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審決分類 審判 査定不服 2項進歩性 特許、登録しない。 C07D
管理番号 1325488
審判番号 不服2015-14809  
総通号数 208 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2017-04-28 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2015-08-06 
確定日 2017-02-22 
事件の表示 特願2013-142873「イロペリドン代謝産物の光学異性体」拒絶査定不服審判事件〔平成25年11月7日出願公開、特開2013-227335〕について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 
理由 第1 手続の経緯
この出願は、2002年8月30日(パリ条約による優先権主張外国庁受理2001年8月31日(US)米国)を国際出願日とする特願2003-524978号の一部が平成21年12月11日に新たな特許出願とされた特願2009-281094号の一部が、さらに平成25年7月8日に新たな特許出願とされたものであって、平成25年8月2日に上申書が提出され、平成26年8月1日付けで拒絶理由が通知され、平成27年2月5日に意見書、手続補正書及び手続補足書が提出されたが、同年4月1日付けで拒絶査定がされ、同年8月6日に拒絶査定に対する審判請求がされ、同年9月16日に審判請求書を補正する手続補正書が提出されたものである。
なお、特願2009-281094号からは、この出願より前の平成25年1月31日に、特願2013-17050号が分割出願されている。
また、この出願からは、特願2015-156358号及び特願2015-156359号が分割出願されている。

第2 本願発明
この出願の発明は、平成27年2月5日付けの手続補正により補正された特許請求の範囲の請求項1?15に記載された事項により特定されるとおりのものであるところ、その請求項1に係る発明(以下「本願発明」という。上記補正では補正されていない。)は、次のとおりのものである。
「遊離塩基または酸付加塩の形態の、式II

で示される、(S)-1-(4-{3-[4-(6-フルオロ-ベンゾ[d]イソキサゾール-3-イル)-ピペリジン-1-イル]-プロポキシ}-3-メトキシ-フェニル)-エタノール。」

第3 原査定の理由
原査定の理由は、平成26年8月1日付けの拒絶理由通知における理由1であり、概略、この出願の請求項1?8に係る発明は、その出願前に頒布された引用文献1?4に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないというものである。その引用文献1は、J. Med. Chem.,1995,38(7),p.1119-1131(以下「刊行物1」という。)であり、その引用文献4は、J. Am. Chem. Soc.,1987,109,p.7925-7926(以下「刊行物2」という。)である。

第4 当審の判断
当審は、原査定の理由のとおり、本願発明は、上記刊行物1?2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないと判断する。
その理由は、以下のとおりである。

1 刊行物
刊行物1:J. Med. Chem.,1995,38(7),p.1119-1131
刊行物2:J. Am. Chem. Soc.,1987,109,p.7925-7926
刊行物3:日本化学会編,季刊化学総説,No.6,1989,「光学異性体の分離」,p.2,9,16,134,212-213(当審手持ちの文献は、特許第4562229号に対する無効審判(無効2014-800025号)で提出された甲第3号証であり、最初の頁の右上に「甲第3号証」の表示及び「無効審判請求14-000278」の表示がある。)
刊行物4:月刊薬事,29(10),1987,p.23-26(同、甲第4号証であり、「甲第4号証」及び「無効審判請求14-000279」の表示がある。)
刊行物5:ファルマシア,25(4),1989,p.311-321(同、甲第5号証であり、「甲第5号証」他及び「無効審判請求14-000280」の表示がある。)
刊行物6:日本化学会誌,1992(2),p.133-139(同、甲第6号証であり、「甲第6号証」他及び「無効審判請求14-000281」の表示がある。)
刊行物7:分離技術,25(5),1995,p.3-8(同、甲第7号証であり、「甲第7号証」他及び「無効審判請求14-000282」の表示がある。)
刊行物8:日本化学会編,「化学便覧 応用化学編 第5版」,丸善,平成7年3月15日,p.II-567-II-571(同、甲第8号証であり、「甲第8号証」他及び「無効審判請求14-000283」の表示がある。)
刊行物9:日本化学会編,「分離精製技術ハンドブック」,丸善,平成5年3月25日,p.472-484(同、甲第9号証であり、「甲第9号証」他及び「無効審判請求14-000284」の表示がある。)
刊行物3?9は、技術常識を示すために引用するものである。

2 刊行物の記載事項

(1)刊行物1:J. Med. Chem.,1995,38(7),p.1119-1131
訳文により示す。
(1a)「非定型抗精神病活性を有する有効なD_(2)/5-HT_(2) アンタゴニストとしての3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類:イロペリドン(HP873)^(1) の抗精神病プロファイル」(1119頁、標題)
(1b)「一連の3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類を合成して、非定型D_(2)/5-HT_(2) アンタゴニストとしての有効性を評価した。これらの化合物のほとんどは、マウスのアポモルフィン誘導クライミングの症例で有効な抗精神病様の活性を示し、多くは、アポモルフィン誘導常同症モデルでより弱い効果であることから示唆されるように、優先的な中脳辺縁系の活性も示した。受容体結合アッセイでは、多くは、D_(2) 受容体には中程度の親和性を示すと共に5-HT_(2) 受容体にはかなり大きな親和性を示した:これは非定型というために必要とされている性質である。この一連の化合物から、化合物45、1-[4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]プロポキシ]-3-メトキシフェニル]エタノン(イロペリドン,HP837)を、一連のインビトロ及びインビボのアッセイでさらに評価した。この化合物は、クライミングの抑制において、常同性やカタレプシー誘導の抑制におけるよりも、300倍もの大きい能力を示し、電気生理学的モデルで長期的に評価すると、化合物45は、ラット脳のA10領域でドーパミンニューロンの脱分極ブロックを引き起こしたが、A9領域では引き起こさなかった。加えて、この化合物は、社会的相互作用の症例に活性を示し、統合失調症の症状の一つである社会性欠如に対して有効である可能性が示唆される。長期的なエクスビボの研究では、化合物45は、クロザピンと同様に、5-HT_(2) 受容体の機能抑制をもたらしたがD_(2) 受容体には影響しなかった。化合物45は、臨床的評価中である。」(1119頁、要約)
(1c)「導入
ここ数年の間、統合失調症の処置に用いる薬物の中で、1つの薬物、クロザピンが、一貫して他の薬物より際立っていて、他の薬物と比べて標準的な非定型抗精神病薬になってきた。神経系の副作用がないことに加えて、クロザピンは、治療抵抗性の患者にも有効であり^(2)、快感消失、社会性欠如、会話能力、いわゆる統合失調症の症状に効果があるようである^(3,4)。残念ながら、クロザピンは、患者に無顆粒球症を起こすことがあるため、第一選択薬ではなく、極めて慎重に投与する必要がある。
・・・・・・・・・・・・・・・
我々は、ピペラジニル-1,2-ベンズイソオキサゾール類に焦点を当てて研究を続け、一連の3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類(4)の合成を目指した。・・・ここでは、我々の研究の結果を述べる。」(1119頁左欄1行?1120頁左欄18行)
(1d)「生物学的結果及び議論
表2に挙げた化合物を、マウスのアポモルフィン誘導クライミング(よじ登り)行動を抑制する能力を試験することにより、抗精神病活性の有効性を評価した。クライミングの抑制は、化合物が、全ての臨床的に有効な抗精神病薬の特徴であるD_(2) アンタゴニストであったことを、示唆する。したがって、クライミングマウスアッセイ(CMA)で良い活性を示す化合物を、ラットにおけるアポモルフィン誘導常同性をブロックする能力について試験した。アポモルフィン誘導クライミングは主に中脳辺縁系が媒介する事象であると考えられる一方、常同性は他が媒介すると考えられるので、これらのアッセイの間での有効量の大きな違いは、中脳辺縁系への優先的な活性と、それゆえ錐体外路症状の副作用の可能性が減ることを示唆する^(21,22)。
化合物は、D_(2) 及び5-HT_(2) 結合部位への親和性も評価した。・・・これらの結果から、我々は、5-HT_(2) 受容体への親和性がD_(2) 部位へよりも大きい化合物、特に・・・D_(2) の5-HT_(2) に対する結合比が1より大きい(D_(2)/5-HT_(2)>1)化合物に、興味をもった。生物学的結果は、表3に要約してある。」(1120頁右欄18?43行)
(1e)「

」(1122頁、「3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類」と題する表2、脚注の訳は省略)
(1f)「

」(1123頁、「3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類のインビボ及びインビトロ抗精神病活性」と題する表3、脚注の訳は省略)
(1g)「試験した結果、化合物37-39及び41-46はCMAで大きい活性を示したが、6-クロロ置換基及び2炭素の鎖をもつ化合物40は、比較的活性が弱かった(表3)。対照的に、6-フルオロ置換基及び3炭素の鎖をもつ化合物45は、このアッセイで最も有効であり、ハロペリドールとほぼ同効で、クロザピンよりかなり有効だった。加えて、これらの化合物の幾つかは、常同性及びCMAアッセイでのED_(50) の開き(常同性/CMA比)がかなり大きく、リスペリドンでは50倍であるのと比べて、化合物45では360倍を超える最も好ましい違いを示した。また、受容体結合で評価しても、これらの化合物は、別の6-クロロ類似体である化合物42を除き、望まれていた好ましい受容体結合プロファイルを示した。このように、化合物37-41及び43-46は、全て、5-HT_(2) 受容体に、D_(2) 部位に対するよりも大きい親和性を示した。特に、化合物45は5-HT_(2) 受容体に対して、IC_(50) が9.0nMという、とても高い親和性を示す一方、D_(2) 受容体には110nMという中程度の親和性である。このことは、D_(2)/5-HT_(2) 比12ということであり、この比は、比較すれば、クロザピンでは約17、リスペリドンでは約14、ハロペリドールでは約0.1である。
この最初の一連の化合物から、1,2-ベンズイソオキサゾール環の6-フルオロ置換基が最良の抗精神病プロファイルを与えるようであり、我々の先の発見^(11) とも整合する。加えて、化合物44-46を比べると、ピペリジン窒素とアリールオキシ末端との間のプロピル鎖が好ましいようである。これらの情報から、化合物45をリード化合物とした。それゆえ、我々の構造-活性関連のさらなる研究の方向は、6-フルオロ-3-(1-プロピル-4-ピペリジニル)-1,2-ベンズイソオキサゾールの構造を保ち、ピペリジン窒素のプロピル末端に結合するアリールオキシ置換基を変えることとした。」(1121頁左欄6行?1122頁右欄3行)
(1h)「化合物56-59は、4-アセチル部分を変更することの影響を示す。例えば、化合物45のケトンを還元すると化合物56のアルコールとなるが、この化合物は、化合物45と類似のインビボプロファイルを示したが、インビボアッセイでは幾分効果が劣った。」(1123頁右欄13行?1124頁左欄3行)
(1i)「4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]-プロポキシ]-3-メトキシ-α-メチルベンゼンメタノール(56)。MeOH/THF(60mL、1:1)中の1-[4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]プロポキシ]-3-メトキシフェニル]エタノン(45)(4.0g、9.4mmol)の攪拌されている混合物に、NaBH_(4)(0.4g、10mmol)を加えた。最初の気体発生の後、全ての不溶物が溶解した。反応混合物を周囲温度で3時間攪拌した。このときのTLCは少量の出発物質ケトンを示した。そのため、さらに0.1gのNaBH_(4) を加えて、さらに0.5時間攪拌を続けた。このときのTLCは出発物質が完全に消失したことを示した。反応混合物を濃縮して、オフホワイト色の残渣を得た。これを水に希釈して集めて3.4gのアルコールを得た。これをトルエンから再結晶し(2回、活性炭処理あり)、2.7g(67%)の化合物56を得た;融点136-138℃;NMR(CDCl_(3))δ 1.49(d,3H),2.01-2.23(m,9H),2.57(t,2H),3.04-3.11(m,3H),3.88(s,3H),4.08(t,2H),4.84(q,1H),6.89(s,2H),6.96-7.68(m,3H),7.70-7.75(m,1H);MS m/e 423.分析値(C_(24)H_(29)FN_(2)O_(4))C,H,N.」(1128頁左欄下から19行?末行)
(1j)「インビトロ試験。受容体結合アッセイは、先に報告した手順^(26,38) に従って行った。」(1129頁左欄下から11行?下から10行)
(1k)「インビボ試験。マウスにおけるアポモルフィン誘導クライミング。この方法は、Protaisら^(39) 及びCostallら^(40) の方法の変形である。オスのCD-1マウス(18-30g)をワイアメッシュのケージ(4×4×10インチ)に1匹づつ入れ、1時間慣れさせる。動物(1投与当たり8匹の群)は、蒸留水か試験薬物を、アポモルフィン負荷(1.5mg/kg sc)の30分又は60分前にip投与する。動物のクライミング(よじ登り)行動を、30分観察する。ED_(50) 値を線形レギュレーション分析により計算する。
ラットにおけるアポモルフィン誘導常同性。手順は、Jansennら^(41) の方法の変形である。オスのWistarラット(150-250g)に、蒸留水又は試験化合物(投与群当たり6-10)ip投与する。50分後、アポモルフィン(1.5mg/kg sc)を投与し、ラットを1匹ずつ半透明のプラスチックケージ(40×22×18cm)に入れる。10分後、ラットに、連続的な、嘗める又は匂いを嗅ぐ行動があるかを観察する。薬物の%抑制は、各群において保護された動物の数を、対照群と比較して決定した。常同性の抑制のED_(50) 値は、プロビット解析により計算する。」(1129頁左欄下から9行?右欄12行)

(2)刊行物2:J. Am. Chem. Soc.,1987,109,p.7925-7926
訳文により示す。
(2a)「ケトン類のエナンチオ選択的還元のための安定で調製容易な触媒。多段階合成への応用」(7925頁、標題)
(2b)「我々は、ケトン類を触媒的エナンチオ選択的に還元して光学活性な第二級アルコールを得る新しい方法を述べた^(1)。その還元で化学量論量で用いられる試薬は、ボラン(通常0.6モル/ケトン1モル)であり、その触媒は、化合物1のようなキラルなオキサザボロリジン(0.05-0.1モル/ケトン1モル)である。優れたエナンチオ選択性、キラルな触媒前駆体の回収容易性、ほぼ化学量論的な収量、短い反応時間(23℃で数分)、及び最終生成物の構造絶対配置の予測性は、この(CBS^(1))方法の際だった有用性に寄与している。この論文は、この分野の引き続く発展の幾つかを、改善された実用性及び重要な応用の観点から報告する。
空気及び湿気の両方に感受性の化合物1と対照的に、B-メチル化されたオキサザボロリジン2は、蓋のある容器中で室温で保存でき、空気中で軽量又は移動できる。触媒2は、また、化合物1よりもかなり容易に調製できる。(S)-(-)-2-(ジフェニルヒドロキシメチル)ピロリジン及びメチルボロン酸^(2) の反応[1.1当量の、トルエン中23℃で4Åの分子篩の存在下1.5時間、又は沸騰トルエン中3時間、Dean-Starkトラップを用いて水を除去しながら、反応させ、溶媒を留去し、蒸発蒸留し(0.1mm、浴温度170℃)]は、化合物2を、収率87%で融点74-87℃の無色の固体として与える^(3,4)。一般に、ケトン類の化合物2を触媒とする還元は、化合物1により触媒される対応する反応でみられるのと比べて、かなり高いか同じ程度のエナンチオ選択性で進む。化合物1の場合と同様、触媒2は、テトラヒドロフラン(THF)溶液中でボランと結合して1:1付加物3a^(5) を形成し、これが配位体3b^(1) を介して還元作用すると考えられる。表1は、広く可変の構造を持つ10個のケトン類について、0.6当量がのボランをTHF中で用いて、2分間、表に示された温度で用いて得られた、優れた結果を要約する。全ての反応は完全に進み、第二級アルコールのみが、キャピラリーガスクロマトグラフィー分析で検出し得る生成物であった。CBSメカニズムモデル(配位体3bにおけるホウ素から炭素への表面特異的な水素の移動)^(1) と合致する完全な立体化学的還元が観察された。」(7925頁左欄9行?右欄19行)
(2c)「

」(7925頁左欄)
(2d)「

」(7925頁右欄、「(S)-2により触媒されるケトン類のボラン還元」と題する表1、脚注の訳は省略)
(2e)「合成におけるCBS触媒的エナンチオ選択的還元の力は、以下の例により示される。ジアステレオ選択性と他が結合した、エナンチオ及びジアステレオ選択性の例である。キラルなエステルケトラクトン4は、プロスタグランジン合成の標準的な中間体であり^(6)、THF中の0.6当量のボランと、23℃で2分、10mol%の化合物2を触媒として存在させて処理し、そのケト基を選択的に還元して、15-Rアルコール5及び15-Sジアステレオマー6を、91:9の比で得た。同じ条件で、但し化合物2のエナンチオマーを触媒として用いると、逆の立体化学的選択性がみられ、15-Sジアステレオマー6が、15-S配置の化合物5を、90:10の比で凌駕した^(7)。我々の観測では、この触媒的還元は、プロスタグランジン合成のC-15の立体化学制御の問題のとても実際的な解決である。」(7925頁右欄20行?7926頁左欄10行)
(2f)「

」(7925頁左欄)

(3)刊行物3:日本化学会編,季刊化学総説,No.6,1989,「光学異性体の分離」,p.2,9,16,134,212-213
(3a)「対掌体の一方が有効な生物活性を示す場合,もう一方の異性体が単にまったく活性を示さないだけでなく,有効な対掌体に対して競合阻害(competitive inhibition)をもたらす結果,ラセミ体の生物活性が有効な対掌体に比べ1/2以下に激減してしまう場合があることは,医薬品の開発研究でしばしば体験するところである.
・・・・・・・・・・・・・・・
したがって,光学的に純粋な対掌体をいかにして入手(合成又は分割)するかは,医薬品のみならず生物活性物質を対象とする研究において,不斉中心をもつ化合物を扱う場合,避けて通ることのできない重要課題である.」(2頁9?15行)
(3b)「古くからセルロース,澱粉などキラルな高分子を固定相とするクロマトグラフィーによる光学分割は試みとしては知られていた.・・・
この領域での飛躍的進歩は,HPLC(高性能液体クロマトグラフィー)の進歩に伴ってもたらされた。分子の立体構造に対して大きな識別力を持つ効率のよいカラムが開発され,分割能と同時に量的処理能力が向上したからである.」(9頁2?8行)
(3c)「生理(薬理)活性をもつ物質が生体に摂取され吸収されると,その物質に特異的な親和性をもつ受容体(receptor)との結合により生理活性が発現することになるので,基質が不斉中心をもっていれば,その(S)体と(R)体とでは生理活性に相違が生ずるのはこれまた自然であろう.医薬品の多くは生体にとって異物(xenobiotics)であり,副作用が認められない場合でも,疾病という異常状態から正常状態への復帰に必要な最少限度の用量を(必要期間だけ)投与されるべきである.したがって,医薬品の構造中に不斉中心が存在している薬物は,たとえ一方の光学異性体が生体に対して何らの生理活性を示さないラセミ体であっても,光学分割して目的に適合した対掌体のみを提供すべきであると主張されるようになった.換言すれば,このようなラセミ体は「50%の不純物を含有する医薬品」とみなすべきであるとの提唱であり,これが共感を呼ぶに至ったのはごく自然のことである^(1))。このような考え方が出てきた背景には,1章のはじめに述べたサリドマイドに関する知見が大きく横たわっていたためと思われる^(2))。」(123頁第8?18行)
(3d)「液体クロマトグラフィー(LC)による光学分割,なかでもHPLCによる光学分割については,分割能の高い種々のタイプのキラル固定相の開発が進んでおり,最も広範囲の光学異性体の分離に対応できるようになっている.GCによる光学分割と比較すると,熱的に不安定な物質や高沸点の物質の分割においてとくに有利であり,分取も容易である.」(124頁11?14行)
(3e)「医薬品はヒトや動物の病気の治療に用いられる化学物質であるが,その作用は薬物が生体内の特定の受容体(レセプター)に結合して活性を発現するものと考えられている.したがって,薬理活性の発現には医薬品と受容体の双方の立体構造が重要な役割を演じ,不斉をもつ薬物ではその鏡像体によって受容体との結合のしやすさに差があり,これにより薬理活性の強さに差を生じることになる.場合によっては,まったく異なった薬理作用を示すこともある.さらに薬物が受容体に到達するまでに各種の酵素によって分解されて活性を失ったり,逆により活性の強い形に変換される場合もあり,その分解あるいは変換の速さが鏡像体によって大きく異なることがしばしば認められていて,これも薬理活性の差となって現れる.また,分解物が毒性をもつ場合には,鏡像体によって異なった副作用を示すこととなる.」(212頁12?20行)
(3f)「光学異性体間の薬効の差が小さいもの,活性体で投与しても体内でラセミ化されるもの,逆にラセミ体で投与しても体内で活性型の鏡像体に変換されるものなど,薬物代謝にはさまざまな経路があり,不斉をもつ医薬品はすべて光学活性体として使用すべきだとはいえない.現状では上述のような薬物代謝を充分に検討したうえで,ラセミ体で使用するか,光学活性体とするかが決定されている.最近では製造承認を得るために,ラセミ体の薬物については,それぞれの光学異性体の吸収,分布,代謝,排泄など薬物動態を検討した資料の提出が求められている^(2)).」(213頁5?10行)

(4)刊行物4:月刊薬事,29(10),1987,p.23-26
(4a)「生体(酵素や受容体)はこれらの光学異性体を識別する能力を持っており,異性体にはまったく生理活性を持たないもの,弱い同類の生理活性を持つもの,拮抗的な生理活性を持つもの(アンタゴニスト)や別な生理活性を持つものがある。
それゆえ,医薬品として用いるときにはラセミ体としてではなく,目的にあったエナンチオマーのみを用いることが好ましいと考えられるが,現状はほとんどがラセミ体として用いられている。たとえば,Mason(1984)によると米国では合成キラル医薬品の82%はラセミ体として投与されている。この原因として,不斉合成や光学異性体の分離は技術的にかなり難しいことがあり,特に大量生産においては分離・精製などの生産コストの問題があげられる。
しかし,最近,医薬品としてラセミ体の開発・使用に関して問題が投げかけられてきた。その背景として,最近の薬物分析技術の進歩,とくに高速液体クロマトグラフィーにおけるキラルカラムの開発などにより,光学異性体の分離・定量の技術が進歩し,その結果,合成キラル医薬品の生体内動態,特に代謝に関して異性体間に著しい差があることが明らかになったことがあげられよう^(1,2))。」(23頁左欄7行?右欄3行)
(4b)「1.光学異性体間で薬理作用を異にするもの
Thalidomideの催奇形作用で見られたような,異性体間で薬効・毒性を異にするものの代表的なものにつき述べる。たとえば,DOPAではl-体はlevodopaとして抗パ-キンソン病薬として用いられているが,d-体は薬理作用がなく,顆粒球減少作用を起こす。Barbituratesは(-)-体は鎮静作用を示すが,(+)-体はむしろ興奮作用を示す。Ketamineの(+)-体は強い麻酔作用を持つが,(-)-体は弱い麻酔作用と不安・興奮作用,心拍増加作用を持つ。Pentazocinは(-)-体はより強い鎮痛作用を持つが,(+)-体はむしろ強い不安誘起作用を持つ。Verapmilは(-)-体も(+)-体とほぼ同じ程度の冠血管拡張作用を持つが,その心筋収縮力抑制作用および心筋伝導抑制作用は(+)-体の方が少ないので,(+)-体の方が安全性の高い,より好ましい抗狭心薬と考えられている。
また,興味深い例としては,propoxypheneのd-体は強い鎮痛作用を持ち,「Darvon」という商品名で鎮痛薬として市販されているが,一方,l-体には鎮痛作用がなく,鎮咳作用のみがあり,「Darvon」の鏡像文字の「Novrad」という商品名で市販されている。
Labetalol(α,β-ブロッカー)には二つの不斉炭素があり,臨床的には四つの光学異性体のラセミ体として用いられている。そのβ-ブロッカーの作用はほとんどは(R,R)-体にあり,一方,α-ブロッカーの作用のほとんどは(S,R)-体にある。それゆえ,(R,R)-体は dilevalolとして抗高血圧薬として開発中である。また,dobutamineは,(-)-体は主としてα_(1)-アゴニスト作用を持ち,(+)-体は主としてβ_(1)-およびβ_(2)-アゴニスト作用を持っている。
Arlens(1984)はこれらラセミ体間で異なった薬理作用を持つ薬を“psendohybrid drug”と呼んで,エピネフリンのように一つの分子内にαおよびβ-作用を持っている“hybrid drug”から区別している^(3))。」(23頁右欄19行?24頁左欄27行)

(5)刊行物5:ファルマシア,25(4),1989,p.311-321
(5a)「合成医薬品開発の将来と光学活性体
・・・・・・・・・・・・・・・
人類の英知を結集した光学活性合成医薬品開発の現状,将来に視点を据え,薬学の貢献を探った座談会記録である.」(311頁、表題、要約)
(5b)「野口 本音のところはどちらかよく分かりませんけれども,HPLCなどによる分離の手段が急速に発達をして比較的容易に分離ができるようになってきたことが関心を持たれるーつの原因であると思います.新規化合物をつくる側から言うと,何とか分けようとするのですけれども,不斉合成するのは大変です.しかし,たまたまとれたラセメートを簡単にHPLCで分離できれば,そのフラクションを用いてとりあえず薬理活性を見ることができます.特に,レセプターあたりを相手にするようなスクリーニング系ですと当然どちらか片方の作用が強くなり,ラセメートよりも活性が強くなると,何かよいものを作ったような気持になります.」(311頁右欄3?14行)
(5c)「岩澤 薬効の種類によって随分違うと思うのですが,理論的にいえば,普通,活性体はラセミ体の2倍の強さです.ところがまるごとの動物を使った実験で2倍の差をクリアに出すのはかなり大変なことが多いんです.そこでどうしてもin vitoroの試験でその効力を比較することになる.」(313頁左欄17?22行)

(6)刊行物6:日本化学会誌,1992(2),p.133-139
(6a)「1.2 液体クロマトグラフィー法による光学異性体分離^(4))
液体クロマトグラフィ一法による光学異性体分離(以下,分割と省略する)は,これに答える新技術として注目されていた。本法には,光学活性添加物によって移動相に光学活性な環境を形成するキラル移動相法と,光学活性な固定相を用いるキラル固定相法とがあるが,本論文では,適用範囲が広い後者のみについて述べる。この場合,光学活性な固定相と,試料の光学異性体とのジアステレオメリックな相互作用自由エネルギーの差が,分離の要因となる。」(133頁右欄10?18行)
(6b)「たとえば,3,5-ジメチルフェニルカルバマートは,セルロース,アミロース^(20)) いずれも広い適用範囲を持つが,前者が1-アミノ-3-アリールオキシ-2-プロパノール骨格を持つβ-遮断剤をよく分割する一方,ジアリールメタン部分に不斉中心を持つ医薬(抗ヒスタミン剤など)には成功率が低いのに対し,後者は逆の特性を持つなど,相補的な面を持つ。」(137頁左欄1?6行)

(7)刊行物7:分離技術,25(5),1995,p.3-8
(7a)「これらの新規光学活性化合物の開発に欠かせない技術として,液体クロマトグラフィー(HPLC)による光学異性体の分離・分析技術が挙げられる。キラル固定相を分離剤としたキラルカラムによる分析技術は新規光学活性医薬品の開発動向と相まって,ここ10数年で急速に進歩し,各社から次々と新規のキラル固定相を用いたキラルカラムが上市されており,現在では100種類以上のカラムが販売されるに至っている.」(3頁左欄13?20行)
(7b)「光学活性化合物の開発が盛んな医薬品分野においては,取り扱う化合物が熱的に不安定な場合が多く,低温での分析が可能であること,また,機器が比較的安価で取り扱いも容易という点から,現状ではHPLC法が幅広く採用されている.HPLC法による光学異性体の分析には,大別して,○1(審決注:原文は丸文字内に1である。以下同様である。)光学異性体をジアステレオマー化した後,そのジアステレオマーをシリカゲルやODSなどの非キラル系充填剤を用いたカラムにより分析する間接法,○2光学異性体をそのまま,誘導体化することなく,直接,キラル固定相を充填剤として用いたキラルカラムにより分析する直接法に分けられる.今日では,誘導体化が不要で分析が簡便という利点をもつこと,入手可能なキラルカラムの種類が大幅に増加し,選択範囲が広がったことなどから,直接法が一般的に用いられている.また,現在市販されているキラルカラムによって,光学異性体の90%以上は分割可能といわれている.」(3頁右欄8?24行)
(7c)「光学活性体の生産手段は上述のようにいろいろとあるが,それぞれ長所,欠点を持っており,特に,新薬の開発段階において,高純度のものを迅速に供給するという観点から見ると,選択肢は極めて限定される.また,開発初期においてはいずれの活性体が有効であるかが不明なため,光学異性体間の薬理活性などの比較検討の目的から,両活性体ともに求められる.不斉合成法や酵素を用いる方法は基本プロセスの開発に時間がかかる上,基本的には片方の活栓体を得るための手段であって,この目的には不向きであり,優先晶出法やジアステレオマー法が古くからの方法として,試みられている.しかし,目標光学純度に到達するために収率を度外視して再結晶操作を何度も繰り返す場合もあり,非常に手間がかかる.
これらの方法と比較すると,HPLC法は,分析カラムで目的の光学異性体が分割されることが確認されれば,そのままカラムを大きくすることによって,必要な光学活性体を分取することが容易であろうことは誰しも想像されることである.事実,分析用キラルカラムと同じく,g単位での評価用少量サンプルを確保するための分取用キラルカラム(?5cmφ)や分取用途を目的としたキラル充填剤が多数販売されており,この目的に広く使用されている。表2^(2)) に,分取用としてよく用いられているキラル充填剤を示した。」(5頁左欄9?32行)
(7d)「

」(5頁右欄、表2)

(8)刊行物8:日本化学会編,「化学便覧 応用化学編 第5版」,丸善,平成7年3月15日,p.II-567-II-571
(8a)「一般に行われる光学分割の手法は,○1結晶化を利用する方法,○2化学反応を利用する方法,○3吸着を利用する方法に大別できる.
・・・○1,○2の欠点としては,分割できる化合物が限られるていること,時間と労力を要することなどがある.
○3は1980年代にはいり急速に発展した手法であり,主としてクロマトグラフィーによる.・・・かなり広範囲の化合物を短時間のうちに光学分割できる.なかでも高速液体クロマトグラフィー(HPLC)による光学分割は,光学純度決定と分取のための主要な手法になっており,化学,薬学などの学術研究上だけでなく,光学活性な医薬品などの開発や光学活性物質の品質管理などに欠くことのできない分析法になっている.また,キログラムスケールの分取も行うことができる.」(II-567頁右欄28?48行)
(8b)「(i)多糖誘導体 セルロースやアミロースなどの多糖はもっとも入手しやすい高分子であり,かつ光学活性である.これらの多糖自体もある程度の光学分割能を示すが,実用性の高い充填(審決注:原文は土偏に眞である。以下同じである。)剤は得られていない.しかし,多糖は反応性に富むOH基を有しており,誘導化すると優れた光学分割能を示し,シリカゲルに吸着させることにより実用性の高いキラル充填剤が調製できる.
セルロースの誘導体としては,エステル(28)?(30)とフェニルカルバメート誘導体(31)?(34)がよい.高い光学分割能の発現には,いずれも三置換体であることが必要である.

・・・なかでも3,5-ジメチルフェニル誘導体(34)は,芳香族炭化水素やハロゲン化物からアミンやカルボン酸まで,きわめて広範囲の化合物をかなりの確率(約60%)で光学分割することができる.多くのセルローストリス(カルバミン酸フェニル)誘導体はリオトロピック液晶を形成し,シリカゲルに吸着させたさいに,かなり規則的な構造をとると思われる.
1,4-α-グルカンであるアミロースのカルバミン酸フェニル誘導体も,シリカゲルに吸着させると実用性のあるキラル充填剤となる.この場合もカルバミン酸3,5-ジメチルフェニル(35)がもっとも高い光学分割能を示すことが多い.(35)の不斉識別能は(34)のそれとは異なり,両者はかなり相補的である。したがって,(34)と(35)を用いると80%前後の碓率でラセミ体を分割できる可能性がある.」(II-569頁右欄13行?II-570頁左欄25行)
(8c)「

」(II-571頁、表12.66)

(9)刊行物9:日本化学会編,「分離精製技術ハンドブック」,丸善,平成5年3月25日,p.472-484
(9a)「なかでも3,5-ジメチルフェニルカルバメートは,分割可能な化合物の種類が多い.図11.37にその例を示す.ヘキサン-2-プロパノ?ルを溶離液として,芳香族炭化水素からアミンやカルボン酸まで分割できる.水素結合,双極子-双極子相互作用以外に芳香環どうしの相互作用も不斉識別に働いていると考えられる.筆者らのところで,このカラムにより493種のラセミ体の分割を行ったが,そのうち227種が完全分割され,86種は裾が一部重なった部分分割であった.この確率(313/493=0.63)は,ほかのキラルカラムによる確率に比べてかなり高い.
アミロースのフェニルカルバメート(20,R=PhNHCO)の誘導体についても同様の検討が加えられている.ここでもトリス(3,5-ジメチルフェニルカルバメート)が高い光学分割能を示す.分割可能な化合物の例を図11.38に示す.これらの化合物については,いずれもセルロース誘導体で分割するより良好な結果が得られる.このカラムにより,372種のラセミ体の光学分割が筆者らにより試みられている,そのうち108は完全分割,98は部分分割されている。
これら2種の3,5-ジメチルフェニルカルバメートによる光学分割では,493種のラセミ体のうち,185がセルロース誘導体のみで分割され,78がアミロ?ス誘導体のみで,128は両者で分割されたことになり,合計391(79%)が少なくともどちらかの誘導体で分割できることになる.」(480頁左欄3行?右欄1行)
(9b)「

」(479頁、図11.37)
(9c)「

」(480頁、図11.38)

3 刊行物1に記載された発明
刊行物1は、非定型抗精神病活性を有する有効なD_(2)/5-HT_(2) アンタゴニストとしての、3-[[(アリールオキシ)アルキル]ピペリジニル]-1,2-ベンズイソオキサゾール類について記載した文献であり、一連の化合物を合成して、それらの非定型抗精神病活性をインビボ及びインビトロで試験したことが記載されている(摘示(1a)?(ik))。
そして、化合物56は、その表2の化学式

において、R_(1) が6位のF、nが3、XがO、Arが2-(OCH_(3))-4-(CH(OH)CH_(3))C_(6)H_(3) である化合物であるところ(摘示(1e))、刊行物1には、この化合物である4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]-プロポキシ]-3-メトキシ-α-メチルベンゼンメタノールを、実際に合成し、融点、NMR、質量スペクトル、元素分析で同定したことが記載されている(摘示(1i))。また、この化合物について、マウスにおけるアポモルフィン誘導クライミングの抑制及びラットにおけるアポモルフィン誘導常同性の抑制についてのインビボ試験を行った結果と、D_(2) 受容体及び5-HT_(2) 受容体への親和性についてのインビトロ試験の結果が、記載されている(摘示(1f)(1j)(1k))。
以上によれば、刊行物1には、その化合物56についての、
「4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]-プロポキシ]-3-メトキシ-α-メチルベンゼンメタノール」
の発明(以下「引用発明」といい、その化合物を「引用化合物」という。)が記載されているということができる。

4 本願発明と引用発明との対比
本願発明と引用発明とを対比する。
1-(4-{3-[4-(6-フルオロ-ベンゾ[d]イソキサゾール-3-イル)-ピペリジン-1-イル]-プロポキシ}-3-メトキシ-フェニル)-エタノール(以下「化合物A」という。)は、キラル中心を1個有し、1対の鏡像異性体を有する化合物であるところ、本願発明の「式II

で示される、(S)-1-(4-{3-[4-(6-フルオロ-ベンゾ[d]イソキサゾール-3-イル)-ピペリジン-1-イル]-プロポキシ}-3-メトキシ-フェニル)-エタノール」は、このうちの、キラル中心の周りの配置がS配置である鏡像異性体である(以下、キラル中心の周りの配置がR配置である鏡像異性体を「R体」という。同様に、S配置の鏡像異性体を「S体」という。)。したがって、本願発明は、
「遊離塩基または酸付加塩の形態の、化合物AのS体。」
の発明である。
一方、引用発明の「4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]-プロポキシ]-3-メトキシ-α-メチルベンゼンメタノール」と、化合物Aの「1-(4-{3-[4-(6-フルオロ-ベンゾ[d]イソキサゾール-3-イル)-ピペリジン-1-イル]-プロポキシ}-3-メトキシ-フェニル)-エタノール」は、同じ化学構造式で表されるから、引用発明は、
「遊離塩基の形態の化合物A」
の発明である。
したがって、本願発明と引用発明とは、
「遊離塩基の形態の化合物A」
に関するものである点で一致し、以下の点で相違する。
(相違点)
本願発明においては、化合物Aが、S体に特定されているのに対し、引用発明においては、化合物Aの立体配置が特定されていない点

5 検討

(1)相違点について

ア 引用化合物の立体配置について
刊行物1の摘示(1i)によれば、引用化合物の製造は、1-[4-[3-[4-(6-フルオロ-1,2-ベンズイソオキサゾール-3-イル)-1-ピペリジニル]プロポキシ]-3-メトキシフェニル]エタノン(審決注:刊行物1における化合物45であり、化合物56におけるベンゼン環4位の-CH(OH)CH_(3) の代わりに-COCH_(3) をもつ化合物であって、別名イロペリドン。以下「イロペリドン」という。)を、MeOH/THF中で、NaBH_(4) により還元することにより行っている。化合物Aはキラル中心を1個有するので1対の鏡像異性体を有するが、NaBH_(4) は立体選択的な還元剤ではないから、引用化合物は、R体とS体を等しい量含むラセミ体であるか、少なくともR体とS体の混合物であると解される。

イ 化合物AのR体又はS体を得ることの動機付けについて
刊行物3には、鏡像異性体(審決注:「対掌体」、「光学異性体」、「光学活性体」と呼ばれることがあるが、以下、原文をそのまま摘記する場合を除き、「鏡像異性体」と言い換える。)には、その一方のみに生物活性があり、他方には全くない場合や活性に差がある場合があること(摘示(3a)(3e))、たとえ一方の鏡像異性体が何ら生理活性を示さないラセミ体でも光学分割して目的の鏡像異性体のみを提供すべきとなってきたこと(摘示(3c))、医薬品の製造承認にあたっては、ラセミ体の薬物については、それぞれの鏡像異性体の薬物動態を検討した資料の提出が求められていること(摘示(3f))が記載され、刊行物4にも、鏡像異性体には全く生理活性を持たない場合や弱い生理活性を有する場合、アンタゴニストや別な生理活性を持つ場合があること、及び、最近の薬物分析技術の進歩、特に高速液体クロマトグラフィーにおけるキラルカラムの開発などにより、鏡像異性体の分離・定量の技術が進歩し、その結果、合成キラル医薬品の生体内動態、特に代謝に関して異性体間に著しい差があることが明らかになったこと(摘示(4a))も記載されていることから、鏡像異性体がある医薬化合物では、ラセミ体だけではなくそれぞれの鏡像異性体を分割して取得し、その薬理作用を確認して薬理作用及び代謝作用のよい鏡像異性体を使用することが本件優先日時点での当業者の技術常識となっていたものと認められる。
刊行物1には、化合物Aの鏡像異性体については、特段の記載はない。しかし、引用発明の化合物Aは、非定型抗精神病薬に用いることを想定した医薬化合物であって(摘示(1a)(1b)等)、明らかに鏡像異性体が存在しR体とS体を含む混合物であるから、上記の技術常識に照らして、引用発明においても、当業者には、一方の鏡像異性体であるR体又はS体を得ようとする動機付けがあるということができる。

ウ 化合物AのS体を得る手段の容易想到性について

(ア)光学分割について
刊行物3には、高性能液体クロマトグラフィー(HPLC)において、分子の立体構造に対して大きな識別力をもつ効率のよいカラムが開発され、分離能とともに量的処理能力が向上し、広範囲の鏡像異性体の分離に対応できるようになったこと(摘示(3b)(3d))が記載され、刊行物4にも、高速液体クロマトグラフィーにおけるキラルカラムの開発により鏡像異性体の分離・定量の技術が進歩したこと(摘示(4a))が記載されている。
刊行物5は、「合成医薬品開発の将来と光学活性体」を表題とする座談会記録(摘示(5a))であるが、その有識者の発言として、「HPLCなどによる分離の手段が急速に発達をして比較的容易に分離ができるようになってきたこと」、「不斉合成するのは大変」だが、「ラセメートを簡単にHPLCで分離できれば,そのフラクションを用いてとりあえず薬理活性を見ることができ」ることが記載されている(摘示(5b))。
さらに、刊行物6には、液体クロマトグラフィー法による鏡像異性体分離が注目され、その中でも光学活性な固定相を用いるキラル固定相法の適用範囲が広いことが記載されている(摘示(6a))。
刊行物7には、光学活性化合物の開発が盛んな医薬品分野においては、取り扱う化合物が熱的に不安定な場合が多く、低温での分析が可能であること、また、機器が比較的安価で取り扱いも容易という点から、現状ではHPLC法が幅広く採用され、現在市販されているキラルカラムによって、鏡像異性体の90%以上は分割可能といわれていていることが記載され(摘示(7b))、HPLC法は、ジアステレオマー法に比較して、分析カラムで目的の鏡像異性体が分割されることが確認されれば、そのままカラムを大きくすることによって、必要な鏡像異性体を分取することが容易であること(摘示(7c))が記載され、分取用としてよく用いられるキラル充填剤として、「CHIRALPAK AD」、「CHIRALPAK OD」等が挙げられている(摘示(7c)(7d))。
刊行物8には、光学分割の方法で、結晶化を利用する方法、化学反応を利用する方法は、分割できる化合物が限られ、時間と労力を要するのに対して、液体クロマトグラフィーによる分離はかなり広範囲の化合物を短時間のうちに光学分割でき、光学活性な医薬品などの開発に欠くことのできない分析法であって、キログラムスケールの分取も行うことができることが記載されている(摘示(8a))。
これらの記載からすれば、本願優先日時点において、医薬化合物の開発の際の鏡像異性体の分離方法として、液体クロマトグラフィー法は低温での分析が可能で、広範囲の化合物を光学分割できるので幅広く用いられるようになってきたこと、医薬品の光学分割法としてはジアステレオマー法などの結晶化を利用する方法よりも液体クロマトグラフィー法は短時間かつ広範囲な化合物を分割できる簡便な光学分割手段として当業者に認識されていたということができる。さらにいえば、分析用光学分割カラムでも、医薬品の薬理活性をみるには十分な分離ができ、キログラム単位の分取も可能であり、そのままスケールアップなど設計上の変更をすることで分取にも使用できることも当業者の技術常識として認識されていたということができる。
そうすると、本願優先日時点において、当業者であれば、広範囲な化合物を分離可能であって、医薬品の薬理作用をみるには十分な分離ができ、比較的容易な分離手段と認識されていた液体クロマトグラフィー法によって引用発明の光学分割をまず試みることが自然であったということができる。
次に、引用発明の光学分割に、キラル固定相法を適用するに際しては、それに適する光学分割カラムとその操作条件の選択する必要があることは自明のことといえる。
刊行物8及び9には、光学分割用のキラル固定相として、セルロースやアミロースの3,5-ジメチルフェニル誘導体がは分割可能な化合物の種類が多く、アミロースのカルバミン酸3,5-ジメチルフェニル誘導体(商品名「CHIRALPAK AD」)、セルロースのカルバミン酸3,5-ジメチルフェニル誘導体(商品名「CHIRALPAK OD」)のいずれかを使用することで80%前後の確率でラセミ体を分割できる可能性があることが記載されている(摘示(8b)(8c)(9a)?(9c))。
そうすると、本願優先日時点において、多くの化合物を高い確率で分離可能なことが知られている光学分割カラムである商品名「CHIRALPAK AD」又は「CHIRALPAK OD」」から始めて、適宜の光学分割カラムを選択し、引用発明の化合物Aを光学分割することを試みて、そのR体又はS体を得ることは、その何れについても、当業者が容易に想到し得ることである。

(イ)イロペリドンの立体選択的な還元について
また、上記(ア)の光学分割とは別に、イロペリドンの立体選択的な還元により化合物AのR体及びS体を得ることも、当業者が容易に想到し得ることである。
刊行物1においては、イロペリドンの還元をNaBH_(4) を用いて行っている。しかし、刊行物2には、ケトン類を、ボランとキラルなオキサザボロリジンを用いて、エナンチオ選択的に還元して、第二級アルコールを製造することが記載され(摘示(2a)?(2f))、摘示(2d)の表1によれば、還元されるケトン類として、カルボニル基にフェニル基とメチル基が結合したケトン(表1の1番目)や、カルボニル基に6-メトキシ-2-ナフチル基とメチル基が結合したケトン(表1の9番目)を含む、様々な化学構造のケトン類を、高い収率でエナンチオ選択的に還元できることが理解できる。これらの化合物では、R体が得られているが、オキサザボロリジンのキラリティーが逆のものを用いればS体が得られることも、当業者には明らかである(摘示(2c))。
そうすると、カルボニル基に置換フェニル基とメチル基が結合したケトンであるイロペリドンについても、エナンチオ選択的に還元できるであろうことは、当業者が直ちに理解し得ることであるから、化合物AのR体又はS体を得ようとして、刊行物2の記載に従い、イロペリドンのエナンチオ選択的な還元を試みて、還元されたR体又はS体の生成物を得ることは、その何れについても、当業者が容易に想到し得ることである。

エ 以上によれば、引用発明において、相違点に係る本願発明の構成を備えたものとすることは、当業者が容易に想到し得ることである。

(2)発明の効果について
本願明細書の段落【0007】において化合物AのR体を式Iで表し、S体を式IIで表しているところ、本願明細書の、本願発明の効果に関する記載は、以下のとおりである。
段落【0016】には、式Iの化合物及び式IIそれぞれの、アドレナリン作動性α_(1) 及びα_(2c) レセプター、5HT_(2A) 及び5HT_(6) レセプター並びにD_(2) ファミリーに対する親和性がpK_(i) の数値により記載され、段落【0018】には、「インビボで、本発明の剤はアンフェタミン誘導運動過剰およびフェンシクリジン誘導移動過剰試験のような標準的試験において評価されるように、抗精神病活性を示す」と記載され、段落【0021】には、「したがって、本発明の剤は、統合失調症および双極性障害のような精神病性障害の処置に有用である」と記載されている。なお、実施例1にはS体の合成が、実施例2にはR体の合成が、それぞれ記載されている。
上記の、受容体親和性のpK_(i) 値は、まとめると以下のとおりである。

式I(R体) 式II(S体)
アドレナリン作動性α_(1 ) レセプター 8.9 9.2
アドレナリン作動性α_(2c) レセプター 7.8 7.7
5HT_(2A) レセプター 8.9 8.9
5HT_(6 ) レセプター 8.1 7.8
D_(2) ファミリー 7.4?7.6 7.4?7.8

これらの記載によれば、化合物AのS体に関するものである本願発明の効果は、これをヒトにおける精神病性障害の処置のための医薬組成物の有効成分として使用できる、ということであると認められる。S体がR体とは受容体親和性が大きく異なるとはいえず、S体がR体とは異なる望ましい予想外の生理活性を有するものであるともいえない。
したがって、本願発明の効果が、当業者の予測を超える格別顕著な効果であるとすることはできない。
なお、請求人は、意見書において参考資料1及び2に基づいて本願発明の効果を主張するが、本願明細書に記載されていない効果に関するものであり、参酌できない。

6 まとめ
以上のとおり、本願発明は、刊行物1?2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。

第5 むすび
以上のとおり、本願発明は、特許を受けることができないものであるから、この出願は、拒絶をすべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2016-09-21 
結審通知日 2016-09-27 
審決日 2016-10-11 
出願番号 特願2013-142873(P2013-142873)
審決分類 P 1 8・ 121- Z (C07D)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 清水 紀子  
特許庁審判長 井上 雅博
特許庁審判官 瀬良 聡機
中田 とし子
発明の名称 イロペリドン代謝産物の光学異性体  
代理人 青山 葆  
代理人 山田 卓二  
代理人 落合 康  
代理人 松谷 道子  

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