことの証拠はどこにもない。
また、甲第3号証には、自動車用カーカスコード、ソーワイヤなどに使用することが可能な鋼線について、疲労特性が優れていることが必要であるとする記載があり(摘記事項ソ及びタ。)、甲第1号証には、表面の残留応力を減少させて疲労性を改善したゴム補強用スチールワイヤの発明が記載されているが、表面の残留応力、すなわち、表層部の内部応力を減少させたワイヤをソーワイヤに適用し、かつ表層部の内部応力を0±40kg/mm^(2)の範囲とすることにより、当該ソーワイヤは疲労性が改善されるという自明の効果に加えて、「ワイヤ表面が磨耗しても、フリーサークル径の減少や小波状の変形が防止される」というソーワイヤに特有の顕著な効果を奏するものである。
結局、本件特許発明を、甲第1ないし甲第3号証に記載された発明、及び甲第12ないし甲第19号証に記載された周知の事項から容易になし得たとすることはできない。
(2)甲第1号証?甲第6号証に対する進歩性の判断
甲第4号証は、ソーワイヤにおいて表層部の内部応力とワイヤの偏摩耗の関係に着目しているが、本件特許発明における、「内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに用いたこと」を開示しているものではない。したがって、ワイヤに生じる形状変化が偏磨耗によって引き起こされるという課題が公知であったとしても、甲第4号証に記載された事項から、「内部応力を減少させ、かつ内部応力が0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに適用する」発明を導き出すことには、いささかの飛躍があるというべきである。そして、ゴム補強用のワイヤもソーワイヤも互いに流用することが多いことは甲第2号証にも記載されているように、従来周知の事項であるとしても、表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力を0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに適用した証拠がどこにも存在しない以上、「ワイヤ表面が磨耗したとしても、フリーサークル径の減少や小波状の変形が防止される」という顕著な効果のために、「表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力を0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに適用」した発明の進歩性を否定することはできない。
請求人は、「このように、ソーワイヤ用ワイヤと、タイヤコード用スチールワイヤの技術分野は、全く同じ分野といえるものであり、」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書13頁5行-6行。)と主張している。
しかしながら、タイヤコード用スチールワイヤはゴム被覆をされるものであることから、ワイヤの磨耗を考慮する余地がない。一方、本件発明は、ソーワイヤの使用による磨耗を考慮し、「ワイヤが磨耗しても小波状となることがない」という、ゴム被覆されるワイヤからでは見い出せ得ない顕著な効果を奏するものであって、その効果についてはゴム被覆されるワイヤコード用スチールワイヤから予測可能なものではない。
以上のとおり、甲第1ないし第6号証に記載された発明及び事項から容易になし得たとすることはできない。
(3)本発明のワイヤを得る手段の容易性からの進歩性の判断
本件発明は、上記(1)において言及しているように、表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力を0±40kg/mm^(2)の範囲としたワイヤをソーワイヤに適用したことにより、「ワイヤ表面が磨耗したとしても、フリーサークル径の減少や小波状の変形が防止される」という、ゴム補強されたワイヤからでは予測し得ない顕著な効果を得られたものである。すなわち、ゴム補強用ワイヤにおいて、表層部の内部応力を減少させたものを製造できるからといって、上記の顕著な効果が得られることを予測できるとは言えない。
請求人は、「ソーワイヤのソーマシン内での真直性を確保する上で、その偏摩耗の問題を解決しなくてはならないという課題は、本件特許出願時に甲4により明らかなものであり、この明らかな課題を、『残留応力を低減する』という従来周知の手段で解決したものに過ぎない。一般に、残留応力を有する部材が切削されるとその部分の除去された応力がひずみとなり、これを解消するために素材が変形することは材料力学の基本理論である。そして、このような、例えば摩耗時の変形を抑えるために、部材の残留応力をなるべく小さい値に抑えようとすることは、当業者の慣用手段に他ならない。・・・このように、『残留応力を所定の範囲に規制することで、ソーワイヤが摩耗した際の変形が小さくなる』ことなど、新たに見出されたものではなく、当業者ならば誰でもが知っている、全くの技術常識に過ぎないのである。」(平成18年12月20日付け口頭審理陳述要領書13頁20行-36行。)と主張している。
しかしながら、ソーワイヤにおいて、「残留応力を所定の範囲に規制する」こと、すなわち、「表層部の内部応力を減少させ、かつ内部応力を0±40kg/mm^(2)の範囲とした」ことが本件特許の出願時において公知であった証拠はどこにもなく、本件発明は、そのことにより、「磨耗時にワイヤが小波状になることが少ない」という顕著な効果を奏するものである。したがって、請求人の主張は採用できない。

第7.むすび
以上のとおりであるから、請求人の主張する理由及び提出した証拠方法によっては、本件発明の特許を無効とすることはできない。
他に本件特許発明を無効とすべき理由を発見できない。

審判に関する費用については、特許法第169条第2項の規定で準用する民事訴訟法第61条の規定により、請求人が負担すべきものとする。

よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2007-03-09 
結審通知日 2007-03-14 
審決日 2007-03-20 
出願番号 特願平10-242066
審決分類 P 1 113・ 536- Y (B24B)
P 1 113・ 831- Y (B24B)
P 1 113・ 121- Y (B24B)
P 1 113・ 14- Y (B24B)
P 1 113・ 537- Y (B24B)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 森川 元嗣  
特許庁審判長 野村 亨
特許庁審判官 鈴木 孝幸
中島 昭浩
登録日 1999-07-23 
登録番号 特許第2957571号(P2957571)
発明の名称 ソーワイヤ用ワイヤ  
代理人 特許業務法人池内・佐藤アンドパートナーズ  
代理人 西谷 俊男  
代理人 浦 利之  
代理人 飯島 歩  
代理人 角田 嘉宏  

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