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審決分類 審判 全部無効 2項進歩性  G01S
審判 全部無効 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  G01S
審判 全部無効 3項(134条5項)特許請求の範囲の実質的拡張  G01S
審判 全部無効 特174条1項  G01S
管理番号 1362187
審判番号 無効2017-800130  
総通号数 246 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2020-06-26 
種別 無効の審決 
審判請求日 2017-09-29 
確定日 2020-05-07 
事件の表示 上記当事者間の特許第5769119号「水中音響測位システム」の特許無効審判事件についてされた平成30年7月17日付け審決に対し、知的財産高等裁判所において審決取消しの判決(平成30年(行ケ)第10122号、平成31年4月22日判決言渡)があったので、さらに審理のうえ、次のとおり審決する。 
結論 特許第5769119号の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とする。 審判費用は、被請求人の負担とする。 
理由 第1 事案の概要
本件は、請求人が、被請求人が特許権者である特許第5769119号(以下、「本件特許」という。)の特許請求の範囲の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とすることを求める事案である。


第2 手続の経緯
本件特許に係る特許出願(特願2013-196594号)は、平成25年9月24日にされたものであり、平成27年1月19日に明細書及び特許請求の範囲についての補正がされ、さらに、同年4月6日に明細書及び特許請求の範囲についての補正(以下、「本件補正」という。)がされた後、同年5月11日付けで特許査定がされた。そして、同年7月3日に本件特許の特許権の設定の登録がされた。
これに対して、請求人は、平成29年9月29日に、本件特許の請求項1及び請求項2に係る発明についての特許を無効にすることについて特許無効審判(以下、「本件特許無効審判」という。)を請求した。
その後の経緯は、以下のとおりである。
平成29年12月22日 答弁書提出(被請求人)
平成30年1月12日 答弁書(第2回)提出(被請求人)
平成30年2月15日 弁駁書提出(請求人)
平成30年3月20日付け審理事項通知書
平成30年5月11日 口頭審理陳述要領書提出(請求人)
口頭審理陳述要領書提出(被請求人)
平成30年5月25日 第1回口頭審理
平成30年6月28日付け審理終結通知書
平成30年7月17日付け審決(以下、「先の審決」という。)
平成30年8月27日 審決取消訴訟提起(請求人)
平成31年4月22日 先の審決を取り消す判決の言渡し
(令和1年5月8日判決確定、以下、この判決を「本件確定判決」という。)
令和1年5月14日 訂正請求申立書提出(被請求人)
令和1年6月7日付け審理再開通知書
同日付け通知書(訂正請求のための期間指定通知)
令和1年6月19日 訂正請求書提出(被請求人)
(以下、「本件訂正請求書」という。また、本件訂正請求書に係る訂正の請求を、以下、「本件訂正請求」といい、本件訂正請求書による訂正を、以下、「本件訂正」という。)
令和1年8月5日付け訂正拒絶理由通知書(被請求人宛て)
同日付け職権審理結果通知書(請求人宛て)
令和1年9月2日 意見書提出(請求人)
令和1年9月6日 意見書及び手続補正書提出(被請求人)
令和1年11月27日付け審決の予告


第3 本件訂正請求について
1 本件訂正請求の趣旨及び訂正の内容
本件訂正請求の趣旨は、本件特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲を、それぞれ、本件訂正請求書に添付した訂正した明細書、特許請求の範囲のとおり、訂正後の請求項1、2について訂正することを求めるものであって、その内容は本件訂正請求書によれば次のとおりである。
(当合議体が訂正箇所に下線を付した。)

(1)請求項1に係る訂正の内容(訂正事項1)
願書に添付した特許請求の範囲の請求項1に、

「陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、
前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、
前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、
前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、
前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置と、
から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。」

と記載されているのを、

「陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、
前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、
前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、
前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、
前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第行うことができるデータ処理装置と、
から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。」

に訂正する。

(2)請求項2に係る訂正の内容(訂正事項2)
願書に添付した特許請求の範囲の請求項1を引用する請求項2を、独立形式に改め、この請求項2を、

「陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、
前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号を、それぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、
前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、
前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、
前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理を、受信次第行うことができるデータ処理装置と、
から少なくとも構成され、
前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下であることを特徴とする水中音響測位システム。」

に訂正する。

(3)明細書に係る訂正の内容(訂正事項3)
願書に添付した明細書の段落【0013】に記載された、

「(第1発明)
第1発明の水中音響測位システムは、陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができるものであり、前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置と、から少なくとも構成されている。」

を、

「(第1発明)
第1発明の水中音響測位システムは、陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができるものであり、前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第行
うことができるデータ処理装置と、から少なくとも構成されている。」

に訂正する。

(4)明細書に係る訂正の内容(訂正事項4)
願書に添付した明細書の段落【0014】に記載された、

「(第2発明)
第2発明の水中音響測位システムは、前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下であることを特徴とする。」

を、

「(第2発明)
第2発明の水中音響測位システムは、陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができるものであり、前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号を、それぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理を、受信次第行うことができるデータ処理装置と、から少なくとも構成され、前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下であることを特徴とする。」

に訂正する。


2 訂正の適否についての判断
(1)訂正拒絶理由通知書
本件訂正請求について、当合議体は、被請求人に令和1年8月5日付けで訂正拒絶理由を通知した。また、当合議体は、請求人に、上記訂正拒絶理由を内容として含む職権審理結果通知書を同日付けで送付した。訂正拒絶理由の概略は次のとおりである。

「1 手続の経緯
(省略)

2 本件訂正の内容
(省略)

3 訂正事項
(1)訂正事項1
上記訂正事項1は、その訂正の内容を踏まえると、次の訂正事項1-1及び1-2に分けられる。

ア 訂正事項1-1
請求項1に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定する。

イ 訂正事項1-2
請求項1に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除する。

(2)訂正事項2
上記訂正事項2は、その訂正の内容を踏まえると、次の訂正事項2-1乃至2-5に分けられる。

ア 訂正事項2-1
請求項1の記載を引用する形式で記載された請求項2を、その内容を変更することなく独立形式の記載に改め、引用関係を解消する。

イ 訂正事項2-2
独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号」という構成の中の「IDコードおよび測距信号」について、「疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成された」との構成を付加して、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号」であると限定する。

ウ 訂正事項2-3
独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定する。

エ 訂正事項2-4
独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「データ処理装置」が「行うことができる」「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」について、「M系列信号送信処理および受信信号記録処理」との構成を付加して、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理」であると限定する。

オ 訂正事項2-5
独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除する。

(3)訂正事項3
上記訂正事項3は、上記訂正事項1-1及び1-2に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものである。

(4)訂正事項4
上記訂正事項4は、上記訂正事項2-1乃至2-5に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものである。


4 訂正の目的
(1)訂正事項1-1に係る訂正の目的
上記訂正事項1-1は、請求項1に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるから、上記訂正事項1-1に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当する。

(2)訂正事項1-2に係る訂正の目的
ア 上記訂正事項1-2は、請求項1に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものであるから、上記訂正事項1-2に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当するとはいえない。

イ この点に関し、被請求人は、本件訂正請求書において、「訂正後の請求項1に係る特許発明(以下、「訂正発明1」という。)は、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第行うことができるデータ処理装置」との記載により、「直ちに」という文言を削除する一方で、船上局受信部が船上局送信部と一体であることを、具体的に特定することで、全体として限定している。すなわち、訂正事項1は、特許法134条の2第1項ただし書第1号に規定する特許請求の範囲の減縮を目的とするものである。」と主張している。

ウ しかしながら、「前記一つの船上局受信部」が「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」ことは、「船上局送信部」と「船上局受信部」が「一体の送受信装置」を「成す」ということを意味するに留まり、このことと、「データ処理装置」が「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」をどのような時期に「行うことができる」のかということとは、直接関連するとはいえないから、上記訂正事項1-1と上記訂正事項1-2とを合わせて訂正の目的を検討しなければならない合理的理由はなく、両者は別の訂正内容であるとして分けて検討するのが適当であるから、「全体として限定している」との主張を採用することはできない。

エ もっとも、本件確定判決によれば、「本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから,構成Eに位置決め演算を「受信次第直ちに」行うとの限定を追加する本件補正は,本件当初明細書に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものというべきである。」とされ(本件確定判決第42頁第13?17行)、「直ちに」との文言を追加する補正は、新規事項を追加するものであると判示されているから、「直ちに」という記載をそのまま残しておくと、本件特許明細書の他の記載との関係において不合理を生じることになるところ、「直ちに」なる文言を削除する訂正は、かかる不合理を正すものであるといえるから、上記訂正事項1-2に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。

(3)訂正事項2-1に係る訂正の目的
上記訂正事項2-1は、請求項1の記載を引用する形式で記載された請求項2を、その内容を変更することなく独立形式の記載に改め、引用関係を解消するものであるから、上記訂正事項2-1に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第4号に掲げる「他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること。」を目的とするものに該当する。

(4)訂正事項2-2に係る訂正の目的
上記訂正事項2-2は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号」という構成の中の「IDコードおよび測距信号」について、「疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成された」との構成を付加して、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号」であると限定するものであるから、上記訂正事項2-2に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当する。

(5)訂正事項2-3に係る訂正の目的
上記訂正事項2-3は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるから、上記訂正事項2-3に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当する。

(6)訂正事項2-4に係る訂正の目的
上記訂正事項2-4は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「データ処理装置」が「行うことができる」「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」について、「M系列信号送信処理および受信信号記録処理」との構成を付加して、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理」であると限定するものであるから、上記訂正事項2-4に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当する。

(7)訂正事項2-5に係る訂正の目的
ア 上記訂正事項2-5は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものであるから、上記訂正事項2-5に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当するとはいえない。

イ この点に関し、被請求人は、本件訂正請求書において、「訂正後の請求項2に係る特許発明(以下、「訂正発明2」という。)は、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号を、それぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部」「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理を、受信次第行うことができるデータ処理装置」との記載により、各構成要件を具体的に特定することで、全体として限定している。すなわち、訂正事項2は、前記目的に加え、特許法134条の2第1項ただし書第1号に規定する特許請求の範囲の減縮を目的とするものである。」と主張している。

ウ しかしながら、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号」という構成の中の「IDコードおよび測距信号」が、「疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成された」ものであることは、「IDコードおよび測距信号」の信号自体の特徴を意味するに留まり、このことと、「データ処理装置」が「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」をどのような時期に「行うことができる」のかということとは、直接関連するとはいえない。

また、「前記一つの船上局受信部」が「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」ことは、「船上局送信部」と「船上局受信部」が「一体の送受信装置」を「成す」ということを意味するに留まり、このことと、「データ処理装置」が「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」をどのような時期に「行うことができる」のかということとは、直接関連するとはいえない。

エ したがって、上記訂正事項2-2乃至2-5を合わせて訂正の目的を検討しなければならない合理的理由はなく、上記訂正事項2-5は、他の訂正事項とは別の訂正内容であるとして分けて検討するのが適当であるから、「全体として限定している」との主張を採用することはできない。

オ もっとも、上記「(2)訂正事項1-2に係る訂正の目的」の「エ」において検討したことが、上記訂正事項2-5に係る訂正についても同様にあてはまるから、上記訂正事項2-5に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。

(8)訂正事項3に係る訂正の目的
上記訂正事項3は、上記訂正事項1-1及び1-2に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるから、上記訂正事項3に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。

(9)訂正事項4に係る訂正の目的
上記訂正事項4は、上記訂正事項2-1乃至2-5に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるから、上記訂正事項4に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。

(小括)
上記(1)?(9)における検討内容をまとめると、各訂正事項に係る訂正の目的について、
上記訂正事項1-1、2-2乃至2-4に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第1号に掲げる「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当する。
上記訂正事項2-1に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第4号に掲げる「他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること。」を目的とするものに該当する。
上記訂正事項1-2、2-5、3及び4に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。


5 新規事項の追加
上記訂正事項1-1、1-2、2-1乃至2-5、3及び4に係る訂正の目的は、特許法134条の2第1項ただし書き第2号に掲げる「誤記又は誤訳の訂正」を目的とするものに該当しないから、本件訂正における新規事項の追加の有無を判断する際の基準となる明細書等は、本件特許が設定登録がされた時点での願書に添付した明細書、特許請求の範囲及び図面である。
(以下では、単に「本件特許明細書」というときには、本件特許が設定登録された時点での明細書、特許請求の範囲、及び図面を指す。)

(1)訂正事項1-1について
上記訂正事項1-1は、請求項1に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるところ、本件特許明細書の段落【0025】には、「前記船上局において、受信したデータは、船上または地上に持ち帰り、データ処理装置によって、前記海底局の位置を決める演算を行う。本発明の水中音響測位システムは、一定の時間差で、かつ、最小の時間差をもって、それぞれの音響信号を送り、前記データの届いた順に直ちに送り返すことにより、音響信号の送信から受信するまでのトータル時間を短くすることができるため、海水温度および塩分濃度の変化等の影響が少ない短時間に効率的にデータを多く収集することができる。なお、一般的に、船上局送信部と船上局受信部とは、船上局に設けられた一体の送受信装置であり、説明の都合上別々にして記載している。」との記載があり(下線は当審で付した。)、上記限定はこの記載に基づくものであると認められる。
したがって、上記訂正事項1-1に係る訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(2)訂正事項1-2について
上記訂正事項1-2は、請求項1に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものであるところ、本件確定判決によれば、「直ちに」との文言を追加する補正は、新規事項を追加するものであると判示されているから、「直ちに」なる文言を削除する訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、上記訂正事項1-2に係る訂正は、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(3)訂正事項2-1について
上記訂正事項2-1は、請求項1の記載を引用する形式で記載された請求項2を、その内容を変更することなく独立形式の記載に改め、引用関係を解消するものであるから、上記訂正事項2-1に係る訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(4)訂正事項2-2について
上記訂正事項2-2は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号」という構成の中の「IDコードおよび測距信号」について、「疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成された」との構成を付加して、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号」であると限定するものであるところ、本件特許明細書の段落【0026】には、「本発明の前記IDコード(M系列コード-256bit )および測距信号(M系列コード-512bit )は、予め決められた異なるビット数から構成されているため、船上局で受信したIDコードおよび測距信号が混信することなく、正確なデータを数多く得ることができる。また、本発明の水中音響測位システムは、音響信号の伝播速度が遅い(海中で、1500m/sec )にもかかわらず、信号の送信から受信までに入る雑音を少なくすることができる。」との記載があり、段落【0034】には、「前記M系列コードは、人工的な規則に基づいて生成された疑似ランダム信号である。これらの信号は、自己相関値が鋭いピークを示すと同時に自分以外との相関値が極めて低いという性質を持っている。そのため、前記信号は、周辺雑音等により受信信号が不明瞭な場合であっても、相関処理により伝搬時間を正しく判別することができるという利点を有している。」との記載があり(下線は当審で付した。)、上記限定はこの記載に基づくものであると認められる。
したがって、上記訂正事項2-2に係る訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(5)訂正事項2-3について
上記訂正事項2-3は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるところ、本件特許明細書の段落【0025】には、「前記船上局において、受信したデータは、船上または地上に持ち帰り、データ処理装置によって、前記海底局の位置を決める演算を行う。本発明の水中音響測位システムは、一定の時間差で、かつ、最小の時間差をもって、それぞれの音響信号を送り、前記データの届いた順に直ちに送り返すことにより、音響信号の送信から受信するまでのトータル時間を短くすることができるため、海水温度および塩分濃度の変化等の影響が少ない短時間に効率的にデータを多く収集することができる。なお、一般的に、船上局送信部と船上局受信部とは、船上局に設けられた一体の送受信装置であり、説明の都合上別々にして記載している。」との記載があり(下線は当審で付した。)、上記限定はこの記載に基づくものであると認められる。
したがって、上記訂正事項2-3に係る訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(6)訂正事項2-4について
上記訂正事項2-4は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「データ処理装置」が「行うことができる」「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」について、「M系列信号送信処理および受信信号記録処理」との構成を付加して、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理」であると限定するものであるところ、本件特許明細書の段落【0043】には、「前記送信用ハイドロホン411、412は、送信装置43の送信チャンネル1および送信チャンネル2がそれぞれ接続されている。前記受信用ハイドロホン413は、受信装置42が接続されている。前記受信装置42および送信装置43は、A/D変換ボードおよびD/A変換ボードにより、必要な信号を試験水槽41のハイドロホンにそれぞれ送るとともに、必要なデータを得ることができる。前記受信装置42および送信装置43は、データ処理装置44に接続されている。前記送信装置43および受信装置42は、200k・/chとした。前記データ処理装置44は、M系列信号送信処理、受信信号記録処理、および相関処理を行うものである。データ記憶装置45は、データ処理装置44によって得られた受信波形データを記憶保存するとともに、音響コードのデータベースを備えている。」との記載があり(下線は当審で付した。)、上記限定はこの記載に基づくものであると認められる。
したがって、上記訂正事項2-4に係る訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(7)訂正事項2-5について
上記訂正事項2-5は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものものであるところ、本件確定判決によれば、「直ちに」との文言を追加する補正は、新規事項を追加するものであると判示されているから、「直ちに」なる文言を削除する訂正は、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、上記訂正事項2-5に係る訂正は、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(8)訂正事項3について
上記訂正事項3は、上記訂正事項1-1及び1-2に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるところ、上記訂正事項1-1及び1-2に係る訂正が、いずれも本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであるから、上記訂正事項3に係る訂正も、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(9)訂正事項4について
上記訂正事項4は、上記訂正事項2-1乃至2-5に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるところ、上記訂正事項2-1乃至2-5に係る訂正が、いずれも本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであるから、上記訂正事項4に係る訂正も、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。

(小括)
上記(1)?(9)における検討内容をまとめると、各訂正事項に係る訂正が新規事項を追加するものであるか否かについては、いずれの訂正事項に係る訂正も、本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであり、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条5項に規定する要件を満たす。


6 特許請求の範囲の実質的拡張・変更
特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項の立法趣旨は、訂正前の特許請求の範囲には含まれないこととされた発明が訂正後の特許請求の範囲に含まれることとなると、第三者にとって不測の不利益が生じるおそれがあるところ、そうした事態が生じないことを担保することにあると解される(特許庁編 工業所有権法逐条解説〔第20版〕を参照。)。
したがって、当業者が、訂正後の特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むと認識するのであれば、そのような認識をした当業者が不測の不利益を被るおそれがあることになるから、そのような訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであるというべきである。

(1)訂正事項1-1について
上記訂正事項1-1は、請求項1に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるところ、かかる限定により、訂正後の請求項1に係る特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むとはいえないから、上記訂正事項1-1に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たす。

(2)訂正事項1-2について
ア 上記訂正事項1-2は、請求項1に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものであるところ、「直ちに」は、「受信次第」との文言と併せて、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」を行う時期を限定するものであるから(本件確定判決第40頁第18?19行参照)、当該文言を削除する訂正を認めると、本件訂正前よりも位置決め演算時期を規定する範囲が広がり、「受信次第」行われるものではあるが「受信次第直ちに」行われるとはいえない時期的態様で位置決め演算を行うような場合も、請求項1に係る特許発明の技術的範囲に含まれることになるから、上記訂正事項1-2に係る訂正については、訂正後の特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むものであるといえる。

イ したがって、上記訂正事項1-2に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていない。

ウ この点に関し、被請求人は、本件訂正請求書において、「訂正事項1は、全体として発明特定事項を概念的に下位に特定するものであり、カテゴリーや対象、目的を変更するものではないから、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものには該当せず、特許法第134条の2第9項で準用する特許法第126条6項に適合するものである。」と主張している。

エ しかしながら、「前記一つの船上局受信部」が「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」ことは、「船上局送信部」と「船上局受信部」が「一体の送受信装置」を「成す」ということを意味するに留まり、このことと、「データ処理装置」が「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」をどのような時期に「行うことができる」のかということとは、直接関連するとはいえないから、上記訂正事項1-1と上記訂正事項1-2とを合わせて特許請求の範囲の実質的拡張・変更にあたるかどうかを検討しなければならない合理的理由はなく、「全体として発明特定事項を概念的に下位に特定するもの」であるから「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものには該当せず」との主張を採用することはできない。

オ 仮に、被請求人の上記主張に沿って、上記訂正事項1-1と1-2を合わせた訂正事項1に係る訂正が特許請求の範囲の実質的拡張・変更にあたるかどうかを検討したとしても、「前記一つの船上局受信部」が「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」という限定により、「受信次第」行われるものではあるが「受信次第直ちに」行われるとはいえない時期的態様で行われる位置決め演算が、請求項1に係る特許発明の技術的範囲から除外されるとはいえないから、上記訂正事項1に係る訂正の全体についてみても、訂正後の特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むといえる。
そうすると、上記訂正事項1に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、いずれにしても、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていないことに変わりはない。

(3)訂正事項2-1について
上記訂正事項2-1は、請求項1の記載を引用する形式で記載された請求項2を、その内容を変更することなく独立形式の記載に改め、引用関係を解消するものであるところ、その内容は変更されておらず、訂正後の請求項2に係る特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むとはいえないから、上記訂正事項2-1に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たす。

(4)訂正事項2-2について
上記訂正事項2-2は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号」という構成の中の「IDコードおよび測距信号」について、「疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成された」との構成を付加して、「前記船上局から各海底局に個別に割り当てられ、疑似ランダム信号であって、同じM系列コードで異なるビット数から構成されたIDコードおよび測距信号からなる音響信号」であると限定するものであるところ、かかる限定により、訂正後の請求項2に係る特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むとはいえないから、上記訂正事項2-2に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たす。

(5)訂正事項2-3について
上記訂正事項2-3は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記一つの船上局受信部」について、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す」との構成を付加して、「前記船上局送信部と一体の送受信装置を成す前記一つの船上局受信部」であると限定するものであるところ、かかる限定により、訂正後の請求項2に係る特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むとはいえないから、上記訂正事項2-3に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たす。

(6)訂正事項2-4について
上記訂正事項2-4は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「データ処理装置」が「行うことができる」「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」について、「M系列信号送信処理および受信信号記録処理」との構成を付加して、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算として、M系列信号送信処理および受信信号記録処理」であると限定するものであるところ、かかる限定により、訂正後の請求項2に係る特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むとはいえないから、上記訂正事項2-4に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たす。

(7)訂正事項2-5について
上記訂正事項2-5は、独立形式の記載に改めた後の請求項2に係る発明の「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を」「行うことができるデータ処理装置」について、「受信次第直ちに行うことができる」との構成の中の「直ちに」なる文言を削除するものものであるところ、上記「(2)訂正事項1-2」において検討したことが同様に当てはまるから、上記訂正事項2-5に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていない。

(小括)
上記(1)?(7)における検討内容をまとめると、各訂正事項に係る訂正が実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであるか否かについては、上記訂正事項1-2及び2-5に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていない。


7 独立特許要件
本件特許無効審判においては、本件訂正前の請求項1、2が審判請求の対象とされており、上記訂正事項1-1は請求項1に係るものであり、上記訂正事項2-2乃至2-4は請求項2に係るものであるから、本件訂正後における請求項1、2に記載されている事項により特定される発明について、特許法第134条の2第9項において読み替えて準用する同法第126条7項に規定する独立特許要件は課されない。


8 まとめ
上記4?6において検討した訂正要件についての判断をまとめると、本件訂正の上記訂正事項1-2及び2-5に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていないので、請求項1に係る訂正及び請求項2に係る訂正は、いずれも不適法なものであって、本件訂正は、拒絶すべきものである。 」


(2)訂正請求書の補正(令和1年9月6日に提出された手続補正書による補正)

ア 補正の内容
令和1年9月6日に提出された手続補正書による補正は、本件訂正請求書「6.請求の理由」」「(2)訂正事項」「エ 訂正事項4」において、「
M系列信号送信処理および受信信号記録処理」との記載の後に見え消し線が引かれた状態で「および相関処理」との記載があるのを、当該見え消し線に係る文言を削除し、「M系列信号送信処理および受信信号記録処理」とするものである。

イ 上記補正についての当審の判断
上記補正は、軽微な瑕疵の補正であって、訂正請求書の要旨を変更するものであるとはいえないから、特許法第134条の2第9項において準用する特許法第131条の2第1項の規定に適合する。


(3)職権審理結果通知書に対する請求人の主張
請求人は、令和1年9月2日に提出された意見書(以下、「請求人意見書」という。)において、以下のとおり主張している。

「6 意見の内容
(1) 請求人は、令和1年8月5日付け職権審理結果通知書(以下「職権審理結果通知書」という。)が、同年6月19日に被請求人が行った請求項1に係る訂正及び請求項2に係る訂正について、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条第6項に規定する要件を満たしていないと判断したことに異存はない。
ただ、職権審理結果通知書の理由のうち、「4 訂正の目的」の「(2)訂正事項1-2に係る訂正の目的」の「エ」、「(7)訂正事項2-5に係る訂正の目的」の「オ」、 「(8)訂正事項3に係る訂正の目的」及び「(9)訂正事項4に係る訂正の目的」については意見があるので、本意見書を提出する。

(2) まず、職権審理結果通知書の理由の4(2)エには、次の記載がある(職権審理結果通知書第9頁第1?11行)。

「 もっとも、本件確定判決によれば、『本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから,構成Eに位置決め演算を『受信次第直ちに』行うとの限定を追加する本件補正は,本件当初明細書に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものというべきである。』とされ(本件確定判決第42頁第13?17行)、『直ちに』との文言を追加する補正は、新規事項を追加するものであると判示されているから、『直ちに』という記載をそのまま残しておくと、本件特許明細書の他の記載との関係において不合理を生じることになるところ、『直ちに』なる文言を削除する訂正は、かかる不合理を正すものであるといえるから、上記訂正事項1-2に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる『明瞭でない記載の釈明』を目的とするものに該当する。」

しかしながら、訂正が「明瞭でない記載の釈明」を目的とするというためには、特許された明細書又は特許請求の範囲のそれ自体意味の不明瞭な記載、又は、特許がされた明細書又は特許請求の範囲の他の記載との関係で不合理を生じているために不明瞭となっている記載を正し、その本来の意味を明らかにするものであることが必要であるところ(知財高判令和元年7月18日)、職権審理結果通知書の上記記載では、「直ちに」なる文言が、本件特許明細書のどこの記載との関係においてどのような不合理を生じているのか明らかでない上、仮に、「直ちに」なる文言が、他の記載との関係で何らかの不合理を生じているとしても、それを削除したところで「その本来の意味」は明らかにならない(「直ちに」の本来の意味のみならず、「受信次第直ちに」の本来の意味も、「直ちに」の削除によって明らかにはならない)。
したがって、訂正事項1-2に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当せず、職権審理結果通知書の上記記載は、改められるべきと考える。

(3) 次に、職権審理結果通知書の理由の4(7)オには、次の記載がある(職権審理結果通知書第11頁第7?10行)。

「 もっとも、上記『(2)訂正事項1-2に係る訂正の目的』の『エ』において検討したことが、上記訂正事項2-5に係る訂正についても同様にあてはまるから、上記訂正事項2-5に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる『明瞭でない記載の釈明』を目的とするものに該当する。」

しかしながら、その「上記『(2)訂正事項1-2に係る訂正の目的』の『エ』において検討したこと」は、(2)で述べたとおり、「明瞭でない記載の釈明」についての判断を誤ったものであり、訂正事項2-5に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当しないから、職権審理結果通知書の上記記載は、改められるべきと考える。

(4) 職権審理結果通知書の理由の4(8)には、次の記載がある(職権審理結果通知書第11頁第12?15行)。

「 上記訂正事項3は、上記訂正事項1-1及び1-2に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるから、上記訂正事項3に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる『明瞭でない記載の釈明』を目的とするものに該当する。」

しかしながら、(2)で述べたとおり、訂正事項1-2に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当せず、訂正事項3に係る訂正も、同号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当しないから、職権審理結果通知書の上記記載は、改められるべきと考える。

(5) 職権審理結果通知書の理由の4(9)には、次の記載がある(職権審理結果通知書第11頁第17?20行)。

「 上記訂正事項4は、上記訂正事項2-1乃至2-5に係る訂正に伴い特許請求の範囲の記載と明細書の記載との整合を図るためのものであるから、上記訂正事項4に係る訂正は、特許法134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる『明瞭でない記載の釈明』を目的とするものに該当する。」

しかしながら、(3)で述べたとおり、訂正事項2-5に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当せず、訂正事項4に係る訂正も、同号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当しないから、職権審理結果通知書の上記記載は、改められるべきと考える。」


(4)訂正拒絶理由通知書に対する被請求人の主張
被請求人は、令和1年9月6日に提出された意見書(以下、「被請求人意見書」という。)において、以下のとおり主張している。

「(3)本件訂正が認められるべきであることの説明
訂正審判(訂正請求)は、特許について一部に瑕疵がある場合に、その瑕疵のあることを理由に全部について無効審判を請求されるおそれがあるので、そうした攻撃に対して備える意味において瑕疵のある部分を自発的に事前に取り除いておこうとする者のための制度である(特許庁編、工業所有権法逐条解説[第20版]、特許法第126条参照)。このような訂正の制度は、特許請求の範囲等の記載に不備が生じてしまうことが、先願主義の観点からしても否めないという事情を前提としているものと解される。そして、そのような記載の不備は、通常、特許査定前に生じることが多いことから、この場合は、手続補正をもって、また、仮に、審査において看過された場合であっても、特許権設定登録後、訂正の制度をもって、是正する機会を保障している。一方で、記載の不備の是正を、野放図に認めてしまっては、第三者が不測の不利益を被ることにもなり得る。したがって、訂正が認められるか否かは、特許出願人又は特許権者の利益と、第三者の利益とを、衡量したうえで検討されるべきである。

被請求人は、(1)で示したとおり、本件特許発明について登録を受けるまでの間に、複数回の手続補正(平成27年1月19日、平成27年4月6日)を経ている。特に、最後の拒絶理由通知に対する補正時においては、拒絶の理由及び補正の要件に関し、慎重に熟慮するべく、複数回に及ぶ審査官との面接(乙第3号証、第4号証。実際は、ファクシミリ及び電話によるものであったが、便宜的に「面接」と記す。)の中で、被請求人は、「・・・前記海底局の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置・・・」との補正案を打診した。この補正案に対し、審査官は、「補正は新規事項に当たらない」との見解を示している。
(当合議体注:乙第4号証より抜粋した事項は省略)
なお、当該補正により追加された事項(アンダーラインの箇所。)のうち、「受信次第直ちに行う」は、本件補正(令和1年6月19日)における訂正事項1及び2(訂正拒絶理由通知で言う訂正事項1-2及び2-5。)において、「受信次第行う」と訂正を請求した事項である。

そして、本件確定判決(令和1年5月8日)に従えば、構成Eにおける「受信次第直ちに」との補正は、本件出願に係る願書に最初に添付した明細書等との関係において、新たな技術的事項を導入するものであったため、これに鑑み、被請求人は、本件訂正における訂正事項1及び2において、該当箇所である「直ちに」なる文言を削除し、構成Eを、「受信次第行う」とした。

確かに、記載の不備に対し、どのような補正をして、特許請求の範囲を画定するのかは、被請求人(出願人)に寄るものではあるものの、最終的に、補正の適否を判断するのは、審査官であり、また、審査官が当業者であることからしても、審査官の判断を全く無視し、何らかの期待や信頼も寄せずに補正をしようとすることは、一般的ではない。
さらに、本件確定判決に従えば、補正は、新たな技術的事項を導入するものであるため、本来、拒絶の理由(特許法第17条の2第3項、同第49条第1号)に該当すべきところを看過されたという事情が伺える。仮に、拒絶理由通知又は拒絶査定がなされていた場合、被請求人(出願人)は、さらなる補正の機会を得られたのであるが、そのような機会を失っている。
このように、記載の不備の程度や原因は、様々な事情に基づくものであることから、一律にその帰責性のすべてを被請求人(出願人)に問うては、酷な場合もあり得る。
被請求人(出願人)は、相当の注意を払いつつ補正していたにもかかわらず、その補正の適否について、違法であった旨の本件確定判決を受け、真摯に本件訂正を請求しており、成すべき手を尽くしている。そうであるにもかかわらず、本件訂正が認められないのだとすれば、被請求人の利益が著しく損なわれる結果となり得る。

一方で、本件確定判決に従うならば、本件特許発明は、新たな技術的事項を導入したことを除けば、何ら無効の理由を有していない。換言すれば、仮に補正が、新たな技術的事項を導入したものであっても、そうでなかったとしてもなお、本件特許発明は、進歩性を有し、当業者が容易に想到し得るものではない。そうであれば、従来技術との相違点として、第三者が着眼すべき本件特許発明の本質的な特徴は、当該補正の適否と直接的に関わるものではない。してみると、必ずしも、本件訂正後の本件特許発明が、当業者である第三者に対して不測の不利益を与えてしまうと言えるものではなく、既に述べたとおり、被請求人の利益と第三者の利益とを衡量するのであれば、成すべき手を尽くしてきた被請求人の利益を奪ってまで、第三者の利益を偏重すべき程の事情はないものと解する。」


(5)本件訂正請求についての当合議体の判断
当合議体は、以下のア及びイで述べるように、請求人意見書及び被請求人意見書における各主張を検討した。
その上で、当合議体は、上記訂正拒絶理由通知書において示したとおり、本件訂正の上記訂正事項1-2及び2-5に係る訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、特許法第134条の2第9項において準用する同法第126条6項に規定する要件を満たしていないので、請求項1に係る訂正及び請求項2に係る訂正は、いずれも不適法なものであると判断する。

ア 請求人意見書における主張の検討

(ア) 請求人は、「訂正が「明瞭でない記載の釈明」を目的とするというためには、特許された明細書又は特許請求の範囲のそれ自体意味の不明瞭な記載、又は、特許がされた明細書又は特許請求の範囲の他の記載との関係で不合理を生じているために不明瞭となっている記載を正し、その本来の意味を明らかにするものであることが必要であるところ(知財高判令和元年7月18日)、職権審理結果通知書の上記記載では、「直ちに」なる文言が、
本件特許明細書のどこの記載との関係においてどのような不合理を生じているのか明らかでない上、仮に、「直ちに」なる文言が、他の記載との関係で何らかの不合理を生じているとしても、それを削除したところで「その本来の意味」は明らかにならない(「直ちに」の本来の意味のみならず、「受信次第直ちに」の本来の意味も、「直ちに」の削除によって明らかにはならない)」と主張し、訂正事項1-2、2-5、3及び4に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当しない旨主張している。

(イ) 上記主張について検討すると、「直ちに」との文言は、「受信次第」との文言と併せて、「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算」を行う時期(以下、「演算実行時期」という。)を限定するものであるが、本件特許明細書には、段落【0013】の記載を除いて、上記演算実行時期を限定することに関する記載は見当たらず、上記段落【0013】の記載も、請求項1の記載ぶりを単に踏襲したものにすぎない。

(ウ) 本件確定判決では、「直ちに」との文言を追加する補正が、新規事項を追加するものであると判示されたところ、「直ちに」という記載をそのまま残しておくと、本件特許明細書の段落【0040】の「・・・前記データは、船上局11において、またはデータとして地上に持ち帰り、データ処理装置(図示されていない)によって、前記海底局12の位置を決めるための演算処理が行われる。」との記載との関係において不合理を生じることになり、上記段落【0040】の当該記載が不明瞭なものとなる。

(エ) すなわち、上記段落【0040】の記載は、この発明の実施例を開示する記載範囲(段落【0030】?【0046】)に含まれており、この記載は、「船上局11において、またはデータとして地上に持ち帰り、・・・演算処理が行われる」とあることから、「前記海底局12の位置を決めるための演算処理」が行われる場所(以下、「演算実行場所」という。)について述べたものである。
しかしながら、「直ちに」という記載をそのまま残しておくと、本来、演算実行場所と演算実行時期とは直接関係がないにもかかわらず、演算実行場所について言及しているはずの上記段落【0040】の記載において、演算実行時期についての言及もなされていると解さざるを得なくなり、その点において不合理が生じてしまい、この記載が不明瞭なものとなってしまうのである。

(オ) 請求項1及び段落【0013】の記載から「直ちに」なる文言が削除されると、上記段落【0040】の記載が演算実行時期についても言及していると解する必要がなくなり、本来の意味である演算実行場所についての言及であることが明らかになるから、かかる文言削除の訂正は、上記不合理を生じているために不明瞭となっている記載を正すものであるといえる。
したがって、訂正事項1-2、2-5、3及び4に係る訂正は、特許法第134条の2第1項ただし書き第3号に掲げる「明瞭でない記載の釈明」を目的とするものに該当する。

よって、請求人の上記主張を採用することはできない。


イ 被請求人意見書における主張の検討

(ア) 被請求人は、「訂正が認められるか否かは、特許出願人又は特許権者の利益と、第三者の利益とを、衡量したうえで検討されるべきである。」とした上で、被請求人(特許権者)の受ける不利益に関して、要するに、本件特許に係る特許査定前に打診した補正案についての担当審査官からの見解(「補正は新規事項に当たらない。」)を基に相当の注意を払いつつした補正が、本件確定判決において、新たな技術的事項を導入するものであると判断されたため、それに真摯に対応すべくなした本件訂正が認められないのは、本件特許を受けるまでの事情を鑑みると、さらなる補正の機会が失われた被請求人にとって酷であり、被請求人の利益が著しく損なわれる結果となり得る旨主張している。

(イ) しかしながら、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の補正に関して、特許法第17条の2第1項本文は、「特許出願人は、特許をすべき旨の査定の謄本の送達前においては、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面について補正をすることができる。」と規定しており、特許をすべき旨の査定の謄本の送達(以下、「特許査定謄本送達」という。)の後に明細書等の補正ができる機会が与えられないことを定めるとともに、補正をする主体は、「特許出願人」であると明定されている。
したがって、特許査定謄本送達後に明細書等の補正をする機会が失われたとしても、そのことは法の定めるところであって、また、特許査定謄本送達前に担当審査官より補正案の内容に新規事項は含まれていない旨の見解を得た上で行われた補正であるとしても、当該補正は、特許出願人によりなされたものであることに変わりはない。

(ウ) また、特許無効審判の審決に対する取消しの判決が確定し、審理が再開されるときは、被請求人から申立てがあった場合に限り、被請求人は、審判長により指定された期間内に、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正を請求することができるところ(特許法第134条の2第1項本文、同法第134条の3)、このような取消しの判決があった場合における訂正の請求についても、いわゆる訂正要件(同法第134条の2第1項ただし書各号に掲げる事項を目的とするか否か、同条第9項において読み替えて準用する同法第126条第5項から第7項までの規定に適合するか否か)が審理されることになるが、かかる要件は、訂正の目的、新規事項の追加禁止、特許請求の範囲の実質拡張・変更禁止及び独立特許要件(特許無効審判の請求がされていない請求項についてであって、訂正の目的が、特許請求の範囲の減縮、誤記又は誤訳の訂正である場合)として規定されていて、これらの要件の適合性を審理する際に、審査段階における担当審査官と特許出願人との間で行われた面接などのやりとりが考慮される余地はない。

(エ) そうすると、特許査定謄本送達前になされた補正が、特許査定時には新規事項を含まないものであると判断されていながら、その後に新規事項を含むものであると判断されたとしても、かかる補正は、特許出願人である被請求人によりなされたものであることに変わりはなく、訂正請求における訂正要件の審理において、特許査定に至るまでの事情を考慮して、その適否が判断されることはないのであるから、これらの法令の定めたところに従えば、被請求人の上記(ア)の主張を採用することはできない。

(オ) また、被請求人は、第三者の受ける不利益に関して、「一方で、本件確定判決に従うならば、本件特許発明は、新たな技術的事項を導入したことを除けば、何ら無効の理由を有していない。換言すれば、仮に補正が、新たな技術的事項を導入したものであっても、そうでなかったとしてもなお、本件特許発明は、進歩性を有し、当業者が容易に想到し得るものではない。そうであれば、従来技術との相違点として、第三者が着眼すべき本件特許発明の本質的な特徴は、当該補正の適否と直接的に関わるものではない。してみると、必ずしも、本件訂正後の本件特許発明が、当業者である第三者に対して不測の不利益を与えてしまうと言えるものではなく、既に述べたとおり、被請求人の利益と第三者の利益とを衡量するのであれば、成すべき手を尽くしてきた被請求人の利益を奪ってまで、第三者の利益を偏重すべき程の事情はないものと解する。」と主張している。

(カ) しかしながら、上記「(1)訂正拒絶理由通知書」の「7 独立特許要件」において述べたとおり、本件特許無効審判においては、請求項1、2が審判請求の対象とされており、本件訂正後における請求項1、2に記載されている事項により特定される発明について、訂正要件として独立特許要件は課されないところ、他の訂正要件(訂正の目的、新規事項の追加禁止、特許請求の範囲の実質拡張・変更禁止)は、訂正の前後の発明が進歩性を有するものであるか否かとは関係のないものであるから、これらの訂正要件を審理する際に、当該発明が進歩性を有するか否かが斟酌されることはない。
特に、特許請求の範囲の実質拡張・変更禁止という訂正要件については、上記「(1)訂正拒絶理由通知書」の「6 特許請求の範囲の実質的拡張・変更」において述べたとおり、当業者が、訂正後の特許発明の技術的範囲の一部または全部について、訂正前の特許発明の技術的範囲外のものも含むと認識するのであれば、そのような認識をした当業者が不測の不利益を被るおそれがあることになるから、そのような訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであって、たとえ訂正の後の発明が進歩性を有するものであるとしても、そのことによって、第三者が不測の不利益を被るおそれがなくなるとはいえない。
したがって、被請求人の上記(オ)の主張を採用することはできない。

ウ 以上のとおり、請求人意見書及び被請求人意見書におけるいずれの主張を検討しても、上記訂正拒絶理由通知書において示した訂正拒絶理由を覆すには至らないから、請求項1に係る訂正及び請求項2に係る訂正は、いずれも不適法なものであって、本件訂正は、認められない。


第4 本件特許に係る発明
上記第3において述べたとおり、本件訂正は認められないから、本件特許の請求項1及び請求項2に係る発明(以下、それぞれ「本件発明1」及び「本件発明2」といい、両者を併せて「本件発明」という。)は、本件特許の特許権の設定の登録がされた時点における特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された事項により特定される、以下のとおりものである。
ただし、当合議体において、各請求項に記載された事項を構成に分説し、A?Hの符号を付した。
なお、本件発明2は、本件発明1の構成を全て含む。

「【請求項1】
A 陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、
B 前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、
C 前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、
D 前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、
E 前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置と、
F から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。
【請求項2】
G 前記IDコードの送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間nは、0.4秒以上であり、前記測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始までの時間は、2.6秒以下である
H ことを特徴とする請求項1に記載された水中音響測位システム。」


第5 当事者の主張及び当事者が提出した証拠方法
1 請求人
(1)請求人の主張の概要
請求人の提出した審判請求書、弁駁書及び口頭審理陳述要領書によれば、請求人は、特許第5769119号発明の特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された発明についての特許を無効とする、審判費用は被請求人の負担とする、との審決を求め、以下のア?ウの無効理由により、本件特許は無効とされるべきであると主張している。

ア 無効理由1(新規事項の追加)
本件補正によって、構成Dの「一斉に」という文言及び構成Eの「直ちに」という文言が追加されたが、これらの文言は本件特許の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面(以下、「本件当初明細書等」という。)に記載も示唆もされていないから、本件補正は本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものであるということはできない。
すなわち、本件発明1及び本件発明2についての特許は、特許法第17条の2第3項に規定する要件を満たしていない補正をした特許出願に対してされたものであるから、同法第123条第1項第1号に該当する。

イ 無効理由2(サポート要件違反)
構成Dの「一斉に」という文言及び構成Eの「直ちに」という文言は、本件特許明細書の発明の詳細な説明に記載も示唆もされていないから、これらの構成を含む本件発明1及び本件発明2は、本件特許明細書の発明の詳細な説明に記載したものであるということはできない。
すなわち、本件発明1及び本件発明2についての特許は、特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、同法第123条第1項第4号に該当する。

ウ 無効理由3(進歩性欠如)
本件発明1及び本件発明2は、甲第2号証に記載された発明と甲第3号証(枝番を含む。)ないし甲第6号証に記載された構成とに基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
すなわち、本件発明1及び本件発明2についての特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものであるから、同法第123条第1項第2号に該当する。


(2)請求人が提出した証拠方法
請求人は、証拠方法として、以下の書証を提出している。

甲第1号証:新村出編「広辞苑第六版」株式会社岩波書店、2008年1月11日第一刷発行、第176ページ、奥付
甲第2号証:文部科学省研究開発局、国立大学法人東北大学「海底地殻変動観測技術の高度化(平成23年度)成果報告」、平成24年5月
甲第3号証の1:尾鼻浩一郎「Development of Seafloor Positioning System with GPS-acoustic Link for Crustal Dynamics Observation」、1998年12月、論文目録、表紙、目次、第95?112ページ
甲第3号証の2:博士学位論文 課程博士 内容の要旨及び審査の結果の要旨、京都大学、1999年、42集、第287?289ページ
甲第4号証:特開2002-131427号公報
甲第5号証:佐藤まりこ「海底基準局の識別信号の追加について」海洋情報部研究報告、2010年3月、第46号、第108?115ページ
甲第6号証:特開平10-160840号公報
甲第7号証の1:被請求人から請求人への平成29年2月15日付け書簡
甲第7号証の2:請求人から被請求人への平成29年2月28日付け書簡
甲第7号証の3:被請求人から請求人への平成29年3月31日付け書簡
甲第7号証の4:請求人から被請求人への平成29年4月7日付け書簡
甲第7号証の5:被請求人から請求人への平成29年5月2日付け書簡
甲第7号証の6:請求人から被請求人への平成29年5月12日付け書簡
甲第8号証の1:国立国会図書館デジタルコレクションにおける書誌情報
甲第8号証の2:京都大学学術情報リポジトリ紅における書誌情報
甲第9号証:海上保安庁のウェブサイトにおける「研究報告等記事一覧」のページ

以下、甲第1号証ないし甲第6号証(枝番を含む。)として提出された文献を、それぞれ書証番号を用いて「甲1文献」、「甲2文献」、「甲3の1文献」などといい、甲3の1文献と甲3の2文献とを併せて「甲3文献」という。


2 被請求人
(1)被請求人の主張の概要
被請求人が提出した答弁書及び口頭審理陳述要領書によれば、被請求人は、「本件審判は成り立たない。審判費用は請求人の負担とする。」との審決を求め、その理由として、本件特許には、上記無効理由は存在しない点を主張している。

(2)被請求人が提出した証拠方法
被請求人は、証拠方法として、以下の書証を提出している。

乙第1号証:平成25年5月?12月の業務日誌
乙第2号証:横田裕輔、奥村雅之「海底局マルチ測距手法による海底地殻変動観測の効率化に向けた検討」海洋情報部研究報告、平成27年3月2日、第52号、第79?87ページ
乙第3号証:応対記録(平成27年3月6日付け)
乙第4号証:応対記録(平成27年3月27日付け)

以下、乙第2号証として提出された文献を「乙2文献」という。


第6 当合議体の判断
当合議体は、請求人の主張する無効理由1?3を検討したところ、無効理由1のみに理由があると判断する。すなわち、本件発明1及び本件発明2についての特許は、いずれも無効理由1によって無効にすべきものである。その理由は以下のとおりである。

1 請求人が主張する無効理由1(新規事項の追加)の概要
(1)構成Dの「一斉に」
ア 構成Dの「一斉に」との文言は、「そろって。同時に。」の意であるから(甲1文献)、構成Dは、船上局受信部が、それぞれの海底局送受信部からの返信信号を同時に受信することを規定している。
一方、本件当初明細書等の記載(【0019】、【0033】、【0035】、図3)によれば、船上局から各海底局に一定の時間差をもって音響信号(図3のS1とM1、S2とM2、S3とM3及びS4とM4)を送信し、各海底局はその音響信号の届いた順に船上局に返信信号を送り、これら各海底局からの返信信号(図3のS6とM1、S6とM2、S6とM3及びS6とM4)を船上局が受信するから、船上局は、各海底局からの返信信号を、時間差をもって受信することになる。船上局が各海底局からの返信信号を時間差なく一斉に受信するためには、船上局が遠くに位置する海底局から順に時間差をもって音響信号を送信し、全ての海底局からの返信信号がちょうどその時間差を打ち消し合うタイミングで船上局に到達しなければならないが、このようなことは実際には考え難い。
そして、そのことが「少し違う時間差をもって」と明記され(【0035】)、図3にもS6とM1、S6とM2、S6とM3及びS6とM4の返信信号が時間的にずれて受信される様子が明記されている。なお、図3において、各返信信号の受信時間帯に一部重なるところはあるが、これにより船上局が「一斉に」(「そろって」又は「同時に」)受信したといえるはずもなく、もし本件当初明細書等にそのような意図があったのであれば、【0035】には、「一斉に」又はこれと同義の文言が使われていたはずである。
さらに、本件当初明細書等のその他の部分にも、船上局が各海底局からの返信信号を時間差なく一斉に受信する旨の記載はないから、構成Dに「一斉に」との文言を加えた本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものであるということはできない。

イ 被請求人は、構成Dの「一斉に」の根拠として、本件当初明細書等の図3及びその説明を挙げる。
しかし、本件当初明細書等の図3及びその説明(【0019】、【0033】、【0035】)では、船上局から各海底局に一定の時間差をもって音響信号(図3のS1とM1、S2とM2、S3とM3及びS4とM4)を送信し、各海底局がその音響信号の届いた順に船上局に返信信号を送り、これら各海底局からの返信信号(図3のS6とM1、S6とM2、S6とM3及びS6とM4)を船上局が「少し違う時間差をもって」受信することが記載されているのであって(【0035】)、「船上局が各海底局からの返信信号を時間差なく(重なっている状態で)一斉に受信していること」は、一切記載されていない。
また、本件当初明細書等の図3において、海底局12(m2)からの返信信号(S6とM2)は、海底局12(m4)からの返信信号(S6とM4)と「重なっている状態」にない(船上局において、海底局12(m2)からの返信信号の受信が終了しても、海底局12(m4)からの返信信号の受信は開始していない)から、図3において各海底局からの返信信号は重なっている状態にあるという被請求人の主張が成り立たないことも明白である。

(2)構成Eの「直ちに」
本件当初明細書等の記載のうち、データ処理装置に関する部分(【0025】、【0036】、【0040】)には、海底局送受信部の位置を決めるための演算を返信信号の受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置は、記載されていない。
本件当初明細書等の「地上に持ち帰り、データ処理装置によって」との記載(【0025】、【0040】)や、海上保安庁においてデータ処理が地上に持ち帰った後に行われている実態(甲5文献、第110ページ左欄第1行ないし第4行)からすると、当業者は、本件当初明細書等はデータ処理装置による演算を各返信信号の受信から間を置いて行う構成を開示していると把握する。
したがって、構成Eに「直ちに」との文言を加えた本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものであるということはできない。


2 被請求人の無効理由1(新規事項の追加)に対する反論
(1)構成Dの「一斉に」についての反論
ア 「一斉に」の意味
本件発明1における「各返信信号を一斉に受信する」とは、一つの海底局に対する1回の測定ごとに返信信号を受信するのではなく、複数の海底局送受信部からの各返信信号をまとめて受信して記録するという意味である。
従来は、例えば甲2文献又は乙2文献に記載されているとおり、1回の測定において、船上局が一つの海底局に信号を送信し、その海底局から返信された返信信号を船上局が受信した後、次の測定において、船上局は別の一つの海底局に信号を送信する。すなわち、従来は、船上局が、第一の海底局への送信、第一の海底局からの受信、第二の海底局への送信、第二の海底局からの受信を繰り返す構成である。
一方、本件発明1は、所定の時間差をもって船上局から音響信号を送信し、複数の海底局送受信部からの各返信信号をまとめて船上局受信部で受信して記録する。すなわち、本件発明1は、第一の海底局送受信部への送信、第二の海底局送受信部への送信、第一の海底局送受信部からの受信、第二の海底局送受信部からの受信を可能とする構成である。
したがって、「一斉に」の文言は、従来のように1回の測定の都度、返信信号を受信する構成ではないことを表し、また、このような従来の構成と本件特許発明1との相違を、顕著に表すものである。
以上のとおり、本件発明1における「各返信信号を一斉に受信する」とは、複数の海底局送受信部からの各返信信号をまとめて受信して記録するという意味であり、船上局受信部は、海底局送受信部で返信された各返信信号を、時間的にずれつつもまとめて受信でき、各返信信号を、時間帯において重ねて受信することのみならず、多少の時間差をもって受信することも含む意味である。
本件当初明細書等の図3は、このことを表している。すなわち、本件発明1では、海底局m1へ送信し、海底局m2へ送信し、海底局m3へ送信し、海底局m4へ送信し、海底局m1、m2、m3、m4からまとめて返信信号を受信することが可能となることが図3に示されている。
そうすると、返信信号の一部が複数の返信信号の受信時間帯において重なることが考えられるが、このことに関し、本件当初明細書等には、仮に返信信号の一部が複数の返信信号の受信時間帯において重なったとしても、重なった状態の複数の返信信号を同時に受信し、識別できることも記載されている(【0044】)。
したがって、本件発明1における「各返信信号を一斉に受信する」とは、複数の海底局送受信部からの各返信信号をまとめて受信し、仮に各返信信号の一部が複数の返信信号の受信時間帯において重なった場合でも、記録できるという意味である。

イ 請求人の主張に対する反論
前記アのとおり、「一斉に」は、本件当初明細書等の図3に記載されている事項である。
本件当初明細書等の図3及びその説明には、船上局が各海底局からの返信信号を時間差なく(重なっている状態で)一斉に受信していることが記載されている。
本件当初明細書等の図3及びその説明(例えば【0035】)によれば、返信信号(音響信号)は「少し違う時間差をもって」収集されるのであるから、1回の測定の都度、船上局が返信信号を受信する構成(船上局が、第一の海底局への送信、第一の海底局からの受信、第二の海底局への送信、第二の海底局からの受信を繰り返す構成)ではなく、複数の海底局送受信部からの各返信信号をまとめて受信して記録することが記載されている。つまり、1回の測定の都度、船上局が返信信号を受信する構成であった場合、第一の海底局からの返信信号を受信した後、第二の海底局からの返信信号を受信するまでの間に、第二の海底局への送信を要するため、返信信号は、少し違う時間差ではなく、第二の海底局への送信を含めた時間差をもって返信される。よって、このような従来の構成ではなく、各返信信号を一斉に受信することが、本件当初明細書等に記載されているといえる。このように、「一斉に」の文言は、本件当初明細書等の図3等に明示的に記載され、又は本件当初明細書等の図3等から自明な事項である。
したがって、構成Dに「一斉に」との文言を加えた本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものである。

(2)構成Eの「直ちに」についての反論
ア 「直ちに」の意味
「直ちに」とは、「時を移さず。すぐに。じきに。即座に。」を意味する(新村出編「広辞苑第七版」株式会社岩波書店)。本件発明1は、「船上局受信部において、…演算を受信次第直ちに行うことができる」ものであり、このことに関し、本件当初明細書等には、受信したデータが船上においてデータ処理装置によって処理される場合と、地上に持ち帰って処理される場合とが記載され、さらに、実施例として、受信装置及び送信装置がデータ処理装置に接続され、この構成による演算をそのまま海上で処理できることが記載されている(【0025】、【0036】、【0040】、【0043】、【0045】)。このことから、本件発明1は、船上局受信部で受信した返信信号を入力とし、入力されたこの返信信号をトリガーとして「直ちに」演算を行うことができるものである。

イ 請求人の主張に対する反論
前記アのとおり、「直ちに」は、本件当初明細書等に記載され、又は記載されているに等しい事項である。
したがって、構成Eに「直ちに」との文言を加えた本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものである。


3 無効理由1についての当合議体の判断
(1)構成Dの「一斉に」について

ア 本件発明の構成Dの「一斉に」は、一つの船上局受信部がそれぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を受信する動作を形容する語であるから、当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは、「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との構成(以下、「一斉受信構成」という。)が、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。

イ 本件補正前の特許請求の範囲には「一斉に」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても、一斉受信構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。

ウ 本件当初明細書等の段落【0004】、【0009】、【0010】及び【0019】に「一斉に」との文言が使用されているところ、これらはいずれも特願2013-102097号に係る水中音響測位システム(以下、「先願システム」という。)に関する記載である。

エ 本件当初明細書等は、先願システムにおける「一斉に」の語について、「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」との意味を開示していると認められる。

オ 本件当初明細書等の段落【0036】には、本件発明の実施の形態として、IDコードの長さが0.1秒、測距信号の長さが0.2秒、IDコードと測距信号との間が0.1秒であって、これらの合計0.4秒の長さを持つ音響信号を、測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始まで2.6秒の間隔をあけて送信する実施例が記載されており、当該実施例は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」受信する態様を開示していると認められる。

カ 上記エにおいて示した「一斉に」の語の意味に照らせば、本件発明の上記実施例が開示する態様は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「一斉に」受信するものといえる。

キ 以上によれば、本件当初明細書等に記載されている本件発明の実施の形態は、一斉受信構成、すなわち、「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」を備えていると認められる。

ク そして、この一斉受信構成を表現するために、先願システムで使用された「一斉に」との語を、先願システムと同様の意味を有するものとして構成Dに追加することは、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を何ら導入しないものというべきである。

(2)構成Eの「直ちに」について

ア 構成Eの「直ちに」は、「受信次第」との文言と併せて、海底局送受信部の位置を決めるための演算を行う時期を限定するものであるから、当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは、構成Eのうち演算を行う時期について特定する「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との構成(以下、「位置決め演算時期構成」という。)が、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。

イ 本件補正前の特許請求の範囲には「直ちに」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても位置決め演算時期構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。

ウ 本件当初明細書等の段落【0008】、【0009】、【0013】、【0025】、【0030】、【0032】、【0035】、【0036】及び【0040】等には、先願システム及び本件発明の実施の形態において、海底局の位置を決めるための演算(以下、「位置決め演算」という。)は、海底局からの音響信号(又はデータ)及びGPSからの位置信号に対して行われるものであって、船上局又は地上において実行される(特に段落【0025】、【0040】)ことが開示されているが、本件当初明細書等には、位置決め演算の時期を限定することに関する記載は見当たらない。

エ 位置決め演算を船上で行うか地上で行うかは、位置決め演算を実行する場所に関する事柄であって、位置決め演算を実行する時期とは直接関係がなく、位置決め演算を船上で行う場合には、海底局及びGPSの信号を受信した後、観測船が帰港するまでの間で、その実行時期を自由に決めることができるにもかかわらず、位置決め演算を「受信次第直ちに」実行しなければならないような特段の事情や、本件発明の実施の形態において、当該演算が「受信次第直ちに」実行されていることをうかがわせる事情等は、本件当初明細書等に何ら記載されていない。
したがって、「受信次第直ちに」との文言を、船上で位置決め演算を行う場合を指すと解することはできず、本件当初明細書等に、位置決め演算時期構成が記載されていると認めることはできない。

オ 以上より、本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから、構成Eに位置決め演算を「受信次第直ちに」行うとの限定を追加する本件補正は、本件当初明細書等に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものというべきである。

(3)無効理由1についてのまとめ
以上のとおりであるから、本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものであるとはいえない。
したがって、本件発明1及び本件発明2についての特許は、特許法第17条の2第3項に規定する要件を満たしていない補正をした特許出願に対してされたものであり、請求人が主張する無効理由1は理由がある。

(4)本件確定判決の拘束力について

ア 無効理由1についての先の審決の判断の概要
先の審決が、無効理由1についてした判断の概要は以下の(ア)?(ウ)のとおりである。
(先の審決の第29頁第25行?第34頁最終行を参照。)

(ア)構成Dの「一斉に」について
構成Dに「一斉に」との文言を追加する本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものである。

(イ)構成Eの「直ちに」について
構成Eに「直ちに」との文言を追加する本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものである。

(ウ)無効理由1についてのまとめ
以上のとおりであるから、本件補正は、本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものである。
したがって、本件発明1及び本件発明2についての特許は、特許法第17条の2第3項に規定する要件を満たしていない補正をした特許出願に対してされたものであるということはできない。

イ 無効理由1についての本件確定判決の判断
先の審決がした上記アの判断に関し、上記本件確定判決では、以下のとおりの判断が示された。
(本件確定判決の第22頁第19行?第42頁第21行を参照。)

「第5 当裁判所の判断
当裁判所は,原告の取消事由1の主張は理由があり,審決にはこれを取り消すべき違法があると判断する。その理由は,以下のとおりである。
1 本件当初明細書等の記載
(省略)
2 本件発明について
(省略)
3 取消事由1(新規事項追加の判断の誤り)について
(1) 構成Dの「一斉に」について
ア 原告は,構成Dの「一斉に」との文言を追加する本件補正は,本件当初明細書等に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないとした審決の判断が誤りであると主張する。
ここで,構成Dの「一斉に」は,一つの船上局受信部がそれぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を受信する動作を形容する語であるから,当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは,「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との構成(以下「一斉受信構成」という。)が,本件当初明細書等に記載された事項との関係において,新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。
イ 本件当初明細書等の記載について
(ア) 上記1(1)において認定したとおり,本件補正前の特許請求の範囲には「一斉に」との文言は使用されていないし,その余の文言を斟酌しても,一斉受信構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。
(イ) 次に,上記1(2)において認定したとおり,本件当初明細書の段落【0004】,【0009】,【0010】及び【0019】に「一斉に」との文言が使用されているところ,これらはいずれも特願2013-102097号に係る水中音響測位システム(以下「先願システム」という。)に関する記載である。そこで,先願システムにおいて用いられている「一斉に」の語の意味について検討する。
a 先願システムが解決しようとする課題及びこれを解決するための手段は,本件当初明細書の段落【0004】,【0006】,【0007】及び【0010】の記載によれば,次のとおりと認めることができる。すなわち,従来の水中音響測位システムにおいては,船上局から海底局の1つに向けて音響信号を送信し,海底局がこれに応答して送信された応答信号が船上局に到達し受信された後に,他の海底局に対して同様の動作を順次行うとの手順を採用していたため,船上局と海底局の間の音響信号の送受信に時間がかかる(どの時点でみても,船上局はいずれか1つの海底局との間でしか音響信号の送受信を行わないため,全体の測距時間は,最低でも各海底局に対する測距時間を合計した時間となる。)との課題があった。そこで,先願システムは,当該課題を解決するための手段として,船上局からの音響信号を各海底局に一斉に送信し,各海底局からの音響信号を船上局で一斉に受信する構成を採用した。
そして,「一斉に」の語は「そろって。同時に。」との意味を有すること(甲1)に鑑みると,先願システムは,複数の海底局に対して一斉に,すなわち,同時に測距を行うとの構成を採用したことにより,1つの海底局に対する測距時間を他の海底局に対する測距時間としても利用可能となり,従来の水中音響測位システムと比較して全体の測距時間が短縮するという効果を奏するものと認められる。
b ところで,本件当初明細書の段落【0004】及び【0010】では,先願システムの動作に関し,船上局における音響信号の送信のみならず,受信についても「一斉に」との語が用いられている。
確かに,先願システムでは,船上局から各海底局に対する音響信号を厳密な意味で同時に送信することができる。しかし,船上局と各海底局との距離には当然にばらつきがあるため,船上局から各海底局に対する音響信号を厳密に同時に送信したとしても,船上局が各海底局からの音響信号を受信するタイミングには,この距離のばらつきに応じた時間差が生じ得る。そして,このような時間差が生じることを測距前に完全に排除することは不可能である。
そうすると,先願システムにおける「一斉に」との語は,厳密に同時であることを意味する語としてではなく,船上局と各海底局との位置関係次第では無くなり得るほどの,ある程度の時間差を許容する語として用いられていると認めるのが相当である(このような理解は,全体の測距時間が短縮するとの先願システムが奏する効果(受信のタイミングが厳密に同時でなくとも,複数の海底局に対する測距が同時に行われ得ることは明らかである。)や,本件当初明細書の段落【0019】及び図7の記載とも整合する。)。
c なお,本件当初明細書の段落【0009】では,船上局からの送信について「一斉に」との表現を用いているのに対し,海底局からの送信及び船上局での受信については「ほぼ一斉に」との表現を用いている。これは,船上局からの音響信号の送信が厳密な意味で同時に行われるのに対し,船上局からの音響信号が海底局に到達し,当該海底局がこれに応答して音響信号を送信するタイミング及び当該海底局からの音響信号が船上局に到達するタイミングには,船上局と各海底局との距離のばらつきに応じた時間差が生じ得ることを明確にする意図であると推察できるから,先願システムにおける「一斉に」の語の意味についての上記理解を否定するものとはいえない。
d 以上によれば,本件当初明細書は,先願システムにおける「一斉に」の語について,「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」との意味を開示していると認められる。
(ウ) 本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態についてみると,本件当初明細書の段落【0036】には,IDコードの長さが0.1秒,測距信号の長さが0.2秒,IDコードと測距信号との間が0.1秒であって,これらの合計0.4秒の長さを持つ音響信号を,測距信号の送信終了から次のIDコードの送信開始まで2.6秒の間隔をあけて送信する実施例が記載されている。この実施例では,最初の音響信号の送信開始から次の音響信号の送信開始までに3秒の時間差が生じる。
音速を1500m/秒(本件当初明細書の段落【0026】,【0033】参照)とすると,3秒の時間差は4500mの距離差に相当するから,船上局から海底局までのそれぞれの距離の差が2250mである2つの海底局に対し,遠方の海底局,近接する海底局の順に測距を行うと,2つの海底局からの音響信号が同時に船上局に到着することになる(当該実施例が船上局から5000m離れた海底局を想定している(本件当初明細書の段落【0038】)ことに鑑みれば,2250mの距離の差は当該実施例においても想定されている範囲といえる。)。
また,本件当初明細書には,当該実施例に関し,海底局からの応答信号が重複しても,すなわち,複数の海底局からの音響信号を船上局で同時に受信しても,相関処理によって識別できることが記載されている(段落【0044】,【0045】)。
そうすると,当該実施例は,船上局において,複数の海底局からの応答信号を「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」受信する態様を開示していると認められるから,上記(イ)において説示した「一斉に」の語の意味に照らせば,当該実施例が開示する態様は,船上局において,複数の海底局からの応答信号を「一斉に」受信するものといえる。
ウ 以上によれば,本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態は,一斉受信構成,すなわち,「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」を備えていると認められる。
そして,この一斉受信構成を表現するために,先願システムで使用された「一斉に」との語を,先願システムと同様の意味を有するものとして構成Dに追加することは,本件当初明細書に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を何ら導入しないものというべきである。
したがって,この点についての原告の主張を採用することはできない。
(2) 構成Eの「直ちに」について
ア 原告は,構成Eの「直ちに」との文言を追加する本件補正は,本件当初明細書等に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないとした審決の判断が誤りであると主張する。
ここで,構成Eの「直ちに」は,「受信次第」との文言と併せて,海底局送受信部の位置を決めるための演算を行う時期を限定するものであるから,当該文言を追加する本件補正がいわゆる新規事項の追加に当たるか否かは,構成Eのうち演算を行う時期について特定する「前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との構成(以下「位置決め演算時期構成」という。)が,本件当初明細書等に記載された事項との関係において,新たな技術的事項に当たるか否かにより判断すべきである。
イ 本件当初明細書等の記載について
(ア) 上記1(1)において認定したとおり,本件補正前の特許請求の範囲には「直ちに」との文言は使用されていないし,その余の文言を斟酌しても位置決め演算時期構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。
(イ) また,上記1(2)において認定したとおり,本件当初明細書の段落【0008】,【0009】,【0013】,【0025】,【0030】,【0032】,【0035】,【0036】及び【0040】等には,先願システム及び本件発明の実施の形態において,海底局の位置を決めるための演算(以下「位置決め演算」という。)は,海底局からの音響信号(又はデータ)及びGPSからの位置信号に対して行われるものであって,船上局又は地上において実行される(特に段落【0025】,【0040】)ことが開示されている。しかし,本件当初明細書には,位置決め演算の時期を限定することに関する記載は見当たらない。
(ウ) この点に関し,審決は,データ処理装置による位置決め演算には,船上で行う場合と,船上で受信したデータを地上に持ち帰って行う場合とがあるところ,後者の場合にはそれなりの時間がかかるから,技術常識をわきまえた当業者であれば,構成Eの「受信次第直ちに」とは,船上で演算を行う場合を指すと理解すると認められると判断した。
しかし,位置決め演算を船上で行うか地上で行うかは,位置決め演算を実行する場所に関する事柄であって,位置決め演算を実行する時期とは直接関係がない。そして,位置決め演算を船上で行う場合には,海底局及びGPSの信号を受信した後,観測船が帰港するまでの間で,その実行時期を自由に決めることができるにもかかわらず,位置決め演算を「受信次第直ちに」実行しなければならないような特段の事情や,本件発明の実施の形態において,当該演算が「受信次第直ちに」実行されていることをうかがわせる事情等は,本件当初明細書に何ら記載されていない。
また,本件当初発明では,構成eに「前記船上局受信部において,…前記海底局の位置を決める演算を行うデータ処理装置と,」と,位置決め演算を船上で行うことが特定されていたのであるから,本件補正によって追加された「受信次第直ちに」との文言を,位置決め演算を船上で行うことと解すると,当初明確な文言によって特定されていた事項を,本来の意味と異なる意味を有する文言により特定し直すことになり,明らかに不自然である。
したがって,「受信次第直ちに」との文言を,船上で位置決め演算を行う場合を指すと解することはできない。
(エ) よって,本件当初明細書に,位置決め演算時期構成が記載されていると認めることはできない。
ウ 以上検討したところによれば,本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから,構成Eに位置決め演算を「受信次第直ちに」行うとの限定を追加する本件補正は,本件当初明細書に記載された事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものというべきである。
したがって,この点についての審決の判断には誤りがあり,その誤りは結論に影響を及ぼすものである。
(3) 小括
よって,原告が主張する取消事由1は理由がある。」

ウ 「特許無効審判事件についての審決の取消訴訟において審決取消しの判決が確定したときは,審判官は特許法181条2項の規定に従い当該審判事件について更に審理を行い,審決をすることとなるが,審決取消訴訟は行政事件訴訟法の適用を受けるから,再度の審理ないし審決には,同法33条1項の規定により,右取消判決の拘束力が及ぶ。そして,この拘束力は,判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから,審判官は取消判決の右認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない。」(最三小平成4年4月28日判決(昭63年(行ツ)第10号、
民集第46巻4号245頁))

エ 本件確定判決では、上記イにおいて述べたとおり、新規事項の追加に関する認定判断が示されており、これらはいずれも本件確定判決の主文が導き出されるのに必要なものと認められるから、当合議体を拘束する。

オ そして、当合議体が、上記(1)?(3)においてした認定判断は、本件確定判決の拘束力が及ぶ範囲を逸脱するものではない。


4 他の無効理由についての当合議体の判断
上記3において述べたとおり、無効理由1(新規事項の追加)は理由があり、本件発明1及び2についての特許は無効とすべきものであるところ、以下に無効理由2(サポート要件違反)及び無効理由3(進歩性欠如)についての当合議体の判断を簡潔に示す。

(1)無効理由2(サポート要件違反)についての当合議体の判断
本件特許明細書の段落【0013】には、「前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との記載及び「前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との記載があるところ、これらの記載はそれぞれ構成Dの「一斉に」及び構成Eの「直ちに」の各発明特定事項に相当するものである。
したがって、本件発明は、本件特許明細書の発明の詳細な説明に記載されたものと認められるから、本件特許はサポート要件に適合する。
よって、請求人が主張する無効理由2は理由がない。

(2)無効理由3(進歩性欠如)についての当合議体の判断

ア 甲2文献に記載された発明(甲2発明)は、以下のように認定される。

「a2 陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる複数海底局同時測距システムであって、
b2 前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるヘッダ信号及び各海底局に共通に割り当てられる測距信号を含む音響信号をそれぞれの前記海底局に対して235.678ミリ秒の時間差をもって送信する船上局送信部と、
c2 前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記ヘッダ信号が自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められたヘッダ信号を、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いてから1048.576ミリ秒後に返信信号を送信する海底局送受信部と、
d2 前記それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を受信する一つの船上局受信部と、
e2 前記各返信信号及びGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を各返信信号の受信後に行うことができるデータ処理装置とを備え、
g2 前記ヘッダ信号の送信を開始してから測距信号の送信終了までの時間差は、514.322ミリ秒であり、前記測距信号の送信終了から次のヘッダ信号の送信開始までの時間差は、235.678ミリ秒である
f2 複数海底局同時測距システム。」

イ 甲3文献に記載された発明(甲3発明)は、以下のように認定される。

「複数の海底基準点に対して音響測距を多重化して同時に行う多重音響測距により海底での地殻変動観測を行うための海底測位システムであって、GPSによる移動体のキネマティック測位と、音波を用いた音響測距を組み合わせ、音響測距に於いては、海上-海底装置間の音波の往復送時が計測されるものであり、海上装置が3つの海底装置それぞれに対して海底装置を呼び出すための単一の信号(以下、「多重測距信号」という。)を送信し、各海底装置が多重測距信号を受信すると、海底装置ごとにそれぞれ異なるM系列により変調された単一の音響信号(以下、「返信信号」という。)を海上装置に返信する海底測位システム。」

ウ 本件発明1と甲2発明とを対比する。
本件発明1の構成Dについては、上記5(1)において説示したとおり、構成Dの「一斉に」は、「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」と解される。
そして、甲2発明は、「海上局から等距離にある海底局からの測距信号が重なってしまう。」(甲2文献第28頁第30?31行目)方式であるというのであるから、甲2発明も、本件発明1と同じ意味において、船上局(海上局)で返信信号を「一斉に」受信するものと認められる。
そうすると、甲2発明の構成d2は、本件発明1の構成Dに相当する。

エ したがって、本件発明1と甲2発明とは、以下の相違点1?3において相違し、その余の点で一致する。

(相違点1)
本件発明1は、「測距信号」が「各海底局に個別に割り当てられる」のに対し、甲2発明は、「測距信号」が「各海底局に共通に割り当てられる」点。

(相違点2)
本件発明1は、「全ての海底局に予め決められたIDコード」が「同じ」「であって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コード」であるのに対し、甲2発明は、「前記全ての海底局に予め決められたヘッダ信号」(本件発明1の「全ての海底局に予め決められたIDコード」に相当する。)がどのようなものか明らかでない点。

(相違点3)
本件発明1は、「データ処理装置」が「前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信後に行う」場所及び時期が「一つの船上局受信部において、」「受信次第直ちに」であるのに対し、甲2発明は、その場所が明らかでなく、その時期が「受信後に」とされるにすぎない点。

オ 上記相違点1について検討するに、甲2発明では、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題を解決するために、海上局と海底局との間でやりとりする音響信号はヘッダ信号と測距信号とを含むものとし、かつ、海底局は測距信号をミラー応答することを、その技術的特徴としているのに対し、甲3発明では、海上局と海底局との間でやりとりする音響信号が、ヘッダ信号及び測距信号などの区別がない単一の信号からなるものであり(少なくとも、甲3文献には、当該音響信号が、ヘッダ信号、測距信号などのように、性格の異なる複数の信号で構成されるものであることをうかがわせる記載は見当たらない。)、全ての海底局は船上局から同一の送信信号を受信し、海底局ごとに異なる返信信号を船上局に返信するものであるから、音響信号の具体的構成の点からも、海底局の返信動作の点からも、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題の解決に向けた思想は全くうかがわれない。

カ このように、甲2発明と甲3発明とは、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題解決の点において相違している上に、甲3発明における音響信号の具体的構成及び海底局の返信動作に照らせば、甲2発明に甲3発明を適用すると、かえって当該課題の解決ができないこととなる。

キ そうすると、甲2発明に甲3発明を適用する動機づけがあるということはできず、むしろ阻害要因があるというべきであり、甲4文献?甲6文献を参照しても、既設の海底局を改造することなく有効利用するとの課題の解決に向けた思想は全くうかがわれないから、上記相違点1に係る本件発明1の構成は、甲2発明と甲3?6文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に想到することができたものとはいえない。

ク したがって、他の相違点について検討するまでもなく、本件発明1は、甲2発明と甲3?6文献に記載された構成に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。

ケ そして、本件発明2は、本件発明1の構成を全て含むものであるから、本件発明2についても、当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえない。

コ したがって、請求人が主張する無効理由3は理由がない。


第7 むすび
以上のとおり、本件発明1及び2についての特許は、無効とすべきものである。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項で準用する民事訴訟法第61条の規定により、被請求人が負担するべきものとする。

よって、結論のとおり審決する。

 
審理終結日 2020-03-04 
結審通知日 2020-03-09 
審決日 2020-03-26 
出願番号 特願2013-196594(P2013-196594)
審決分類 P 1 113・ 537- ZB (G01S)
P 1 113・ 854- ZB (G01S)
P 1 113・ 121- ZB (G01S)
P 1 113・ 55- ZB (G01S)
最終処分 成立  
前審関与審査官 小川 亮  
特許庁審判長 石井 哲
特許庁審判官 濱野 隆
梶田 真也
登録日 2015-07-03 
登録番号 特許第5769119号(P5769119)
発明の名称 水中音響測位システム  
代理人 加藤 恭介  
代理人 西村 公芳  
代理人 松田 純一  
代理人 野田 薫央  
代理人 高橋 克宗  
代理人 福田 伸一  
代理人 水崎 慎  

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