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審決分類 審判 全部無効 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  C21D
審判 全部無効 2項進歩性  C21D
審判 全部無効 1項3号刊行物記載  C21D
管理番号 1366891
審判番号 無効2018-800121  
総通号数 251 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 特許審決公報 
発行日 2020-11-27 
種別 無効の審決 
審判請求日 2018-10-05 
確定日 2020-10-14 
事件の表示 上記当事者間の特許第5241095号発明「低鉄損一方向性電磁鋼板」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。 
理由 第1 手続の経緯
本件特許第5241095号についての手続の概要は次のとおりである。
平成18年11月21日 特許出願
平成25年 4月12日 特許権設定登録
平成30年10月 5日 特許無効審判請求書
甲第1?6号証、甲第7号証の1?4、
及び甲第8号証添付
平成30年10月 5日 証拠説明書(1)(請求人)
平成30年11月 9日 上申書(請求人)
平成31年 1月28日 答弁書
平成31年 3月28日 審理事項通知書
平成31年 4月19日 口頭審理陳述要領書(請求人)
甲第9号証、甲第10号証の1?3、
甲第11号証の1?3、
及び甲第12?17号証添付
平成31年 4月19日 証拠説明書(2)(請求人)
平成31年 4月19日 手続補正書(審判請求書に係る)
令和 1年 5月20日 口頭審理期日変更通知書
令和 1年 5月24日 口頭審理陳述要領書(被請求人)
令和 1年 5月24日 手続補正書(答弁書に係る)
令和 1年 7月12日 証拠説明書(3)(請求人)
令和 1年 7月17日 上申書(2)(請求人)、甲第18号証添付
令和 1年 7月19日 口頭審理
令和 1年 8月 2日 上申書(3)(請求人)、甲第19号証添付
令和 1年 8月 2日 証拠説明書(4)(請求人)

第2 本件特許発明
本件の請求項1?3に係る発明(以下「本件発明1」?「本件発明3」といい、総称して「本件発明」ということがある。)は、特許請求の範囲の請求項1?3に記載された次のとおりのものである。

「【請求項1】
鋼板の板厚内部における1箇所又は複数箇所に、板厚方向に対する応力が引張り応力であり、かつその最大値が40MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下である応力が存在する領域が、鋼板の圧延方向に7.0mm以下の間隔で形成されていることを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。
【請求項2】
前記引張り応力が存在する領域の圧延方向の分布幅が0.8mm以下であり、かつ板厚方向の分布幅が板厚の80%以下の大きさを持つことを特徴とする請求項1に記載の低鉄損一方向性電磁鋼板。
【請求項3】
前記引張り応力が存在する領域が、鋼板の圧延方向に対して60?120°の方向に連続的または所定間隔で形成されていることを特徴とする請求項1または2に記載の低鉄損一方向性電磁鋼板。」

第3 当事者の主張
1.請求人の主張
請求人は、特許第5241095号の請求項1?3に係る発明についての特許を無効とする、審判請求費用は被請求人の負担とする、との審決を求め、証拠方法として、審判請求書に添付して、甲第1?6号証、甲第7号証の1?4、甲第8号証を提出し、口頭審理陳述要領書に添付して甲第9号証、甲第10号証の1?3、甲第11号証の1?3、甲第12?17号証を提出し、上申書(2)(令和1年7月17日)に添付して甲第18号証を提出し、上申書(3)(令和1年8月2日)に添付して甲第19号証を提出し、無効審判請求書、口頭審理陳述要領書及び上申書(2)(令和1年7月17日)において、以下の無効理由1?3により無効にすべきものである旨主張している。

<無効理由1>
本件発明1及び3は、甲第2号証で再現実験された結果から、甲第1号証に記載された発明であるので、特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができないものであり、また、甲第1号証に記載された発明との間に相違点が存在するとしても些細な微差に過ぎず、甲第1号証に記載された発明に基いて容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり、それらの特許は同法第123条第1項第2号に該当し、無効とすべきである。

<無効理由2>
本件発明1及び3は、甲第4証で再現実験された結果から、甲第3号証に記載された発明であるので、特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができないものであり、また、甲第3号証に記載された発明との間に相違点が存在するとしても些細な微差に過ぎず、甲第3号証に記載された発明に基いて容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり、それらの特許は同法第123条第1項第2号に該当し、無効とすべきである。

<無効理由3>
本件発明1ないし3は、発明の詳細な説明に記載されたものではないから、特許法第36条第6項第1号の規定に適合せず、特許を受けることができないから、それらの特許は同法第123条第1項第4号に該当し、無効とすべきである。

<証拠方法>
○甲第1号証:特開2006-233299号公報
○甲第2号証:実験成績証明書(2)
請求人従業員大村健により平成30年6月29日付けで作成されたもので、甲第1号証(特開2006-233299号公報)に記載された実験の再現実験を行い、同再現実験で得られた一方向性電磁鋼板は、板厚内部における板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上、素材の降伏応力以下であり、本件発明の特定事項を満たすものであることを立証しようとするものである。
○甲第3号証:特開平1-281708号公報
○甲第4号証:実験成績証明書(1)
請求人従業員大村健により平成30年7月9日付けで作成されたもので、甲第3号証(特開平1-281708号公報)に記載された実験の再現実験を行い、同再現実験で得られた一方向性電磁鋼板は、板厚内部における板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上、素材の降伏応力以下であり、本件発明の特定事項を満たすものであることを立証しようとするものである。
○甲第5号証:特開平8-67913号公報
○甲第6号証:特開2005-248291号公報
○甲第7号証の1:「1093.レーザーの水中照射による金属材料の残留応力改善メカニズム」、佐野雄二 外5名、日本原子力学会誌、Vol.42、No.6(2000)、567?573頁
○甲第7号証の2:「レーザピーニングによる溶接部の残留応力改善」、佐野雄二 外2名、溶接学会誌、第74巻(2005)第8号、525?528頁
○甲第7号証の3:「レーザピーニングによる原子炉構造物の応力腐食割れ対策」、佐野雄二 外4名、溶接学会誌、第75巻(2006)第7号、579?582頁
○甲第7号証の4:「レーザーピーニング現象の観察とモデル化」、佐野雄二 外3名、レーザー研究、第26巻第11号、1998年11月、793?799頁
○甲第8号証:溶接学会誌目次、一般社団法人溶接学会、平成30年9月5日印刷、http://www.jweld.jp/journal/journal.html
(開示内容)甲第7号証の2の公開日 2005年(平成17年)12月
甲第7号証の3の公開日 2006年(平成18年)10月
○甲第9号証: 本件の拒絶理由通知書(平成23年8月24日起案)
○甲第10号証の1:「方向性電磁鋼板の最近の進歩」、高橋延幸、鉄と鋼、Vol.80(1994)No.2、N59?N64頁
○甲第10号証の2:特開2003-89821号公報
○甲第10号証の3:「レーザー照射による極低鉄損方向性珪素鋼板の開発研究」、中村元治、昭和61年3月(甲第19号証を参照)
○甲第11号証の1:特開昭61-23771号公報
○甲第11号証の2:特開平1-316424号公報
○甲第11号証の3:特公昭53-28375号公報
○甲第12号証:国際公開2004/083465号
○甲第13号証:JISC2556、鐵鋼I 用語/資格及び認証/検査・試験/特殊用途鋼/鋳鍛造品/その他、日本規格協会、2005年1月31日
○甲第14号証:陳述書
請求人従業員大村健により平成31年4月16日付けで作成されたもので、甲第2号証(実験成績証明書(2))の「鉄損0.72W/kg」は「鉄損W_(17/50)=0.72W/kg」の意味であることを説明するものである。
○甲第15号証:本件の拒絶理由通知書(平成24年11月30日起案)
○甲第16号証:本件の拒絶理由通知書(平成24年11月30日起案 甲第15号証)に対する本件被請求人の意見書(平成25年2月4日付け)
○甲第17号証:特開2010-168615号公報(本件の特許出願時における非公知文献)
○甲第18号証:陳述書(2)
請求人従業員大村健により令和1年7月10日付けで作成されたもので、甲第2号証(実験成績証明書(2))での「レーザ出力」は技術常識である甲第12号証で指定される範囲に合致し、その選択には合理性があることを説明するものである。
○甲第19号証:国立国会図書館所蔵図書館資料に関する証明書
甲第10号証の3が、1986年(昭和61年)9月26日授与の大阪大学工学博士論文(報告番号 乙第3981号)(請求記号 UT51-61-O425)であり、国立国会図書館に昭和61年10月31日に受け入れされたものであることを証明するもの

2.被請求人の主張
上記の請求人の主張に対して、被請求人は、審判事件答弁書、口頭審理陳述要領書、審判事件答弁書の補正書を提出して、特許第5241095号の請求項1?3に係る発明についての特許を無効とする審判請求は成り立たない、審判請求費用は請求人の負担とする、との審決を求める旨主張している。

第4 無効理由1について
1.総論
上記「第3 1.」でみたように、無効理由1の概要は、甲第2号証で、甲第1号証に記載された発明についての再現実験を行い、その結果として本件発明1及び3の発明特定事項を全て備えることを確認できたので、本件発明1及び3は甲第1号証に記載されているとするものである。
無効理由1が成立するためには、次の要件を満たす必要がある。
要件A)本件発明と甲第1号証に記載の技術手段とが、同様の技術内容のものであり、甲第1号証に記載の技術手段が再現実験された場合に、奏される効果が本件発明の奏する効果と同様であって、本件発明は甲第1号証に記載されているといえる可能性があること。
要件B)甲第1号証の再現実験(甲第2号証)を実施するに際して、甲第2号証の実験条件(以下、「甲2条件」という。)と甲第1号証に記載の実験条件(以下、「甲1条件」という。)とが一致しているか、実験を行う上で必要だが甲1条件として記載されていない甲2条件について、それが技術常識であること。
要件C)また、甲1条件として記載されていない甲2条件が複数存在し、それらの各々はそれぞれ個別に技術常識であるといえても、それらを組み合わせることも技術常識であるとまではいえない場合には、甲1条件として記載されていない複数の甲2条件は全体として技術常識とはいえないから、甲第2号証の実験は甲第1号証の実験の再現実験とはいえない。
そこで、以下では、甲1条件と甲2条件とを比較してその異同を確認し、甲1条件として記載されていない甲2条件として採用したものについて技術常識といえるかを確認し、それらが複数ある場合には、その組合せが可能かについても検討する。

2.甲第1号証の記載
甲第1号証には次のことが記載されている。なお、下線は注意喚起のために当審で付与した。
(1ア)「【請求項1】
圧延方向と直角な線状あるいは点列状に、且つ圧延方向に周期的にレーザビームを照射して磁区制御を行った一方向性電磁鋼板において、該一方向性電磁鋼板の板厚をt(mm)、前記レーザビームの線状照射痕の圧延方向幅または前記レーザビームの照射によって生成される環流磁区の圧延方向幅をw(mm)、および前記レーザビームの照射の圧延方向での照射間隔をPL(mm)とするとき、次式を満足することを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。
1.3×10^(-4)≦π/8×(w×w)/(t×PL)≦1.3×10^(-2)
【請求項2】
圧延方向と直角な線状あるいは点列状に、且つ圧延方向に周期的にレーザビームを照射して磁区制御を行った一方向性電磁鋼板において、該一方向性電磁鋼板の板厚をt(mm)、前記レーザビームの線状照射痕の圧延方向幅または当該レーザビームによって生成される環流磁区の圧延方向幅をw(mm)、および前記レーザビームの照射の圧延方向での照射間隔をPL(mm)とするとき、wが0.05mm以上且つ0.2mm以下であり、さらに次式を満足することを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。
7.0×10^(-4)≦π/8×(w×w)/(t×PL)≦1.3×10^(-2) 」

(1イ)「【0004】
従来技術は、一方向性電磁鋼板の板厚にあわせて局所的な積算照射エネルギー密度とレーザパワー密度を変更することは開示されているものの、照射ビーム径に関しては板厚変化に対して考慮されておらず一定とするものであった。
本発明の課題は、一方向性電磁鋼板の板厚に応じてレーザ照射条件を変更して、高い鉄損改善を得る一方向性電磁鋼板およびその製造方法を提供することにある。
【0005】
本発明者らは、レーザ照射による磁区制御を施した低鉄損一方向性電磁鋼板を鋭意研究の結果、板厚にあわせてレーザ照射によって導入される歪みによる環流磁区の形状やレーザ照射の圧延方向の間隔を制御することによって、従来よりも極めて低い鉄損の一方向性電磁鋼板及びそれを実現できる製造方法を想到した。」

(1ウ)「【0010】
図1は本発明に係わるレーザビーム照射方法の説明図である。本実施例では、レーザ装置3から出力されるレーザビームLBを、ポリゴンミラー4と fθレンズ5を使用し、一方向性電磁鋼板(鋼板)1上に走査照射した。 fθレンズ5と鋼板1の距離を変えることにより、レーザビームの圧延方向集光径dlを変化させた。
6は円柱レンズあるいは複数の円柱組レンズであり、必要に応じてレーザビームの集光スポットについてビームスキャン方向の集光径(スキャン方向長)dcを変化させて、円形から楕円形まで集光形状を制御するのに用いる。図1は、レーザと走査装置が一組の例であるが、鋼板の板幅に応じて板幅方向に同様の装置を複数台配置してもよい。」

(1エ)「【0011】
本発明者らは、ファイバコア径10μmの連続波ファイバレーザ装置を用いて、各種板厚の一方向性電磁鋼板表面に圧延方向にほぼ垂直方向に線状のレーザ照射を施して鉄損を調べた。この実験において、レーザ照射の照射条件により鋼板表面に照射痕が生じる場合と生じない場合がある。照射痕が生じる場合は、その照射痕の圧延方向の幅を光学顕微鏡による観察と照射によって生じる圧延方向の環流磁区の幅を、200kVの加速電圧を持つ走査型電子顕微鏡の反射電子を用いた観察で測定した。その結果、照射痕の幅と環流磁区の幅はほぼ一致した。」

(1オ)「【0012】
また、照射痕が発生しない場合は環流磁区の幅を測定した。以下の記述では、照射痕あるいは環流磁区の幅を同一のものとして扱い、圧延方向照射幅w(mm)とする。各種板厚において、レーザ照射によって表面に発生する圧延方向照射幅wと鉄損の関係並びに圧延方向のレーザ照射間隔PLと鉄損の関係を詳細に調べた結果をそれぞれ図4、5に示す。なお、圧延方向照射幅wはレーザ照射ビーム径dlによって制御した。」

(1カ)「本発明の一方向性電磁鋼板製造方法に用いる装置の模式図」(【0022】)である【図1】を以下に示す。

(1キ)「【0013】
また、鉄損を低減させるため、各条件では平均照射エネルギー密度Ua(mJ/mm^(2)) を、板幅方向のレーザビームの板幅方向走査速度Vc(m/s) を変化させた。なお、Ua(mJ/mm^(2)) は、PL(mm)、Vc(m/s) 、およびレーザパワーをP(W) を用いて、Ua(mJ/mm^(2)) =P/(Vc×PL)で定義される。鉄損はSST(Single Sheet Tester)測定器でW_(17/50)を測定した。W_(17/50)は周波数50Hz、最大磁束密度1.7Tのときの鉄損である。」

(1ク)「【0014】
本実施例で用いた一方向性電磁鋼板サンプルにおいて、板厚が0.23mmの場合には、レーザ照射前のW_(17/50)の範囲は0.80?0.85W/kg、板厚が0.27mmの場合には、レーザ照射前のW_(17/50)の範囲は0.80?0.90W/kg、板厚が0.30mmの場合には、レーザ照射前のW_(17/50)の範囲は0.95?1.00W/kgであった。」

(1ケ)「【0017】
本発明者らは、以上の二つの実験結果と考察から、鉄損を低減する磁区細分化効果は板厚tによって、圧延方向照射幅wすなわち歪みの量と照射間隔PLすなわち歪みの相互作用の大きさ、これらに密接な関係があると考えた。つまり板厚に対応して、歪み量とほぼ比例関係のある環流磁区の量や分布に最適値が存在するのではないかという仮説に想達した。すなわち図6に示すような一定断面積として板厚t×間隔PLと歪み領域の面積π/8×(w×w)の比に最適範囲が存在するのではないかと考えた。この仮説の真偽を確認するためさらに下記の実験、解析を行った。

(1コ)「各種板厚における圧延方向照射幅wと鉄損W_(17/50)の関係図(照射ピッチは4mm固定)」(【0022】)である【図4】、
「各種板厚における照射ピッチPLと鉄損W_(17/50)の関係図(圧延方向照射幅wは0.1mm固定)」(【0022】)である【図5】、
「歪み比率ηを説明する模式図」(【0022】)である【図6】、の三つの図面を以下に示す。

(1サ)【0018】
鋼板の圧延方向断面における歪みの面積の占める割合(以下、歪み比率ηと呼ぶ)をπ/×(w×w)/(t×PL)で定義して、板厚をパラメータとして歪み比率ηと鉄損W_(17/50)の関係を調べた結果を図2に示す。図2の中で、点線で示す各板厚における最小鉄損を基準として、これに対する劣化率を(到達鉄損-最小鉄損)/最小鉄損×100%と定義した時、どの板厚においても歪み比率ηが点線で示す1.3×10^(-4)以上且つ1.3×10^(-2)以下で、1点鎖線で示す劣化率5%以内を実現することができる。
【0019】
歪み比率ηが1.3×10^(-4)未満の場合、これは主にwが非常に小さく、PLが広い照射条件に相当し、線状歪みの相互作用が弱いため磁区細分化が起き難く、鉄損が低減されない。一方、歪み比率ηが1.3×10^(-2)超の場合、これはwが非常に大きく、PLが狭い照射条件に相当し、個々の線状歪みが過大であるため、鉄損低減を阻害するヒステリシス損の増加を招くため鉄損が低減されない。
【0020】
図3は、図2を圧延方向照射幅w別に鉄損を示したものである。これより、より鉄損の小さい図中2点鎖線で示す劣化率4%以内の一方向性電磁鋼板を得るには、圧延方向照射幅wが0.05mm以上且つ0.2mm以下で、歪み比率ηが点線で示す7.0×10^(-4)以上且つ1.3×10^(-2)以下の範囲であることが望ましい。
【0021】
圧延方向照射幅wは集光レーザビームの圧延方向径dlとほぼ相当する。従って、本発明の一方向性電磁鋼板の製造方法において、歪み比率η=π/8×(w×w)/(t×PL)のwをdlで置き換え、dl×dl/(t×PL)を3.3×10^(-4)以上且つ3.3×10^(-2)以下の範囲とすることで、鉄損特性の優れた一方向性電磁鋼板が製造できる。
好ましくは、dlが0.05mm以上且つ0.2mm以下で、dl×dl/(t×PL)が1.8×10^(-3)以上且つ3.3×10^(-2)以下の範囲であること望ましい。
この照射方法で得られる一方向性電磁鋼板は、dlが0.2mm以上である従来技術の特許文献2と比較すると、鉄損が小さい。
本発明によれば、各種板厚において優れた鉄損特性をもつ一方向性電磁鋼板を得ることができることから、本発明の工業的意義は極めて大きい。」

(1シ)「各種板厚における歪み比率η=π/8×(w×w)/(t×PL)と鉄損W_(17/50)の関係図」(【0022】)である【図2】【図3】を以下に示す。

3.甲1条件と甲2条件の対比
(1)上記「1.要件A)」について
本件発明は「一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分けて、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪および応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供するものである」(【0011】)ところ、「磁区細分化」という磁区制御を行って鉄損を改善することを、実質的にレーザー照射法(実施例等)により行うものである。
他方で、甲第1号証に記載の技術手段は、上記の記載事項(1イ)から、一方向性電磁鋼板の板厚に応じてレーザ照射条件を変更して、レーザ照射による磁区制御を行い、高い鉄損改善を得る一方向性電磁鋼板を得るものであるといえる。
したがって、両者は、レーザ照射による磁区制御を行い、高い鉄損改善を得る一方向性電磁鋼板を得るものである点で同様の技術手段といえる。

(2)上記「1.要件B)」について
甲第1号証の再現実験を行い、甲第1号証の技術手段は本件発明と同様に「板厚内部」についての磁区制御まで行えていることを確認し、本件発明は甲第1号証に記載されていることを立証しようとしたのが甲第2号証である。
しかし、当該立証のためには、上記「1.要件B)」のとおり、甲1条件と甲2条件とが一致しているか、甲1条件になく、甲2条件で存在する条件についてはそれが技術常識といえることを要する。
そこで以下にこの点を検討する。
次の表は、甲1条件と甲2条件を対比して記載したものである。
なお、甲第2、12号証の記載事項の摘示は、同表の記載をもって行う。

上記表より、各条件毎に甲1条件と甲2条件とを対比する。

1)条件A(鋼板厚さ)について
1条件と甲2条件は共に板厚0.23mmで一致する。

2)条件B(鋼板Si含有量)について
ア 甲1条件ではSi含有量は不明であるのに対して、甲2条件ではSi含有量は3.4%の鋼板を用いている。
イ この点について、甲第10号証の1?3、甲第11号証の1、2には次のことが記載されている。
(ア)甲第10号証の1には、「高磁束密度方向性電磁鋼板」の「Si」含有量が「3%」であるもの(N62頁 表1)が記載されている。
(イ)甲第10号証の2には、「超高磁束密度一方向性電磁鋼板」として「Si」含有量について、「3.25%」(【0019】)のものが記載され、「2%未満では製品の渦電流損失を抑制できない。また、7.0%を超えた場合では、加工性が著しく劣化して常温での冷延が困難になるので好ましくない。」(【0028】)ことが記載され、「3.30%」のもの(【0044】)が記載され、「3.35%」のもの(【0048】)が記載されている。
(ウ)甲第10号証の3には、「高磁束密度方向性珪素鋼板」において「一般にSi量が増加すると、二次再結晶が困難となり、脆化し易くなるため、3.5%以下のSi量で用いられる。」(3頁下から5?4行)と記載されている。
(エ)甲第11号証の1には、「方向性電磁鋼板」は「通常、Si4.0wt%以下を含有する珪素鋼素材を熱間圧延し・・・」(1頁右下欄11?13行)と記載され、「実施例1・・・Si 3.20%・・・を含有する珪素鋼鋼片を・・・熱延して・・・」(5頁右上欄4?8行)と記載され、「実施例2・・・Si3.10%を含有する珪素鋼鋼片を・・・熱延して・・・」(5頁右下欄7?10行)と記載されている。
(オ)甲第11号証の2には、「方向性電磁鋼板はSiを例えば2?4%含有する珪素鋼素材を熱延し・・・」(1頁右下欄14?15行)と記載されている。
ウ これらのことから、「一方向性電磁鋼板」においてSiが一定量含有されること、その含有量は、最も広い範囲で2%超7%未満であり、2?4%の場合が多く、さらに3%を超える周知例が多いことから、Si含有量が3.4%である一方向性電磁鋼板は、概ね技術常識といえる。
したがって、甲2条件でのSi含有量として3.4%の電磁鋼板を用いることは技術常識といえる。

3)条件C(鋼板表面皮膜)について
ア 甲1条件では電磁鋼板の表面皮膜について不明なのに対して、甲2条件では電磁鋼板の地鉄の表面にMg_(2)SiO_(4)(フォルステライト)を主成分とするガラス状皮膜およびその上に無機物の処理液を焼き付けた皮膜(リン酸塩系コーティング)の2層の皮膜を有している。
イ この点について、甲第10号証の2、甲第11号証の1?3には次のことが記載されている。
(ア)甲第10号証の2には、「超高磁束密度一方向性電磁鋼鈑」において「MgOを主成分とする焼鈍分離剤を塗布してから、1200℃で20時間の仕上げ焼鈍を施した。この焼鈍済み鋼板に燐酸塩とコロイダルシリカを主成分とする絶縁皮膜を焼き付け」たこと(【0019】)が記載されている。
(イ)甲第11号証の1には、「方向性電磁鋼板に対しては・・・鋼板表面に生成したSiO_(2)(シリカ)、2FeO・SiO_(2)(ファイアライト)等を主成分とするスケール層と高温で固相反応により、2MgO・SiO_(2)(フォルステライト)を主体とするグラス皮膜を形成し易いMgOを主成分とした焼鈍分離剤が一般に用いられ・・・上記フォルステライトラ主体とするグラス皮膜を下地とし、その上にリン酸塩系皮膜を施す複合皮膜となっている。」(2頁左上欄5?19行)と記載されている。
(ウ)甲第11号証の2には、「方向性電磁鋼板の絶縁皮膜は、通常最終仕上焼鈍時にMgO等の焼鈍分離剤と鋼板表面のSiO_(2)主体の酸化膜との反応で形成されるグラス皮膜(Mg_(2)SiO_(4):Forsterite)と呼ばれる1次皮膜とその上に施されるリン酸塩系の絶縁皮膜となる2次皮膜とからなる。」(2頁右上欄)と記載されている。
(エ)甲第11号証の3には、「方向性珪素鋼板の表面被膜は、高温仕上焼鈍中に形成されるガラス状被膜と、さらにこの上にあるいはガラス状被膜をもたない鋼板に直接に塗布されたリン酸塩被膜からなっているのが普通である。
ガラス状被膜は方向性珪素鋼板の製造工程の高温仕上焼鈍中に焼鈍分離剤であるマグネシアあるいは必要に応じてマグネシアに添加された酸化物と鋼板の表面酸化層との反応によって形成され、主成分として珪酸マグネシウムからなる。リン酸塩被膜はリン酸マグネシウムやリン酸アルミニウムなどの金属リン酸塩の水溶液を塗布し焼付けられたものである。」(2頁3欄14?26行)と記載されている。
ウ これらのことから、「一方向性電磁鋼板」において、表面にMg_(2)SiO_(4)(フォルステライト)を主成分とするガラス状皮膜およびその上に無機物の処理液を焼き付けた皮膜(リン酸塩系コーティング)の2層の皮膜を有することは技術常識といえる。
したがって、甲2条件での上記の2層の皮膜を有することは技術常識といえる。

4)条件D(照射雰囲気)について
ア 甲1条件では「一方向性電磁鋼板」に対するレーザー照射の雰囲気について不明であり、甲2条件では「室温大気中」とされている。
イ ここで、レーザー照射の雰囲気について特に記載がなければ通常は「室温大気中」と考えて差し支え無いと考えられるから、レーザー照射の雰囲気について甲1条件と甲2条件は実質的に同じといえる。

5)条件E(レーザー装置)、条件I(ファイバー径)について
ア 甲1条件では「ファイバコア径10μmの連続波ファイバレーザ装置」を用いるものであるのに対して、甲2条件ではレーザ発振器としてIPG-Ybファイバーレーザ(YLR-300-SM)を連続発振で用いるものであり、ファイバー径は9μmである。
イ ここで、甲2条件のファイバー径はファイバコア径であるかは明らかでないが、電磁鋼板に照射される径には、ファイバレーザの径自体は直接的に関係しないから、レーザー装置とファイバー径について甲1条件と甲2条件は実質的に同じといえる。

6)条件F(照射方向)について
ア 甲1条件では「圧延方向に略垂直方向に線上のレーザ照射を施す」ものであり、甲2条件では「甲第1号証には、『発明者らは、ファイバコア径10μmの連続波ファイバレーザ装置を用いて、各種板厚の一方向性電磁鋼板表面に圧延方向にほぼ垂直方向に線状のレーザ照射を施して鉄損を調べた。』と記載されている。」とされている。
イ 甲2条件のこのような記載は、甲第1号証でのレーザ照射方向を明らかにするだけで、甲2条件でも甲1条件と同じにしたことを明示するものとは言えない。
しかしながら、甲2は、甲1の再現実験を目指すものであることを勘案すれば、レーザ照射方向をあえて甲1と変える理由はなく、上記の甲2の記載は、レーザ照射方向について甲2条件も甲1条件と同じであることを示すものであると理解するのが妥当である。
ウ したがって、レーザ照射方向について、甲1条件と甲2条件は実質的に同じといえる。

7)条件G(レーザー出力)について
ア 甲1条件ではレーザー出力について不明なのに対して、甲2条件では
「26.1?273.3W」の範囲の「出力151.2W」でレーザ照射したとされている。
イ(ア)ここで、請求人は、レーザー照射条件については、甲2条件として、甲第12号証に記載された各条件を技術常識として採用した(請求人の口頭審理陳述要領書9頁末行?10頁初行)と主張しており、また、甲第2号証での「レーザ出力」は技術常識である甲第12号証で指定される範囲に合致し、その選択には合理性があることを説明する陳述書である甲第18号証を提出し、「26.1?273.3W」の出力範囲では、甲第1号証【図2】に示すような挙動を示し、その中心付近で鉄損値が小さくなったから、中心付近の値として151.2Wを採用した(令和1年7月12日付け上申書(2))旨を主張している。
(イ)そこで甲第12号証を見ると、レーザー出力として「10W、 20W、 30W、 32W、40W、 50W、 100W、 200W、 300W、 500W、 800W、 1 kW、 2 kW、 3 kW、 5 kW、 10kW、 20kW、 50kW」が例示されるのみで、「26.1W」「273.3W」「151.2W」は例示されているものではない。
(ウ)また、「26.1?273.3W」の出力範囲では、その中心付近で鉄損値が小さくなったから、中心付近の値として151.2Wを採用したと主張するが、甲12に例示される10w?50kwの範囲中で「26.1?273.3W」の鉄損が小さくなったことを示す証拠は提出されておらず、さらに「26.1?273.3W」の中心値は149.7wであって151.2Wではない。
(エ)さらに、「26.1?273.3W」の出力範囲では、甲第1号証【図2】に示すような挙動を示し、その中心付近で鉄損値が小さくなったと主張するが、甲第1号証【図2】は、上記甲第1号証の記載事項(1シ)に図示するように、同図の横軸においてパラメータηが1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)の範囲にあれば、電磁鋼板の板厚にかかわらず「劣化率」が5%以下になることを意味するもので、鉄損値の幅は0.7?0.882w/kgと幅広く分布しており、レーザー出力範囲の中心で鉄損値が小さくなることを示すものではないから、請求人の上記説明は技術的に意味をなさない。
ウ 以上から、甲2条件として「26.1?273.3W」の範囲の「出力151.2W」でレーザ照射したことは、甲12に記載はなく、甲12から合理的に導けることでもないから、技術常識とみることはできない。

エ なお、甲第1号証の記載事項(1シ)において、【図2】の読み方は、以下のとおりである。
(ア)上記甲第1号証の記載事項(1ア)から、
η={π/8×(w×w)}/(t×PL)であるが、同(1コ)の【図6】より明らかなように、π/8×(w×w)=(1/2)×π(w/2)^(2)(半円の面積)は、t×PL(長方形の面積)より十分に小さいので、ηの値は10^(-x)のオーダーの大きさになると推測される。
(イ)ここで、同図の横軸の目盛りが、1.0E+01?1.0E+06
=10^(1)?10^(6)であるとすると、η=10^(7)?10^(12)となり、これは上記推測と合致しない。
(ウ)そこで、同図の横軸の凡例がη×10E-6=η×10^(-6) であることから、横軸の数値に10^(-6)を乗じると、横軸の目盛りは
1.0E+01 → 10^(-5)
1.0E+02 → 10^(-4)
1.0E+03 → 10^(-3)
1.0E+04 → 10^(-2)
1.0E+05 → 10^(-1)
1.0E+06 → 10^(0)
となり、この目盛りで【図2】(1シ)の横軸を読んで、
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)の範囲について検討する。
(エ)同(1サ)より、
「劣化率」=100×{(到達鉄損-最小鉄損)/最小鉄損}であるから、
【図2】(1シ)から、
板厚0.23mmのとき 最小鉄損0.7w/kg 到達鉄損0.735w/kg
板厚0.27mmのとき 最小鉄損0.75w/kg 到達鉄損0.7875w/kg
板厚0.30mmのとき 最小鉄損0.84w/kg 到達鉄損0.882w/kg
となり、劣化率を計算すれば、何れの板厚の場合にも「劣化率」は5%以下となっていることが理解され、これは同(1ア)の請求項1のηの範囲及び同(1サ)の劣化率の数値と合致する。

8)条件H(照射速度)について
ア 甲1条件ではレーザーの照射速度について不明なのに対して、甲2条件では10000mm/secとされている。
イ そこで甲第12号証をみると、ビームの走査線速度Vは3000?16000mm/secであり、5000mm/secを超える高速操作条件にて特に鉄損改善率が増加すると記載されるから、甲2条件として10000mm/secを採用することはできるものといえる。
ウ したがって、甲2条件でレーザーの照射速度を10000mm/secとすることは技術常識といえる。

9)条件J(レーザー照射径)について
ア 甲1条件では、レーザーの照射径について、レーザビームの集光スポットをその径を変化させられるという記載に止まり、甲2条件ではレーザスポット径として0.15mmとされている。
イ そこで、甲第12号証をみると、0<照射ビームの圧延方向集光径d[mm]≦0.2とされており、0.15mmはこの範囲にあるから、甲2条件としてレーザーの照射径として0.15mmを採用することはできるものといえる。
ウ したがって、甲2条件でレーザーの照射径として0.15mmとすることは技術常識といえる。

10)条件K(レーザーモード)について
ア 甲1条件では、レーザーの照射モードについて不明であり、甲2条件ではシングルモードとされている。
イ 甲第12号証をみると、シングルモードファイバーを用いることで、最低次数での単一モード発信が行われるものとされており、甲2条件としてシングルモードを採用することはできるものといえる。
ウ したがって、甲2条件でレーザーの照射モードをシングルモードとすることは技術常識といえる。

11)条件L(照射間隔)、条件M(照射幅)、条件R(甲1パラメータη)について
ア 甲1条件について(【図4】から)
(ア)「圧延方向のレーザ照射間隔PL」及び「レーザの照射痕幅w」に関して、上記甲第1号証の記載事項(1コ)の【図4】から、「照射ピッチ(=PL)は4mmで固定」(【0022】の【図4】【図5】についての記載を参照)して、板厚0.23mm、鉄損W_(17/50)が0.72w/Kgのときに、照射痕幅w=200μm(=0.2mm)又は15.8μm(=0.0158mm)と読み取れる。
(イ)w=0.2mmとき同(1サ)の
η={π/8×(w×w)}/(t×PL)
={π/8×(0.2×0.2)}/(0.23×4)
=1.71×10^(-2)であり、同(1ア)の
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)
7.0×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2) を満たさない。
(ウ)w=0.0158mmのとき同(1サ)の
η={π/8×(w×w)}/(t×PL)
={π/8×(0.0158×0.0158)}/(0.23×4)
=1.065×10^(-4)であり、同(1ア)の
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)
7.0×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2) を満たさない。
(エ)すなわち、t=0.23mm、w=0.2mm又は0.0158mm、PL=4mmのときに鉄損W_(17/50)=0.72w/Kgであり、ηは規定の範囲にない。

イ 甲1条件について(【図5】から)
(ア)「圧延方向のレーザ照射間隔PL」及び「レーザの照射痕幅w」に関して、上記甲第1号証の記載事項(1コ)の【図5】から、「圧延方向照射幅wは0.1mm固定」(【0022】の【図4】【図5】についての記載を参照)して、板厚0.23mm、鉄損W_(17/50)が0.72w/Kgのときに、照射ピッチ(=PL)2.25mm又は7.53と読み取れる。
(イ)PL=2.25mmのとき同(1サ)の
η={π/8×(w×w)}/(t×PL)
={π/8×(0.1×0.1)}/(0.23×2.25)
=7.58×10^(-3) であり、同(1ア)の
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)
7.0×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2) を満たす。
(ウ)PL=7.53mmのとき同(1サ)の
η={π/8×(w×w)}/(t×PL)
={π/8×(0.1×0.1)}/(0.23×7.53)
=2.27×10^(-3) であり、同(1ア)の
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)
7.0×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2) を満たす。
(エ)すなわち、t=0.23mm、w=0.1mm、PL=2.25mm又は7.53mmのときに鉄損W_(17/50)=0.72w/Kgであり、ηは規定の範囲にある。

ウ 甲2条件について
(ア)「レーザ照射線間隔(RD)」(甲1のPL)が「5mm」、板厚0.23mm(上記a)より)であり、出力151.2Wでレーザ照射した照射幅痕を測定したところ0.12mmであり、このときの鉄損は0.72w/Kgである。
(イ)このときη={π/8×(w×w)}/(t×PL)
={π/8×(0.12×0.12)}/(0.23×5)
=4.92×10^(-3) であり、同(1ア)の
1.3×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2)
7.0×10^(-4)≦η≦1.3×10^(-2) を満たす。
(ウ)すなわち、t=0.23mm、w=0.12mm、PL=5mmのときに鉄損W_(17/50)=0.72w/Kgであり、ηは規定の範囲にある。

エ 甲1条件と甲2条件の対比
以上からすると、板厚0.23mmで、鉄損W_(17/50)=0.72w/Kgになり、ηが甲1の規定の範囲にあるときの照射痕幅wとレーザ照射間隔PL(レーザ照射線間隔RD)は、甲1条件(w=0.1mm、PL=2.25又は7.53mm)と甲2条件(w=0.12mm、PL(=RD)=5mm)で異なる。
すると、甲2条件と甲1条件は異なることが明らかであるから、「圧延方向のレーザ照射間隔PL」及び「レーザの照射痕幅w」について、甲2条件は甲1条件に当たらない。
オ なお、甲第2号証(3頁下から2行?4頁初行)には、「甲第1号証では、照射痕幅に一致する圧延方向照射幅wと鉄損の関係が図4に示されている。照射幅0.12mmのサンプルは鉄損が約0.71W/Kgであり、本実験で作成したサンプルの鉄損と照射幅の関係とほぼ一致している。」と見解が記載され、甲第1号証の【図4】(1コ)からはそのようにみてとれるが、上記のように甲第2号証で計測された鉄損は0.72w/Kgであって、0.71W/Kgではないから、上記見解は妥当でない。

12)条件N(鉄損測定方法)について
ア 甲1条件では鉄損はSST(Single Sheet Tester)測定器でW_(17/50) を測定するものであるのに対して、甲2条件ではレーザを照射したサンプルの磁気特性を、単板測定枠を用いてJIS C 2556に従って測定したものである。
イ(ア)ここで甲第13号証には「電磁鋼板単板磁気特性試験方法」である「JIS C 2556(1996)」について、「Single Sheet Tester」による計測であること(1447頁「序文」)が示され、適用される磁束密度は種々あることが記載(1447頁「1.適用範囲」)されている。
(イ)さらに、甲1条件はW_(17/50) を測定しており、これは「B8 1.7T 50Hzの励磁条件下でのエネルギー損失」(甲第10号証の2【0007】)であるが、甲第2号証は甲第1号証の再現実験を行うものであるので、測定方法がSST(Single Sheet Tester)測定器で行われる点で両者は共通するから、甲2条件もW_(17/50) を測定するものといえる。
(ウ)なお、非公知文献ではあるが、甲第17号証には「磁気測定は60×300mmの単板を用いたJIS C 2556 記載の単板磁気特性試験方法(SST試験法)で行い、W_(17/50)(50Hzで1.7テスラのときの鉄損、単位はワット/Kg)およびB8(800A/mのときの磁束密度、単位はテスラ)を測定した。」(【0015】)と記載されている。
ウ したがって、甲2条件は甲1条件と鉄損測定方法において一致するものといえる。

13)条件O(鉄損)について
ア 甲1条件では鉄損は、板厚0.23mmに対して鉄損W_(17/50)は0.70?0.735W/Kg((1シ)【図2】)、0.7?0.728((1シ)【図3】)が読み取れるのに対して、甲2条件では鉄損は、厚さ0.23mm、出力151.2Wでレーザ照射したサンプルで、磁束密度B8=1.935T 鉄損0.72W/Kgの磁気特性が得られたものであり、甲第14号証で甲第2号証の「鉄損0.72W/kg」は「鉄損W_(17/50)=0.72W/kg」の意味であることを説明しているので、これは甲1条件の範囲内の鉄損が得られていることにあたるといえる。
イ したがって、甲2条件は甲1条件と鉄損の値において一致するものといえる。

14)条件P(鋼板厚さ方向応力測定)、条件Q(応力値)について
ア 甲1条件では、鋼板厚さ方向応力測定は行っておらず、その応力値の記載も無いのに対して、甲2条件では、甲第1号証に記載された技術手段を再現実験して、その結果の効果として、本件発明と同様の鋼板厚さ方向応力が存在するかを確認するから、当該応力値を計測するために、本件明細書【0025】に記載されたX線回折法および歪みスキャニング法による鋼板厚さ方向応力測定の方法に従うことは当然のことといえる。
イ したがって、鋼板厚さ方向応力測定によりその応力値を得ることは、甲1条件とされていないが、甲第1号証に記載の技術手段が本件発明にあたることを確認するために必要な要件であり、甲2条件として必要なものといえる。
なお、測定された応力値は本件発明のそれに対応している。

15)条件S(レーザー照射径と甲12の条件)について
ア 甲1条件ではレーザースポット径の記載はないのに対して、甲2条件ではレーザスポット径として0.15mmを採用し、甲2で採用されるレーザースポット径0.15mmが甲12の「照射ビームの圧延方向集光径d[mm]」である(請求人口頭審理陳述要領書9頁11?13行)としている。
イ ここで甲第12号証には、「照射ビームの圧延方向集光径d[mm]」について0<d[mm]≦0.2(請求項1)であることが示されており、
2条件のd=0.15mmはこの範囲に入るものである。
したがって、甲2条件でレーザースポット径として0.15mmとすることは技術常識といえる。

16)条件T(P/Vと甲12の条件)について
ア 甲1条件ではレーザー出力Pとレーザーの照射速度Vとの関係について規定しないのに対して、甲2条件ではレーザー出力P=151.2W(上記7)参照)、レーザーの照射速度V=10000mm/sec(上記8)参照)としている。
イ ここで、甲第12号証には、レーザーの平均出力P[W]、レーザービームの走査線速度V[mm/sec]に対して、
0.001≦P/V≦0.012(請求項1)であることを要求することが記載されている。
すなわち、甲2条件であるレーザー出力P=151.2W、レーザーの照射速度V=10000mm/secが技術常識といえるためには、
0.001≦P/V≦0.012が満たされなければならない。
しかしながら、P/V=151.2/10000=0.01512であり、0.012<0.01512であるから、甲2条件は当該式を満たさない。
ウ したがって、甲2条件であるレーザー出力P=151.2W、レーザーの照射速度V=10000mm/secは技術常識とはいえない。

4.甲第2号証による甲第1号証の再現性についての結言
(1)以上から、少なくとも、上記「3.(2)」の、7)条件G(レーザー出力)、11)条件L(照射間隔)、条件M(照射幅)、条件R(甲1パラメータη)、16)条件T(P/Vと甲12の条件)において、甲1条件と甲2条件とは相違し、又は、甲1条件にない甲2条件は技術常識とまでいえない。
したがって、上記「1.要件C)」について検討するまでもなく、甲第2号証は甲第1号証を再現実験したものとはいえない。

(2)なお、技術常識というためには、上記「3.(2)」の2)3)でみたように複数の文献に同様の内容が記載されていることが少なくとも必要であるから、そもそも甲第12号証だけの記載をもって電磁鋼板におけるレーザ照射条件(上記「3.(2)」の7)?11)、15)、16)の検討)の技術常識であるとすること自体が、甲第2号証の実験条件を説明するのに都合のよい記載のある文献を選択した恣意的なものであるとの指摘を受けてもやむをえないものといえる。
上記「3.(2)」の1)?16)の検討では、仮に、甲第12号証の記載が電磁鋼板におけるレーザ照射条件の技術常識であると仮定して検討したが、それでも上記のように、甲1条件と甲2条件とが相違し、又は、甲1条件になく甲2条件で存在する条件が技術常識といえない場合が存在するのであるから、甲第2号証は甲第1号証の再現実験とはいえないと判断される。

5.本件発明1及び3の甲第1号証に記載された発明からの容易想到性について
(1)上記のとおり、甲第2号証による甲第1号証の再現実験は認められないから、甲第1号証に記載された発明は、上記甲第1号証の記載事項(1ア)(1サ)から、請求項1又は請求項2に記載のものであり、同項に記載されたηの範囲になるような「板厚」「t(mm)」、「圧延方向幅」「w(mm)」、「照射間隔」「PL(mm)」の組合せであれば、「劣化率」「(到達鉄損-最小鉄損)/最小鉄損×100%」を「劣化率」「4」ないし「5%以内」に保つことができるという効果を奏するものである。
すると、甲第1号証に記載の発明も、同号証の記載も、「板厚内部の板厚方向に対する応力こそが、磁区細分化発生の芽であることに着目し、その応力の最大値を制御することにより、磁区細分化を効率良く促進させ、一方向性電磁鋼板の鉄損を低減する技術思想」(本件明細書【0021】)について開示するものではない。
(2)また、他の甲各号証についても、上記で言及した文献は当該技術思想について開示するものではなく、上記で言及しなかった文献についても、以下のように当該技術思想について開示するものではない。

○甲第3号証(後述)
○甲第4号証(後述)
○甲第5号証
甲第5号証には、電磁鋼板おいて、「機械的方法、エネルギー照射的方法、電気的方法及び化学的方法のいずれかにより局部的欠陥導入部及びその周辺部に鋼板面垂直方向成分の残留応力を存在せしめ、その局部的欠陥導入部の中心から300μm以内の鋼板面垂直方向成分の残留応力が6MPa以上である」(【請求項8】)ようにすると、鉄損を抑制出来ることが記載されている。
しかしながら、「鋼板面垂直方向成分の残留応力」の測定について「本発明で鋼の被膜張力の測定法の一例を述べる。これは一般的に行われているように、鋼板の片側面の被膜のみを剥離あるいは溶失させて、その際の鋼板の反り量から弾性学的計算で被膜張力を推定する方法である。」(【0032】)と記載されており、計測されるのは「鋼の被膜張力」であり、「鋼板の板厚内部」における「板厚方向に対する応力」ではなく、また、当該張力は「鋼板の反り量から弾性学的計算」に基いて算出されることからも、甲第5号証に記載の発明は「鋼板の板厚内部」の応力を求めるものでないことは明らかである。
○甲第6号証
甲第6号証には、「鋼板表面に形成された引張弾性応力と塑性歪からなる歪領域のうち、圧延方向の引張残留応力の最大値が70?150MPaであり、かつ、塑性歪の圧延方向の範囲が0.6mm以下であることを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。」(【請求項1】)であれば鉄損を抑制出来ることが記載されている。
しかしながら、「引張残留応力の最大値」の測定について「本発明において前記鋼板表面に形成された圧延方向の引張残留応力の最大値は、例えば単結晶X線応力解析法(例えば須山、大谷、吉岡:材料、48(1999)、P.372参照)を用いて圧延方向の残留応力(弾性歪)を測定し、その最大値から求めることができる。」(【0023】)と記載されており、計測されるのは「鋼板表面に形成」された「引張弾性応力」であり、「鋼板の板厚内部」における「板厚方向に対する応力」ではなく、また、当該応力は「単結晶X線応力解析法」に基いて計測され、この解析法はX線を照射して回折線を検知して解析するものだから、鋼板内部の応力まで計測するものではないことからも、甲第6号証に記載の発明は「鋼板の板厚内部」の応力を求めるものでないことは明らかである。
○甲第7号証の1?4
甲第7号証の1?4には、大出力レーザーの水中照射により金属材料の溶接部の応力状態を引張から圧縮に変換するレーザーピーニング技術について記載されており、磁性鋼板の鉄損抑制技術について記載はない。
○甲第8号証
甲第7号証の2、甲第7号証の3の公知日について記載するのみである。
○甲第9号証
甲第9号証は、本件の審査段階での拒絶理由通知であり、本件発明は甲第5号証(特開平8-67913号公報)に記載された発明から容易に発明をすることができる旨記載するが、甲第5号証については上記のとおりであり、当審の見解とは関係がない。
○甲第15号証、甲第16号証
甲第15号証は、本件の審判段階でのサポート要件と実施可能要件についての不備を指摘する拒絶理由通知であり、甲第16号証は当該拒絶理由通知に対する意見書であり、本件発明の容易想到性について関係しない。

6.無効理由1についての結言
以上から、本件発明1及び3は、甲第1号証に記載された発明ではないので、特許法第29条第1項第3号に該当せず、特許を受けることができないものとはいえず、また、甲第1号証に記載された発明に基いて容易に発明をすることができたものとはいえないから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものとはいえず、それらの特許は同法第123条第1項第2号に該当せず、無効とすべきものとはいえない。

第5 無効理由2について
1.総論
上記「第3 1.」でみたように、無効理由2の概要は、甲第4号証で、甲第3号証に記載された発明についての再現実験を行い、その結果として本件発明1及び3の発明特定事項を全て備えることを確認できたので、本件発明1及び3は甲第3号証に記載されているとするものである。
無効理由2が成立するためには、次の要件を満たす必要がある。
要件A)本件発明と甲第3号証に記載の技術手段とが、同様の技術内容のものであり、甲第3号証に記載の技術手段が再現実験された場合に、奏される効果が本件発明の奏する効果と同様であって、本件発明は甲第3号証に記載されているといえる可能性があること。
要件B)甲第3号証の再現実験(甲第4号証)を実施するに際して、甲第4号証の実験条件(以下、「甲4条件」という。)と甲第3号証に記載の実験条件(以下、「甲3条件」という。)とが一致しているか、実験を行う上で必要だが甲3条件として記載されていない甲4条件について、それが技術常識であること。
要件C)また、甲3条件として記載されていない甲4条件が複数存在し、それらの各々はそれぞれ個別に技術常識であるといえても、それらを組み合わせることも技術常識であるとまではいえない場合には、甲3条件として記載されていない複数の甲4条件は全体として技術常識とはいえないから、甲第4号証の実験は甲第3号証の実験の再現実験とはいえない。
そこで、以下では、甲3条件と甲4条件とを比較してその異同を確認し、甲3条件として記載されていない甲4条件として採用したものについて技術常識といえるかを確認し、それらが複数ある場合には、その組合せが可能かについても検討する。

2.甲第3号証の記載
甲第3号証には次のことが記載されている。なお、下線は当審で付与した。
(3ア)「1.電気用シート製品のコアロス特性を改善するための、以下の内容を有する方法:
シートの形状を実質的に変化させずに、ストリップの製造方向を実質的に横切る非処理領域によって隔てられた、狭く実質的に平行な処理領域の帯をつくるために、シートの少なくとも一つの面が電子ビーム処理され;
この電子ビーム処理は、前記面を損うことなく磁区壁の間隔を微細化(refinement)し、かつコアロスを減少するのに十分なエネルギー密度を与えるものである。」(特許請求の範囲)

(3イ)「(1)産業上の利用分野
本発明は、電気用のシート状又はストリップ状製品の表面を加工して、コアウス性を減少させるように磁区の大きさを変える方法に関するものである。特に本発明は、電子ビーム処理によって電気用鋼の表面に局部歪を付与し、表面皮膜に損傷を与えずに又は形状に変化を与えずにコアロスを改善する方法に関するものである。」(2頁下から2行?同頁左下欄6行)

(3ウ)「結晶粒配向珪素鋼は、一般に電カトランス、配電トランス、発電機などの電気機器に用いられている。この種の用途における珪素鋼はその磁区構造及び抵抗によって、与えられる交番磁界に対して「コアロス」と呼ばれるある程度のエネルギー損失を生じる。従って、このような用途に用いられる鋼はコアロス値の小さいことが望まれる。」(2頁右下欄13?19行)

(3エ)「非晶質材料や特に結晶粒配向珪素鋼のような電気用鋼の磁区サイズすなわちコアロス値は、表面に局部歪を与えるような何らかの工程を経ることによって小さくなることが知られている。このような工程は一般に「ケガキ(scribing)」又は「磁区微細化」(domain refining)と呼ばれることがあり、最終の高温焼鈍工程の後に行われる。」(3頁右上欄3?9行)

(3オ)「いま必要とされているのは、電気用シート製品の磁区細分化処理を、シート上の絶縁皮膜やミルガラスのような皮膜を破壊せず、かつシートの形状を実質的に変化させずに行うための方法及び装置である。更にその方法及び装置は、高透磁率形及び普通彩画結晶配向珪素鋼、並びに非晶質タイプの電気用材料のいずれの処理に対しても適するものでなければならない。」(3頁右下欄14行?4頁左上欄1行)

(3カ)「本発明では、最終焼鈍された磁区構造を持つ電気用シート又はストリップのコアロスを改善する方法が提供される。その方法は、当該シートの少なくとも一表面を電子ビームにて処理し、シート製造方向を実質的に横切る方向の非処理域によって隔てられる、処理領域としての狭く実質的に平行な帯を形成するものである。また当該電子ビーム処理は、シートの形状変化やシート皮膜の損傷を生じることなく磁壁間隔を細分化するに足りる線エネルギー密度を持つものである。」(4頁左上欄4行?13行)

(3キ)「市販の電子ビーム発生装置では、通常約10^(-4)Torr以下の高真空下で径4?16ミルのビームを発生できる。通常の電子ビームは楕円形又は円形のスポット焦点を結ぶが、他の焦点形状の方が適切なことも期待できる。ビーム焦点のスポットサイズによって、狭い照射又は処理領域の幅が決まる。特に注記しない限り、この開発研究で用いた本発明の開発においては、電子ビームスポットサイズは5ミル(当審注:127μmである)で一定とした。」(4頁右下欄18行?5頁左上欄6行)

(3ク)「溶接や切断に用いられる電子ビーム発生装置では、加工材上に焦点を結ぶビーム及びスポットの大きさや幅を制御するために、少なくとも部分真空内で発生され使用されなければならない。本発明の開発に当たっては、このような市販装置を改良して使用した。」(4頁右上欄10?15行)

(3ケ)「これら磁気材料は、製造過程で表面に形成される酸化皮膜、フォルステライト皮膜、絶縁皮膜、ミルガラス、塗布された皮膜、又はこれらの組み合わされた皮膜を有する。ここで用いられる「皮膜」とは、これらの皮膜を指す。」(5頁右上欄13?17行)

(3コ)「本発明の開発過程では代表して、次に例示する組成の3種類の鋼試料を用いた。2種類は結晶粒配向珪素鋼、1種類は非晶質鋼であり、次の初期公称成分を持つ。

鋼1は普通形結晶粒配向珪素鋼、鋼2は高透磁率形結晶粒配向珪素鋼、鋼3は磁性非晶質鋼である。(普通、非晶質材料はその組成を原子パーセントで表す。鋼3の公称組成は77?80Fe、13?16Si、5?7B原子パーセントである。)以下特に示さない限り、組成範囲はすべて重量パーセントである。」(5頁左下欄8行?同頁右下欄3行)

(3サ)「脱炭工程と高温の最終組織焼鈍との間に、酸化マグネシウムを初期成分とする耐火性酸化物皮膜が施され、この皮膜は焼鈍によって鋼表面にフォルステライト皮膜を形成する。鋼1及び2は、初めは上記の公称成分を持っているが、最終組織焼鈍の後はC、N及びSは約0.001%以下のトレースまで減少する。」(5頁右下欄9?15行)

(3シ)「実施例1
本発明における磁区細分化の効果を明示するため、鋼2と同様の組成を持つ珪素鋼が溶解され、鋳造され、熱間圧延され、必要に応じ中間焼鈍を付して最終寸法9ミルまで冷間圧延され、脱炭され、MgO焼鈍分離皮膜を施して最終組織焼鈍され、加熱平坦化され、そして応力付与被覆が付された。」(6頁左上欄1?8行)

(3ス)「実施例3
更に別の例として、鋼1の代表的組成を持つ普通形結晶粒配向珪素鋼に対する磁区細分化の実験を行った。各試料は、公称寸法7ミル又は9ミルの普通形結晶粒配向珪素鋼製作に必要な変更以外は実施例1と同様の方法で調製され、第III表に示した実験条件で処理し、3mm間隔の平行な処理帯域を形成した。磁気特性はすべてエプスタインパックによる結果である。磁区の構造は第4図の6×微鏡写真に示されており、典型的な磁区細分化と処理域の平行な帯が観察される。
第III表のデータは、普通形結晶粒配向珪素鋼の電子ビーム磁区細分化によって、7ミル材料のコアロスが1.5Tで約5%から1.7Tで約10%まで減少できることを示している。9ミル材料のコアロスは、1.5Tで約6%から1.7Tで、約9%まで減少した。磁区細分化処理の結果、全試料とも変形や曲がりは無視できる程度で、いずれも皮膜の破壊や損傷は観察されなかった。
第III表の結果を得る前に、鋼1の9ミルストリツプについて、ビーム条件150kV、0.75mAで磁区細分化に及ぼす走査速度の影響を調査した。
線エネルギー密度0.22?0.75J/inの範囲の処理でストリップの磁区イメージを比較した結果、この条件下で有効な磁区細分化の限界は0.3J/inであるらしいことが示された。磁区イメージによれば、この条件で電子ビーム処理を行うと約3mm間隔の磁区細分化の得られることが示された。


3.甲3条件と甲4条件の対比
(1)上記「1.要件A)」について
本件発明は「一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分けて、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪および応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供するものである」(【0011】)ところ、実施例ではレーザー照射法を用いるが、特に限定されない(【0023】)手段により、「磁区細分化」という磁区制御を行って鉄損を改善するものである。
他方で、甲第3号証に記載の技術手段は、上記の記載事項(3イ)?(3オ)から、表面皮膜を有する結晶粒配向珪素鋼(電磁鋼板)に「ケガキ(scribing)」(「磁区細分化」)を施すとコアロス(鉄損)が小さくなるが、皮膜を破壊したくないので、電子ビーム処理によって磁区細分化を行って鉄損を改善するものである。
したがって、両者は、エネルギー線の照射による磁区制御を行い、鉄損の改善された電磁鋼板を得るものである点で同様の技術手段といえる。

(2)上記「1.要件B)」について
甲第3号証の再現実験を行い、甲第3号証の技術手段は本件発明と同様に「板厚内部」についての磁区制御まで行えていることを確認し、本件発明は甲第3号証に記載されていることを立証しようとしたのが甲第4号証である。
しかし、当該立証のためには、上記「1.要件B)」のとおり、甲3条件と甲4条件とが一致しているか、甲3条件になく、甲4条件で存在する条件については、それが技術常識といえることを要する。
そこで以下にこの点を検討する。
次の表は、甲3条件と甲4条件を対比して記載したものである。
なお、甲第4号証の記載事項の摘示は、同表の記載をもって行う。

上記表より、各条件毎に甲3条件と甲4条件とを対比する。

1)条件A(鋼板厚さ)について
3条件では電磁鋼板の板厚は9ミル(0.2286mm)であるのに対して、甲4条件では0.23mmであるので、これは実質的に同じ厚さといえるから、甲4条件は、鋼板の厚さについて、甲3条件に一致するといえる。

2)条件B(鋼板成分含有量)について
ア 甲3条件では、甲第3号証の記載事項(3ス)から「鋼1」の成分組成を持つ普通形結晶粒配向珪素鋼である実施例3の第III表の厚さ9ミル(D7-86839)の鋼板に着目すると、同鋼板の成分組成は、同(3コ)の表にある「鋼1」の組成となるが、同(3サ)から同成分組成は最終焼鈍後にC、N、Sが約0.001%以下のトレースにまで減少したものである。
イ 一方、甲4条件では、甲第4号証の1頁下から11?10行に実験に用いた鋼板の成分組成が記載されている。
以下に、それぞれの鋼板の成分組成を記す。

<甲3条件の鋼板の成分組成> <甲4条件の鋼板の成分組成>
C 0.001wt%以下 C 0.002wt%以下
N 0.001wt%以下 N 0.001wt%以下
Mn 0.07wt% Mn 0.07wt%
S 0.001wt%以下 S 0.001wt%以下
Si 3.15wt% Si 3.4wt%
Cu 0.22wt% Cu 0.12wt%
Fe 残部 Fe 残部

ウ ここで、一般に、合金は、所定の含有量を有する合金元素の組み合わせが一体のものとして技術的意義を有するのであって、所与の特性が得られる組み合わせについては、実施例に示された実際に作製された具体的な合金組成を考慮してはじめて理解され、合金を構成する元素が同じであっても配合量や製造方法に差違があれば、金属組織が異なり性質が異なることになり、それらは予測が困難である、という技術常識があるといえる。
この点について必要なら例えば次の裁判例を参照されたい。
○平成29年(行ケ)第10121号(判決書47?48頁)
○平成23年(行ケ)第10100号(判決書28?29頁)
○平成24年(行ケ)第10151号(判決書16頁)
すなわち、配合量も含めた個々の合金元素の具体的な組み合わせである合金組成、又は、製造方法が異なれば、製造された合金は、金属組織が異なり性質が異なるものとなり、単に合金組成が同じであったり、あるいは、製造方法が同じであるということだけでは、製造される合金が、同一の合金になるとは限らない。

エ そこで、本件について上記技術常識に照らして検討すると、甲3条件の鋼板の成分組成と、甲4条件の鋼板の成分組成とは、少なくともC、Si、Cuの成分量において明確な差違があり、特に電磁鋼板におけるSi含有量が鉄損に影響することはよく知られていることを考え併せると、甲3条件の鋼板と甲4条件の鋼板とが電磁鋼板という合金として同一のものであるということはできない。
オ この点で請求人は、甲3条件の鋼板の成分組成と、甲4条件の鋼板の成分組成との相違に関して、審判請求書(19頁)の鋼板組成について論じた箇所で言及せず、口頭審理陳述要領書(13頁)で「概ねにおいて一致している」と主張し、口頭審理においては、製造している製品の甲第3号証の鋼板と同じ成分組成のものがなく、新たに製造することも困難であることから、近似する成分組成の製品を甲第4号証での実験対象の鋼板として選択した旨を述べている。
しかしながら、上記のように甲3条件の鋼板の成分組成と、甲4条件の鋼板の成分組成とが相違し、両者が電磁鋼板という合金として同一のものであるといえないことは明らかであるから、実験に使用された電磁鋼板について、鋼板成分含有量が相違するので、甲4条件は鋼板の組成について甲3条件にあたらない。

3)条件C(鋼板表面被覆)について
ア 甲3条件では、同(3ス)から実施例3では「各試料は、公称寸法7ミル又は9ミルの普通形結晶粒配向珪素鋼製作に必要な変更以外は実施例1と同様の方法で調製され」るものであることを基礎にする。
すると、同(3シ)の実施例1では「MgO焼鈍分離皮膜を施して最終組織焼鈍され・・・そして応力付与皮膜が付され」ており、同(3サ)から「酸化マグネシウムを初期成分とする耐火性酸化物皮膜が施され、この皮膜は焼鈍によって鋼表面にフォルステライト皮膜を形成する。」ので、甲3条件では、鋼表面に、フォルステライト皮膜、その上に「応力付与皮膜」が付与されているといえる。
イ(ア)ここで、甲第11号証の1には、「一般には、上記フォルステライトを主体とするグラス皮膜を下地とし、その上にリン酸塩系皮膜を施す複合皮膜となっている。方向性電磁鋼板の皮膜として要求される機能、特性としては、
(1)外観が均一であること。
(2)密着性に優れていること。
(3)占積率の低下による変圧器鉄損の劣化を生じないこと。
(4)電気絶縁性、耐熱性に優れていること。
(5)鋼板に張力を付与して、鉄損、磁歪特性を改善すること。
等が挙げられる。これら、方向性電磁鋼板の皮膜として要求される機能、特性のうち、外観・密着性・占積率等は下地であるグラス皮膜によって主に決定され、グラス皮膜の良否が製品の商品価値に及ぼす影響は極めて大きい。」(2頁左上欄17行?同頁右上欄12行)と記載されており、同記載から、「フォルステライトを主体とするグラス皮膜」の上層である「リン酸塩系皮膜」は「鋼板に張力を付与」するのに寄与するといえる。
(イ)また、上記「第4 3.(2)3)」でみたように、フォルステライトを主成分とするガラス状皮膜およびその上に無機物の処理液を焼き付けた皮膜(リン酸塩系コーティング)の2層の皮膜を有することは技術常識であることを考え併せれば、上記「応力付与皮膜」は、リン酸塩系コーティングであるということができる。
(ウ)したがって、甲3条件の鋼板表面被覆は、鋼表面に、フォルステライト皮膜、その上にリン酸塩系コーティングが施されているものといえる。
ウ 一方、甲4条件は、「地鉄の表面にMg_(2)SiO_(4)(フォルステライト)を主成分とするガラス状皮膜およびその上に無機物の処理液を焼き付けた皮膜(リン酸塩系コーティング)の2層の皮膜」である。
よって、甲4条件は、鋼表面に、フォルステライト皮膜、その上にリン酸塩系コーティングを有するものであることについて、甲3条件に一致する。

4)条件D(照射雰囲気)について
ア 甲3条件では、電子ビームは、同(3キ)から「通常約10^(-4)Torr以下の高真空下で径4?16ミルのビームを発生できる」ものであり、同(3ク)から「少なくとも部分真空内で発生され使用されなければならない」ものであるので、真空中で使用されるものといえる。
イ 一方、甲4条件では、電子ビームを「真空中において」使用するものである。
したがって、甲4条件は、電子ビームを真空中で使用することについて、甲3条件に一致する。

5)条件E(電子ビーム装置)について
3条件では「市販装置を改良して使用」するものであるのに対して、甲4条件では特に規定しないが、電子ビームを発生できればいかなる装置を用いるかは問うものでないといえるので、甲4条件は、電子ビーム装置について、実質的に甲3条件に一致する。

6)条件G(電子ビーム出力)、条件H(照射速度)について
ア 甲3条件は、同(3ス)の第III表のD7-86383(厚さ9ミル)のもので、電子ビームについて、電流0.75mA、電圧150kv(出力 0.75×150=112.5w)、照射速度250ips(=250[in/sec]×25.4[mm/in]=6350[mm/sec])である。
イ これに対して、甲4条件は、電子ビームについて、加速電圧:150kv、ビーム電流:0.75mA、走査速度:6.4m/sec(=6400mm/sec)であるから、甲4条件は、電子ビームの加速電圧及び電流(出力)と照射速度について、甲3条件に一致する。

7)条件J(ビーム径)について
3条件では、鋼板に照射されている電子ビームスポットサイズが5ミル(0.127mm)であるのに対して、甲4条件では、ビーム径が0.12mm、電子ビーム焦点のスポットサイズが5ミル(0.127mm)とあり、周知のビームエキスパンダ等によりビーム径を電子ビーム焦点のスポットサイズに拡大していると考えるのが妥当だから、結果として、甲4条件は、鋼板に照射されいる電子ビームスポットサイズについて、甲3条件に一致する。

8)条件L(照射間隔)について
3条件では、鋼板が3mm間隔の平行な処理帯域を有するので、鋼板に照射されている電子ビームは3mm間隔で照射されているものであるのに対して、甲4条件では、圧延方向に対する照射線間隔が3mmなので、甲4条件は、電子ビームの照射間隔について、甲3条件に一致する。

9)条件N(鉄損測定方法)について
3条件では、磁気特性はすべてエプシュタインパックによる結果であり、これはエプシュタイン枠を用いる測定であるのに対して、甲4条件では、磁気特性を、25cmエプスタイン枠を用いてJIS C 2550-1に従って測定するものだから、甲4条件は、鉄損測定方法について、実質的に甲3条件に一致する。

10)条件O(鉄損)について
ア 甲3条件、甲4条件は、共に鉄損をW_(17/50)として計測した値を記載せず、W_(15/60)[mWPP]とW_(17/60)[mWPP]を電子ビーム線照射の前後で計測してその鉄損改善率を計算して記載している。
ここで、
60Hzで交番する1.5Tの磁束密度での鉄損W_(15/60)[mWPP]
60Hzで交番する1.7Tの磁束密度での鉄損W_(17/60)[mWPP]
である。

イ 甲3条件では、甲3の第III表のD7-86839(厚さ9ミル)について、同表の「60Hzのコアロス」において「基準値」(電子ビームが照射されない従来のもの)から「処理後」(電子ビーム照射後)への改善状態を「コアロス改善率[%]」(甲4の「鉄損改善率[%]に一致する)として記載されている。
その導出をたどると、次のようになる。

D7-86839 W_(15/60) W_(17/60)
基準値[mWPP] 430 630
処理後[mWPP] 401 576
コアロス改善率[%] 6.7(6.744) 8.6(8.571)

(コアロス改善率%)=100×{(基準値)-(処理後)}/(基準値)

○W_(15/60)について
(コアロス改善率[%])=100×(430-401)/430=6.744[%]
○W_(17/60)について
(コアロス改善率[%])=100×(630-576)/630=8.571[%]
ウ 甲4条件では、表2 本実験サンプルの鉄損特性(4頁)に「鉄損改善率(%)」として記載されているが、その導出をたどると、次のようになる。

W_(15/60) W_(17/60)
電子ビーム照射前[mWPP] 379 509
電子ビーム照射後[mWPP] 356 459
鉄損改善率[%] 6.1(6.069) 9.8(9.823)

(鉄損改善率[%])=100×{(照射前)-(照射後)}/(照射前)

○W_(15/60)について
(鉄損改善率[%])=100×(379-356)/379=6.069[%]
○W_(17/60)について
(鉄損改善率[%])=100×(509-459)/509=9.823[%]

エ 甲3条件と甲4条件を比較すると、次のようになる。

W_(15/60) W_(17/60)
3条件 コアロス改善率[%] 6.744 8.571
4条件 鉄損改善率[%] 6.069 9.823

オ これらの数値について請求人は、甲3条件と甲4条件は鉄損改善率において「同レベルである」(甲第4号証4頁7行)と主張する。
しかし、甲3条件と甲4条件とで、
W_(15/60)では100×(6.744-6.069)/6.744=10.0[%]、
W_(17/60)では100×(9.823-8.571)/9.823=12.7[%]も数値が相違しており、これを「同レベル」であるというための根拠は考え難い。
カ すると、W_(15/60)、W_(17/60)という複数の条件下で、甲3条件と甲4条件とで共に10%以上異なる鉄損改善率の数値が計測されたという事実からみて、電子ビーム照射条件は甲3条件と甲4条件とで同じである(上記1)、3)?9))のに、甲3条件と甲4条件とで鋼板の成分組成のみ相違(上記2))することが原因となって、電子ビーム照射による生じた鉄損に差違が生じたとみることが妥当といえる。
そうすると、甲4条件は、鉄損改善率について、甲3条件に一致しない。

11)条件P(鋼板厚さ方向応力測定)、条件Q(応力値)について
ア 甲3条件では、鋼板厚さ方向応力測定は行っておらず、その応力値の記載も無いのに対して、甲4条件では、甲第3号証に記載された技術手段を再現実験して、その結果の効果として、本件発明と同様の鋼板厚さ方向応力が存在するかを確認するから、当該応力値を計測するために、本件明細書【0025】に記載されたX線回折法および歪みスキャニング法による鋼板厚さ方向応力測定の方法に従うことは当然のことといえる。
イ したがって、鋼板厚さ方向応力測定によりその応力値を得ることは、甲3条件とされていないが、甲第3号証に記載の技術手段が本件発明にあたることを確認するために必要な要件であり、甲4条件として必要なものといえる。
なお、測定された応力値は本件発明のそれに対応している。

4.甲第4号証による甲第3号証の再現性についての結言
以上から、少なくとも「上記3.(2)」の、2)条件B(鋼板成分含有量)、10)条件O(鉄損)において、甲3条件と甲4条件とは相違している。
したがって、上記「1.要件C)」について検討するまでもなく、甲第4号証は甲第2号証を再現実験したものとはいえない。

5.本件発明1及び3の甲第3号証に記載された発明からの容易想到性について
(1)上記のとおり、甲第4号証による甲第3号証の再現実験は認められないから、甲第3号証に記載された発明は、上記甲第3号証の記載事項(3ア)から、特許請求の範囲1に記載のものであり、同項に記載された「電子ビーム処理」の条件を調節することにより、同(3イ)?(3オ)に記載されるように、鋼板表面の表面皮膜を損傷せずにコアロスを低減できるという効果を奏するものである。
すると、甲第3号証に記載の発明も、同号証の記載も、「板厚内部の板厚方向に対する応力こそが、磁区細分化発生の芽であることに着目し、その応力の最大値を制御することにより、磁区細分化を効率良く促進させ、一方向性電磁鋼板の鉄損を低減する技術思想」(本件明細書【0021】)について開示するものではない。
(2)また、他の甲各号証についても、当該技術思想について開示するものではない。(上記「3.」、「第4」特に「第4 5.」参照)
(3)したがって、本件発明1及び3は、甲第3号証に記載された発明に基いて容易に発明をすることができたものとはいえない。

6.無効理由2についての結言
以上から、本件発明1及び3は、甲第3号証に記載された発明ではないので、特許法第29条第1項第3号に該当せず、特許を受けることができないものとはいえず、また、甲第3号証に記載された発明に基いて容易に発明をすることができたものとはいえないから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものとはいえず、それらの特許は同法第123条第1項第2号に該当せず、無効とすべきものとはいえない。

第6 無効理由3について
1.サポート要件適合性について
特許法第36条第6項第1号に規定されるサポート要件適合性については、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである、と解される。
(知的財産高等裁判所 平成17年(行ケ)第10042号を参照。)

2.本件におけるサポート要件について
(1)本件発明の解決すべき課題
そこで検討するに、本件発明の解決すべき課題は、「【0011】本発明は、一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分けて、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪および応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供する」こと(以下、「本件課題」という。)である。

(2)本件発明の作用機序
ア 本件課題を解決する手段により本件課題が解決できる機序について、本件明細書には以下の記載がある。
「【0020】
一方、本発明では、図3の概念図に示すように、板厚の内部の板厚方向に対して引張り応力あるいはそれに一致する歪を局所的に導入している。その結果、上述の電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギーは、応力σは張力なので正となり、磁化は、応力の向き、すなわち板厚方向に向く方がエネルギー的に安定となる。その結果、得られる磁区構造は、図4に示すように、圧延方向に対して垂直向きの磁化分布、すなわち、還流磁区が形成され、その結果鋼板全体の磁区の再構成が促進され、180度磁区幅の細分化、すなわち渦電流損が低減する。本発明は、上記の磁区解析結果を踏まえ、鋼板の板厚内部の板厚方向に対して引張り応力あるいはそれに一致する歪を局所的に導入することにより、一方向性電磁鋼板の鉄損を飛躍的に低減するものであり、従来とは異なる技術思想に基づいている。」
「【0030】
図5に示されているように、引張り応力の最大値が、300MPaを超える付近から鉄損が増加している。これは、引張り応力の最大値が大きくなると、塑性域が増加するため、磁壁がその塑性域にピンニングされ、ヒステリシス損が増加するものと考えられる。そのため、鋼板内部における板厚方向の引張り応力を導入することにより、磁区細分化、すなわち渦電流損は低減するものの、ヒステリシス損が増加するため、渦電流損とヒステリシス損を加えた全損失が低減しない。一般に、応力状態が弾性域から塑性域に大きく変わる点は素材の降伏応力により規定できる。素材の降伏応力は組成に依存するが、例えば、Fe-3%Siの組成を持つ一方向性電磁鋼板の降伏応力は、約350MPaであるので、図5における鉄損が増加した応力値とほぼ傾向が一致する。」
イ 上記【0020】【0030】の記載によれば、板厚方向に引張り応力を導入すれば、180度磁区の細分化が起こり渦電流損が軽減し、鉄損が減るものであるが、引張り応力が大きすぎると塑性域が増加してヒステリシス損が増えるから、弾性域から塑性域にかわる素材の降伏応力を引張り応力の上限とするものであることが理解される。
ウ したがって、本件課題を解決する手段は、「板厚方向に鋼板素材の降伏応力値以下の範囲で引張り応力を導入すること」であり、本件発明1における引張り応力の下限は特定条件下の実験により求められた40MPaであるとしても、課題解決手段は上記のとおりであるから、上記下限が40MPaであっても引張り応力を導入するものである以上、本件課題は解決するから、サポート要件は満たされているといえる。
エ また、本件明細書【0031】【0032】には、本件課題は上記課題解決手段により解決できるが、さらに以下の条件を規定することにより、安定して鉄損特性を改善できる旨が記載されており、この記載を受けて、同【0035】?【0037】には、板厚方向に引張り応力が存在する領域のそれぞれが隣り合う間隔が大きくなると磁壁エネルギーが増加してしまい磁区細分化作用が減少し鉄損が十分に低減できないという機序から、上記間隔を特定の条件下の実験から求めた7.0mm以下とすることで、鉄損得性が安定して低減することが記載されているところ、以上の記載に照らせば、本件発明における上記間隔を7.0mm以下とする点は、鉄損特性を安定して低減する手段ではあっても、課題解決手段であるとまではいえない。

(3)作用機序の実験結果からの支持
ア(ア)そして、実験例を示す本件明細書【表1】(【0043】)をみると、「板厚方向の引張り応力の最大値(以下、「σmax」という。)」が「40MPa以上で鋼板素材の降伏応力値(350MPa)以下」の範囲にあり、「引張り応力が存在する領域の圧延方向間隔(以下、「L」という。)」が特定されている本発明例1?7は、σmaxのみ上記範囲を外れ他の条件は全て本件発明1?3の要件を満たす比較例8?10に対して、明らかに「鉄損値W_(17/50)(w/kg)」が小さいことがみてとれる。
(イ)また、「板厚方向の引張り応力分布の圧延方向の分布幅(以下、「D」という。)」が「0.85mm」で請求項2の「0.8mm以下」を満たさない「本発明5」、「板厚方向の引張り応力分布の板厚方向の分布幅(対板厚率)(以下、「S」という。)」が「85%」で請求項2の「80%以下」を満たさない「本発明4」、上記Lが「8.0mm」で請求項1の「7.0mm以下」を満たさない「本発明6」、「引張り応力が存在する領域の圧延方向に対する角度(以下、「θ」という。)」が「135°」で請求項3の「60?120°」を満たさない「本発明7」のように、σmax以外の条件が本件発明1?3で規定する範囲をはずれても、「鉄損値W_(17/50)(w/kg)」は比較例8?10よりも小さく出来ることもみてとることができる。
イ(ア)これらは、本件課題はσmaxが上記範囲にあることで解決できていることを示すものといえ、他の条件は、より鉄損を小さくするための条件とみることができる。
すなわち、本件課題は、機序から見てσmaxが上記範囲にあることで解決できるものであり、それは実験例により裏付けられているということができる。
そして、本件発明はσmaxが上記範囲にあることを特定事項とするから、本件発明はサポート要件を満たすものということができる。
(イ)他の条件については、本件発明で特定される当該条件についての事項が、当該条件の最適値でなくても、σmaxが上記範囲を満たせば本件課題は解決されるから、当該条件について特定する本件発明がサポート要件を満たさないとはいえない。
ウ そうすると、本件発明1は、発明の詳細な説明の記載と技術常識に照らして、当業者が上記課題を解決できると認識できる範囲にあることは明らかであり、本件発明1は、発明の詳細な説明に記載された発明である。
また、本件発明2、3は、本件発明1の全ての発明特定事項を有しているから、同様の理由により、発明の詳細な説明に記載された発明である。
したがって、本件発明1?3は特許法第36条第6項第1号に規定されたサポート要件を満たすものである。

3.請求人の主張について
(1)請求人の主張の概要は次のとおりである。
<主張1>
本件明細書の図5、8、10、11のデータは特定条件下でのデータであって、特許請求の範囲においてはその特定の条件が全て特定されないとサポート要件が満たされないし、また、甲第2号証から、本件発明と甲第1号証に記載された発明は同一発明だから、甲第1号証に記載された発明で要求される条件で、本件発明で特定されていない部分についてはサポート要件違反である。
<主張2>
また、本件明細書には「鋼板を水中に置き」(【0024】【0043】)、「本試験では、レーザー吸収層として水を選択した」(【0027】)と記載され、レーザー照射に際して、水を用いた以外の場合について実施例がなく、甲第7号証の1?甲第7号証の4を引用して、本件発明は「レーザーピーニング」に準ずる技術であり、レーザー照射の空気中で行ったときの影響と水中で行ったときの影響がかなり異なることから、本件発明は水中で行われるレーザーピーニングに関する技術であることが特定されるべきである。

(2)しかしながら、次の理由により請求人の主張は採用できない。
<主張1について>
ア 本件発明は上記「2.」で検討したようにサポート要件を満足するから、請求人の主張する本件明細書の図5、8、10、11の特定条件下でのデータにおける特定条件の全てが特許請求の範囲で特定されなければサポート要件違反であるとはいえない。
イ また、明細書に記載の発明の技術思想についてみるに、本件発明は、鋼板の各点に発生している応力、すなわち、圧延方向、板厚方向、板幅方向それぞれに対して定義される応力の中で、板厚内部の板厚方向に対する応力こそが、磁区細分化発生の芽であることに着目し、一方向性電磁鋼板の表面にレーザーを照射して引張り応力あるいはそれに一致する歪を局所的に導入することで、鋼板の板厚内部の板厚方向に対する引張り応力を発生させ、その最大値を制御することにより、磁区細分化を効率良く促進させ、一方向性電磁鋼板の鉄損を低減するという技術思想であると理解できる。(本件明細書【0016】【0020】【0021】)
ウ 一方、甲第1号証は「一方向性電磁鋼板の表面に、圧延方向にほぼ垂直で、一定間隔で線状の歪みをレーザにより導入して鉄損を改善する方法において、板厚の違いに対するレーザビーム照射条件について、特に環流磁区の形状や環流磁区の分布、照射ピッチについて着目し、工業的に実現可能な鉄損特性の優れた一方向性電磁鋼板およびその製造方法を見出した。」(甲第1号証【0009】)ものである。
エ そうすると、両者は、鋼板にレーザで歪みを導入して鉄損を改善する点では共通するが、本件発明では、鋼板の板厚内部の板厚方向に対する引張り応力を発生させ制御して鉄損を低減するものであるのに対して、甲第1号証に記載の発明は、板厚内部の板厚方向に対する引張り応力の制御について何ら認識するものではない。
オ したがって、鋼板の板厚内部の板厚方向に対する引張り応力について何ら認識のない甲第1号証に記載の発明において特定の事項が要求されるからといって、このことが直ちに、鋼板の板厚内部の板厚方向に対する引張り応力の制御に関する本件発明における特定事項として要求される事項にまで及ぶものとまではいえない。
よって、請求人の上記主張は失当である。

<主張2について>
ア まず、本件発明は「低鉄損一方向性電磁鋼板」という「物」として、その物性が特定されるから、あらためて「レーザーピーニング」、ないし水中で照射すること、を特定しなければならないという必然性はない。
イ そして、本件明細書には、「本試験で使用した水中でのレーザー照射法は、レーザーピーニングと呼ばれ、橋梁の橋桁、自動車の足回り部品などの溶接構造物などの疲労特性を改善する方法として知られている。しかし、この場合のレーザー照射条件は、鋼板表面の全面に照射するのが特徴である。一方、本試験では、図7のように、鋼板の圧延方向に5.0mmの照射間隔(ピッチ)で、鋼板の圧延方向に対して直角方向に照射パルスが重なるように照射しており、疲労特性改善で使用されている照射条件とは異なる。」(【0027】)と記載され、本件発明が「レーザーピーニング」とは異なるものであることは明らかである。
よって、請求人の上記主張は失当である。

4.無効理由3についての結言
以上から、本件特許の請求項1ないし3に係る発明は、発明の詳細な説明に記載されたものなので、特許法第36条第6項第1号の規定に適合するものであり、特許を受けることができないものではないから、それらの特許は同法第123条第1項第4号に該当せず、無効とすべきものでない。

第7 むすび
以上のとおりであるから、請求人の主張する無効理由1?3及び提出した証拠方法によっては、本件特許請求の範囲の請求項1?3に係る発明についての特許を無効とすることはできない。
審判に関する費用については、特許法第169条第2項の規定で準用する民事訴訟法第61条の規定により、請求人の負担すべきものとする。
よって、結論のとおり審決する。
 
審理終結日 2019-08-07 
結審通知日 2019-08-09 
審決日 2019-08-20 
出願番号 特願2006-314323(P2006-314323)
審決分類 P 1 113・ 121- Y (C21D)
P 1 113・ 113- Y (C21D)
P 1 113・ 537- Y (C21D)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 伊藤 真明  
特許庁審判長 平塚 政宏
特許庁審判官 中澤 登
長谷山 健
登録日 2013-04-12 
登録番号 特許第5241095号(P5241095)
発明の名称 低鉄損一方向性電磁鋼板  
代理人 齋藤 学  
代理人 堂垣 泰雄  
代理人 大野 浩之  
代理人 三橋 真二  
代理人 青木 篤  
代理人 福地 律生  
代理人 大野 聖二  

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