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審決分類 審判 全部申し立て 特36条4項詳細な説明の記載不備  C12N
審判 全部申し立て 特36条6項1、2号及び3号 請求の範囲の記載不備  C12N
審判 全部申し立て 1項3号刊行物記載  C12N
審判 全部申し立て 2項進歩性  C12N
管理番号 1387515
総通号数
発行国 JP 
公報種別 特許決定公報 
発行日 2022-08-26 
種別 異議の決定 
異議申立日 2021-12-27 
確定日 2022-07-26 
異議申立件数
事件の表示 特許第6942466号発明「抗原特異的T細胞受容体遺伝子を有する多能性幹細胞の製造方法」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。 
結論 特許第6942466号の請求項1〜10に係る特許を維持する。 
理由 第1 手続の経緯
特許第6942466号(請求項の数10。以下、「本件特許」という。)は、平成27年7月17日(パリ条約による優先権主張 2014年7月18日 アメリカ合衆国(US))を国際出願日とする特許出願であって、令和3年9月10日にその特許権の設定登録がされ、特許掲載公報が同年同月29日に発行されたものである。
その後、同年12月27日に、本件特許の請求項1〜10に係る特許に対して、特許異議申立人 市川 愛子(以下、「申立人A」という。)から、令和4年3月29日に、本件特許の請求項1〜10に係る特許に対して、特許異議申立人 藤井 洋子(以下、「申立人B」という。)から、特許異議の申立てがなされたものである。
上記各申立の趣旨からすると、本件特許異議の申立てに係る審理は、特許第6942466号の全請求項が対象となり、特許異議の申立てがなされていない請求項は存しない。

第2 本件発明
本件特許第6942466号の請求項1〜10の特許に係る発明は、それぞれ、その特許請求の範囲の請求項1〜10に記載された事項により特定される、次のとおりのものである(以下、項番に従い、「本件発明1」、「本件発明2」等といい、それらを総称して、「本件発明」という。また、本件特許の設定登録時の明細書を「本件明細書」という。)。

「【請求項1】
(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
(2)工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程、および
(3)工程(2)の多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
【請求項2】
多能性幹細胞がiPS細胞である、請求項1記載の方法。
【請求項3】
iPS細胞が、免疫療法対象者のHLAの何れか一方のハプロタイプをホモで有しているハプロタイプホモ接合型のHLAを有しているヒトから得られたiPS細胞である、請求項2記載の免疫療法用T細胞を誘導する方法。
【請求項4】
免疫細胞療法が、がん、感染症、自己免疫疾患、アレルギーなど、免疫が関与する疾患を治療するためのものである、請求項1〜3いずれかに記載の方法。
【請求項5】
免疫細胞療法が、がんを治療するためのものである、請求項4に記載の方法。
【請求項6】
がんがWT1遺伝子を発現するがんである、請求項5に記載の方法。
【請求項7】
所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子が、WT1特異的T細胞受容体遺伝子である請求項1〜6何れかに記載の方法。
【請求項8】
所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子が、HLA−A2402拘束性であり、ペプチドCMTWNQMNLを認識するWT1抗原特異的TCRである請求項7記載の方法。
【請求項9】
所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子が、HLA−A0201拘束性であり、ペプチドRMFPNAPYLを認識するWT1抗原特異的TCRである請求項7記載の方法。
【請求項10】
所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子が、HLA−DRB1*0405拘束性またはHLA−DPB1*0501拘束性であり、ペプチドKRYFKLSHLQMHSRKHを認識するWT1抗原特異的TCRである請求項7記載の方法。」

第3 特許異議申立理由
1.申立人Aの特許異議申立理由
申立人Aは、下記の甲第1〜6号証を提示して、同人が提出した本件特許異議申立書(以下、「申立書A」という。)において、本件特許には、以下の特許異議申立理由(以下、「申立理由A1」〜「申立理由A4」という。)が存在すると主張している。

(1)申立理由A1(新規性
本件発明1〜5は、甲第1〜2号証のそれぞれに記載された発明であり、特許法第29条第1項第3号に該当するから、それらの特許は、特許法第113条第2号に該当し、取り消されるべきものである。

(2)申立理由A2(進歩性
本件発明1〜10は、甲第2〜6号証(主引例 甲第3号証)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定に違反するから、それらの特許は、特許法第113条第2号に該当し、取り消されるべきものである。

(3)申立理由A3(サポート要件)
本件明細書の実施例には、特定の工程及び特定の方法等を用いたことが記載されているが、請求項1の工程2はこのような形態に限定したものではないから、本件発明1〜10において、発明の詳細な説明に記載された、発明の課題を解決するための手段が反映されていない。
したがって、本件特許は、サポート要件を充足せず、特許法第36条第6項第1号の規定を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、特許法第113条第4号に該当し、取り消されるべきものである。

(4)申立理由A4(実施可能要件
本件明細書の実施例には、特定の工程及び特定の方法等を用いたことが記載されているが、請求項1の工程2はこのような形態に限定したものではないから、本件明細書は、本件発明1〜10に係る発明を当業者が実施できる程度に、発明の詳細な説明が十分かつ明確に記載されていない。
したがって、本件特許は、実施可能要件を充足せず、特許法第36条第4項第1号の規定を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、特許法第113条第4号に該当し、取り消されるべきものである。

<申立人Aが提出した証拠方法>
甲第1号証 MINAGAWA Atsutaka et al., Human cell, 2014, 27(2), 47−50
甲第2号証 南川淳隆他, iPS細胞からの抗原特異的T細胞誘導とその臨床応用, 血液フロンティア, 2014, 24(2), 39−45
甲第3号証 THEMELI Maria et al., Nature Biotechnology, 2013, 31(10), 928−933
甲第4号証 MINAGAWA Atsutaka et al., ゲノムエディットを利用した、iPS細胞よりの抗原特異的T細胞の産生, 第18回日本がん免疫学会総会プログラム, 2014, 161, Q19−3
甲第5号証 RIOLOBOS Laura et al., HLA Engineering of Human Pluripotent Stem Cells, Mol. Ther., 2013, 21(6), 1232−1241
甲第6号証 TAMANAKA Taichi et al., Antican. Res., 2012, 32, 5201−5210
甲第7号証 SAITO Hidehito et al., Cancer Res., 2016, 76, 3473−3483
(以下、申立人Aが提出した「甲第1号証」〜「甲第7号証」を、「甲A1」〜「甲A7」という。)

2.申立人Bの特許異議申立理由
申立人Bは、下記の甲第1〜5号証を提示して、同人が提出した本件特許異議申立書(以下、「申立書B」という。)において、本件特許には、以下の特許異議申立理由(以下、「申立理由B1」〜「申立理由B5」という。)が存在すると主張している。

(1)申立理由B1(新規性進歩性
本件発明1、2、4及び5は、甲第1号証に記載された発明であるか、甲第1号証に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものであり、特許法第29条第1項第3号に該当するか、同条第2項の規定に違反するから、それらの特許は、特許法第113条第2号に該当し、取り消されるべきものである。

(2)申立理由B2(進歩性
本件発明1〜10は、甲第1〜5号証(主引例 甲第2号証)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定に違反するから、それらの特許は、特許法第113条第2号に該当し、取り消されるべきものである。

(3)申立理由B3(実施可能要件
本件発明1〜10の「TCR遺伝子を導入したヒト多能性幹細胞をT細胞へ分化させると、分化過程で導入TCRが先に発現し、細胞が元々もっている内因性のTCRが再構成されず、その結果、想定外の反応が出現することがほとんどない」という効果が本件明細書の実施例において裏付けられておらず、本件発明1〜10については、当業者が実施することができる程度に発明の詳細な説明が十分かつ明確に記載されていない。
また、本件発明1〜5に係るTCRには、γδTCRも包含されるが、γδTCRが、αβTCRと同様の効果を奏するか否か明らかではないから、本件発明1〜5については、当業者が実施することができる程度に発明の詳細な説明が十分かつ明確に記載されていない。
したがって、本件特許は、実施可能要件を充足せず、特許法第36条第4項第1号の規定を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、特許法第113条第4号に該当し、取り消されるべきものである。

(4)申立理由B4(サポート要件)
本件発明1〜10の「TCR遺伝子を導入したヒト多能性幹細胞をT細胞へ分化させると、分化過程で導入TCRが先に発現し、細胞が元々もっている内因性のTCRが再構成されず、その結果、想定外の反応が出現することがほとんどない」という効果が本件明細書の実施例において裏付けられておらず、本件発明1〜10は、発明の詳細な説明に記載された範囲を超えている。
また、本件発明1〜5に係るTCRには、γδTCRも包含されるが、γδTCRが、αβTCRと同様の効果を奏するか否か明らかではないから、本件発明1〜5は、発明の詳細な説明に記載された範囲を超えている。
したがって、本件特許は、サポート要件を充足せず、特許法第36条第6項第1号の規定を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、特許法第113条第4号に該当し、取り消されるべきものである。

(5)申立理由B5(明確性要件)
本件発明1〜5に記載の「抗原特異性T細胞受容体」は、γδTCRを含むか否か明確で無い。
したがって、本件特許は、特許請求の範囲の記載が不明確であるので、特許法第36条第6項第2号の規定を満たしていない特許出願に対してされたものであるから、特許法第113条第4号に該当し、取り消されるべきものである。

<申立人Bが提出した証拠方法>
甲第1号証 MINAGAWA Atsutaka et al., ゲノムエディットを利用した、iPS細胞よりの抗原特異的T細胞の産生, 第18回日本がん免疫学会総会プログラム, 2014, 161, Q19−3
甲第1の2号証 NISHIMURA Toshinobu et al., Generation of Rejuvenated Antigen−Specific T cells by Reprogramming to Pluripotency and Redifferentiation., Cell Stem Cell, 2013, 12, 114−126
甲第2号証 VATAKISN Dimitrios et al., Mol. Ther., 2013, 21(5), 1055−63
甲第3号証 RIOLOBOS Laura et al., HLA Engineering of Human Pluripotent Stem Cells, Mol. Ther., 2013, 21(6), 1232−1241
甲第4号証 TAMANAKA Taichi et al., Antican. Res., 2012, 32, 5201−5210
甲第5号証 O’REILLY J. Richard et al., Adoptive transfer of unselected or leukemia−reactive T−cells in the treatment of relapse following allogenic hematopoietic cell Transplantation., Semin Immunol., 2010, 22(3), 162−172
(以下、申立人Bが提出した「甲第1号証」〜「甲第5号証」を、「甲B1」〜「甲B5」という。)

第4 当審の判断
当審は、申立人A及び申立人Bが主張する上記の申立理由は、いずれも理由がなく、ほかに各特許を取り消すべき理由も発見できないから、本件発明1〜10に係る特許は、いずれも取り消すべきものではなく、維持すべきものと判断する。

1.申立人Aによる申立理由の検討
(1)申立理由A1(新規性
ア.甲A1について
(ア)甲A1に記載された発明
甲A1は英文であるから、申立人が令和4年4月13日に提出した手続補正書に添付された訳文(以下、「甲A1訳文」という。)を用いて甲A1に記載された発明の認定を行う。
甲A1で引用されている文献及び本件特許の優先日(平成26年7月18日)の技術常識に照らすと、当業者が、甲A1の記載より、具体的に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる方法の発明は、「T−iPSCを用いた、幼若化された抗原特異的T細胞の製作」の項目(甲A1訳文の第3ページ11〜34行目)に記載された、以下の発明であると認められる。

「HIV nefタンパク質特異的CTLクローンからT−iPSCを確立し、当該T−iPSCをCTLに分化させるために、C3H10T1/2及びDelta様1発現OP9(OP9−DL1)間質細胞との共培養を伴うin vitro分化プロトコルを採用し35〜40日間分化させて、CD3+CD4+CD8+ダブルポジティブ(DP)ステージT細胞を得、さらに抗CD3抗体又はPHAを用いて刺激することで、成熟CD8シングルポジティブ(SP)CTLを製作する方法。」(以下、「甲A1発明」という。)

(イ)判断
a.本件発明1と甲A1発明との対比
甲A1発明の、「HIV nefタンパク質特異的CTLクローンから」確立した「T−iPSC」は、ヒトに感染するHIVに対する抗原特異的T細胞を脱分化させたiPS細胞であるから、ヒト多能性幹細胞であることは自明である。
また、甲A1発明の、「成熟CD8シングルポジティブ(SP)CTL」が、成熟T細胞であること、及び、CTLが免疫細胞療法に利用されることは技術常識から明らかであり、また、本件特許明細書の実施例1のDay50で得られた細胞は、「成熟CD8SP細胞」であり、特許権者が審理段階の令和3年5月26日に提出した意見書でも、これが成熟T細胞を意味することが記載されている。
そして、甲A1発明の「T−iPSC」は、「T−iPSCをCTLに分化させるために、C3H10T1/2及びDelta様1発現OP9(OP9−DL1)間質細胞との共培養を伴うin vitro分化プロトコルを採用し、35〜40日間分化させて、CD3+CD4+CD8+ダブルポジティブ(DP)ステージT細胞を得、さらに抗CD3抗体またはPHAを用いて刺激することで、成熟CD8シングルポジティブ(SP)CTLを製作する方法。」により、免疫細胞療法用成熟T細胞がイン・ビトロで誘導されることになる。
以上を踏まえると、甲A1発明の「T−iPSC」、「T−iPSCをCTLに分化させるために、C3H10T1/2及びDelta様1発現OP9(OP9−DL1)間質細胞との共培養を伴うin vitro分化プロトコルを採用し、35〜40日間分化させて、CD3+CD4+CD8+ダブルポジティブ(DP)ステージT細胞を得、さらに抗CD3抗体またはPHAを用いて刺激することで、成熟CD8シングルポジティブ(SP)CTLを製作する方法。」は、それぞれ、本件発明1における「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程」、「多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。」に相当する。

そうすると、本件発明1と甲A1発明は、
「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
および
(3)多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
」で一致し、以下の点で相違している。

<相違点1>
本件発明1では、「工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程」を含むことが規定されているのに対し、甲A1発明では、上記工程を含まない点

b.相違点1の判断
甲A1の記載によると(特に、甲A1訳文の第2ページ下から2行目〜第3ページ2行目)、T細胞に由来するiPSC(T−iPSC)は、元の細胞の再配列されたTCR遺伝子を保持しているから、それを再分化させると、多数の幼若抗原特異的T細胞が産生される。そして、甲A1発明は、そのことを期待して、HIV nefタンパク質特異的CTLクローンからT−iPSCを確立し、当該T−iPSCを(元の抗原特異性を保持したままの)CTLに分化させるものであり、甲A1訳文の第3ページ22〜23行目にも「TCR遺伝子を改変せずにT−iPSCから成熟CD8シングルポジティブ(SP)CTLを製作するには・・・」とTCR遺伝子、すなわち、抗原特異性T細胞受容体遺伝子の改変を伴うことなく調製されることが記載されている。そうすると、甲A1には、甲A1発明において、TCR遺伝子(抗原特異性T細胞受容体遺伝子)をiPSCに導入する工程が示唆されていると解することはできない。
したがって、相違点1は実質的な相違点であり、本件発明1と甲A1発明が同一であるということはできない。

c.申立人Aの主張
申立人Aは、甲A1の要約、第3ページ11〜14行目、第7ページ11行目及び第9ページ1〜5行目の記載から、本件発明1は、実質的に甲A1に開示されていると主張する。
しかし、上記箇所に、甲A1発明とは異なる方法の発明が、当業者に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる程度に記載されているとは認定できないし、特に、甲A1の第9ページ1〜5行目(甲A1訳文の第5ページ8〜9行)の記載は、「この(T−iPSC)バンキングの概念は、・・・T−iPSCへの外因性TCR形質導入技術とよく一致するかもしれない(would)」との希望的観測が断片的に述べられているに過ぎない。
よって、上記箇所の記載より、本件発明1が記載されていることを認定することはできない上、上記箇所の記載が、甲A1発明に相違点1として挙げた本件発明1の工程を導入することを動機付ける記載に該当するとも認められない。
したがって、上記の申立人Aの主張は理由がない。

d.小括
以上のとおり、本件発明1は、甲A1発明、すなわち甲A1に記載された発明とはいえない。
また、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2〜5も、本件発明1と同様の理由により、甲A1に記載された発明とはいえない。
したがって、甲A1による申立理由A1(新規性)は、理由がない。

イ.甲A2について
(ア)甲A2に記載された発明
甲A2で引用されている文献及び本件特許の優先日(平成26年7月18日)の技術常識に照らすと、当業者が、甲A2の記載より、具体的に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる方法の発明は、甲A2の「2.HIV−Nef−T−iPS細胞からのT細胞分化」の項目(第40ページ右欄下から1行目〜第42ページ左欄6行目)に記載された、以下の発明であると認められる。

「HIV−Nef−T−iPS細胞を、マウス由来10T1/2ストローマ細胞と、Delta−like1発現OP9(OP9−DL1)ストローマ細胞とで共培養し、培養開始後、CD4(+)CD8(+)(DP cell)が出現し始めるDay35前後に、anti−CD3 antibodyなどによる刺激を行って、CD8SP細胞へ分化、増殖させる方法。」(以下、「甲A2発明」という。)

(イ)判断
a.本件発明1と甲A2発明との対比
甲A2発明の、「HIV−Nef−T−iPS細胞を」、「マウス由来10T1/2ストローマ細胞と、Delta−like1発現OP9(OP9−DL1)ストローマ細胞とで共培養し、培養開始後、CD4(+)CD8(+)(DP cell)が出現し始めるDay35前後に、anti−CD3 antibodyなどによる刺激を行って、CD8SP細胞へ分化、増殖させる方法。」における、「HIV−Nef−T−iPS細胞」は、上記ア.(イ)a.と同様の理由で、ヒト多能性幹細胞であり、後者の方法により、免疫細胞療法用成熟T細胞がイン・ビトロで誘導されることになる。
以上を踏まえると、甲A2発明の、「HIV−Nef−T−iPS細胞を」、「マウス由来10T1/2ストローマ細胞と、Delta−like1発現OP9(OP9−DL1)ストローマ細胞とで共培養し、培養開始後、CD4(+)CD8(+)(DP cell)が出現し始めるDay35前後に、anti−CD3 antibodyなどによる刺激を行って、CD8SP細胞へ分化、増殖させる方法。」は、それぞれ、本件発明1における「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程」、「多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。」に相当する。

そうすると、本件発明1と甲A2発明は、
「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
および
(3)多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
」で一致し、以下の点で相違している。

<相違点2>
本件発明1では、「工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程」を含むことが規定されているのに対し、甲A2発明では、上記工程を含まない点

b.相違点2の判断
甲A2の記載によると(特に、第40ページ右欄17〜22行目)、甲A2発明は、TCRリアレンジが起きた後の細胞より作ったiPS細胞(T−iPS)は、元のTCR遺伝子を受け継いでおり、分化させた細胞はiPSを作る元となった細胞と同じTCR遺伝子を持つことを期待して行ったものであると解される。甲A2の第41ページ右欄最終行〜第42ページ1行目にも「抗原特異性を保ったままCD4(−)CD8(+)SP細胞まで分化させることが可能と考え」て、anti−CD3 antibodyなどによる刺激を行ったことが記載されており、甲A2には、甲A2発明において、TCR遺伝子(抗原特異性T細胞受容体遺伝子)をiPS細胞に導入する工程が示唆されていると解することはできない。
したがって、相違点2は実質的な相違点であり、本件発明1と甲A2発明が同一であるということはできない。

c.申立人Aの主張
申立人Aは、甲A2の「T−iPS細胞にTCR遺伝子導入を行い、再分化する手法が確立できれば、HLAタイプ別のiPS細胞バンク、TCR遺伝子ライブラリーを作製することで、抗原特異的なT細胞を必要時に必要なだけHLA、ターゲットを合わせて調整することができるようになると考えられる。いずれの場合も自己由来の細胞では無いため、同種移植反応への十分な対策が必要にはなるが、実現可能性を考えると非常に有用な戦略であることは間違いない。」(第44ページ左欄21〜30行目)との記載から、本件発明1は、実質的に甲A2に開示されていると主張する。
しかし、上記箇所には、「確立できれば」・・・「できるようになると考えられる」との甲A2の著者による希望的観測が断片的に記載されているに過ぎないことからすると、甲A2に、甲A2発明とは異なる方法の発明が記載されているとは認定できない。
したがって、上記の申立人Aの主張は理由がない。

d.小括
以上のとおり、本件発明1は、甲A2発明、すなわち甲A2に記載された発明とはいえない。
また、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2〜5も、本件発明1と同様の理由により、甲A2に記載された発明とはいえない。
したがって、甲A2による申立理由A1(新規性)は、理由がない。

(2)申立理由A2(進歩性
ア.甲A3に記載された発明
甲A3は英文であるから、申立人が提出した訳文(以下、「甲A3訳文」という。)を用いて甲A3に記載された発明の認定を行う。
当業者が、甲A3の記載より、具体的に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる方法の発明は、甲A3の要約、図1並びにONLINE METHODSのGeneration of 1928z−T−iPSC及びT−cell differentiation from 1928z−T−iPSCs and expansion of 1928z−T−iPSC−T cellsに記載された、以下の発明であると認められる。

「献血者から収集した末梢血リンパ球(PBL)を、多能性に再プログラミング化したT−iPSC(人工多能性幹細胞)とキメラ抗原受容体(CAR)技術を組み合わせて、組織培養で悪性B細胞によって発現される抗原であるCD19を標的とするT細胞を産生する方法であって、T細胞の分化はOP9−DL1単層で実施する方法。」(以下、「甲A3発明」という。)

イ.判断
(ア)本件発明1と甲A3発明との対比
甲A3発明の「献血者から収集した末梢血リンパ球を多能性に再プログラミング化したT−iPSC(人工多能性幹細胞)」は、ヒト由来であることは明らかであるため、本件発明1の「ヒト多能性幹細胞」に相当する。
また、甲A3発明の「T−iPSC(人工多能性幹細胞)」を原料にして「CD19を標的とするT細胞を産生」し、「T細胞の分化はOP9−DL1単層で実施する」ことは、本件発明1の「ヒト多能性幹細胞からT細胞を誘導する」こと、及び、「多能性幹細胞から成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する」ことに相当し、甲A3発明の「CD19を標的とするT細胞」は、いわゆるCAR−T細胞であるから、免疫細胞療法用に用いることも技術常識や甲A3の要約の記載から明らかである。

そうすると、本件発明1と甲A3発明は、
「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
および
(3)ヒト多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
」で一致し、以下の点で相違している。

<相違点3>
本件発明1では、「工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程」を含むことが規定されているのに対し、甲A3発明では、「T−iPSC(人工多能性幹細胞)とキメラ抗原受容体(CAR)技術を組み合わ」せる工程を採用している点

(イ)本件発明1の判断
甲A3は、T−iPSC(人工多能性幹細胞)とキメラ抗原受容体(CAR)技術を組み合わせることによりT細胞を産生する技術に関する研究論文であるので、ヒト多能性幹細胞に所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を導入して得られるT細胞が甲A3に記載乃至示唆されているとはいえない。
また、甲A2の第44ページ21行目には、T細胞由来ヒトiPS細胞にTCR遺伝子を導入して再分化させることに関する希望的観測が記載されているが、これを甲A3発明で採用することを動機付ける記載は甲A2に存しない。
同じく、甲A4の【考察】の3〜6行目に、非T細胞由来iPS細胞にRag2KOすることで分化させても内在性TCRが発生しないiPS細胞の作製が可能になることが記載されているが、これを甲A3発明で採用することを動機付ける記載は甲A4に存しない。
一方、本件発明1は、「多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法」において、「所望の抗原特異的T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を多能性幹細胞に導入する工程」を採用することで、「多能性幹細胞へTCR遺伝子挿入して得られる多能性幹細胞をT細胞へ分化させる場合、分化過程で導入TCRが先に発現することから細胞が元々もっている(以下内因性と表記)TCRが再構築されず、想定外の反応が出現することがほとんどない」という効果を奏するものであるところ(本件明細書の【0020】)、甲A2〜4は、上記方法における工程について、記載も示唆もするものではないから、当該効果が甲A2〜4の記載に基づき当業者において予測可能であったとは認められない。
そうすると、甲A3発明に、甲A2及び/又は甲A4に記載された事項を適用して、相違点3として挙げた本件発明1の発明特定事項に至ることを当業者が容易に想到し得たとはいえないし、当該適用が可能であったとしても、本件発明1の効果は、当業者の予測を超えるものと認められる。

(ウ)申立人Aの主張
申立人Aは、甲A2及び甲A4の記載、並びに、本件特許の優先日の技術常識から、甲A3発明のCARをTCRに置き換えることは、当業者が容易になし得ることであると主張する。
しかし、甲A2及び甲A4には、CARをTCRに置き換えることを動機付ける記載が存しないことは(イ)で示したとおりであるし、CARとTCRが等価であることを示す技術常識も申立人Aより提示されていない。
加えて、CARとTCRの両方において、上記効果が期待できることを示す技術常識も申立人Aより提示されていない。
したがって、申立人Aの上記主張は採用できない。
なお、申立人Aは、甲A2の第932ページ右欄14〜21行目の「内在性TCRを発現するT−iPSC由来のT細胞のアロリアクティブ性(図1a)は、T細胞分化後に標的部位特異的ヌクレアーゼを用いてTCRを破壊するか、病原体由来の抗原を認識することによって移植片対宿主病を引き起こしにくいウイルス特異的T細胞からT−iPSCを作製することで解消することができる」との記載から、甲A2に記載された発明として「多能性幹細胞からCARと“内因性TCRの両方を”発現するT細胞を誘導する工程」を認定している。
しかし、内因性TCRを発現しているからといって、多能性幹細胞へTCR遺伝子を導入することを採用する動機付けにはなり得ないし、「TCRを破壊する」も、「T細胞分化後」に「標的部位特異的ヌクレアーゼを用いて」行う操作であるから、同様に、多能性幹細胞へTCR遺伝子を導入することを採用する動機付けにはなり得ない。

(エ)小括
以上のとおり、本件発明1は、甲A2〜4に記載された発明に基づいて、当業者が容易になし得たものとはいえない。
また、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2〜10も、本件発明1と同様の理由により、甲A2〜4及び相違点3についての記載がない甲A5〜6に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものとはいえない。
したがって、甲A2〜6による申立理由A2(進歩性)は、理由がない。

(3)申立理由A3(サポート要件)
ア.サポート要件の考え方
特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。

イ.本件明細書の記載事項
本a
「【0012】
頻度の高いHLAハプロタイプをホモで有するひとをドナーとして用いることにより、汎用性の高いiPS細胞バンクを構築するプロジェクトが日本において現在進行中である(CYRANOSKI, Nature vol.488, 139 (2012))。しかしながら、上記の通りT細胞移植においては、HLA型が完全に一致していたとしても移植片対宿主反応の恐れがあり、HLAが一致していない場合、この移植片対宿主反応がさらに強く起こることからiPSストック事業はT細胞を用いた免疫細胞療法に適用することはできないと考えられている。
・・・
【発明の概要】
【0015】
本願は、より効率的で有効かつ安全な免疫療法を提供することを目的とする。
【0016】
本願は所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を有する多能性幹細胞からT前駆細胞あるいは成熟T細胞を誘導し、当該T前駆細胞あるいは成熟T細胞を多能性幹細胞が由来するドナーと一定以上HLA型が共通する患者に他家移植することを含む免疫細胞療法を提供する。
【0017】
本願の方法において、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を有する多能性幹細胞は、多能性幹細胞へ所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入することによって得ることができる。
【0018】
本願の方法によって得られる免疫細胞療法に用いられるT細胞は、単一の抗原特異性を有するT細胞であることから移植片対宿主反応を起こす心配がなく、自家移植のみならず他家移植に用いることができる。本願の方法はT細胞の他家移植は禁忌であるとの常識から全く予測できない方法である。」

本b
「【発明の効果】
【0019】
本願により、従来の技術認識における問題を予想外にも解決することができ、下記のごとき効果が得られる:
1)移植用T細胞を患者ごとに作製する必要がなく事前準備ができる、
2)事前に移植細胞の安全性および品質を確認した上での処理をすることができる、
3)たとえHLAが一致していたとしてもマイナー抗原は一致しない他家移植であり、一定の期間の後には患者の免疫反応によって拒絶され、移入した細胞ががん化する恐れがない。
【0020】
さらに、本願の移植用T細胞は所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を多能性幹細胞に導入する工程を含む方法にて得られることから、下記の効果が得られる:
1)効果並びに安全性が保障されたTCRの遺伝子を導入することにより、得られる移植用T細胞の品質が保証される。
2)TCR遺伝子挿入箇所を同定し、安全なクローンを確定して用いることができ、移植細胞のがん化の問題を予め回避できる。
3)多能性幹細胞へTCR遺伝子挿入して得られる多能性幹細胞をT細胞へ分化させる場合、分化過程で導入TCRが先に発現することから細胞が元々もっている(以下内因性と表記)TCRが再構成されず、想定外の反応が出現することがほとんどない。」

本c
「【0022】
本明細書ならびに請求の範囲において多能性幹細胞とは、生体に存在する多くの細胞に分化可能である多能性を有し、かつ、自己増殖能を併せもつ幹細胞である。多能性幹細胞には、例えば胚性幹(ES)細胞、核移植により得られるクローン胚由来の胚性幹(ntES)細胞、精子幹細胞(「GS細胞」)、胚性生殖細胞(「EG細胞」)、人工多能性幹(iPS)細胞、培養線維芽細胞や骨髄幹細胞由来の多能性細胞(Muse細胞)などが含まれる。特定のHLAを有するヒト由来の細胞を用いて、治療法の細胞バンクを製造することを考慮すると、iPS細胞を用いるのが好ましい。以下TCRを導入したiPS細胞をTCR−iPS細胞という。
【0023】
iPS細胞としては、いずれの部位の体細胞から誘導されたものであってもよい
【0024】
体細胞からiPS細胞を誘導する方法は公知であり、体細胞にヤマナカ因子を導入してiPS細胞を得ることができる(Takahashi and Yamanaka, Cell 126, 663−673 (2006),Takahashi et al., Cell 131, 861−872 (2007) and Grskovic et al., Nat. Rev. Drug Dscov. 10, 915−929 (2011))。iPS細胞を誘導する際に用いる因子はヤマナカ因子に限らず、当業者に公知のいずれの因子、手段を用いてもよい。
【0025】
所望の抗原特異性を示すT細胞受容体遺伝子として、背景技術でBとして記載したTCR遺伝子導入T細胞療法において既に臨床上使用され、安全性が確認されているものが複数存在する。例えば、WT1抗原に特異的なTCR遺伝子が知られている。TCR遺伝子としてはこれら公知の遺伝子を用いても良いし、今後解明されるTCR遺伝子を用いてもよい。またTCR遺伝子はまた、所望の抗原特異性を有するT細胞をがん患者や感染症患者から単離または誘導し、当該T細胞からTCRの遺伝子を単離してもよい。本願においては、遺伝子導入箇所を同定し、安全なクローンを確定して用いることができることから、癌化の危険性を回避することができる。
【0026】
本願の方法においては、iPS細胞にTCR遺伝子を導入する。TCR遺伝子のiPS細胞への導入は常套の方法で行えばよく、例えばMorgan R. A. et al, Science, 314: 126. 2006に記載の方法に準じて行えば良い。・・・
【0028】
iPS細胞にTCR遺伝子を導入して得られる、TCR−iPS細胞を、T前駆細胞または成熟T細胞へと分化誘導する。T細胞への分化誘導方法としては、例えばTimmermans et al., Journal of Immunology, 2009, 182: 6879−6888に記載の方法が挙げられる。」

本d
「【実施例1】
【0041】
クラスI拘束性WT1抗原特異的TCRを導入したiPS細胞の作製
導入する対象の細胞としては京都大学再生医科学研究所再生免疫学分野(日本国京都府京都市)にて作製されたLMP2−T−iPS細胞(クローンLMP2#1)を用いた。
導入したHLA−A2402拘束性を有するWT1TCRは,大阪大学医学系研究科免疫造血制御学研究室(日本国大阪府吹田市)でクローニングされたB10を用いた(Anticancer Research 32 (12); 5201−5209, 2012).このTCRはHLA−A2402拘束性にペプチドCMTWNQMNL(配列番号4)を認識する。
【0042】
1)RACE(rapid amplification of cDNA ends)法によるWT1特異的TCRのクローニング
クローンとなるように増幅したWT1特異的CTLもしくはWT1−T−iPS細胞から誘導されたCTLからRNAを調整する。SMARTerRACEcDNA増幅キット(クロンテック社)を用いて完全長cDNAを得,これを鋳型とした。TCRα鎖の3’側からのプライマー(CACAGGCTGTCTTACAATCTTGCAGATC(配列番号1))もしくはTCRβ鎖の3’側からのプライマー2種(CTCCACTTCCAGGGCTGCCTTCA(配列番号2)またはTGACCTGGGATGGTTTTGGAGCTA(配列番号3))を用い,PCR反応によってWT1−TCRの二本鎖cDNAを得た。得られた二本鎖cDNAをpTA2ベクター(東洋紡社、図1)に組み込み,細胞株に導入することでWT1TCRの特異性などの検定を行った。
【0043】
2)WT1−TCRを組み込んだレンチウィルスベクターの作製
独立行政法人理化学研究所 バイオリソースセンター 細胞運命情報解析技術開発サブチーム(日本国茨城県つくば市)より提供されたCS−UbC−RfA−IRES2−Venusベクター(図2)を用い,GatewayシステムによりWT1−TCRを導入したCS−UbC−RfA−IRES2−Venus/WT1−TCRを作製した。
【0044】
3)WT1−TCRを組み込んだレンチウィルス上清の作製
CS−UbC−RfA−IRES2−Venus/WT1−TCRをX−treamGENE9(ロシュ社)を用いてパッケージング細胞LentiX−293Tに導入した。翌日に培地交換を行い,2日目にレンチウィルスを含む培養上清を回収し,レンチウィルス上清として用いた。
【0045】
4)WT1−TCRtransduced−T−iPS細胞の樹立
LMP2−T−iPS細胞をTrypLESelect(ライフテクノロジーズ社)を用いて完全な単一細胞とする。遠心後,ペレットをレンチウィルス上清で懸濁し,32℃,3000rpmで1時間遠心し,LMP2−T−iPS細胞に感染させることでWT1−TCRをLMP2−T−iPS細胞に導入した。
感染後,iPS細胞用培地に懸濁し,フィーダー細胞上に播種した。WT1−TCRが導入されたLMP2−T−iPS(WT1−TCR/LMP2−T−iPS)細胞はベクターに含まれるVenusタンパク質の発現によって蛍光顕微鏡下で選択された。
【0046】
C.WT1−TCR/LMP2−T−iPS細胞コロニーのピックアップ
1.2週間後にiPS細胞コロニーを目視により確認した。
2.200ulチップによりコロニーを物理的に拾い上げた。
3.各クローンを個別に樹立した。
【0047】
3)iPS細胞からT細胞への分化誘導
各培地の組成を下記に示す。
【表1】

*ペニシリン/ストレプトマイシン溶液は、ペニシリン10000U/mLおよびストレプトマイシン10000μg/mLからなり、それぞれの最終濃度を100U/mLおよび100μg/mLとした。
【0048】
【表2】

*ペニシリン/ストレプトマイシン溶液は、ペニシリン10000U/mLおよびストレプトマイシン10000μg/mLからなり、それぞれの最終濃度を100U/mLおよび100μg/mLとした。
【0049】
【表3】

*ペニシリン/ストレプトマイシン溶液は、ペニシリン10000U/mLおよびストレプトマイシン10000μg/mLからなり、それぞれの最終濃度を100U/mLおよび0μg/mLとした。
【0050】
A.OP9細胞の準備
0.1%ゼラチン/PBS溶液6mlを10cm培養ディッシュに入れ,37℃で30分以上静置する。コンフルエントになったOP9細胞をトリプシン/EDTA溶液で剥がし,1/4相当量をゼラチンコートした10cm培養ディッシュに播種した。培地はmedium Aを10mlとなるように加えた。
4日後に播種したOP9細胞培養ディッシュに新たにmedium Aを10ml加え,全量が20mlとなるようにした。
【0051】
B.iPS細胞からの血球前駆細胞誘導
共培養に使用するOP9細胞の培地を吸引し,新しいmedium Aに交換する。またヒトiPS細胞培養ディッシュの培地も同様に吸引し,新しいmedium Aを10ml加える。EZ−passageローラーでヒトiPS細胞を切る。カットしたiPS細胞塊を200ulピペットマンでピペッティングすることで浮遊させ,目視でおおよそ600個のiPS細胞塊をOP9細胞上に播種した。
ヒトiPS細胞1クローンあたり3枚以上のディッシュを用い,継代するときには細胞を一度一つに合わせてから同じ枚数に再分配することでディッシュ間のばらつきを減らした。
【0052】
Day1(培地交換)
ヒトiPS細胞塊が接着し分化し始めているかどうかを確認し,培地を新しいmedium A 20mlに交換した。

Day5 (培地半量交換)
半量分の培地を新しいmedium A 10mlに交換した。

Day9(培地交換)
半量分の培地を新しいmedium A 10mlに交換した。

Day13(誘導した中胚葉細胞をOP9細胞上からOP9/DLL1細胞上への移しかえる)
培地を吸引し,HBSS(+Mg+Ca)で細胞表面上の培地を洗い流した。その後250U collagenase IV/HBSS(+Mg+Ca)溶液10mlを加え,37℃で45分間培養した。
Collagenase溶液を吸引し,PBS(−)10mlで洗い流した。その後5mlの0.05%トリプシン/EDTA溶液を加え,37℃で20分培養した。培養後,細胞が膜状に剥がれてくるのでピペッティングにより物理的に細かくした(接着細胞同士を離すため)。ここに新しいmedium Aを20ml加え,さらに37℃で45分間培養する。培養後、浮遊細胞を含む上清を,100μmのメッシュを通して回収した。4℃,1200rpmで7分間遠心し、ペレットを10mlのmedium Bに懸濁させた。このうち1/10をFACS解析用にとりわけ、残りの細胞を新たに用意したOP9/DLL1細胞上に播種した。複数枚のディッシュから得た細胞をプールした場合,元々の枚数と同じ枚数になるように再分配して細胞を播き直した。
【0053】
得られた細胞に造血前駆細胞が含まれているかどうかを確かめるために抗CD34抗体,抗CD43抗体を用いてFACS解析した。CD34lowCD43+細胞分画に十分な細胞数が確認できると,造血前駆細胞が誘導されているとした。
【0054】
C.血球前駆細胞からのT細胞分化誘導
次いで細胞をOP9/DLL1細胞上に播種した。この工程において,CD34lowCD43+細胞分画の細胞のソーティングは行わない。この分画をソーティングした場合,得られる細胞数が減少してしまうことやソーティングによる細胞へのダメージから,ソーティングしなかった場合に比べてT細胞への分化誘導効率が落ちることがある。
【0055】
培養期間中に分化段階を確認するためにFACS解析を行うが,全ての期間において培養中に死細胞が多くみられる。そのためFACS解析時にはPI(Propidium Iodide),7−AADなどを用い,死細胞除去したうえで解析を行うことが望ましい。
【0056】
Day16(細胞の継代)
OP9/DLL1細胞に緩く接着している細胞を,穏やかに複数回ピペッティングし,100μmのメッシュを通して50mlコニカルチューブに回収した。4℃,1200rpmで7分間遠心し,ペレットを10mlのmedium Bに懸濁させる。これらの細胞を新たに用意したOP9/DLL1細胞上に播種した。

Day23(細胞の継代):血液細胞コロニーが見え始める。
OP9/DLL1細胞に緩く接着している細胞を,穏やかに複数回ピペッティングし,100μmのメッシュを通して50mlコニカルチューブに回収する。4℃,1200rpmで7分間遠心し,ペレットを10mlのmediumBに懸濁させた。これらの細胞を新たに用意したOP9/DLL1細胞上に播種した。

Day30(細胞の継代):
OP9/DLL1細胞に緩く接着している細胞を,穏やかに複数回ピペッティングし,100μmのメッシュを通して50mlコニカルチューブに回収した。4℃,1200rpmで7分間遠心し,ペレットを10mlのmedium Bに懸濁させる。これらの細胞を新たに用意したOP9/DLL1細胞上に播種した。

Day37(細胞の継代):
OP9/DLL1細胞に緩く接着している細胞を,穏やかに複数回ピペッティングし,100μmのメッシュを通して50mlコニカルチューブに回収した。4℃,1200rpmで7分間遠心し,ペレットを10mlのmediumBに懸濁させる。これらの細胞を新たに用意したOP9/DLL1細胞上に播種した。

Day44:(CD4+CD8+T細胞の確認、CD8SP細胞の誘導開始)
T細胞が誘導されているかどうかを確かめるために抗CD4抗体,抗CD8抗体を用いてFACS解析した。CD4+CD8+T細胞の生成が確認された。
ここで抗CD3/28抗体をhuIL−2と供に加える.24穴プレートに新たにOP9/DLL1細胞を用意しておき,CD4+CD8+T細胞を含んだT細胞を3x105個/穴となるように播種した.ここに抗CD3抗体(50ng/ml),抗CD28抗体(2ng/ml),huIL−2(200U/ml)を添加した.

Day50:(CD4−CD8+細胞が現れる)
抗CD3抗体による刺激後6日目には,成熟CD8SP細胞が生成した.生成した細胞をWT1−テトラマーと抗CD3抗体で染色した(図3)。導入したWT1−TCRを発現するT細胞が生成しているのが確認された。
【実施例2】
【0057】
HLA−A0201拘束性WT1抗原特異的TCRを導入したHLAハプロタイプホモiPS細胞の作製
導入する対象の細胞として京都大学再生医科学研究所再生免疫学分野(日本国京都府京都市)にて健常人末梢血単球より作製されたHLAハプロタイプホモ型iPS細胞を用いた。
このiPS細胞のHLA型はHLA−A*33:03;B*44:03;C*140:3;DRB1*1302
のホモ接合型である。
導入したHLA−A0201拘束性を有するWT1特異的TCR遺伝子は,大阪大学医学系研究科免疫造血制御学研究室(日本国大阪府吹田市)でクローニングされたOpt3E2を用いた.このTCRが認識するペプチド配列はRMFPNAPYL(配列番号5)である。
【0058】
ベクターの作製法、iPS細胞への遺伝子導入方法は、実施例1に準じた。
【0059】
1. 遺伝子導入後のiPS細胞を単個細胞懸濁液とし、フローサイトメトリーで解析した。効率よくHLA−A0201拘束性WT1特異的TCR遺伝子が導入されていることが確認された。(図4)
2. 遺伝子導入後のiPS細胞をディッシュに播種し、クローナルなコロニーとして培養した。図5は培養1週間後のコロニーを示しており、遺伝子が導入されたコロニーは蛍光色素陽性コロニーとして写っている。すなわち、HLA−A0201拘束性WT1特異的TCR遺伝子が導入されたiPS細胞のクローニングできたことを示している。この後、この陽性コロニーをピックアップして分離した。
【実施例3】
【0060】
クラスII拘束性WT1抗原特異的TCRを導入したHLAハプロタイプホモiPS細胞の作製
導入する対象の細胞としては実施例2と同じく京都大学再生医科学研究所再生免疫学分野(日本国京都府京都市)にて健常人末梢血単球より作製されたHLAハプロタイプホモ型iPS細胞を用いた。
導入したWT1特異的TCR遺伝子は,大阪大学医学系研究科免疫造血制御学研究室(日本国大阪府吹田市)でクローニングされたたクラスII拘束性WT1特異的TCR遺伝子、CloneKとClone10を用いた。CloneKはHLA−DRB1*0405拘束性、Clone10はHLA−DPB1*0501拘束性で、認識するペプチド配列はWT1−332(KRYFKLSHLQMHSRKH(配列番号6))である(Microbiol Immunol 52: 591−600, 2008)。
【0061】
ベクターの作製法、iPS細胞への遺伝子導入方法は、実施例1に準じた。
【0062】
1. 遺伝子導入後のiPS細胞を単個細胞懸濁液とし、フローサイトメトリーで解析した。結果を図6に示す。Clone10とCloneKともにWT1特異的TCR遺伝子がiPS細胞に導入されていることが確認された。
【実施例4】
【0063】
クラスI拘束性WT1抗原特異的TCRを導入したHLAハプロタイプホモiPS細胞の作製
導入する対象の細胞としては実施例2と同じく京都大学再生医科学研究所再生免疫学分野(日本国京都府京都市)にて健常人末梢血単球より作製されたHLAハプロタイプホモ型iPS細胞を用いた。
導入したWT1特異的TCR遺伝子は,京都大学再生医科学研究所再生免疫学分野(日本国京都府京都市)にてClonn#9とClone#3−3からクローニングされたクラスI拘束性WT1特異的TCR遺伝子である。
【0064】
ベクターの作製法、iPS細胞への遺伝子導入方法は、実施例1に準じた。
【0065】
2. 遺伝子導入後のiPS細胞を単個細胞懸濁液とし、フローサイトメトリーで解析した。結果を図7に示す。Clonn#9とClone#3−3ともにWT1特異的TCR遺伝子がiPS細胞に導入されていることが確認された。」

ウ.本件発明が解決しようとする課題
本件発明1〜10の記載、及び、本件明細書の【0015】の記載(本a)によると、本件発明は、より効率的で有効かつ安全な免疫療法を提供することにあると認められる。

エ.本件発明1のサポート要件の判断
本件明細書の実施例1には、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子としてWT1を、T細胞由来のiPS細胞から成熟T細胞をイン・ビトロで誘導できたことが、具体的に示されている(本d)。
また、本件明細書の【0022】には「多能性幹細胞には、例えば胚性幹(ES)細胞、核移植により得られるクローン胚由来の胚性幹(ntES)細胞、精子幹細胞(「GS細胞」)、胚性生殖細胞(「EG細胞」)、人工多能性幹(iPS)細胞、培養線維芽細胞や骨髄幹細胞由来の多能性細胞(Muse細胞)などが含まれる。」こと、【0025】には「TCR遺伝子としてはこれら公知の遺伝子を用いても良いし、今後解明されるTCR遺伝子を用いてもよい。」こと(いずれも本c)、【0020】には、「本願の移植用T細胞は所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を多能性幹細胞に導入する工程を含む方法にて得られることから、下記の効果が得られる:
1)効果並びに安全性が保障されたTCRの遺伝子を導入することにより、得られる移植用T細胞の品質が保証される。
2)TCR遺伝子挿入箇所を同定し、安全なクローンを確定して用いることができ、移植細胞のがん化の問題を予め回避できる。
3)多能性幹細胞へTCR遺伝子挿入して得られる多能性幹細胞をT細胞へ分化させる場合、分化過程で導入TCRが先に発現することから細胞が元々もっている(以下内因性と表記)TCRが再構成されず、想定外の反応が出現することがほとんどない。」ことが記載されている(本b)。
以上の記載からすると、本件発明1の「多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法」において、多能性幹細胞にTCR遺伝子(抗原特異性T細胞受容体遺伝子)を導入する工程を採用することにより、多能性幹細胞から分化した成熟T細胞が、内因性TCRを再構成しなくなり、効率的で有効かつ安全な免疫療法に利用できることを当業者は認識できるといえる。
そうすると、本件発明1は、当業者が、本件明細書の発明の詳細な説明の記載により、上記ウ.の課題を解決できると認識できる範囲のものであると認められる。

オ.申立人Aの主張
申立人Aは、本件明細書の実施例は、TCR遺伝子の導入手段が特定の形態である一方、本件発明1の工程(2)は、このような形態に限定したものでないから、本件発明1は、発明の詳細な説明に記載された、発明の課題を解決するための手段が反映されていない旨を主張する。
しかし、本件明細書の【0026】には、「TCR遺伝子のiPS細胞への導入は常套の方法で行えばよく、例えばMorgan R. A. et al, Science, 314: 126. 2006に記載の方法に準じて行えば良い。」と記載されており(本c)、従来の遺伝子導入手法を採用することで、実施例に記載された形態に限らず、TCR遺伝子を多能性幹細胞に導入できること、さらに、その多能性幹細胞から分化させた成熟T細胞が、より効率的で有効かつ安全な免疫療法として利用できることは、当業者であれば理解できるといえる。
また、申立人Aは、TCR遺伝子の導入手段が、本件明細書の実施例に記載された手段以外の場合、上記ウ.の課題が解決できないことを示す客観的資料(本件特許の出願時の技術常識等)を提示していない。
したがって、申立人Aの上記主張は、理由がない。

カ.小括
請求項1の記載は、サポート要件を満たすものであるから、請求項1を直接又は間接的に引用する請求項2〜10の記載も、請求項1と同様の理由により、サポート要件を満たすものである。
したがって、申立理由A3(サポート要件)は、理由がない。

(4)申立理由A4(実施可能要件
ア.実施可能要件の考え方
発明の詳細な説明の記載が実施可能要件に適合するというためには、明細書の発明の詳細な説明に、当業者が、明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要する。

イ.判断
本件明細書の【0022】には「多能性幹細胞には、例えば胚性幹(ES)細胞、核移植により得られるクローン胚由来の胚性幹(ntES)細胞、精子幹細胞(「GS細胞」)、胚性生殖細胞(「EG細胞」)、人工多能性幹(iPS)細胞、培養線維芽細胞や骨髄幹細胞由来の多能性細胞(Muse細胞)などが含まれる。」こと、【0025】には「TCR遺伝子としてはこれら公知の遺伝子を用いても良いし、今後解明されるTCR遺伝子を用いてもよい。」こと、【0026】には、「TCR遺伝子のiPS細胞への導入は常套の方法で行えばよく、例えばMorgan R. A. et al, Science, 314: 126. 2006に記載の方法に準じて行えば良い。」こと、【0028】には「T細胞への分化誘導方法としては、例えばTimmermans et al., Journal of Immunology, 2009, 182: 6879−6888に記載の方法が挙げられる。」ことが記載されている(いずれも本c)。
また、【0020】には、「本願の移植用T細胞は所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を多能性幹細胞に導入する工程を含む方法にて得られることから、下記の効果が得られる:
1)効果並びに安全性が保障されたTCRの遺伝子を導入することにより、得られる移植用T細胞の品質が保証される。
2)TCR遺伝子挿入箇所を同定し、安全なクローンを確定して用いることができ、移植細胞のがん化の問題を予め回避できる。
3)多能性幹細胞へTCR遺伝子挿入して得られる多能性幹細胞をT細胞へ分化させる場合、分化過程で導入TCRが先に発現することから細胞が元々もっている(以下内因性と表記)TCRが再構成されず、想定外の反応が出現することがほとんどない。」ことも記載されている(本b)。
すなわち、本件発明1の工程(1)〜(3)のいずれの工程も、遺伝子工学における常用の方法で実施することができ、これらの工程を組み合わせることで、免疫細胞療法用の成熟T細胞が得られることが実施例等により説明されているので、工程(1)〜(3)の実施、及び、これらの工程を組み合わせて目的の成熟T細胞を誘導する方法の実施において、当業者に過度の試行錯誤を要するとはいえない。
よって、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等が記載されているというべきである。

ウ.申立人Aの主張
申立人Aは、本件明細書の実施例には、TCR遺伝子の導入手段が特定の形態である一方、本件発明1の工程(2)は、このような形態に限定したものでないから、発明の詳細な説明は、当業者が本件発明1を実施することができる程度に、明確かつ十分に記載されたものでない旨を主張する。
しかし、本件明細書の【0020】、【0022】、【0025】、【0026】及び【0028】には上述のとおりの記載があるから、ヒト多能性幹細胞の提供、当該細胞へのTCR遺伝子の導入、及び、多能性幹細胞をT細胞に分化させ、免疫細胞療法用成熟T細胞を得ることが、実施例の形態に限らず、過度の試行錯誤を要するものとはいえない。
また、TCR遺伝子の導入手段が、本件明細書の実施例の形態以外の場合、免疫細胞療法用成熟T細胞が得られないことを示す客観的資料(本件特許の出願時の技術常識等)は、申立人Aより何ら提示されていない。
したがって、上記の申立人Aの主張は、理由がない。

エ.小括
以上のとおり、請求項1の記載は実施可能要件を満たすものであるから、請求項1を直接又は間接的に引用する請求項2〜10の記載も、同様の理由により、実施可能要件を満たすものである
したがって、申立理由A4(実施可能要件)は、理由がない。

(5)申立人Aによる申立理由の検討のまとめ
以上のとおり、本件発明1〜10に係る特許は、申立人Aによる申立理由A1〜A4により取り消すことはできない。

2.申立人Bによる申立理由の検討
(1)申立理由B1(新規性進歩性
ア.甲B1に記載された発明
甲B1の記載より、当業者が具体的に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる方法の発明は、甲B1の「【方法 結果】」の項に記載された、以下のとおりのものであると認められる。

「T細胞由来iPS細胞株(TKT3v1−7)に対し、Recombination activating gene 2(Rag2)をノックアウトするため、Rag2特異的なguide RNAを設計しCas9蛋白とともにトランスフェクションを行い、KO株の作成に成功したことが確認できた細胞を、10T1/2 stroma cell及びOP9 δ 1 stroma cellとの共培養により分化させる方法。」(以下、「甲B1発明」という。)

イ.新規性の判断
(ア)本件発明1と甲B1発明との対比
甲B1発明の、「T細胞由来iPS細胞株(TKT3v1−7)」は、甲B1で引用する甲B1の2の記載(特に、申立人Bが提出した抄訳文を参照)を参酌するに、ヒト由来であることは明らかであるので、本件発明1における「ヒト多能性幹細胞」に相当する。
また、甲B1の「【目的】」の項には「増殖させてT細胞に分化させることで、幼若で活性の高い腫瘍特異的T細胞を大量に作ることができるという戦略である」、及び、「我々は抗原特異性を保ったまま、エフェクター細胞を産生させるためにiPS細胞にゲノムエディットを加える手法を考案し、実験を行った。」と記載されており、甲B1発明の「KO株の作成に成功したことが確認できた細胞を、10T1/2 Sstroma cell及び、OP9 δ 1 stroma cellとの共培養により分化させる」ことは、免疫細胞療法に利用することを目的とした成熟T細胞をイン・ビトロで共培養していることであることは明らかなので、本件発明1の「多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する」に相当する。

そうすると、本件発明1と甲B1発明は、
「(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
および
(3)多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
」で一致し、以下の点で相違している。

<相違点4>
本件発明1では、「工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程」を含むことが規定されているのに対し、甲B1発明では、上記工程を含まない点

(イ)相違点4の判断
甲B1の「【目的】」には、「分化させたiPS細胞のTCRについて解析を進めたところ、in vitroの分化系においても、CD4 CD8 double positive(DP)細胞まで分化した段階で、TCRの再組み換えが起こっており、元の抗原特異性を保持できなくなることがわかってきた。そこで、我々は抗原特異性を保ったまま、エフェクター細胞を産生させるためにiPS細胞にゲノムエディットを加える手法を考案し、実験を行った。」と記載されている。
以上の記載からすると、甲B1では、TCR遺伝子(抗原特異性T細胞受容体遺伝子)の再組み換えが生じることを抑え、元の抗原特異性を保持することに主眼が置かれているので、甲B1に、TCR遺伝子をiPSCに導入する工程が示唆されていると解することはできない。
したがって、相違点4は実質的な相違点であり、本件発明1と甲B1発明が同一であるということはできない。

(ウ)申立人Bの主張
申立人Bは、甲B1の「【考察】」の記載から、甲B1には、「Rag2をノックアウトしたことにより内因性T細胞受容体(TCR)が発生しない、T細胞由来でないiPS細胞に、TCR遺伝子を導入することで、ミスマッチが起こり得ない細胞株としてのiPS細胞を作成する方法・・・が記載されて」おり、甲B1における「『ミスマッチが起こり得無い』との記載は、iPS細胞からT細胞に分化誘導した際にミスマッチが起こりえないことを意味する。従って、外因性TCR遺伝子を導入したiPS細胞からT細胞を誘導することは開示されている。」と主張する。
しかしながら、甲B1の「【考察】」には、「T細胞由来でないiPS細胞にRag2KOすることでTCRの組み換えを止めることにより、分化させても内在性TCRが発生しないiPS細胞の作成が可能になると考えられる。この細胞にTCR遺伝子を導入することで、ミスマッチの起こり得無い細胞株としてのiPS細胞を作ることができることが予想される。現在、iPS細胞ゲノムエディット及びTCR遺伝子導入を組み合わせた実験を進めている段階である。」との甲B1の著者による断片的な推論が記載されているに過ぎないから、甲B1に、T細胞由来iPS細胞株を用いる甲B1発明とは異なる方法の発明が記載されているとは認定できない。
したがって、上記の申立人Bの主張は、理由がない。

(エ)小括
以上のとおり、本件発明1は、甲B1に記載された発明とはいえず、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2、4及び5も、本件発明1と同様の理由により、甲B1に記載された発明とはいえない。
したがって、申立理由B1のうち(新規性)は、理由がない。

ウ.進歩性の判断
(ア)対比
本件発明1と甲B1発明との一致点、相違点は、上述のとおりである。

(イ)本件発明1の判断
甲B1の「【考察】」には、「T細胞由来でないiPS細胞にRag2KOすることでTCRの組み換えを止めることにより、分化させても内在性TCRが発生しないiPS細胞の作成が可能になると考えられる。この細胞にTCR遺伝子を導入することで、ミスマッチの起こり得無い細胞株としてのiPS細胞を作ることができることが予想される。現在、iPS細胞ゲノムエディット及びTCR遺伝子導入を組み合わせた実験を進めている段階である。」と記載されている。
しかし、上記箇所の記載は、甲B1の著者による断片的な推論に過ぎないものであり、T細胞由来iPS細胞株を用いる甲B1発明に、相違点4として挙げた本件発明1の発明特定事項を適用することを動機付けるものとは認められない。
一方、本件発明1は、「多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法」において、「所望の抗原特異的T細胞受容体遺伝子(TCR遺伝子)を多能性幹細胞に導入する工程」を採用することで、「多能性幹細胞へTCR遺伝子挿入して得られる多能性幹細胞をT細胞へ分化させる場合、分化過程で導入TCRが先に発現することから細胞が元々もっている(以下内因性と表記)TCRが再構築されず、想定外の反応が出現することがほとんどない」という効果を奏するものであるところ(本件明細書の【0020】)、甲B1は、上記方法における工程について、記載も示唆もするものではないから、当該効果が当業者において予測可能であったとは認められない。
したがって、本件発明1は、甲B1発明、及び、甲B1の記載事項から、当業者が容易になし得たものとはいえない。

(ウ)小括
以上のとおり、本件発明1は、甲B1に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得たとはいえず、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2、4及び5も、本件発明1と同様の理由により、甲B1に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得たとはいえない。
したがって、申立理由B1のうち(進歩性)は、理由がない。

(2)申立理由B2(進歩性
ア.甲B2に記載された発明
甲B2は英文であるから、申立人が令和4年3月29日に提出した特許異議申立書の添付書類の抄訳文(以下、「甲B2訳文」という。)を用いて、甲B2に記載された発明の認定を行う。
甲B2訳文には「(タイトル)ヒト造血前駆細胞への外因性T細胞受容体の導入は、内因性T細胞受容体発現の排除をもたらす。」、「(第1055頁、[要約]の項、第11−21行;黄色でハイライトした部分のみ翻訳)我々は、ヒト化したマウスモデルにおいて、遺伝子改変されたヒト造血幹細胞(hHSC)からMART−1特異的CD8 T細胞を生じさせることに成功した。・・・(中略)・・・本報告において、我々は内因性TCR発現において生じる分子プロセスを調査し、本アプローチによれば、新たに導入したTCRのみが細胞表面に発現し、内因性TCRの細胞表面での発現の排除がもたらされることを実証した。」、「(第1060頁左欄第2−6行)我々のグループによる最近の研究では、腫瘍特異性(MART−1、メラノーマ細胞において見いだされた抗原)又はウイルス特異的(SL9、HIV gag)TCRをヒト造血前駆細胞に導入でき、且つ、ヒト化マウスにおいてin vivoで機能的な遺伝子導入CTLを生じさせることができることが示されている。」と記載されている。
そうすると、甲B2の上記記載より、当業者が具体的に認識でき、かつ、免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導することが可能と解せる方法の発明は、以下のとおりのものであると認められる。

「ヒト造血幹細胞にTCR遺伝子を導入し、それをヒト化マウス体内で再分化させることで、腫瘍免疫療法に有用な遺伝子導入CTLを製造する方法。(以下、「甲B2発明」という。)」

イ.判断
(ア)本件発明1と甲B2発明との対比
甲B2発明の、「TCR遺伝子を導入し」は、本件発明1における「所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入し」に相当する。
また、甲B2発明の、「再分化させることで、腫瘍免疫療法に有用な遺伝子導入CTLを製造する」は、本件発明1の「T細胞に誘導する工程を含む」、「免疫細胞療法用成熟T細胞を誘導する」に相当する。

そうすると、本件発明1と甲B2発明は、
「所望の抗原特異性T細胞受容体を導入する工程、T細胞を誘導する工程を含む、免疫細胞療法用成熟T細胞を誘導する方法。」で一致し、以下の点で相違している。

<相違点5>
本件発明1では、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入し、免疫細胞療法用成熟T細胞へ誘導する細胞が、「ヒト多能性幹細胞」であるのに対し、甲B2発明では、「ヒト造血幹細胞」である点

<相違点6>
本件発明1では、免疫細胞療法用成熟T細胞への誘導が「イン・ビトロ」であるのに対し、甲B2発明では、「ヒト化マウス体内」である点

(イ)本件発明1の判断
上記相違点5及び6を併せて検討する。
甲B2の「INTRODUCTION」には、「上記に代わるアプローチとして、抗原特異的TCRを発現するベクターでヒト造血幹細胞(hHSC)を遺伝子改変し、その後この細胞をトランスジェニック成熟T細胞へと分化させる方法がある。この方法は、まずマウスモデルで実験に成功しました。しかし、これらは疾患モデルではなく、マウスの系統発生はヒトとは全く異なるため、この方法がヒト造血幹細胞で実行可能かどうか判断する必要がありました。骨髄・肝臓・胸腺(BLT)ヒト化マウスシステムの開発により、このようなアプローチの検証が可能になりました。このキメラモデルでは、ヒト胎児胸腺と肝臓を腎被膜の下に移植し、胸腺/肝臓オルガノイドを作製します。この後、造血幹細胞を移植することにより、ヒト免疫細胞の完全な再構成が行われます。・・・TCRを導入した前駆細胞は、安定で再生可能な人工細胞の供給源となり、適切なT細胞選択と成熟を経て抗原特異的CTLを生み出すので、末梢血T細胞を用いるよりも明らかに有利である。この方法は、複数のTCRを発現する成熟T細胞を同時に生成するリスクを最小化し、移植片対宿主病を引き起こす可能性のある自己反応性クローンを生成する可能性を最小化することを実証している。BLTマウスモデルを用いて、ヒトMART−1抗原に特異的な外来性TCRを発現するトランスジェニックCTLを作製し、導入したTCRがT細胞の発生と外来性および内在性TCRの発現に及ぼす影響を検討した。」と記載されている(第1055ページ右欄12行目〜第1056ページ左欄15行目)。すなわち、甲B2は、BLTヒト化マウスシステム(マウスモデル)を用いて、外来性TCRを発現するヒト造血幹細胞からトランスジェニックCTLを作製することを教示するものであるが、ヒト造血幹細胞に代えてヒト多能性幹細胞を利用することやイン・ビトロで再分化させることについては甲B2において記載も示唆もされていない。
また、甲B1には、甲B2発明において、ヒト造血幹細胞に代えて多能性幹細胞を利用することやイン・ビトロで実施することを動機付ける記載は存しない。
そうすると、甲B2発明において、造血幹細胞に代えて多能性幹細胞を用いること(相違点5)やBLTヒト化マウスシステムを利用せずにイン・ビトロで行うこと(相違点6)を当業者が容易になし得たとはいえない。

(ウ)申立人Bの主張
a.相違点5について
申立人Bは、「末梢血T細胞に所望の抗原特異的TCR遺伝子を導入する従来のTCR―T細胞療法は、T細胞が免疫疲弊して抗腫瘍活性が低下しているという問題があることは周知であり、より幼若で免疫疲労が生じていない細胞を出発材料として用いることが望ましいことは、本件優先日当時の当業者には自明であった。」こと、及び、甲B1には、T細胞由来のiPS細胞からT細胞に分化させることで、幼若で活性の高い腫瘍特異的T細胞を大量に作ることができることが記載されているため、甲B2発明の造血幹細胞に代えて、甲B1に記載されたiPS細胞を出発材料として用いることは、当業者であれば容易に想到し得たことは明らかであると主張する。
しかしながら、甲B2では、造血幹細胞を利用することで抗原特異的T細胞の長期の解決策を提供することに主眼が置かれているから(Abstractの15行目、又は、第1056ページ右欄2行目)、わざわざ造血幹細胞よりも未分化なiPS細胞を用いる必要があったとは認められないし、甲B1には、甲B2に関する記載は見当たらないので、甲B1と甲B2の記載事項を組み合わせて、相違点5で挙げた本件発明1の発明特定事項を当業者が想到することはできないといえる。
したがって、申立人Bの上記主張は採用できない。

b.相違点6について
申立人Bは、「そもそも『多能性幹細胞(或いはiPS細胞)のイン・ビトロでのT細胞への分化・成熟化』とは、『生体内』で進む多能性幹細胞のT細胞への分化・成熟化プロセスを『生体外』で再現したものであり、換言すれば、(多少の差こそあれ)両者は幹細胞を成熟化T細胞へ分化させるとの目的に対して同質のプロセスを、『生体外』で進めるのか『生体内』で進めるのかの違いに過ぎない。」ため、甲B2発明のヒト化マウス体内でT細胞に分化させるのに代えて、甲B1に記載のストローマ細胞との共培養によりイン・ビトロでT細胞に分化させる方法を採用することは、当業者であれば容易に想到し得たことは明らかであると主張する。
しかしながら、甲B2発明は、BLTマウスモデルを用いることを前提とした発明であるから、上記のような一般論が当業者に知られていたとしても、甲B2発明を、わざわざイン・ビトロで行う必要があったとは認められない。
したがって、申立人Bの上記主張は採用できない。

(エ)小括
以上のとおり、本件発明1は、甲B2発明、すなわち甲B2に記載された発明に甲B1の記載事項を適用しても、当業者が容易になし得たものとはいえない。
また、本件発明1を直接又は間接的に引用する本件発明2〜10も、本件発明1と同様の理由により、甲B2及び甲B1や甲B3〜5に記載された事項に基づいて容易になし得たものとはいえない。
したがって、申立理由B2(進歩性)は、理由がない。

(3)申立理由B3(実施可能要件
ア.実施可能要件の考え方
上記1.(4)のア.に記載のとおりである。

イ.本件発明1の判断
上記1.(4)のイ.に記載のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明には、当業者が、過度の試行錯誤を要することなく、本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等が記載されているというべきである。

ウ.申立人Bの主張
申立人Bは、本件特許は、「『TCR遺伝子を導入したヒト多能性幹細胞をT細胞へ分化させると、分化過程で導入TCRが先に発現し、細胞が元々もっている内因性のTCRが再構成されず、その結果、想定外の反応が出現することがほとんどない』という予期せぬ有利な効果を奏することを繰り返し主張し、最終的に特許を付与されるに至った」ものであるが、「当該作用効果は」、本件明細書の「段落0020及び0030にいわゆる一行記載として当該作用効果が記載されるのみで、実施例において何ら具体的に裏付けられていない。」と主張する。
しかしながら、本件発明1の工程(1)〜(3)のいずれの工程も、遺伝子工学における常用の方法、条件で実施することができ、これらの工程を組み合わせることで、免疫細胞療法用の成熟T細胞が得られることが実施例等により説明されているから、上記の効果に関する具体的データが無いことにより、本件発明1の当業者による実施が妨げられるとはいえない。
もっとも、本件特許の審査段階の令和1年8月23日付け意見書、及び、令和3年5月26日付け意見書によると、段落0020及び0030に記載されている効果が、実体を伴うものであることが示されている。
そうすると、上記の申立人Bの主張は、理由がない。

また、申立人Bは、「請求項1―5に係るTCRには、文理解釈上、αβTCRだけでなくγδTCRも包含されるが、外因性TCR遺伝子として、TCRγ遺伝子及びTCRδ遺伝子を導入した場合にも、TCRα遺伝子及びTCRβ遺伝子を導入した場合と同様の作用効果を奏するか否かも明らかではない。」と主張する。
しかしながら、本件明細書の【0025】及び【0026】には上述のとおりの記載があり、γδTCRの場合において、当業者に過度の試行錯誤を要する等の特段の事情を見出すことはできない。
また、γδTCRにおいては、本件明細書に記載された作用効果を奏さないことを示す客観的資料(本件特許の出願時の技術常識等)も、申立人Bより何ら提示されていない。
したがって、上記の申立人Bの主張も、理由がない。

エ.小括
以上のとおり、請求項1の記載は実施可能要件を満たすものであるから、請求項1を直接又は間接的に引用する請求項2〜10の記載も、同様の理由により、実施可能要件を満たすものである
したがって、申立理由B3(実施可能要件)は、理由がない。

(4)申立理由B4(サポート要件)
ア.サポート要件の考え方
上記1.(3)のア.に記載のとおりである。

イ.本件発明が解決しようとする課題
上記1.(3)のウ.に記載のとおりである。

ウ.本件発明1の判断
上記1.(3)のエ.に記載のとおり、本件発明1は、当業者が、本件明細書の発明の詳細な説明の記載により、上記イ.の課題を解決できると認識できる範囲のものであると認められる。

エ.申立人Bの主張
申立人Bは、本件特許は、「『TCR遺伝子を導入したヒト多能性幹細胞をT細胞へ分化させると、分化過程で導入TCRが先に発現し、細胞が元々もっている内因性のTCRが再構成されず、その結果、想定外の反応が出現することがほとんどない』という予期せぬ有利な効果を奏することを繰り返し主張し、最終的に特許を付与されるに至った」ものであるが、「当該作用効果は」、本件明細書の「段落0020及び0030にいわゆる一行記載として当該作用効果が記載されるのみで、実施例において何ら具体的に裏付けられていない。」と主張する。
しかしながら、サポート要件の考え方や判断は上記ア.、ウ.のとおりであるところ、本件明細書に上記の効果に関する具体的データが記載されてないからといって、本件発明1が上記イ.の課題を解決できない特段の事情があるとは認められない。
もっとも、本件特許の審査段階の令和1年8月23日付け意見書、及び、令和3年5月26日付け意見書によると、段落0020及び0030に記載されている効果が、実体を伴うものであることが示されている。
したがって、上記の申立人Bの主張は、理由がない。

また、申立人Bは、「請求項1―5に係るTCRには、文理解釈上、αβTCRだけでなくγδTCRも包含されるが、外因性TCR遺伝子として、TCRγ遺伝子及びTCRδ遺伝子を導入した場合にも、TCRα遺伝子及びTCRβ遺伝子を導入した場合と同様の作用効果を奏するか否かも明らかではない。」と主張する。
しかしながら、本件明細書の【0025】には、「TCR遺伝子としてはこれらの公知の遺伝子を用いても良いし、今後解明されるTCR遺伝子を用いてもよい。」と記載されており、様々なTCR遺伝子においても、上記イ.の課題を解決できることは、当業者が理解できる。
また、申立人は、δγTCRの場合に、上記イ.の課題が解決できないことを示す客観的資料(本件特許の出願時の技術常識等)も提示していない。
したがって、申立人Bの上記主張も、理由がない。

オ.小括
以上のとおり、請求項1の記載はサポート要件を満たすものであるから、請求項1を直接又は間接的に引用する請求項2〜10の記載も、請求項1と同様の理由により、サポート要件を満たすものである
したがって、申立理由B4(サポート要件)は、理由がない。

(5)申立理由B5(明確性要件)
ア.明確性要件の考え方
特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術的常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

イ.本件発明1の判断
「T細胞受容体(TCR)」は、遺伝子工学の技術分野において技術用語として確立されており、請求項1の「抗原特異性T細胞受容体遺伝子」も、「抗原特異性」を示す「TCR」の遺伝子を意味することは当業者にとって明らかである。
そうすると、請求項1の「抗原特異的T細胞受容体遺伝子」という用語が、本件明細書及び図面を考慮した場合に、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるとはいえない。

ウ.申立人Bの主張
申立人Bは、「請求項1−5に係るTCRには、文理解釈上、αβTCRだけでなくγδTCRも包含されるが、本件明細書の段落0027の記載や、実施例において・・・もっぱらαβTCRが用いられていることを勘案すると、抗原特異的TCRはαβTCRを意味するとも解し得る。」ため、請求項1−5の「所望の抗原特異的T細胞受容体」は不明確であると主張する。
しかしながら、本件明細書の段落【0025】に記載されるように、TCR遺伝子はαβTCRに限定されてないので、γδTCRを排除して解釈すべき特段の事情は見当たらない。
したがって、上記の申立人Bの主張は、理由がない。

エ.小括
以上のとおり、請求項1の記載は明確性要件を満たすものであるから、請求項1を直接又は間接的に引用する請求項2〜5の記載も、請求項1と同様の理由により、明確性要件を満たすものである
したがって、申立理由B5(明確性要件)は、理由がない。

(6)申立人Bによる申立理由の検討のまとめ
以上のとおり、本件発明1〜10に係る特許は、申立人Bによる申立理由B1〜B5により取り消すことはできない。

第5 むすび
以上のとおり、本件特許に係る特許異議申立てにおいて申立人A、Bが主張する申立理由は、いずれも理由がないから、本件発明1〜10に係る特許は、取り消すことができない。
ほかに、本件発明1〜10に係る特許を取り消すべき理由も発見しない。
よって、結論のとおり決定する。
 
異議決定日 2022-07-14 
出願番号 P2016-534511
審決分類 P 1 651・ 537- Y (C12N)
P 1 651・ 113- Y (C12N)
P 1 651・ 121- Y (C12N)
P 1 651・ 536- Y (C12N)
最終処分 07   維持
特許庁審判長 福井悟
特許庁審判官 阪野誠司
吉森晃
登録日 2021-09-10 
登録番号 6942466
権利者 河本 宏
発明の名称 抗原特異的T細胞受容体遺伝子を有する多能性幹細胞の製造方法  
代理人 櫻井 陽子  
代理人 松谷 道子  
代理人 坂田 啓司  

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