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審決分類 |
審判 全部無効 2項進歩性 C25D 審判 全部無効 特36条4項詳細な説明の記載不備 C25D 審判 全部無効 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備 C25D 審判 全部無効 1項3号刊行物記載 C25D |
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管理番号 | 1295133 |
審判番号 | 無効2013-800060 |
総通号数 | 182 |
発行国 | 日本国特許庁(JP) |
公報種別 | 特許審決公報 |
発行日 | 2015-02-27 |
種別 | 無効の審決 |
審判請求日 | 2013-04-11 |
確定日 | 2014-11-13 |
訂正明細書 | 有 |
事件の表示 | 上記当事者間の特許第4218000号発明「含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 |
結論 | 請求のとおり訂正を認める。 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。 |
理由 |
第1 手続の経緯 本件特許第4218000号に係る経緯の概要は、以下のとおりである。 平成13年 9月12日 特許出願(特願2001-321202号) 平成20年11月21日 設定登録 平成25年 4月11日 本件無効審判請求(請求項1及び2に対して) 平成25年 7月 9日 答弁書及び訂正請求書 平成25年 8月27日 口頭審理陳述要領書(請求人) 平成25年 9月18日 口頭審理陳述要領書(被請求人) 平成25年10月 2日 口頭審理 第2 平成25年7月9日付け訂正請求(以下、「本件訂正請求」という。)について (1)本件訂正請求の内容について 本件訂正請求は、本件特許の願書に添付した明細書の特許請求の範囲を、訂正請求書に添付した特許請求の範囲のとおり一群の請求項ごとに訂正することを求めるものであって、その内容は以下のとおりである。 a 訂正事項1 訂正前の特許請求の範囲の請求項1である「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」を、 「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」と訂正するものである。また、請求項1の記載を引用する請求項2も同様に訂正する。(以下、「本件訂正」という。下線は訂正箇所を示す。) (2)訂正の適否 上記訂正事項1は、請求項1の「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」を、「表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層」に訂正するものであり、弗素濃度について訂正前は「約6Å深さ」における値をどのように測定するのか明らかとなっていなかったのに対して、訂正後は含弗素、酸素系被膜層を「6Åエッチング」し、エッチング後の表面を「X線光電子分析ESCA法」によって測定することにより「約6Å深さの弗素濃度」を求めることを明らかにしたものである。 また、「約6Å深さの弗素濃度」の具体的測定方法として、含弗素、酸素系被膜層を「6Åエッチング」し、エッチング後の表面を「X線光電子分析ESCA法」によって測定することを特定したものであるから、「約6Å深さの弗素濃度」の測定手段を限定したものであるともいえる。 してみると、当該訂正は、「約6Å深さの弗素濃度」の具体的測定方法を明らかにするとともに、その測定手段を限定するものであるので、本件訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」又は同項ただし書第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものである。 また、上記訂正事項1は、発明特定事項の構成を明瞭にするものであって、カテゴリーや対象、目的を変更するものではないから、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものには該当せず、特許法第134条の2第5項で準用する同法第126条第4項の規定に適合するものである。 さらに、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、以下の記載がある。 「【0005】 ・・・ESCA法による表面層並びにその近傍の元素分析を行ったところ、・・・本発明方法による試片については、Oの存在のほかに、バックグラウンド値を遥かに超えた極めて多量のFが検出されてその存在が立証されたことから上記の各事実と併せて、従来法の定説となっている酸素系よりも塩素に対して遥かに強力な含弗素乃至は含弗素・酸素系不動態化被膜の生成法を発明するに至ったものである。」 「【0006】 【実施例】・・・ 実施例3. ・・・ESCA分析を行ったところ、・・・表層部に於ては勿論、6Åエッチング面に於ては更に多量のFが検出され、・・・ 実施例4. ・・・Fについては表層部では実施例3と同等で、6Åエッチング面では稍々低下しているものの、同様に多量のFが浸透していることが確認され、・・・ 実施例5. ・・・Fについてはバックグラウンド値と同じであるが、6Åエッチング後の面では可成りの高い値を示しており、・・・」 上記の記載によれば、上記訂正事項1(訂正前の「約6Å深さの」を「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された」に訂正する)は、特許明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて導き出される事項であることは明らかであり、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内の訂正であり、特許法第134条の2第5項において準用する同法126条第3項の規定に適合するものである。 よって、本件訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き、及び、同条第5項において準用する同法第126条第3項、4項の規定に適合するので、適法な訂正と認める。 なお、請求人は、口頭審理陳述要領書において、「特許請求の範囲の請求項1の、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった・・・」は、・・・「表層部に比べて6Å深さの前後にわたる領域の弗素濃度が高くなった・・・」の意味である。これに対して、訂正請求に係る「表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった・・・」は、・・・「表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定されたそのエッチング後の表面から数nmにわたる領域の弗素濃度が高くなった・・・」の意味である。上記の訂正請求は、「6Å深さの前後にわたる領域の弗素濃度」、すなわち、「6Å深さを中心とするその前後のきわめて狭い領域(例えば、5.5Å深さから6.5Å深さに至る約1Åの領域)の弗素濃度」であったものを、「6Åエッチング後の表面から数nmにわたる領域の弗素濃度」、すなわち、「6Åエッチング後の表面から数nm(数十Å)の深さにわたるきわめて広い領域の弗素濃度」に変更しようとするものであるから、明らかに「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」に該当するものである。 ハ.また、発明の詳細な説明の表2には、「X線光電子分析ESCA法によって約6Åエッチング後((注)6Åエッチング後ではない。)の表面について測定されたそのエッチング後の表面から数nmにわたる領域の弗素濃度」は記載されているが、「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後((注)約6Åエッチング後ではない。)の表面について測定されたそのエッチング後の表面から数nmにわたる領域の弗素濃度」は記載されていない。したがって、上記の訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内の訂正ではない。」(3頁13行?4頁10行)と主張している。 しかしながら、訂正前の請求項1の「約6Å深さの弗素濃度」については測定方法が不明であり、どのような範囲の弗素濃度を指しているのか不明りょうであったところ、請求人の主張するように「約6Å深さ」を「6Å深さの前後にわたる領域」または「6Å深さを中心とするその前後のきわめて狭い領域(例えば、5.5Å深さから6.5Å深さに至る約1Åの領域)」と解さなければならない理由は何もなく、また、訂正後に測定方法を明らかにして「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度」としたことは、弗素濃度の測定条件を明らかにして、一義的に弗素濃度を求めることができるようになったものであり、「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」に該当するものではない。また、「約6Å」を「6Å」と訂正することは、範囲を曖昧にする表現であって、発明の範囲を不明確とする「約」という語を省くものであり、数値範囲または数値を明りょうとするものであって、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内の訂正」である。よって、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 第3 本件発明 本件特許の明細書の特許請求の範囲は、上記のとおり訂正が認められるから、本件特許の請求項1及び2に係る発明は、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された次のとおりのものである。 「【請求項1】 ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」(以下、「本件特許発明1」という) 「【請求項2】 請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって、ステンレス鋼を直流の陽極に、又は交流の一極に、若しくは直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側に接続し、他の電導性対極との間に、塩素、沃素、臭素を含まぬ他の有機或は無機酸若しくはその水溶性塩類に弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩の一種若しくは二種以上を配合添加した溶液を電解液とし、対抗する電極との間に前記ステンレス鋼を介在せしめた状態で電解処理することにより、ステンレス鋼表層に含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることを特徴とするステンレス鋼の製造方法。」(以下、「本件特許発明2」という) 第4 請求人及び被請求人の主張の概要 1.請求人の主張 請求人の主張は、以下のとおりである。 本件特許発明1及び2は、発明の詳細な説明及び特許請求の範囲がその記載要件を満たしておらず、特許法第36条第4項並びに第6項第1号及び第2号の規定により特許を受けることができないものであり、その特許は同法第123条第1項第4号に該当し、無効とされるべきである(以下、「無効理由1」という。)。 本件特許発明1及び2は、下記の、甲第1号証に記載された発明であるか、又は、甲第1号証に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるので、特許法第29条第1項又は第2項の規定により、特許を受けることができないものであり、その特許は同法第123条第1項第2号に該当し、無効とされるべきである(以下、「無効理由2」という。)。 本件特許発明1及び2は、下記の、甲第2号証及び甲第3号証に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであるので、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができないものであり、その特許は同法第123条第1項第2号に該当し、無効とされるべきである(以下、「無効理由3」という。)。 〈証拠方法〉 甲第1号証:山▲崎▼(「さき」の字は「崎」の「大」を「立」としたもの。以下同様。)修、「ステンレス鋼の耐食性および不働態皮膜生成に及ぼすフッ化物イオンの影響に関する研究」、博士論文、学位授与日 2000年3月24日、国立国会図書館受入日 2000年6月1日 甲第1号証の2:国立国会図書館所蔵図書館資料に関する証明書コピー、証明番号 国図関西1201044-7-1号(甲第1号証の学位授与日、国立国会図書館受入日を証明する書類) 甲第2号証:柴田俊夫、山▲崎▼修、松浦修、藤本慎司、「フッ化物水溶液中においてSUS 304ステンレス鋼に生成した不動態皮膜の耐硫酸腐食性」、表面技術、社団法人表面技術協会、1999年5月1日発行、第50巻、第5号、453-459頁、表紙、および奥付頁 甲第3号証:柴田俊夫、山▲崎▼修、藤本慎司、「二段硝酸不働態化処理によるType304ステンレス鋼の耐孔食性向上効果」、材料と環境、社団法人腐食防食協会、1999年3月15日発行、第48巻、第3号、155-161頁、表紙、および奥付頁 甲第4号証:特許第3057033号公報、平成12年6月26日発行 甲第5号証:特公平1-27160号公報、平成1年5月26日公告 甲第6号証:「X線・放射光の分光」、株式会社講談社、2011年6月10日発行、68-69頁および奥付頁 甲第7号証:インターネットにより検索された情報 http://www.nakano-acl.co.jp/fukugo/feature.html 甲第8号証:インターネットにより検索された情報 http://www.nakano-acl.co.jp/fukugo/ 2.被請求人の主張 本件特許発明1は、発明の詳細な説明に記載されており、また特許を受けようとする発明は明確であり、さらに発明の詳細な説明には本件特許発明1を当業者が実施することができる程度に明確かつ十分に記載があるから、本件特許は、特許法第36条第6項第1号及び第2号に違反する特許出願に対して特許されたものでも、同条第4項第1号に違反する特許出願に対して特許されたものでもない。 また、本件発明は、甲第1号証に記載された発明と実質的に同一ではなく、また、甲第1号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものでもなく、さらに、甲第2号証及び甲第3号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものでもないから、本件特許は、特許法第29条第1項又は同条第2項の規定に違反して特許されたものではない。 <証拠方法> 乙第1号証:「電解研磨後の粗さ測定結果」(菱明技研(株)報告書) 乙第2号証:柴田俊夫、山▲崎▼修、藤本慎司、「微量フッ化物含有HNO_(3)不働態化処理によるType304ステンレス鋼の耐孔食性向上効果」、材料と環境、社団法人腐食防食協会、第48巻、第1号、41-46頁 第5 当審の判断 1.甲1?3号証の記載内容 (1)甲第1号証 甲第1号証は、「ステンレス鋼の耐食性および不働態皮膜生成に及ぼすフッ化物イオンの影響に関する研究」と題し、図面とともに以下の記載がある。 (ア)第1章「序論」の「1.1 緒言」として 「・・・ステンレス鋼は不働態化処理条件によって、その耐食性が大きく影響を受けることが知られている。柴田らは各種酸溶液中での不働態化処理条件と不働態皮膜中のCr濃度に着目した研究を行い、耐食性の上昇が不働態皮膜中へのCrの濃縮促進によることを明らかにした。また、橘らは酸性溶液においてフッ化物イオンはステンレス鋼表面からFe成分を選択的に溶解することを明らかにし、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進を示唆した。これらから判断すると、フッ化物イオンを用いた不働態化処理で耐食性が向上する可能性があるものと考えられる。 一方、フッ素ガスを用いたステンレス鋼の不働態化処理技術が報告されている。半導体製造プロセスの中においてCVD、PIEなどのプロセスでは反応性ガス、腐食性の特殊材料ガスが用いられるため、耐食性に富んだフッ化不働態化処理ステンレス鋼が半導体製造プロセス清浄度の改善に大きく貢献している。このことから、湿式での不働態化処理においてもフッ化物イオンが適応できる可能性が大きいことが伺われる。 上述のごとく、ステンレス鋼の耐食性に及ぼすフッ化物イオンの影響については、ほとんど研究例がなく、また不働態化処理に関してフッ化物イオンが有効に働く可能性があることから、本研究においては、ステンレス鋼の耐食性、とくに局部腐食に及ぼすフッ化物イオンの影響を明らかにすることを目的とし、さらに水溶液中における不働態皮膜の生成に関するフッ化物イオンの作用を検討し、高耐食性不働態皮膜の生成を試みた。」(2頁2?18行) (イ)第1章の「1.6 本研究の目的と概要」として 「・・・5.2節においては、フッ化物イオンを含む硝酸溶液中にType 304鋼を浸漬処理した後、孔食電位測定とXPS(X線光電子分光法)による表面分析を行い、耐孔食性向上効果と不働態皮膜中へのCrの濃縮挙動に及ぼすフッ化物イオンの影響について検討した。また、5.3節では、Type 304鋼の耐孔食性をさらに向上させることを目的に、フッ化物を含む硝酸溶液への浸漬処理「1段浸漬処理」と、その後に硝酸単独溶液への浸漬処理「2段浸漬処理」とを施し、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進に及ぼす1段浸漬処理でのフッ化物イオンの影響と2段浸漬処理での硝酸濃度の影響について検討した。さらに、5.4節では、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液中においてType 304鋼を定電位電解した後、硫酸中での自己活性化時間の測定およびXPSによる表面分析を行い、耐硫酸腐食性が優れる不働態皮膜の生成に及ぼす電解電位とpHの影響について検討した。」(9頁下から11?2行) (ウ)第5章「フッ化物水溶液中で生成した不働態皮膜の耐食性」の「5.1 緒言」として 「・・・その後、硝酸溶液中での不働態化処理による孔食電位の上昇が不働態皮膜中へのCrの濃縮促進によることを明らかにした。 一方、橘らはフッ化物イオンを含む硫酸ナトリウム溶液中でType 304鋼を定電位アノード分極した後、溶出成分をICP分析して、酸性溶液においてフッ化物イオンはFe成分を選択的に溶解することを明らかにし、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進を示唆した。このことから推定すると、フッ化物イオンを用いた不働態化処理でステンレス鋼の耐食性が向上する可能性があるものと考えられる。 そこで本章では、フッ化物水溶液中において生成した不働態皮膜の耐食性を調べることを目的に、5.2節では、フッ化物イオンを含む硝酸溶液中にType 304鋼を浸漬処理した後、孔食電位測定とXPS(X線光電子分光法)による表面皮膜解析を行い、耐孔食性向上効果と不働態皮膜中へのCrの濃縮挙動に及ぼすフッ化物イオンの影響について検討した。 また、5.3節では、Type 304鋼の耐孔食性をさらに向上させることを目的に、フッ化物イオンを含む硝酸溶液中への浸漬処理「1段浸漬処理」と、その後に硝酸単独溶液中への浸漬処理「2段浸漬処理」とを施し、孔食電位測定とXPSによる表面皮膜解析を行い、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進に及ぼす1段浸漬処理でのフッ化物イオンの影響と2段浸漬処理での硝酸濃度の影響について検討した。 さらに、5.4節では、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液中においてType 304鋼を定電位電解した後、硫酸中での自己活性化時間の測定とXPSによる表面皮膜解析を行い、耐硫酸腐食性が優れる不働態皮膜の生成に及ぼす電解電位とpHの影響について検討した。」(58頁8?27行) (エ)第5章の5.2節「微量フッ化物含有HNO_(3)不働態化処理によるType 304ステンレス鋼の耐孔食性向上効果」の「5.2.5 まとめ」として 「Type 304鋼を1.5?6.0kmol・m^(-3)HNO_(3)+0?5×10^(-2)kmol・m^(-3)NaF溶液中で3.6ksの浸漬処理を行った後、孔食電位測定およびXPSによる表面皮膜解析を行い、耐孔食性および皮膜組成に及ぼすフッ化物イオンの影響を調べた。1.5および3.0kmol・m^(-3)HNO_(3)+5×10^(-3)kmol・m^(-3)NaF溶液中で浸漬処理することによって耐孔食性が飛躍的に向上するとともに、不働態皮膜中のCr濃度の上昇、皮膜厚さの増加が認められた。上記溶液への浸漬処理によって耐孔食性が向上するのは、F^(-)が不働態皮膜内に侵入して皮膜内および母材金属中のFeと錯体を形成し、優先的にFeを溶出させ、その結果として皮膜中のCr濃度が上昇し、皮膜厚さも増加するためと考えられた。」(67頁9?14行) (オ)第5章の5.3節「二段硝酸不働態化処理によるType 304ステンレス鋼の耐孔食性向上効果」の「5.3.4 考察」として 「不働態皮膜中のCr濃度の上昇が孔食電位を貴に移行させることはよく知られている。本実験結果においても、図5-17に示すように、Cr濃度が高い範囲で孔食電位が貴な値を示した。しかしながら、本実験結果から孔食電位の上昇には不働態皮膜中のCr濃度の他に、皮膜厚さが影響しているものと考えられた。・・・ 先に述べたように、2段浸漬処理後の不働態皮膜からはF^(-)が認められ、さらに、図5-17から、皮膜中のF^(-)量が孔食電位の上昇に影響を及ぼすものと考えられた。・・・このことから推定すると、皮膜中に存在するF^(-)には塩化物溶液中において耐孔食性を向上させる作用があるものと考えられた。 ・・・皮膜内あるいは皮膜最表面のF^(-)には溶液皮膜界面においてCl^(-)の不働態皮膜への吸着を妨害する作用、たとえばクーロン力による反発作用などがあり、塩化物溶液において耐孔食性を向上させるものと推定した。」(76頁5行?77頁10行) (カ)第5章の5.3節の「5.3.5 まとめ」として 「・・・上記処理後の試験片のXPSによる解析から、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進が認められ、また皮膜中にF^(-)の存在が認められた。 不働態皮膜中へのCrの濃縮は、1段浸漬処理でのF^(-)による促進効果をHNO_(3)の高酸化性作用を利用した2段浸漬処理によってさらに促進したものと考えられた。また不働態皮膜内および皮膜最表面のF^(-)が塩化物溶液中において、インヒビターとして作用して耐孔食性を向上させたものと推定した。」(77頁18?23行) (キ)第5章の5.4節「フッ化物水溶液中においてType 304ステンレス鋼に生成した不働態皮膜の耐硫酸腐食性」の「5.4.1 目的」として 「本研究では、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液中においてType 304鋼を定電位電解した後、硫酸中での自己活性化時間の測定およびXPS(X線光電子分光法)による表面皮膜解析を行い、耐硫酸腐食性が優れる不働態皮膜の生成に及ぼす電解電位とpHの影響について検討した。」(77頁下から2行?78頁1行) (ク)第5章の5.4節の「5.4.2 実験方法」として 「定電位電解開始30分前から電解終了までArで試験溶液を脱気した。」(78頁下から3行) (ケ)第5章の5.4節の「5.4.3 実験結果 (3)XPSによる不働態皮膜の解析」として 「・・・本研究では、不働態皮膜が表面から順に、炭化水素の汚染層、Crの水酸化物層、FeとCrの混合酸化物層とする3層モデルを仮定した。 ・・・酸化物層の皮膜厚さは、電解電位には関係なく、0.5nm程度であるが、水酸化物層の皮膜厚さは電解電位の上昇とともに増加して、0.4Vでピークを示した。また皮膜内F^(-)量の増減は水酸化物層の皮膜厚さと対応しており、0.4Vでピークを示した。」(83頁2?11行) また、図5-24には、pH1.8のフッ化物水溶液で生成した不働態皮膜の組成、皮膜厚さなどの測定結果が示されている。同図によると、電解電位が0.4Vのとき、皮膜内F^(-)量がピーク値を示し、酸化物層の被膜厚さは約0.5nm(5Å)、水酸化物層の被膜厚さは約1.0nm(10Å)であることが見て取れる。 (コ)第5章の5.4節の「5.4.4 考察」として 「・・・図5-24の結果から、水酸化物層の皮膜厚さの増減とF^(-)量の増減には対応が認められ、F^(-)は水酸化物層に侵入するものと考えられた。」(85頁16?17行) (サ)第5章の5.4節の「5.4.5 まとめ」として 「酸性のフッ化物水溶液中では低電位側(pH1.8、-0.4V)に耐硫酸腐食性の優れる不働態皮膜が生成した。XPSの表面解析から、不働態皮膜の酸化物中のCr分率の上昇が確認され、τ_(a)との関連性が認められた。アノード分極曲線の測定から、酸性溶液ではフッ化物イオンの活性溶解を促進する作用により、ステンレス鋼表面からFeが優先的に溶出して、不働態皮膜中へのCrの濃縮が促進するものと考えられた。また水酸化物層の皮膜厚さの増減と皮膜中のF^(-)量の増減には関連性が認められ、F^(-)は水酸化物層に侵入するものと考えられた。」(86頁下から3行?87頁3行) 上記の記載事項(ア)?(ウ)及び(キ)?(サ)によれば、甲第1号証の5.4節には、「Type 304鋼の表層部乃至その近傍に対し、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液の定電位電解により発生したフッ素イオンを侵入せしめることにより、含フッ素不働態皮膜を形成させ、その被膜の作用効果によって耐硫酸腐食性が優れる含フッ素不働態皮膜を形成させたType 304鋼。」(以下、「甲1発明」という。)が記載されている。 (2)甲第2号証 甲第2号証は、「フッ化物水溶液中においてSUS 304ステンレス鋼に生成した不動態皮膜の耐硫酸腐食性」と題し、図面とともに以下の記載がある。 (シ) 「ステンレス鋼の耐食性がその表面に生成する不動態皮膜によってもたらされることは良く知られている。不動態皮膜中のCr濃度は耐食性に大きく影響し、これは下地合金中のCr濃度のみならず、表面処理条件によって変化する。・・・」(453頁左欄2?6行) (ス) 「・・・本研究では、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液中においてSUS 304鋼を定電位電解した後、硫酸中での自己活性化時間の測定およびXPS(X線光電子分光法)による表面分析を行い、耐硫酸腐食性が優れる不動態皮膜の生成に及ぼすフッ化物溶液中における電解電位とpHの影響について検討した。」(453頁右欄6?11行) (セ) 「比電導度が2×10^(-6)S・cm^(-1)以下の蒸留水と46mass%HF水溶液、NaF、NaOHの特級試薬とを用いて、表2に示すように全フッ化物濃度、[F]_(total)を0.5kmol・m^(-3)に固定してpHを1.8?13.2に変化させた6種類の試験溶液を調製した。・・・定電位電解にはポテンショスタット(北斗電工(株)製:HA-151)を使用して、対極にPt板を、照合電極として飽和カロメル電極、SCE(東亜電波工業(株)製:HC-205C)を用いた。」(454頁左欄3?12行) (ソ) 「・・・本研究では、不動態皮膜が表面から順に、炭化水素の汚染層、Crの水酸化物層、FeとCrの混合酸化物層とする3層モデルを仮定した。・・・」(456頁右欄6?9行) (タ) 「pH1.8(図6)では、・・・酸化物層の皮膜厚さは、電解電位には関係なく0.5nm程度であるが、水酸化物層の皮膜厚さは電解電位の上昇とともに増加して、0.4Vでピークを示した。また皮膜内F^(-)量の増減は水酸化物層の皮膜厚さと対応しており、0.4Vでピークを示した。」(456頁右欄16行?457頁左欄3行) (チ) 「・・・図6の結果から、水酸化物層の皮膜厚さの増減とF^(-)量の増減には対応が認められ、F^(-)は水酸化物層に侵入するものと考えられた。」(458頁左欄6?9行) (ツ)図6(456頁)には、pH1.8のフッ化物水溶液で生成した不働態皮膜の組成、皮膜厚さなどの測定結果が示されている。同図によると、電解電位が0.4Vのとき、皮膜内F^(-)量がピーク値を示し、酸化物層の皮膜厚さは約0.5nm(5Å)、水酸化物層の皮膜厚さは約1.0nm(10Å)であることが見て取れる。 (3)甲第3号証 甲第3号証は、「二段硝酸不働態化処理によるType304ステンレス鋼の耐孔食性向上効果」と題し、図面とともに以下の記載がある。 (テ) 「前報において著者らは、・・・1.5および3.0kmol・m^(-3)HNO_(3)+5×10^(-3)kmol・m^(-3)NaF溶液中(313K)での浸漬処理(3.6ks)により耐孔食性が飛躍的に向上することがわかり、またXPSの表面皮膜解析から不働態皮膜中のCr濃度の上昇、皮膜厚さの増加が認められ、さらにF^(-)が不働態皮膜内に侵入していることがわかった。上記溶液中への浸漬処理で、F^(-)が不働態皮膜内に侵入して、皮膜内および母材金属中のFeと錯体を形成し、優先的にFeを溶出させ、その結果、皮膜中のCr濃度が上昇し、皮膜厚さも増加して耐孔食性が向上したものと推定した。 そこで本研究では、Type304鋼の耐孔食性をさらに向上させることを目的に、フッ化物を含む硝酸溶液への浸漬処理「1段浸漬処理」と、その後に硝酸単独溶液への浸漬処理「2段浸漬処理」とを施し、孔食電位測定とXPSによる表面被膜解析を行い、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進に及ぼす1段浸漬処理でのフッ化物の影響と2段浸漬処理での硝酸濃度の影響について検討した。」(155頁右欄2行?156頁11行) (ト) 「不働態皮膜中のCr濃度の上昇が孔食電位を貴に移行させることはよく知られている。本実験結果においても、Fig.9に示すように、Cr濃度が高い範囲で孔食電位が貴な値を示した。しかしながら、本実験結果から孔食電位の上昇には不働態皮膜中のCr濃度のほかに、皮膜厚さが影響しているものと考えられた。・・・ 先に述べたように、2段浸漬処理後の不働態皮膜からはF^(-)が認められ、さらに、Fig.9から、皮膜中のF^(-)量が孔食電位の上昇に影響を及ぼすものと考えられた。・・・このことから推定すると、皮膜中に存在するF^(-)には塩化物溶液中において耐孔食性を向上させる作用があるものと考えられた。」(160頁右欄下から19行?161頁左欄10行) (ナ) 「・・・皮膜内あるいは皮膜最表面のF^(-)には溶液皮膜界面においてCl^(-)の不働態皮膜への吸着を妨害する作用、たとえば電気的反発力などがあり、塩化物溶液において耐孔食性を向上させるものと推定した。」(161頁左欄下から8?4行) (ニ) 「・・・上記処理後の試験片のXPSによる解析から、不働態皮膜中へのCrの濃縮促進が認められ、また皮膜中にF^(-)の存在が認められた。 不働態皮膜中へのCrの濃縮は、1段浸漬処理でのF^(-)による促進効果をHNO_(3)の高酸化性作用を利用した2段浸漬処理によってさらに促進したものと考えられた。また不働態皮膜内および皮膜最表面のF^(-)が塩化物溶液中において、インヒビターとして作用して耐孔食性を向上させたものと推定した。」(161頁右欄9?17行) 請求人は、甲第1号証又は甲第2号証及び甲第3号証を提示して、新規性及び進歩性に係る無効理由2または無効理由3を主張する。 そこで、以下、無効理由2及び無効理由3の検討においては、甲第1号証又は甲第2号証及び甲第3号証に記載された発明と対比する。 2.無効理由2(甲第1号証に基づく新規性・進歩性)について (1)本件特許発明1について a 対比 本件特許発明1と甲1発明とを対比すると、その機能及び作用からみて、甲1発明の「Type 304鋼」、「pH1.8?13.2のフッ化物水溶液」、「定電位電解」、「フッ素」、「侵入」、「含フッ素不働態皮膜」は、それぞれ、本願特許発明1の「ステンレス鋼」、「含弗素水溶性塩類の水溶液」、「電気分解」、「弗素若しくは弗素と酸素」、「拡散、浸透」、「含弗素、酸素系被膜層」に相当する。 また、本件特許発明1の「電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめる」とは、「電気分解で発生した弗素イオン等を拡散、浸透せしめる」ことであると解されるので、甲1発明の「定電位電解により発生したフッ素イオンを侵入せしめる」に相当する。 してみると、 両者は、 「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより含弗素、酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」 の点で一致し、次の点で相違している。 〈相違点1〉 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層における弗素濃度について、本件特許発明1では、表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなっているのに対し、甲1発明では、表面部及び被膜層内部の弗素濃度分布が明らかでない点。 〈相違点2〉 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層の作用効果について、本件特許発明1では、該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたものであるのに対し、甲1発明では、耐硫酸腐食性に優れたものではあるが、塩素による耐孔食性については不明である点。 b 判断 〈相違点1について〉 本件特許明細書の発明の詳細な説明には、本件特許発明1に対応する実施例として、実施例3?5が記載されているが、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層における弗素濃度に関して次のような記載がある。 「実施例3. そこで本発明方法による実施例として、電解液として、硫酸ソーダ15%にクエン酸を5%、さらに弗化ナトリウムを0.5%添加した水溶液を電解液とし、電源器としては直流電源の陽極電圧を15Vとし、これにさらに交流の17Vを重ね合せた交直重乗電流とし、処理すべき前述のSUS304の2B材をこれに接続、他の陰極側には黒鉛を接続して電解液中に対立せしめ3分間通電して電解処理した。 終了後引上げて前記比較例と全く同様にESCA分析を行ったところ、図1並びに表2の各試料▲3▼に示す如く、表層部に於ては勿論、6Åエッチング面に於ては更に多量のFが検出され、可成り深部にまでFが拡散、浸透していることを示し、Oもこれに伴って富化されていることが確認され、不動態化電位も約0.65V、維持時間も60秒まで上昇が認められた。 実施例4. 実施例3に於ける電源器を単純な直流電源の陽極に代え、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲4▼に示す如く、Fについては表層部では実施例3と同等で、6Åエッチング面では稍々低下しているものの、同様に多量のFが浸透していることが確認され、不動態化電位も約0.55V、維持時間も50秒を記録した。 実施例5. 実施例3に於ける電源器を交流電源に代えて、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲5▼に示す如く、Fについてはバックグラウンド値と同じであるが、6Åエッチング後の面では可成りの高い値を示しており、更にエッチングを継続しながらFの検出を続けたところ、約30Å付近でFが消失していることが確認された。なお、不動態化電位の測定結果も0.5V、維持時間は35秒と記録され、一般的には不動態化被膜が形成されにくい交流電解にもかかわらず、Oの測定値も富化されて充分不動態化効果を伴っていることが確認された。」(アンダーラインは当審で付与) これらの記載並びに本件特許明細書の【図1】及び【表2】を参照すると、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層における弗素濃度は、表層部よりも6Åエッチング後の面において、多量の弗素が検出されており、約30Å付近で弗素が消滅していることが理解される。 弗素濃度の分析に用いられているX線光電子分析ESCA法が、表面を含めて表面から数nm深さまでの間にある元素を分析するものであることを前提として考察すると、本件特許明細書の実施例3?5において生成した含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層における弗素は、表層部からの深さとして、少なくとも6Åよりさらに深く、約30Å付近まで分布し、浸透していることがわかる。そして、その濃度分布は、表層部付近では薄く、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)では濃くなっているものと理解される。 してみると、本件特許発明1における「表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった」とは、表層部付近よりも、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)のほうが弗素濃度が濃くなったことを意味しているものと解される。これは、すなわち、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層の内部に弗素が深く拡散、浸透し、その結果、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)に弗素が濃い分布を持つものと解される。 一方、甲1発明については、上記記載事項(ケ)を参照すると、不働態皮膜が表面から順に、炭化水素の汚染層、Crの水酸化物層、FeとCrの混合酸化物層とする3層モデルを仮定した上で、電解電位が0.4Vで水酸化物層の被膜厚さはピークの約1.0nm(10Å)となり、そのときの混合酸化物層の被膜厚さは約0.5nm(5Å)であって、皮膜内F^(-)量がピーク値を示している。皮膜全体の弗素イオン(F^(-))の濃度分布についてみてみると、皮膜内におけるF^(-)量の増減は水酸化物層の皮膜厚さと対応していることから、F^(-)の存在は水酸化物層と関連しているようにもみえるが、混合酸化物層におけるF^(-)の存在が不明であることから、皮膜全体において弗素イオン(F^(-))の濃度分布は必ずしも明らかとはいえない。 このことからすると、少なくとも、表面から炭化水素の汚染層を経た約1.0nm(10Å)の厚さの水酸化物層には弗素イオン(F^(-))が存在していることが推定されることから、表面から6Å深さ付近には、弗素イオン(F^(-))が存在することは一応考えられるが、弗素濃度が表層部付近よりも、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)のほうが濃くなっているとまでいうことはできない。また、弗素濃度について、表層部付近よりも、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)のほうを濃くする動機付けが何ら存在しないし、甲第1号証のほかの記載においても、これを示唆する記載も見当たらない。 してみると、本件特許発明1の相違点1に係る構成は、甲第1号証に基づいて容易になし得るものとはいえない。 〈相違点2について〉 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層と耐孔食性の関連について、甲第1号証の5.2節には、上記記載事項(エ)を参照すれば、「1.5および3.0kmol・m^(-3)HNO_(3)+5×10^(-3)kmol・m^(-3)NaF溶液中で浸漬処理することによって耐孔食性が飛躍的に向上するとともに、不働態皮膜中のCr濃度の上昇、皮膜厚さの増加が認められた。上記溶液への浸漬処理によって耐孔食性が向上するのは、F^(-)が不働態皮膜内に侵入して皮膜内および母材金属中のFeと錯体を形成し、優先的にFeを溶出させ、その結果として皮膜中のCr濃度が上昇し、皮膜厚さも増加するためと考えられた。」(アンダーラインは当審で付与)との記載があり、また、甲第1号証の5.3節には、上記記載事項(オ)を参照すれば、「皮膜内あるいは皮膜最表面のF^(-)には溶液皮膜界面においてCl^(-)の不働態皮膜への吸着を妨害する作用、たとえばクーロン力による反発作用などがあり、塩化物溶液において耐孔食性を向上させるものと推定した。」との記載、上記記載事項(カ)を参照すれば、「不働態皮膜内および皮膜最表面のF^(-)が塩化物溶液中において、インヒビターとして作用して耐孔食性を向上させたものと推定した。」との記載がある。 これらの記載からみると、甲第1号証の5.2節及び5.3節に記載された含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層について、弗素イオン(F^(-))が耐孔食性に大きく寄与していることが理解される。 ここで、甲第1号証の5.2節及び5.3節に記載された被膜層(不働態皮膜)と5.4節に記載された被膜層(不働態皮膜)とを比較すると、前者は電気分解を用いずに、弗素含有水溶液に浸漬処理のみを施して被膜層(不働態皮膜)を形成させたものである(上記記載事項(エ)?(カ)参照)のに対し、後者は、本件特許発明1と同様に、弗素含有水溶液中において電気分解処理を施して被膜層(不働態皮膜)を形成させたものである(上記記載事項(キ)?(サ)参照)。 これらの被膜層(不働態皮膜)の違いについて考察すると、電気分解処理を施した被膜層(不働態皮膜)と施していない被膜層(不働態皮膜)との間において、被膜層(不働態皮膜)の組成、構成、性質等の違いは必ずしも明らかではなく、また、被膜層(不働態皮膜)中の弗素イオン(F^(-))の挙動の違いも明らかではない。 しかしながら、電気分解処理を施していない被膜層(不働態皮膜)において、弗素イオン(F^(-))が耐孔食性に大きく寄与しているからといって、電気分解処理を施した被膜層(不働態皮膜)においても同様に、弗素イオン(F^(-))がインヒビターとして作用して、耐孔食性に寄与するとは直ちにいうことはできず、またそれを類推する記載は見当たらない。また、甲第1号証の5.4節に記載された電気分解処理を施した被膜層(不働態皮膜)は、「耐硫酸腐食性が優れる不働態皮膜の生成に及ぼす電解電位とpHの影響」について考察するために用いられたものであり(上記記載事項(キ)参照)、甲第1号証の5.2節及び5.3節に記載された「塩素による耐孔食性」とは何ら関係しないものである。 してみると、甲1発明において、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層における弗素イオン(F^(-))の働きとして、耐硫酸腐食性に加えて、塩素による耐孔食性について想定することは、甲第1号証の5.2節及び5.3節の記載から直ちに導かれるものではなく、また、何ら示唆を与えるものではない。 よって、本件特許発明1の相違点2に係る構成は、甲第1号証に基づいて容易になし得るものとはいえない。 したがって、本件特許発明1は、甲1発明と同一ではなく、すなわち甲第1号証に記載された発明ではなく、また甲1発明及び甲第1号証に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものでもないから、特許法第29条第1項又は第2項の規定により、特許を受けることができないものであるとする請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 (2)本件特許発明2について 本件特許発明2は、「請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって」と特定されるとおり、本件特許発明1に係るステンレス鋼の製造方法の発明である。 上記(1)で述べたように、本件特許発明1のステンレス鋼は、甲第1号証に記載された発明でもなく、甲1発明及び甲第1号証に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものでもない。 そうすると、本件特許発明1に係るステンレス鋼の製造方法の発明である本件特許発明2は、甲第1号証に記載された発明でもなく、甲1発明及び甲第1号証に記載されたものに基いて当業者が容易に発明をすることができたものでもない。 請求人は、甲第1号証の5.4節には、本件特許発明2の「ステンレス鋼を直流の陽極に、又は交流の一極に、若しくは直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側に接続し、他の電導性対極との間に、塩素、沃素、臭素を含まぬ他の有機或は無機酸若しくはその水溶性塩類に弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩の一種若しくは二種以上を配合添加した溶液を電解液とし、対抗する電極との間に前記ステンレス鋼を介在せしめた状態で電解処理する」に相当するものが記載されており、また、電気化学的方法において、ステンレス鋼を直流の陽極に接続することは技術常識である(甲第4号証、甲第5号証)から、本件特許発明2と甲第1号証の5.4節に記載されたものは、構成上の差異はなく、本件特許発明2は、甲第1号証に記載された発明か、又は甲第1号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと主張する(審判請求書34頁8行?35頁9行)。 しかしながら、本件特許発明1に新規性及び進歩性に係る無効理由がないことは上述したとおりであるから、本件特許発明1を引用する本件特許発明2についても新規性及び進歩性に係る無効理由はない。 よって、本件特許発明2に対する請求人の上記主張は採用できない。 (3)まとめ したがって、無効理由2についての請求人の主張は理由がない。 3.無効理由3(甲第2号証及び甲第3号証に基づく進歩性)について (1)本件特許発明1について 甲第1号証の5.4節における上記記載事項(キ)?(サ)及び甲第2号証の上記記載事項(シ)?(ツ)によれば、甲第2号証の記載は甲第1号証の5.4節の記載に概略一致している。 また、甲第1号証の5.3節における上記記載事項(オ)?(カ)及び甲第3号証の上記記載事項(テ)?(ニ)によれば、甲第3号証の記載は甲第1号証の5.3節の記載に概略一致している。 してみると、甲第2号証の記載は甲第1号証の5.4節の記載に、甲第3号証の記載は甲第1号証の5.3節の記載に、それぞれ対応しているものとみることができる。 また、上記記載事項(シ)?(ツ)によれば、甲第2号証には、「SUS 304ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、pH1.8?13.2のフッ化物水溶液の定電位電解により発生したフッ素イオンを侵入せしめることにより、含フッ素不動態皮膜を形成させ、その被膜の作用効果によって耐硫酸腐食性が優れる含フッ素不動態皮膜を形成させたSUS 304ステンレス鋼。」(以下、「甲2発明」という。)が記載されている。 a 対比 上記2.(1)アで述べたものと同様に、本件特許発明1と甲2発明は、 「ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより含弗素、酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。」 の点で一致し、上記〈相違点1〉及び〈相違点2〉と同様な点で相違している(以下、上記「相違点1」、「相違点2」について、「甲1発明」を「甲2発明」と読み替えたものを、それぞれ「相違点1’」及び「相違点2’」とする。)。 b 判断 〈相違点1’について〉 上記2.(1)イ〈相違点1について〉で述べたものと同様であり、本件特許発明1の相違点’1に係る構成は、甲第2号証に基づいて容易になし得るものとはいえない。 〈相違点2’について〉 上記2.(1)イ〈相違点2について〉で述べたものと同様であり、本件特許発明1の相違点2’に係る構成は、甲第2号証及び甲第3号証に基づいて容易になし得るものとはいえない。 したがって、本件特許発明1は、甲2発明及び甲第3号証に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものでもないから、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができないものであるとする請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 (2)本件特許発明2について 上記2.(2)で述べたものと同様に、本件特許発明1に係るステンレス鋼の製造方法の発明である本件特許発明2は、甲2発明及び甲第3号証に記載されたものに基いて当業者が容易に発明をすることができたものでもない。 (3)まとめ したがって、無効理由3についての請求人の主張は理由がない。 4.無効理由1(記載不備)について (1)36条6項1号(サポート要件)について a 請求人は、「X(当審注:表層部の弗素濃度(%))<Y(当審注:約6Åエッチング後の表面の弗素濃度(%))の条件は、約6Å深さの弗素濃度を表層部の弗素濃度との関係で特定若しくは限定したものであるから、X<Yの条件に適合する全ての数値について発明の効果が得られることを明らかにしなければならないところ、前記した3<Y<7の範囲の数値については発明の効果が得られるかどうか不明ないし疑問である。また、比較例1についてはX=Y=3%であるが、これらの「3%」は小数点以下を四捨五入して得られた値であると認められるから、X、Yともに2.6?3.4%の範囲にあるものである。したがって、従来例である比較例1についても、X<Yの条件に適合していた可能性があり、その場合はX<Yの条件は比較例1(従来例)を含むという不合理な結果となる。以上のことから、本件特許の請求項1に係る発明は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであり、請求項1に記載の発明を特定するための事項と対応する技術的事項は発明の詳細な説明に記載されていない。また、発明の詳細な説明には、請求項1に係る発明の範囲まで発明の詳細な説明に記載された内容を拡張ないし一般化することができるとする技術的根拠が示されているわけでもない。」と主張する(審判請求書17頁下から7行?18頁9行)。 しかしながら、本件訂正請求により、訂正前の請求項1における「約6Å深さの弗素濃度」の記載は、「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度」と訂正されたので、X<Yの条件の意味するところは、上記2.(1)b〈相違点1について〉で述べたように、表層部付近よりも、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)のほうが、弗素濃度が濃くなったことを意味しているものと解される。すなわち、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層の内部に弗素が深く拡散、浸透し、その結果、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)に弗素が濃い分布を持つものと解される。 そして、本件特許明細書の実施例3?5によれば、X<Yの条件のものについて、一定の効果があることが記載されているところ、このほかのX、Yの数値の組合せについて、実験データが示されていなくとも、X<Yの条件さえ満足していれば、ある程度の効果、すなわち、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層の内部に弗素が深く拡散、浸透しているものと理解されることは自明であり、その結果、耐孔食性を有する被膜層が形成されているということは容易に推測できるものといえる。 なお、本件特許明細書の比較例は、本件特許発明1の実施例ではなく、すなわち、電解処理を施した含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を有していないため、本件特許発明1の構成要件とは何ら関与しない。仮に、比較例において、X<Yの条件が満たされたものがあったとしても、それをもって、比較例が本件特許発明1に含まれるものとはならない。 してみると、X<Yの条件に適合する全ての数値について発明の効果が得られることを明らかでないから、請求項1に係る発明の構成は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものである、とした請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 b また請求人は、「表2に示された約6Åエッチング後の表面の弗素濃度は、6Åエッチング後の表面から数nmの深さにわたる領域の情報を取得してその情報から算出されたものである。約6Åエッチング後の表面の弗素濃度ではないのである。したがって、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」という発明を特定するための事項に対応する技術的事項は発明の詳細な説明中に記載されておらず、特許を受けようとする発明は発明の詳細な説明に記載されたものではない。さらに、発明を特定するための事項である「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」の「約6Å」は、「6Å」のみならず、「6Åよりもやや小さな数値」も「6Åよりもやや大きな数値」も含むから、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」は「6Å深さの前後にわたる領域において表層部に比べて弗素濃度が高くなった」という意味に理解するしかない。しかし、発明の詳細な説明には、それに対応する技術的事項がどこにも記載されていない。」と主張する(審判請求書18頁12?下から3行)。 しかしながら、本件訂正請求により、訂正前の請求項1における「約6Å深さの弗素濃度」の記載は、「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度」と訂正されたので、当該発明特定事項に対応する技術的事項は発明の詳細な説明に記載されたものとなったことは明らかであり、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 c したがって、本件特許の請求項1に係る発明の構成のうち、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」との構成は、発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであり、特許法第36条第6項第1号の記載要件に適合していないものであるとする請求人の主張は理由がない。 (2)36条6項2号(明確化要件)について a 請求人は、「「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」という発明を特定するための事項がどのような技術的意味を有するのか全く不明である。発明の詳細な説明中の表2に示された各実施例3?5のデータが、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」、すなわち、前記したX<Yの条件に単に適合しているというだけであって、発明の詳細な説明の記載並びに出願時の技術常識を考慮しても、X<Yの条件の技術的意味は全く理解できない。」と主張する(審判請求書19頁9?15行)。 しかしながら、本件訂正請求により、訂正前の請求項1における「約6Å深さの弗素濃度」の記載は、「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度」と訂正されたので、X<Yの条件の意味するところは、上記2.(1)b〈相違点1について〉で述べたように、表層部付近よりも、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)のほうが、弗素濃度が濃くなったことを意味しているものと解される。すなわち、X<Yの条件の技術的意味は、含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層の内部に弗素が深く拡散、浸透し、その結果、6Å深さ付近(6Åよりさらに深いところ)に弗素が濃い分布を持つものと解されることは明らかであり、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 b また請求人は、「「約6Å」という数値は、原子の大きさでいえば、2、3個分の大きさに相当するもので、X線光電子分析装置(島津製ESCA-850)によって約6Åのエッチングは到底不可能であり、約6Å深さの弗素濃度を測定することは困難である。したがって、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」という発明を特定するための事項の内容に技術的な欠陥があり、発明が不明確であるというほかはない。」と主張する(審判請求書19頁下から6?1行)。 しかしながら、本件特許明細書の【表1】には、「X線光電子分析装置 ESCA-850(Shimadzu)」について、エッチング速度が「約600Å/min as Cr」であると記載されているところ、エッチング時間を0.01minと設定すれば、6Åのエッチングが可能であることは読み取ることはできる。そして、【表2】を参酌すると、実質的に「約6Åのエッチング後」のESCA分析の測定結果が得られている。また、当該測定は、エッチングも含めて、第三者の外部機関である菱明技研(株)(現・MHIソリューションテクノロジーズ株式会社)に依頼して行っていることは、被請求人の平成25年9月18日付け口頭審理陳述要領書(8頁4?10行)からみて明らかである。してみると、6Åのエッチングは設定可能であり、本件特許明細書において測定結果が第三者機関により実質的に得られている以上、それを否定する具体的証拠が請求人から格別に提出されていないことからみて、6Åのエッチングは実施可能であるとするのが妥当であり、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 c さらに請求人は、「発明の詳細な説明には、実施例中の素材はステンレス鋼のSUS304の2B材である旨の記載があるが、2B材の表面の表面粗さは約0.1μm(1000Å)程度であり、その表面粗さの凹凸面をわずかに6Åだけエッチングすることについて具体的なものを想定することが困難であり、発明に属する具体的な事物が理解できない。仮に6Åエッチングが実施できたとしても、そのような2B材の凹凸面のどの部分をエッチングするかでX線光電子分析による分析結果に誤差が生じることは明らかである。」と主張する(審判請求書20頁1?7行)。 しかしながら、本件特許発明1の含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼は、表面部乃至その近傍に対し、電解処理したものであり、素材であるステンレス鋼のSUS304の2B材の表面よりも、表面粗さが小さく滑らかなものとなっていることは明らかである。請求人は、素材であるステンレス鋼のSUS304の2B材の表面粗さを前提に、分析の困難性を主張しているが、本件特許明細書において素材自体を用いているのは比較例だけであり、当該比較例の分析精度は本件特許発明とは何ら関与しないものであるので、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 d また請求人は、「図示された比較例1の2B材についての弗素の光電子スペクトルを見ると、表層部に比べて約6Åエッチング後の方がピーク面積がはるかに大きいことが見た目で明らかであり、この図1の光電子スペクトルからいかにしてX=Y=3%分析結果が導かれたのかも理解できない。」と主張する(審判請求書20頁8?11行)。 しかしながら、本件特許明細書の【図1】における「各試片のESCA光電子スペクトル」に基づいて【表2】の元素存在割合を求める場合、【0006】における「表2は、各試片毎の前記各元素のピーク面積と感度係数とから簡易的に求めた各元素の存在割合を示したものである。」との記載、及び、答弁書における「X線光電子分析法では、下式で表されるように、元素割合を、各元素のピーク面積(光電子面積強度)を各元素の相対感度係数で除し、その総和に対する割合を、各元素の%割合として算出する。Mi=(Ii/Si)/(ΣIα/Sα)×100(I:元素の光電子面積強度,S:元素の相対感度係数(各元素により異なる),α:試料中の各元素)」(8頁下から4行?9頁4行)の記載を参酌すると、単に、【図1】における見かけ上のスペクトルの光電子面積強度比をもって分析結果を論じている請求人の主張は適切ではなく、失当と言わざるを得ない。 e したがって、本件特許の請求項1に係る発明の構成のうち、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」との構成は、発明を特定するための事項であるところ、それがどのような技術的意味を有するのか不明であり、特許法第36条第6項第2号の記載要件に適合していないものであるとする請求人の主張は理由がない。 (3)36条4項1号(実施可能要件)について a 請求人は、「X線光電子分析装置(島津製ESCA-850)によって6Å深さの弗素濃度を正確に測定することは困難であることは前記したとおりである。したがって、発明の詳細な説明には、「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」という発明を特定するための事項に対応する技術的事項が抽象的に記載してあるだけであり、ステンレス鋼にそれが具現されているかどうかが不明であるから、当業者は請求項1、2に係る発明の実施をすることができず、特許法第36条第4項の記載要件を満たしていない。」と主張する(審判請求書20頁下から7?1行)。 しかしながら、本件訂正請求により、訂正前の請求項1における「約6Å深さの弗素濃度」の記載は、発明の詳細な説明の記載に基づいて、「X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度」と訂正された。また、発明の詳細な説明には、本件特許発明1及び2を実施するための技術的事項、すなわち、X線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について弗素濃度を測定することが開示されており、上記(2)bで検討したように、エッチングを含めて当該測定が実施可能であるとすることは妥当であり、発明の詳細な説明には、実施をすることができる程度に明確かつ十分な記載があるものといえる。よって、請求人の主張は失当と言わざるを得ない。 b したがって、請求項1及び2の「表層部に比べて約6Å深さの弗素濃度が高くなった」という構成に対応する技術的事項は発明の詳細な説明に抽象的に記載してあるだけで、ステンレス鋼にそれが具現されているかどうか不明であり、しかも、出願時の技術常識に基づいても当業者が理解できないため、当事者が請求項1及び2に係る発明の実施をすることができないものであり、特許法第36条第4項の記載要件に適合していないものであるとする請求人の主張は理由がない。 (4)まとめ したがって、無効理由1についての請求人の主張は理由がない。 5.まとめ 以上、検討したとおり、請求人の主張する無効理由1?3は、いずれも理由がない。 第6 むすび 以上のとおりであるから、請求人の主張及び証拠方法によっては、本件特許発明1及び2の特許を無効とすることはできない。 審判に関する費用については、特許法第169条第2項で準用する民事訴訟法第61条の規定により、請求人が負担すべきものとする。 よって、結論のとおり審決する。 |
発明の名称 |
(54)【発明の名称】 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法 (57)【特許請求の範囲】 【請求項1】ステンレス鋼の表層部乃至その近傍に対し、含弗素水溶性塩類の水溶液の電気分解による発生期状態の弗素若しくは弗素と酸素とをイオン状で拡散、浸透せしめることにより、表層部に比べてX線光電子分析ESCA法によって6Åエッチング後の表面について測定された弗素濃度が高くなった含弗素、酸素系被膜層を形成させ、その被膜の作用効果によって該鋼種相応の耐食性特に塩素による耐孔食性をより向上せしめたことを特徴とする含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼。 【請求項2】請求項1記載のステンレス鋼の製造方法であって、ステンレス鋼を直流の陽極に、又は交流の一極に、若しくは直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側に接続し、他の電導性対極との間に、塩素、沃素、臭素を含まぬ他の有機或は無機酸若しくはその水溶性塩類に弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩の一種若しくは二種以上を配合添加した溶液を電解液とし、対抗する電極との間に前記ステンレス鋼を介在せしめた状態で電解処理することにより、ステンレス鋼表層に含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることを特徴とするステンレス鋼の製造方法。 【発明の詳細な説明】 【0001】 【産業上の利用分野】 本発明は、電気化学的手法により、ステンレス鋼の表層部乃至はその近傍に対し、弗素若しくは弗素と酸素とををイオン状で拡散、浸透せしめることにより含弗素系乃至含弗素・酸素系の被膜層を形成させ、従来のステンレス鋼表面に形成されている酸素系不動態化被膜に比べてより耐食性に優れた新規な被膜の形成によって齎せる効果により、該ステンレス鋼の鋼種に応じて保有する固有の耐食性をより一層飛躍的に向上させ、特にオーステナイト系ステンレス鋼に特有の塩素による孔食発生から異状腐食さらには応力腐食割れに至る諸問題を大幅に改善したステンレス鋼とその製造方法とに係る。 【0002】 【従来の技術】 ステンレス鋼の耐食性は、ステンレスの鋼種に応じた各合金成分自身の耐食性によるものではなく、その製造工程に於て、熱濃硝酸の溶液中に一定時間浸漬する通称不動態化処理により、その表面に生成させてあるÅ単位(10^(-1)nm)の極めて薄い含酸素系不動態化被膜の作用効果によるものであり、その成分組成としてのクロムやニッケル、或はモリブデンなどの合金元素の種類やその多寡はその不動態化被膜の生成を促すための要素に過ぎないことは衆知の事実である。 その一証拠として、前述の不動態化被膜の膜厚も前述の通り極めて薄いためステンレス鋼素材の切断や切削、或は研磨工程などに伴って簡単に破壊されるが、田園地帯などの清浄な空気中であれば放置するだけでも大気中の酸素による酸化作用によって自然に不動態化し、反対に海塩粒子の多い海岸地帯や大気汚染の激しい工業地帯等に於ては、該被膜の生成が妨げられることもよく知られている。 ところが、このようなステンレス鋼の不動態化被膜も、ハロゲン元素特に塩素イオン(Cl^(-))を含む環境下に於ては、たちまちの内にピット状の異状腐食を発生するし、またこれに外部からの応力がかかった状態や或は応力が残留していると異状腐食や、ひいては応力腐食割れ(SCC)などが発生することなども公知であり、このような塩素による腐食現象のことを一般に孔食と呼称し、特にオーステナイト系ステンレス鋼にとっての宿命的とも云える致命傷となっていることも公知の事実である。 ところで、このような孔食発生に係るCl^(-)の作用のメカニズムについては未だ定説はないものの、大別して▲1▼.Cl^(-)によって吸着置換される吸着説、▲2▼.Cl^(-)の浸透破壊による浸透説、▲3▼.FeSやMnSなどの介在物の存在箇所から発生する欠陥説などが提唱されており、何れもCl^(-)が不動態化被膜に吸着し、該被膜の最も弱い個所を破壊して遂に金属が溶出するために孔食が発生し、さらにこれを起点として応力腐食割れ(SCC)が始まると云う理論については疑う余地のない事実である。 一方、このような孔食の発生防止対策としては、環境因子としては接触する溶液の組成やpH,温度などを改善するという間接的手段や、冶金的因子としては合金元素の添加、或は溶接などの熱影響部に対しては熱処理として溶体化処理を施すことなどが対策として講じられてはいるものの、何れもステンレス鋼自体に係わる具体的かつ抜本策とは云い難く、その画期的防止対策の必要性が強く望まれて来た。 【0003】 【発明が解決しようとする課題】 本発明は、上述のようにステンレス鋼の合金成分を変更したり、或は冶金的な加熱処理のように煩雑な処理を施すことなく、既存のステンレス鋼の表面に対し酸素のほかに新規な弗素系の耐食性被膜層を形成させることにより、従来の酸素系不動態化膜の欠点を補って耐食性特に耐孔食性の大幅な改善と、ひいては孔食個所を起点として発生する異状腐食や応力腐食割れの防止を計った画期的なステンレス鋼とその製造方法を提供せんとすることにある。 【0004】 【課題を解決するための手段】 本出願人は、過去ステンレス鋼の溶接後の焼け取り作業が極めて危険な毒劇物に該当する硝弗酸に依存して来た現状に鑑み、研究の結果、安全無害な中性塩電解焼け取り法を開発し、「合金鋼の脱スケール法」の名称のもとに特許第543867号ほかを取得し、従来の毒劇物硝弗酸の使用を抑制して、より安全無害な焼け取り作業を可能にして来た経緯がある。 その発明の要旨とするところは、燐酸、硫酸、弗酸などの無機中性塩溶液にグリセリンを混合して電解液とし、被処理ステンレス鋼を陽極とする直流電解法である。 この方法によれば、上記の溶接などに伴って発生する焼け取り作業が極めて効果的に実施出来るため、過去長期に渡り有効に実用化して来たが、これらの内の弗酸及びその中性塩の使用は、飽くまでもステンレスの溶接などに伴って発生する焼け、つまり酸化鉄、酸化クロムなどを主体とするスケールをより効果的に溶解除去することを目的とし、通電に伴って発生する発生期の弗酸によるスケールの溶解の作用効果を期待したものに過ぎなかった。 ところが、その後多くの研究を重ねているうちに、弗酸の中性塩を配合した電解液を用いて電解焼け取りを施したステンレス鋼には、何故か耐食性特に耐塩素孔食性に優れていることを見出したことから、さらにX線光電子分析装置ESCAなどを用いて精査した結果、酸素のほかに従来のステンレス鋼にはその存在が全く知られていなかった弗素(F)が浸透、拡散し存在していることを発見、さらにその存在は表層のみにとどまらず約数十Åの深部にまで、また処理方法の如何によってはその深度並びに強度も大幅に変化し、それに伴って耐孔食性も順次増強することから、従来の単なるÅ単位の薄い酸素系不動態化膜に比較しCl^(-)に対しより強い含弗素系乃至含弗素・酸素系被膜層を持つステンレス鋼とその製造方法を発明するに至ったものである。 上述の経緯から、本発明の課題に鑑み、問題解決の手段として次の如く提案する。即ちその要旨とするところは、電解液の主剤としては、ステンレス鋼に対し逆に腐食や孔食を発生させる性質のある塩酸や塩化物などは実用に耐えないことは勿論であり、その他沃素、臭素ならびにその塩類も同様に好ましくはないが、これらを除いた硫酸、硝酸、燐酸、クエン酸、酒石酸、蓚酸、酢酸、グルコン酸グリコール酸、コハク酸などの酸若しくはその水溶性塩類の一種若しくは二種類以上に対し、弗酸若しくはそのナトリウム、カリウム、アンモニウム塩を適宜配合添加した溶液を電解液とし、処理すべきステンレス鋼を直流の陽極に又は直流に交流を重ね合わせた交直重乗電流の陽極側か若しくは交流電源の一極側に接続した状態で該電解液中に浸漬し、ステンレス鋼か黒鉛或はタングステン、モリブデン材などの難溶性電極を対極として対向せしめた状態で通電する所謂浸漬電解法を行うか、または他の一方法としては処理すべきステンレス鋼を該電源の一極に接続すると共に、該ステンレス鋼の表面上に於て該対極との間に、天然又は合成、人造繊維よりなる織布若しくは不織布よりなる滞水性物質を介在させさらに該電解液を含浸せしめた状態で該対極をステンレス鋼の表面上で摺動しながら移動し通電処理することにより該ステンレス鋼の表面に対し弗素イオンを拡散、浸透させるものであり、その組成や形状については未だ明らかではないがFとして表面層から数十Å程度の内部にまで浸透させ、耐食性に優れた被膜層を形成させることに成功した。 【0005】 【作用】 上述の電解処理によって得られたステンレス鋼の耐食性については、SUS304の2B材を試片として用い、購入したままの未処理品と比較対照的に本発明方法で処理した各試片を、JISに規定されている10%塩化第二鉄を用いる孔食試験法に基づいて同一条件で2時間浸漬後引き上げて水洗しその切断面と表面との状況を比較したところ、未処理品は、素材メーカーの製造工程に於て従来方式の酸素系不動態化被膜処理が施されているにも拘らず、その表面には若干の孔食が発生、またその切断面については、試片をシャーリング加工した際に該被膜が完全に破壊されていることと、切断に伴って発生した残留応力が原因で無数の孔食の発生が認められたが、これに対し本発明方法に基づく試片については切断面といえども孔食は全く認められず、極めて顕著な差異が認められた。 また上記テストに引続き、購入したままの前記未処理材の表面に、サンドペーパーを掛けたり、或は稀硫酸中に浸漬して該不動態化被膜を故意に破壊した試片について、前記と全く同様の孔食試験を行ったところ、該表面には前述の切断面と同様に無数の孔食の発生が認められ、ステンレス鋼の活性化のおそろしさと、不動態化被膜の防食上の有効性とがよく確認された。 以上のテスト結果が示すように、従来公知の硝酸法に基づいて生成する酸素系不動態化被膜は、該被膜を物理的手段で剥離するか或は稀硫酸のような還元性の酸を用いて溶解除去して所謂活性態となった試片に比べれば、該不動態化膜の効用により或る程度の耐孔食性は認められるものの、ステンレス製品、とりわけその溶接加工製品が、海水や食塩を始めとする塩化物を取扱う産業界に於て多発している無数の孔食事例や、孔食を起点として発生する応力腐食割れ事故が充分それを証明しているように決して完全なものではなく、これに比べて、本発明方法に基づく試片については完璧とも云える程の極めて高い耐孔食性が確認された。 このような耐孔食性を更に追求するために、本発明者が先に特許第1925460号(特公平5-23386)「金属の不動態化効果の簡易測定方法」を権利化し、これに基づき商品化して業界でも広く採用されている商品名「ステンチェッカー」を用いて測定比較したところ、ペーパー掛けした試片は、不動態化電位(起電位)はゼロを示して完全な活性態(0.2V以下)を示すのに対し、購入したままの市販品の2B材は約0.5Vの起電位と、1規定濃度の稀硫酸を用いる電解液中での0.2Vまで低下するまでの維持時間が約30秒程度を示し、通常の不動態化度であることが認められ、またさらに、本発明方法に基づく試片は約0.6?0.7V、約60秒とこれよりも更に高い不動態化電位を示し、やはり同様に従来法よりも更に高い不動態化効果のあることが立証された。 そこで更に、本発明方法に基づく弗素(F)被膜層の存在を立証するために、上記の各試片について、ESCA法による表面層並びにその近傍の元素分析を行ったところ、従来の硝酸法による2B材に於ける不動態化の場合は予想通り酸素(O)が検出され、Fについては、製鉄ラインに於ける不動態化に先だって通常必ず実施されている硝弗酸酸洗に由来するものと考えられるバックグラウンド程度の微量が検出されたのに対し、本発明方法による試片については、Oの存在のほかに、バックグラウンド値を遥かに超えた極めて多量のFが検出されてその存在が立証されたことから上記の各事実と併せて、従来法の定説となっている酸素系よりも塩素に対して遥かに強力な含弗素乃至は含弗素・酸素系不動態化被膜の生成法を発明するに至ったものである。 以上詳述の通り、Cl^(-)が不動態化被膜に吸着しこれを破壊することにより発生する孔食現象も、本発明方法によれば、ステンレス鋼表面から電解法により拡散、浸透させて該表層部付近に形成された含弗素系被膜の作用で、Cl^(-)の侵入を効果的に防御することにより完全に防止されるものであることが明らかとなった。 【0006】 【実施例】 以下に記述する実施例中の素材はすべてオーステナイト系の中でも最も代表的なステンレス鋼種のSUS304の2B材を用いた。 表1は、下記の各実施例に於ける各試片のX線光電子分析ESCA法による各元素分析の諸条件を示すものであり、対象元素としては何れもF,O,C,Fe,Cr,Niについて、夫々最表層部と6Åエッチング後の表面について測定を行い、その内のFとOの光電子スペクトルの変化を取纏めて図1に示した。また表2は、各試片毎の前記各元素のピーク面積と感度係数とから簡易的に求めた各元素の存在割合を示したものである。 実施例1.(比較例) ステンレスメーカーから購入したまま何ら手を加えない未処理のSUS304の2B材を対象に前述の条件によるESCA分析を行ったところ、図1並びに表2に於ける試料▲1▼に示す如く、極く微量のFが検出されたが、これは前述の製鉄プラントのAPラインに於て使用される酸洗用の硝弗酸処理による影響かとも思考されるもので、本実施例に於けるバックグラウンド値である。 一方、Oの存在は、同じくAPラインの最終工程に於て施される熱硝酸浸漬法による不動態化処理により形成されたものであり、約6Åエッチング後の表面には更により強いピークが検出されることからみても、一般に公知の酸素系不動態化被膜の形成とその存在とが明らかに認められた。 次に、前述のステンチェッカーによる測定値も不動態電位は約0.5V、維持時間も約30秒で、略々通常通りの不動態化状態にあることが確認された。 実施例2.(比較例) 実施例1に於けるSUS304の2B材を、さらに20%の硝酸を60℃に加温した溶液中に5分間浸漬処理し、APラインに於て形成された不動態被膜の上にさらに重ねて従来公知の手段による不動態化処理を施し、同様にESCA分析を行った結果は、図1並びに表2の試料▲2▼に示した如く、Fについては表層部に比べて6Åエッチング面に於ては稍々減少の傾向にあり、また前記ステンチェッカーによる不動態電位の値も略々変化ないことから、市販の2B材を更に幾ら重ねて不動態化処理しても耐食性向上の面では全く効果ないことが立証され、むしろF値は低下を示した。 実施例3. そこで本発明方法による実施例として、電解液として、硫酸ソーダ15%にクエン酸を5%、さらに弗化ナトリウムを0.5%添加した水溶液を電解液とし、電源器としては直流電源の陽極電圧を15Vとし、これにさらに交流の17Vを重ね合せた交直重乗電流とし、処理すべき前述のSUS304の2B材をこれに接続、他の陰極側には黒鉛を接続して電解液中に対立せしめ3分間通電して電解処理した。 終了後引上げて前記比較例と全く同様にESCA分析を行ったところ、図1並びに表2の各試料▲3▼に示す如く、表層部に於ては勿論、6Åエッチング面に於ては更に多量のFが検出され、可成り深部にまでFが拡散、浸透していることを示し、Oもこれに伴って富化されていることが確認され、不動態化電位も約0.65V、維持時間も60秒まで上昇が認められた。 実施例4. 実施例3に於ける電源器を単純な直流電源の陽極に代え、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲4▼に示す如く、Fについては表層部では実施例3と同等で、6Åエッチング面では稍々低下しているものの、同様に多量のFが浸透していることが確認され、不動態化電位も約0.55V、維持時間も50秒を記録した。 実施例5. 実施例3に於ける電源器を交流電源に代えて、他は全く同様な条件で電解処理した結果、図1並びに表2の試料▲5▼に示す如く、Fについてはバックグラウンド値と同じであるが、6Åエッチング後の面では可成りの高い値を示しており、更にエッチングを継続しながらFの検出を続けたところ、約30Å付近でFが消失していることが確認された。なお、不動態化電位の測定結果も0.5V、維持時間は35秒と記録され、一般的には不動態化被膜が形成されにくい交流電解にもかかわらず、Oの測定値も富化されて充分不動態化効果を伴っていることが確認された。 実施例6. 上述の実施例(比較例)1と2、並びに本発明の実施例3,4,5の各条件に基づいて夫々処理して作製した別の試料▲1▼´、▲2▼´、▲3▼´、▲4▼´、▲5▼´について、夫々を塩化第二鉄の10%水溶液を用いる孔食試験法に基づいて、2時間浸漬処理した後の孔食試験結果は、▲1▼´と▲2▼´とについては平方センチメートル当り5乃至6個の孔食発生が認められたが、本発明の実施例3、4、5に基づく試料▲3▼´、▲4▼´、▲5▼´については何れも孔食は全く認められず、完全な耐塩素孔食性のあることが確認された。 実施例7. 次に、実施例6に於ける諸条件と全く同一とし、夫々の試料の条件としては、その中心部をアルゴンTIG溶接を施したうえで実施例6と同様に実施したところ、何れも溶接焼けは全く同程度に除去されたが、更に引続き実施した孔食試験の結果では比較例の試料▲1▼”、▲2▼”については、クロム欠乏現象を伴う溶接周辺部を中心に平方センチメートル当り20乃至25個にも及ぶ夥しい孔食の発生が認められたのに対し、本発明の実施例に基づく試料▲3▼”、▲4▼”、▲5▼”については何れも孔食は認められず、溶接施工に伴う金属組織変化や多少の溶接ヒュームなどの異物の付着状態に於ても、完全に孔食発生防止効果のあることが確認された。 実施例8. 実施例7に於ける電解処理方法について、電解液中に被処理材とその対極とを対向的に浸漬処理する方法に対し、被処理材を交流電源の一極に直接接続し、対極自体はステンレス製とし、その表面に滞水性の布を被せたうえでこれに更に電解液を含浸させ、該処理ステンレス材の表面に直接接触させ、摺動するように処理したところ、浸漬電解法と摺動電解法との間に大差は認められず、むしろ溶接個所の周辺などで金属組織変化を伴うステンレス製品や残留応力の除去が困難な切断面などへの局部的処理に対しては極めて効果的なことが立証され、オーステナイト系ステンレスの溶接加工製品に於けるクロム欠乏層や組織変化を生じた個所に多発する応力腐食割れの防止対策用など局部処理に適用して特に有効な方法である。 実施例9. 電解液の組成について、基材としては硫酸ソーダ、燐酸ソーダ、酒石酸ソーダ、クエン酸ソーダ、蓚酸ソーダ、リンゴ酸ソーダ、酢酸ソーダ、グルコン酸ソーダ、グリコール酸ソーダ、コハク酸ソーダなどが何れも好適で効果の面で大差なく、またソーダ塩に代りカリウム塩やアンモニウム塩を用いても略々同等の効果が、またさらに、前記中性塩に代り夫々の酸を用いたところ、ステンレス鋼表面に対する溶解反応が強過ぎて若干効果は劣るものの、弗素イオンの浸透効果は認められ、pH調整を行うことによりその効果は増強し、何れも濃度的には0.1%付近から飽和濃度付近までが実用的であった。 また一方の添加剤については、弗酸と弗酸のナトリウム、カリウム、アンモニウム塩による比較では略々同等の被膜形成効果のあることが認められ、また添加濃度については0.01%付近乃至それ以上飽和濃度まで効果があり、実用的には0.05%から0.5%程度の濃度が有効なことが認められた。 【0007】 【発明の効果】 本発明は、電気化学的手法により、ステンレス鋼表面乃至その近傍に対し含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させることにより、従来極めて困難視されていた耐塩素孔食性の飛躍的改善と、ひいてはオーステナイト系ステンレスの欠点とされている異状腐食や応力腐食割れの防止策の改善を齎したステンレス鋼とその加工方法とを提供するもので、産業上益するところ甚だ大きい。 【図面の簡単な説明】 【図1】 本図は、本発明の各実施例に於ける各試片のESCA光電子スペクトル測定結果の内のFとOに係る表層部と約6Åエッチング後の表面に於ける各スペクトルを示す。 【表1】ESCAによる分析条件 ![]() 【表2】各試料の元素存在割合 ![]() |
訂正の要旨 |
審決(決定)の【理由】欄参照。 |
審理終結日 | 2013-10-28 |
結審通知日 | 2013-10-30 |
審決日 | 2013-11-12 |
出願番号 | 特願2001-321202(P2001-321202) |
審決分類 |
P
1
113・
113-
YAA
(C25D)
P 1 113・ 537- YAA (C25D) P 1 113・ 536- YAA (C25D) P 1 113・ 121- YAA (C25D) |
最終処分 | 不成立 |
前審関与審査官 | 馳平 憲一 |
特許庁審判長 |
石川 好文 |
特許庁審判官 |
井上 茂夫 鈴木 正紀 |
登録日 | 2008-11-21 |
登録番号 | 特許第4218000号(P4218000) |
発明の名称 | 含弗素乃至含弗素・酸素系被膜層を形成させたステンレス鋼とその製造方法 |
代理人 | 角田 恭子 |
代理人 | 鈴木 由充 |
代理人 | 有原 幸一 |
代理人 | 河村 英文 |
代理人 | 渡辺 篤司 |
代理人 | 角田 恭子 |
代理人 | 渡辺 篤司 |
代理人 | 松島 鉄男 |
代理人 | 奥山 尚一 |
代理人 | 有原 幸一 |
代理人 | 奥山 尚一 |
代理人 | 小石川 由紀乃 |
代理人 | 松島 鉄男 |
代理人 | 河村 英文 |